20
アラームが鳴り響く。
オオカミのような怖い顔を更に顰めたマルチェロは携帯電話のアラームを止めると、血管が浮き出た左手で目許を擦る。粘つく口内に不快感を覚えつつもベッドの中で昨夜見た夢を反芻した。
久し振りに少年時代の夢を見た。
悪夢だった。
今でも呆然と孤独を抱きしめてあの汽車に乗っているような心地だ。
長い溜め息を吐いたマルチェロは両手で頬を叩き、起き上がると洗面台に向かう。
大鏡に口髭を生やした彫りが深い男が映る。夢の中でティコの手を引いていた愛らしいマーク少年ではない。
そりゃ気付いてくれないよな。
少年から男に変わったのだから。
それにしても本当につれない女だよな、テーちゃんは。
苦笑を浮かべたマルチェロは夢の続きを想い出した。
記憶を消されるキスをされたマークは暫く記憶が混濁していた。自分が何故汽車に乗っているのか、何故祖父の許へ行くのかは理解していたが新大陸から船に乗った記憶があやふやだった。
遠ざかる駅を眺め汽車の手すりを握るマークは唇の感触に違和を覚えた。嫋やかでも情熱的な感触が唇に漂う。胸を締め付けられたマークは唇に触れる。その途端、甘く切ない違和は霧散した。
まだその愛しい違和を味わっていたかったのに……。マークが瞳を伏せると今度は気品のある香りが漂った。自分の体から微かに漂う。ローズオイルの香りだ。
……良い匂いがする。
甘い疼きを覚えたマークは胸一杯に甘美な香りを吸い込んだ。
……女性と居たの?
その香りは一日中香っていた。まるで愛しい女に抱かれているような心地だった。胸が締め付けられ、訳も分からずに涙を流していた。
日が沈み、泣き疲れたマークは眠りにつこうと、乗客が犇めく狭い二等客室でシャツを脱いだ。すると細い首筋や薄い胸、肋が浮き出た腹からローズオイルの香りが漂った。マークは切ない香りに抱かれて眠りについた。
マークは夢を見た。柔らかく心地の良いベッドで女神と抱きしめ合いつつ眠る夢を。
移民街の家で使っていたごわごわの寝床と違い、適度な固さのマットレスの上に気持ちよく寝転んでいた。彼の華奢な手は女神の豊かな乳房を優しく包んでいる。乳房には痛々しい咬み傷があった。それを優しく撫でると乳房はピクリと動き、マークの手から逃れる。傷を癒したい、もっと触れたいと想ったマークは手を伸ばした。
すると女神は身をよじらせた。彼女は青白く光る不思議な瞳を開くと困ったように微笑する。
──ダメだよ、マーク。再会してから……大人になってからだって約束したろ?
──でも……痛そうだから……それに綺麗だから触れたくなるんだ。
女神はマークの頬にキスを落とすと『我慢』と微笑した。
マークの下肢に血流が落ちて勃起する。切なくなり収まりの悪くなったマークは女神の白い大腿にもぞもぞと自身の物を擦り付ける。
──マーク。私の夫なら我慢出来るだろ?
眉を下げた女神は瞼を固く閉じたマークを強く抱きしめた。
マークは暫く唸っていたが唇を噛み締めると女神を強く抱きしめる。
──分かったよ。愛してるから我慢する。
女神は微笑む。
──愛してるよ、マーク。
──僕も愛してるよ、ティコ。
マークは想い出した。
彼女はティコだ。
無賃乗船して船員に追いかけられていた所を助けてくれたのがティコだった。世話をされる内に互いに胸の奥を打ち明け、心が通じ合った。欧州の港に着くまでの数日間、夫婦としてティコと過ごした。再会する約束までしたのに……なんで忘れていたの? 長い長い夢だったの?
粗末な寝台からマークは身を起こす。
夢……の訳ないよね? だって絵描きのおっさんにティコとの肖像画を描いて貰ったもの。
マークは寝台に散らかした荷物を探る。
音が立って『うるさい。深夜だぞ』と文句を言われたが無視して探した。
しかし肖像画はなかった。
唇を噛み締めたマークはブランケットを想いきり握り締めると、乱暴に横になった。埃が立ち、音も立ち『静かにしろ! クソ坊主!』と文句を垂れられた。
そんな事を気にも留めず、マークは肖像画の行方と記憶の混濁について考えを巡らせた。
翌朝、下車すると港まで歩き、島行きの船に乗った。
乗船中もマークはティコについて考えを巡らせた。賢い彼は気付いた。
ティコが僕の記憶を消そうとしたのではないか、と。
彼女は女神だ。人の記憶を消すなんて造作も無い事だろう。
都合が悪いから記憶を消したのだろう。彼女は自分が死神である事を告白した。それだけではない。慈悲深い彼女は『今生ではもう二度と会えない』と想い、残りの人生辛い想いをさせるなら、と記憶を消したのだろう。
どうして記憶が消えなかったのか、と疑問も湧いたがマークは憤った。
自分勝手なティコに怒りを覚え、絶対に迎えに行くと言ったのにも関わらず信じてくれなかった事に憤りを覚えた。また彼女の優しさに更に愛しさを募らせた。
島の地に足を着けると、マークは祖父に出迎えられた。雲のように豊かな白髭を蓄えた熊のような大男だった。鍛え上げられた大胸筋に圧され、シャツのボタンが今にも弾け飛びそうだ。
祖父は不機嫌な面を下げる孫に問うた。『山親爺が下界に降りてバンビをあやしてやろうってのに、何故バンビはオオカミみたいな恐い顔をする?』と。
祖父を睨み上げたマークは宣言する。
「じいちゃん、僕、死神になる」
祖父は暫く黙していたが、堪えられんとばかりに噴き出すと天に向かって大笑いした。
「おお! おお! 勇ましいバンビだな!」
軽くあしらう祖父に憤ったマークは両眉を吊り上げる。
「本当になるんだ!」
ひとしきり笑った祖父は片手で額を擦る。
「しかしお前はどう努力しても死神になれまい」
「どうして!?」マークは眉を下げた。
祖父は腕を組む。
「母はさておき、お前の父はオリュンポス十二神が一柱、ヘルメスだ」
「それくらい知ってるよ」マークは唇を尖らせた。
祖父は溜め息を吐く。
「幾ら倅が冥府とオリュンポスを行き来する神でもなぁ……冥府の神ではないからな。神の血を引くお前でも冥府の神にはなれまいなぁ」
「それでもなりたいんだ!」マークは祖父の袖口を強く握った。
大神である祖父はからからと豪快に笑う。しかし息を吐くと、腰を屈め真顔でマークの顔を覗く。
「何故、神になりたいと想った?」
マークは息を飲んだ。祖父の表情は先程の好々爺ではなく、威厳を持った主神たるゼウスの表情であった。ニンフが、人間が、神々が、怪物が恐れる大神がそこに居た。
一瞬だけ臆したがマークは口を開いた。
「僕のお嫁さんが死神なんだ!」
ゼウスは片眉を動かした。そして『道中詳しく話せ。なに、爺としてではなく、男として聴いてやろう』とマークの肩を叩いた。
話を聴いたゼウスはマークの数奇な運命を面白がった。きっとその女は並々ならぬいい女なのだろう。是非抱いてみたいものだが、トラウマを抱えているとなると面倒臭い。そんな女に手を出したとバレたらヘラの反感を買うだけだ。更にはデメテルとの間に設けたペルセポネの愛娘ときた。女を手篭めにすれば娘想いのデメテル、愛妻家のハデス、子煩悩のペルセポネは怒り狂うだろう。
しかしここ数千年、とんと面白い話が無い。新しい神話を眺めるのも悪くはない。
『神の血を引いているとは言え神になれるとは限らん。死神は遺伝で神として生まれても、バンビはバンビだからな。だが神にはなれるかもしれん。お前が神に値するか見極めよう』とゼウスはマークを育てる事にした。
その日から修行が始まった。マークは毎日山を駆け抜け、渓谷を渡り、崖を登り、体を作らされた。マークは愛しいティコを想い、歯を食いしばってひたすら励んだ。ティコを守りたい。バンビのままじゃティコに見合う男になれない。その一心が彼の精神と肉体を高みへと昇らせた。一方、トレーニングメニューだけ指示を出したゼウスは孫の奮闘を眺めずに村娘と乳繰り合っていた。
マークの華奢だった体に筋肉が付く。今度は様々な学問や教養、高度な生きる術を詰め込まれた。歴史、語学、数学、詐術、弁論、会話術、読心術、美術、錬金術、科学……ゼウスの知己をわざわざ招いてマークに詰め込ませた。それこそ学校のようだった。錬金術と会話術では世界中を飛び回る父が時間を作ってわざわざ島に訪れた程だった。
血の滲むような努力をし、マークはやがて少年から男へと変貌した。その顔にはティコの胸に顔を埋めて甘えていたバンビの面影は残っていなかった。
女遊びに現を抜かしていたゼウスはマークの教育などすっかり忘れていた。村娘との間に出来た娘の面倒を鍛錬するマークに押し付け、海のニンフと愛を交わしていた。
情事の真っ最中にオオカミのような精悍な顔つきの若人が岩陰にやって来た。
「爺さん、手紙」
艶かしく美しいニンフを腹に乗せ腰を突き上げるゼウスにマークは手紙を突きつけた。
無粋な奴が来たと想ったら孫か。ゼウスは『神の御業を邪魔するつもりか。そこに置いておけ』と言ったがマークは手紙を突き出した手を引っ込めない。
「ヘラ様から。大至急との事」
恐妻の名を聞き、膣の中で怒張していた男根は瞬時に萎えた。
手紙に目を通したゼウスはマークに連れられオリュンポスへ戻った。夫の浮気に憤慨する結婚の女神であるヘラにゼウスは言い訳を並べた。しかしヘラの怒りは収まりがつかない。
マークはゼウスに恩を売っておこうと、修得した会話術を駆使して正妃ヘラのご機嫌をとってやった。ヘラは憤慨していたがマークのおべっかに呆れて自室へ退がった。窮地を救われたゼウスはマークに褒美を与えた。
「バンビ、お前は何を望む?」ゼウスは問うた。
「父さんの許で商業を学びたい」
ゼウスはヘルメスを呼び、マークに仕事を手伝わせるように、と命じた。
マークは父に『マルチェロ』と呼ばれた。どうやら母の国の名将から拝借した名らしい。しかし移民局に申請する際、字を満足に書けない母に新大陸風に略されたらしい。顔も名前も姿も変わったマルチェロは、ティコを迎えに行った時に果たして気付いて貰えるか案じた。
父の許での仕事は全うな商売から胡散臭い錬金術、詐欺、賭博の元締めまでやらされた。堂々と胸を張り、誇りを持てる仕事ではないものが大半だった。相手によって性格を変え、アプローチを変え、仕事を卒なくこなしていくが精神的疲労が蓄積した。自分ではなく何者かになると言う事は自分を殺す事であるので初めの内は気が狂いそうだった。想っていた仕事と違う。それでもいつか迎えに行くティコの事を考えると仕事を続けようと前向きになった。
ティコは自ら望んで死神になった訳じゃないだろう。辛くて苦しい仕事だと想う。そんな仕事を彼女は続けて来たんだ。俺は望んでやってるんだ。ティコの方が何倍も苦しいに違いない。彼女が受けた苦しみなら俺も耐えてみせよう。
それに……この試練をこなして爺さんや親爺を認めさせなければならない。俺だって神の血を引く者だ。乗り越えなければティコの手を取る資格なんて無い。
仕事が板に付くと、ヘルメスはマルチェロに死出の旅の水先案内者を任せた。しかし神の血を引いているとは言え、生身の人間は冥府に逝けばまず戻れない。『それでも行く』と言った気骨のあるマルチェロをヘルメスは認めた。ヘルメスはゼウスに彼を神として迎え入れて欲しいと提案した。熱りが冷めて彼方此方で乙女の腹を膨らませていたゼウスはマルチェロを忘れていた。しかし顔を見るとヘラのご機嫌をとった青年である事を想い出し、ネクタルを飲ませて正式に神として迎えいれた。
マルチェロは商売や錬金術をしつつも水先案内者の仕事に取り組んだ。死を司るのはヒュプノス神とタナトス神達であった。しかし英雄や王等、高名な者の死出の旅を案内するのは父であるヘルメスの役目であった。ヘルメスに一任されたマルチェロは数多くの魂の旅路に付き添った。ティコのように死者に敬意を払い、真摯に務めた。彼が追いかけていたのはティコの背だった。愛しい女としても師としても冥府に籍を置く神としても彼はティコを追いかけた。
真面目に務めを果たしていたがマルチェロは余裕があれば視界の端でティコを探していた。
ある日、歪んだ空間にある死神が集うバーであるステュクスの出入りをマルチェロは許された。口の軽いヘルメスがハデスとペルセポネにマルチェロの想い人を話したらしい。真面目に務めを果たし、死者の魂に心を砕く実直なマルチェロを冥府の王と妃は甚く気に入っていた。特にペルセポネはこんな素晴しい青年とティコが結ばれるなら、嬉しい事この上ないと乗り気であった。
しかし直ぐにティコに会いに行こうとは想わなかった。ステュクスのマスターであるホムンクルスのパンドラに『ティコが来る日』を聞き出し、その日を避けて死神に扮して通った。
──マーク。私の夫なら我慢出来るだろ?
マルチェロの頭にティコの声が響く。
もっと立派にならないと。もっと稼がないと。もっと仕事に真摯に取り組まないと。愛しく尊敬に値するティコに顔を合わせられない。彼は自らを戒め、成長を促した。
マルチェロが水先案内者を務めて数年が過ぎた。冥府に籍を置いても現世で仕事をこなすティコとは一切顔を合わせる事が無かった。それでもマルチェロは道の先を歩むティコに少しでも追いつきたいと仕事に邁進した。
そんな折、マルチェロはハデスに呼び出された。
多くの裁定を終えて顔を青白くさせたハデスは玉座で片肘を突き、溜め息を吐く。
「ここ二百年程、死神の行動が勝手になっているようで目に余る。死の切っ掛けを与える人間を間違え、ケールを抱き込み勝手に任地を取り替える死神も居る。緊張感もない上に魂に敬意を払わない者が多い。無駄な裁定が後を絶たない。これでは冥府が真面に機能しない。……誰か死神を影で監視する者が必要だ。謂わばスパイだ」
「それを……私に任せたい、と言う事ですか?」玉座の前で片膝をつくマルチェロは問うた。
「ああ。今の君の仕事はまたヘルメスに就いて貰う。裁定の補佐官であるゼウスの三人の息子達と同じく忠実に働く君にはこの重要な仕事を任せたい」ハデスは瞳を閉じた。
「勿体ないお言葉です、ハデス様。謹んでお受け致します」
父ヘルメスの代わりでなく、一柱の神として仕事を与えられたマルチェロは仕事に邁進した。少年時代、ゼウスの知己達に教えて貰った事、ティコから教えて貰った本質を見極める事が全て役に立った。神としての身の上を隠してターゲットの死神を観察しなければならない。時にはターゲットに接触しなければならない。その為には会話術も読心術も必要だったし、話を合わせる為のありとあらゆる教養や護身の為の武術も必要だった。彼は時に変装し、幾人もの人格を使い分けてターゲットに接触した。多角的にターゲットを観察し、本質を見極め、ハデスに報告をした。
スパイ故に表立って奨励をされる事はなかったが、ハデスの忠実な腹心として認められた。『裏で何を企んでいるか分からないヘカテ女神よりも、君の方が信頼を置ける。これからも期待している』とハデスが零した程だった。
マルチェロはそれでも慢心する事無くティコの背を追いかけ続けた。
ある日、いつものようにマルチェロは人払いをしたステュクスでパンドラと会話を楽しんでいた。知的なパンドラとは良い友人だった。彼女と話すと仕事や身分を全て忘れられた。
話の区切りがつきマルチェロは一息を吐くと、パンドラは寂しそうに微笑んだ。『お務めに邁進なさる殿方も素敵ですが、愛しい者と寄り添う殿方も素敵ですよ』と彼女はカクテルを差し出した。
マルチェロは差し出されたオールド・パルのカクテルグラスに唇を付ける。
「……君が急かすとは珍しいね。ティコに何かあったの?」
パンドラは瞳を伏せ、マルチェロに祈りを捧げる。
「神様、お客様の秘密を厳守するべきマスターが禁を破る事をどうかお許し下さい」
ただ事ではないと感じたマルチェロはパンドラを見据えた。パンドラは俯いたまま言葉を紡ぐ。
「あと数柱の教育を施せば丁子様は死を選ばれます」
マルチェロのターコイズブルーの瞳が見開かれた。
「丁子様はずっとマルチェロ様……マーク様をお探しで御座いました。今生では添い遂げられないと悟り、最愛の人間の記憶を消しました。しかしマーク様は神の血を引いていた為に記憶は消されませんでした。……それを知らない丁子様はマーク様が少年時代過ごされた近くの島に住む死神の子ばかりを育てられました。『そこに居たらマークに会える気がする。せめて死の切っ掛けを与える時はマークの顔を見たい。気付かれなくともいい。彼が楽に死ねるように祈りたい』と」
マルチェロの唇は震えた。
「……しかし丁子様はマーク様に会えませんでした。『死神としても会えなかった。何の為に私は死神を続けていたんだろうな。エリュシオンに逝って幸福に過ごしてくれたら嬉しいが……多くの者が魂を滅するからな。マークはもう何処にも居ないんだろうな』と寂しげに微笑んでいらっしゃいました」
──私もね、難しいんだよ? マークに笑って『迎えに来るの、あまり遅くならないでよ?』って言うのがとても難しいんだ。
──同じスタートを切って同じゴールに辿り着くだけだ。ゴールで待ってる。
マルチェロの脳裡で別れの日にティコが紡いだ言葉が響き渡る。
やはりティコは俺を待ってくれなかったんだ。ゴールって二人が寄り添う未来じゃなくて死の事だったんだな。死に際でもいいから一目会いたいと俺を探していただなんて……。俺の幸福だけを考えて砕け散りそうになりながらも全ての苦しみを背負おうだなんて……。
マルチェロは熱くなった目頭を押さえた。
「マルチェロ様が別れの日にホームに落とされた肖像画を丁子様はずっと大事にお持ちでした。でも……教え子のノルマを達成なさりそうな今、肖像画を私にお預けになりました。『私が死んでも絵の中の幸福な夫婦は永遠に寄り添って欲しい。パンドラ、お前さんは私とずっと付き合ってくれたし、心の内も知ってる。どうか絵を頼むよ』と」
パンドラは肖像画を差し出した。マルチェロが少年の頃に抱いていた物よりも大分小さくなっていた。安い紙は経年劣化で黄ばみ、端が破れ、所々シミが咲いている。修繕に失敗したと想われる所もあった。黒炭も擦り切れ、黴の匂いが鼻腔を突いた。しかしそんな紙の中でも女神と少年の夫婦は互いを思いやり、慈しみ、微笑み合っていた。
寂しそうにマルチェロは微笑する。
「……どうしてこうも酷い女なんだろうな。スパイをしている俺なんかよりも嘘つきじゃないか……。寂しがりやの癖に意地っ張りで、誰よりも俺を必要としているのに突き放して……。嘘つき過ぎて頭に血が昇るよ」
パンドラは眉を下げて俯いた。
マルチェロは長い溜め息を吐く。
「いつまでもバンビじゃないのに……」
オールド・パルを呷ったマルチェロは肖像画を取ると席を立った。
「また来るよ。……今迎えに行くのは不味い。女神の唇に噛み付いたらオオカミは容赦出来なさそうだ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます