対話~案内~ あだ名付けばあさんシリーズ
ここに定期的に通い始めて長い彼女はその日、表情に不安が見て取れた。椅子に腰かけてもそのままなので、私は問いかけてみた。そういう仕事を、私はしている。
「何かありましたか?」
「あの……何と言えばいいか……」
「思った事を話してみて下さい。ゆっくりで大丈夫ですから」
「実は最近、変な夢を見るんです。それが、とてもしんどくて」
「ふむ……それは、あなたが現在の病気になった頃の夢とは……」
「違う夢です」
「違う夢……内容をお伺いしても?」
「あ、はい。
夢の中で天然パーマの男性が出て来るんです。中肉中背で、顔はこれといった特徴がなくて……あえて言うなら、三人似た様な様子の人を並べると見分けが付かなくなる最近の学生みたいな顔でした」
彼女が好印象をその男性には抱けない事が、医療関係者ではなくても、この言い回しから何となく読み取れるはずだ。
「そのくせ、腕だけは何かのコスチュームみたいなビニール風の材質で覆われていて、それが真っ赤なんです。
で、その男の人なんですけれど、そういう外見なのに、キーの高い女性の声で話すんですよ。真顔のまま吐き出されるそれが恐ろしくて、私は悲鳴を上げるんですけれど、何故か場面が変わって、洋画の下水道みたいな、それでいて明かりも壊れていてほとんどない所を、私が道を知らないのに案内する羽目になるんです。
周りに人らしい何かが歩いているんですが、これも海外の巡礼の人達みたいに、白い布を頭から被って何かを呟いているんです。意味は分かるんですが、言葉には表せません。
ありますよね、そういう不思議な状態なのに、夢の中ではそうだと思わずに行動してしまう事って」
「夢ではよくありますね」
私は穏やかに頷きながら、そう告げた。相手が急かされていると思わない様に、先は促さない。
「それで、どうにか目的地らしい暗がりまで、その男の人を案内出来たみたいで、甲高い声で挨拶をすると、彼はいなくなります。
そこから、私はその明かりもろくにない下水道の端っこの道を、顔の見えない他の人達とすれ違いながら、どこかへ帰らなければならなくなって、途方に暮れながら歩いていると、目が覚めます」
「目が覚めた時にはどういう状態になっていますか?」
「ぐったりしています。もう一度寝ようにも、恐ろしくて思う様にいかず、仕方なく起きるんですけれど、大体は後で寝落ちしてしまいます。
ご飯を食べても、あまり気分転換にならないです」
「ふむ……
「お願い出来ますか?」
「いいですよ。それで少し、様子を見ましょう。
何かまた変わった事があったら、すぐにお電話を下さい。昼間なら出られます」
その後、二言三言、言葉を交わし、今回の彼女の診察は終わった。
数日後、彼女は住まいの近隣の、その辺りで一番高い建物の屋上へ忍び込み、飛び降りて死んだ。警察から、彼女のかかりつけの医師という事で事情聴取を受けたが、話の途中で聞いた近隣住民の証言によれば、彼女は飛び降りる直前にも
『あたしに頼まなくてもいいじゃない!』
と叫んだのだという。
私は刑事に、診察の時にも妙な夢に悩まされていると話していた事、とても疲れている様子だった事を打ち明けた。
私にはアリバイがあったので、
『また何かご質問をさせて頂く事があるかもしれませんが』
と、お決まりの挨拶をされ、帰る事が出来た。
それから何日後だろうか。私の見る夢も、彼女の説明の通りの内容のものが突然増加した。なるほど、パッとしないのにイケメン扱いされる、三人似た様なのを並べたら判別するのに困難を極めるであろう面構えの、甲高い声の男の道案内を買って出て、暗い下水道を歩く羽目になる。
伝わりにくいかもしれないが、男の声を聞くだけで、その場に居合わせるだけで、とても恐ろしい状況だった。
そして、往来する人々は確かに彼女が言っていた様に、頭のてっぺんから布を被り、それだけでも顔は全く伺えない。
……もしや、彼女を悩ませていたのも、この男なのだろうか。とにかくここにいる誰も彼もが大変に恐ろしい。
怖い……怖い!
怖い、怖い、怖い、怖い、怖い、こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい―
「……ってやかましいんじゃワシがこわい言うとるやろやめたらンかおどれコルルルルゥア!?」
あまりにも追い詰められたものだから、私は逆上し、男に殴りかかった。
距離を詰めての腹部へのワンツーからアッパーカットをその忌々しいにも程がある顎へ叩き込み、下水道へ転げ落とした。
「な、何をするんですかぁ! あぶっ、あぶう!! だずげでぐ、」
溺れて声を上げる男の頭を、私は冷酷に踏みつけた。浮上しようとする男は水をかくばかりなのも幸いし、胸の空く様な素晴らしい光景が展開した。
「人んこつバカぬすよるからそんなならはるんじゃ舐めとンのも大概にせえよワレおんどれボケが溺れくされやど外道コルルルルゥア!?」
どこで体得したのかも定かではない謎の関西訛りが飛び出す。痛快だ。
そうだ、くたばれ、苦しみ抜いて朽ち果てろ! こちとら学生時代から必死こいて勉強して、やっとこさ実家に仕送り出来る様になったのだ、そんな私の必死な人生に水を差したりする様な奴はみんな地獄に落ちてしまえばいいのだ。
まあ何か具体的に嫌な事をされたかというと全く思い出せないが、いやはや、全く以て、実にいい気味だ!
やがて男は
「ママァ……」
と最後に呟き、ぷかりと浮いたのだった。
そこに至って私は、とんでもない事をしでかした事に気付いた。
何という事だ、ただの声が異常に耳障りで謎の恐怖を煽る青年だっただけなのに、殺害してしまった。そういう思いと、自分の心の闇が露呈してしまった事が誰かにバレてしまわないかという恐怖に襲われたのだ。
慌てて身を屈め、彼を引き上げようと手を伸ばした所で目が覚めた。
何と恐ろしい夢だろう。汗だくで目を醒ました私は、陰鬱な気分でその日、仕事へと向かった。
ところが、夢だからなのか、男はまた次の時にも平然と姿を現し、私に道案内をさせた。
これから断続的に悪夢というナイフで私の正気を削り取り、私を苦しめるのだろうか。
そして、やがては彼女の様に―
私は実家の祖母に電話をかけ、その事を話した。
電話の向こうからゲームの音が聞こえて来る。多分、最新機種で遊んでいるのだろう。最近は珍しくない、PCや携帯などにも詳しい老人なのだ。ボケ防止にはいいだろうと思う。
さておき、祖母は一通り私の話を聞いて、こう言った。
「まーんずまんず、そりゃあ『オールド蝶番さん』だもい。声がキンキン声ならまんず間違いねぇ。
おめえの患者さんや、おめえに昔関係があった誰かが、誰かを追い詰めてぇつう気持ちが、今も残っていると、そういう風になって、おめぇ達にとっつくのよ。で、そういう悪さするっちゅうこっちゃなあ。
それぬすても、弱ってる人を死なせるたぁ……患者さんはあわれなこっちゃもい」
「わっす、どすればいいのさ、ばさま!」
私もつい地元訛りで訊ねる。
「だーれ(どれどれ)、今度そういう事が起こったらばさ、結び目だらけの長い縄さイメーヅ(イメージ)すんのよ。そすて、その片っぽをその男の向こう側に結び付ける。これもまたイメーヅだ。そんで男にまたがらせ、ゆっくり一歩ずつ歩かせるんだ。
そうすっと男は、結び目がまたぐらに当たる時の性的快感から、なまら気恥ずかしぐなるはずなのさー。
そこでおめぇが
『あんだも好ぎねぇ、ヒヒッ』
って、加〇茶そっくりに繰り返し呟いてやればいいっさ。言葉に出さねえでも、心の中で唱えればいいっさ。あ、でも心持つは加〇茶でなければなんねぇよ?
すっと、相手は、その気恥ずかしさで自滅するにちげえねえがら。やっでみで」
何故ド〇フネタなんだ、と思ったが、古今東西の目を見張る様な怪奇現象や珍しい出来事にも造詣が深い祖母の事だ、これにも守らざるを得ない重要な役割があるに相違ない。
故に私はあえて理由は問わなかった。実践あるのみだ。
「……あんがとう、ばさま! おら、試してみっど!!」
私は祖母に言われた通り、その方法を試してみた。
繰り返している内に、果たして奴は消え、出て来る事はなくなった。
しばらくして、同級生が亡くなったという知らせが入った。
学生時代、私が消しゴムを新調する度に借りたがり、消しゴムを使う際の醍醐味である角を全て使って返して来るという鬼畜野郎であった。どうも聞いた所では、それから女を泣かせまくりの遊び人になった挙句、性病にかかり、それが元で、脳をやられて亡くなったらしい。
私の方に出て来た『オールド蝶番さん』はもしかしたら、こいつだったのかもしれない。
「女泣かせの遊び人だったのか……狂っている……」
私は自分の部屋で、誰に言うともなく、そう呟き、身を震わせた。
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