閑話:最果ての悪魔

 そこは月面の硬い砂の地表。

 生命の無き真空の大地。

 光り当たらぬその場所に片膝をつく一人の女がいた。


 わずかばかりに差し込む光源に映しだされるのは、うつむいても尚わかる美貌。


 万年雪のような白肌に、光吸い込む漆黒の髪と血を連想させる深紅色の瞳。

 黄金率の容姿には絶世の美があった。


 女は地表に手をついてゆっくりと立ちあがる。

 太陽の光に全身が照らされ、闇に隠れていた姿が露となると、現れたのは美しき貌とは真逆の異形であった。


 その腕と足は、漆黒の装甲で隙間なく覆われている。

 手は二の腕から指先まで竜の手袋のように。

 足は太腿の中程から爪先までを竜の靴のように。

 指には獣のような鋭い爪が生えており、体の対比から見ると元の手足より一回り以上は大きく膨らんでいた。

 胴体には竜の鱗を何層にも重ねて作ったような、清楚さを感じさせる裾の短いワンピース。

 腰の後ろには竜の尻尾と一対の巨大な羽が生え、側頭部には垂直の角が二本。

 その間を通るように鱗状のティアラが輝いていた。


 女の格好は服や甲冑というにはあまりにも生物的で、生物というには複雑で整いすぎており、体の一部というには異質で攻撃的であった。


 女は真空の空を見上げ、自らの失敗に気づき舌打ちする。


 そこに浮かぶのは青い水の惑星……宝石を思わせる青の星は女の故郷のものと同じ柔らかな優しさと静謐さをもって存在していた。

 それを確認した女は、爪先でトントンっと地表を軽く蹴る。

 月の砂が緩やかに舞った。


(いくつかの惑星を巡ったけど、あるラインを超える知的生命体がいる星には必ず月があった。生物が進化するには衛星が重要な役割を果たすのかしら?)


 女は魔術式センサーを最小強度で展開し、現在の位置を確認した。

 転移したポイントは予想よりも大幅なずれが生じている。

 女は再び舌打ちする。

 そして前傾姿勢になると走りだし、背中の羽を後方に広げて飛ぶような速度で移動を開始した。


(三六式の魔法陣だと地表からの転移は少々力不足かな……転移の座標ズレとコンマ千分の七秒も認識できない時間が出来てしまうのはいただけないわね)


 人の影が見え、女はそこまで無言で駆け走る。


 女の戦いを援護サポートしてくれる頼もしい……かどうかは分からない。

 むしろいない方がマシかもという、自称相方ポンコツが腰に手を当てプンスカといった様子で待っていた。


「遅いですよ! もうすぐ奴らが這い出てきちゃいますよっ!!」

「ごめんごめん。作務衣をフーに渡そうとしたらが中々起きなくてね。転移陣を起動させるのに時間がかかっちゃたのよ」

「あぁ! もうっ! どうして貴女はいつもそんなにユルユルなんですかぁ!!」


 音が伝わらないはずの真空で、二人は声に出し・・・・会話をしていた。 


 観目麗しい天使のような中性的な容姿に背中には光る楕円形状の六翼を持つ少年。

 彼は月の大地で器用に地団駄を踏み、きーきー言いながら怒りを訴えてる。

 女は異形の腕を物憂げに組み、ジロリと少年を睨みつけた。


「あら、アンタに人を責める権利があると思っているのかしら」

「う? ……い、いきなり何ですかっ!?」

「三日前に見張りサボって、連中が数体ほど牢獄から這い出てくるのを見逃していたでしょう? 気づいた闇竜達がブレスで迎撃して時間を稼いでくれたから何とかなったけど、そうじゃなかったらアタシの到着が遅れて、今頃は増殖した奴らの処理で星が大変な事になっていたわよ?」


 やばっ……とつぶやき、少年は後ずさりをする。


「元をただせば、この星に神様を送ってきたアンタ達の種族がいい加減でだらしないから、こうして本来は守られるべき惑星原住民・・・のアタシがわざわざ出張ってるわけでしょうに? もう少しご自分の立場というものを理解したほうがいいんじゃないかしら?」

「い、痛い! 一々言う事がごもっともで痛いですぅ!」


 胸を押さえ空中でのたうつ少年に、女は冷ややかな目を向けた。


「というか、あんまり舐めきった仕事をしていると、連中の主星に乗り込んでいって『こんにちは死ね魔王グランドクルスアタック』をブチかましてくるわよ?」

「うっ、うえええええっ! そ、それだけは止めてください! 下手したら星系一つ消滅しちゃいますっ! 古き種族と本格的に戦争になっちゃったら、僕らみたいな弱小種族なんてあっという間に潰されちゃいますよおぅぅぅ!!」

「知らないわよ。そうなりたくないなら、砦街で呑気に屋台食べ歩きなんてしてないで、無能なアンタでも唯一出来る見張りをしっかりとするべきね」

「鬼! 悪魔! 魔王! 血も涙もないのですか! うぅぅ……激務の間の唯一の楽しみがっ!!」


 ヨロヨロと死にそうな顔で崩れ落ちる少年。


 しかし女は同情しない。

 何しろ彼とは最初の出会いからして宜しくなかった。

 上から目線で接してきて、下等な原住民呼ばわりされたあげく『僕の犬として使役してあげるから光栄に思いなよ?』とまで言われたのでは、比較的心の広い女といえど優しくする気はなくなるというものだ。


 女が助走をつけて軽く頭を撫でてあげたら、少年の方から喜んで犬になったが。


 それにこの少年は甘い顔をみせるとすぐにつけあがるのだ。

 常に力を誇示しないと舐めてかかる頭の悪い獣よりたちが悪かった。


 ああそうか、こいつ馬鹿なんだ。


(精神生命体……神様という名の自動機械が、生物を知的生命体まで進化させ、それによって生み出される精神エネルギーを回収。その集めた精神エネルギーは主人である少年の種族に流される……そして彼の種族は数多くいる上位生命体の中では銀河を数個所持している程度の弱小でしかない……)


 女は心の中で密かにため息をついた。


「何だかね。上位種族……神様の世界とやらも結局は弱肉強食なのね」

「へ、なんのことですか?」

「神様なんてうそぶいたところで所詮は生き物。違いは生活習慣程度。実に、実に生臭く俗っぽいって言っているのよ」

「は、はぁ……?」


 少年の疑問に女はそれ以上答えない。

 月と青い惑星の間の一点に、渦のような歪みが生じたからだ。


「さてさて、今週のお勤めを果たすとしますかね」

「はいっ! 今日もがんばりましょう!!」


 二人は悪魔と天使の翼を広げて月面から飛び立った。


 ◇


 相手は古の種族……その眷属の悍ましき者達。


 一体一体がこの星の神と呼ばれた精神生命体と同等の強さを持ち、それが万の単位で歪んだ空間から這い出てきていたのだ。

 普通ならば絶望しかない光景だろう……しかし女はそれ以上の化け物であった。

 ありとあらゆる上位生命体の種族から『最果ての悪魔触れるな危険』と呼ばれている事を、その女自身は全く知らない。


 激しい戦いが起きる。


 具体的に言うならば万単位の眷属体を女がひっつかまえて、ちぎっては投げ、ちぎっては投げるの八面六臂の大活躍で殲滅していった。

 天使の少年も戦ったが集中砲火を受けて早々に戦闘不能とやるきがなくなり、情けない悲鳴をあげながら女の背後に逃げ込んできた。


 女は遠慮なく少年の首をつかんで利用たてにした。


『鬼! 悪魔! 人でなしっ!』などと暴言を少年に吐かれたが女は特に気にしなかった。

 頑丈で使い減りのしない、減らず口まで叩く盾を使用して何が悪いというのか?


 そうして粗方片づけたところで索敵を受け持っていた少年が異変に気がつく。

 古の種族の破壊した眷属体の数が、最初に確認した数より明らかに少なかった。

 その理由はすぐに判明する。

 戦場から遥か遠くで、青い惑星に降下しようとしている巨大な肉塊が存在したからだ。

 囮による陽動作戦……その間に本命が目的を遂行する。


 シンプルだが非常に効果的な手段であった。 


 女は惑星降下を開始していく巨大な肉塊を睨みつける。

 この星に生きる者達を狂気で満たすには十分すぎる量の塊。

 黒々とした悍ましいそれは、大気の炎に炙られながら赤熱化していく。

 あれが分裂して地表にばら撒かれれば、いくら無双の力をもつ女といえど手の打ちようがなくなるだろう。


 ――ならばっ!


 女はその場でクルリと回転して宙を蹴って飛びあがった・・・・・・・・・・・


「くらえ……超――――」


 女の背中、その羽の形状が変化していく。

 布のような柔軟さで、伸ばした右足の爪先から体全体を包み込むと円錐形状へと見る見るうちに変わって硬化した。

 それはまるで一個の捻じれた矢じりのようであった。


「魔王キック……だ!!」


 女がつぶやいたのは神の言霊。


 途端に、先端から光を纏って爆発する勢いで移動を開始すると、加速し黄金色の軌跡を描き、進行方向の古き種族の残骸を無慈悲に消滅させながら突進する。

 その様子はまさしく放たれた黄金の矢だった。

 大気圏に突入し、そして肉塊に追いついた。


「――――――――!!」


 肉塊に直撃する。


 振動、深く突き刺さる。

 瞬間、女は確かに視認して認識した。

 表皮の肉が剥がれ落ちた塊の奥底から、こちらを覗いている血の涙を流す無数の悍ましい瞳を、常人ならそれだけで気が狂う狂気の視線を。


 だから女は、聖女あくまの微笑みを浮かべてやった。


 捻じり回転、そして貫通。

 光の矢と化した女はそのまま重力に引かれて落ちていった。

 後方では悍ましい悪夢の肉塊が爆散し火を吹いて細かく分解され、やがて雨のように惑星に降り注ぎ次々と浄化され消滅していく。


「じゃ、後は任せたわよ!」


 羽を落下面に展開して大気の炎を纏いながらシュバッと片手をあげると、この惑星の危機を難なく救った女は後始末を軽いノリで少年に頼んだ。


「ちょ、ちょっと! ま、まだ奴らの生き残りがぁぁ――」


 少年の悲鳴はすぐに離れて消えた。

 あの程度の数なら片付けられる程度の戦闘力を彼がもっていることを女は知っている。

 そしてなにより彼女には、彼女の迎えを待っている可愛い孫娘がいる。

 いつまでもこんなところで油を売っている場合ではないのだ。


「しかし、羽で大気圏再突入とか、アタシはガ〇ダムかしらぁぁぁぁ!!」


 意味不明な叫びを声をあげながら女は自由落下していった。



 ◇◇



「いつも悪いわねモーリィちゃん」

「いえいえ、こちらこそ色々と世話になっていますし、お互い様ですよ」


 昼も過ぎた頃。

 女……魔王様はヘラヘラと笑いながら孫娘のカエデを迎えに来た。


 今日のカエデは珍しく起きており、まだ聖女と離れたくなさそうだったが、あまり遅くなると娘様がうるさいので我慢してもらうことにした。

 以前、孫娘にねだられ、聖女に頼んで勝手に泊まらせた時など、正座を強要させられた上に延々とお説教までされたのだ……。


 しかも、なぜか侍女長も参加してのダブルスピーカーで。


 魔王様は思い出した恐怖でぶるりと体を震わせた。

 その様子を清楚な雰囲気をまとう聖女は不思議そうに見ている。


 そのため、最近の魔王様は所用・・や井戸端会議などは程ほどに切りあげ、治療部屋まで孫娘を迎えに行っているのだ。


(一人娘とはいえあの子ホムラも少々過保護がすぎるわよねぇ……)


 本日のお前おやばかが言うな、であった。


「ねっねっ! 御婆ちゃんっ! 流星凄かった!」

「うん? 流星?」

「そうっ! 流星いっぱい!!」


 よほど凄い物を見たのか、孫娘は興奮しながら腕を上にあげて流星、流星と連呼し、頬を染めプルプルとしていて実に愛らしい。

 孫が可愛いのはともかく、流石の婆もそれだけだと理解できなかったので聖女に問いかけの視線を向ける。

 気の回る彼女は何を聞きたいのかすぐに察してくれた。


「ええっとですね。今朝の事なんですけど、西から北の方の空に向かって流星群が流れて行くのを二人で見たんですよ」

「西から北に……あ!? ……あぁ、うん、そうか流星群ね、そうかそうか」


 魔王様の額から流れる汗が一筋。


「ねねっ! 御婆ちゃんも見た? 流星っ! いっぱいで凄かったんだよ!!」

「はい、見たといえば見ましたよカエデちゃん。むしろこの場合は作ったというべきかしら……?」

「……あの、作ったって、何をですか?」

「モーリィちゃん何デモナイノヨー?」

「は、はあ……?」


 目を泳がせながら明後日の方向に顔を向ける魔王様。

 聖女の『この人また何かをやらかしたのかしら……』という視線が痛かった。


「ええ、でもまあ、本当に珍しいものが見れたので幸運でしたよ」

「聖女っ、また見たいっ、流星っ! いっぱい!」

「ん~カエデちゃん。めったに見れないものだから、それは難しいと思うよ?」

「え、そうなの? ……でもまた見たいなぁ」


 ショボーンとする孫娘。

 頭を撫でながら慰める困り顔の聖女。

 普段、我儘どころか欲しいものすら我慢する傾向のある孫娘のささやかな・・・・・望み。

 そう、婆にとって可愛い孫娘のためならばどのような事でも、ささやかなものなのである。


 魔王様も何だかんだで婆馬鹿なのだ。


「えっーと、あれよ、カエデちゃんにモーリィちゃん」


 魔王様の呼びかけに顔をあげる二人。

 魔王様は作務衣の腕をまくると肘を曲げ、プニプニの細い二の腕を誇らしげにペチペチした。


「御婆ちゃんが頑張れば、たぶん来週も見る事ができると思うわ、流星が!!」

「「はい?」」



 ――そして婆は孫のために頑張った。


 次の週も早朝の空に見事な流星群が出現した。

 魔王カエデは手を叩いて無邪気に喜んだが、聖女モーリィは釈然としないものを感じて頭を捻るのであった。

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