第14話 出発点
目が覚めると、そこは既に九州の地。
窓の外は、すっかり明るくなっている。天気予報で確認していたとはいえ、快晴に恵まれたのはとても喜ばしいことだ。
と、寝すぎにも程がある、と諭してきたのは葵だった。
それは君が昨晩、僕が借り受けた筈の布団を占領していたからであって。僕はその分だけだけれど、寝不足だというのに。
ともあれ、流石に十時間近くも夢の中にいたら、聊かの眠気も残ってはいない。欠伸もすることなく、清々しい程の起床だ。
葵の小言の後で、助手席から紗織さんが声を掛けてきた。
「ぐっすりだったわね。体調は大丈夫かしら?」
「すいません、自分からナビ役を名乗り出ておきながら…」
「気にしないの。大体の所要時間を知っていたのだって、一度熊本付近に行ったことがあったからなのよ」
「そうだったんですね」
しかしだからと言って、その一度でルートを完全に覚えているということもあるまい。
少々、気を遣わせてしまったようだ。
気を遣わせたと言えば、葵が小言を言って来た場所についてもだった。
運転席のすぐ後ろにある二人掛けの椅子に僕と葵、丸い机を挟んだ対面のソファに乙葉さんと琴葉さん――の筈だったのだけれど、僕が眠りに入ったすぐ後で、葵は狭くなってしまうことを謝って双子の座るソファへと移動していたのだ。それによって、僕は二人分の空間を横になって占領して、ぐっすりだったわけだ。
一言で平謝りしておいて、僕は運転する誠二さんとそれを支える紗織さんに向き合った。
「そういえばと言いますか、お二人は桐島さんと繋がりがあったようですが」
昨晩、桐島さんが落ち合うことに対する驚きは、少し違ったニュアンスを含んでいた。
「そうそう、そのことなんだけど。こっちの方が驚いたよ、まさかまこっちゃんが藍子さんの所でバイトしてたとは」
琴葉さんが、既に定着してしまっている妙な呼び名で割り込んで来た。
横では、乙葉さんもうんうんと頷いている。
藍子さん、としたの名前で呼ぶ辺り、ただの知り合いというわけではなさそうだけれど、一体。
「懐かしいね。あれって、もう五年前になるのかな?」
ふと窓の外に目をやりながら、琴葉さんが呟く。
僕と葵以外、岸家全員がそれに「そうだな」「本当懐かしいわね」「元気なのかしら」と同調し、それぞれ穏やかに微笑んだ。
五年前の秋頃、滋賀県は
当時、岸家四人で山に入った時のことだ。
各地の御朱印帳集めに始まり、お寺自体に興味を持ち始めた両親二人。その時は御朱印帳云々は度外視して、たまたま知った延暦寺巡りをしようという話になったらしい。
ドライブウェイを「高い値段するんだな」と話しながら進み、辿り着いたのは
少しだけ開けた、といっても人がすれ違うくらいしかない山道で、運よく誰も来ない中、応急処置をしようという流れになった。が、その物品の持ち合わせが丁度なく、では仕方がないから誠二さんがおぶって行こうと無理を申し出た時。
すれ違いに声をかけてきたのが、似たような理由で山に入っていた桐島さんだったのだ。
後続する人影がないことを確認して、手早い作業で消毒、止血を終え、辛うじて歩ける状態まで持っていくと、心配なのでせっかくだから一緒に行こうということに。山道の歩きかたにはコツがある。靴選びも重要だ。無理は一番よくない、と親切に教えてもらいながら歩いていると気が紛れ、気が付けば西塔へと辿り着いていたのだとか。
それからも、親二人がお寺などに興味があって――という話をしたところ、持ち前の記憶力を以って、その歴史背景や見所、簡単な雑学なんかを披露して、巡礼を盛り上げてくれたのだと言う。
すっかり懐いた双子に対し、優しくそれぞれを”乙葉さん”、”琴葉さん"と下の名前で呼ぶものだから、姉妹も親しみを込めて”藍子さん”と呼ぶ仲に。
しかしその日の別れ際、当時携帯電話なるものを持っていなかった桐島さんとは、連絡先を交換出来ず、今回はそれ以降初の再開だそうだ。
「楽しみ過ぎて、ちょっと緊張してきたかも」
「私もよ。奇遇ね」
助けられた本人は高鳴る胸を押さえ、姉はその手にそっと自分の両手を重ねる。
趣味に付き合ってもらった誠二さんと紗織さんは、当時を懐かしんで「楽しみね」「そうだな」と笑っていた。
まだ日も浅い僕には共有し難い感覚だけれど、何となくその場の空気が心地良くて、温かくて、ふと葵と顔を見合わせて笑っていた。
思い出話の後はプチトランプ大会。
何種目かした内でビリだったものが諸々の手伝いを、といったルールの中、
「ざ、惨敗……」
見事その座に輝いたのは、つい先ほどまでほかほかとした気持ちで臨んでいた琴葉さんだ。
驚くべきは、ババ抜き、神経衰弱、七並べに大貧民と行った四種目を、例外なくビリであった琴葉さんの弱さ、対して全てをトップで勝ち抜いた葵の強さだった。
運要素の絡むゲームもあったというのに、この結果とは。
僕とというと、乙葉さんと順に二位と三位を行ったり来たり。言ってみれば、平均値を常に保って勝利した。
「ここまでコテンパンだと、我が半身ながら流石に同情しちゃうわね」
「憐れむな。下手な同情は傷を抉る」
「その発言が既に…!」
といったやり取りを経て、琴葉さんの雑用係が決定した。
無駄にテンションを上げてはしゃいでしまった所為か、今度は僕を除く三人が「少し眠る」と散らかった。占領気味になっていた椅子には葵が、ソファでは姉妹仲良く肩を寄せ合い、互いに体重を預けて夢の国へ。
黙っていれば高嶺の花な三人なのに。と失礼なことを考えて溜息を吐いて落ち着くと、ふと尿意を催した。
カーにも一応、備え付けのカセットトイレはあるのだけれど――
と思っていた矢先、窓の外に見つけたのは”別府湾サービスエリア:1km”の文字。
「すいません、あと一キロのSAに入ってもらえませんか?」
「トイレかい?」
「ええ、まあ。女の子も三人いますし、カー内のはちょっと…」
「あらあら、おばさんはもう歳かしら」
「――すいません、四人いるので」
大学生二人の母を、流石に女の”子”と呼ぶのはどうなのだろう。
笑う紗織さんに釣られて苦笑い。
車はすぐに一キロの距離を詰め、別府湾サービスエリアへと到着した。
「別府サービス……」
何だか耳に新しくない気がする。
記憶堂でちらと見た”一度は行きたい熊本の名所”なる本の端に、そういえば同じ名前があった。
宣伝文句は確か――
「パノラマが見える遊歩道…」
「お、よく知っているね」
と、反応したのは一緒に降りて来た誠二さん。
いつか行きたいね、と紗織さんと話していたことがあったらしく、写真の上だがよく見知っているのだそうだ。
「何といっても、この見渡す限り広がる別府湾。”恋人の聖地”や”日本夜景遺産”にも登録されている、一見価値ありと有名な場所だよ」
「へぇ……偶然とはいえ、良い所に降りられました」
「あぁ、感謝するよ。母さん」
誠二さんが呼びかけた背後を振り返ると、紗織さんも降りて来て、両手を合わせて感動していた。
綺麗ね、素敵ねと、うっとしした表情を浮かべている。
二人揃ったのなら、僕は寧ろ邪魔者だ。
来たかったと話す場所に来られた二人を置いて、お手洗いへと小走りで向かった。
と言っても、大きい方ではないのでさっと終わらせてお手洗いを後に。
ふと確認した腕時計は、十二時手前を指していた。
世話になりっぱなしで疲労も溜まっているであろう二人の為に、屋台で売っていたホットドッグを一つずつ購入。
それらを持って、戻っていった。
やや遠巻きに見えた、ここを恋人の聖地たらしめる証拠のハート像の前で並んでいる二人。
紗織さんがスマホを手に持って、慣れない操作を自撮りをしている。
夫婦仲円満。
いつか結婚する相手とは、これくらい仲の良い関係を築いていきたいものだ。
と、まだ二十歳にもなっていない若輩の身で思ってしまう程、傍から眺める二人の姿は眩しく見えた。
「戻りました。運転お疲れ様です。お二人も休めましたか?」
「ええ、それはもう。いい思い出も作れたわ」
「それは良かった」
声を掛けたのは、車に戻っておくという暗示だったのだが。
踵を返して戻ろうとする僕を、紗織さんが引き止める。
「真くんも、一枚どうかしら?」
「え、と…」
「おばさんとは嫌?」
と、言われても。
むしろ逆と言うか、年齢的には五十近いと思うのだが、全くそんな気がしない程に綺麗と言うか――正直、近くにいるだけで少し緊張する。
見た目だが芸能人のように肌はすべすべとしていて、しわも全然ない。
「何と言いますか、僕には余るような気がして」
「あら、嬉しいこと言ってくれるのね。でも、残念。最愛はこの人ひとりって決めてますから」
「そう堂々と言えるところ、美点ですよね。かっこいいです」
「ふふ。さ、いらっしゃい」
「……分かりましたよ」
手招かれるままに、誠二さんと場所を交代して紗織さんの隣へ。
いや、改めて思うと、この構図は割とまずいのでは――
「さ、紗織さん、せめて湾をバックにしましょう…! 色々と僕が我慢できません…!」
「あらー初々しいわね」
うふふ、と頬に手を添えて笑う表情は、悪戯なそれだ。
少しポジションをずらして、椀をバックに一枚パシャリ。
撮った誠二さんに見せて貰うと、それはそれはガチガチに固まった男子と、大人の余裕を見せる女性の二人が並んでいるだけの、奇妙な写真だった。
小さな願い事を叶えられた紗織さんが先導して、誠二さん、僕と車へと乗り込む。
大人二人が盛り上がっている中、体力多い十代もいる若い三人は、ここに来た時とまったく変わらぬ寝顔で横になっていた。
「ふふ。いつになっても、子どもの寝顔は可愛いものですね」
「そうだな」
二人揃って微笑んで、前を向くと再び走りだす大型の車。
手渡したホットドッグを「ありがとう」と美味しそうに食べながら、また変わり映えのしない高速道路を行く。
スマホで確認した限りだと、ここからはあと二時間程。
到着予定時刻は、十四時といったところだった。
―――
何とか復帰したナビ役を終えやってきた、大分県は上益城郡、井無田高原キャンプ場。
疲労を感じさせない手際で荷物を降ろす誠二さんを手伝って、とりあえず今最低限必要なものを外に出していく。
万一夜になってしまったら張るのが大変だからと、先にテントだけ組み立ててしまおうということだ。
ずっと起きていたらしい紗織さんに、すぐのところにあった自販機で買ったレモンティーを渡し、テントの設営に取り掛かる。
すぐにそれも組み立て終えると、そこで誠二さんには好みだと言う缶コーヒーを。
「すまないね、貰ってばかりで」
「それはこちらの台詞ですよ。何か買えばいいと思ってるわけではありませんが、これくらいのことはさせてください」
「はは。分かっているとも」
そう言って受け取って、美味しそうに飲むのはブラックコーヒー。
砂糖を一本は絶対に入れる僕からすれば、やはりそれも大人な感じがして良い。
一息ついて車に戻ると、何やら楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
両手を下の方で組んで上品に話す紗織さんと、その横で突っ立っている葵。そして、二人して抱き着く姉妹――と、一人分影が多かった。
がっちりホールドされて動けないその人影は、やがて開放されると振り返り、温かな笑顔を向けてきた。
「お久しぶりです誠二さん。お変わりありませんか?」
「ええ、こちらは何も。そちらも元気そうで」
「おかげさまで。神前さんも、少しばかりお久しぶりですか」
「メッセージのやり取りはしましたけどね」
「むー、会うのがですよ」
「分かってますから膨れないで」
子どもっぽい抵抗を見せる桐島さんを交えてもうひと笑い。
予定していたメンバーが全員揃って、さっそく目指すは通潤橋。
ようやく、高宮葵から受けた依頼の出発点に立った。
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