白銀色の聖女

 モーリィは自室のベッドで目を覚ました。

 夢うつつの中、自分の呼吸音だけが聞こえる。

 なにかを思いだそうとして、思いだすことができなかった。

 ただ、悪い夢を見ていたらしいということは分かる。


 ――本当に夢だったのかな?


 ぼんやりと、そんな言葉が思い浮かぶ。

 身じろぎせず天井を見あげていると人の気配を感じた。

 ベッド横の椅子に腰かけて心配そうにモーリィを見つめるターニャがいた。


「……起きた? 大丈夫かいモーリィ?」

「あれ……何でターニャさんがここにいるんですか?」

「モーリィ……あんた、何があったのか覚えているかい?」

「…………あっ!?」


 モーリィは上半身を無理やり起こした。

 途端に目眩を起こし体が大きくふらついた。

 ターニャが慌てて腕を回して支えてくれなかったら、ベッドから転げ落ちていたかもしれない。


 その際、モーリィは自分の胸のを、ターニャの手で包まれるようにつかまれる、今までにない不思議な感触を覚えた。


 ターニャはモーリィを慎重にベッドに誘導して寝かせた。

 そしてモーリィのまぶたを、自らの手の平で撫でるようにおおった。

 昔、幼いころモーリィが寝付けないとき、母がよくしてくれたなぁとぼんやり考える。


「……ターニャさん?」

「モーリィ……まだ体が追いついてないみたいだから、もう少し休みなさい。話はまた起きてからしてあげるから……ね?」

「はい……」


 まぶたの上に乗せられた、ひんやりとしたターニャの手の平があまりにも気持ちよくて、モーリィは再び眠りについた。


 自分の身に起きた肝心な出来事も忘れて……。


 ◇


 騎士団長の執務室。


 砦の行政施設の建屋の一室にあり、砦街の司令塔ともいえる重要な部屋である。

 モーリィとしてはできるならば訪れたくない場所だ。

 理由は言わずもだが、少なくとも一人で来るほど命知らずでなければ、お尻の貞操観念も低くはない。


「つまりモーリィ、それが君のクラスということだよ」


 騎士団長のよく通るバリトンの声はモーリィの耳に入ってこなかった。

 ソファーに座るモーリィの対面には、同じくソファーに座る騎士団長。

 金色の髪に青い瞳のがっちりとした筋肉をもつ、三十前後ほどの見た目の大男。

 その巨漢に反して洗練された雰囲気と整った容姿を持つ美丈夫で、貴族としては非常に珍しいタイプらしく、宮廷の貴婦人方などに人気があるらしい。

 人として様々な欠点を持つが、それ以上の長所を持つ男……それが砦の騎士たち(脳筋)の彼に対しての評価である。


 つまりこの男も基本的には脳筋ばかである。


 しかし脳筋とはいえ、国の重要拠点の一つである砦街の全責任をこの若さで受け持っているのだ、有能であることは確かである。

 それは貴族の階級社会や、組織構造などに疎いモーリィでも十分に理解できた。

 普通に考えて尊敬に値する人物……そう言ってよいだろう。


 ただ、男色家の疑いがあり、それにモーリィが関わっていなければの話である。

 

「モーリィ? 聞いているか?」

「あ、は、はいっ!」


 騎士団長の呼びかけに、現実逃避するように考え事をしていたモーリィは我に返って慌てて返答した。

 そして、自ら発した声に思わず眉をしかめてしまう。

 モーリィの予想以上に高い声がでたからだ。

 声というものは自身が思っているよりも高い音質であることが多いが、先ほどのは明らかにそのようなモノではなかった。


 簡潔に言うと……。


「ははっ、モーリィ、随分と愛らしい声になったではないか?」

「………………」


 紛れもなく、モーリィの口からでたのは、うら若き乙女の声であった。


「そしてその姿……艶やかさと清楚さを同時に感じさせる美貌と相まって、実に素晴らしいぞモーリィ。まさに完璧。スパスィーバ」


 そう抑制のない口調で言って、騎士団長はもったいぶった拍手をした。

 なにほざいてるんだこの騎士団長ばかだいひょうは……。

 部屋にいた全員が、騎士団長に対して頭が愉快な人を見るような冷めた視線を向けた。


「まさしく『聖女』として相応しい……そう思わないかお前たちも?」


 騎士団長が発した言葉に、部屋が一瞬で沈黙に包まれる。

 モーリィの不明だったクラスが発現した。

 そう、条件を満たし発現してしまったのだ。


 それが『聖女』である。


 付き添いで来た三人。

 ルドルフとトーマスとターニャは、体を細かく震わせるモーリィを心配そうに見つめた。


「モーリィ……残酷なことを言うようだが、君には聖女として……いや、これからは女として様々なことを学んでいってもらわなければならない」

「………………」

「まだ混乱しているだろうが、現状を受け入れられるように努力して欲しい」

「…………はい」


 モーリィは湧きあがる色々な思いを飲み込んで答えた。

 そうしないと感情のまま喚き散らし、八つ当たりしながら泣き叫びそうだったから。

 隣に座っていたターニャが優しく手を握ってくれた。

 その気遣いに、ほんの少しだけモーリィの心が楽になった。


 ◇◇


 取り敢えずは本人の今までの役割も考慮して、砦預りのままとなったことにモーリィは安堵した。

 砦街は二年もいる場所である。

 第二の故郷と言えるほどには愛着がわいていたのだ。

 次に宿舎の移動を行うことになった。

 男所帯ぶたのむれの中に、聖女を住まわせておくことは危険すぎてできないからだ。


 そう、今のモーリィは紛れもない女なのだ。


 女性的な容姿に相応しくなかった男という性から、その容姿に見合った女という性に変化してしまった。

 聖女というクラスであることは魔導具を使い確認済みである。

 男から女への性別変換については、クラスを得ることによって引き起こった肉体変化ではないかという説が今のところは有力である。

 砦勤めの騎士たちの頭のおかしい頑丈さもそうだが、実際のところ騎士のクラスを得ている者は数名しかいないので、連中は素で頑丈なだけだろう。


 だが女騎士たちのクラスは全員が女騎士ごりらだ。


 モーリィの引っ越し先は女騎士たちのいる砦内の特別宿舎に決まった。

 その建物は本来は要人宿泊用の施設で、高貴な貴婦人が、砦の訪問をされる際などに使って頂くものだ。


 これには理由があり、先代の王の時代……。


『わたくし前線の兵士の生活にも理解がありますので贅沢は申しませんわよ?』


 などと訪問予定のお姫様が素晴らしく慈悲深いが無慈悲なことを仰り、折角準備していた街の高級宿を蹴って、砦の宿舎に宿泊しようとしたためにわざわざ建築したものである。


 砦の宿舎に泊めたのでは、騎士さるたちが無礼を働く危険性があるのだ。


 実はこのようなことをほんの思いつきで仰る高貴な方々は非常に多い。

 本当に御迷惑だから余計なことは考えないで、身のほどをよく理解して発言していただきたい。

 実働部隊ではない女騎士たちが砦にいるのも、別に猿の調教をするためではなく、そのような高貴なご婦人方がやってきた際の護衛役だからだ。


 どんなに頑張っても騎士達さるのむれでは女騎士ごりらには勝てない。


 モーリィは女騎士たちの部屋に囲まれる配置の個室をもらった。

 元の宿舎の二倍以上の広さをもつ部屋を見て変な笑いがでたが、特別宿舎の中では狭い方であるとか。

 最初は聖女という希少クラスと、その能力のこれから先の貢献などを考慮して、やんごとなきお方が泊まる部屋の一つを解放する手筈だった。

 しかしあまりにも部屋が広すぎてモーリィが断ったのだ。


 手洗いだけでも元の部屋と同じ大きさというのは、一般庶民であるモーリィには恐怖しか感じない。


 ターニャがしばらく一緒に生活して助けてくれたのは、女の体に不慣れなモーリィとしてはありがたかった。

 ルドルフが心配し、騎士団長に直訴して頼んでくれたのだ。

 騎士団長としてもお願いしたいところだったので喜んで許可をくれた。


 ただモーリィが困ったのはターニャが普通に肌を見せることだ。


 ウェーブのかかった美しい黒髪に張りのある褐色の肌。

 大きな胸とほっそりとした、しかし程よく肉のついた腰回りなどは妙齢の女性の完成された美しさがあった。

 まだ少年の心を残し、女に慣れないモーリィが見惚れて、情欲の感情を抱くには十分すぎるものであった。

 そのことにモーリィは、ターニャとその夫であるルドルフに、どうしようもない後ろめたさを感じてしまう。

 だが二人ともモーリィに関しては、今まで少し年の離れた弟として見ていて、それが妹に変わったんだと考えれば、罪悪感も少しずつ薄れて慣れていった。

 それにターニャもモーリィに女としての自覚を持ってもらうために、わざと自分の裸を見せている節があった。

 そのことにモーリィが気づいたのはしばらく経ってからのことだが、彼女には感謝の気持ちしかなかった。


 ターニャは女として、モーリィに様々なことを教えてくれた。


 男と女の生活習慣の違いから、男には聞かせられない類の話。

 モーリィには今のところ来てはいないが月のものの処置の仕方など。

 女騎士たちは女性らしい方面ではあまり役に立たなかった。

 砦のおとこよりおんならしいと噂され、街の若い娘たちの熱い視線を集める女騎士イケメンたちは流石に違う。


 女性が持つべき男性に対しての最低限の警戒心や、勘違いされないための心得だが、モーリィはこれが普通にできていた……できていてしまったのだ。


 幼い頃より女と勘違いされ誤解されることの多かった人生が、ここにきて役に立ったのだ。

 男に対しての警戒心は下手な田舎娘よりも高く、少なくとも幼女といい勝負の女騎士たちよりは遥かに上であった。


 女性的な立ち回りや言葉使いに関して、いくつか指摘されたがそれほど矯正されることはなかった。

 ターニャがモーリィの気持ちを考え無理に押し付けないほうがいいと判断したのと、元から攻撃的ではない落ち着いた物腰や柔らかい喋り方が多かったので、それほど変える必要もなかったのだ。

 騎士団長からはいずれ公式の場にでることも考え、一人称を私にするように言われたが、その程度ならとモーリィは了解した。


 聖女に、女になったことに対して思い悩むことは多々あった。


 しかし、モーリィが不安な気持ちを抱えて砦街に来たときとは違い、支えて、応援してくれる人が多くいる。

 ターニャやルドルフやトーマス……そして女騎士といった周りの者たちの好意と恩に応えるため、前向きに生きていけるようモーリィは努力していったのだ。


 だが、治癒士として聖女として、そして女としてモーリィは油断をしていた。


 ◇◇◇


 仕事復帰の一日目。


 モーリィは治療部屋で大勢の騎士の相手をすることになった。


 筋力全振りでいくら知力の低い砦の騎士たちとはいえ、元男に対して好意を抱くような奇天烈な行動を取る者はいないだろうとモーリィは甘く見ていたのだ。


 治療部屋は大混雑。


 以前は閑古鳥だったのが信じられないありさまである。

 砦の騎士は骨折や内臓破損などの怪我をしても大抵気合いで治すので、普通の治療というものは、彼らには全く必要のない未知の概念だったからだ。


「指を切った」「擦り傷できた」「虫に刺されたよう」

「唾をつけるか痛いの痛いの飛んでいけ……する前にもう治っていますよ」

 

「お腹が痛い」「頭が痛い」「関節が痛いよう」

「毒液飲んで毒風呂入るような酷い状態でも、自然治癒で治りますよね?」

 

 ここまではいい、彼らはまだ普通の騎士あほだった。

 モーリィもこの程度なら、微笑みながら茶飲み話をし、メチャクチャ苦い薬草茶をだしてあげるくらいの愛想を持っている。


「愛が欲しい」「君が欲しい」「その見事な胸部装甲たわわを揉んでもいいか?」


「意味がわかりません……というか仕事の邪魔なんで死んでいただけませんか?」


 ちなみに、たわわ発言は愉快なトーマスさん。


 それを横で聞いていたルドルフが、夫婦共々モーリィの重度な兄(姉)馬鹿と化していた彼が、鬼の形相でトーマスたちを縛りつけ裏の池に沈めた。

 冗談抜きで本当に殺ったのである。


 その光景に女になりたてのモーリィは少しちびってしまった。


 一日目がこのようなありさまだったので、不本意ながらも騎士団長に相談したところ、女騎士の護衛が付くことになった。


  だが待ってほしい……彼らばかにも言い分はあるのだ。


 モーリィが聖女となって、女の体に慣れるために砦の中をリハビリ散歩をしていた期間がしばらくあり、その光景を見かけた騎士たちは例外なく思ってしまった。


 ――え、誰だ……あの、今すぐにでも手を取り支えてあげなければ、倒れてしまいそうな美しく可憐な少女は? 白銀に輝く髪に澄んだ空色の瞳……儚げで美しい顔立ちに新雪のように汚れ一つない肌。背は女性としては少し高いが、抱きしめたら折れてしまいそうな華奢な体にほっそりとした手足。その身にまとう雰囲気はどこまでも無垢で清楚で、そして何より……何よりもだ! あの母性を感じさせる素晴らしく、柔らかそうな、柔らかそうで、柔らかいであろう、胸部装甲たわわっ!!


 男の保護欲を刺激する深窓の令嬢のような美少女が、自由のきかない体をおして「うんうん」と一生懸命リハビリ治療をしている光景を見たのである。


 彼らは曲がりなりにも、弱者を守る騎士道精神を遵守する騎士しんしであり、そして悲しいことにどこまでも騎士さるであった。


 こんなん惚れてまうのは当然の結果じゃないか。


 そのときに行く者がいなかったのは、常に女騎士たちがモーリィの両手を取りおんな前にリハビリを支えていたからだ。

 騎士たちの目には女騎士ごりらは視界から消去されモーリィしか映らなかったが、野性的な危険察知能力が働き逝かなかったのである。


 モーリィの復帰一日目……騎士たちにしてみればまさしく狩猟解禁日ぱーぷー


 当然結果は目に見えていた。


 騎士団長に懇願した次の日。

 女騎士たちの指導ぼうりょくのおかげで、聖女は以前と同じ仕事に戻ることができたのである。

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