61,降りそそぐ光ときらめく海と

 友恵ちゃんにチョコをあげた以上、両者面識のある真幸にあげなかったら、彼はショックを受けるかもしれない。


 私が男の子に免疫がないから緊張するだけで、チョコを渡すなんて世の中では普通のこと。拿捕だほして手錠を掛け亀甲縛りにして猿轡さるぐつわを噛ませ尻に蝋燭ろうそくを垂らしてでも渡したほうが良いだろう。


 心が地団駄を踏んでいる間に、気が付けば海岸沿いのサイクリングロードへ足を踏み入れていた。サイクリングロードとはいえ自転車専用レーンはなく、遊歩道も兼ねている。


 茅ヶ崎の海はきょうも変わらず穏やかな波が寄せては返し、海面は夕陽に照らされ、空は富士山や伊豆半島とともに紅に染まっている。


 きらめく海とまばゆい光。命というものの要素を還元してゆくとそこに辿り着き、だからヒトはそれを求め、地元のみならず内陸部からもこの場所を訪れるのだろう。


 湘南、特に茅ヶ崎には夏と海が好きで卑猥な人が多いとよく言われる。彼らの学校の先輩に当たる国民的ミュージシャンの楽曲も、多くは夏が舞台で海や光を好みつつ、ときに卑猥なものもある。


 それらのシンプルで本能に正直な要素に何を加えるかで、作品の持ち味が変わってくる。


 ただ海や光が綺麗なだけではない、卑猥なだけではない、人生という嬉し哀しの道程で得たものが、作品に深みを与える。まるでスープの出汁と調味料のように。


 あぁ、こうして渚を歩くのは久しぶり。


 サイクリングロードから波打ち際に降りて、夕陽を浴びながら江ノ島のほうへゆっくり進む。通学靴で踏みしめる砂の感触はスニーカーや運動靴よりスッっと沈むようで、足裏に力が集中する。この感じも、まぁ悪くはない。


 近ごろの私といえば、朝起きて登校してブラック部活をして、乗り越してどこかへ連れて行かれるか塾に閉じ込められるかで、心休まる暇がなかった。


 帰宅後は深夜1時まで創作活動をして睡眠時間は5時間弱。必然的にからだは弱り、お昼休みの仮眠は必須。それでも足りなくて、高熱を出した日もあった。


「ふーーーーーーう」


 からだに取り入れた渚風なぎさかぜを、ゆーっくりと吐き出す。


 冬の静かな渚もまた、叙情的で美しい。


 ここでスケッチをしたら僅かな時間で手がかじかんで鼻が垂れる。でも近いうちに色鉛筆を持って、やってみたいと思う。


 すぐそこにある都会の喧騒を忘れて、ほんの‘ひととき’の‘夢幻むげん’時間。それを味わえるのがこの街、茅ヶ崎。


 これから先、高校生になって、大学生か専門学生か社会人になって、私はそのとき、何をしているのかな?


 目の前に広がる水平線より遠い未来にある世界を知る由はないけれど、この半年ばかりで知り始めた涙や自らの創作物がもたらした歓喜、私には届いていない褒めも罵倒も、そのすべてが自身を形成してゆく、きっとまだまだその途上にあるのだと思う。


 もし昨夏みたいに悲しみと不安に泣き濡れる日がまた来るのなら、その分だけ優しい人間になりたいな。

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