第16話 予期せぬ立ち回り




 入国審査は、拍子抜けするほどあっさり済んだ。アル=ラシードについても何の問題もなく――つまり王族だとわかって大騒ぎになることもなく――済んだわけだが、国境がこれで大丈夫なのだろうか、と他国のことながらちょっと心配になったリルだった。

 入国審査、とは言うものの、やったことと言えば凄まじく複雑な魔法陣の上に乗っただけである。その周囲に魔法士と幾人かの兵士がいたものの、魔法陣の上に立つように指示された以外は何もなかった。

 一体何を審査してるのかもいまいちわからないくらいだったが、どうやら国家間で指名手配されている人間の情報が魔法陣に組み込まれているらしい。恐らくは、情報に合致すれば魔法陣が発動し、その人物を捕らえるような仕掛けになっていると思われる。

 ザードに聞いた話とは大分違ったが、十年の内に色々と変化したのだろう。元の時代に戻れたらその辺りも聞いてみよう、とリルは思った。


 初めての他国に浮き立つ気持ちはなくもないが、状況はそれどころではない。なので、おとなしくリルの後をついてくるアル=ラシード(自国と言えど不案内だそうなので、一応年長のリルが先導している)にまず向かう先を提案することにする。


「ええと、とりあえず古物商に行こうと思うんだけど……」

「古物商? 何故だ?」

「『転移所クィ・ラール』使うのにはお金がいるもの。お金以外でやりとりしてもいいけど、交渉が面倒だから。お金でのやりとりなら、転移場所に応じた金額が定められてるから楽だし」


 さも知った風に言っているが、リル自身も『転移所クィ・ラール』を使ったことは数えるほどしかない。ほとんどがザードの受け売りである。


「そうなのか……自国のことなのに、私は何も知らないのだな」

「宮から出たことなかったんでしょう? それなら仕方ないんじゃないかな。わたしだってそんなに詳しいわけじゃないし……ほとんど兄様の受け売りだよ」

「アズィ・アシークの調査を頼んだという兄君か?」

「ううん、他の兄様。旅が好きだから、そういうことよく知ってるの」

「では、兄君は二人いるのか」

「まだ上に兄様が二人いるから、四人。一番上の兄様は武術が得意で、二番目の兄様は学問が好きなの。三番目が旅好きの兄様で――」

「四番目がアズィ・アシークの調査を頼んだ兄君か。――四人も兄君がいながら、お前をひとりで旅に出させたのか?」


 微妙に非難の混じった声音にリルは焦る。本当は不可抗力でアズィ・アシークに飛んだのだ。兄たちに非はない。


「兄様たち忙しいし――ほら、わたしには焔も居るから」

「だが、傍目から見れば女の一人旅だろう。危険ではないのか?」

「そうでもないよ。確かに治安が悪いところだと危険だけど――」


 ザードに聞いた話を何とか思い出しつつ会話をする。ザード御用達の古物商への道は教えてもらっていたのでたいした問題もなく着けるだろうとリルは思っていた。

 ……しかし、リルはすっかり忘れていた。その古物商がある界隈は、知る人ぞ知る、という感じの店が多い――つまり流行っているとは言い難いため、地理に疎く迷い込んできた者を狙うならず者たちもいるのだと注意されたことを。



* * *



(ええっと、どうしよう……)


 古物商へと続く道、寂れた路地で、リルは内心途方に暮れていた。

 目の前にはアル=ラシードを捕まえてにやにやと笑う、いかにもな悪人。それに追従するように二人の屈強な感じの男が後ろに控えている。

 腕を掴まれ、首筋に短剣を突きつけられているアル=ラシードは射殺しそうな目を男に向けているが、顔色はよくない。


「だからよぉ、身ぐるみ全部、今ここで置いて行きゃあ、この坊主の命は助けてやるって言ってんだよ」

「カワイイ弟のためなら姉ちゃんはそれくらいしてやれるよなぁ?」

「そうそう、その高そうな服ももちろん置いてくんだぜ?」

「そりゃヒデェ! 素っ裸で通りを歩けってか」

「それがイヤってんなら薄布一枚くらいくれてやってもいいけどなぁ?」

「俺たちが脱いだ下穿きを、だろ?」

「違ぇねぇ、さんざんっぱら楽しませてもらったあとにだけどな!」

「ぎゃははははっ!」


(うう、低俗……下品……。ザード兄様が言ってた『撲滅したい下劣野郎』ってこんな感じかな……)


 「あんなの生きてる価値ないよ。同じ男っていう種なのが耐えられないね。人どころか獣にも劣るゴミだ」などと以前零していたのを聞いたことがある。なんでも女性に乱暴を働こうとした男を見かけて半殺しにしたことがあるとかなんとか。


「怖くて声もでねぇってか? 自分じゃ脱げねぇなら手伝ってやるぜ?」

「そりゃあいい!」


 どうやら嫌悪ではなく恐怖で固まってるのだと思われたらしい。リルとアル=ラシードを姉弟と勘違いしていることといい、どうにも思い込みが激しい男たちだ。

 リルはこっそりと溜息をつき、肩を抱くふりをして精霊石イースに触れた。そのまま焔に思念を送る。


(幻炎をお願い。媒介は布、軽いやつでいいから)


 ――了解。


 実際に声が聞こえるわけではないが、肯定の思念が伝わる。

 リルはできるだけ、恐怖に震えるか弱い女の子らしく見えるように意識しつつ、装飾の薄布に手をやった。


「本当に……身ぐるみ全部置いていけば、その子は助けてくれるん、ですか……?」

「おうよ! なんだ、自分で脱ぐ気になったか?」

「っ、リル!」


 耐えかねたようにアル=ラシードが叫ぶ。


「私のことはいい! 逃げろ!!」

「おーおー、麗しい姉弟愛ってか? 泣けるねぇ」


 茶化すように短剣を持つ男が言った瞬間、リルは薄布を男たちの頭上に向かって放り投げた。同時にアル=ラシードに向かって走る。


「焔!」


 予想外だったのだろうリルの行動に一瞬呆けた男たちの瞳に、恐怖が宿った。


「ひ、ひぃいいぃいい!!」

「火がぁ! 熱い!! 燃えるっ!!」

「俺の顔がぁっ!」


 薄布が触れた部分をばたばたと狂ったように叩く男たち。男の振り回す短剣がアル=ラシードに触れる前になんとか引き寄せることに成功したリルは、突然の展開に驚くアル=ラシードに向かって「いいから今のうちに」と囁いた。

 こそこそと男たちの視界に入らないように移動し、建物の陰に入ったところで走り出す。最大限に警戒しつつ、アル=ラシードを半ば引きずるようにして駆けることしばらく。

 もう大丈夫だろうと確信できるところまで来て、リルはやっと肩の力を抜いた。


「はー……うまくいってよかったぁ」

「お前……何を、したんだ?」


 まだどこか緊張気味のアル=ラシードに、リルは呼吸を整えてから答える。


「ちょっとした幻影を、焔につくってもらったの。焔を呼び出すには無理があったから、精霊石イースの中からね。精霊石イースの中からだと直接対象を狙えないから、布を媒介にしたんだけど」

「そんなことも、できるのか……」

「結構いちかばちかだったんだけど、うまくいってほんとに良かった。あの人たちがわたしを侮ってくれてたからなんとかなったけど、ちょっとでも反撃するんじゃないかって思われたら失敗してた可能性のほうが高いし」


 精霊イーサー精霊石イースの中から力を振るうのには限界がある。少しでも他に気を逸らされれば解けかねないほどの弱い幻影しか、すぐにつくることはできなかったのだ。


「だが……私のせいでお前が害されるのではないかと、気が気ではなかった。私がふがいないばかりに、危険な目にあわせてすまない」


 深く項垂れて、悄然と呟くアル=ラシードに、リルは心底慌てた。


「いや、わたしの方こそ、あの辺りの治安があんまりよくないの忘れてたし! 命の危険があったのは君なんだから、謝るのはわたしの方だよ!?」

「だが、実際私が居なければ、お前はあのような危険にさらされることはなかったはずだ」


 確かに後ろから襲い掛かってきた男たちをリルは避け、アル=ラシードは避けられず捕まったわけだが、それはファレンに最低限身につけるべきだと言われて教わった護身術の賜物だ。反射的に身体が動くようになるまでは結構な時間を費やしたし、アル=ラシードとは生きてきた年月も違う。

 それに、リルがアル=ラシードと同じくらいの年の頃は、短剣を突きつけられて暴れもせず泣きもせず冷静に居られた気がしない。恐怖を感じないはずはなかっただろうに、じっとしていただけでも充分だとリルは思う。


「いや、そればっかりは時の運っていうか、そういうのだと思うし。君が居てもいなくても、私はああいうのに絡まれたんじゃないかなって思うよ。自分で言うのもなんだけど、いいカモっぽいし」


 高そうな服に装飾具。箱入り娘がお忍びで来ました、と言わんばかりだ。不可抗力ではあるが、似たようなものかもしれない。


「しかし……」

「ああ、もう……じゃあ、両方とも悪かったってことで手を打たない? どっちも悪かったんだから、責任も半分。君だけが思い詰めることないんだってば」


 アル=ラシードは子供なのだから、大人に敵わなかったのも仕方がないと思うが、本人が気にしているのだ。口でどれだけ言ったって納得できないだろう。

 双方が悪い、ということにすれば少しは気も楽になるのではないか、と半ば強引に話をまとめようとしたリルは、俯いたままのアル=ラシードが何事かを呟いたのに気付かなかった。


「……お前にとって私はただの子供で、守るのが当然の存在なのかもしれないが、私だって一応男なんだぞ」


 ――守るどころか危険にさらしたうえ助けられる、なんて、格好悪すぎるだろう。

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