45,江ノ島が見えてきた、私の家も近い

 ダンスをやるハメになったのは、静と清美のトラブル発生よりもずっと早い、1週間半も前の話。


「ほれ、迷える子羊よ、君たちの曲ができたぞよ。有り難く受け取り練習に励みたまえ」


 真幸から曲をもらった翌日の月曜日からボランティア部員3名で休み時間、放課後と、空き時間すべてを費やし2日間という怒涛のスピードで楽曲を仕上げた。


 水曜日の放課後、ダンス部が陣取る講堂の一画に渾身の楽曲を収録したMDを持参し、さっそく床に置いてあったコンポでメンバー3名に聴かせた。


「あぁ、これはムリだわ。踊れない。激しすぎる」


 な、なん、だと……!?


「キ、キサマ、それでもダンス部か!!」


「ダンス部つったって~、部活だし~、素人だし~、ってかこの曲マジパネェ。ホントに美空ちゃんたちが作ったの?」


「あぁ、そう思って相違ない」


「すごい! こんなすごい曲ができるならダンスもできるよ! アタシらの代わりに頑張って!」


 作曲者は真幸。そうだ、真幸に女装させて舞台に立たせれば……。


 それは現実的ではないか。


 このような経緯でダンス部の3名にまんまと乗せられ、練習とトレーニングの日々が始まった。だいたいこの場にいるのが3名だけとはなんだ。このチーム、6人編成と聞いているが……。


 結局、ダンス部のうち2名は繋ぎ止め、残り4名は「無様な演舞は見せられない」(リーダー)、「そもそも最初からステージに立つ気はない」(残りのザコ共)ということで敵前逃亡。他はボランティア部で唯一の後輩、石上いしがみ撫子なでしこと、かつて恩を売った陸上競技部からダンスが得意な者を2名引き抜き、寄せ集めユニット、その名もズバリ『Scratch!』を文化祭までの期間限定で結成した。


 そこからだ、ハードな日々が始まったのは___。


 まず、笑顔で歌唱しながら踊るための体力づくり。


 私たちの出演が決まった翌日より、学園から茅ヶ崎まで往復30kmの走り込み、ダンスの練習を一日ごとに繰り返す地獄の日々が始まった。


 それを言い渡されたとき、私のなかで授業中のフル睡眠が決定。体育は生理痛を理由に見学。本当に生理が来た日には体育の教員から「いい加減仮病はやめろ。部活と勉強を両立しなさい。部活は休まず出ていると聞いたぞ」と鬼畜の参加を余儀なくされた。


 あの、むしろ部活をやりたくないのですが……。


 私はあくまでも街の清掃等を主体に活動するボランティア部。ダンスなんてハードなものをやる気など一切なく、あなた方がダンス部員の泣き言を黙認して他部に押し付け、しかもそれに関するフォローが一切ないという劣悪な労働を強いているではありませんか。それで部活と勉強を両立しなさいと言われても私には到底無理な話です。



 ◇◇◇



 放課後、走り込みの時間が訪れてしまった。運動が苦手な私は当然他から引き離され、ダンス部の顧問である30代の女、相原あいはら千代子ちよこに背後から自転車で追従されていた。お前も走れ、ヘタレアダルトめ。ここは道路の右側だ。警察に突き出してやろうか。


 コースは鎌倉の市街地から大仏に近い長谷はせ、そこからアップダウンは激しいが木々生い茂り涼しい切り通しの極楽寺、これぞ湘南とテレビによく出る江ノ電と海沿いの国道134号線が並行する県立鎌倉高校、通称県鎌けんかまおよび七里ヶ浜しちりがはま高校、通称七里しちり周辺。よく踏切越しにきらめく海原を撮影しているひとがいる。


 江ノ島が見えてきた。私の家も近い。


 といってもここ、鎌倉高校前駅から茅ヶ崎までは8kmもあり、そのようなことを唄ったご近所さんの国民的ミュージシャンは自動車で移動していたとみられる。


 江ノ島の前を通過し、水族館、スケートパークからサイクリングロードに入る。折り返し地点3km前後、辻堂海浜公園から汐見台しおみだい付近で先行の全員と順次擦れ違った。皆よく休まずに走れるものだ。私は6割がた歩いているのに。


 そしてなんと!! なんとふざけたことに!! この海沿いのサイクリングロードをずっと西へ進み、折り返し地点はいつもスケッチに訪れている東海岸ヘッドランド前。つまり自宅の最寄り地点!!


 水分補給もできず直射日光を浴び全身汗まみれで息を切らしここまで来てなぜ自らの脚で、しかも走って鎌倉へ戻らなければならない?


 これは帰巣本能に反する理不尽だ。愚行だ。いまどきアスリートでもないのにこんなにも神経を逆撫でするトレーニングなど断じて許してはならない。


 これはもう、このまま逃亡して帰宅するしかない。


 折り返し地点が目の前に迫り、走りながら立てたプランを実行へ移すときが来たようだ。


 折り返し地点には松林を貫く脇道があり、国道134号線を跨ぐ歩道橋を渡って一中通りを1kmほど北上すれば自宅。しかし自転車相手にそこまでは逃げきれない。


 ということで、目標はすぐ近くにある行きつけのお茶屋さん。以前に真幸と行ったところだ。そこまで逃げてかくまってもらう。


 さて、折り返し地点に到達。まず、「この先にお手洗いがあるのでちょっと」と断りを入れ、敢えてそこを通過し数百メートル先のお手洗いまで走り続ける。


 サイクリングロードの左手には駐輪場、右手にお手洗い。顧問には進路妨害にならぬよう駐輪場に駐輪して待ってもらう。正面にヘッドランドTバーと沖に烏帽子岩、左に江ノ島、右に富士。観光客はあまり来ない市民が集う絶景スポットを、特別に相模原さがみはら在住の相原に見せてあげよう。ちょうど陽が傾いてきて良い頃合いだ。


 相原の監視から解かれた私は‘一応’お手洗いのコンクリート建物に入る。


 さぁ、ここからが本番だ。

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