第59話

 司令室の机に座っている雛白明日軌は、長い黒髪が絡まるのを全く気にせずにわしわしと頭を掻いた。疲れて充血した目で、山積みになっている書類に目を通している。

「明日軌様。バイク便で新たな書類が届きました」

 ツインテールの黒いメイドが封筒の束を抱えて司令室に入って来た。

「中身は?」

 寝不足で脂ぎった顔を黒メイドに向ける明日軌。連日の書類処理のせいで、十四才の少女とは思えない痩けた頬と鋭い目付きになっている。

「九州の小倉家からの住民票です」

「そっちに」

 明日軌は顎で右手側に有る空の机を指す。そこに封筒の束を置く黒メイド。

「これを沢井先遣隊の隊長に」

「はい」

 殴り書きに近い感じでサインした紙を、司令室内で待機していた紺色メイドに渡す明日軌。

 紺色メイドの退室と入れ替わりに、白い執事服を着たハクマが入って来た。

「明日軌様。少し休憩を取られては如何でしょう?」

 コーヒーカップとオシボリが乗った盆を持った執事が言うと、明日軌は紙の山を見渡した。それから盛大に溜息を吐き、椅子の背凭れに体重を任せた。

「そうね。区切りが付いたと思ったらまた新しいのが来たし。こんなの、一人では処理出来ないわ。もうウンザリ。ハクマ、髪を梳かして」

「はい」

 ハクマは盆を紙の上に置き、どこからか取り出した櫛で乱れた明日軌の黒髪を梳かした。

 その間に明日軌はオシボリで脂ぎった顔を拭った。スッキリし、少しだけ気分が軽くなった。

 コーヒーを一口だけ飲み、髪梳きが終わるのを待つ。

「気分転換に散歩するわ。その間、頼むわね、ハクマ」

「はい」

 頼むとは、明日軌でなくても処理出来る書類を片付けて置けと言う意味だと察したハクマは、短く返事をする。

「んっん~……」

 司令室を出た明日軌は、思いっきり伸びをした。

 書き物がやり易いだろうと思って着た青いセーラー服に乱れがないかを確かめてから長い廊下を歩く。

 目的が無い散歩なので道なりに進むと、中心に噴水が有る玄関ホールに出た。

 心が落ち着く水音が響くそのホールの隅に人が居た。赤い絨緞が敷かれている床に風呂敷を敷き、その上で正座をして歩兵銃の分解掃除をしている。

「蜜月さん。その格好は……?」

 不意に声を掛けられた少女は、少し驚いた様子で顔を上げた。

「明日軌さん。おはようございます」

 両耳の上で長い髪を縛り、余った後ろ髪を垂らしている外国の犬の様な髪型の蜜月は、同い年の女主人を見上げて軽く頭を下げた。いつもは紺色の袴を穿いていて女学生みたいなのだが、今日は白い胴衣に赤い袴と、巫女みたいな格好になっている。

「少し肌寒くなって来たので新しい着物を作ろうと生地屋に行ったら、その家の子のお下がりを貰ってしまって。折角なので着ているんです」

「そうなの」

 言いながらも、蜜月の手は止まっていない。

 明日軌の鼻に歩兵銃に塗られた軽油の匂いが届く。体調が良くないせいか、嗅ぎ慣れない香りに少し気分が悪くなった。

「……この服の持ち主、行方不明なんだそうです。だから、仇を取ってと」

「……そう」

 蜜月は、バラバラだった歩兵銃をほんの数秒で組み立てた。構えて「良し」と呟く。来たばかりの頃は迷子の子犬の様にオドオドしていた彼女も、今では立派な戦士となった。

「明日軌さんは一人で何を? 大分お疲れの様ですけど」

 女主人の顔を指差す蜜月。

「目の下に隈が」

「あら……」

 明日軌は顔に手を当て、絶句する。心成しかお肌も荒れている。頑張り過ぎたか。

「九州、四国が敵の手に落ちて、生き残った人々がこの街に避難して来ているんです。その処理で徹夜ですよ。無線や電話がもっと普及していれば楽なんですが」

「はぁ」

 蜜月は歩兵銃を脇に置きながら曖昧な声を出す。教養が少ないので、地名を言われてもピンと来ない。

「えっと、大変、って事なんですよね?」

「とても。今、この街が平和なのは、南の方に敵戦力が集中しているからでしょう」

 蜜月の横で屈む明日軌。

「南の方に……。でも、それは明日軌さんが以前から言っていた事じゃないですか? だから以前から対策をしていたんですよね?」

 明日軌の左目を見ながら言う蜜月。その左目は生まれ付き視力が無く、緑色をしている。

「この国の上の人間は――いえ、止めましょう。愚痴だわ。この街はまだ良い方。東京なんて、数千万人規模の難民で大騒ぎでしょうから」

「はぁ……。別に愚痴っても良いですよ。私の方は戦闘が無くてヒマですし」

 気の抜けた返事をした蜜月は、紙で出来た小さな赤い箱を取り出した。蓋を取ると、びっしりと銃弾が詰まっていた。その銃弾を膝の前にばら撒く。

「何をなさっているの?」

「たまに有る不良品を取り除いているんです。実戦で銃が詰まったら大変ですから」

 蜜月は銃弾を光に翳し、丁寧に選り分けて行く。

 一発一発、几帳面に立てて並べる。

 不良品は後ろの方へ適当に置く。

 明日軌は黙ってその様子を眺めている。

 まったりとした時間が流れているせいか、明日軌はウトウトと船を漕ぎ出した。

 よっぽど疲れてるんだなと、横目でその様子を見ながら思う蜜月。

 同時に、大きな戦いの予感もした。

 今、この世界はどうなっているんだろう。

「明日軌様」

 不意に声を掛けられた明日軌は、ビクっと身体を震わせて睡魔から解き放たれた。そしてそのまま尻餅を突いた。

「ああ、驚いた。コクマか。どうしたの?」

 深々と頭を下げる黒いメイド。

「驚かせてしまい、申し訳有りません。植杉様が、明日軌様と蜜月さんをお呼びです」

「明日軌さんと私?」

「はい」

「何だろ。あ、片付けなきゃ」

 並べた銃弾を箱に戻し、不良の弾は懐に仕舞った蜜月は、明日軌と共に立ち上がった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る