EX6-4 ファミリー




 世界の終わりなんて一度見れば十分だと思っていた。

 目の前に広がる地獄に引き裂かれて生じた傷は、この五年でかさぶたも無くなるぐらい治りかけだったのに、指を突っ込まれて、かき混ぜられて、広げられた気分だった。

 のたうち回って叫びたいと思う。

 けれど恐怖に身がすくんで、それすらできない。


 母は目の前で、未だびくびくと動き続ける死体を、おいしそうに貪っていた。

 父はその様子を愛おしそうに見守り、母の頭を撫でたりしている。

 ショコラはむせ返るような血の匂いに、額に冷や汗を浮かべながらも、時折こちらを見て『笑っているか?』と無言の圧力をかける父に対応するため、顔に薄ら笑いを貼り付けていた。


  この時期の地下室は、温度は高く、湿気もあって息苦しい。

 しかしショコラは寒気すら感じていた。

 体は小刻みに震え、閉じた口の中で、歯が小さくカチカチと音を立てていた。

 いっそ夢のようにぷつりと意識が途絶えてくれたら、どんなに楽だろう。

 けれど終わらない。

 逃げられない。

 逃げたとしても、逃げ場は無い。

 なぜならここが、ショコラにとっての最後の逃げ場だからだ。

 けれどどうしても耐えきれなくて、父の目を盗んで、一瞬だけ瞳を閉じる。

 

 ――キリルの顔が、浮かんだ。


 ショコラは首を横に振って、瞳を開く。

 すると、父がこちらを見ていた。

 感情の無い瞳で、まばたきすらせずに、じっと、じっと。


 長い付き合いだ、見ればわかる。

 父は今、ショコラがキリルを思い浮かべたことを、見抜いたのだろう。

 糾弾されている。

 そして娘がその罪をどう償うのかを試している。


 きゅっと拳を握る。

 手のひらは、滲んだ汗でぬめっていた。

 ショコラは必死で頬の筋肉を痙攣させながらも、笑顔を作る。

 そして――父の隣に、しゃがみこんだ。


「は……ぁ、ふ……お……お、お母さん……よく、食べてる、ね……」


 さらに濃密になる臭い。

 血だけではない。

 赤い肉や血で汚れて黄色いと桃色でまだらになった脂肪、腸に詰まった排泄物も含めた濃い臭いが混ざり合って、鼻腔の奥、脳にダイレクトに響いてくる。

 ショコラは唇を噛み、吐き気をこらえた。


「本当だよ、もっと良く見ないと」

「うん……」

「よく見るんだ」

「み、見てるよ……」

「違うだろうっ!?」


 父はショコラの後頭部を鷲掴みにすると、彼女の顔を限界まで母に近づけた。

 かつての優しかった母の顔に、血まみれの化け物のような顔が上書きされる。

 想い出さえも、塗りつぶされる。


「う……ぇ……」

「よく見るんだショコラ。大好きなお母さんの顔を! さあ、さあっ!」

「お父さん、やめ……っ」

「それを言うならキリルだろうがぁっ! あいつがいたから、あいつのせいで、お母さんは、街の人たちはみんな死んでしまったんだぞ!?」

「わかってるよ、私だって!」


 ショコラが強めに言うと、今度は髪を引っ張り母から遠ざける。

 そして父は鼻がぶつかるほどの距離で、娘に顔を近づけた。


「よかった。嬉しいよ、お父さんは」


 にぃっと笑う父。

 ショコラは溢れそうになる涙を堪えて、心を殺し、「へ……へへ……」とこびた笑顔を浮かべた。




◇◇◇




「ショコラ?」


 キリルは家を出ると、いつものようにそこに立っていたショコラに声をかける。


「……」


 だが、彼女の様子がおかしい。

 いつもなら、うざったいほどの笑顔で『今日もかわいいショコラちゃんが迎えに来てあげましたよぉ♪』と絡んでくるというのに。


「ショコラー?」


 繰り返し、名前を呼ぶキリル。

 それでも反応が無かったので、彼女はショコラの正面に立ち、こつんと額と額とぶつけた。


「んひょわあぁっ!?」


 変なポーズでのけぞるショコラ。


「あ、動いた。魔力切れで動かなくなったのかと思った」

「誰が魔具ですかっ! むぅ……普通に挨拶してくださいよ、先輩」

「したけどショコラが無視するから」

「……してました?」

「うん、何回も名前は呼んだんだけど」


 本当に聞こえていなかったのだろう、ショコラは軽く目を見開き驚いたかと思うと、しゅんと肩を落とす。

 だがすぐに、「これは私じゃない」と小声で言うと、両頬をぺちんと指で軽く叩き、いつもの笑顔を作る・・

 ちなみに先ほどの小声、普通の人間なら聞こえていないほどのボリュームである。

 ショコラも聞こえないように言ったつもりだろうが、相手が悪かった。

 まあ――キリルも薄々感づいていたからか、さほど動揺はしていなかったが。


「とりあえず、おはようショコラ」

「おはようございます、先輩っ。私がちょっといつもと違う、アダルティでアンニュイな顔をしてるからって、惚れたらダメですよ?」

「惚れはしない」

「即答っ!?」


 ふざけたリアクションを見せるショコラ。

 対するキリルは、いたって真剣だった。


「でも心配はする」

「やだなあ先輩、この顔を見てくださいよ。私に心配されるような要素がありますか? まあ、唯一あるとすれば、あまりに私が魅力的すぎて、通りすがりの悪い男に連れて行かれないかってことぐらいですが――」

「そういう話はしてないんだけど」

「……う」


 いつもよりもキリルの声は冷たい。

 茶化してごまかそうとするショコラを諌めるようだった。


「でもでもっ、本当に全然問題ナシですから。さっきだって、ちょっと眠かっただけです。昨晩はちょっぴり夜ふかししちゃいましたからね」


 慌てて言い訳をするショコラを前に、キリルは無言で肩にかけた鞄の中身をまさぐると、通信端末を取り出す。


「先輩? どこに連絡しようとしてるんですか? まさか美しすぎる罪で私を軍に突き出すつもりではっ!?」


 キリルが選んだ連絡先は、ティーシェだった。


『もしもしぃ……何だよ、こんな時間にぃ』


 彼女は明らかに寝起きな声で通話に出る。

 

「おはようございます、師匠。私たちは今から出る所なんで、そろそろ準備しないと間に合わない時間ですよ」

『んだよぉ、つまりあと30分は眠れるってことじゃねえか。でかいぞ、30分は』

「私たちに起こされることを前提に話さないでください。まあ、どうせ今日は臨時休業なんで、ゆっくり寝ててもらって構いませんが」

『んぁ?』

「へっ!?」


 キリルの言葉に、ティーシェもショコラも間抜けな声を出す。


「今日はショコラと私はお休みです。さすがに今の規模じゃ、師匠一人で店を回すのは無理ですよね」

「何を言ってるんですか先輩、私はともかく先輩まで休む必要はっ!」

『理由を言え、理由を』


 さすがに目が覚めたのか、ティーシェははっきりとした口調でキリルを問い詰める。

 すると彼女は、堂々と胸を張って断言した。


「サボりです」


 ショコラはガクッと転けそうになった。


「マジで言ってるんですか先輩っ!? 師匠、先輩どうかしてますよ。私は平気なんですから、止めてくださいー!」

『んあー……それ、どうしても今日じゃなきゃ駄目なのか? 今度の休みの日とか』

「今日以外ありえません」

『そうか、わかった。なら適当な理由で臨時休業にしとくから、お前らは楽しんでこい。私は今からもうちょっと寝るぅー』


 プツッと通話が切れる。

 結果が気になるショコラは、キリルにしがみついて尋ねた。


「もちろん師匠は許可しなかったんですよね!?」

「快諾だったよ」

「そんなバカなあぁぁっ!」


 叫びながら、へにゃりとへたり込むショコラ。

 普通に考えれば、ありえないことである。


「そんな適当だから人の入れ替わりが激しいんですようちはぁ! せっかく先輩のおかげで一時期は従業員だって増えてたのに!」

「師匠として優秀だから弟子がみんな独立して……」

「他のお店の方が条件が良いからって引き抜かれただけじゃないです?」


 キリルは何も言えなかった。

 だが、今は店の状況などどうでもいいのだ。

 キリルとティーシェは前もって、ショコラの危うさを感じ取っていた。

 彼女を一番よく見ているキリルが、今日が分水嶺ぶんすいれいだと言うのならば、それを拒むことなできるはずがない。


 キリルはショコラに手を差し伸べ、引き上げながら言った。


「労働環境に関してはさておき、師匠にも許可はもらったわけだから、今日は私に付き合ってもらうね」

「先輩に……? どういうことです?」

「デート」

「へっ?」

「今日はショコラとデートするから」


 キリルの言葉を受けて、ショコラはぽんっと手を叩き、


「なるほど、デート――って、えええぇぇぇえええっ!?」


 のけぞりながら、大げさに驚いた。

 今度ばかりは無理しているとか演技ではなく、本気のリアクションである。


「先輩っ、いくらこのショコラちゃんに惚れたからって、いきなりデートのお誘いは大胆すぎませんか!?」

「いや?」

「嫌では……ありませんが。先輩がそれでいいなら、私は」

「なら行こう。思いっきり遊んで、色々忘れちゃおう」

「でも私は、あれを忘れるなんて――」

「つべこべ言わずに、今は先輩に従う」

「うわわっ、待ってくださいよ先輩! 私の意思はーっ!?」


 強引にショコラの手を引っ張り、歩きだすキリル。

 特に行き先は決まっていないが、止まるつもりはなかった。

 少なくともこうしてキリルに強引に引っ張り回されている間は、ショコラの反応は“素”のものだったから。




◇◇◇




 そしてキリルは、いつになくアクティブにショコラを連れ回した。

 と言っても、まだこんな時間ではほとんどのお店は開いてないので、ほぼ散歩するだけなのだが。


「まったく、こんなに先輩が無茶苦茶な人だとは思いませんでした」

「私も驚いてる。ここまで行動的だったんだって」

「それに対して私はどうリアクションすればいいんですかぁ……もう、こんな調子じゃ先輩をからかって遊ぶこともできませんよ」

「それは最初から出来てないと思うけど」

「ぐっ……先輩って痛いところグサグサ突きますよね」

「弱点を見つけたら見逃せないタイプ」

「ドSですねぇ!」

「そんな先輩を慕うショコラは……」

「Mじゃありませんからー! Sですー! もっと言えばSとかMとかちょっぴり下品な言葉は私には適用されませんー! SはSでもスーパーカワイイのSなんですー!」

「自分で振っておいて……ショコラの方がよっぽど無茶苦茶だと思う」

「私はかわいいから無罪なんですよ」

「なら私は有罪かな。あんまり可愛げはないから」


 そのとき、ショコラがふいに足を止めた。

 キリルは一歩前に進んだあと、振り返り、彼女の方を見る。


「どうしたの?」


 ショコラの表情には笑顔が無い。

 彼女はキリルの足元を見ながら、いつもより少し低い声で言った。


「先輩は……かわいいと思いますよ。面倒見もいいし、お菓子作りも上手だし、危ないことがあったら私たちを守ってくれる勇気もあって……」

「悪いものでも食べた?」

「あはは。食べた、かもしれませんね」


 冗談のつもりで言ったキリルだったが、ショコラの表情はさらに沈んでしまった。

 この話は長引きそうだ――と察したキリルは、彼女に提案する。


「ショコラ、とりあえずどこかに座ろっか」

「はい……」


 二人は近くの公園に向かい、ベンチに隣り合って腰掛けた。


「たぶん気づいてると思うけど、私が今日、仕事を休ませたのは――」

「顔色が悪かったですか」

「そういうのを含めて、全部ひどい有様だったから。とてもじゃないけど、無理して動かせるわけにはいかないと思った」

「そんな、ですか」

「ショコラは嘘が苦手なタイプだから」

「先輩が鋭いだけですよぉ」

「でも師匠も気づいてたよ、ずっと前から」

「……そう、だったんですね」


 そのことに、ショコラは気づいていないようだった。

 ショックを受けたのか、はたまた『ズボラなくせに変なところで鋭い師匠だ』と呆れているのか。

 彼女は俯いたまま黙り込む。

 そしてしばらくすると、ショコラは「ふぅ」と息を吐いて、キリルに問うた。


「もしかして先輩、師匠から私の面倒を見てほしいって頼まれてたんですか?」

「言われるまでもなく面倒を見てたら、そのあとに師匠に言われた」

「そっか……先輩、言ってましたもんね。最初の頃、私が先輩のこと嫌ってたことに気づいてたって」

「まあね、あそこまで嫌悪感丸出しだと、一周回って傷つくというより興味が出たかな」

「あれ言われた時、ドキッとしましたよ。心臓が止まると思いました」

「図星だったから?」

「はい。そして私は、ずっと気づかれてないと思ってました。勇者を甘く見すぎましたね」


 苦笑するショコラ。

 対照的に、キリルの表情からは笑顔が消える。

 彼女は青空を見上げ、足をぷらぷらと揺らしながら口を開く。


「どうして――って、今なら聞いてもいい?」

「逆に何で今まで聞かなかったんです?」

「聞いたら面倒そうだったから。だったら、聞かずに仲良くした方が楽だと思った」

「ふふふ、先輩らしいですね。でも、聞かれたからには話さないわけにはいかないです」


 ショコラは目を細め、ぽつりぽつりと語りだす。


「五年前、オリジンの封印が解けたとかで、王都は大変なことになりました。沢山の人が死んで、沢山の人が消えない傷を負って。当時、私の家族も王都で暮らしてましたから、もちろんそれに巻き込まれて――母が、死にました」


 キリルは彼女の話に、無言で耳を傾けた。


「私はお母さんが大好きだったのに、その、大切な人の顔の色が変わって、ぐったりと動かなくなって、冷たくなっているところを見て……いえ、たぶんそれだけじゃないんです。死体だらけの王都とか、そこらじゅうを飛び回る化け物とか、いたるところから聞こえてくる叫び声も……全部が、頭の奥の、絶対に消えない部分に刻み込まれて、少し……どうかしてたのかもしれません。ひょっとすると、今も、どうかしてるのかもしれません」


 その“弱み”は、今までショコラがキリルに見せまいとしてきた一面だった。

 最初の頃は、キリルを憎んでいたからだったが、今は違う。

 心配させたくなかった。

 自分の嘘を、仮面を暴かれたくなかった。

 だから、ずっとごまかしてきたのだ。


「どうにか王都から逃げ出して生き延びた私と父は、互いに依存しあって、国から下りた補助金を食い散らすように、どうしようもなく生きてました。そんなある日……父が、私にこんなことを話し始めたんです」


 ショコラは一度唇を噛むと、握る両手にきゅっと力を込めて口を開いた。


「五年前の事件を引き起こしたのは、キリル・スウィーチカだ、って」


 キリルの表情は、動かない。

 ただ無言で前を見ている。


「きっと誰か・・から聞いたんでしょう。やけに具体的で――その……こんな話、先輩にしたら不愉快かもしれませんが……」

「私がオリジンを復活させて、王都を壊滅させたって話?」

「っ!?」


 キリルが平然と言い放つと、ショコラは目を見開き驚愕する。

 その様は、まるで信じられないものでも見るようであった。

 だがそれでもキリルは、動揺する様子もなく語る。


「その通りだよ。世間一般では、私もフラムと一緒にオリジンと戦ったことになってるけど、そんなの真っ赤な嘘。本当は五年前のあの日、私は勇者の力を使って魔王城に転移して、オリジンを復活させて、そのせいで王都は壊滅的な被害を受けた……らしいよ」

「らしい、とは?」

「被害者からしたら良いわけに聞こえるかもしれないけど、私――あの時、何が起きたのかほとんど覚えてないんだよね。ディーザって奴から渡された装備に、私を意のままに操る魔法が込められていて、それでまんまと利用されたらしいんだけど」

「操られてた……じゃあ先輩は、むしろ英雄たちと戦ってたってことですか?」

「うん。気づいたらオリジンコアを埋め込まれて、オリジン側の戦力になってた。やっと解放されて意識を取り戻したと思ったら、戦いは佳境で――要するに、私がラスボスみたいなものだったらしいよ」


 キリルが平然と言ってしまえるのも当然である。

 彼女には、ほとんど実感というものが無いのだから。

 残ったものは事実と、罪悪感と、わずかな記憶のみ。


「それで先輩は……悪いと思わなかったんですか?」

「思ったよ」

「言葉が軽すぎます。人がたくさん死んだんですよ?」

「わかってる」

「だったら!」

「悲しい出来事だとは思う。だけど私は当事者にはなれない。ずっと、どこまで行っても蚊帳の外で、謝ったって、償ったって、私自身の人生を棒に振るだけで何も残らない」

「身勝手すぎます」

「そう生きるって決めたから、仕方ない」

「それで誰が納得するんですか!」

「少なくとも私は救われるよ」

「先輩一人だけじゃないですか! 今だってあの日の出来事のせいで、苦しみ続けてる人たちがいるんです!」

「じゃあ――」


 キリルはショコラの方を見て、自らの身に降り掛かった理不尽を嘆き、吐き捨てるように言う。


「私が加害者ですって名乗り出て、憎しみを一身に背負って、悪役らしく死ねば満足?」

「それはっ」

「味方だと思ってた奴に裏切られて、操られて、なりたくもなかった化け物になって、友達を傷つけて、戦いが終わったあとも馴染めなくて。それでもまだ、全部が私のせいで、私はこの命を使って償い続けるべきだと思う?」

「別に私は、そこまでは……」

「一度名乗り出たら、そこまでしないと誰も納得しないよ。オリジンやディーザはもうこの世にいない。だからこそ、あの日の憎しみを飲み込んで、どうにか平静を保ってる人が沢山いる。もし全ての人に真実が広まれば、そういう人たちの感情は爆発する。そうだね、確かにそれで救われる人はいるのかもしれない。憎悪を生きる糧にして、活力を得る人はいるのかもしれない。でも、仮にそれが償いとして妥当だとしても――そんなの、私が嫌だ・・・・。力だけならともかく、勇者なんて役目を押し付けられて、身勝手に翻弄されて、体も弄くられて。その上、命を捨ててまで償えなんて。そんなの、何のために生まれて、何のために生きてきたのかわかんないよ。何で私がそこまでしなくちゃならないの?」

「……」

 

 偽りのないキリルの本心を聞いて、ショコラは黙り込んだ。

 ショコラがもし、オリジン亡き今、憎しみのはけ口を探しているだけ・・の人間であれば、ここで怒りを爆発させているところだろう。

 しかし彼女は言葉を失った。

 身勝手さに怒るでもなく、無責任さに嘆くでもなく、ただただ俯いている。


「巻き込まれた人たちにしてみれば、『被害者面するな』って思うかもしれないけど、私は自分を加害者だとは思えない。考え方によってはそう思えるのかもしれないし、償おうとするのが正しくて、綺麗で、勇者らしい生き方かもね。でも私はそうじゃない。勇者の力を与えられただけの、ただの人間なんだから」


 だからこそ、キリルは自分が加害者だと認めた瞬間に、潰れてしまうだろう。

 普通の人間ならそうだ。

 何万人もの人間が死んだのはお前のせいだ、一生をかけて償え――と、一方的に自分の未来を全て捧げることを強制されてしまえば、誰だって絶望に沈むに決まっている。

 もちろん因果応報ならば仕方ない。

 だが、キリルの場合は果たしてそう言えるだろうか。

 オリジンもいない、ディーザもいない、だから苦しんだ人々の溜飲を下げるために、キリルに償わせる――そんな消去法の贖罪に、一体どんな意味があるというのか。


「……知ってます」


 ぽつりと、か細い声でショコラは言った。


「先輩が、ただの人間だってこと、よく知ってます」


 それは一緒に過ごしてきた日々の中で感じたことだ。

 特別な勇者なんてどこにもいなかった。

 そこにいるのは、人並みに頑張って、人並みに手を抜いて、人並みに怒り、喜び、そして人より少しいじわるで、面倒見が良い――そんな、特別なんかじゃない、一人の女性だった。


「先輩への恨みを晴らすために近づいたはずなのに、そのせいで憎めなくなるなんて……本末転倒もいいところです」


 ショコラは自嘲気味に言う。


「試すような質問をしてごめんなさい」

「試してたんだ。怒ってたのも含めて、本音だと思ってたけど」

「半分……以上は本音でした」


 キリルが操られたことで、世界は大きな被害を受けた。

 それに関して平然と、『自分は被害者だ』と言い切る彼女に、本当に巻き込まれただけの被害者として憤りを覚えないわけではない。

 だが一方で、キリルの言葉も理解できるのだ。

 もし自分が同じ立場だったとして――全ての責任を背負えと言われて首を縦に振れるはずもない。


「お母さんが死んだ怒りをぶつける相手が見つかって、私ってば、らしくもなく怒鳴っちゃいましたよ。まったく、何もかも先輩の言う通りです。憎みたかった。この行き場のない怒りをぶつける相手が欲しかった。抜け殻みたいになってた父が、先輩を恨んだ途端に元気になったのも同じことなんですね。きっと、この感情に身を任せれば、楽に気持ちよくなれると思います。理不尽だって反論されても、自己満足のためにいくらでも屁理屈を並べられる気がします。でも、ぶつけられる側にしてみれば、そんなの嫌で当然ですよね。笑っちゃうぐらい、当たり前のことなんです」


 もし、ショコラがキリルと今のような関係を気づいていなければ、このような結論には達しなかっただろう。

 彼女の言葉通り、復讐のために近づいたことで、復讐を果たせなくなってしまったのだ。


「私は別に、ショコラが納得しなくてもいいと思ってた。確かに身勝手だって自覚はあるし、被害者からしてみれば、許容できない答えだろうから。でも……それを飲み込んでくれたことは、素直に嬉しい。ありがとう」


 キリルは穏やかな笑みでそう言った。

 別に受け入れられないならそれでもいいと思った。

 二人の間に修復しようのない亀裂が生じるのなら、それはそれで、仕方のないことだから。

 キリルは、一度決めた以上、今の考えを変えるつもりはないだろう。

 だが一方で、それが五年前の悲劇に巻き込まれた被害者に納得されないであろうことは、理解していた。

 だからこその感謝である。

 ショコラが、そんなおおらかで、優しい後輩であることに対しての。


「先輩……私、これからも後輩でいていいんですか?」

「そこを決めるのは私じゃないよ。今のままでいるのも、離れていくのも、決めるのはショコラだから」

「引き止めないと出ていっちゃいますよ、って言ったらどうします?」

「そっと見送る」

「……ひどくないです?」

「ふふっ、そんな冗談を言えるなら平気だと思って」


 キリルとショコラはいつもの調子で笑う。

 そこに、先ほどまでの不穏な空気はない。


「ねえ、先輩」


 ショコラはふいに立ち上がると、キリルに背中を向けたまま言った。

 

「ん?」

「実は私、まだ先輩に内緒にしてることがあるんです」


 そして振り返ると、笑顔のまま、しかしどこか不安そうな表情で話す。

 

「さっきの話以外に?」

「はい。間違ってるってわかってるのに、やめられてなくて。話したら、きっと先輩に軽蔑されちゃうような話です。ショコラちゃんのかわいさでも、誤魔化しきれないぐらい」


 冗談っぽく言っているが、それが深刻な話題であることをキリルは察していた。


「でも、必ず先輩に話すんで……少し、待ってもらっていいですか」

「気になるし、不安だけど。今じゃダメなの?」


 感じるのは、わずかな焦燥感。

 このタイミングで彼女が語るということは、おそらくキリルへの“復讐”に関連する話題に違いない。

 そもそもショコラは、キリルに近づいて、どうやって彼女を殺すつもりだったのか。

 いや、復讐が殺すことなのかはわからないが、何らかの方法で害をなそうとしたはずである。


 しかし一方で、彼女はフラムには、コンシリアに暮らす一般的民衆が抱くのと同程度の経緯を持っているような口ぶりだった。

 つまりキリルの周辺の人々に、間接的に復讐を果たそうとはしているわけではない。

 あくまでターゲットは本人である。

 だがその割に、今の所、ショコラがキリルに対して何か行動を起こすような様子は無かった。


 ならば復讐とは、誰が、一体どうやって、どのような形で果たすつもりだったのか。


「本当ならすぐにでも相談するべきなんでしょうけど、まだ、私の気持ちの準備が出来ていないんです。長引かせれば……余計に先輩は、私のことを軽蔑するでしょうけど。でも、やっぱり――」


 ショコラは右手で左の二の腕をぎゅっと掴むと、苦しげに唇を噛む。

 おそらく、自らの復讐に関してを語るだけでも、彼女にとっては大きな負担だったはずだ。

 先輩に嫌われたくない――その想いも間違いなくあるのだろう。


  どうやら五年前の出来事から、ショコラの精神は安定していると言い難い状況のようだ。

 ハロムから聞いた話によれば、元々ショコラはもっと暗い性格の少女だったのだ。

 おそらくは、今の少しうざいぐらいの明るいキャラクターも、キリルに近づくために無理をして作っていたものなのだろう。

 それが一緒に過ごす間に染み付いて、今やそれがショコラそのものになってしまった。

 だが根っこはそう簡単には変わらない。

 揺らぎやすくて、ふとした瞬間に壊れそうな脆さは、未だ健在だろう。


 無理をさせては、どんな悪影響があるかわからない。

 キリルは湧き上がる欲求をぐっと飲み込んで、ひとまずは、ショコラから話してくれるのを待つことにした。


「わかった。なら、一つだけ聞かせてもらってもいい?」


 だが、手がかりもなしにここで引き下がるキリルではない。

 どうしても確認しておかなければならないことはある。


「言える範囲でなら」

「私の過去について、ショコラの親御さんは誰から聞いてきたの?」


 それを知っているのは、あの戦いに直接関わった者だけのはずだ。

 そんなキリルの問いに、ショコラは首を横に振る。


「答えられない?」

「いえ、知らないんです。さっきも言ったように、その話をしたのは、私のお父さんなので。ただ……端末越しに話している限りでは、“先生”って呼ばれてましたけど。あと男の人だと思います、声の感じからして」

「先生……」


 顎に手を当てて、考え込むキリル。

 何人かの顔が浮かんできたが、どれも“先生”という呼び名に完全に合致するものではない。

 ここで考えても無駄だと判断すると、キリルはその話をひとまず家に持ち帰ることを決意した。

 だがその前に――


「よし、それじゃあ」


 キリルはベンチから立ち上がると、お尻を両手で軽く払う。


「デート、再会しよっか」

「へ? まだするんですか?」

「そろそろお店も開く頃合いだろうし」

「え、でも、先輩は今の話をするために私を連れ出したんじゃ……」

「いや、別にそういうわけじゃないよ。偶然そういう流れになったから、せっかくだし話そうと思っただけで。本命はショコラを元気づけるためのデートだから」

「本当にマイペースですね、先輩」

「やりたいことをやった方がいいって、私にアドバイスしてくれた子がいたからね」

「それにも限度ってもんがありますよ」


 ショコラは不貞腐れたように差し伸べられた手をとると、しっかりと握って公園をあとにした。




◇◇◇




 キリルとショコラは、一日中みっちりと遊び尽くした。

 有名店でのランチのあと、洋服やアクセサリー、雑貨を見て回り、予想外の出費をしたり。

 昼も十分に食べたのに、『これはライバル店の偵察だから』と言い訳をして、ケーキ店でのデザートバイキングに挑戦したり。

 食べすぎて、二人でしばらく公園で休んでたら、『勇者が寝てるー!』と子供に絡まれたり。

 その子どもたちと追いかけっ子をして遊んだり。

 一応、自分たちの店の様子も見に行こうという話になり、入り口を見たら『勇者がサボったため臨時閉店』と張り紙がされているのを見て、二人して苦笑いしたり。


 あっという間に一日は過ぎ、空が暗くなる頃、キリルはショコラを家まで送ることにした。


「今日はすっごく楽しかったですっ! また遊びましょうね、先輩っ」

「うん、今度は食べすぎないように気をつけないとね」

「あはは……さすがにランチのあとにケーキバイキングはやりすぎましたね。ダイエットしないと……」

「まあ、私は勇者パワーで太らないんだけどね」

「ええっ!? それはずるすぎませんか!」

「勇者特権だから」

「自分は勇者じゃないとか言ってたのに……」

「あるものは利用するよ、じゃないと宝の持ち腐れだと思わない?」

「いいなぁー、私も闇属性じゃなくて太らない希少属性とか欲しかったなぁー」


 そんな都合のいい希少属性が存在するわけが――無いともいい切れない。

 フラムの“反転”だって、呪いの武器を出会うまではまったく使いみちが無かった。

 シアの“夢想”なんて、自分だけでは制御できない上に、魔法と言っていいかも疑わしいものだ。

 あれが世界にとって一種のバグのようなものならば、どんな能力があったっておかしくはないのだ。

 まあ――だからといって、ショコラの属性が闇という事実が変わるわけではないが。


「じゃあ先輩、また明日です」

「うん、また明日」


 二人は手を振って別れる。

 キリルは、ショコラが家の中に入るまでずっと彼女の後ろ姿を見つめていた。

 窓から覗く姿は無い。

 殺意も向けられていない。

 これから、キリルを許したショコラは、どう親と向き合うつもりなのか――不安しか無いが、見守るしか無い。

 今は、まだ。




◇◇◇




 世間一般で“五年前の出来事”、あるいは“四年前の英雄譚”として語られるうちの大半は、フラム・アプリコットに関するものばかりだ。

 だが当然、彼女以外にも苦しみ、足掻き、生き延びた者がいる。


 王城のバルコニーで、夕日を眺めたそがれる、黒髪挑発の男――クロスウェル・マトリシスも、そのうちの一人と言えるだろう。

 元Sランク冒険者であり、事件当時はリーチに雇われ、商品・・を仕入れるために世界中を旅していた。

 そして現在、彼は国に雇われ、研究者をしている。

 つまり、ジーンやエターナと似たような立場ということだ。

 もっとも、英雄である彼らとの間には待遇で大きな差があるが、それでも一流のエリートであることは間違いなかった。


 無言でじっと夕日が堕ちていくのを見つめるクロスウェルの後ろ姿を、偶然にも通りがかったジーンが発見する。

 彼はたなびく髪と白衣を見つめると、顎に手を当て、「ふむ」と声を出すと、何か思い出したのか、クロスウェルに近づく。


「君のような美形は、夕日に照らされると、世界で僕の次に絵になるな。そして僕が隣に並ぶと――」


 そして横に並ぶと、


「一位と二位が並び、世界最高の絵が生まれるというわけだ。この姿を描いてくれる誰かがこの場に存在しないことが惜しくてしょうがないな」


 キメ顔でそう言った。


「そうだ、シアにでも頼んでみるか?」

「……」


 クロスウェルは整った顔に一切の表情を浮かべず、じっと無言で彼を見つめる。

 二人の間に沈黙が流れた。

 その奇妙な時の隙間は数十秒にも及び、やがてクロスウェルは、なおも無言のまま再び夕日に視線を移す。

 そしてようやく、ぽつりと言葉を発した。


「何か用なのか、ジーン・インテージ」


 怒りもなく、哀れみもなく、淡々とした声で。


「美しいものを見たら並びたくなる。それは美しい僕として当然の行いだ」

「少々ナルシストがすぎるな」

「それを僕のせいにされても困る。周囲が僕をそう思っているだけなのだから」


 ふふん、と笑うジーンに、クロスウェルはそこで初めて――「はぁ」とため息を吐き、感情らしき感情を見せた。


「放っておいて欲しい。私にとって、感傷に浸る時間は睡眠と同じぐらい大切なんだ」

「僕と語らうのも負けないぐらい有益だぞ」

「個人差が大きい」

「ふむ……君ほど優秀な研究者に言われては、その意見も取り入れざるを得ないな。ならばその代わりに、一つだけ聞いていいか。ギブアンドテイクというやつだ」

「ギブしかしていないのだが」

「僕という存在は無条件で他者にとってテイクなんだよ。それで質問だが――」


 有無を言わさないジーンの理不尽に、クロスウェルは逃げ場を失っていた。

 もはや、一つ答えただけで逃げられるのなら、何でも答えてやろう――そう思うしかない。

 彼の諦めを察して……いや、ジーンの場合はそんな他者の都合など関係なく、容赦なく、質問を投げかけた。


「クロスウェル、君は何のためにここで働いているんだ?」


 それはジーンが抱いた、珍しく率直な疑問だった。

 推測もした、想像もした、しかしそのどれも、天才の頭脳をもっても当てはまらないような気がしたのだ。

 ゆえに、彼に直接問うしかなかった。


 クロスウェルは、冒険者時代の功績を買われて研究者になった。

 冒険者というと、世間一般として野蛮な職業と思われており――現在はフラムのおかげで改善されつつはあるが――実際のところ、金に汚かったり、人を殺しも厭わなかったりと、アウトローな人間が多いのもまた事実だ。

 その中にあって、クロスウェルは自身の得た収入を孤児院に寄付するなど、まさに聖人とでも呼ぶべき行いをしてきた。

 もっとも、その孤児院は彼自身が育ってきた、いわば実家のような場所なのだが。

 とはいえそれ以外にも、仕事に関係ない場所で指名手配犯を捕まえたり、通りすがりにモンスターに襲われた人を救ってみたりと、冒険者の模範と言っていいほど善行を積み重ねてきた男である。

 そんなクロスウェルだからこそ、リーチ・マンキャシーは声をかけた。

 危険なモンスターの一部や、未開の地にあると言われている伝説の木の実など、通常ならば手に入らない希少な品を集める専属のハンターとして、かなりの好条件で雇っていたのだ。


「ジーンには以前話したが、私は五年前の事件当時、王都の外に居た。依頼から戻ってくる直前だったんだ。そして異変が起きたことに気づき――」

「自ら王都に足を踏み入れたんだったな」


 クロスウェルは逃げなかった。

 一人でも王都の人々を救出するために、キマイラと戦い、道を開いたのだ。

 その事実を知る者も、知らない者も含めて、彼に救われた人間は多いだろう。


「私はそこで地獄を見た。この記憶は、永遠に消えることは無いだろう。そして私は決心したんだ、あのような悲劇は二度と起こしてはならない。そのためには――この国を、外敵から守り続けなければならない、と」


 胸に手を当て、熱く語るクロスウェル。

 その言葉に、嘘偽りは感じられない。


「それが全てか」

「もちろんだ。不服か?」

「いや、そうではないが――僕ならともかく、普通の人間がそこまで自分の人生を、見知らぬ誰かのために捧げられるだろうか、と思ってな」


 ジーンが言うと、クロスウェルは「ふっ」と表情を崩した。


「ナルシズムもほどほどにしておいてくれ。いくら自分が優れているとしても、それは唯一無二と同じ意味ではないはずだ」


 そう言い放つと、バルコニーを去っていく。

 ジーンは無言でその背中を見送った。

 そして、クロスウェルの姿が階段の向こうに消えた所で、独り言を漏らす。


「そういう意味では無い。僕が言っているのは在り方・・・の問題だ」


 当然、その言葉はクロスウェルには届いていないだろう。

 一方、階段を下りる彼は、踊り場で足を止めると、白衣の内ポケットからロケットを取り出す。

 蓋を開くと、そこには以前、ウェルシーに頼んでバーンプロジェクションの魔法で撮影・・してもらった、モノクロの写真が入っている。


「……お前が笑うまで、兄さんは頑張るよ」


 そこにはクロスウェルと――彼に抱きつく、ツインテールの少女が写っていた。




◇◇◇




 キリルが帰宅する頃には、空はすっかり暗くなっていた。


「ただいまー」


 玄関を開けると、夕食のいい香りが漂ってきた。

 いつもは完成したあとに帰ってくることが多いので、地味に貴重な経験である。


「キリル、おかえりーっ!」


 靴を脱いだ彼女に、インクが駆け寄ってくる。


「おかえりなさーい」

「おかえり、キリルちゃーん」


 キッチンの方からも、ミルキットとフラムの声が聞こえてきた。

 エターナは二階で作業中だろうか。

 家に上がり、インクと並んで廊下を歩くキリル。

 彼女はキッチンに顔を出すと、ポテトを半分加えたフラムと目があった。

 どうやら“味見”の名目でつまみ食いをしているらしい。

 口から顔を出した芋をぱくりと口に含むと、フラムはキリルに問いかけた。


「今日は早かったね」

「店は休みだったからね」

「へ? じゃあどこに行ってたの?」

「ショコラとデート」


 冗談っぽく笑いながらキリルは言った。

 ミルキットは火を扱っているのでよそ見はできないが、話が気になってしょうがない様子である。


「つ、ついにキリルにも彼女がっ!?」


 どひゃーっ! とわざとらしいリアクションを見せるインク。

 無論、彼女もジョークだと理解している。

 

「ショコラって、いつも朝に迎えに来てる後輩だよね?」

「そう。どうも様子がおかしいから元気づけようと思ってね。そしたら意外な事実が判明したの」

「実はキリルの生き別れの妹だった!」

「前世で恋人だった、とかでしょうか……」

「あんまりハードルを上げられるとがっかりされると思うんだけど」

「じゃあ早く話してよぅ。あたし気になりまーす!」

「インクってば……ちなみにキリルちゃん、ここで話せる内容?」

「まあ、簡単に言うと私がフラムたちの敵に回ってたことを知ってたって話なんだけど」

「えっ……!?」


 フラムの表情が固まる。

 ミルキットも手を止めて、心配そうにキリルの方を見つめた。


「大丈夫なんですか?」

「そうだよ、絶対に漏れないようにしてあるってイーラが言ってたのに!」

「私もそれは知ってるけど、知られたものは仕方ないよ」

「ねえキリル、それを知ってショコラって人は何て?」


 キリルは「ん……」と物憂げな相槌を挟んで話す。


「……ショコラのプライベートだから、そのあたりはね。ああでも安心してよ、別に私を恨んでるとか、憎んでるとか、少なくとも今は・・無いから」


 フラムはその言い回しに引っかかるものを感じていた。

 しかしキリル自身がそれを『済んだこと』として処理していることを察し、何も言わない。

 ミルキットはフラムの表情を見て、同じ判断を下した。


「この場合、ショコラが知ってたこと自体が問題なわけじゃない。私が知りたいのはさ、この情報が誰からショコラの親に伝わったのかってこと」

「親なの?」

「あの子はそう言ってた。だから自分は、教えてくれた本人の名前や顔を知らないとも。ただ父親はその人のこと、“先生”って言ってたって」

「先生、ですか……」

「学校とか、あとは医療魔術師とかかな」

「貴族の中にもそう呼ばれてる人がいるって聞いたことあるよ!」


 三人の意見に、神妙な顔をしてうなずくキリル。


「そのあたりに該当する人物がいないか調べた方がいいかもね。さすがに私も、あの話が不本意な形で広まったら、立場が悪くなるし。せっかく出来ることも増えてきたんだから、この街を離れたくはないかな」

「当たり前だよ! あの話をわざわざ外に流すなんて、キリルちゃんへの嫌がらせとしか思えないし、絶対に犯人を突き止めないとね。私、早速アンリエットさんとセーラちゃんに連絡してみるから。ミルキット、料理途中なのにごめんね」

「いえ、この後もご主人様ががんばれるようにとびきり美味しいのを作って待ってますから」

「ありがと」


 フラムはミルキットと軽く唇を合わせると、ショートパンツのポケットから携帯端末を取り出して、二階の自室へと向かった。


「ミルキット、この後も・・・・って、フラムに何か予定があるの?」


 キリルが尋ねると、ミルキットは首を縦に振る。


「ご主人様は朝から夕方にかけてもコンシリアを見張っていたんですが、何も起きなかったので、今日は夜も出る予定だそうです」

「がんばるよねえ、フラム。戻ってきてからはへにゃへにゃモードになることが多かったけど、街に危機が迫ると顔がキリッとするんだもん」

「えへへ……かっこいいですよねぇ……」

「フラムはこの街で気ままに暮らすことを夢見てたみたいだから、平和を乱すやつらが許せないのかもね」


 そう言うと何だかヒーローのようだが、きっと本人は否定するのだろう。


『ただ私はミルキットと二人で暮らしたいだけだから』


 などと、ますますそれっぽいことを言って。

 



◇◇◇




 一方、キリルが帰宅したのとほぼ同時刻、ショコラは父の部屋で彼と向かい合っていた。

 キッチンからは、母親が上機嫌に鼻歌を歌いながら、夕食の準備をする音が聞こえてくる。

 幸せな家庭でしかありえない情景。

 しかし扉を一枚隔てれば、満ちる空気はがらっと変わる。

 チェアに腰掛ける父は、『話がある』と言って部屋を訪れたショコラに対し、低めの声で話しかけた。


「言いたいことがあるんじゃなかったのか」


 ショコラは拳をきゅっと握ってうつむいている。

 言いたいことは確かにある。

 それは喉元まで上がってきているのに、そこから先に進もうとしない。

 臆病さが封をして、彼女を邪魔している。


「何も無いなら僕は行くよ。母さんが待ってるからね」


 父は立ち上がり、ショコラの横を通り過ぎようとした。


「ま、待って……!」


 彼女は意を決して、父の袖を掴み引き止める。

 彼も強引に進もうとはせずに、そこで足を止めた。


「あ、あのね……私……キリル先輩に、全部話したからっ!」

「……何?」

「五年前にお母さんが死んだこととか、復讐のために近づいたこととか! その……まだ、お母さんが生き返ったことまでは……話せて、無いけど。でもっ、もう復讐するつもりなんて無い、って。それぐらい、先輩のこと好きになったからって、全部……伝えた、つもり……だから。あの、だから、その……っ」


 シャツを掴む手はおろか、体全体がガタガタと震えている。

 手のひらやこめかみ、背中には冷や汗が浮かび、呼吸も小刻みながら荒い。

 怖かった。

 今の父親に全てを話せば、何をされるかわからなかったから。

 けど、話さなければならない。

 それが、キリルを騙し続けて、“母を蘇らせる”という禁忌を犯した自分が、正しい道に戻るための第一歩だと思ったからだ。

 拒まれたならそれでもいい。

 その時はその時で、決別するしかない。

 一人で――いや、さすがにキリルに助けを求めるかもしれないが、たぶん今よりは、“前”へ、あるいは“上”へ向かえるはずだから。


「……お、お父さん」


 なけなしの勇気をかき集める。

 元々少ないから、集めたって大した量ではない。

 せいぜい、いくつかの言葉で、父親に抵抗するのが関の山だ。

 けれど今まではそれすらしなかった。

 ずっと、流されて、寄りかかって、誰かのレールに便乗するばっかりだったから。

 ショコラは初めて、自らの選択を行うのだ。


「私……間違ってると、思う。先輩は、操られてたって。オリジンなんて、本当は復活させたくなかったって言ってた! それが真実なんだよ、私にはわかる! だって先輩はそういう人だからっ! それに、英雄たちが許したんだよ? 許されて、あの場所にいるってことは、許されるだけの理由があったってことだし! だから、復讐は間違ってるし!」

「……」


 父親は、ショコラを無表情に、無言で見下ろすばかりだった。


「ひっ……」


 感情の読めないその顔に、体がこわばる。

 喉がきゅっと締まって、うまく喋れなくなる。

 けど――今止まれば、たぶん、二度と何も言えない。

 後先なんて考えずに、勢いに任せるのだ。


「く、ぅ……復讐は、間違ってる。そして、あの……あんな、やり方で……誰かを殺してまで、お母さんを生き返らせるのも間違ってるよッ! 絶対に、絶対におかしい! こんな形で元に戻ったって、本当の家族なんかにはなれないのっ!」


 ショコラだって、甘い夢に浸っていたかった。

 父親がいて、母親がいて、台所から料理を作る音が聞こえてきて――そんな日常に、ずっと憧れ続けてきたのだ。

 できることなら、そんな日々を続けたいと思った。

 みんな、どこか少しずつおかしかったとしても、父親と二人で奈落の底を這いずるよりマシだと思ったから。


「……」


 相変わらず、父親は無言だ。

 ショコラは恐怖と戦いながら、彼と視線をぶつけあう。

 目を逸らせば、負けだと思った。

 それは心が折れたことを象徴する行為だ。

 絶対に退くつもりはない、その証明のために、一歩たりとも後ずさるわけにはいかない。


「……ショコラ」


 表情を変えず、父親は彼女の名を呼んだ。

 ショコラはぴくりと肩を震わせる。

 すると、父親はふっと優しく笑い、言葉を続ける。


「そうだな、お父さんもそう思うよ。あんな形でお母さんを蘇らせたって、お母さんは喜ばない。そうだ、ちょうど僕もそう思っていたところだったんだ」

「え……?」


 それが最善だとは思っていた。

 だが、説得が成功するなどとは、ショコラは想像もしていなかった。


「今回で終わりにしよう。あと数日――お母さんが理性を持って生き続けられるのは、その期間だけだ。それが、家族として振る舞う最後の時間だ。ショコラも、それぐらいは許してくれるだろう?」

「うん……私も、そう、思ってたから」

「そうか。でもお母さんには何も言わないようにね。だってお母さんは、自分が死んだとは思っていないんだからさ」

「わ、わかった……」


 最後に父親はショコラの頭をぽんぽんと軽く撫でると、部屋から出ていった。

 一人残された彼女は、その場に立ち尽くす。


「受け入れて……くれたの? お父さんが、私の説得を?」


 信じられない。

 だがそれが、今、ここで起きた真実だ。

 嘘でもなければ、気まぐれといった様子でもなく、父はまるで『本当に優しい父親』であるかのように、ショコラにそう告げた。


「よかったん……だよね。これで。成功、したんだよね」


 あらゆる面において、ショコラにとって理想的な展開に進んでいる。

 あとは母が保たなく・・・・なったら、キリルに相談しよう。

 それで、甘く優しい、悪い夢は終わる。




◇◇◇




 フラムは夕食を終えると、水筒とミルキットの作った夜食用の弁当箱を持って家を出た。

 もちろん行ってらっしゃいのキスは、夜一緒に眠れいない分、十回ぐらいした。

 それでも足りないぐらいだがキリが無いので、断腸の思いで切り上げた。


「今日は何しようとか決めてたんだけどな」


 心地よい風を受けながら、コンシリアの空を跳躍するフラム。

 彼女はひとっ飛びでいつもの待機地点――櫓の上に移動すると、その一番高い場所に陣取った。


「明るい街……すっかり前の王都よりにぎやかになっちゃったなあ」


 こうして街全体を見渡す機会というのは、意外と無い。

 まあ、空を飛べない人々は“意外と”どころか一度も無いのだが。


「街中を魔導列車が走って、昼間は空を飛空船が飛んで、でもそのすぐ近くを魔族が飛んでたり、馬車が走ってたり――何だかちぐはぐな感じ。移り変わる途中ってこんな感じなのかな。それとも、ここが特別なだけなのかな」


 呟く言葉に、そんなに意味は無い。

 ただ街を見て、フラムが感じたことをこぼしているだけだ。

 たぶん、ミルキットが居ない寂しさを、音で埋めようとしているのだろう。

 だがやがて話すことも無くなると、フラムは無言で監視を続けることになる。


 時折、繁華街では喧嘩をしている男性たちが現れたりもしたが、ほとんどは衛兵が処理しているので、フラムが出る幕もない。

 大事件は起きてほしくないが、何もやることが無いと、昼間よりもさらに退屈だ。

 本来ならこの時間、ミルキットを抱きしめられていたと思うと、余計に憂鬱な気分になった。


「でもまあ……私が退屈してるのはいいことなんだよね」


 きっとそれが、平和ということなのだ。

 ならばそのまま、夜が明けてくれればいい――そう思ったところで、フラムの視線が一台の馬車を捉える。

 大通りを走り、角を曲がって小さめの道へ。

 そこで、ちょうど近くを見張っていた兵士が馬車に近づき、荷物の確認を始めた。

 商人は特に抵抗することもなく積み荷を見せて、兵士も納得した上で、検査をスルー。

 馬車は住宅街に向かって走りだす。


「……どうして退屈させてくれないのかな」


 やることが出来たら出来たで、愚痴るフラム。

 それも仕方のないことだ。

 見つけてしまった物が物だけに、さすがに笑えない。


「ふっ!」


 行きの時とは違い、フラムは速度を重視して、馬車に向かってミサイルのように飛翔する。

 そしてぶつからない程度に距離を取って前方に着地。

 商人は「おっとと」と鞭を引っ張り、慌てて馬を止めた。


「驚きましたね。誰かと思えば、かの英雄のフラム様ではないですか」


 商人はハンチング帽を被った中年の男で、外見に特に怪しい点は無い。

 しかしフラムは殺気だった表情で、彼を睨みつけていた。


「どうかしたかー……って、フラム様!? 本物ですか!?」


 先ほど荷物を検査していた兵士も、異変に気づき近づいてくる。

 フラムは特に彼に反応することはなく、商人に尋ねた。


「さっき、荷物のチェックを受けてたよね」

「ええ、何も問題はなかったはずですが。ねえ?」

「はいっ、積み荷は元に布類でした。フラム様が出てくるような者は何も――」


 フラムは、なおもしらばっくれる・・・・・・・商人に対し「はぁ」と心底呆れてため息をつくと、馬車に向かって手をかざす。

 そして魔力を手のひらに集中させ、前方に放った。


反転しろリヴァーサルっ!」

 

 対象は、馬車の積み荷全体・・

 その上下・・を入れ替える――


「フラム様、これは一体!?」


 に積んであった物が、板の下・・・へ。

 逆に板の下に隠れていた物体が、上に出てくる。

 それは布でぐるぐる巻きにされた、“人間の上半身ほど”の大きさがある何かだった。

 外気に触れて反応したのか、それらはもぞもぞと、荷台の上で蠢いている。

 フラムは大股で荷台に近づくと、それを包む布を強引に破り中身を出した。


「は……はひ……はひゅー……はひゅうぅー……」

 

 現れたのは、虚ろな瞳で虚空を見上げる、上半身だけの人体。


「ひっ、ひいいぃぃっ!!」


 それを見ていた兵士は腰を抜かし、自分に倒れ込む。

 対して罪を暴かれた商人は、その場で動くことはなかった。


「馬車から複数の人間の気配がするからおかしいと思った。ねえ、これは何? 何のためにこんなことをしてるのっ!?」


 フラムは神喰らいを抜くと、商人に対しその切っ先を向けた。

 返答によっては切り伏せる――その意思表示である。

 すると商人は、体は動かさずに、ぐるりと首だけを百八十度回してフラムの方を見た。


「あは」


 そして、力なく笑う。


「まさか……人間じゃ、ない?」


 フラムがそう言うと、商人の首はさらに周り――今度は胴体の捻じれも加わって、五百四十度回る。

 そして再び彼女を見た。

 口元だけが剥がれた・・・・顔で。


「お久し、ぶり、れす」


 剥がれた皮膚の下には、商人のものとは異なる、少女のような口元があった。

 彼の――否、彼女の体はまだ拗れる。

 ブチブチと、皮膚と筋が引きちぎれる音を立て、体から血を滲ませながら。


「おひひひ、さし、ぶり。わら、わらし、おにいさ……おにいさあ、ごめんな、しっぱい、わたし、うまく……なれな……なれなな、なななな」


 現状、そいつから何かが発せられることも、周囲に害を成すこともない。

 それはただただ、捻じれ・・・剥がれ・・・、中から少女の肉体が出てきたかと思うと、それもまた捻じれて剥がれているだけだ。


「うひ……ひいぃい……」


 兵士が失禁している。

 正体がわからない以上、下手に手は出したくないフラムだったが、さすがにこれ以上は見ているだけというわけにもいかないだろう。

 神喰らいを掲げ、軽くプラーナを生成し、振り下ろす――


「はあぁっ!」


 放つ剣技は、気剣斬プラーナシェーカー

 最も初歩の騎士剣術キャバリエアーツではあるが、今のフラムが放てば、大抵の敵は一撃で吹き飛んでしまう必殺の一撃であった。


「わたし、やっぱり、うまく、できな――」


 剣気が命中すると、その商人だった何かは、跡形もなく消え去った。

 同時に、そいつが乗っていた馬車も消え、布でくるまれた上半身だけが、地面に転がる。


「逃げた……?」

 

 だがフラムは手応えを感じていなかった。

 そもそも気剣斬プラーナシェーカーは命中していたのか。

 ただすり抜けただけのようにも見えたが、ひとまずは――あの布に包まれた人たちを助けなければならない。


「き、消え……消えっ……」


 それと、あの兵士の精神面のケアも。

 フラムは神喰らいを収納すると、右手を軽く振り払う。

 すると反転の魔力が、地面に寝そべる人々を布から外に出した。


「う……ううぅ……」

「うあ、あ……」


 体の切断面は塞いであるようだが、あの体で長く生きられるとは思えない。

 続けて、左手で携帯端末を取り出すと、すぐさまセーラに連絡を取る。

 呼び出し音が鳴る。

 相手が出るまでの間、フラムは蠢き、うめき声をあげる犠牲者たちを見つめながら考えていた。


(さっきの化け物の顔……私、どこかで見たことあるような……)


 記憶をさかのぼっても、中々答えは見つからない。

 顔は歪んでいたし、まともに見えたのはごく一部。

 それだけの情報から、個人を特定するのは難しい。

 だが、これまでに会ったことのある誰か――それは間違いないはずだった。




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