39,実は気にかけてくれているひと

「清川さん、ですね。きょうは星川さんに誘われてこちらへ?」


「あ、はい。実は僕、星川さんの依頼を受けて、きょうの文化祭で軽音楽部とダンス部が発表する楽曲を提供いたしまして」


「さようでございましたか。私と直接関係する事案ではございませんが、本イベントにご協力くださり心より御礼申し上げます。しかしさすがは星川さん、他校の方にアウトソーシングするなど目的達成のためなら手段をお選びにならない方で」


 口調はとても穏やかな菖蒲沢さん。しかしなんというか、美空に酷く呆れているようだ。


「あの、美空、星川さんは学校でも、その、変わり者で……?」


「変わり者、と申しますよりはナマケモノ、でしょうか。脚遅いですし」


 ふむふむ、歩行は速く箱根散歩の帰りに帰宅ラッシュの茅ヶ崎駅で美空は人混みをすいすいすり抜け、僕は四苦八苦しながら彼女に付いていったけれど、走ると遅いのかな。


 うちの学校の女子では速いほうの友恵が100メートル15秒だから、美空は17秒くらいだろうか。ちなみに生物学上男子の三郎は13秒、僕は14秒台。


「ですのでわたくしもつい厳しい言葉を向けてしまって。けれど彼女、この絵のように才覚は優れていらっしゃるようですの。それをなぜかひた隠しているようでして。2学期になってからは特に」


 2学期になってから、という言葉に僕はピンときた。美空は夏休み終盤、母親に自分で描いて物語をつまらないと云われ勝手に捨てられてしまった。きっと美空自身、己の想像力や表現力に元々自信があるほうではなく、それを親にダメ押しされてしまったのだから、それはまだ人格が形成されきっていない思春期の僕らにとっては自己を否定されたも同然。


 だから目の前にある混沌と刺々しい絵にも、僕は大いに納得できる。


 やたらとやさしい絵本の作風は理想郷で、この絵は現実。前者のようになりたいからこそ、この絵はまるいタマゴ型。


「そう、ですか」


 事情は概ね知っていても、これは僕から菖蒲沢さんに伝えることではない。


「人当たりは良い星川さんですが、学校では怠惰的な面はともかく、核心は、最も大事な部分はさらけ出さない。私たちの関係は淡白ですから、私が星川さんに過度な干渉をする必要はございませんが、どうにも彼女を意識の外へ追い出せない、といったところです」


「おやさしい方なんですね」


「いいえ、ただ私が勝手に気にしているだけですから」


 美空に関して思い悩んでいるのは僕だけではないのか。と、僕は菖蒲沢さんに嫉妬心を覚えつつも少し安心した。


 美空には、僕以外にも気にかけてくれる人がいるんだ。


 そんなの一昔前は当たり前だったのかもしれないけれど、この孤独社会現代日本では誰にも気にかけられない人が多く、なかには精神疾患やそれに伴う自殺で命を落としてしまう人も年間五万、いや、きっともっといる。


 なんとなくだけれど、美空と菖蒲沢さんは一見すると犬猿之仲で、けれど相手を嫌っているのは美空だけ。菖蒲沢さんはあれこれ言ってもなんやかんやで気にかけてくれる大人なタイプなのではと思った。


 だから僕は、菖蒲沢さんをやさしい人だと思えた。


 それと同時にプライドや理想が高く、本当はあらゆる垣根を取り払って円滑なコミュニケーションを取りたいのに、自らのそれらや正義感が邪魔をして、相手に嫌われるリスクのあることでも云わずにはいられない、そんな感じかなと僕は彼女を分析した。


「ところで清川さん、これから講堂へお越しでしたらわたくしがご案内いたしますが」


「あっ、ありがとうございます! お願いします!」


 やはり菖蒲沢さんはやさしい人だ。この学校の生徒さんが案内してくれるなら色々と心強い。周囲の視線もあまり気にしなくて済む。


 美空もやさしいけれど、なにか、なにかなんだな。コミュニケーションが苦手な僕は二人の仲の難しさを勝手に納得した。

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