34,それぞれの良さ
蝉時雨が降り注ぐ緑地のベンチに腰を下ろす僕ら。9月とはいえ気温は30℃を超え、全身から汗が滲む。
40平米ほどある敷地のほぼ全体を木陰が占め、なぜかその目の前には4人掛けのテーブル席もある。
僕と友恵が同時にプルタブを起こすと、二つの缶からはプシュッ、シュワシュワーとカラメル混じりの泡が噴き出てきた。缶コーラの醍醐味だ。
「おおっ、元気なコーラだ!」
「元気なコーラ? うん、まぁ言われてみればそんな気も?」
暑さのせいか、先ほどカフェバーでジンジャーエールを飲んだばかりなのに僕は缶の半分ほどを一気に流し込んだ。友恵もそのくらいの勢いだ。
たそがれて空を仰ぐと、緑の隙間から差し込む光は少しばかりやさしく、ときより吹く潮風がさらさらと葉を撫でて、針が歩を緩めたように、穏やかなひとときを演出する。
なんとなく、美空はここでときどき読書をしているんじゃないかなと、ふと思った。
一方で、隣でコーラを飲む友恵の生脚が気になり、ちらちらと視線を遣ってしまう。
「いやあ、コーラはうまいなあ! 発明した人天才だよ!」
「だね。もしコーラが存在しなかったら、世界の刺激が足りないかも」
「そだね! しかもお小遣いで買えるお手軽さ!」
「うん。小学生のころ、たまに貯金箱の十円玉を集めて買いに行ったな」
「そうだよね~、小学生のころって、百円くらいのものでもレア感があったりするよね。私も真幸みたいにたまに缶ドリンクを買ったり、月一回、ハセショで少女漫画の雑誌を買うのが楽しみだったな。いまでも結構楽しみだけどさ」
ハセショとは、茅ヶ崎駅南口と北口、そしてサザン通りに店舗を構える
僕は相槌を打ちながら、友恵に話の続きを促す。
「うちは八百屋で、近所にクラウンさんとかたまやさんみたいなスーパーがあるし、駅周辺には大型スーパーが3つもあるから、その煽りで家計は厳しくて、高校の学費は自分で描いた漫画の印税を貯金してあるの」
地元展開のスーパー、クラウンとたまやをさん付けで呼ぶのは、これまた友恵にとって馴染みの店舗だからだろう。南野家が営む八百屋の経営が苦しいのは僕も何度か聞いているけれど、友恵は決してスーパーを恨んではおらず、スーパーには一度にたくさんのものを購入できる利便性があり、一方で個人商店には人間同士のふれあいがあって、それぞれの強みがある、近所のお茶っ葉屋さんの受け売りだけどねと、あっけらかんと話していた。
「でね、お小遣いっていえばお年玉かお店を手伝ったときにもらえる50円とか、お風呂掃除をしたときの10円くらいで、本当に漫画本一冊と缶ドリンク一本買うだけでほとんどなくなっちゃって。
そのうち私はコーラをお供に可愛い漫画のキャラクターを模写するようになって、その子たちの作中では描かれない姿を妄想しながら広告の裏に、短くなって学校では使わなくなった鉛筆を走らせた。それがハマっちゃってさ、いつの間にか漫画家になりたいって思うようになってた。漫画を描いて、妄想の世界を見てもらいながら楽しく暮らしたいな、ってね」
「いまは違うの?」
それはそうか。愚問だったかな。夢だって仕事にすれば理想と現実とのギャップにぶち当たるだろう。
「違くは、ないかな。なんだろう、なんていうか、漫画って、ロマンチックとか可愛いとか、夢とか妄想に浸るものだとも思うんだけど、同時に読者の心に寄り添えるものでもあるかなって、自分の置かれた環境とか、ニュースを見たりとかしながら思うようになって」
おっと、てっきり仕事はキツイし原稿料は割に合わないしなどと愚痴をこぼすかと思いきや、なかなか深みのある想いを抱いているようだ。
「どんなニュース?」
「うーん、色々あるけど、報道されるのって、ほとんど悲しいニュースじゃん? イジメとか児童虐待とか、読者の子にとっても身近かもしれない出来事がたくさんあって、そういうのって結局、お互いが理解し合えなかったり、相手を許容できないから起こることなのかなって。
実際、私の親だって私のことをわかっちゃいないし、わかろうともしない。なにか言えば、子どものくせにいっちょ前なこと言うなって、特にお母さんはよく言う。それはきっとこの先も、私が大人になってもずっとそうなんだと思う。親にとって子どもはいつまでも子どもで、そう思うことでうちのお母さんは自分の威厳を保つんじゃないかなって。本当は子どもの考えだって筋の通ったことなら受け入れるべきだと私は思うけど、そこまで賢くないのが悲しかったり」
「な、なんと答えれば良いのやら……」
けれど大人はあまり立派な生き物ではないなと、僕も自らの両親を思い浮かべながらそう思う。
「はははっ、まぁうちの親はさておき、私はそうやって押さえつけられて苦しい思いをしてるから、同じように苦しんでるひとたちを、漫画を通して癒したり、共感してもらったり、親たちにはもっと子どもに寄り添ってほしいていうメッセージを伝えたいって。三郎が言ってたっていう‘自分の本当の価値’を、私はそうやって見出してるつもり」
「おおっ! 僕の疑問に答えてくれてたのか!」
「うまくまとめられなくてごめんね~」
「いやいや、ありがとうございます。でさ」
「でさ?」
「僕は友恵の理解者になれてる?」
「はははなにそれ、もしかして私に気があるの?」
「うーん、エッチしたいとは思ったことあるけど、気があるかと訊かれるとわからないな~」
「え? あ、そうなんだ……。なんか、真幸のほうからエッチしたいって言われると、ちょっと恥ずかしい……」
僕の言葉に、友恵は脚をキュッと閉じて、身をすぼめた。僕らにとって下ネタは挨拶のようなものだけれど、胸の内を打ち明けてくれた後のそれはどこか本気を孕んでいて、冗談を発した僕まで気恥ずかしくなってしまった。
「あっ、当たり前だろ? 友だちだし、お互い理解し合いたいって思うのは……」
まずい、僕は美空が好きなはずなのに、気持ちが揺らいでいる。美空は一目惚れするほどの美しさ、女神のような雰囲気とシュールな雰囲気を併せ持つ面白さがあるのに対し、友恵には触れ合うひとを元気にする力と、社交的でありながら心のどこかで孤独を感じ、自分は他人にそういう思いはさせまいという信念に裏打ちされたやさしさがある。いわば本当にイイヤツだ。
現時点で人間的に魅力的なのは圧倒的に友恵だけれど、美空のことはまだよく知らないから、これからどんどん良いところが見付かるかもしれない。
「そっ、そうだよね! そうだそうだ! うん! 真幸は私のこと、感覚でよくわかってくれてると思う! 口下手だから言葉にするのは難しいのかもだけど、ちゃんと伝わってるよ!」
「そう、そう、そうなんだよ。感覚で伝わってる」
感覚でよくわかってくれてると云われ、僕は確信した。友恵はちゃんと、僕のことを理解してくれている。内気な僕が、本当に友だちと呼べる存在なのだと。
ならば僕も、友恵をもっとよく知りたいと、純粋にそう思った蝉時雨の昼下がりだった。
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