砦のダンジョン その12

 モーリィはメルティと魔王様の三人で、街を一望に見下ろすことの出来る砦の城壁の上にいた。ダンジョンの外に出た後、そのまま入り口で待機していた騎士団長に挨拶して、ててっと帰ろうとする魔王様を引き留めたのはメルティだった。


「ちょっと待ちなさいよ観察対象X……貴女と話があるわ」


 呼び止められた魔王様が「あいよぅ」と手を上げ案内してくれたのがこの城壁。モーリィが一緒に来ることを望んだのはメルティで、魔王様も聖女がついて来たことに対して特に何も言わなかった。


 モーリィを真ん中において両脇に二人。三人で夕焼けに映える砦街の風景を無言で眺める。お話好きなモーリィだが彼女達の何とも言えない緊張感には喋ることができず、手持ち無沙汰になって身に纏っている外套を無意識に撫でていた。


 ふと自分の行動に気づき、聖女モーリィは少しだけ赤面する。


 この外套は女騎士ツヴァイが外に出る前にモーリィの肩に掛けてくれた物だ。突然の彼女の行動に疑問を浮かべるが外に出てから理由は分かった。騎士団長を始めとしたルドルフやトーマス、そしてライトといった砦の騎士達や女騎士達が待ち構えていたからだ。太もも剥き出しのドレスのまま外に出ていたら、聖女は羞恥のあまり失神していたかもしれない。


 女騎士ツヴァイの紳士のようなさり気無い優しさ。


 モーリィは出迎えの女騎士達に囲まれて肩を叩かれているツヴァイを目で追ってしまう。外套の裾をギュっと掴んで、握り手を口に当て頬を染めた聖女の姿は完全に恋する乙女メスのものだった。かつて少年だったモーリィは色々な意味で取り返しのつかない場所まで足を踏み入れてしまったようだ。


 おんな前すぎる女騎士イケメンが淡い思慕の相手とは、聖女の内面はかなり面倒臭いことになっていたが、幸か不幸か女騎士ツヴァイの性的指向はノーマルであった。


「それでメルちゃん話って何かしら?」

「メルちゃん言うなっ!」


 沈黙を破るように話し始めた二人にモーリィは我に返った。


「まずは礼を言うわ。貴女のおかげでこうしてまた外に出ることが出来たんだから」

「うん、どういたしまして?」


 魔王様は困ったように頬を指で掻き笑った。


「あ、やっぱりあのドレスがメルティの魔力消費が減った理由なんですか?」

「うん、そうね、影さんのおかげかな。あのドレスに四百年近く宿ってアタシの力を……ミゲルちゃん達いわく『謎力』を貯め込み増幅していたからね。それをそのまま全部メルちゃんの魔力の代用として使っているわけよ」

「ええ、そのようね……悔しいけど今の私は貴女の眷属てしたみたいなものなのね」


 しかしメルティの顔は悔しそうではなく晴れ晴れとしたものだった。


「そんな大層な物でもないわよ。いいとこ謎力を貸し出してる程度の繋がりってところかな? それよりこれからが大変よ~ミゲルちゃんが大喜びで実験させてくれって言うんじゃないかしら?」

「くふふ……確かにN教授ならそう言いそうね」


 魔王様のからかうような発言に苦笑気味に答えるメルティ。

 緩む雰囲気にモーリィは安堵を覚えた。二人が昔からの顔見知りと言うことは外野の彼女にも分かったが、関係はあまり良好には見えなかったからだ。


「ねえメルちゃん。アタシの事を恨んではいない?」

「貴女には厄災の時に迷惑をかけられた。でも、それも含めて今がある……だから今の貴女に対して思っている事は特にはないわ」 


 メルティの発言に魔王様は頷き、ぽつりと呟いた。


「クロエの事は本当にすまなかったと思っているわ」

「それは……今更言う事なのかしら?」

「そう、そうね、そうよね」


 肌寒い風が吹き夕日に染まる風景はだんだんと闇に浸食されていく。地平線の向こう側では微かに星が見え始め夜の始まりを知らせているようだ。

 魔王様は空を見上げながら懺悔でもするように告白する。


「アタシは償いきれない罪を犯した。あの戦い、人魔大戦で多くの人の命を奪ったの。それはクロエに対しても、彼女の大事な人を何人も殺し恨まれる事をした」

「……魔王様」


 能天気で悩み一つもなさそうで、いつもは頼もしさすら感じさせる魔王様。だが今の彼女はその見た目通りひどく儚げでか弱く見えた。


「それどころかね、上から目線で命令までしたのよ『悲しみのない世界を作って見せろ』……なんてね。私はそうやって彼女を苦しめた。だから、今やっている事はせめてもの罪滅ぼし、その一つを彼女と仲の良かったメルちゃんにと思って……」


「…………違うわよ」

「……メルちゃん?」

「クロエは、あの子は……貴女を恨んでなんていなかったわ」


 メルティは目を閉じるとクロエのことを話しだした。魔王様は沈黙する。


「いつも心配していた『あの放浪の魔王様は人族に対して憎しみを忘れて幸せになる事が出来たのでしょうか?』いつもそんなことを言ってた。死ぬ最後の時までもよ……あの子は悔いを残して逝ったのよ!」

「――――!」

「約束したのでしょう? どうして最後まで会ってやらなかったのよ!? この街を、クロエを、自分の眷属を使って守るくらい大事だったなら会ってあげればよかったのよ。あの子と話して一言ごめんなさいって謝ればよかったのよ! そうすればいつまでもつまらない罪悪感を抱かずにすんだのに!!」


 御伽話……放浪の魔王と小さい国のお姫様のお話。


 モーリィはその物語を母であるアイラ・モルガン以外からは聞いたことがなかった。興味本位で砦街の図書館に行ってみたこともあるのだが、その話を記載した本は一冊もなかった……モルガン家だけに伝わる御伽話だったのだ。


『お願い……彼女を救ってあげて、私が交わしてしまった約束を、信じて待っていてくれた優しい彼女の名前は……』


 彼女の名前は……魔王様?

 

『はい、聖女モーリィ……少しだけ、少しだけよろしいでしょうか?』


 その声に・・・・、聖女は迷いもなく頷いた。


「アタシは……アタシはね、怖かったの。聖女クロエに罵られて拒否される事が、だから……」

「星を破壊できるほどの力を持つXともあろうものが情けないわね」

「そうね、でも……やっぱり」

「馬鹿よ貴女……優しいクロエが拒否するわけないじゃない……それなのにクロエが消えた後も未だに……ふふ、馬鹿は私もか、今さらそんな事を語り合っても意味がないのに、本当にお互い馬鹿よね」


「メルティ、あまり魔王様を虐めるものではありませんよ?」


 聖女はメルティを叱るように宥めた。聖女の今までとは明らかに違う……そして懐かしい雰囲気に気づきメルティは目を見開いた。


「あ、貴女、もしかしてクロエ・・・なの?」


 メルティの驚く声にクロエは緩やかに微笑み頷いた。


 そして同じように驚いている魔王様の手をそっと握り胸元に引き寄せる。

 魔王様は聖女の行動に戸惑を見せたものの逆らうことはしなかった。


 聖女クロエは眼下に広がる街を誇らしげに愛おしむように見下ろす。


「どうですか魔王様。私は貴女との約束通り……いいえ私の理想通り、多くの人と協力し合いこの街を造り上げたつもりです。いくつもの種族と様々な国の者達が争い無く笑って生きていける、そのような街を目指したつもりです。今のこの街は貴女のお目に適いますか?」

「……ええ、ええ! とても、とても素晴らしい街だと思うわ」

「ふふ、本当に良かったです」


 クロエはメルティにも手を差し出す。

 聖女の手の平に獣人少女の小さい手がおずおずと乗せられる。


「メルティ、貴女には死んだ後まで迷惑をかけましたね。でも、もう少しだけ彼女・・の為に迷惑をかけてもよろしいでしょうか?」

「迷惑だなんて……そんなことは思っていないわクロエ。貴女に助けられた時から貴女の望みが私の望みでもあるのだから」


 クロエは握った二人の手を自分のお腹の前で重ねた。

 魔王様の竜のような尻尾がクロエの細い腰に回され、その上からメルティのリスのような黒い尻尾が覆いかぶさる。


 三人はそれ以上は何も語らず、身を寄せ合い月明かりに照らされる砦街を見続けたのであった。



 ◇◇◇◇◇◇



 数日後の早朝のことである。

 モーリィは治療部屋の入り口前を柄の長い藁箒で掃いていた。


 治療部屋の建屋の近くには葉っぱの散りやすい大樹が何本か生えている。

 日に一度の掃き掃除はモーリィの日課となっていた。患者を運ぶのに葉っぱで足を滑らせ扉に衝突し、更なる患者を出すのはモーリィの本意ではないからだ。


 砦の騎士さる達が以前やらかしたのだ。


 早朝に治療部屋の扉を開けたら、むさ苦しい男達が体中どころか床まで血塗れにして、棒立ちしている姿はチビッてしまうくらい恐怖ものであった。


 この聖女モーリィは昔から度々チビッているのではないだろうか?


 治療部屋前の掃き掃除が一通り終わったので隣の掃除に移ることにした。藁箒を肩に担ぎ短い距離をトコトコと歩く。裏池の水は戻され青々とした水面を揺らしており、偶に何かを投げ入れるような大きい水音がしたりもするが、いつものことなので聖女は特に気にしていなかった。


 地下ダンジョンの入り口は治療部屋の隣に移されていた。


 メルティは王国と地下ダンジョンの扱いについて話し合いをする為に今は王都にいる。眠ってる間に起きた出来事についても確認しておきたいらしく、しばらくは砦街に戻ってこれないらしい。


「何だかなぁ……もう少し、ゆっくりしてから王都に行けばいいのに」


  彼女は外に出た翌日には砦街から魔導士長と共に王都に旅立ってしまった。

 あまりにも急過ぎて聞き分けのよい聖女モーリィといえど、愚痴じみた文句の一つも言いたくなるというものだ。


『大丈夫よモーリィ、N教授……魔導士長は信用できる人だし、王都のほうで王様に会ってこれからの事を話し合ってくるだけなんだから。心配しなくても直ぐに戻って来るわ』


 メルティはそう言って長い獣耳と尻尾をピンと立たせモーリィに約束してくれた。

 別れ際に抱きしめられ抱き返して少し涙ぐんでしまったのは聖女の秘密である。


「どうにも女になってから涙が出やすくなった気がする……」


 地下ダンジョン入り口の掃き掃除を終わらせてしまうことにする。

 それほど葉っぱもたまっていないので直ぐに済みそうだった。そうして掃除も終わりかけた頃、テッテッテと小さく早い歩幅の特徴的な足音が聞こえてきた。

 

 やがて足音の主がモーリィの前に飛び跳ねる小動物のように姿を現した。


「聖女っ! 聖女っ! おはようございます。何でお外に居るの!?」

「ふふ、おはようございます。掃除の為だよカエデちゃん」


 小さな姿……五歳児ほどの赤毛の可愛らしい幼女。魔王ちゃんことカエデだった。普段喋りは幼いのに挨拶の言葉と仕草は丁重でしっかりとした躾がなされていることが覗える。幼女に手を差し出すと『うふー』と嬉しそうに両手でしがみ付いて来た。


「カエデちゃんは朝早くからどうしたの?」

「御婆ちゃんと一緒に来たんだけど、エルフのおばちゃんが中々起きなくて寝ぼけているから、あたしだけ先にここに来たの」

「エルフの……フランさんかな?」

「うん、その人~。ぶよぶよだった」

「ぶよぶよ?」

「お腹とお尻を丸出しで涎垂らして寝てた。お腹を指で突いたらぶよぶよだったよ」


 カエデは人差し指で肉厚なナニカをグリグリするような仕草をする。

 駄目女子の普段の惨状についてモーリィは何も聞かなかったことにした。


「それじゃあカエデちゃん、掃除も済ましたし一緒に治療部屋に行こうか」

「はーいっ!」


 カエデの手と繫いだままもう片方の手で藁箒を肩に乗せて持つと、モーリィは地下ダンジョンの入り口を一度見る。つられて見たカエデが歌うように口ずさむ。


「地下ダンジョン~早く行きたい地下ダンジョン~」

「うん、楽しみだね」


 地下ダンジョンは現在封鎖されていて、メルティが許可した人間しか入れないように設定されている。それを聞いた時のショボーンと落ち込んだカエデの顔があまりに愛らしく、申し訳ないと思いつつもモーリィは少し和んでしまった。


 ミレーから地下ダンジョンでの武勇伝を散々聞かされ、魔王カエデも冒険したくなったらしい。落ち込んだままのカエデを放置するのも可哀想だったので、メルティが戻ってきたら一緒にダンジョンに探索に行こうと約束したのだ。


 モーリィは前々から気になっていたことをカエデに聞いてみることにした。


「ねえ、カエデちゃん。私の部屋に泊まった日の事は覚えているかな?」

「うん、聖女と一緒にご飯食べて体洗って、それからベッドで魔王とお姫様のお話してもらったー覚えているよ!」

「ああ、そういえばそんな事もあったね……えっとね、その時にカエデちゃんは家に帰らずに何で私と一緒にいたいと思ったの?」


 モーリィの質問にカエデはキョトンとした顔をした。


「約束したからだよ」

「約束、誰とかな?」

「聖女だよ? 約束したから一緒にいたの」


 約束した……私と……いつ?


「カエデちゃんおかしなこと聞くけど、それは本当に私だったのかな?」

「聖女だったよ……うーん、でも聖女に似ている別の女の人だったのかなぁ?」

「それって……!?」

「よく分からない? でもね、約束はしたと思うの」


 カエデは不思議そうな顔でモーリィを見上げていた。彼女もいつ約束をしたのかはよく覚えていないらしい。聖女はしゃがんで藁箒を地面に置くとカエデの頭をゆっくりと撫でてあげる、幼女は気持ちよさそうに目を細めた。


「うん、そうだね。確かに約束したのかもね。ありがとうねカエデちゃん」


 魔王カエデが誰と何の約束をしたのかは分からない、ひょっとしたら幼女はどこかでクロエに会っていたのだろうか。モーリィのように砦でクロエを感じ声を聞いていたのかもしれない。何しろこの子は魔王様の孫娘だ、あり得ないことではない。


「ねえ、カエデちゃんは私のこと好きかな?」


 カエデの今までの態度からモーリィに対して好意を抱いていることは分かっている。しかしモーリィは本人の口から聞いてみたい気分になったのだ。


「うふーうふーっ」

「ん?」


 だがカエデは答えずにモーリィの腕を離すと頬を朱に染め短い手を後ろにまわし、もじもじと足の爪先で地面にのの字を書きだした。


「……ねっ? ねっ? 聖女はあたしのこと好きー?」

「うん? もちろんカエデちゃんのこと大好きだよー」


 カエデは「きゃー」と歓声を上げながらモーリィの首に飛びついてきた。


 聖女は魔王ちゃんの突然の行動に驚いたが、幼児の突拍子の無さには田舎にいたときの子守で慣れていたので、そのまま膝下に手をいれ抱き上げると藁箒を持って軽々と立ち上がった。片手でも幼女を持ち上げられる程度には魔力が増しているようだ。


 きゃっきゃっと無邪気に喜ぶ魔王ちゃんに聖女も自然と笑顔になる。


 あの城壁の上で、クロエの声を聞き彼女そのものになれた理由はモーリィにもわからずじまいだった。疑問は残るし全てがはっきりとした訳でもないが、人ひとりが一生で得られる世の真実なんて本当にわずかなものだろう。むしろ知らないほうがいいことのほうが世の中あふれているのだから。


 ――そういえば母さんもよく言ってたなぁ……『ま、いいか』って。


 モーリィはいつもニコニコと能天気に微笑む、白銀色の髪を持つ母親に無性に会いたくなった。そんな感傷に浸っていた聖女は不意にカエデに服を引っ張られる。


「聖女っ! お空っ! お空見てっ!」


 カエデの指差す方向を見上げてみると、朝焼けの澄んだ空に幾つもの光の軌跡が流れていく。


「あ、流星群か……珍しいね、しかもこの時間に見れるなんて」

「綺麗っ! 綺麗っ!」

「うん、本当に綺麗だねぇ」


 興奮し手を叩いて喜ぶカエデと美しい光景に見惚れるモーリィ。


 魔王様の罪もメルティの苛立ちも、そしてクロエの後悔も過去の出来事でありどうやっても消せない取り返しのつかないことなのかもしれない。それでも少しだけ運命が変わっていれば、あの時のように三人で空を見あげ、身を寄せ合い笑えあえる過去もあったのではないかとモーリィは考えてしまうのだ。



 聖女モーリィと魔王カエデは朝靄の残る砦で、流星群が全て消えるまで二人で空を見上げていたのであった。

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