第19話
「氷花先輩、大丈夫? 汗でぐっしょりだよ」
ここは……ふかふかな布団の上。まぶたをこすり、ぼやけた視界を矯正します。いつの間にかパジャマを着ているわたしは、別荘の個室で寝ていたみたいです。
同じくパジャマを着ている幸は、上からわたしの顔を覗き込んでいます。
「わたしはどうしてここに?」
手を伸ばして 床に置いてあるスマホを拾い、電源を入れ、時刻を確認。午前四時ですか。
「昨日の夜、律子先輩が気絶した氷花先輩を連れて帰ってきたんだよ」
なるほど。わたしはあの後気を失ってしまったのですね。おかげでトラウマばかりがやたらと鮮明に浮かび上がってくる、とても不愉快な夢を見てしまいました。わたしの深層心理が心配です。
「律子はどこへいったのでしょうか?」
「雉岡先輩が昨日の夜帰ってこなかったから、彼女のことを探しにいったの」
奈々さんがまだ帰っていない? 窓の外を見る限り、今はもうやんでいるみたいですが、あの大雨の中をずっと外で過ごして、無事でいられるとは思えません。わたしのようにどこかで倒れてしまうのが落ちです。どこかで雨宿りできているといいのですが。
「ねえ、氷花先輩」
幸は言い出しづらそうに口を小さく開きました。
「氷花先輩は誰が犯人だと思うの?」
「……どうして、今ここで、それを尋ねるのですか?」
「……」
無言のままわたしを見つめる幸。もしかしたら彼女は何らかの結論にたどりついたのでしょうか。そしてそれを、わたしの意見や考えと照らし合わせたいのかもしれません。
「わかりました。ですが、わたしの意見を言う前に、少し考える時間をいただきますね」
わたしの中でも、すでに答えがうっすらと浮かび上がりつつあります。ですが、浅慮を無責任に口走るわけにはいきません。熟考して自分の考えに矛盾がないかどうか、念入りに確認するべきです。そのために一度、無から推論を組み立て、同じ結論にたどりつくかどうか確かめてみましょう。
全ての事件を順番に考えていきます。
新宮さんの殺害。第一の事件。つまり新宮さんは間違いなく犯人にはなりえません。彼女が殺害された事件に対する信頼できるアリバイは、この部屋にいたわたしたち三人以外にはありません。
美々さんの消失。第二の事件。美々さんもおそらく犯人ではないでしょう。この事件に対するアリバイを持っているのは、わたしと釣りをしていた奈々さんと、律子とうさぎ狩りをしていた瀬高さん。
この時点で、全ての事件の犯人となりえる人物は、聖堂さんと佐川さんに絞られます。
そして、最後の第三の事件。聖堂さんが重い病気らしきものを患い、死亡しました。毒殺であったという確証があるわけではありませんが、この事件はそういった経緯で発生したと律子は考えています。
単純に考えれば、全ての事件を遂行できた人間は佐川さんただ一人です。
しかし、わたしは一つ疑問に思うことがありました。
最初の事件は明らかに人間の悪意によって引き起こされたものだと考えられますが、聖堂さんの件と美々さんの件は、不幸なハプニングだったと考えてもおかしくはありません。もしかすると、犯人が全ての事件に関わっているという前提自体が間違っているのではないでしょうか?
しかし、わたしは律子のように優秀な頭脳を持っているわけではないので、事件の断片をパズルのごとく簡単に合わせることはできませんし、各事件を様々な方法で組み合わせて、ケースバイケースの犯人をこの場で考え出すのは無理に等しい。
別の角度から考えてみる必要があります。
とりあえず、明らかに怪しくない美々さんと新宮さんを省いて、各人物についてわたしが知っている事を並べてみましょう。
聖堂さん。強い正義感を持ち、他人想い。ですが見かけによらず不器用で、自分の気持ちを伝えるのが苦手。死に際ですら友達の心配をしていた優しい人。少なくともわたしにはそのような人に見えました。わたしが彼女に抱いた好感、そして犯人によって毒殺された可能性。その二つを考えると、聖堂さんが犯人なのは不自然に感じます。
瀬高さん。おしゃべりな、お調子者。たまに考えているのかどうかを疑問視したくなるような行動をとる。けれど彼女は人を殺せるほどの恨みを抱けるような人間ではありません。考えなしの行動は彼女の純粋さや頭の弱さからくるものであり、他者のことをどうでもよく扱っている結果ではないはずです。
奈々さん。ちょっと見た目や口調が怖くて、話しかけづらい人ですが、それとは裏腹にとても妹想いで優しい方です。不良が一つ良いことをすれば聖人に見えてしまう補正が掛かっている感想かもしれませんが、やはり彼女が犯人であるのも違和感を感じてしまいます。
そして、最後の佐川さん。 同じクラスですがこれまでにあまり話し合う機会はなかったので、彼女のことはよくわかりません。覚えているのは、最初の日にわたしのことを律子のついでみたいに扱ったこと、昨日わたしに襲いかかったこと、ついでに言うと喋り方が若干サバサバしていること。そのせいでわたしにとって彼女は悪印象の塊です。
『栞、あたしを許してくれるよね?』
新宮さんと間違えてわたしに抱きついた時に佐川さんが口にした言葉。これは新宮さんを殺害したことに対する懺悔なのでしょうか。もしそうなのであれば、佐川さんが親友を殺すはずがないという問題点が解消されます。
なので現段階においての、わたしの回答は――
「佐川さんが犯人ではないのかと思っています」
偏見に流されている傾向がある推理なので、事実とは異なっているかもしれません。ですが、判断基準を他にもたないわたしにとっては、この答えが限度です。
「絶対的にそうだと思うわけではありませんが、わたしとしてはそれが一番しっくりきます」
幸はわたしが出した回答を聞くと、塩と砂糖を入れ間違えた料理を食べたかのように妙な表情を浮かべました。
「幸さんは別人の仕業だと考えているのですか?」
「う……うん。正直よくわからないけど、なんとなくは……」
どうやらわたしが異なる見解を持っていたので、話すことをためらっているみたいです。
「氷花先輩、一つ教えておかないといけないことがあるよ」
佐川さんを犯人候補から除外しえる、わたしが手にしていない情報。幸はそれをわたしに渡そうとしているのでしょうか。
「佐川先輩はね、昨日自殺したんだよ」
「え?」
じ、自殺? 確かにかなり異常な精神状態に陥っていましたが、そこまで追い詰められていたとは思いもしませんでした。
「律子先輩が昨日の晩に様子を見に行ったら、レインコートで首を吊った佐川先輩が……」
「それは本当なんですか?」
「こんな物騒な嘘はつかないよ」
罪悪感に耐えられず、自らの命までもを奪った。そう考えるべきなのでしょうか。そうすれば事件は解決し、何もかもがすっきりします。
布団を捲り上げ、わたしは勢い良く立ち上がりました。
「佐川さんの部屋を調べてきます。何かヒントになるものが見つかるかもしれません。手伝ってくれますか?」
「……ごめん。うちはもうちょっと寝るよ。なんだか、すごく疲れた」
まあ、無理もありません。彼女はまだ病み上がりなんですから。わたし一人で捜査をしてみましょう。
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