日ノ本を奔る言霊使い

逆立ちパスタ

第1話 巣鴨少年は東響に来た。

 日ノ本の巨大都市、東響。蒸気機関が発達し、様々な動力を蒸気で賄う眠らない街は、今日も喧騒で溢れかえっている。そんな中、小さな旅行鞄を抱えた一人の少年が東響駅に降り立っていた。


少年の名は巣鴨哉太(すがもかなた)。実家を追い出され、新しい就職先を探すため上響してきた十八歳だ。毛先の不揃いな髪の毛を揺らしながらため息を吐く少年は、面接の日取りが書かれた手紙を広げて頭を抱えていた。




人は、生まれた時に一つだけ「言霊」を得る。言霊とは、言葉を具現化できる奇跡の力。一人一人に神から与えられた超常の力だ。善行に使うも、悪用するもその人間次第。


誰しもが言霊を持つ世界で、少年巣鴨の物語は始まろうとしていた。






巣鴨は迷っていた。初めて一人で訪れた東響駅はあまりに広く、そして複雑だ。以前住んでいた田舎は路線が一つしかないうえに、時刻表を暗記できるほど本数が少なかった。そのため、彼はまず目的の出口を探すことから始めなければならなかったのだ。


 辺りを見渡しても、歩いていく人々はみな急ぎ足で自分の行先しか見ていない。肩がぶつかっても舌打ちをされるだけで、東響の人は冷たいんだなぁと思うしかなかった。


「困ったな。どこが出口なんだ」


 そう独り言を呟いても応えてくれる人はいない。駅員を探そうとするが、人の波は絶えることが無くあっという間に小柄な身体は目的の方向とは逆に流されてしまった。


「で、ここはどこだ」


 知らない出口にたどり着き、また改札の中に戻るわけにもいかない巣鴨は立ち尽くしていた。手紙に書いてある時間は刻一刻と迫っている。このまま突っ立っているわけにもいかないと、巣鴨はとにかく歩くことにした。


 初めて見る東響は、どこもかしこも煌びやかで眩しい。赤銅色の配管を通る蒸気の音も、聞きなじみがない巣鴨にとっては西洋の御伽噺に出てくる不思議な歌のようだ。


「はー……東響、思ったよりすごいところなんだなぁ」


 店の軒先に飾られた様々な商品を眺めながら感嘆の声をあげる巣鴨少年は何と幸運な事か、目的の建物を遠目から見つけることに成功した。目測にして約八百メートル。


「あ、あった。あれかぁ」


 そう呟きながら、外套の胸元から懐中時計を取り出す。文字盤を見て、巣鴨はぎょっと目を見張った。


 面接開始まで、あと三分だ。


「走らなきゃダメかな……」


 やれやれ、と頭を振りながら時計を元あった場所にしまい込み、巣鴨が鞄をしっかりと肩に掛けなおす。


「よし。『奔る』ぞ」


 突風が吹く。通行人は一度だけ通りを吹き抜けた強風に目を閉じた。今のは何だったのか、と首を傾げたが原因の分からない彼らはまた各々の生活に戻っていく。

 その通りに面した喫茶店で一服していた女性が、吹き抜けた突風を見てくすくすと笑った。


「まぁ。なんて速い子なのかしら」


 そんな女性の事など知らず、巣鴨は一瞬で通りを駆け抜ける。巣鴨哉太、生まれ持った言霊は己の走る速さを極限まで高める『奔れ』。





「ま、間に合った!」


 建物の入り口の前で、巣鴨が達成感に満ちた声を上げた。建物を発見してから到着までおよそ十秒だ。これで遅刻せずに済むぞ、と喜びを露わに意気揚々と入る。いや、彼は入ろうとした。


 途端、あたりに響き渡ったのは爆発音、人々の悲鳴、怒号、その他諸々だ。爆発は巣鴨の真上、今まさに面接を受けようとしていた建物の一室で起きたらしい。


「え? え?」


 真っ白になった頭は落下してくる瓦礫を認識しているものの、身体に「逃げろ」と伝達するのを忘れている。身の回りの時間が急に歩みを遅くしたような感覚に襲われながら、巣鴨はただ自分に落ちる瓦礫の塊を見るしかない。


 あぁ、せっかく東響に来たのに俺、死ぬんだろうか。遠いところで誰かの悲鳴が聞こえた気がして、巣鴨はぎゅっと目をつぶった。


「『止まれ』!」


 爆音が溢れる街中で妙に凛と通る声だ。目を閉じて待てども、来ると思っていた痛みと衝撃に襲われる事は無い。恐る恐る目を開けると、まるで写真に写った風景のように瓦礫だけが静止した光景が広がっている。そして巣鴨の前には、赤茶のネクタイを揺らす青年が立っていた。巣鴨と目があった青年は、その端整な顔に笑みを浮かべて手を差し伸べるとこう言った。


「君、もしかしてここの建物で面接予定だった子?」

「あ、はい。巣鴨哉太って言います」

「巣鴨くんね。分かった」


 うんうん、と人当たりのよさそうな顔で頷くと、青年はすこし離れた場所で警察と何か話している少女に声をかけた。


「大崎さーん。ちょっとこっちー」


 青年に気が付いた少女は、警察にお辞儀をしてから巣鴨たちに駆け寄ってくる。折り目がきっちり付いた短めのスカートを履いた少女だ。少し垂れた目が優し気な印象を作っている。


「何ですか、駒込さん」


 聞こえる声は、可愛らしい外見の割にかなり低い。目を瞬かせる巣鴨を気にも留めず、大崎と呼ばれた少女は駒込というらしい男だけ見ている。


「この子、巣鴨くん。今日ここで面接予定だった子だって」

「はぁ。不運ですね、まさか今日だなんて」


 肩をすくめて言う大崎は、今度は巣鴨に向き合う。田舎ではあまり異性と触れ合うことが無かった巣鴨は、急な接近にどぎまぎしてしまう。


「巣鴨さん、って言うんですね。私、大崎って言います」

「ご、ご丁寧にどうも」

「手を貸してください」


 大崎が、巣鴨に手を伸ばす。何だこの急展開は! と巣鴨は顔を赤く染めた。


「早く。手」

「あ、はい」


 急かされた巣鴨が慌てて大崎の手を握る。次の瞬間。


「『縛れ』」

「は⁉」


 大崎の言霊が発動し、巣鴨の両手首を淡い青に光る鎖が拘束した。


「反政府組織「瑪瑙のカケラ」の関係者として拘束させてもらいます。憲兵隊の詰所までご同行ください」

「は、はぁ?」


 驚愕のあまり叫ぶが、大崎は気にせず青く発光する鎖を握って「早くしてください」なんてうそぶく。


「あの、待ってください! 俺そんな反政府とか知らないです! ただ、ここに仕事探しに来ただけで!」

「あのね、巣鴨くん。君が面接に来たその会社ってのが「瑪瑙のカケラ」が表向きに経営してる会社なんだよ」


 巣鴨には、目の前の青年と少女が言っていることがさっぱり理解できなかった。唯一分かるのは、自分が何かおかしなことに巻き込まれたという事実だけだ。




「ど、どういうことだよー!」


 渾身の叫び声は、ただ東響の空を漂う蒸気に吸い込まれて消えた。

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