第20話 宣戦布告
「いてててて」
「大人しくしなさい、男でしょ」
俺はキリエに赤チンを塗られながらうめいた。この間ネイビーたちに足蹴にされたキズだ。
「どこも折れてないのが不思議だよ、まったく」
俺は赤チンで真っ赤になった全身を見てしみじみと呟く。相手は兵士、戦闘のプロたちなのだ。この世界に来て初めて直面した、圧倒的な暴力。本当に命が無事だったのが不幸中の幸いである。
「弱いのに無理するからだよ。さららに任せとけばよかったのに」
「……あの人数じゃ無理だろう」
そうだね、とキリエも頷いた。
あの後、ネイビーや空軍兵、ダガーJたちは追ってこなかった。はからずも冥子によって九死に一生を得ることになったが、あらためてこの世界の危険性を思い知らされた一夜だったのだ。
あのとき、さららがいなければ。失神した冥子が目を覚まさなかったら。男の俺ですら、思い出しただけで総毛立つ。
「そういえば、さっきGHQの軍用ジープがスタヂアムのとこに来てたよ。こないだのおわびにチョコレイトでも持ってきてくれたのかな」とのんきなキリエの呟きに、俺は我に返った。
「なななな、GHQがスタヂアムに来てるって!?」
俺は手当もそこそこに部屋を飛び出す。窓の外に目をやると、確かに巨大な軍用ジープが横付けされていた。俺は息せき切って工場に飛び込む。
「所長!!」
と、ドン、と俺の顔面が何かにぶつかった。軍服姿の背中。
「ぐわ」もんどりうって無様に転がる俺。
「なんだ? 虫でもぶつかったのかと思ったぜ」
大男がゆっくりと振り返り、尻もちをつく俺を見て笑みを浮かべた。チューインガムの甘ったるい匂い、肩にはジャガーを模したワッペン。
「ダガーJ、許可なく口を開くな」
「フン……OK、サー」
隣に立つコーンパイプ――ペニー少佐にたしなめられた巨漢が、不満そうにガムを床に吐き捨てる。
「おまえは――」
俺は目を見開いた。ダガーJ――間違いない、あの夜のガム野郎だ。
あらためて向き直るペニー少佐とダガーJ。彼らの目線の先には所長、ジョーの姿が。
「手短に話させてもらおう、ミスター・百合ケ丘。ジョーに合衆国(ステイツ)への帰還命令が出た」
静まり返った工場に、ペニー少佐の冷徹な声が響いた。
「二転三転して迷惑をかけたな、百合ケ丘。しかしこれは軍の人事異動にすぎ――」
「いやよ!」つかみかからんばかりの剣幕で声を上げたのはもちろんジョーである。
「どうして私が帰らなきゃいけないのよ、自分のプロジェクトはちゃんと進行してるわ!」
「ジョゼフィーン、おまえの意見は聞いていない。勘違いしているようなら忠告するが、我々は意見を聞きにきたのではないのだよ。これは
「拒否するわ」即答。
「どうせあの事件があったから難癖つけにきたんでしょ」ジョーが顔を紅潮させてまくしたてる。
「おおかたその男にそそのかされてね!」
「事件? なんのことかな、“
「こんなの見せしめよ、口封じよ! 第一フェアじゃないわ! そもそも先に手を出したのはネイビーたちじゃない!」
「ジョー、おまえには少々期待していたんだがな」
ペニー少佐はサングラスを外し、目の前のジョーを睨めつけた。頬のキズがあらわになる。
「おまえの言う“事件”とやらは私の知るところではない――が、敵国の民間人と職務を逸脱したつながりを持つどころか、自国の軍人に楯突く不届き者がいると聞いて様子を見に来てみたらこのアリサマだ。野球なんぞにうつつを抜かしているからそういうことになるのだ」
「――――」
「お前にボールを持たせたのはレジャーのためではなくあくまで占領下の――」
「野球“なんぞ”ですって?」
ジョーが静かに、しかし毅然とした声音で呟いた。少佐が怪訝な表情で問い返す。
「WHAT?」
「
「無法者――だと?」
ペニー少佐がコーンパイプから口を離し、ゆっくりと紫煙を吐き出した。 口を開きかけたダガーJを右腕で制し、何かを思案するように数秒、所長とジョーを交互に見やる。
「よろしい。ならば、百合ケ丘の日本人どもと我が合衆国(ステイツ)のチームで試合だ」
「――なんですって!?」
俺は耳を疑った。ジョーが信じられない、といった口調で問い返す。
「君たちと我々アメリカ軍とで試合をしようと言ったのだよ。百合ケ丘繊維VS駐日空軍新東都支部『フライング・ジャガーズ』――日米ワールド・シリーズとしゃれこもうじゃないか」
おどけたような口調の大佐。しかしその目は笑っていない。
「我々が勝ったらお前はステイツに帰還、シントート・スタヂアムは我が軍が接収。元より軍が修繕費と管理費を肩代わりしているのだからな、潰して新兵器の試験場にでもするさ。百合ケ丘野球団は解散し、工場はすべて完全なるGHQ管理下で稼働してもらおう」 しかしフランクな態度は一瞬で、すぐに冷酷な声音が響く。
「異存はないな、ミスター・百合ケ丘」ジョーを見据えたままペニー少佐が宣告した。これも質問ではなく単なる通告であることは俺の目にも明白だった。
「わかったわ、少佐。で、私たちが勝ったらどうするの?」
「おまえたちが勝ったら、だと?」
ペニー少佐が不愉快だ、というように眉をひそめた。
「ありもしないことは考えなくてよい――と言いたいところだが、あいにく我々アメリカ人は契約社会で生きているからな」
少佐が両腕を広げてみせた。
「おまえたちが勝ったら、我々は手を引こう。スタヂアムも百合ケ丘繊維野球団もこれまでどおり好きにすればいいさ。無論ジョー、おまえも新東都支部にそのまま残るがいい」
「言ったわね。あとで吠え面かいても知らないわよ」
「ま、カミカゼが吹いても無理だろうよ。――しかしあまり大人を見くびるな、“
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