第29話

「ちょっと待って」

 明日軌宅の庭から立ち去ろうとした蜜月をコクマが呼び止めた。

「え?」

 何だろうと黒いメイドに顔を向けた蜜月の目の前でコクマの姿が消えた。忍者達の瞬間移動はしょっちゅう見ているが、未だに馴れない。ビックリして心臓がドキドキする。

「きゃっ」

 遠くで悲鳴。

 蜜月と明日軌が声のした方に身体を向けると、二人を庇う様にハクマが立ち塞がった。ハクマの白くて大きな背中の向こうには雛白邸への大階段が有り、その上に有るドアの所でコクマが広田の腕を掴んでいる。

「どうしたんですか? コクマさん」

 状況が掴めない蜜月が訊く。

「この子、立ち聞きしてたわ。どう言うつもり?」

「っ!」

 広田の腕を締め上げるコクマ。

「コクマさん止めて! 広田さんはメイドだから、立ち聞きとかじゃないんじゃないですか? きっと、私を心配して様子を見てくれてたんですよ」

 蜜月は階段に向かって駆けた。

 明日軌とハクマもそれに続いたが、大階段の数歩手前で明日軌が足を止めた。

「待って、蜜月さん。あのメイド、丙ですわ」

「え?」

 明日軌の言葉に振り向く蜜月。緑色の左目は階段の上に居る広田の下半身に向いている。

「え? え? 丙って、どう言う事ですか? だって、さっきまで一緒に居て……」

「敵のスパイって事でしょう?」

 混乱する蜜月を冷やかな目で見下ろしたコクマは、黒いメイド服の懐から小刀の様な苦無を取り出した。

「まま待ってください! どうするつもりですか? まさか……」

「あんたがのじこを怖がった理由はこの状況よね? だけど、この場合はこれが正解よ」

 言うや否や、広田の喉仏に苦無が深く突き刺さった。目を見開いた広田の口から一筋の赤い液体が流れ落ちる。

「どうして……」

 蜜月は崩れ落ちる様にその場に両膝を突いた。絶望で血の気が引き、顔が真っ青になっている。

「神鬼を生かしておいたら死体が増える。この子には悪いけど、こうするしかないの」

 メイドの遺体を抱き抱えたまま言うコクマ。喉から苦無を抜くと血が吹き出す為、女主人に陰惨な場面を見せない様に刃物を刺したままにしてある。

「だからって問答無用で殺す事はないでしょう!? ああ、広田さん……」

 声を裏返して叫んだ蜜月は顔を両手で覆い、泣き崩れる。

 その様子を見て明日軌は顔を顰めた。

 この状況に納得して貰ったはずなのに、狼狽の度合いが激し過ぎる。

 まさか、蜜月の共生欲はあのメイドに向いていたのか?

 となると、この状況は良くない。折角立ち直ったのに、また戦えなくなるかも知れない。

「我等が姫よ。ご覧になったでしょう。これが人の邪悪なる所業です」

「え」

 確実に急所を突いたはずのメイドが腕の中で喋り出したので、ギョっとするコクマ。広田の喉は苦無で潰されているので、普通なら喋る所か呼吸も出来ないはずだ。

「我等が姫よ。我等の元においでください。畜生の外道な行いの味方をしてはなりません」

「何これ気持ち悪っ! 兄様ぁ」

 常識なら即死している状況の人間が口から血を垂らしたまま喋っている事に怯み、珍しく情け無い声を出すコクマ。

 蜜月も嗚咽を止めて呆然としている。

 何が起こっているのか、欠片も分からない。

「確かに人間は非道な行いを沢山して来ました。それは同族である人間を含め、地球に住む全ての生物に対して行っています」

 可愛らしい水色のワンピース姿の明日軌が勇ましく胸を張って言う。

 涙に濡れた顔で広田を見ていた蜜月は、横に立っている同い年の女主人を見上げた。

「だからと言って、我々は黙って滅びの道を選ぶ事はしません。何故なら――」

 明日軌は屈み、地面に膝を突いている蜜月の肩に手を置く。

「私達は生きなければならないから。確かに悪い人は多い。でも、良い人も沢山居る。だから私達は良い人が生きるこの街を護る。私達は、私達の生きる権利を脅かす貴方達には決して屈しない」

 広田を、ではなく、広田に取り付いている物をきつく睨む明日軌。

「特に、ただの偵察用とする為だけに命を奪う輩には、決して!」

「ただの、偵察用……?」

 言いながら鼻を啜る蜜月。

「ええ、そうです、蜜月さん。あの丙は、偵察用か隠密行動用です。見聞きしている情報をどこかの誰かに送っています」

「誰か……に?」

「恐らくあの丙は、私の目に気付かれない様に、その場に居た適当な人間の内部に入り込んだのでしょう」

 私の左目には彼女の身体に巻き付く木の根が見えます、と唇を噛んで言う明日軌。

「そして、脳を操っている。そう見えます。そうなった時点で彼女は亡くなってしまった。いつから取り付かれていたかは分かりませんが……」

 蜜月の肩に触れている明日軌の手が小刻みに震えていた。

 泣いている?

 涙は流していないが、女主人はメイドの死を悼んでいる。

 その事に気付いた蜜月は、自分の顔を袖で拭った。

「恐らく、今でも彼女は自身の死に気付いていない。だから私に気付かれずに雛白邸の中を自由に歩けた。――彼女の死は丙の雛白邸侵入に気付けなかった私の責任なのです。コクマを責めないでください、蜜月さん。お願いします」

 目を真っ赤に腫らせた蜜月は、苦無を喉に刺したままコクマに抱かれている広田を見ながらゆっくりと立ち上がる。

「雛白家に仕えるメイドは、全員が衛生兵の教育と訓練を受けます。広田さんも例外無く受けていました。私と一緒に朝の走り込みをしたりしました」

 蜜月には木の根は見えない。しかし言わずにはいられない。

「一緒に野戦料理の訓練をしたり、一緒に裁縫をしたり。私と一緒じゃない所でも、広田さんは頑張っていました。人の重さの砂袋を背負って数キロを歩かされたり。広田さんは辛さに泣きながらも、毎回必ずゴールしていた事を私は知っています」

 蜜月は、昂ぶる気持ちを押さえる様に深く一呼吸する。

 彼女が取り付かれたのは、大型が発見される少し前だろう。

 なぜそう思うのかと言うと、それくらいから彼女がメイドらしくなったから。お茶を運ぶ途中で転んだり、掃除をしている最中に箒の柄で窓ガラスを割ったりしなくなった。

 一人前になったと判断されたから、大型討伐隊に参加出来たのだ。

 それが、まさか丙に取り付かれたからだったとは。

「広田さんはちょっとドジで、妙な失敗をします。いつも怒られていました。でも、一緒に訓練をしている他のメイドさんが訓練の辛さに負けそうになった時、彼女は持ち前の明るさで仲間を励ましていた事も、私は知っています」

 蜜月は広田を指差す。見えない丙を威圧する様に。


「そんな素晴らしい広田さんを、なぜ殺した!」


 厳しく訊いたが、返事が無い。

「返事をしないのなら、これから神鬼が何を言っても、私は聞く耳を持たない」

 広田だった物の目が蜜月に向いた。生気の抜けた気味の悪い表情に、蜜月は心の中で悲鳴を上げた。友達じゃなかったら問答無用で見なかった事にしていたところだ。

 成り行きで広田の遺体を支え続けているコクマもあからさまに嫌悪の顔をする。

「我等が姫よ。非礼を詫びましょう」

 喉の傷のせいか広田の声が擦れて来た。

「ですが、我々は人の殲滅を使命とする者。何者であっても、人は排除しなければならない存在。だから我々は人を殺しました」

「じゃ、貴方は私の友人を殺した仇だわ。敵よ!」

 気丈に、改めて指を指す蜜月。

「我等が姫よ。我々は今後も貴女を説得しましょう。我々には貴女が必要なのです。我々は神と姫の為に、変わらず人の殲滅を約束しましょう」

 言い終わると広田の身体から力が抜け、グニャリとコクマに凭れ掛かった。

 直後、明日軌が階段に手を翳した。

「ハクマコクマ、階段の裏です! 逃がしてはなりません!」

 階段の下で蜜月と明日軌を護る様に立っていたハクマと、階段の上で腕の中の広田をどう扱って良いか迷っていたコクマが、同時に階段に拳を打ち付けた。

 轟音と共に階段が崩れ、木片と赤い絨緞の切れ端が宙に舞う。蜜月と明日軌は飛び散る木片から顔を護る様に反射的に中腰になる。

 双子忍者の派手な破壊行為に蜜月は心底驚いたが、実は、雛白邸と明日軌宅を繋いでいる階段は最初から壊れ易い造りになっていた。

 その様に作らせたのは、他でもない明日軌。

 何の為に上り下りが面倒になる指示をしたのかは明日軌自身にも分かっていなかったのだが、きっとこの時の為だったのだろう。

「初めて言葉を話す神鬼が現れましたわ。これが始まりなのかも知れない」

 背筋を伸ばした明日軌は、自分を木片から護ってくれたハクマの背中にそっと額を当ててそう囁いた。

 その姿を見た蜜月には、この二人が恋人に見えた。寄り添っている二人を凶悪な目で睨んでいるコクマが、それの裏付けだった。

 生死を共にして来た双子の兄を主人に取られた妹。多分そんな感じか。

 蜜月は、妙にガッカリした気分になった。何だろうこの気持ち、と思いながら二人から視線を外す。

 崩れた階段の下では、苦無と星型の手裏剣が銀色の水溜りに何本も突き刺さっていた。双子忍者が目にも留まらぬ速さで投げた物だろう。

 水銀の様な水溜りがブルリと震え、それから茶色の砂に姿を変えて行った。

「……広田さん」

 丙の死を見届けた蜜月は、ドアの前で倒れている広田を見上げた。

 広田は横向きに倒れていて、顔を蜜月に向けていた。

 その口が動いている。声は出ていない。

「広田さん……? まだ、丙が……?」

「いえ、違う様です。読唇術で見る限りでは――」

 身構える蜜月を制したハクマは、血の気の失せた唇の動きを読む。

「のじこちゃんと、ケーキ……、と言っています」

「広田さん!」

 妹社としての身体能力をフルに使い、崩れた階段をひとっ飛びで上がる蜜月。

 そしてコクマの足下で横たわっている広田を抱き上げた。喉にはまだ苦無が刺さっている。

「抜いちゃダメよ。無駄に血が出るだけだから」

 冷静な声で言うコクマに頷く蜜月。

 広田は、もう完全に息をしていない。

 その瞳は、もう何も映していない。

「ごめんなさい、広田さん。私、約束、守れなかったね」

 蜜月は、再び大粒の涙を流して泣いた。

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