第30話 愛を捧ぐフール

 死ぬ少し前に思ったことがある。


 ーーきっと、この恋は誰も幸せにしない、と。


 私も、クリストフォロス様も、側室であるテレンティア様も苦しむだけだと。

 それは、私が死んだ後も変わらなかったらしい。


 私に薄暗い色をした瞳を向けるテレンティア様を見て、私は痛い程感じた。


「クリストフォロス様はエレオノラさまが亡くなられた後、しばらく執務で忙しくしておられました。クリストフォロス様は国王陛下ですもの。休み無しでひっきりなしに仕事をしなければいけないのは分かりますわ。その疲れを癒して差し上げるのが、わたくし達の役目だと、エレオノラ様はいつの日だったか仰いました」

「え、ええ……。確かに言ったわ……」

「そんなの……そんなの分かりきっていたましたわ……!わたくしずっと貴女が邪魔で嫌いで仕方がなかったんです……!」


 その言葉に私の指先から冷たくなったのを感じる。部屋の温度がどんどん下がっていくように感じた。


「どうやったら王妃の立場から追い出せるか、どうやったらクリストフォロス様の隣から貴女を消せるか、どうやったら貴女はいなくなるかばかりわたくし考えてたわ……!だってそうでしょう……?!わたくしは流行病のせいで国力が弱ったとはいえ、一国の王女だったのよ……?!あんな……あんな……側室なんて……、蔑ろにされるなんてあってはならないとは思わない……?!」

「……そ、それは……」


 ビアンカの迫力に私は思わずたじろぐ。

 私もビアンカが側室になるだなんて、思わなかった。


「……でも、……でも、そんなの建前に過ぎなかったの。私が貴女を邪魔だと思える、に過ぎなかったのだわ」


 ポロリとビアンカの栗色の瞳から涙がこぼれ落ちる。それが昔見た紅色の猫目と、重なった気がした。


「私の祖国を援助して助けて下さった夫を、私を気遣ってくれる侍女達を付けてくださった夫を、好きにならない筈がないでしょう?」


 クリストフォロス様がテレンティア様の事をどう思っていたのか、今となってはもう分からない。


 それでも、クリストフォロス様が隣国の王女であったテレンティア様に対して気遣いをみせたのは、1人でアルガイオに嫁いでくるテレンティア様への最大限の配慮だったのだろうと思う。


 クリストフォロス様がテレンティア様の事をどう思っていたとしても、クリストフォロス様が私を想ってくれていたのは疑いようがない位、私は愛されていた。


「だから、わたくし、あの人の隣に立ちたいと思ったの……!胸を張って、ずっとあの人に見てもらえるように」


 やっぱり、やっぱり私達の恋は誰も幸せにはしなかった。

 彼女は私達の恋の犠牲になったのだ。


「でも、クリストフォロス様はずっと貴女を見ていたわ。わたくし、最初は2番目でもいいから彼の視界に入りたかっただけなのに……、あの人はわたくしの事なんてどうでもよかったの。貴女が死んでから、痛感したわ……」


 ファウスト様は話してくれない。

 私が死んだ後、クリストフォロス様がどんな生涯を歩んだのか。


「みんな気付かなかったの。

 わたくしとクリストフォロス様の縁談を纏めたペルディッカス様は、クリストフォロス様は今は傷心の身であるが、きっとわたくしを王妃にして下さるだろうと聞いたし、他にもクリストフォロス様をお慰めする為の側室が増えるだろうと仰っていたわ。事実、クリストフォロス様にそんな話がいっていたみたい。わたくしもクリストフォロス様に直接お願いしていたの」


 クリストフォロス様より若かった私が、あっさり逝ってしまったのだ。貴族達の驚きは大きかっただろう。

 アルガイオの王族の血を絶やさぬように躍起やっきになるのも頷ける。


 けれど……、けれど、傷心中のクリストフォロス様にそんな事を言っていたのか、この人は。


「貴女が亡くなって3ヶ月後位から出た話なのだけれど、最初は跳ね除けていたわ。今はそんな気分になれない、とね。貴女の居なくなった部屋にふらりと1人で足を運んで、よく物思いに浸っていらっしゃったわ」


 私は思わず胸を押さえた。

 どうしようもなく、痛い。遺してきてしまった、彼がどんな思いで私が使っていた部屋にいたのだろうか。


「明確にクリストフォロス様がおかしくなったと皆が気付いたのは、子供が生まれてからだったわ。クリストフォロス様は、子供を生んだ母親を労ってくれたわ。でもわたくしじゃなかった。わたくしを通して、を見ていたの」

「え……?」

「その頃は激務だったから、皆クリストフォロス様がやつれているのもそこまで深く気に留めなかったし、クリストフォロス様はお疲れだから仕事を減す方向に進めていただけだったわ。でも原因は仕事ではなかったのよ」


 側室に亡くなった王妃の幻影を重ねる国王。

 そんなの、おかしすぎる。


「壊れてしまっていたのよ。クリストフォロス様は。もうこの世にいないエレオノラ様の姿を求めて、側室に王妃の姿を求める位には。その時、わたくしの中の醜い恋がようやく終わりを迎えたの」


 そう言ったビアンカはどこか晴れ晴れとした、それでも瞳からは涙を流しながら微笑む。


「クリストフォロス様がおかしいと判ってから、ありとあらゆる宮廷医に見せたわ。でも彼はどんどん壊れていった。貴族達は必死に隠したわ。クリストフォロス様を傀儡にして」


 胸を圧迫されたような感覚が襲う。息が酷くしずらい。

 ねぇ、私、クリストフォロス様に幸せになってもらいたかったのに。


「……最後は自殺だったわ。いつも懐に持ち歩いている短剣で自身を傷付けて。貴方が住んでいた部屋で亡くなられたの」


 どうして、そんな結末を迎えてしまったの?


「そうしてアルガイオ王族の直系はいなくなったの。わたくしの息子もクリストフォロス様がお亡くなりになられる前に病で亡くなってしまった……クリストフォロス様が傀儡になってから、アルガイオの支配権を競って沢山の貴族が争った。そうして、アルガイオは滅びの道を辿ってしまったの」


 クリストフォロス様は誰よりも国王に相応しい才能を持っていた。

 でも、誰よりも国王に向いていなかったのかもしれない。


「今となっては取り戻せない前世過去よ。わたくしはビアンカ。もうただの侍女であるビアンカでしかない。貴女ももう、大貴族の娘でも王妃でもない。しがない男爵令嬢に過ぎないのに、貴女は王太子様とまた前世にすがるつもりなの?」


 過ぎてしまった時間は取り戻せない。楽しかった前世も、辛かった前世も、私達は確かに歩んできた。


 私達の恋の犠牲にしてしまったテレンティア様も、私への愛を貫いたクリストフォロス様も、綺麗で美しいものではなくなってしまった愛を捧げ続けた私も、かつてアルガイオで生きた多くの人が不幸になった。


「……それでも私は、あの人を愛し続けるのをやめられない」


 私をいつも必要としてくれて、私に沢山の気遣いを見せてくれた彼以上に全身全霊で私を愛してくれる人は前世でも、今世でもいなかった。


 私も、ファウスト様も縋っているのかもしれない。

前世の幸せだった過去に。私が病気になる前に。


「……どうして?どうして、そこまでして……」


 愛を貫こうとするの?


 ビアンカの尻すぼみになった言葉に、私は微笑む。

 愛を貫ぬく。聞こえだけはいいけれど、実際はもっと自分勝手で醜くて、悲しみに溢れた行動だ。


「私が私である限り、あの人を愛し続けると言ったから」


 幼い頃から多くの時間を過ごした、かけがえのない人だった。いつも一緒にいると安心した。自分の居場所がここだと知っていたから。


 クリストフォロス様しか愛した事はなかった。

 だから私は愚かな事に、この愛し方以外を知らない。


 分からないと、ビアンカからは心底不可解な視線を向けられた。

 それでも良かった。地位や周りに縛られることなく、彼と幸せになりたかった。


 それが例え誰にも理解されなくても、実現出来なくても、今世でも結ばれなくても、私はこの先も私である限り、愛し続けるのをやめはしないだろう。


「テレンティア様の気持ちが全て分かるとは言わない。でも、私の事が嫌いだという気持ちは少し分かるわ。私も昔、綺麗事を言っていたけれど、きっと嫌いだったんだわ。クリストフォロス様の子供を身ごもった貴女が。健康的な貴女が」


 ビアンカは黙り込む。

 ずっとずっと羨ましかった。クリストフォロス様の子供を産める身体をした彼女が、私が失ったものを持った彼女が。


「私達、共感する部分はあっても、きっと分かり合えはしないと思うわ」

「ええ。クリストフォロス様を愛して、それでも愛されなくて諦めてしまったわたくしには、今世でも苦労してまでクリストフォロス様を愛し続けるエレオノラ様が分かりませんわ」

「そうね。きっと、私がどんな気持ちでクリストフォロス様を貴女に託そうとしたかも分からないでしょう、テレンティア様」


 クリストフォロス様に愛された私には、テレンティア様の失恋は分からないし、テレンティア様ならクリストフォロス様を支えられるだろうと思っていた私の期待が裏切られていた事も、彼女はきっと分かっていない。


「愛を貫く事が美徳だとはわたくしは思いません」

「ええ。それは私も思います」


だってほら、嫉妬して、他人までも不幸にして、自分勝手で、疲れてしまって、悲しい事ばっかりだ。

それでも好きな人と一緒にいる時が一番幸せだと思ってしまう。


 ビアンカはしばらく沈黙していたが、やがて緊張を解すかのように細長く息を吐いた。

 ビアンカの瞳にはもう薄暗い炎は宿っていない。いつもの無機質な瞳だった。


「どちらにせよ、貴女はセウェルス伯爵に嫁がれる身。妙な気は起こさないで下さいね」

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