第9話 雅人と華恋

「ねぇ、お名前なんて言うの?」


「まさと」


「まさと君かぁ。何歳なのかな?」


「5さい」


 公園にある砂場で無計画に穴を掘る。スコップを持つ手とは反対側の手を大きく広げて見せた。


「へぇ、自分の歳ちゃんと数えられるんだ。偉いね~」


「別に…」


 隣にいた女性が頭を撫でてくれる。その行為から逃げ出したくて滑り台の方へと駆け出した。


「まさと君、足も速いんだね」


「……んっ」


 距離を置いたがその行動が原因でまたしても話しかけられてしまう。名前を呼ばれながら。


 何をしても何を喋っても笑って話しかけてくれる女性。その隣には自分と同じ歳ぐらいの女の子もいた。



「……ふぁ~あ」


 目覚まし時計が鳴る5分前。自らの意志で起床する。体を起こすとベッドの上であぐらをかいた。


「またこの夢か…」


 今までに何度も同じ意識に飛び込んだ経験がある。その最多が知らない女性と遊んでいる今回の内容。


 登場人物は知らないが遊んでいた場所には覚えがあった。小高い丘を貫くように大きな土管が横から突き刺さっていた公園。空洞の入口から中を覗いていた記憶がある。反対側には小さな女の子が屈んでいた。


「……懐かしいなぁ。今もあるのかな」


 恐らく小さな頃に経験した記憶なのだろう。物心がつくかどうかぐらいの出来事だった。



「ねぇ、元気なくない?」


「ん~、またあの夢見てさ」


「は?」


 朝食を食べると妹と家を出る。例により華恋さんは先に出発したので2人だけで。


「あぁ、あの公園で知らない人と遊んでるヤツ?」


「そうそう、それ」


「きっと正夢だよ。将来その人と巡り会うんだって」


「夢の中だと自分は5歳なんだが…」


 アレは未来の事象ではなく過去の出来事。やり取りがうっすらと意識の片隅に残っていた。


「じゃあ、どうして同じ内容を何回も見るの?」


「知らないよ。脳が勝手にこの記憶を引っ張り出してくるんだもん」


「繰り返し見ているうちに、それを実体験と勘違いしちゃったとか」


「う~ん…」


 その可能性は否定できない。夢に出てきた女性が誰なのか知らないし公園のある場所も分からなかったから。


「ちなみに香織はどんな夢を見たの?」


「私? まーくんに漫画を盗んでると疑われてる夢」


「ご、ごめんなさい…」


「結局どこにあったの、漫画?」


「え~と……座布団の下に隠れてた」


 犯人には二度と勝手に持ち出すなと釘を刺しておいた。恐らく守られる事はないであろうけども。


 それから駅で智沙と合流すると電車に乗車。人が密集した空間と格闘しながら3人で登校した。



「え、何これ」


「さぁ…」


 教室へとやって来るといつもと比べて騒がしい事に気付く。一角に集合したクラスメート達の姿に。


「おい、赤井が来たぞ」


「ん?」


 席へと向かおうとしている途中で1人の男子生徒が接近。多くの視線を集めてしまうボリュームで話しかけてきた。


「お前もこっち来いよ」


「え? 何々」


「良いから、ほらっ!」


 近付いてきた彼に腕を掴まれる。そして強引に人垣の中心へと連れて来られてしまった。


「どうして今まで隠してたんだよ」


「へ? へ?」


「1週間も内緒にしてやがって」


「内緒…」


 状況が理解出来ない。周りに迷惑をかけるミスを犯した記憶が無いので。


「お前、白鷺さんと従兄妹なんだって?」


「……は?」


「そんな大事なこと黙ってるなんて赤井も悪い奴だな~」


「な、なんで!?」


 軽いパニック状態に陥っている最中に衝撃的な台詞が耳の中に進入。よく見ると人垣の中心に華恋さんが座っていた。


「あはは、バレちゃいました…」


「……バレちゃったって」


 目が合った彼女がヘラヘラと笑い出す。全身に気まずさを纏いながら。


「やっぱり従兄妹っての本当だったんだな」


「マジかよ。絶対ウソだと思ってたのに」


「一緒に住んでるってのも本当なの?」


 どうやら隠し事がバレてしまったらしい。辺りでは勝手な噂が飛び交っていた。


「どうしてこんな事に…」


 悩むフリはしたが犯人は分かっている。この情報を知っている人物は1人しかいないのだから。


「だから言っただろ。な? な?」


 まるで自分の功労を誇るかのように周りに自慢している男。昨日、コスプレ会場で遭遇した友人だった。


「……颯太ぁ」


 黙っててほしいと頼んだのに。誰にも言わないでと口止めしておいたのに。何故いきなりバラすような真似をするのか。


「白鷺さんがこの学校に転校してきたのって、やっぱり赤井がいるから?」


「え、えと…」


「親戚なのに同い年って珍しいよね」


「あはは…」


 彼女を囲んでいる生徒達が次々に質問を飛ばす。本人の意思を無視して。


 それはまるで転校してきた1週間前を再現したかのようなやり取り。結局、朝のホームルームが始まるまで人垣が崩れる事はなかった。



「ちょっとちょっと、どうして皆にバラしてるのさ」


「はぁ? ちゃんと言われた事は内緒にしてたぞ」


「いやいや…」


 1時限目が終わった休み時間に颯太を廊下へと連れ出す。会話を周りに聞かれないように注意しながら。


「昨日、雅人達に会った事と白鷺さんがコスプレしてた事。これを内緒にしとけって言ったよな?」


「確かにそう言ったけどさ…」


「え? 従兄妹って事バラすのマズかったの?」


「凄く……マズいんだ」


 きっと彼に悪意は無かったのだろう。言われた言葉を忠実に守り、それ以外の情報を暴露してしまっただけだった。


「……はぁ」


「な、なんかすまん」


「いや、もう良いや…」


 遅かれ早かれいつかはバレていたハズ。ずっとごまかし続けるのは不可能だから。


 ただ1つだけ別の問題が浮き彫りに。今朝、一緒に登校してきた友人の存在だった。


「どうしよう…」


 彼女には地元の駅で華恋さんと一緒にいた現場を見られている。あの時は『偶然会った』とごまかしたが親戚であるならば状況は大きく変化。


 どうして嘘をついたのか。何故わざわざ欺くような真似なんかしたのか。


 騙されたと知れば何か裏があると考えるのが普通だろう。興味津々で話しかけてくる智沙の姿が脳裏に浮かんできた。


「ひぃぃ…」


 もしかしたらその出来事がキッカケで従兄妹という設定が嘘という事実まで見破られてしまうかもしれない。そうなったら同居人の暴走は止められなかった。


「絶対イライラしてるよなぁ…」


 次の休み時間にも転校生は質問攻めに遭う事に。男女問わず多くのクラスメートから。


 顔は笑っているが心の中ではブチ切れている。そんな彼女の心境が容易に想像できた。



「お、終わった…」


 どうにか1日の予定を終了させると溜め息をつく。ほとんどの人間の興味はこちらに向かなかったので上手く回避する事に成功。


 教科書やノートを取り出すと急いで鞄の中へ。そのまま逃げ出すように席から立ち上がった。


「おい、赤井。白鷺さん置いて帰る気か?」


「え、え…」


 しかし後ろのドアから出ようとしていたタイミングで男子に呼び止められる。その直後に教室のあちこちから笑い声が発生。どうしようか戸惑っていると華恋さんの方から近付いてきた。


「帰ろ、雅人くん」


「……はい」


 2人して教室を後にする。全身をガチガチに震わせながら。


 上履きから靴に履き替えると校庭脇を移動。そして学校の敷地を一歩出た所で彼女の態度が豹変した。


「ちょっと、どういう事よっ! なんで私達が知り合いだってバレてるわけさ」


「さぁ……何故でしょうね」


「そのせいで今日1日ずっと質問攻めだったじゃない。せっかく落ち着き始めてたってのに」


「また2、3日の辛抱だよ。週末にはもうみんな飽きちゃってるって」


 帰ったら八つ当たりされる。そう覚悟していたが自宅まで理性が保てなかったらしい。先程までの上品な転校生はどこかへ吹き飛んでしまっていた。


「くっそ……ただでさえこっちは慣れない環境に神経すり減らしてるってのにさ」


「それをクラスメートの前で言ってみたら? みんな絶句して近付いて来なくなると思うよ」


「……あぁん?」


「いてっ、いててっ! ジョークじゃないか」


 皮肉を口にした瞬間、右腕を掴まれる。続けて皮膚を捻る強烈な攻撃が開始。


「そもそも何でバレたのよ?」


「え、え~と…」


「アンタ、まさか…」


「いやいや、僕が登校して来たのは君より後なんだよ? バラす時間なんか無いじゃないか」


「……それもそうか」


 必死に言い訳を繰り広げた。これ以上傷を増やさないようにしようと。


「だとしたらアイツか…」


「……アイツだね」


 珍しく彼女と意向が一致する。同じ人物を敵に回した事がキッカケで。


 ひょんな事から2人で下校する流れに。誰かと喋りながら自宅に帰るのは久しぶりだった。



『後で部屋に行くから覚悟しとけ』


「ひえぇ…」


 帰宅した後は家族といつも通りにリビングで過ごす。そして自室に引っ込んだ瞬間に同居人からのメッセージを受信。



「あぁーーっ、くそっ!!」


「ちょ、ちょっと部屋が壊れるって!」


 部屋にやって来るなり華恋さんが壁を殴りつけた。見事な動作の右ストレートで。


「イライラするわねぇ……何で私がこんな思いしなくちゃならないのよ」


「落ち着こうって。とりあえず暴力は良くない」


「元はと言えばアンタが昨日アイツと合流したりするからでしょ、このアホッ!」


「それについては謝るからさ。明日からの事について話をしに来たんでしょ?」


「ふんっ!」


 怒り狂う彼女をどうにかして宥める。これ以上暴れられてはたまらないから。


「とにかく知り合いだってバレちゃったんだから別々に学校通うのやめようよ」


「……仕方ないわね。我慢してあげるわ」


「あとは……智沙の事かな」


 結局上手い言い訳は思い浮かばず。時間だけが無駄に過ぎてしまっていた。


「智沙? アンタ達が一緒に登校してるって言ってた子だっけ?」


「そうそう、前に駅で会ったじゃん? 奴には何て言い訳しようかと思って」


「実は親戚で一緒に住んでました~じゃダメなの?」


「同居してる点に関してはそれで良いんだけど、ならどうしてごまかしたのかって部分をツッこまれそうなんだよね」


「確かに隠そうとするのは不自然だわ…」


 嘘が原因で自分達の首を絞める羽目に。後悔先に立たずを強烈に痛感。


「明日、駅に行った時に何か聞いてくるかも」


「その智沙って子、勘とか鋭い方?」


「まぁ、うん。あと怖い」


「怖い?」


「君を10とすると7か8ぐらいな感じ」


「……どういう意味よ」


 怖いとは言っても冗談に対して軽く小突いたりしてくるだけ。中には例外もあるけども。ただ理不尽に暴力を振るわない分、華恋さんよりはマシだった。


「もういっそ今回の事を吹き飛ばすぐらいの行動をとってみたらどうだろう」


「はぁ?」


「君がガンを飛ばしながら唾でも吐き捨てれば話しかけてこなくなるかもしれない」


「うりゃあっ!!」


「ギャーーっ!? すいません、すいませんっ!」


「なかなか面白いアイデアね。ぜひ誰かさんに実行してみようかしら」


 頬を思い切りつねられる。引きちぎられやしないかと思うような勢いで。


「いちち…」


「とりあえず私はその智沙って子より、あの木下って奴をどうにかしたいわけ!」


「颯太? そっちはもう大丈夫じゃないかな」


「どこが大丈夫なのよ、私の気が収まらないわ。アンタ、私の代わりに明日アイツの事ブン殴ってきなさい」


「そんなムチャクチャな…」


 校内で暴力事件なんか起こしたら停学に。下手したら退学だった。


「あぁあぁあ……どうしてあんな男が隣の席なのよぉ」


「あの、話ってこれだけ?」


「ん?」


 あまり彼女の側にいたくない。ストレスの捌け口にされるから。


「何言ってんの。まだあるわよ」


「……マジっすか」


「アンタ、学校で私の事なんて呼んでる?」


「え~と……白鷺さん?」


 協議を打ち切ろうとするがまだ終わらない。続けざまに無関係に思える話題へと突入していった。


「それよ、それ! その呼び方」


「え? 何が?」


「アンタは親戚を呼ぶ時に上の名前で呼んだりするの?」


「いや、普通におじさんおばさんとか」


「そのおじさんおばさんの子供は?」


「あ…」


 指摘されて状況を理解する。親戚を名字で呼ぶなんて有り得ない。誰が誰だか区別がつかないし。人によっては自分と同じ場合もあるから。


「はぁ……やっぱり気付いてなかったのね」


「すいません…」


「教室出る時にわざわざ下の名前で呼んであげたでしょ? 覚えてないの?」


「あれ? そうだっけ?」


 学校にいる間の記憶はうろ覚え。意識をずっと現実逃避する方向へと動かしていた。


「だからこれからは私の事も下の名前で呼びなさい。特別に許可してあげるわ」


「か、華恋……さん?」


「何でさん付けなのよ。ナメてんのか、アンタはっ!」


「ひいいぃぃっ!?」


 彼女が握り締めた拳で机を叩く。ペン立てからこぼれた筆記用具が辺りに散乱した。


「呼び捨てか、ちゃん付け! それ以外は認めないから」


「ちゃん付けって自分で言ってて恥ずかしくない?」


「は、恥ずかしいに決まってるでしょ」


「そうですか…」


 どうやら恥を覚悟しての提案らしい。顔が見事に紅潮していた。


「か、華恋ちゃん」


「……ごめん、背筋がゾッとするからやっぱ呼び捨てでお願い」


「えぇ…」


 当然だが話し合いは上手く進まず。ブレーキをかける展開の連続。


「そっちも僕のこと呼び捨て?」


「いいえ、君付けよ。呼び捨てなんかしたら私のイメージが崩れちゃうじゃない」


「まだ清楚な転校生を貫き通したいのか…」


 それでもどうにかやり取りを交わした。自身にとっては何の得にもならない未来の為に。


「ちなみに2人っきりの時は呼び捨てだから」


「なら家では?」


「雅人さん」


「学校では?」


「雅人くん」


「じゃあ今は?」


「雅人このヤロー」


「……はい」


 打ち合わせを済ませると彼女が部屋から退散する。不敵な笑みを浮かべて。そして翌日になると華恋さんが転校してきて以来の3人登校をした。



「同居してるって事バレちゃったの?」


「まぁ。従兄妹って設定にはしてあるけども」


「あ~あ、最初から嘘つかないで正直に打ち明けてたら良かったのに」


「いやいや、同じクラスの男女が同じ家に住んでるって知られたらいろいろマズいじゃないか」


 生徒会室に呼ばれて不純異性交遊について問いただされるかもしれない。警察の事情聴取のごとく。


「華恋さんはクラスの人達に何か言われたりしましたか?」


「えっと、よく似てるね……とか」


「やっぱり! 私もそう思ってたんですよ」


「どこがさ…」


「似てるじゃん。目の形なんかそっくりだよ、2人とも」


「そう……ですか」


 妹の発言がキッカケで華恋さんと目が合う。クリっとした大きな瞳と。


 黙っていればそこらのアイドルと互角に渡り合えるだろう。少なくとも見た目だけは。


「ね? ね? 似てるでしょ」


「う~ん……自分では分からないよ」


 昔はよく女の子に間違えられていた。大きくて丸い目をしているから。そして今でもそれがちょっとしたコンプレックス。男らしい外見とは程遠い顔付きをしていた。


「でも雅人さんって可愛らしい顔してますよね」


「ですよね? 私もずっとそう思ってたんですよ。女装させたら似合うだろうな~って」


「やめてやめて」


 2人が悪乗りを開始。とんでもない台詞を口走り始めた。


「ねぇ。今度、私の服着てみない?」


「着るわけないし。そもそもサイズが違うから無理だって」


「あ、そっか」


「……まったく」


「なら華恋さんの服は? 2人って背の高さ同じぐらいだよね?」


「え? 私ですか?」


「はい。華恋さんの服ならまーくんでも着れそうな気がするんですけど」


「は、はぁ…」


 妹が本気で女装案を勧めてくる。その言葉に反応した華恋さんの表情が微妙に抵抗ある物に変化。


「制服着せてみませんか? カツラ被せてスカート穿かせて」


「え~、それで学校に通わせるんですか?」


「そうそう。きっと笑え……似合うと思うんですよね」


「あはは、でもそれだと私が学校行けなくなっちゃいますね」


「あ、そっか。制服1着しかないですもんね」


「いやいや…」


 そういう問題ではない。重要なのは本人の気持ちだった。


「ちーーちゃぁぁぁん!」


「かおちゃぁぁーぁん!」


 3人で談笑しながら住宅街を移動する。そして駅へとやって来るといつも先に来て待ってくれている友人の姿を発見。


「……えぇ」


「あの2人、いつもあんな感じなんだよ。気にしないで」


「ふ、ふ~ん…」


 ハイテンションの女子生徒2名が叫びながら抱擁。その光景を見て隣に残っていた同居人が戸惑うリアクションを発動させていた。


「おはよ~」


「はよ…」


「いや~、ビックリしたわ。アンタ達、一緒に住んでたのね」


「えへへ、そうなんですよ」


「……なに変な喋り方してんのよ、気色悪い」


 彼女達の元に近付くと小声で挨拶を飛ばす。平静を装って。しかし返ってきたのは不気味な物でも見るような目つき。あまりにも辛辣すぎる対応だった。


「でも白鷺さんも大変よね。コイツと親戚って事を隠さなくちゃいけないなんて」


「え……ま、まぁ隠そうと思っていた訳ではないんですけど」


「大丈夫、大丈夫。言わなくても分かってるから。アタシだってクラスメートと身内だったとしたら必死で誤魔化すもん」


「は、はぁ」


「可哀想よね~。ちょっぴり同情するわ」


「……ん」


 怯えていると意外な展開が訪れる。智沙が話を振ったのは、あまり会話した事のない華恋さんの方。しかも自分達が嘘をついていた理由を勝手に解釈してくれていた。


「ちなみにどっちの親戚なの?」


「あ……えと、こっち」


 問い掛けに反応して香織の顔を指差す。彼女はうちの両親が再婚している事を知っている数少ない人物。当然親戚となればどちら側かで血縁関係が違っていた。


「あれ? そうなんだ。アタシはてっきり雅人の方かと思ってたんだけどな」


「残念だったね。予想が外れて」


「ふ~ん、ならアンタ達2人に血の繋がりはないわけか」


「まぁ……そういう事になるかな」


「へ~、へ~」


 続けて細い目を向けられる。他意を思い切り含んだ視線を。


「アナタ、気をつけた方が良いわよ。一緒に住んでたらこの男が手を出してくるかも」


「あはは……ありがとうございます」


「いやいや…」


 むしろ手を出されているのはこっちの方なのに。もちろんそんな事を口にしたら後で殴られるので心の中に留めておいたが。


 それから4人で会話を交えながら通学。今日も電車の中は人で溢れ返っていた。


「ねぇ、アンタ達って白鷺さんの事なんて呼んでるの?」


「私は華恋さん!」


「僕は呼び捨て……かな」


「あ、そうなんだ。ならアタシも下の名前で呼んで良い?」


「良いですよ。全然構いません」


「本当? 良かった。なら今度から華恋さんって呼ばせてもらうわね」


 会話の応酬が止まらない。前日に抱いていた不安は杞憂だったと思えるぐらいに。


「華恋さんもアタシの事は智沙って呼んでくれれば良いからね」


「わかりました。なら智沙さんで」


「呼び捨てで良いわよ。それかちーちゃんとか」


「あはは……考えておきます」


「ん…」


 この調子なら上手くやっていけるかもしれない。心の中で都合の良い展開を密かに確信。


 それから教室に着いても華恋さんが昨日のように質問攻めに遭う事はなかった。どうやらもう皆、飽きてしまったらしい。


 休み時間になると智沙が女友達を連れて転校生の元に訪問。気のせいか男子に囲まれている時より表情が和らいでいる印象を受けた。


 もしかしたら女子に嫌われるんじゃないか。そう思っていたが上手く場に溶け込み始めていた。


「……別にどっちでも構わないんだけど」


 彼女の事は苦手だし、なるべくなら近寄りたくない存在。多少なり気を許しても天敵である事に変わりはなかった。



「良かったの? 智沙達と遊びに行かなくて」


「行ける訳ないでしょ。うちに帰ってやらなくちゃいけない事あるんだし」


 放課後になると同居人と2人で教室を出る。ただし友人からの誘いを断って。


「やらなくちゃいけない事?」


「家の手伝いとか。アンタ達のご飯作ったり」


「いや、そんな毎日は必要ないでしょ。母さんもいるし、コンビニやスーパーだってあるんだから」


「そういう訳にいかないっつの。アンタが居候させてもらってる立場だとしたらどう? 自由に動ける?」


「あのさ、前から言おうと思ってたんだけど考えすぎだよ。別に放課後に遊びに行ったりしても誰も責めたりしないって」


「……そうかもね」


 示した意見に華恋さんが小声で返答。だが言葉と表情が一致していなかった。


「まだうちに馴染めない?」


「そういう訳じゃないけど…」


「ねぇ、前から気になってた事があるんだけどさ」


「何よ…」


「君のお母さんってどんな仕事してる人なの?」


「……っ!」


 ずっと抱いていた疑問を尋ねる。控え目な態度で。


「海外に出張に行く事になったんだよね。どうして一緒に付いて行かなかったの?」


「そ、それは…」


「いきなり外国なんて言われたら誰でも戸惑うとは思うよ。でもそれなら説得して引き留める事も出来たんじゃない?」


 彼女の母親がどんな職種なのかは知らない。社会のルールも。それでも意見を掲げずにはいられなかった。


「ん…」


「も、もしかして聞いたらまずかった?」


 しかし問い掛けに対する返事は返ってこず。対話相手は黙ったまま俯いた姿勢を維持。


「……ぐっ!」


「あっ、ちょ…」


 どうするべきか悩んでいると彼女が歩きだした。歯を食いしばりながら。


「ねぇ、何か言ったらいけないこと言った?」


「……っさい」


「悪かったって、謝るからさ。機嫌直してよ」


「うっさい…」


 話しかけるがスルーの一択。まともに目も合わせてはくれない。


 よほど触れてほしくない話題に触れてしまったらしい。結局、帰宅するまで一度も口を利いてくれる事はなかった。



「……はぁ」


 晩御飯後は部屋に退避する。同居人と対面しないようにする為に。食事中の彼女は普段と変わらない笑顔で会話に参加。けれど下校中の異変を知っている自分にはその表情がとても苦しそうに感じられた。


「う~む…」


 ベッドに寝転がって見上げる。無地な天井の一部を。


「聞かれて困る職業ってどんなのだろう…」


 他人には秘密の仕事。世界を股にかける女スパイとか。


「そういえばこの部屋に隠してある本もあっさりと見つけ出したっけか」


 だとしたら娘の華恋さんもその血を継いでいて当然。脳裏に黒スーツを身に付けた彼女の姿を思い浮かべた。


「ん?」


 幼稚な妄想を繰り広げていると妙な音が意識の中に入ってくる。自宅ではなく窓の向こう側から。


「あれ?」


 ベランダから外に出て発信源を確認。それは部屋の下から聞こえていた。


「……華恋さん?」


 彼女が縁側で佇んでいる。風呂上がりのパジャマ姿で。


「んん、ぐっ…」


「え?」


 暗がりだったので何をしているのかは分からない。この位置からだと顔を拝む事が出来ないから。


「ん…」


「……おかぁ、さぁん」


 ただ1つだけ気付いたのは大きな違和感。彼女はそこで泣いていた。

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