53,トリュフチョコレート

「ん?」


 僕を呼ぶ聞き覚えのある声に振り返ると、やはり彼女だった。


西方にしかたさん」


 西方文佳ふみかさん。黒髪ロングヘア、黒縁メガネの文学少女。僕とは1、2年次に同じクラスだった。消極的な性格で、休み時間はいつも読書をしているか、BL好きな女子数名と談笑している。


「あ、あのね、清川くん。これ、受け取ってください!」


 言って西方さんは、おもむろにジャージの前ポケットからまるいトリュフチョコレートの入った小袋を取り出したと思いきや、突き付けるように僕へと差し出した。両手を伸ばしこうべを垂れる彼女の髪は地と垂直になり、こんな状況で不謹慎だけれどオバケっぽくも見えた。


「あ、ありがとう……」


 義理? 本命?


 そんな疑念が思考回路を駆け巡る。


 あ、でも西方さんには付き合っている人がいるから、何人かに配って余ったものを僕にくれたのかな?


 そう思ったのも束の間___。


「あ、あのね、これ、本命、なの……」


「え……」


 しばし無言の時が流れ、冬の肌寒ささえ忘れていた。よく女子から「清川くん好きー!」と冗談っぽくは言われるものの、こうかしこまって言われるのは初めてで、とりあえず西方さんと真剣に向き合う覚悟を決めた。


「え、でも確か、付き合ってる人がいるんじゃ……」


 しまった、別れた可能性だって十分ある。もし彼との思い出が良くないものになっていたとしたら、想起させてしまうなど愚行だ。


「うん、いるよ」


 やはりいるんじゃないか。


「じゃ、じゃあ、え、えーと……?」


 これはなんだか訳アリだと察したとき、西方さんはそれについて語り始めた。


「私ね、卒業したら仙台せんだいに引っ越すの」


「せんだい? 宮城の仙台? それとも薩摩川内さつませんだい?」


 愚問だとは思ったけれど、コミュニケーション能力が著しく低い僕にはそれしか出てこなかった。


「宮城だよ。だから、清川くんに付き合ってほしいわけじゃないの。気持ちを伝えておきたかっただけ。それに、遠くへ引っ越したからって彼と別れられるかどうか……」


「別れられるかどうか?」


 それはつまり、西方さんは破局希望と解釈できる。


「うん。家庭の都合で引っ越すから別れましょうって、何度言っても承諾してくれないの。私ね、実はプロの小説家で……」


 なんだって!?


 プロの小説家。同い年でプロの小説家……。でもいまはそこに言及する場面ではない。色々聞き出したいけどさすがに空気を読もう。


「といってもつい最近デビューしたばかりで、彼との交際は1年以上続いているんだけど。あ、でもね、キスもしてないんだよ!? 手をつなぐだけの関係」


「え? あ、うん……」


 友恵はよくラブホラブホ! と発狂しているけれど、実際中学生の恋愛だとそんなものだろうか。人それぞれかな。


「ごめんなさい、蛇足だったね。それでね、彼は交際当初から独占欲が強かったんだけど、小説家デビューが決まってからそれが余計に強くなっちゃって。引っ越し先が仙台でも地球の裏側でも別れたくないって。彼からすれば、プロの小説家と交際している自分が誇らしい部分もあるのだと思う。自分はろくな文章も書けないくせに」


 おっ、おおう、毒が出たぞ。つまり不釣り合いな関係なんだね。


 思考回路がフリーズした僕は、黙って頷きつつ話を聞くしかできない。いつものことだけれど不甲斐ない。


「でもね、私はコンピューターゲームだったり映画だったりを消費するだけの彼との関係に生産性を見出せないから、引っ越しを機に別れたいって強く思ってるの。私は小説を書いたり、美術館や庭園を巡ったり、色んな人たちと関わりを持って視野を広げたい。でもデートしなきゃいけないから、そんな時間は取れなかった。学校外では辛うじて出版社の人たちと付き合いがあるくらい。だから私はかごつばめ。渡り鳥としての生涯を全うしたいのに、それが許されない」


「そっかぁ」


 なんだかつらいなぁ。恋愛関係って必ずしも生涯幸せへの道を歩めるわけではないのは、僕もよく知っている。僕の両親は高校時代からの交際で、かれこれ35年ほど連れ添っているけれど現在は離婚の危機。


「うん。でもそんなこと、同級生に話したって高次元すぎて大半は理解不能だと思う。だからずば抜けて頭がいい清川くんならわかってくれるかもと思って、話をさせてもらったの。ごめんね、時間取らせちゃって」


 僕をずば抜けて頭がいいと思っているのはきっと西方さんだけ。日頃、教室での雑談中に発する言葉の端々からそう思ったらしい。


「ううん。あの、ありがとう」


 僕がお礼を告げた途端、西方さんの表情がぱぁっと華やいだ。しかし籠から解放できたわけではなく、束の間の歓喜を与えたに過ぎない。


「それでね、南野さんから聞いたんだけど……」


 友恵!? っていうことはまさか、たまに朝から3回抜いてるとか!? いや、公衆の面前で話しているからそんなのはバレてもいいけどさ。


「清川くん、アニメ作家目指してるの?」


 あっ、あああ、そっちかあああ!! 良かったあああ!!


「う、うん! 実はね……!」


 自家発電行為の暴露でなく安堵した僕は、意図せず語気を強めた。


「凄い。やっぱり清川くんは凄いよ。じゃあね、私の小説をアニメにしてほしいとか贅沢は言わないけど、いつか清川くんがアニメをつくったら、私に見せて? ファン1号になるから!」


「あ、はい、ぜひ!」


「じゃあ、そろそろ教室に戻るね。お話聞いてくれて本当にありがとう。アニメ、楽しみにしてるね」


 溜め込んでいたであろう想いをマシンガンのように告げた西方さんは、くるり回れ右して小走りで去る。僕は少し間を置くためその場に留まった。


「これはもう、後戻りできないや」


 想いを告げてくれたこと、事情を打ち明けてくれたこと、僕のつくったアニメを見たいと言ってくれたこと、そのどれもがありがたくて。でも彼女の心情を鑑みると、ただ歓喜するだけではいられない。


 交際相手の束縛から西方さんを解放したい気持ちは山々だけれど、はっきりと『助けて』を言われるまでは、第三者の僕がしゃしゃり出る幕ではない。


 もどかしくて仕方ない。それはからだに毒かもしれない。けれどこの気持ちは、捨ててはいけない。あのような事情を告げられて、強引にでも別れてしまうのが正解という結論は容易に導き出せても、それを事務的に処理し突き付けられるほど機械的にはできていない。


 手に持っているチョコレートから交錯する想いやオーラを感じ取り、僕はその一つを口に含んだ。


 うん、口どけなめらかで、しかしちょっと固め。味はしっかりとしていて、ゆっくり喉へと流れてゆく。


 あぁ、うん、そっか、これはそういうメッセージなのかな。


 しみじみしつつ、僕も教室へ向かう。


 あ、しまった。西方さんの小説、なんていうタイトルだか訊き忘れた。

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