第105話ただそれだけ
痛みはない。
刺されているという実感が湧かないほど、自然に心臓を貫通している。
美しいとすら思う白一色の刀の先からゆっくりと下へ滴る己の血が唯一認識できたことだった。
ゼウス「ぐふっ……」
認識した途端、襲い来る喉を焼く感覚。口から零れる赤黒い液体がその正体。
それでも、痛みはない。
「……」
背中から僅かに聞こえる息遣いに気が付いた俺は、首を回してその気配を視界に捉える。
白い忍装の人。
髪も顔も全て白い布で覆い、ルビー色の鋭い眼だけが無感情に俺の背を見ている。
「……」
視線に気が付いたのか、その白い者は音を立てずに一瞬で刀を抜き去る。
胸に開いた小さな穴が俺の生命活動を停止させるのかと個人的には思った。
『死は突然訪れる』
どこかで聞いたその言葉が脳裏に浮かぶ。
立ち呆けていても俺はその白装束から視線をずらさない。
刀を鞘に納め今にも去りそうなその白。死神のような存在がさっきの言葉をより強調しているようだ。常人はこのまま『終わる』のだろう。
ゼウス「……俺は違う……」
血混じりに小さく吐いた一言。死に際の足掻きにも置き換えられよう。
だが、事実違うのだ。寧ろ、その一言が獣のような闘争本能を呼び起こした。
死は突然訪れる、というのであれば、本能は突然襲い掛かるといっても過言ではないだろう。
謎理論が心の中で成立すると、俺はピリピリと全身を撫でながら湧き上がる強敵出現の高揚感に身も心も預けた。
ゼウス「っあぁぁ‼」
即座に小袋から槍を装備。右回転で得た勢いと体重を乗せた横一閃を油断しきっていた白い奴に喰らわせる。
攻撃は命中したが、流石強者だった。納めた刀の鞘が砕ける代わりに槍を受けており、衝撃は空中で回転して殺し着地。
着地の隙を狙って俺は銀槍を投擲する。
スキルでもなんでもない。ただの力技だ。
「……」
銀槍を息すら吐かずに刀で弾く様は幾多の死線を潜り抜けてきた強者であることの証明だ。見事、とにやける口元を引き締める。
なぜなら俺はすでにこの者を「間合い」に入れている。
瞬時に詰めたことで傷口が、身体が悲鳴を上げるが今の俺にはそんなことどうでもよかった。この〈最高の悦楽〉を味わいつくす。生を感じている間に。
「……ッ!」
笑みを浮かべている俺に敵の紅い眼が見開かれた。
いや、己の死を実感したのかもしれん。
どちらであっても、攻撃を躱すことは出来ない。完全に虚をついたのだから。
全身をバネにした渾身の右ストレート。
スキルでもなんでもない。ただの拳。
その拳が標的の左側の顔面を砕く。
骨の砕けるゴキっとした音、放った拳に残る心地よい痛み。胸から流れ落ちる――いや噴き出す血潮。
そして、赤い枯れ葉の地面に打ち付けられて弾みながら吹っ飛ぶ白装束の敵。
ゼウス「はぁ……はぁ……」
急に浮かぶ汗で長い俺の髪がべたべたと顔に張り付く。
山田に切れと言われていたが、面倒だから切らずに生きてきた。が、今回に限ってはこの長い髪を邪魔だと感じた。爽快感が薄れてしまうが、やはり面倒くさいからそのままでいようと思った。
というより、もうその必要もないだろう。
ゼウス「なんだ……こんなものか……」
振り返ってみた血の跡はそれほど多いわけでもなかった。
足元はどうだろうと下を向くが、やはりそれほど出ていない。というより、なにやらキラキラとした黒い影が視界を鈍らせる。
広がっているのはただの赤い枯れ葉だ。
所々、濡れたようなところもあるが気のせいだろう。雨など降っていない。
ゼウス「……はぁ……さて……ふぅ……トドメを刺すか」
歩き出そうと足を出すが、やけに重い。それに視界も狭まってくる。
目の前が徐々に暗くなるが、俺は重い脚を引きずりながらでも前に出す。
汗が目に入り、それを袖で拭う。
閉じた瞼を上げると、眼前には見知らぬ女がいた。
深い黒の長髪は尻まであり、青紫色に腫れあがった左頬がなければ、ねこねこが喜ぶであろう整った顔面。そして、光彩のない紅い瞳。
長い白い布を握り締めながらその女は全身を白く統一した格好をしていた。
ゼウス「……ほう…………女だったか、貴様」
この一言がよほど不快だったのか、血唾を吐き捨てる女は刀を構える。
どうやらトドメを刺しにきたのはお互い様らしい。
ついでにこの女は若干の納得出来ない面持ちをしていた。
ゼウス「なぜ……死なない……と言いたげだな……」
構えを解くことはないが攻撃してくる気配もない。
俺は口の端から垂れる血など意にも介さず、言葉を並べる。
ゼウス「答えなどない。俺は〈そういう男〉だった。ただ、それだけだ」
言い終わると女の表情はさっきまでの無情な顔に戻る。
俺は敵が動かないと勘で判断し、槍を拾い中段に構えた。
揺れる身体を気で支えている今の状態では、一太刀振るうのが限界だろう。
そこに全て……命ごと懸ける。
「……帰る」
……。
今なんといった?
ゼウス「……今なんといった?」
あまりにも突拍子もない言葉のせいで、口にも出た俺の一言にこの白い女は律儀に答える。
「……貴方の
ゼウス「舐めているのか? 情けなど無用だ、こい」
「ただ……それだけ」
手に持った白い布を刀に巻き付け鞘代わりにした女は、忍びの如く僅かに紅葉を浮かせて姿を消した。
ゼウス「拍子抜けだな」
この後の記憶は俺にない。
倒れたことだけはわかるが……地に背をつけて倒れるのはプライドが許さず、意図的に前のめりに倒れた。
目が重い瞼で塞がる直前、また葉が舞い上がったような気がした。
それだけは覚えている。
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