第十七話 クレア、動く

 結局の所、クレアは教会から出ることが出来なかった。神父やシスターの親切が理解できるからというのもある。二人は、純粋にクレアの体調を気遣い、休むように言い続けていた。それを押し切ることは、クレアには躊躇われたのだ。

 しかし、クレアはこの海辺の静かな街に忍び寄る破壊の傷跡を見てしまった。それが、何を意味するのかも知っていた。だから、なんとかその事だけでも、伝えないといけないと思ったのだ。


(でも、どうやっていえばいいんだろう? なんで、そんな事を知っているんだって聞かれても、私、答えられない……)


 だが動けずにもいた。危機が迫っている事は確実なのだが、なぜそんなことを救済の娘が知っているのか。その理由を思いつくことが出来なかったのだ。崩壊した街から逃げてきた、とでもいえばすんなりいくか? いや、だとしても、どうやって逃げてきたのかという部分を質問されると答えられない。

 第一、クレアにとって最大のネックはヴィーダーの存在だ。どういうわけか、ヴィーダーは自分の兄だと神父たちに名乗ったらしい。

 神父たちにそれとなく話を聞くと、「事情は話せないが、妹が病気になった。面倒を見てくれ」と駆け込んできたらしい。


(私を助けてくれた……わけじゃないんだよね。あの人にとって、私は魔王を蘇らせるための道具なんだ……だから、私に倒れられると困るんだ)


 そのあたりは、ヴィーダーの言葉を聞いていれば理解できる。

 神父たちのおかげか、それとも一休み出来たからなのか、クレアの体調はすっかり良くなっていた。


(ネリーさんは、私にも神様の加護があるから、体は丈夫だって言ってた。てことは、もう病気じゃないって事だよね)


 つまりは、ヴィーダーにしてみればもう自分を気に掛ける必要はないという事だ。

 部屋の中で、クレアはベッドで膝を抱えて、溜息をついた。これから、自分はどうなるんだろうか。それを考えるととても不安だった。

 勇者やネリーはどうなったのか、そして自分はどうなるのか。先行きは全く見通せないし、ヴィーダーという恐ろしい男も近くにいる。

 何とかして勇者たちと連絡は取れないものかと思ったが、ペンダントにはそういう機能はないらしく、今では光もしなかった。


「はぁ……なんで、私なんかが御使いになったんだろう……」


 勇者と一緒に戦う。そう決意したというのに、クレアの心は早くも悲鳴をあげていた。それでも、我慢はした方だと思う。そもそも、自分なんかが御使い、勇者のお付になることが間違いなのではないかと思う。

 だって、そうだろう。自分はどんくさくて、泣き虫で、いつもみんなの後ろをついて回っていた。

 そんな自分が突然、勇者の御使いであるなんて言われて、そして、故郷を滅ぼされて……


「パパ、ママ……」


 思い出してはいけない。思い出すと、泣きたくなる。父や母、友達、みんな石になってしまった。そしてこの街にもその悪夢のような状況が迫っている。

 窓から街を覗けば嫌に静かだというのがわかる。それでも、良く見れば数人が荷物をまとめてどこかへと消えていく姿が見えた。

 彼らも恐ろしい事が迫っているのがわかっているのだと思う。


(……どこに逃げたって同じだよ)


 あの時、ヴィーダーに連れられて小島へと降り立った際、熱でぼんやりとしながらもクレアはゴシーシャの宣言を見ていた。街を覆い尽くす天変地異を目の当たりした。あんなことを簡単にやってのける魔王、そんなものを見るとこの世界に逃げ場なんてどこにもないのではないかと思う。


「あら?」


 扉が開くと、シスターがやってきた。彼女は今朝と同じくお粥の入った器を持ってきていた。


「ちょうどよかった。少し早いけど、お夕飯持ってきたの。食べられる?」

「あ、は、はい」

「よかったわ」


 シスターはニッコリと笑ってお粥をクレアへと手渡して、自分は椅子に座った。


「あの……?」

「あ、ごめんなさい。でも、ほら、病人なんだし、見守りは必要でしょう? 嫌だった?」

「そうわけじゃ……大丈夫です……」


 ちょっとだけ恥ずかしい。今朝の時は気にならなかったけど、他人と二人きりで、しかも食事を見られるのはなんだかこそばゆい気分だった。


「それにしても、あなたのお兄さん、どこに行ったのか知らね?」

「兄、ですか? 何か、やったんですか?」


 ヴィーダーは悪人だ。もしこの街で悪さをしているのなら、何とかして止めないといけない。その力が自分にはないことなど、わかりきっているのだけど。


「ううん、そうじゃないわ。何もしてない。ここにあなたを運んでからずっと、遠くを見てるのよ。その、言葉は悪いけど、ちょっと変よ」


 シスターは頬を膨らませて怒っていた。


「私もそう思います」


 一体何を企んでいるんだろう。クレアとしてもそれが気になる。


「あの人が、何を考えているか、私もよくわからないですから」


 考えたくもないというのが正確な所だ。


「あの、ちょっとだけ、聞いても良いですか?」


 お粥を半分ほど食べたぐらいで、クレアは思い切って質問してみる事にした。


「ん? いいわよ。何かしら」

「あの、皆さんは、海の事……灰色になってる事は……」

「あぁ、その事。知ってるわよ。何だっけ、魔王……ってのが噂されるようになってから、ね。それに、今朝のあれ、あなたも見たでしょ? 神父様がいうには、あれは滅びなんだって……街もすっかり静かになったわね。逃げ出す人も増えたし」

「シスター様たちは、その、お逃げにならないんですか?」

「どこへ逃げても、同じだし、それなら故郷にいた方が気が楽じゃない? それに、神父様も歳だし、私が面倒見てないと、ね」


 シスターは苦笑して答えた。あまり、クレアを不安にさせないようにと言葉を選んだつもりらしい。


「聞けば、大陸の各地が化け物に襲われているっていうじゃない? 外国も大変だって聞くし……ちょっと前までは魔王なんて嘘だと思っていたけど、こうして滅びってのが見えてくると、嫌でも納得するしかないじゃない? そりゃ、死にたくはないし、いざそれに直面したら、私、たぶんみっともなく泣くと思うわ」


 言葉を続けながら、シスターはまた困ったような顔になった。


「うぅん、ごめんね。なんだか、気が滅入ることばかり話してるわね。えぇと、そうね……」


 シスターは何とかクレアを元気づけようと言葉を探しているようだった。腕を組み、うんうんと唸りながら、何とか言葉を捻りだそうとしているが、結局断念して、がくりと頭を落とす。

 そしてすぐさま面を上げると、よし、と意気込んだ。


「勇気出してとか、何とかなるわ、なんてことは私には言えないけどさ。あなたのような小さな子たちの未来が消えるのは、悲しいわね。私には妹とか、子どもはいないし、私自身がまだまだ小娘だと思うけど、それでもさ、私より生きてない子たちが、恋も楽しいことも、辛いことも、嫌なことも、とにかくいろんなことを経験できないまま死んでいくってのは、許せないかも。だって、そうじゃない? あなた、好きな男の子、いる?」


 クレアはふるふると首を横に振った。


「まぁ、そうよね。あはは、実は私もいないの。信じられると思う? 私、自分ではいけてるかなぁと思ってるんだけどさ。なのに、この街の男連中は私の事見向きもしないんだから、失礼するわ」

「本当です、シスター様、お綺麗ですもの」

「うふふ、当然よ。シスターだからってお洒落しちゃダメってわけじゃないもの。神父様、そこらへんは結構緩いのよねぇ。クレアちゃん……だっけ? あなたも、大きくなったらきっと美人になるわ。それこそ、世の男たちが放っておかないぐらいかも?」

「そ、そんな、私なんかが……」

「ほらほら、そう卑屈にならないで。あ、そうだ!」


 シスターはパチンと手を叩いて何かを思いつく。そして、どたどたと部屋から出ていく。そしてすぐさま慌ただしく戻ってくると、その手にはリボンなどがたくさんあった。


「やっぱり女の子はリボンよ、リボン」


 ウキウキと小躍りしながら、シスターはクレアにリボンを付けてくれた。色とりどりのリボンを付け替えながら、あぁでもないこうでもないと呟きながら、シスターは試行錯誤を繰り広げる。

 クレアはされるがままだったが、それはそれで、ちょっと楽しかった。


「やっぱり、花ね。女の子は花よ!」


 色付きのリボンではダメだと思ったのか、シスターは大きめの花飾りを二つ、クレアの頭にセットした。後頭部には大きめの青いリボンを付けてくれて、ことさら衣装にもこだわった。流石にクレアの体にあうサイズの服はないようだったが、ストールのように体にまきつけるようなものもあってか、それを羽織わせたり、腰に巻き付けて結んでくれたりもした。薄い透明感のある翡翠色のストールはふわふわと軽く、ちょっと動くだけでも舞う。結び目を後ろに回したおかげか、あまったストールが揺らめくと、まるで妖精の羽のようだった。


「うんうん、可愛い可愛い! やっぱり女の子はこうでなくっちゃね!」


 一仕事終えた風に、シスターは満足げな表情を浮かべた。

 そして、クレアの頭を撫でてくれた。


「そう、生きてるとね、こうやって楽しい事、嬉しい事が増えるのよ。だから、さ。あなたのような子どもたちには、生きていてもらいたいわけ」


 そう言いながら、シスターはゆっくりとクレアを抱きしめた。


「あぁ、偉大なる神々よ。天におります大いなる女神よ、未来ある子らを守り給え。この子らの無限の未来に幸を与えたまえ……ネリー・ベール・エイレーネ・オイディース……」


 それは神にささげる祈りの言葉だった。クレアも故郷の街で時々耳にしていた言葉だった。シスターはそれを唱えると、今度は強くクレアを抱きしめる。


「魔王がいるならさ、神様だっているわけじゃない? でなきゃ、私、シスターなんてやめてやるわよ。あなたにも天空の加護がありますように……大いなる翼に守られますように、ね」


 シスターはクレアの頭を撫でながら、そう呟いた。


「シスター様……」


 クレアもシスターの手を取ろうと腕を伸ばす。

 その時であった。深い海の底から聞こえてくるような唸り声が聞こえてきたのだ。同時に水の爆ぜる音、そして打ち上げられた大量の水による大瀑布の衝撃が轟く。


「何なの?」


 シスターは窓の外、日が暮れかかった海の向うを見て、目を見開き、青ざめた。

 クレアもまた同じものを見た。それは、海の底から現れたとしかいうしかないものだった。無数の触手を蠢かしながら、しかしその本体は見えない。ただ気味の悪い触手だけがうねうねと蠢き、迫っていた。


「化け物!? こんな田舎の街を襲って何になるって……クレアちゃん、急いで逃げて、森の方、私は神父様背負うから!」


 半ば押し出されるように、クレアは教会から出る事になる。既に街はパニックだった。この街には所謂防壁のようなものはなく、現れた巨大モンスターを防ぐ術はなかった。

 街の人間は我さきにと逃げ出していく。


「おい」


 今までどこにいたのか、クレアの目の前にはマントを羽織り、仮面を身に着けたヴィーダーが立っていた。


「ッ! まさか、あなた……!」

「勘違いをするな。あれは俺が呼び出したものではない。ゴシーシャだ。奴の影響で、各地の魔物が活性化している。ジャべラス様であれば、コントロールも効くが、ゴシーシャのでたらめなコントロールではな……だが、まぁいい。この騒ぎに乗じて、街を離れるぞ」


 ヴィーダーはクレアの腕を取り、乱暴に引き寄せる。


「そ、そんな! それじゃ街の人たちは!」

「知らんな」


 ヴィーダーの返答はどこまでも冷たい。

 クレアはキッと睨みつけた。


「逃げるのですか! 勝てないんですか!」


 それはわざとらしい挑発だった。

 クレアの言葉を受けて、ヴィーダーは低く笑い、肩を震わせた。


「ククク、それで私が激高すると思ったか? バカめ。見え見えだな、小娘。大方、たきつけて奴を倒させようとしたのだろうが、そうはいかん」

「う……」

「それにな、小娘。何度も言うが私が貴様の命を助けたのは、貴様にはまだ死んでもらっては困るからだ。貴様の都合など、考えてなどおらん。こい」

「あんたら、何やってんの!」


 再びクレアの腕を引っ張ろうとしたヴィーダー。それに重なるようにシスターの怒声が飛び交った。


「ちっ……」

「シスター様!」


 ヴィーダーは舌打ちを、クレアは驚き振り向く。

 シスターは老いた神父を背負って、二人に駆け寄ってきた。仮面の怪しげな男を視界に入れると、シスターはあからさまな警戒の表情を浮かべるが、それがヴィーダーであるとすぐに理解したのか、変わらぬ口調で怒鳴った。


「なに、それ、だっさいわね。あぁ、もう、そんな事より、まだ逃げてなかったの!? あの化け物、すぐそこまで迫ってるわよ!」

「言われずとも、おさらばするつもりだ。それをこの小娘が……」


 その一瞬だけ、ヴィーダーは気を緩めたのか、それとも警戒されないようにするためだったのか、クレアを握る力を弱めた。

 その瞬間、クレアは抜け出し、モンスターのいる方向へと走りだした。


「おい、貴様、待て!」

「クレアちゃん!?」


 ヴィーダーとシスターの制止など無視して、まさしく津波のように逃げる街の住民の間をかき分けながら、クレアは一心不乱に走っていく。

 時々、逃げていく人々の腕や足が当たっても、クレアは止まらない。

 そして、彼女は蠢く巨大な触手へとたどり着く。その距離、約三十メートル。触手が伸びてきたら、そのまま潰されてもおかしくない距離だった。


「はぁ、はぁ……」


 目の前に巨大なモンスターが迫る。

 怖い。本当は逃げ出したい。でも、それは出来ない。


「私は、私だって、御使いなんだから……世界を守るって、パパとママを救うって決めたんだから……!」


 崩れそうになっていた決意。でも、クレアはそれを何とか保った。

 だから、そこに立つ。モンスターは迫る。クレアは逃げない。


「さ、さぁ助けにきなさい! 私に死なれたら困るんでしょう? だったら、私を助けてみせてよ!」


***


「くそ、あのガキめ……」


 あとを追いかけようとするヴィーダーであったが、迫る人波に阻まれてしまう。それはシスターも同じだった。


「忌々しい!」


 ヴィーダーは一瞬、目の前にいる人間たちをまとめて吹き飛ばしてやろうかと思った。どうせ死にゆくものたち、ならばこの場でいっそ始末してやるのが慈悲でもある。本気でそう思ったのだが、できなかった。


「まさか、あの小娘!」


 躊躇ったのではない。そんな事をしている暇がなかったと言える。

 ヴィーダーはクレアの行動、その意味を悟ったのだ。


「えぇい!」

「ちょ、ちょっとあんたなにするつもり……!」


 もはや近くに人がいることなどお構いなしだった。ヴィーダーは指先で空中に円を描くと、紫色の魔法陣が展開された。近くでその光景を見てしまったシスターは驚いた。彼女は、ヴィーダーの正体にまではたどり着いてはいないが、まさか魔導士であったとは思いもよらないという顔だった。


「魔導士だったの!」

「そのような雑魚と一緒にするな」


 描かれた魔法陣は天高く打ち上げられる。空中に舞い上がった魔法陣はその一瞬で、数倍にまで広がった。


「小娘め……フッ、良いだろう。貴様の策に乗ってやる」


 仮面の中で、ヴィーダーは笑みを浮かべた。

 ただの小娘だと思っていた。気丈ではあるが、それだけ、つつけば敗れるような脆い存在だと思っていたが、どうやらその認識は返るべきかもしれない。

 

「自分の命を取引に使うか! ハハハ、面白い。なるほど、貴様がネリーの御使い選ばれたのは単なる偶然ではないようだな」


 触手の塊がもうすぐそこまで来ていた。放っておけば、クレアは潰されるだろう。それは、避けなければいけない。

 全くもって忌々しい事だった。あの小娘のせいで、こちらの存在をゴシーシャに悟られてしまうかもしれない。

 だが、それはもう構わない。こそこそと逃げ回るのは性に合わない。ならば、ここいらで宣戦布告するのも悪くはないと思った。


「こい、グランド・エンド!」


 ヴィーダーは天を、魔法陣を見上げて、己の半身を呼び出す。

 彼の呼びかけに応じるように、黒い稲妻と共に魔法陣から戦闘機形態のグランド・エンドがその特徴的なドリルの機首からゆっくりと姿を見せる。

 姿を見せると同時に人型へと変形し、遠慮もなしに家屋を踏み潰しながら、降り立つ。

 人々は突如として現れた漆黒の巨人を唖然と見上げていた。


「な、何者なのよ、あなた」


 シスターは何とも言えない雰囲気をヴィーダーから感じ取っていた。


「貴様らには関係のないことだ。あの小娘に感謝しろよ」


 が、ヴィーダーは答えることもせず、黒い光に包まれるとグランド・エンドへと吸い込まれてい行く。


「フン、ゴシーシャめ。貴様の首は必ず取る。その下準備だ。覚悟しておけ」


 ヴィーダーは一気にグランド・エンドを加速させ、飛んだ。

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