裏腹少女
トランクス
第1話 光と影
「ん、んんっ…」
辺りから何かが聞こえてくる。物を引きずる音の中に混ざった人の話し声が。
「……あれ?」
騒音に反応して体勢を変更。体を起こした瞬間に視界に飛び込んできたのは見慣れた教室だった。
「じゃあ宿題忘れた奴は居残りだからな。勝手に帰るんじゃないぞ!」
前方ではスーツ姿の男性が怒鳴り散らしている。隣のクラスにまで届きそうな大声で。
「しまった…」
どうやら居眠りしていたらしい。授業を区切るチャイムの音が辺りに鳴り響いていた。
「アイツ、うっぜぇ」
「宿題の量多すぎだっつの。デブのクセに調子乗んなや」
「力士なんだから大人しく体重計に乗ってろっつの」
「わはは!」
周りにいる生徒達が口々に不満を漏らしている。主に皮肉を込めた悪態を。
扉を閉める音が聞こえると彼らは一斉に席を移動。授業の合間に訪れる自由時間の到来だった。
「次は気をつけないとなぁ…」
放心状態で後頭部を掻く。今までに授業をサボった事は無い。居眠りなんて生まれて初めての経験だった。
「……っしと」
机の上に置かれていた教科書類を引き出しの中に仕舞い込む。開かれていたノートのページはほぼ白紙。
寝ている間に不思議な夢を見ていた気がした。その内容は思い出せないが、奇妙な感覚だけが心の中に渦巻いていた。
「いい天気…」
片付けが終わると教室を出る。眠気覚ましに顔でも洗おうかと。
窓の外に目をやった瞬間に広々とした青空を発見。初夏を思わせる太陽が照り付けていた。
「ん…」
少し動いただけで汗をかいてしまう。けれど不快感はほとんど感じない。学校を抜け出してどこかに散歩にでも出かけてしまおうか。そんな気持ちにさせられる綺麗な世界が校舎の外全体に広がっていた。
「
「はい?」
用を済ませるとトイレから出る。そこで甲高い声の人物と遭遇した。
「次の授業でね、辞書を使うのよ」
「は、はぁ…」
「だから悪いんだけど図書室から借りておいてくれないかしら。班の数分」
「えぇ……僕がですか?」
「じゃあ任せたわね。重たいけど頑張って」
「あ、ちょ…」
その正体は中年の英語教師だった。用があって話しかけてきたらしい。
渋る反応を見せるが意識してもらえず。一方的に雑用を押し付けられてしまった。
「……仕方ないか」
面倒くさい指令を受けてしまったが無視するわけにもいかない。教室へと戻ろうとしていた足の動きを階段の方に向けた。
「ワープとか時間の巻き戻しが使えたらなぁ…」
高校生にもかかわらず小さな子供のように漫画や映画の主人公に憧れていた。格好良い必殺技だけではなく、身勝手で自由奔放な性格に。
授業をサボったり、先生や上級生に反抗的な態度をとったり。へたれな人間にはとても真似出来ないような悪行の数々。馬鹿にしているわけではなく純粋な理想だった。
自身には無いスキルを持ち合わせているからこそ羨望の眼差しで見ていたのだろう。そんな生き方をしているキャラクター達を眩しく感じていた。
「……重っ!」
図書室へとやってくると10冊近くの辞書を手に取る。1冊につき約5センチ程の厚み。積んで持ち上げたのだが結構な重量になってしまった。
「これを1人で持つとか無理だよ…」
実行する前から予想していた展開を迎える。勉強道具がただの重りへと変貌する事態が。
「はぁ…」
白旗を掲げたいが今さら音を上げる訳にもいかない。サボってしまった代償による教師からの叱責が怖いので。
かといって周りには助けを求められそうな知り合いは不在。友人の少ない人間には絶望的な状況だった。
「ほっ!」
観念して単独でのミッション遂行を試みる事に。全神経を手元に集中させるとゆっくりと歩き出した。
「くっ、くく…」
覚悟は決めたものの辛いものは辛い。脆弱な体に過度の負荷がかかる。
更に周りからの好奇な眼差しにも耐えなくてはならなかった。目立ってラッキーなんて思えるタイプではない。心の中に溢れているのは爆発してしまいそうな羞恥心だけ。
「ひいぃっ…」
そしてどうにかして階段までやって来る。任務完遂にとって最大の山場へと。転倒しないように気を付けるが荷物が邪魔で前が見えない。窮屈な体勢での階段歩行は困難を極めた。
「うわっ!?」
「きゃっ!」」
何とか下り終えるがそこでハプニングが起こる。人との衝突が。
「……いちち」
手や足に僅かな痺れが発生。落下した荷物による手荒い攻撃だった。
「あ…」
不運を嘆きたいが今気にかけなくてはいけないのは自身の体の事ではない。すぐ前で同じように転倒している女子生徒の容体だった。
「だ、大丈夫だった!?」
「いっつぅ…」
「ごめん。前をちゃんと見ないで歩いてたから」
「……最悪」
「すいません…」
声をかけるが睨まれてしまう。親切心を突き放すような台詞と共に。
「どうしたの?」
「ん?」
怯んでいると近くにいた別の女子生徒が接近。衝突相手同様に全く面識の無い人物だった。
「聞いてよ。男子とぶつかっちゃってさぁ」
「あらら、マジか」
「しかも足に辞書が落ちてきて。もう痛いったらありゃしない」
「災難だったね~。てか
「なんでだよ!」
床に座り込んでいた女子生徒が立ち上がる。堂々と愚痴をこぼしながら。
「行こ。次の授業に遅れちゃうよ」
「だね。
「……あ」
そしてそのまま友人と並んで歩き始めた。今の出来事を全く意に介さずに。
追いかけて再び謝ろうか迷う。しかし躊躇っている間に彼女達は廊下の奥へと姿を消してしまった。
「はぁ…」
自然と溜め息が漏れる。ぶつかった原因は自分の不注意だから仕方ない。ただそれでも無愛想な態度だけはとってほしくなかった。欲を出せば優しい声をかけてほしかった。
「……やだなぁ」
床に膝を突いて落下物を回収する。四方八方に散乱してしまっている辞書を。
「何あれ~」
「1人神経衰弱でもしてるんじゃないの?」
「やだ、もう」
「くっ…」
屈んでいると頭上から声が聞こえてきた。辺りを行き交う生徒達の笑い声が。奇異の目に晒されながらも作業を進める。誰もかれもが見ているだけで助けてなんかくれやしない。
「くそっ…」
まさか教師からの頼まれ事が原因でこんな恥をかく羽目になるなんて。拾い終わるとその場から逃げ出すように教室へと運んだ。
「……あ~あ」
神様を恨みたい。こんな人生を歩ませてきた事に。こんなへたれな性格で下界に送り出してきた無責任具合に。
悪いのは全て自分だと分かっている。それでも何かのせいにしてしまう方向に思考が動いていた。
もし1つだけ願いが叶うなら。もし時間を巻き戻す事が出来るのなら。口にするのは生まれたその瞬間からやり直させてくれという事。
「へっくし!」
1日の授業が終わると真っ直ぐに学校を出る。電車の中で豪快なクシャミを炸裂させた。
「あぁ…」
耳鳴りがやまない。ついでに窓から射し込む西日に目が眩む。席は空いていたがドア付近に立っていた。向かい相手の視線を気にせず景色を眺めたくて。
「ん…」
毎日の通学には電車を利用している。そして数少ない友人達とは教室を出る瞬間に別行動。だから下校時はいつも1人で乗車していた。
「バイトでもするべきかなぁ…」
入学してから1年以上が経過したのに夢や目標を持っていない。社会経験を積むような行為にすらチャレンジしていない。
「うわっ!?」
「ん?」
感傷に浸っていると意識を引く光景が視界に飛び込んでくる。ランドセルを背負った男の子が床に転倒する姿が。
「うぇぇ~ん」
「また派手にやったなぁ…」
歩いてる時に車両が揺れてバランスを崩してしまったらしい。ついでにフタが開いた鞄からは中身が飛び散ってしまっていた。
「ん…」
行動するべきか迷う。助けた方が良いと理解しているのにその勇気が湧いてこない。それに最近は子供に声をかけただけで不審者扱いされる事案も発生していた。休み時間に経験したような恥ずかしい思いをしたくなかった。
「大丈夫?」
「……あ」
「どこか怪我してない?」
見捨てようと考えていると席に座っていた女性が立ち上がる。床に這いつくばっていた男の子に声をかけながら。
「お友達はいないの?」
「ん…」
「1人?」
「……ぐすっ」
「とりあえず荷物拾おう。このままじゃ誰かに踏まれちゃうかもしれないよ」
パッと見、自分と同世代ぐらいの女の子。ただし着ているのは制服ではなく私服だった。
「ふ~ん。この筆箱、変形するんだ」
「うん…」
「ロボットみたいだね。格好いいじゃん」
彼女は男の子を抱き起こすと隣に並ばせる。母親のように慣れた手付きで。
「て、手伝います」
「え?」
「一緒に集めちゃいましょう」
「……すみません」
その姿を見て無慈悲な思考を撤回。床に膝を突いてノートや教科書に手を伸ばした。
「はい、終わったよ」
「ん…」
「危ないから電車の中は走っちゃダメだからね。分かった?」
「……分かった」
「よし。良い子だ」
広い集めると女性が男の子を諭す。帽子の被さった頭を撫でながら。
「バイバ~イ」
そのまま男の子は手を振って隣の車両へと移動。立ち去る背中を優しく見守った。
「あの、ありがとうございました」
「え?」
「手伝ってもらっちゃって」
「いえ、そんな…」
2人きりになると女性からお礼の言葉が飛んでくる。丁寧に頭を下げる動作と共に。
「優しい人ですね。困ってる子を助けてあげられるなんて」
「……そんな事はないです」
「謙遜しなくても。少なくとも声をかけてきてくれて私は嬉しかったですよ」
「は、はぁ…」
本来ならその台詞を言われるのは彼女の方。もし先に動き出す人物がいなければ自分はあの小学生を見捨てていたハズだった。
「アナタみたいな人がもっとたくさんいたら良いんですけどね」
「……世の中そんなに上手くいかないですって」
「そうでしょうか。私はそうは思いませんけど」
「皆、人の行動には無関心ですから」
「けどアナタは助けてくれたじゃないですか」
「え?」
卑屈になっていると不意を突くような台詞を浴びせられる。休み時間の出来事を吹き飛ばしてしまうような言葉を。
「今ここで困っている男の子を助けてあげた男性がいる。それは事実ですよね?」
「えっと…」
「どれだけ無関心だらけの世の中だったとしても、どれだけ冷たい人間ばかりの世界だったとしても、この出来事は揺らがないハズです」
「はぁ…」
「だからその勇気を忘れないであげてください」
それはまるでドラマに出てくる教師のような発言。荒み始めていた心を浄化してくれるメッセージだった。
「で、でもそれを言うなら先に行動したアナタの方が凄いですよ」
「あはは……子供が泣いてる姿を見てたら体が勝手に動いちゃって」
「素敵な事だと思います。その優しい気持ちを忘れないであげてください」
「……ありがとうございます」
賛辞を賛辞で返す。緊張感と少々の疑問を抱きながらも。
「え?」
「んっ…」
「あ、あの…」
「なんかすいません。取り乱しちゃって」
その瞬間に彼女の異変を察知。細い指先で目元を擦り始めてしまった。
「ちょっと色々あって…」
「いろいろ…」
「本当に大丈夫ですから。なので気にしないでください」
「けど…」
意識を急激に奪われる。隣にいる初対面の人間に向かって。
「あ……私、ここで下りないと」
「え?」
「すみません。それじゃ」
「あっ、ちょ…」
声をかけるがタイミング良く車両が停車。女性は逃げ出すように開いたドアから飛び出して行った。
「……涙」
何が起きたのかは知らない。平日の夕方にどうして私服で電車に乗っていたのかも。
再び車両が動き出しても女性への気掛かりが止まらなかった。後を追いかけなかった事を後悔するぐらいに。
「んっ…」
心の奥底から不思議な物が湧き出してくる。今までに経験した事の無い感情が。同時に脳裏には優しく微笑みかけてくれた女の子の顔が色濃く焼き付いていた。
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