第14話 理想論
結論から言うと、旅籠には無事についた。旅籠はうち捨てられたように夏に生えていただろう草が地面に倒れふかふかになっていた。どうやら領主はここの旅籠の草は刈ってくれなかったらしいと知る。かといって、ここで火をたくと旅籠中大火事になりかねないため今夜は焚き火を諦め。
草の上になめし革の敷物を敷きフランを座らせると、箱馬車の横に括り付けておいた袋の中からビスケットとワインボトルに入った葡萄酒、木のカップをとりだし、なみなみと葡萄酒を注いだカップとビスケットをフランにアンルティーファは差し出した。それを素直に受け取るくらいにはアンルティーファに馴染んでくれたらしいフランにほっと息をついて、アンルティーファは自身の手のひらにのるくらいの小さなビスケットをちまちまと食べ最後に葡萄酒をぐっと押し込むことで胃の中で膨らませる。しばらく経つと、風で冷えた身体がぽかぽかと温かくなってきた。耳なんて真っ赤になるほどだ。その様子を見たフランがせせら笑う。
「子どものくせに葡萄酒なんて良い身分ね」
「焚き火で温かいものが飲めるならいらないのよ。だけど、それがないと凍え死んじゃうから。正直わたし、あまりこのかーっと熱くなるの好きじゃないのよね」
「……ああ、お前。人間だものね」
「エルフは違うの?」
「私たちはこの程度の寒さで凍死なんてしないわ」
「いいわね。旅に向いてる」
冬用の毛布を出しながら、ぱたぱたと熱くなった顔を手で扇ぐアンルティーファ。風は旅籠の石壁に阻まれて中には入ってこないようだった。
屋根の下に箱馬車を入れて馬を休ませて。いつも通りに敷物を2人分横に並べて敷く。下が草なため、ふわふわしていて寝心地がよさそうだった。毛布を体に巻き付けてくるまるアンルティーファの隣に当然のようにフランがやってきて横になった。そのことを嬉しく思いながら、アンルティーファは大きくあくびをかみ殺して。毛布を羽織ったフランの横で眠ったのだった。
眠ったはずだったのだ。
あくびをするまでに眠かったはずなのに、ぜんぜん眠れない。そもそも葡萄酒は、冬の寒さをしのぐためだけじゃなくアンルティーファがなかなか寝付けない時にルチアーナが飲ませてくれたものだ。明るく陽気に笑いながら、コップに半分だけよなんて言いながら。それを思うと、心の隙間にから風が吹き込んでくる気がした。葡萄酒で温まったはずの身体が冷えたように感じて、アンルティーファはきゅっとフランに身を寄せた。うごめいたアンルティーファにフランはその白いまぶたを薄く開いた。
「なにしているの? 眠りなさい」
「ごめんなさい。眠れなくて……」
「なに? 子守唄でも歌ってもらわなくちゃ眠れないとでもいうわけ?」
「ううん、そうじゃなくてね。……なんでもないわ、おやすみなさい」
「そう」
なにか言いかけたアンルティーファに特に言及もせずに、フランは再び目を閉じる。その様子が、まるで興味がないと言われているようで少し悲しかった。でもそれも当然よねと思い直す。アンルティーファはフランの暗証番号を握っている、使役者なのだ。その冷たい態度が悲しいなんて、おかしいことは言えない。だったらいますぐ彼女に暗証番号を渡してお友達になりましょうと言うべきなのに。でもアンルティーファはそれが少し……いや、かなり怖かった。いまここで暗証番号を渡したら、フランはほぼ確実にアンルティーファのもとを去るだろう。それが、とてつもなく恐ろしくて怖くて。アンルティーファ言い出せないまま固く目をつぶったのだった。ここがクローフィ街道だからで、盗賊や野獣がいるからではない。1人になるかもしれないと思うと、どうしようもなく身体が震えた。
だらんと垂れ下がった腕は鮮血に染まっている。その指先からぽたん、ぽたんと血の雫が落ちて、白い空間に血だまりを作る。それをアンルティーファは正面から見ていた。
ああ、夢だ。アンルティーファは思った。これは夢だ。昼間の、アンルティーファが見捨てた古びた箱型馬車の御者席で死んでいたエルフの夢だ。
顔もわからない、エルフの身体がゆらりと動く。顔は俯いているため依然として見えなくて、それでも倒れ込んでいた身体から右肘が上がり左肘が上がり。左膝が持ち上がり右膝が上がる。それは四つん這いになってアンルティーファの方へとゆっくり、焦らすようにことさらゆっくり近づいてくる。がくがくと足を震わせながら後ずさりする彼女と同じスピードで這ってくる。こわくてこわくてたまらなかった。
「ごめんなさい……!」
叫んだ自分の声でアンルティーファは目が覚めた。
となりに寝ていたフランが眉根を寄せて自分を眺めていることに気付いた。どうやら本当に夢だったらしい。
「なによ、うるさいわね」
「あ……あ、フラン? ごめん、なさい」
「……どうしたのよ。またママの夢?」
「え?」
「聞くくらいしてあげるわ。サービスよ」
「……夢をね、みたの。今日襲われてた馬車の御者台にいたの、エルフだったわ。死んでた。わたしがもうちょっとあの場に早くたどり着けてたなら、助かったかもしれないのに。もちろんこんなのおかしいってわかってるわ。だって旅人の間では見捨てるのが普通なんだもの。でも、でもね」
それでも、そう思っちゃったのよ。そう言ってぎゅっと閉じた目からは透明な雫がこぼれてくる。ぽろぽろとこぼれるのではない、あの夜。旅の最初の夜、死んだという母のことを語ったときのように静かに泣くアンルティーファに、フランはますます眉をしかめた。
甘い娘だ。会話したこともないエルフのためなんかに泣く必要はないのに。奴隷のために、道具のために泣く人間はいない。少なくとも、フランはそう思っていた。壊れたら新しいものを使えばいいのだ、そうやってエルフを使い潰すことでこの国はまわっているのだから。そもそも子どもなら子どもらしく大きな声で泣き叫べばいいのに、なぜこんな押し殺すような泣き方をするのか。母がいなくて寂しいのか。母以外は誰も頼れないのか。
フランはふとアンルティーファから視線を外して空を仰ぎ見る。雲のかかった夜空に浮かぶ月は、1人で見上げたころと全く変わっていなくて。この、甘い小娘の作る切絵はさぞかし甘い味がするのだろうと思った。
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