第16話 見惚れた

「そうだ、作ったらフランにあげるわ。きっとおいしいんだから!」

「……期待しないで待ってるわ」

「むー、言ったじゃない。フランが首から下げている鶴だってわたしが作ったのよって。……うーん、そうね。今日は雨が降ってるから雨と傘がいいかしら。それだけじゃ寂しいから、お花とリボンも付け加えて……フラン、傘の色なんだけど、フランはなに色が好き?」

「……青」

「青! いいわねぇ、わたしも青色大好きよ!」


 同意を示すかのように深く頷いて後ろを振り向きご機嫌な様子で一番奥の棚、青の切絵用の紙が入っているそこを一番上から人差し指で切絵用の紙が貼ってある部分をなぞる。とはいっても、一番上は身長の関係で届かないため目で追っていただけだが。手が届くようになったところからすすーっと指でなぞって上から32段目、下から13段目のところで手を止める。

 取っ手をひいて下の方からベビーブルーの厚めの切絵紙を取り出すと、それをフランに見せるため頭の上に掲げる。けして手が大きいとは言えないフランの手にのるほどに小さな正方形のそれにこれでいいかと問いかけているらしいと悟ったフランは、すぐに頷くのもしゃくだが何枚も同じように確認されると面倒だという考えだけで頷いた。フランからのサインに明るい笑顔を見せると、アンルティーファはそれをもって作業台へとやってきた。

 しかし悲しいかな、作業台の高さはアンルティーファには高かった。アンルティーファはそれを当然のような顔で受け入れると、腕を伸ばして作業台の上に切絵紙を置き奥にあった台をもってきてその上に立った。この作業台は元々ルチアーナに合わせて作られたものだから、身長が足りないのは仕方のないことである。

 それはともかく。階段式の、けれど安全性の高い一段が幅広に作られているそれにのり。手元にカンテラを引き寄せて、アンルティーファはデザインナイフのうちの1本を握ったのだった。


 正直。正直に言って、フランはあのオリヅルとやらを目の前の幼い少女が作ったとは思っていなかった。いや、作ることができるとは思わなかったのだ。作るとしても、折るという工程だけで、あの薔薇を描いたのは色づけしたのは母親だろうとすら思っていた。だってそれほどまでに緻密で繊細で、華奢で美しいものだったから。だから。

 吐息が紙に触れるほど顔を近づけて、まるで切るべき線が見えているかのようにするするとデザインナイフを操るアンルティーファの魔法のような手つきに。驚いて目を見開いた。話しかけることすら許されない……いや、意味をなさないだろう。あの集中力の前には。それほどまでに張り詰めた空気と、一分の間違いも許されないという緊迫感。10歳の少女が醸し出すにしてはいささか圧迫的すぎるそれを受けながら、フランは腕を組んで入り口にもたれかかり。瞬きする瞬間ですら惜しいと言わんばかりに複雑になめらかに動くデザインナイフを見ていた。幼い少女にはどこか不釣り合いに大きいそれは、母のものを使っているからだろう。木でできたグリップには食紅が染みこんだのかところどころ色がついていて年季を感じさせた。

 迷いなく傘の形を、露先まで綺麗に切り込む。1番上にはアオネと呼ばれるフリルのような八重の美しい花、その下には幾何学模様。その幾何学模様すらなにも見ずにただ感性のままに描き切っていることが末恐ろしい。その下には簡単な、けれどもよく特徴を捉えた傘にこれまたアオネやひし形を縦にしたダイヤのマーク、丸い玉は雨のつもりだろうか、露先からしたたり落ちている様子も描き込まれている。ハンドルの部分には2重になった靡いたリボンとこれまたアオネの花が。最終的にはベビーブルーの紙一枚でそこまで描き切ったアンルティーファに畏怖すら覚えたフランだったが、ふと。

 ここまで紙から一切目を離さなかったアンルティーファが顔を上げて、回転式の食紅の入った小瓶棚を1転させて1瓶、さらにもう1転させて1瓶取る。それは白い食紅と黒い食紅だった。その2つをそれぞれごく少量ずつパレットに離れて出すと、そこに小瓶に入った水をくわえる。どちらも1滴ずつ。極濃い色になるように。太い筆に黒を吸い込ませると、それで直接傘の下に奥行きを出すためだろう、波状に模様をつける。すると見事な奥行きのある傘が、そこにはあった。ついでと言わんばかりにそれぞれの縁と露先の生地の部分、傘の中棒と靡いたリボンにも黒をつけることで作品にメリハリがでて、もともと高かった作品の完成度が一気に増す。そう、作品。これは児戯ではない。もう作品と呼ぶにふさわしい代物だった。

 しかしアンルティーファはまだ不満らしく、それが渇いたのを待ってから今度は極細な筆先の筆に白い食紅を含ませる。それで今しがた塗ったばかりの黒い部分に白でぽつぽつと星空を切りとるかのように不規則に点を打ち、アンルティーファは肩の力を抜いた。

 どうやら完成のようだった。

 フランのほうを振り向いたアンルティーファの行動が、フランにはやけにゆっくりに見えた。暗い箱型馬車の中は光をあたりにまき散らすカンテラのおかげで明るい。アンルティーファの表情も良く見えた。白い額にかかる亜麻色の髪、冴え冴えとした目つきに眉は下がって楽し気に弧を描く唇。そのどれもが、フランにはとても尊いものを見ているような気分にさせた。自分が、自分ごときが見るのにはふさわしくないほどに美しいと思った。有体に言えば、見惚れたのだ。

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