第14話 【禁智帯】の外




 目を覚ましたリルは、焔に担がれている自分を知覚して、次いで同じように反対側の肩に担がれるアル=ラシードに気付いた。


「目、覚めたか。姫さん」


 気配で気付いたのだろう焔が声を掛けてくる。ひとまず地面に降ろしてくれるようにリルが頼むと、焔は快くそれを了承した。


 安定した大地に足を下ろし、周囲を観察する。視界のどこにも砂丘はない。地面は草地で、空に輝くのは上弦の月。無事にアズィ・アシークから出ることができたのだと、周りの景色が雄弁に語る。確かめた自身の身体にも、不調も傷も認められない。


 それは歓迎すべきことであり、喜びこそすれ疑問を持つことはなかったのだが。


「……えーと、焔。運んでくれてありがとう。あと傷も完治させてくれてありがとう。――それで、アル=ラシードはなんで気絶してるの?」


 無理やりに魔術に干渉したことによる体調不良は綺麗に無くなっている。『発現因子』の豊富さだけならば並みの魔術師や魔法士を超えるとシーズに言われたリルだ。回復の早さも折紙つきである。

 しかし、危険な目に遭わないように――そしてようにと先に行かせたアル=ラシードが意識を失っているのはどういうことだろう。

 あの区域に現れる『六葉』は『シルメイア』だけのはずだし、アズィ・アシーク内に他に異変はなかったはずだ。もちろん転んだりぶつかったりして意識を失うようなものもない――とザードには聞いていたのだが。


 リルの問いに、焔は「さぁ?」と軽い調子で首を傾げた。


「俺もよくわかんねぇんだよな。姫さん担いでアル=ラシード追いかけたら、アズィ・アシーク出た辺りで倒れてて。一応診てみたけど、特に外傷もないし。状況からしてアズィ・アシークから出たせいっぽいかなーとは思うんだけど」

「アズィ・アシークから出たせい?」

「倒れてた場所と残ってた痕跡からの推測だけど。アズィ・アシークから出たとこで一回倒れてる――っつーか膝着いたっぽいんだよな、アル=ラシード。で、そこから足引きずるみたいにふらふら歩いて、ちょっと行ったとこで本格的に倒れた感じの跡が残ってた」


 焔の言葉にリルは考え込む。状況は分かっても、アル=ラシードが倒れた原因はそれからはさっぱりわからない。そんなリルに、焔は続けて言った。


「で、これも多分なんだけど。もしかして『魔力酔い』じゃね?」

「……『魔力酔い』って、あの『魔力酔い』だよね?」

「姫さんも何回かなったろ。まぁ、姫さんのは普通の『魔力酔い』とは違うけどさ」


 『魔力酔い』とは、一般的に『外的魔力』の濃度の差異によって起こるものだ。『魔力酔い』を起こすほど濃度の差がある土地はそうそうないが、例えば大規模な魔法や魔術を使うための下準備の段階で、人工的にそれが作られることはある。

 他の場所からそこへ足を踏み入れることで、通常よりも濃い『外的魔力』に、あたかも酒に酔うように酩酊するのだ。


 【禁智帯】であるアズィ・アシークには『外的魔力』が無い。そこから『魔法大国』シャラ・シャハルのような『外的魔力』の密度が濃い土地に出れば、その落差は『魔力酔い』を起こすに十分ではある。

 しかし、『魔法大国』シャラ・シャハルで育ったアル=ラシードのような者にとっては、『外的魔力』はなくてはならないものであり、今更酔うようなことはないはずだ。アズィ・アシークに入った時点で、『外的魔力』が全く無いという異常な環境――あくまで当人にとってだが――によって、『魔力酔い』の逆の現象が起こることは考えられるが。

 だが、目を覚ましてからのアル=ラシードにはその様子が見られなかった。だからリルも、『外的魔力』の差による影響について思い至らなかった。

 そこまで考えて、リルは一つの仮説を思いつく。


「……もしかして、『加護』のせい?」

「ん?」

「アル=ラシードは、【加護印シャーン】が自分を護るって言ってたよね。その『加護』によって、アル=ラシードの身体が【禁智帯】の環境に慣らされた状態だったってことはない?」


 アル=ラシードの身体が【禁智帯】の『外的魔力』が無い環境へと、【加護印シャーン】によって強制的に適応させられていたのなら、アズィ・アシークを出た途端に本来の意味での『魔力酔い』を起こすことは十分考えられる。……何故そこでは『加護』が現れなかったのかは謎だが。


「あー……言われてみりゃ、そうかもな。シャラ・シャハル王家の人間が、アズィ・アシークでああやって普通に活動できてたのが不思議なんだし。いくら昔より魔力の強さの平均が変わってるからって言っても、魔力血統に連なる奴が平然としてるはずないよな。……『魔力がない』――『内的魔力』が発現してないならともかく」

「アル=ラシードの話だと、そういう人も今は居ないみたいだし。そもそもアル=ラシードは『加護』があるからか、結構魔力強いよね?」

「逆じゃね? 『加護』が現れるのって魔力が飛び抜けて強い奴っぽいし」


 何気なく焔が言った内容に、リルは「え?」と目を瞬いた。


「アル=ラシードって、魔力強いの? ……えっと、シャラ・シャハル王家の人間だし、強いは強いんだろうけど、そんな感じしないよ?」

「そりゃそうだろ。『加護』――っつーか【加護印シャーン】か。そっちに魔力の大半が流れてる。多分人間に感知できる魔力自体はそんな多くないな」


 精霊イーサーが魔力に関することを読み違えることは無い。その精霊イーサーである焔の見立てが間違っているともリルは思わない。

 けれど、【加護印シャーン】に魔力が流れ込み、それによってアル=ラシードの魔力の大半が外に感知できないということは。


「――【加護印シャーン】って、魔術とか魔法だったの?」


 精霊の加護が顕れたものだという言い伝えは、間違いだったのだろうか。

 そう思ってのリルの言葉に、焔は軽く首を振って否定した。


「んにゃ? 似てるけど違うな、これ。むしろ精霊イーサーが使うのに近い。あえて言うなら、『祈り』とか『願い』だな。子孫が幸せに生きられますように、ってか」

「……それは、初代の?」

「初代の親だろ。あと、もうちょい弱いのが重ね掛けしてる感じ? これが初代に宿ってた方かもな。精霊イーサーが力揮うのって考えるだけでいいからなー。それと同じで、呪いになる勢いで願ったから、本体がいなくなっても続いてる。迫害を受けないようにってのもあったんだろ。――多分、【加護印シャーン】持ちは先祖返りだ。飛び抜けた魔力は本人も周りも不幸にする。目に見えて違いがある方が、感覚で異端って分かるよりいいと思ったのかね?」


 正直どっちもどっちじゃないかと思うけどな、と締めくくって、焔はアル=ラシードを抱えなおす。肩に担いでいたのを後ろに背負う形に。


「まー、こうやって話しててもアル=ラシードが目ェ覚まさないなら答え合わせのしようがないし、っつーか本人だって多分わかんねぇだろうし。姫さんがどーしても気になるってんならアル=ラシードが目ェ覚ましてから色々聞きゃいいだろ。とりあえずとっとと国境まで行こうぜ?」


 そう言われればそうだ。そもそもリル程度の知識と能力では、『魔力酔い』か否かすら満足に判別できないだろう。目を覚ましたアル=ラシードの身体に不調やそれ以外の異変が残らないことを祈るくらいしか、今はできない。


 気持ちを切り替えて、リルは焔の隣に並んで歩き出す。格段に歩きやすくなった地面に、進むペースも早まっている。これなら夜が明ける前に国境まで辿り着けるだろう、と思って、それ以降の行動についてもぼんやり考えてみる。


(とりあえず、アル=ラシードには国境に着くちょっと前には目を覚ましてもらわないと困るな……ずっと焔を実体化させておくのはまずいし)


 残存する魔力量については心配していないが、それ以外の問題がある。

 いつ目が覚めるだろう、と固く目を閉じるアル=ラシードの顔を眺めて、リルは僅かに眉根を寄せた。……それに目敏く気付いた焔に乱暴に頭を撫でられて、それはすぐに消え去ったが。

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