EX6-9 ヴィクティム




 クロスウェルの怒りは、本来オリジンに向けるはずだったものだ。

 だがその対象がいなかったからこそ、行き場のない想いをキリルにぶつけると決めた。

 八つ当たりを言われようが、理不尽と罵られようが、もはやそれぐらいしか、彼の人生には成せることが残っていなかったから。


 そんなクロスウェルの前に、オリジンが立っている。

 いや――今や自分は“夢想”の力により復讐心だけを切り取られた別の何かだが、しかしその胸に宿した想いは本物のクロスウェルと大差ない。

 立っている。

 存在している。

 つまり――殺すことができる。


『君は……復讐相手として、とても優れた人間だと思うよ』


 キナを殺したオリジンの力を、偽物とはいえ利用するなど、その行いはクロスウェルから見るとどこまでも外道だし、キリル自身もそういう嫌がらせを行おうとした可能性はある。

 だが彼女への感謝の念が不快感を凌駕している。

 詰んだはずの復讐は、ここで果たされるのだ、と。


 そして振り上げた戦斧は、さらに変形し、波打ち、鋭く尖った殺傷力の高いものへと変わる。

 それをクロスウェルは力いっぱいに叩きつけた。


 斧がキリルに触れる瞬間――本来ならば風が吹き荒れ肉が飛び散り、あたりは目にも耳にも騒がしくなっていたはずだ。

 しかし現実は静かなものだった。まるで時が止まったようである。


『は、ここまで――』

 

 キリルはその刃を、たった二本の指で受け止めていた。


『禍い物でこうも変わるものか、キリル・スウィーチカ!』


 彼女が無言でその指に力を込めると、斧は歪み、ひび割れ、ついには砕け散る。

 元は自分の体だからか、クロスウェルは少し痛そうに顔を歪めると、しかしすぐさまに腕の形状を剣に変えてキリルに接近した。


『しかし私の“果たすべき”は変わらない』


 鋭い刺突。

 キリルは軽く拳を突き出し、正面からぶつける。

 剣はぐにゃりと曲がり潰れ、その衝撃はクロスウェル本人にまで及んだ。

 バランスを崩しながらも、彼は剣に変形した左腕を前に突き出す。

 胸を狙ったその刃を、キリルは命中する前に掴み、握りつぶした。

 そして、そのまま腕ごと引きちぎる――


『……意趣返しのつもり、がっ』

 

 千切れた腕を投げ捨てたキリルは、すぐさまハイキックで彼のうるさい顔を蹴飛ばす。

 素早くスマートな、決して派手さはない一撃ながら、クロスウェルの頭部は跡形もなく消失した。

 コアを使う前のキリルでは、傷をつけることすらできなかった相手を、である。


 ブレイブ・リバレイト使用時、キリルのステータスは平均八万を超える。

 フラムと比べれば物足りないかもしれないが、それでも“最強”と呼んで差し支えのないレベルの能力だ。

 だが、スパイラル・ブレイブを使用したキリルのステータスは、そこからさらに・・・・・・・三倍される。

 

 --------------------


 思。コ僭フ引≒ORIGIN


 属性:勇/原初


 楜力:248891

 魔リォ:253162

 無体:243719

 抗ャ :258867

 不可:241022


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 まずキリルのその醜い姿に驚愕し、思わず“スキャン”を発動した村人も少なくなった。

 そしてその数値を見て、さらに驚くのだ。

 重たい体を引きずって、ようやくキリルに追いついたショコラもそのうちの一人だった。


「あれが……先輩なの……?」


 もちろん、あの渦巻く顔を見た瞬間には『気持ち悪い』と思う。

 だが――すぐにそんな気持ちは、キリルへの尊敬へと変わる。


「自分は勇者じゃないとか言っときながら……そういうこと、できちゃうんじゃないですか。先輩は」

 

 あるいは、呆れているとも言えるのかもしれないが。

 それのどこが“普通”だというのか。

 指摘しても彼女は否定するだろうが、ショコラは思わずにはいられない。

 間違いなく今のキリルは、普通の人間よりもずっと強い心を持っているのだ、と。


『肉の体に意味はない。私が私である意味もない。それでも定義された以上、私は私として、魔力が尽きるまでここにありつづける』


 クロスウェルの腕も頭も、即座に再生して元通りになる。


『つまり、どちらかが果てるまでの根比べというわけだ。キリル・スウィーチカ、お前の無茶は一体どこまで続くかな?』


 意思なきキリルは答えない。

 ただ手を伸ばそうとするクロスウェルに反応し、視認不可能な速度で剣を縦に振った。

 空間が断裂する。

 景色が一瞬だけずれると、クロスウェルの体も真っ二つになった。

 彼の後ろにいる野次馬も巻き込まれかけたが、キリルの意思か、はたまた偶然か、服の裾が切れるだけで済んだようだ。


 断裂したクロスウェルは、しかしすぐさま元の姿に戻った。

 苛立ちからか、キリルの渦が脈打ち血があふれる。


「アルターエゴ」


 彼女は抑揚のない声でそう呟くと、七体の分身を作り上げた。

 分身はクロスウェルを囲み、各々が別の部位を突き刺す。


「スプレッド」


 彼の体内に埋没した刃から無数の針がせり出した。

 針はその先端がさらに複数に分かれ、またその先端が複数に分岐すると、まるで根を張るように相手の体内を刃で埋め尽くしていく。

 やがて小さな人の体では収めきれなくなり、皮膚を突き破って表に突き出る。


『微々たるものだ……再生など、今の私にとっては。元より実体が無いに等しい存在なのだから』

 

 全身を針で覆い尽くされたクロスウェルだが、その体を捨てると、すぐに真横で再構成・・・される。

 彼の言葉通り、その肉体の特性は“キリルの血縁者以外は触れない”のではなく、“キリルの血縁者にしか触れない”というものなのだろう。

 触れられない多数に対して、触れられるのはたった三人のみ。

 そういう意味で、今の彼は“限りなく実体が存在しない状態に近い”と言える。

 ゆえに肉体再生に必要となる魔力コストは非常に小さい。

 何なら、キリルと打ち合っているときのほうが消耗が大きかったぐらいだ。


『私の計算が正しければ、私よりお前が尽きるほうが早――』


 なおもキリルはクロスウェルの言葉を聞こうとはしない。

 意図的なものか、それとも通じていないのか。

 どちらにせよ、仮にキリルが正気だったとしても、その戯言に取り合おうとはしなかっただろう。


 分身たちはそれぞれにクロスウェルに斬りかかり、体を細切れにしていく。

 しかし直後に再生。

 ゼロ距離からのブラスターで肉体を粉微塵にする。

 しかし直後に再生。

 手足を斬り落とし、浮いた体を膝で天高くまで打ち上げる。

 地上からキリル本人と、分身たちによるブラスターの乱射――なおも再生。

 乱射、再生、乱射、再生、幾重にも、幾十重にも繰り返し、なおもクロスウェルの口元には笑みが浮かぶ。


「アルターエゴ・セブンソード」


 キリルの姿をした分身たちが、人の大きさほどの剣に形を変える。

 剣たちは彼女が腕を振り上げると、空中のクロスウェルに向かって飛翔した。

 刃が掠れば肉が抉れ、突き刺されば体がくり抜かれる。

 七の刃がそれぞれに、男の体を貫いたなら、今度は彼の頭上で止まる。

 天を向く刃がくるりと回り、地上に狙いを定めた。

 一方で地上に立つキリルも、何やら天に向かって手を伸ばしている。


『それでも出し惜しみしないのか。エンターティナーだな』

 

 そして空と大地の間には、クロスウェルしか存在しない。


「サテライト」

 

 キリルがそう言うと――天の剣が光を吹いた。

 帯と帯が重なって、光の“柱”が堕ちてくる。

 クロスウェルは試しに腕を交差させてみたものの、それは防御と呼べるほどの効果を発揮しなかった。

 光に触れる前の段階で、その高熱に焼けて、爛れて、溶けて――そして実際に触れてしまえば、もはや蒸発するしかない。

 シュワッ、と鍋に残った小さな水滴が消えるように、クロスウェルは光に呑み込まれ消滅する。

 だがそこにはまだ、彼の“存在”が残っている。


「リフレクション。続けて、アルターエゴ・リフレクター」


 その柱が大地を焼けば、村人とて無事では済まなかっただろう。

 だからキリルは掲げた手、そこから展開する透明のフィールドでそれを受け止めた。

 そして光は反射し、拡散する。

 空の上で“サテライト”を放ったばかりの剣は、その刃を赤熱させながらも、再び変形する。

 次は表面に鏡を埋め込んだ“盾”の形状である。

 盾たちは素早く動き回ると、地上のキリルが反射した光線を、その鏡面で受け止める。

 七つの鏡は、その光の一筋すら、逃れることを許さない。

 つまり――その中央にいる再生したクロスウェルは、数え切れないほどの光に体を貫かれ、全身を余すことなく焼き貫かれるのだ。


『はは、お前は私にプラネタリウムでも見せてくれているのかい?』


 なおも余裕を見せるクロスウェル。

 彼の肉体は焼かれた先から再生する。

 それは治癒というよりも、この世界に姿を“投影”しているようである。

 だとすれば、大本を消さなければ意味はない。

 だがおそらく――その大本は、キリルの手の届く範囲に存在しない。

 距離の問題ではなく、概念として、おそらくこの世界でそれに干渉することができるのは、理屈を無視して“有”と“無”を反転させられるフラムぐらいのものなのだ。


 光はクロスウェルを限界まで焼き続けた。

 キリルの魔力の限りを尽くし、“死の回数”を稼ぐのに最も効率の良い方法を使ったはずだった。

 それでもまだ、苛立たしいことに、彼は消えない。


 光の反射は無限ではなく、やがて少しずつ弱まっていく。

 それがもはやクロスウェルの体を貫くことすらできなくなると、盾たちは反射をやめ、再び彼の頭上へと集まった。


「アルターエゴ――ラグナロク」


 盾は一つに同化し、一本の神々しい剣となる。

 それは重力に導かれ落下し、クロスウェルの背中を貫いて、ズドオォンッ! とド派手に地面に突き刺さった。

 まるで大砲でも着弾したかのような音に、村人も、キリルの両親も肩をびくっと震わせ驚く。


『面白いショーだったよ、キリル・スウィーチカ』

 

 だがクロスウェルは、何事もなかったかのように刃からするり・・・と逃れ、立ち上がる。

 しかし彼はニタニタと笑うばかりで、キリルに攻撃を仕掛けようとはしなかった。

 

 クロスウェル自身、今のキリルに勝てないことは百も承知だ。

 だからこそ、もう彼女に手を出そうとはしていなかった。

 つまり、お互いに・・・・、攻撃するだけ無駄。

 いまの戦況は、そんな不毛な状態だった。

 しかし一方で、憎しみに支配されたとはいえ、聡明な彼は理解している。

 このまま待っていても、じきにフラム・アプリコットが来てしまうことを。

 そうなれば、クロスウェルなど反転の能力で、存在そのものを消されてしまうだろう。


 クロスウェルにとって重要なのは、いかにしてキリル・スウィーチカの目の前で両親を殺すか。

 そして絶望に沈む彼女の首をどうやって刈り取るか。

 だがこの状況、もはやクロスウェルにキリル本人を殺すのは困難に思えた。

 ならば彼が果たせる最低限・・・の復讐とは何か。

 そしてその最低限を最大活用するためには、何を成すべきか。


 ぶちゅっ、ぶじゅるっ――キリルが剣を振るうたび、渦から血が吐き出される。

 それを見て青ざめる彼女と親しいであろう村人や、怯える彼女の両親を見るだけでクロスウェルは悦に浸ることができた。

 無論、それだけでは足りるはずもないので、そのまま彼はふらりふらりとよろめくように、キリルの両親に近づいていく。

 動き出した彼を、キリルは剣でとにかく切り刻んだ。

 破壊と再生を繰り返しながら後退するクロスウェル。

 別にふざけているわけではなく、再生にリソースを奪われる今の彼には、その程度の動きが限界であった。

 そしてこのまま村人たちに近づいていけば、今の理性を失ったキリルならば、戦いに巻き込んで殺してくれやしないか――そう期待していた。

 もちろん小賢しく、みっともなく、醜い企てであることはクロスウェルも理解しているが、そのようなプライドは復讐の前に無意味である。

 何より、自分で手にかけるより、キリルに殺させたほうが彼女が負う心の傷もより大きくなるだろう。


 想像し、歪む紅色の口。

 キリルは無心でそんな彼を細切れにしていたが、ふいに手をのばすと、


「お前は――」


 人の言葉で声を発し、顔を鷲掴みにした。


「つまらない奴だ」


 絞り出すように、残ったわずかな理性でそう言い放つキリル。

 彼女が憤っているのは、クロスウェルの企みに気づいたからだろう。


『復讐に面白みが必要か? 重要なのは、殺せるか否か。それ以外の結果に意味などない』

 

 その気になれば顔を変形させ逃れることもできた。

 だがクロスウェルはそうしない。

 どうせ破壊されるのなら、その後に再生したほうが速いし、何より攻撃が徒労に終わったことで相手の心を疲弊させることができるからだ。

 さあ潰せ。

 憎しみのままに顔を潰してみろ。

 そして殺しても殺しきれない私を前にほぞを噛め。

 そう無言で挑発するクロスウェルに、キリルは――


「ソウルバインド」


 足元から絡みつくツタで、彼の動きを封じた。

 オリジンの力によりその蔦はねじれ、さらにクロスウェルの足を強く締め付ける。


『身動きを封じたか、しかし――』

「っ……そんな、ものではっ……止まらない、って?」

『動けない……これは、魔力の流れまで止めているのか』


 キリルにとっても初めて使う魔法だが、『彼を止めたい』と欲すれば自然と魔法は頭に浮かぶ。

 幸いにも、魔力を封じる希少属性の存在は、エターナから話だけは聞いていた。

 だからその発想にたどり着くのはそう難しいことではなかったのだ。

 

 今のクロスウェルの肉体はいわば魔力そのもの。

 つまり魔力の流れがせき止められてしまえば、変形は不可能である。


『つくづくでたらめだな、勇者という存在は』

「はぁ……はぁ……」


 キリルの呼吸が乱れる。

 体力の消耗から来るものではなく、脳を埋め尽くすオリジンの声の中で、自我を保つのが困難になっているから、である。

 実際のところ、オリジンが存在しない今、それは模しただけのただのノイズにすぎない。

 だがばっちりと、人類を皆殺しにしたいという意思は残っているのだ。

 

『しかし限界が近いようだな。一時的とは言え人の言葉を発せるほど自我を取り戻せたのは、さすが勇者といったところか。だが、それはどこまで保てる? 完全に乗っ取られれば、私を殺すという意思すらも消えてしまうのではないか?』

「消えない……この距離なら、目の前に、いるお前を……殺す……!」


 その意思を示すように、キリルはクロスウェルの顔を握力だけで引きちぎった。

 そしてもう一方の手で握った剣を、顔を喪失した頭部に突き刺し、ゼロ距離からのブラスターで焼き尽くす。

 首から上が吹き飛ばされたクロスウェルは、すぐに頭部を再生しようとしたが、傷口に蔦が巻き付くことで阻止された。


『ああ、惜しかった。お前たちが逃げ惑う様を楽しんだりしなければ、とうに目的は達していただろうに』


 頭部がなくなろうと、平然とクロスウェルは言葉を発する。

 元より彼の声は、“音”という概念とは別のものだったのかもしれない。

 

「舌なめずり、して……逃がすなんて……はぁ、あ……死ぬほど、かっこ悪い……!」

『まったくだ、私らしくもない。キナも守れず、お前も殺せず、矜持すら捨て。晩節を汚すとはまさにこのことだな』

「だったら、これ以上、汚す前に、私が――」


 腕を切り落とす。

 蔦が絡みつく。

 やはり再生はしない。

 足も切断。

 切り落とされた腕と足を念の為にブラスターで焼却。

 残る胴体にも刃を突き刺し、クロスウェルの体を地面に釘付けにする。

 あとはブラスターで焼いてやれば、彼は完全に死に絶える。

 

 村人や両親、そしてショコラが息を呑んで見守る中、キリルの動きはそこで止まった。

 胴体だけになり、身をよじるだけが精一杯のクロスウェルの体に、彼女の渦から吐き出される血がボタボタと落ちる。


『はて、これ以上の醜態を晒す前に、私を殺してくれるのではなかったのか?』

「はぁ……ふうぅ……」

『それとも不安なのか? このまま私を殺し、ターゲットを失ったあと、自分に宿ったオリジンが村人たちを皆殺しにしやしないかと』

「ふううぅ……は……」

『私もそう思うよ。そのオリジンコアのベースは、あくまで“村人たちの想像”だ。彼らはオリジンにまつわる複雑な事情など知らない。ゆえに彼らにとってオリジンとは、『人類を滅亡させる邪悪』程度の存在でしかない。すなわちそのコアに宿るのは、オリジンに似た――限りなくそれに近い――しかし“人を想う意思に弱い”といった弱点を廃した、ただただ人を殺す意思を宿しただけの、雑な模造品。だからこそ、私を殺したあとに、お前は間違いなく村人を殺す。自分の家族も、後輩も、皆殺しにする。だからこのまま、フラム・アプリコットの到着を待とうとしている。違うか?』

「ぺらぺらと……!」

隙間・・を見つけてね。要は“時間稼ぎ”だよ』


 時間、そして隙間――意味のわからぬ言葉から、キリルがクロスウェルの意図を察したのは、一秒後のこと。

 その一秒のうちに、彼はソウルバインドの“隙間”から体の一部を伸ばし、地面を掘り進める。

 だがそれは決して物理的な・・・・隙間ではない。


 クロスウェルの肉体を構成するのは、確かのその大半が魔力だ。

 言ってしまえば、人間でいうところの水分のようなもの。

 だが全て・・ではない。

 だからコツさえ掴んでしまえば、魔力以外の、魂だとか、アカシックレコードから引用した記憶だとか、そういったものを操って、肉体の一部を変形させることができてしまうのだ。

 

 そして彼は変形させた肉体の先端を針のように尖らせると、キリルの両親の足元から、その心臓を狙いそれを突き出す。

 青ざめた顔で娘の捨て身の戦いを見守っていた二人は、その接近に気づくことすらない。

 だがキリルには見えていた。

 止めなければ。

 しかし両親までは距離がある。

 ここから手を伸ばしても間に合わない。

 何より、オリジンコアのせいで動き出すまでにラグが生じる。

 ならばラグを生じさせずに、止める方法は一つ。

 針と地続きで繋がっている、この男を殺すことだけだ――


「ブラスターッ!」


 クロスウェルに突き刺さった剣から、光が照射される。

 彼の肉体は一瞬で蒸発し、放たれた光は地面をどろどろに溶かした。


 断末魔すらない、あっけない終わりである。

 元よりクロスウェルはすでに死んでいたのだから、そうなるのは仕方のないことなのだが。

 しかしキリルの脳には焼き付いている。

 死に際の彼が残した、胴体に浮き上がる“笑み”が。


「倒したのか……?」

「そ、そうよ。キリルが勝ったのよ……ねえ、そうよね、キリルっ!」


 本当なら抱きしめて、その勝利を祝いたいところだ。

 しかし蠢く顔の肉を見て、それができる人間は、たとえ両親だったとしてもそうそういない。

 そしてその判断はおそらく正しい。

 なぜなら、『クロスウェルを倒す』という第一目標を失ったキリルには、もはや頭に流れ込む濁流のような“異物”を制御することができなくなっているのだから。


「う……あ、ぁ……」


 キリルが、一歩前に踏み出す。

 続けて二歩目、三歩目と、少しずつ速度をあげて、両親に近づいていく。


「キリル……?」


 不安げに名前を呼ぶ母。

 だが返事はない。

 ただうめき声をあげ、顔から血を流しながら、意思など無い怪物のように接近する。


「あ、あ……ああ……あ、ぃ……」


 手には剣。

 柄を握る力は強く、手の甲には血管が浮かんでいる。

 殺気と呼べるほどはっきりしたものは感じられなかったが、今のキリルは寒気がするような“良くない何か”を、間違いなく纏っていた。


「キリル、わからないのか? お父さんとお母さんだぞ? キリル、キリルっ!」

「お、お……あ……あ……」

「そうだ、お父さ――」


 キリルはそこで、剣を振り上げた。

 明らかに、父を傷つける意図で。


「キリル……」

「お、お……あ……あ……っ」


 きっと『逃げて』とでも伝えたいのだろう。

 苦しげに絞り出されるうめき声は、わずかに残されたキリルの意思の表れだ。


「おいキリルっ! 俺たちの顔ぐらい覚えてるだろっ!」

「こっちを見なさいよ! あたし! あんたの幼馴染!」

「そうだぞキリルっ! お前勇者なんだろ、そんなもんに負けるんじゃねえぇえっ!」

 

 その様子を見守る村人たちが、一斉に声をあげはじめた。

 誰もがキリルの身を案じ、そして彼女を信じて。

 しかしそれとは対照的に、キリルはひたすらに『逃げて』と願う。

 心配してくれるのは嬉しい。

 だが――ここでもしもキリルが誰かを傷つけるようなことがあれば、それは紛れもなく本物の“罪”として彼女を一生苛み続けるだろう。

 それに、あのクロスウェルの復讐を最高の形で成立させてしまうことになる。

 それだけは、避けねばならなかった。


「キリル……お願い、正気に戻って……」


 しかし父も母も逃げようとはしない。

 キリルは勇者だから、どうにかなるはずだと信じているのだろうか。

 それとも、かつて娘の本心を見抜けず、深く傷つけてしまったことを悔い、全てを受け止めようとしているのだろうか――

 どちらにしたって両極端だ。

 その不器用な愛の在り方に、心打たれても――止まらないものは止まらない。

 足は前へ、腕にも力がこもる。

 この距離でも、軽く魔力を使ってやれば、両親を巻き込んで二、三十人は殺せてしまうだろう。

 そして事実、キリルの肉体はそれを実行しようとしていた。


 止まれ。

 止まれ。

 止まれ――


 強く願っていると、体は止まらなかったが……誰かが背中に、ぽふんと抱きついた。

 それは足を鈍らせるまでもないような、軽い感触。


「先輩……ここは、可愛い後輩に免じて、元に戻りませんか」


 その気になれば引きずりながら前に進めたが、不思議なことに脚が止まる。

 友情パワー……だったらよかったのだが。

 そんな都合のいいことは起きない。

 ただ単に、殺害対象が両親からショコラに移っただけである。


「どうせ私は死にますから。なんか、今は一周回って逆に苦しくなくなりましたけど、これってヤバいやつですよね。体がおかしくなりすぎて、逆に苦しさを感じることもなくなったってやつです。嫌ですよねぇ。もちろん第一位で嫌なのは死ぬことですけど、第二位は、あんなよく知らない男のせいで死ぬことだったりします」


 ショコラは背中にぐりぐりと額を押し付ける。


「お父さんが死んで、家族みんなであの世に行けると思うと怖くないかと思ったんですが、んまあそんなわけないですよね。うちみたいな家庭は余計に。でも……もう、死ぬのは避けられないと思うので、だったらいっそですね、毒より、先輩の手で殺してもらった方が――あうちっ!」


 キリルの体は、まとわりつくショコラを鬱陶しそうに振り払った。

 そして剣の先を彼女に向ける。


「あいたたた……乱暴ですねえ、先輩。ショコラちゃんへの愛がそうさせてしまうんでしょうか」


 パンパン、と砂埃を叩いて立ち上がるショコラ。

 確かにその動きは、先ほどまでの鈍さが無い。

 だが一方で顔色は悪く、唇なんてほぼ紫である。

 すでに死んでいると言われても不思議ではないほどだった。


「ぅ、ううぅ……」

「でも嬉しいです。私を前にしても、殺したくないって思ってくれる先輩が。付き合いは家族ほど長く無いんですけど、本当に、私のことそれなりに大事にしてくれてるんですね」

「ぅ、ああぁあ……あああっ!」


 振り上げられる刃。

 それを穏やかにショコラは見つめる。


「あ、悪いとか思わなくていいですよ。あとちょっとでフラムさんが来るかもしれませんが、この様子じゃ間に合いそうもないですし。だったら、私は大喜びで身を捧げます。あ、先輩に身を捧げるって言うとすごくやらしい感じが――」

「ぅ、ううぅ……!」

「あ、ごめんなさい、調子に乗りました。でも、私以上にふさわしい人間なんていませんよ。だって、もとを正せば――私の下らないわがままが、この事態を引き起こしたんですから」


 ショコラは物憂げに目を細め、今日までの出来事を振り返った。

 五年前の母の死。

 未来の見えない父との生活。

 復讐のためにキリルに近づき、お菓子職人になってしまった日。

 憎んでいたはずのキリルに、希望を見出していた毎日。

 そして母は蘇り、そんな日々に甘えたショコラは、父までも失った。

 因果応報。

 だったら――彼女自身が死ぬのもまた、因果の巡りなのだろう。


「さ、先輩。容赦なくずばっとやっちゃってください!」


 そして彼女はできるだけ陽気に、キリルに向かって言い放つ。

 あるいはショコラが死に怯えていたのなら、もう少しは耐えられたのだろうか。

 それとも結果は変わらなかったのか。


「あ……あ……ああぁぁぁああああッ!」


 キリルは言葉にならない叫びをあげて、剣を振り下ろす。

 ザシュッ!

 刃は肉を切り裂いて、体の奥深くまで沈み、大量の血が故郷の地を汚した。



 

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