2月26日『C'est la vie(これが人生)』ミホ

 二人の生活が一年を過ぎた頃には、ゆかは冷凍庫を開けなくなっていた。

 広いリビングの一角。二畳分のスペースを悠々と使い鎮座するその巨大な箱は今も低い運転音を部屋中に響かせていて、リビングルームには無音というものが存在しない。

 否応なく視界に入る巨躯と鳴り続けるファンの音が、そこにがまだ在るということを主張する。

 彼はまだそこに死体のまま在り続けている。

 ゆかは明らかに冷凍庫を無視して生活している。

 逆に意識しているという証左に他ならないけれど、ゆかにとって彼は『無かったことにしたい出来事』であり、それはゆかが完全に彼から離れたことの証拠でもある。

 黒歴史を恥ずかしがる大人のように、ゆかは自分の過去にあった感情と過去に自分が行った干渉に蓋をして、見ないふりを続けながら私との生活を送っているのだった。


「ゆか、そろそろ寝よっか?」

「……うん」


 ソファで私の隣に座ってぼーっとテレビを眺めていたゆかに声をかけて立ち上がると、私につられるようにゆかも立ち上がる。

 彼が眠る箱を見ないように、背を向けるようにゆかは歩きだした。

 一瞬、ゆかの視線が冷凍庫を捉えたのが分かった。

 リビングを出て寝室までのほんのわずかな時間、ゆかと手を繋いで歩く。

 ゆかの手はいつも少し熱い。

 まるで内に溜め込んだ熱情が、血液と一緒にゆかの身体中を巡っているみたいに。

 繋いだ手からゆかの熱が伝わって、じんわりと手のひらが汗ばむ。

 私は少しだけ握った手に力を入れて、サインを送る。

 私の手にもゆかの指の力が加わって、お腹の辺りがキュッて締まる感じがする。

 何だか頬が熱っぽい。心拍が速くなったような気がする。

 手のひらが汗ばむ。


 寝室に着いてキングサイズのベッドに腰を下ろす。

 手は繋いだまま。

 肩を寄せて、繋いだ手の、指を絡める。

 ゆかの吐息が早い。

 私とゆか、熱っぽい。

 閉めきったカーテンが部屋を暗く染めて、私とゆかは二人だけの秘密を共有し合う。

 私たちだけの共感覚。


 私はゆかさえ居てくれたらいい。

 私の身体と命は、今この時の為に在る。

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