第22話 災害との闘い

 空間を揺るがす大咆哮。

 ただの叫び一つで、屋敷全体が揺れ、壁にひび割れが走る程の衝撃を生み出す。

 人が住むには丈夫な建物でも、眼前の怪物にとっては子供の作った土の城と変わらずか。

 これほどの存在相手にどう戦うか。

 ヴィーダは油断なく身構えながら、巨大な悪魔を注視していたが、気が付いた時には視界を赤い壁が埋め尽くし迫っていた。


「――――」


 轟音。

 ヴィーダを襲った赤い拳は、一瞬にして屋敷を半壊させた。

 砂埃が空間を埋め尽くし、建物が崩れる音が鳴りやまない。

 ただの一撃で屋敷の見る影もない。二撃目で崩壊は必至か。


「――死ぬかと思った」

「ええ、本当に。ああ、こんな感覚いつぶりかしらっ」


 扉や壁を斬り、どうにか後退して難を逃れた二人だが、死に掛けたとは思えない緊張感のないやり取り。

 焦れば死を招くことを理解しているからこその平常心だが、ファインはただ楽しんでいるようにしか見えない。平常心、焦燥感などとはかけ離れた狂人に常識を求めることこそ異常か。


『――――――――ッ!!』


 余裕など与えぬとばかりに、咆哮を上げながら赤い悪魔が突撃し、攻撃を仕掛けてくる。

 巨体とは思えぬ俊敏さに、拳の速さ。しかも、迫る拳の質量は竜の肉体にも迫るか。


「っ。拳を振るうだけでこっちの動きを阻害してくるとは、厄介だな」


 己の身体よりも大きな拳をどうにか躱すが、地面に叩きつけられた拳は地を揺らし、立つことにすら神経を擦り減らされる。

 ただ一歩踏み出すだけで屋敷が砕け、飛び散り、煙や破片となって視界を奪い、彼らの行く手を妨げる。

 これはどうにもならないな。

 ヴィーダは早々に屋敷での戦闘を諦め、ファインに声を掛ける。


「一先ず屋敷を出る。これじゃあまともに戦えない」

「ああ、素晴らしいわ! これが悪魔! 御伽噺や英雄譚でしか語られてこなかった空想が生んだとされていた生物! けれど、ここに確かに存在している! 悪魔は実在していた! あぁ…………やはりこの世には私の知りえない未知が無数に存在するのね」

「一人でキメてるんじゃねー。俺は、お前のような狂った女と共に死ぬなんぞごめんだからな」

「ふふ。それもまた。悪魔に挑んだ男女が心中なんて、素敵だと思わない?」

「思わないし、お前に愛情なんて欠片もない」

「あら、つれないわね」


 素っ気なく返しつつ、ヴィーダは壁を斬り抜き道を作る。人が通れる程度の穴を通り抜け、その後をファインが追う。

 斬り抜いた壁の向こう側の部屋を抜け、外壁をも斬り裂き屋敷の外へ飛び出す。

 揃って地面に着地した瞬間、屋敷が爆発したかのように弾け飛ぶ。


『――――――――――――――――――――――――――――ッ!!!!』


 逃さぬとばかりに大きく蝙蝠の翼を広げた悪魔が屋敷を飛び出し、地上へと踏み出す。廃墟と化した屋敷を背に、悪魔はヴィーダ達へと飛び掛かる。


『――――ッ!!!!』


 地に叩きつけられる拳は円形の窪みを生み出し、地形すら変えていく。

 妖しく光り輝く緑の瞳を動かし、獲物たるヴィーダとファインを捉え、離さない。

 戦場は街へと移り、地形をも変える戦いが始まる。



 ――


 屋敷の中は不利と悟り、街へ出たまではいいが、有利になったわけではない。

 嵐の如く苛烈に攻め立ててくる怪物を相手に、攻撃を避けることしか叶わないまま、街並みばかりが瓦礫へと変化していく。

 どういう結末であれ、戦いが終わった後には、かつて人の街があった場所となっているだろう。

 ヴィーダは残る建造物を足場とし、飛び回って悪魔の執拗な攻撃を避け続ける。


「ふうっ……」


 どうにかして攻撃に転じたいが、巨体とは思えぬ反応速度に空中で斬りかかることは躊躇われる。下手をすれば、その時点で終わりだ。

 だが、見上げねばならない程の巨体を飛ばずに斬れはしない。

 新たな足場となる建物に着地し、方針を固める。


「足から削るか」


 二刀を構えて斬りかかろうとしたが、甲高い笑い声によって静止する。

 声のした方向へ目を向け、思わず半眼になってしまう。

 この状況でよくもまあ、楽しんでいられる。

 暴力の嵐の只中で歓喜に打ち震える狂人は、悪魔から距離を置き飛び上がると、次々と剣を生成しては投げ打っていく。


「あはははははははははははっ!」


 街一帯に響く程の笑い声。

 気でも触れたかと疑うが、投擲の精密さに狂いはない。速く、鋭く。的確に降り注ぐ鉄の雨は、悪鬼の背へ向け空を走る。

 入ったか?

 しかし、どう察したのかは不明だが、悪魔は瞬時に反転すると、迫る剣に向かって咆哮を上げた。


『――――――――――――――――――――――――――――――ッッッ!!!!!!』


 ただの咆哮一つで、降り注ぐ剣は瞬く間に弾き飛ばされ、地に落ちて消えていく。

 これには、ヴィーダも目を見開いた。

 咆哮のみで剣を防いだことも驚きだが、なによりもその反応速度に驚かされる。いくらファインが馬鹿みたいに声を上げていたとはいえ、見えてもいなかった攻撃を防ぐなぞ、巨大生物のすることではない。それこそ、竜のように強固な鱗で弾くならまだしも、自らの意志で防いでみせるなど、常軌を逸している。


「つくづく、とんでもない怪物と戦っていると実感させられる」


 瞳を細め、警戒を強める。だが、ヴィーダとは対照的に、攻撃を防がれたファインは、驚愕を露わにするも、直後には破顔した。


「ふふふふふ。ふふ、あは。あ――ははははははははははははっ!? とんでもないわね!? まさか、叫んだだけで私の剣を防ぐとは思いもしなかったわ! 流石、怪物。流石、悪魔。生きる災害と残されるだけはあるということね!?」


 自身の攻撃が防がれたというのに喜色満面。あれが国最強の一角だというのだから、この国は終わっている。

 攻撃か。それとも戦闘中に高笑いを上げる奇行のせいか。悪魔の意識がファインに移ったのを見て取り、一気に踏み出す。

 屋根から壁へ。壁から地面へ。一瞬のうちに駆け抜け、狙うは大樹の如き足。放たれた矢のように、一切速度を落とさないまま斬り付ける。


「っ!!」


 だが、鉄でも斬り付けたかのような手応えに眉をひそめる。

 刃のほとんどが通らず、かすり傷程度しか与えられていない。


「くそが。硬過ぎだっ」

『――――――ッ!!』

「面倒なっ」


 怒れる悪魔の蹴りから逃れ、距離を取る。


「な・ん・だ・あ・れ。ふざけるなよ。明らかに肉を斬った感触じゃなかったぞ? 魔法を使ってこないのは救いだが、厄介極まりない」


 苛立ちのままに悪態を付いていると、ヴィーダの隣にファインが音も立てずに着地する。

 彼女は面白いモノを見付けた子供のようにはしゃぎ、新たな発見に表情を輝かせていた。


「ふふふふっ。いえいえ、それだけではないみたいよ? ほら。貴方が斬った足、もう治ってるわよ?」

「は?」

『―――――ッ!!』


 凶悪な一撃を躱し、走りながら自身が攻撃した悪魔の足を見てみると、確かに傷がなくなっていた。

 回復魔法……ではないか。再生能力かなにかか?

 与えた傷も小さかったため、確証はないが、大きくかけ離れてはいないように感じる。

 だが、そうなると益々もって厄介極まりない。

 ヴィーダよりも力が強く、硬く、巨大で、再生能力も高いというのは、斬り合いを望む剣士からすれば最悪の相手だ。小回りと速さが勝る分、どうにか攻撃を受けていないが、ジリ貧には変わりない。

 ここまで不利ならば、撤退も視野に入れなければならないが――。

 燈凛達が避難した方向へ一瞬視線を向け、柄に力を込める。


 斬れなかったわけじゃない。傷は付けた。一度目は敵の硬さを知らなかっただけ。次は相手の硬さも考慮に入れて斬ればいいだけのことだ。再生能力もどの程度か把握していない。頭さえ飛ばせば回復なんてしないで死ぬかもしれん。


 息を整え、神経を研ぎ澄ます。

 今度は正面から、踏み込む。逃げるには、まだ早い。


『――――――――――――ッ!!!!』


 木造の建物をいともたやすく噴き飛ばす強大な拳を飛んで躱す。振り下ろされた巨腕を足場にし、目指すは首。

 刀を閃かせ、一刀。肉を斬った確かな手応えと、悪魔の首から噴き出す黒い魔力が、相手に確かな傷を与えたことを伝えてくれる。

 このまま、首を落とす。

 悪魔の肩に足を置き、追撃を行おうとしたが、ヴィーダを捉えようとする赤い手に気付き、飛び降りる。

 どうだ、と斬った首を見て舌打ち。

 斬り口は見る見るうちに塞がり、何事もなかったかのようになくなった。

 残ったのは、自身を斬り付けた人間への怒りのみ。全くもって度し難い。

 ヴィーダが苦戦していると、黒衣を纏う狂気の騎士が戦列に加わる。


「ふふ。では、私の番ね」


 先程の繰り返しのように、無数に放たれる剣の数々。


『――――――ッ!』


 悪魔は巨腕を振るい叩き落すが、前回と違い今度は止むことのない剣の雨。


「さて、これはどうかしら?」


 悪魔も全てを吹き飛ばすことはできず、取り零した刃が身体に当たる。しかし、悪魔の身体は人などとは比べられない程に硬く、その硬質な肉体に弾かれていく。

 自身の攻撃が無意味だと悟ると、ファインの笑みは益々もって深くなる。


「ふひっ。あはははははっ! ああ、いいわねぇ、楽しいわねぇ……! この緊張感が堪らないわぁっ!!」

『――――――――――――ッ!!!!』


 脅威足りえぬと判断したのか、悪魔が一歩踏み出した瞬間、先程までのことが嘘のように、平然と悪魔の身体に突き刺さっていく無数の剣。


『――――――――――ッ!!!?』


 驚愕したかのように悪魔の足が止まる。

 形を成した災害とまでうたわれる悪魔の人染みた反応に、ファインはクスリと笑みを零し、新たに生成した剣を構えた。


「ふふ。悪魔でも驚くのね。初めて知ったわ」


 淡い光に似た魔力を帯びる剣を流れるように投擲する。

 ファインの生成した剣を目にしたヴィーダは、何故悪魔の攻撃が通ったのかを悟る。

 刺さらなかった剣と、刺さった剣。その違いは生成した剣の違いによるのだろう。

 悪魔の肉体に傷を付けた剣は、恐らく魔剣と呼ばれる類のものだ。

 術者が魔力を込めて使用する魔導具とは違い、武器そのものが魔力を放ち、強大な力を行使できる。剣士ならば誰もが欲する超一級の武器。確かに、魔剣ならば悪魔の肉体に傷を負わせても不思議ではない。だが、魔剣を生成する魔力の量は、通常の剣とは比較にならないはず。例え、僅かな間の再現だとしてもだ。しかも、それを次から次へと投擲して投げ捨てている。


「ほっとくと魔力が尽きて使い物にならなくなりそうだ」


 迫る魔剣ごとファインを叩き潰そうとする悪魔の背へ斬りかかり、十字傷を付ける。反射的に振るわれる悪魔の巨腕を避け、再度斬りかかる。

 だがやはり、どれだけ斬ったところで悪魔の肉体は直ぐに完璧な状態へと回復する。

 斬り付け、下げる。ただそれだけの繰り返し。


「攻撃こそ当たるようになったが、これじゃあ意味がない」


 なにより、ヴィーダ達の動きに対処しようとする行動が見られるのが恐ろしい。

 戦っていて分かったが、この悪魔は明らかに考えて行動をしている。本能的に人を襲っていた小型の悪魔とは明らかに違う。

 自身に傷を付けたヴィーダとファインを脅威とみなしているのか、両者を警戒し、動きを伺っている。

 知恵を持った獣は恐ろしいというが、では、考える力を持った悪魔というのはどれほどまでに凶悪なのか。

 この悪魔にどの程度の自意識があるかは不明だが、長引かせて学習なぞされたら勝ち目はない。


「体力無尽蔵の悪魔に長期戦なんて自殺でしかないが……」


 他にどうすることもできはしない。


「他人に命運を委ねたくはないが、仕方がない」


 出口のない迷宮に放り込まれたかのように、ヴィーダは終わりの見えない戦いへと挑む。

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