第10話 愛を捧げたフール

 私の掛かった流行病は、隣国では相当猛威を振るったらしい。幸いにも隣国の王都ではそうでもなかったみたいだが、国中の町や村はかなり酷かったそうだ。


 私達の王国と隣国は大層仲が悪く、行商人達がこっそり交易して莫大な利益を生み出しているような有様だった。表向きには国交していない隣国との国交制限を行商人達に課せられるわけなく、流行病が広がってしまったのである。


 それを聞いたのはクリストフォロス様が戴冠してから1年と少し経ったあと。

 そろそろクリストフォロス様に何かあった時にと、私の間に子供を作って欲しいとせっつかれている時期だった。


 勿論私の身体は弱ったままで、長期間外に出られる体力もない。子供なんて以ての外だ。


 クリストフォロス様はそんな私を大事にし、子供の事は任せてくれって言っていた。きっと彼には何か考えがあったのだろう。


 そんな隣国が今度は領地を持たない流浪の民からの侵略を受けているらしく、私達の国に少しでも助けてもらおうと、和平と援助をお願いしてきたのだ。

 幸いにももう流行病は沈静化してきて、長い間の私達の国交を見直し、こちら側が有利に交渉を進められると利益を考えた結果、貴族議会で国交を結び直す事が正式に決まったのである。


 国家間でのお互いの希望が出るまでは、とても穏やかに事は進んだ。


「これはどういう事だ?!答えろペルディッカス!!」


 その日は調子が良かったので、私は貴族議会に顔を見せていた。顔を見せると言っても私のように女の地位は低く、勉強も必要なかったので置物のようにそこにいるだけだったが、この国の王妃としてただ居るだけだ。


 その日も前々から話し合われていた隣国との国交についての会議だった。いつものように穏やかに纏まっていく話し合いが一変したのは、隣国との交渉に出ていた外交役のペルディッカスという、クリストフォロス様より幾分か年上の男が差し出した羊皮紙をクリストフォロス様が見た時だった。


 普段は滅多に感情を表に出さないクリストフォロス様が羊皮紙に目を通すなり、声を荒らげた事に対してその場の皆がびっくりしたようにクリストフォロス様に視線を向ける。少しだけザワついていた会議場が一気に静まり返った。


 私もいきなりの事に肩をビクつかせて彼を見るが、彼はペルディッカスを今にも殺しそうな勢いで睨んでいた。


「あちらの国王が申しますに、我らが希望した一部の領地の譲渡に関しまして、流行病の影響がとても残っていて、我が国王に献上出来る程ではないと……」

「だからといって、代わりに示した条件を呑めと申すのか?!」


 一向に収まらないクリストフォロス様の怒りに、どうしようもない不安を、嫌な予感を感じた。


「陛下、お考えください。隣国の王女を娶れば、人質にもなりますし、何より隣国の王女との間に御子が出来れば次代が隣国との橋渡しにもなります」


 、言葉はちゃんと聞こえたけれど理解が出来なかった。隣国唯一の王女についてはこちらにも大層美しいと話が伝わって来ている程、有名だ。

 その場の人間でいち早く反応したのは、私のお父様だった。


「ペルディッカス殿。それは一体どういう事ですかな?我らにも隣国の要求について教えてもらえますかな?」

「……我らが希望した一部の領地の譲渡の中に、流行病の影響が強く残っている土地があるそうで、そこに住む領民の為にその土地ではなく、王女を貰ってくれとの事です」

「なんと!」


 冷静に答えたペルディッカスは、苦々しい表情でお父様を見ていた。きっと元々力を持っていた私のお父様が、国王に娘を嫁がせて更に力を持ったことが許せないのだろう。


 ペルディッカスは苦々しい表情をしていたけれど、私に視線をチラリと移した後、クリストフォロス様に向き直る。


 よくは知らないが、貴族議会は全ての者が一致団結してる訳ではなく、人によって好き嫌いがあるのかもしれない、とその時何となく察した。そして、ペルディッカスが私の事を良く思っていないかもしれないということも。


「しかし、隣国の王女様となればただの一側室として置いておく訳にはいきますまい。流行病で弱っているとはいえ、平常時は領地の広さも、人口も、国力も我らとほぼ同格。先の事を考えると、一側室として扱うのはあまりにも失礼になってしまうかと……。それにエレオノラ王妃様はお身体が大変弱いようですし……」

「黙れ、ペルディッカス。私はまだその隣国の要求を呑んではおらぬ。そして余計なお世話だ」

「失礼致しました」


 凄まじい剣幕でペルディッカスを睨むクリストフォロス様に、場の空気の温度が一気に下がったようだった。


 ……隣国の王女がこちらに嫁入りするとなったら、相手は間違いなく国王であるクリストフォロス様だ。


 分かっている。

 国王であるクリストフォロス様に今まで妻が私一人だった方がおかしかったのだ。クリストフォロス様のお父様だった先代国王陛下も何人もの側室がいた。


 そして、もう結婚して3年は経つ。私ももう17になった。3歳年上のクリストフォロス様は20歳。もう子供が1人位いてもおかしくないのだ。


 どう考えても今まで側室を、という声が私の元まで来なかったのはきっと周りのみんなが気を遣っていてくれたのだ。


 ただの国内出身の側室であったならば、側室に子供が出来たとしても、王妃としての私の立場は揺らぐ事は無い。だけど、今回は隣国の王女様。


 子供が出来ない私がいつまでもクリストフォロス様の唯一の妻でいる訳にはいかない。側室の存在はどうしようもない、と分かっている筈だった。


 ねぇ、私はこのままクリストフォロス様の王妃でいていいの?


 クリストフォロス様の事を思えば、この国の事を考えれば、子供の出来ない身体の弱い私は完全にお荷物。

 本当だったら、王妃の位を返上して彼の元から去るのが賢明だった。私も本当にそうしようと思っていた。


 けれど、一度決めた筈の覚悟はとても弱いものだったのかもしれない。クリストフォロス様が引き留めたことによって揺らいでしまった。


 もう、自分からは到底言い出せそうにない。


 クリストフォロス様から離れる事なんて。



 その次に行われた貴族議会には、クリストフォロス様の命令で私は出席しなかった。

 クリストフォロス様も、私も、何処かで分かっていたのかもしれない。隣国の王女を娶らなければならない事を。


 隣国の王女を娶った方がゆくゆくは我が国と隣国との繋がりは深まるし、隣国の人質としての利用価値も王女にはある。

 それも美しいと名高い王女。生まれは私の方が劣る。


 日が落ち、夜もだいぶ深まってきた頃にクリストフォロス様は疲れきった顔で私の元へ訪れた。


 それだけで、もう分かってしまったのだ。


「クリストフォロス様……」

「エレオノラ……、ごめんね。君を傷付ける事になってしまいそうだ」


 疲れきった顔に笑みを浮かべたクリストフォロス様は、きっと悪くない。悪くないのだ。


 そう、これは正しい事。

 王様として、正しい事なのだ。


「私は大丈夫です。昔、お伝えしたでしょう?」


 今にも泣きそうなクリストフォロス様に、にっこりと美しく微笑んでみせる。

 顔が歪んでないといいのだけれど。


「ずっとずっとエレオノラはクリストフォロス様を愛しております」


 私の言葉にクリストフォロス様は息を呑んだ。

 もう何年も前、彼と結婚する前に伝えたあの言葉が私をずっとずっと縛り付けてる。


「……うん。僕もエレオノラだけだから、ずっと」


 少し上擦った声で頷いた彼は、ゆっくりと目を閉じた。目の下に隈が出来ている。その姿がまだ彼が20歳なのに、かなり年老いて見えた。


 クリストフォロス様はゆっくりと私を抱き寄せて、肩口に顔を埋める。


「……そうだね。ごめんね。僕が君をそうしたんだね。僕は……、僕は国王失格だね……本当に」


 後悔とも悲しみとも取れるような感情を滲ませて、クリストフォロス様はポツリと呟いた。


 ねぇ、お願い。

 傷付いた顔をしないで、私に対して謝らないで。


 子供の出来ない王妃より、子供の作れる女性を娶れる事になった貴方は。


 貴方は正しい道を選んだのだから。

 胸を張って、前を向いていて。


 その慰めは声にはならなかった。

 私の本心ではなかったし、クリストフォロス様の肩に乗ったおもりを更に増やしてしまうものだと知っていたから。

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