7,犬耳カチューシャ

 着替えの衣類を忘れた私は湯気で曇った洗面所の鏡の前に立ってバスタオルでからだを拭き、ドライヤーで髪を乾かすと、胸の前で腕を組み、前かがみになってそそくさと自室に入る。キッチンではお母さんが朝食の準備をしていたけれど、だらしない恰好で叱られそうだから『おはよう』は言わず、気配を極力消した。


 白い洋服タンスからバサバサと衣類をいくつか床に出して、下着を着用したら私より背の高い鏡の前で服の組み合わせを吟味する。15歳でほぼ決まるという胸のふくらみ具合や、いまいちしまりのないプロポーションに肩を落としつつ。


 この肉がぜんぶ胸に行けばいいのに……。


 嘆いても仕方ないので気を取り直して服選び再開。とりあえずきょうは機能性重視で尚且つダサくはないインディゴブルーのチュニックと白いジーンズの組み合わせにしよう。


「ちょっとコロ! じゃない美空! 女の子なんだから寝てるときに掛け布団剥いだり大の字になって口開けたりしないのって何回言えばわかるの!? あとお布団ちゃんと干しなさい!」


 キッチンからお母さんが声を張り上げて言った。気配を消してお部屋に入ったつもりだったのに気付かれていたか。3年前に天へ召された愛犬と呼び間違えられるのは生前から日常茶飯。


 あまり犬扱いすると犬耳カチューシャと尻尾を付けて近所を歩き回り我が家の恥さらしになってやる。誰かにコスプレの理由を問われたら、お母さんに無理矢理やらされて……。と悲劇のヒロインを気取ってみようか。 


「うるさいなぁ。私は女の子である前に一人の人間だし何回言われても寝相は直りません」


 言って、ジーンズのチャックを閉めようとジッパーをつまみながらキッチンを掠めると、ちょうど向かって左斜め前、東側の夫婦共用寝室からお父さんがリビングに出てきたので、互いに「おはよう」と言った。


 リビング西壁際(壁の向こうが私の部屋)に鎮座する50インチのデジタルテレビは『そして、きょう最も運勢が悪いのは、ごめんなさーい! おうし座のアナタ!』と女子アナが大袈裟な口調で言い放っている。私か。私最下位か!


「屁理屈はいいの! いいからご飯食べ終わったらお布団干しなさい!」


「はいはいわかったわかりました。干せばいいんでしょ干せば」


 この先数時間グチグチ言われるのも厄介だし日光消毒もしたいから素直に干しておこう。


「ムッ、カツクー! 親に向かって何よその態度は! まったく外面そとづらだけいいのは誰ゆずりかしらねお父さん。お家でもおしとやかでいてほしいものだわ!」


 ムとカの間で一呼吸溜めたので、これは相当頭にきているのだろう。まぁいいや、占いが当たったとでも思っておこう。これ以上の災厄が起きませんように。


 こういうとき、お父さんはいつも「あはははは」と苦笑で我関せず。と、そのとき電話がかかってきて、お母さんがシンクの脇に置いてある子機を取った。


「はい、星川でございます。あ、はい! いつも大変お世話になっております~ぅ! い~えいえと~んでもございませ~ん! お加減いかがでございますか?」


 電話口では態度が一変。家庭内より反吐へどが出るほど声高で喋るお母さんに私はジト目、お父さんは冷めた表情で新聞を読み始めた。


 お母さんの機嫌は別として、これが星川家のいつもの朝だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る