第126話 「お前ごときが人類に勝てると思うな」と世界を追放されたので、異世界で気ままに暮らしたい

 





 体が、錆びた人形のように軋んでいる。

 大事な何かがひび割れて、中身が漏れ出している。

 掬い上げようにも、流れ出た何かがどこにいったのかわからない。

 そのせいか、自分がどこにいるのか、気を抜くとすぐに忘れそうになった。

 ただ、破片ではあるものの、いつになっても壊れそうにない、はっきりとしたものも、いくつかあった。

 たぶんそれは、魂に刻まれたものだ。

 フラムがフラムでなくなったとしても、いつまでもそこに残る。

 人々の、笑顔。

 自分が無くなっても、それらの欠片と欠片を繋ぎ合わせれば、フラム・アプリコットという形は出来上がる。

 だからさほど、怖くはなかった。


(……ごめん、それは嘘)


 強がりだ。

 怖い。

 暗闇の中、足で探りながら階段を降りていくという行為にすらビビっているのに、自分が壊れることを恐れないはずがない。

 色んな不安が頭の中に渦巻いている。

 自分は本当にオリジンを倒せるのだろうか。

 自分は本当に生きてミルキットのもとに帰れるのだろうか。

 戻ったとき、ミルキットはちゃんと生きているだろうか。

 彼女が生きていたとしても、無事を伝えたい家族は。

 いや、そもそも――戻ったとして、自分の体は、どうなってしまうのだろうか。


「私、それを何回繰り返すつもりなんだろ」


 苦笑いと共に発せられた自問が、反響して、暗闇に響き渡る。

 何回繰り返したって、飽きない――というか、納得の行く結論は出ない。

 そしていつも最終的にたどり着くのは、『やっぱ本物の英雄はすごいや』という結果だった。

 彼らはためらわなかった。

 ガディオも、ライナスも、あと一応ジーンも。

 あんな風には、なれそうにない。

 最後までぐちぐちと、不満を垂れ流し続けるのだ。


 もっとも――仮にそうだったとしても、普通の人間ならば、ここにたどり着く前に心は折れているのだが。

 だが今のフラムに、そこまで自分を客観視する余裕は無い。

 ひょっとすると戦いが終わってしばらくしたら、『あれ、もしかして私すごいんじゃ……?』と思うかもしれないが、そもそもそんな日々がやってくるかもわからない。

 だから彼女は、最後の最後まで『自分は英雄ではない、そのフリをしているだけだ』という過小評価をやめなかった。


 そして、フラムは終着点にたどり着く。

 拍子抜けするほどあっさりと、キリルとの戦いの途中ではあれほどうるさかったオリジンは一度も話しかけてくることなく、その部屋に入れてしまった。

 扉の向こうにあるのは、相変わらず気持ちの悪い光景。

 淡く緑に照らされた部屋。

 半透明の床。

 天井から、床のさらにずっと奥に至るまで、壁にびっしりと張り付いた人体。

 そこに足を踏み入れると、その瞳が一斉にフラムの方を凝視した。


「こんにちは、オリジンさん。できればもう会いたくなかったけど」


 そういうわけにはいかない。

 とはいえ、今までさんざんトラウマを植え付けられてきた相手だ、否が応でも表情が強ばる。


「今日はあんたを殺しに来たんだけど、反抗はしないの?」


 円形の部屋、その中央に向かって歩きながら、フラムは問いかける。

 返事は期待していなかったが、彼は律儀に反応した。


『無意味だ』

『どうせ何をしたって“反転”されて無力化される』

『もはや終わるしかありません』

『悪い夢だと思いてえ』


 諦めた、というのだろうか。

 確かにキリルにはそれだけの力があった。

 それに、オリジン本体そのものには大した戦闘能力は無いらしい。

 だから、わざわざ他者の精神に揺さぶりをかけ、力を与えて利用するという回りくどい手を使うのだ。

 直接干渉する手段と言えば、王都にしたように、脳を汚染して相手を錯乱させ、自滅させるぐらいか。

 だがそれも、今のフラム相手には効果が無い。

 オリジンの言う通り、“反転”されてかき消されるのがオチである。


「あんまり物分りが良すぎるのも気持ち悪いなぁ」


 しかし、無意味に反抗されるよりはマシだ。

 真正面の壁に張り付く体に近づきながら、フラムは神喰らいを抜き取る。


『殺せ』

『死にたくない』

『助けて』

『まだ終わるには早すぎる』

『世界の平和のために』


 わめくオリジンたち。

 言っていることは見事にバラバラだ。

 死に直面したことで、集合意識の統一がさらに緩んでいるようである。

 フラムはふいに歩みを止め、前方にある顔と目を合わせながら口を開く。


「色んな人の人格が集まってる、か。結局、私は接続されなかったからわからなかったけど、それってどんな感じなんだろうね? 意見がバラバラになるってことは、完全に一つになってるわけじゃないんでしょ? でもオリジンの一部になったことを嘆くような声が聞こえてこないってことは、やっぱり根っこの部分は同じ――オリジンの意志の中枢とでも言うべき部分に繋がってると思うんだけど」


 中央に核があって、そこから無数の人格が生えているイメージ。

 それがフラムの頭の中にある、オリジンの概形だった。

 しかし、彼女の言葉に相手は何も答えない。

 変わらず、自らの死を嘆いたり、受け入れたり、全く関係のない言葉を発したりするだけだ。


「まあいいや、どうせ壊せばわかるんだから」

『本当にそれでいいのか?』


 オリジンの一部が、フラムに語りかける。


『我らを破壊してしまえば、お前は二度と仲間たちと会えなくなるかもしれない』


 それは――死を前にして、それを避けるために“フラムを説得する”という結論を導き出した、オリジンの枝葉の一つ。

 元となった人格は、おそらく冷静沈着で、頭の切れる男性だったに違いない。

 だがそれも、オリジンに繋がれてしまえば全て台無しになる。

 なぜならそいつは、どうにも、“人の感情”というやつに疎いからだ。


「はっ……なに言ってんの、自分がそうさせたくせに」

『こちらに危害を加えないことを約束すれば、私たちもあなたがたに手は出しません』

「本気で言ってる?」

『死ぬのが怖いんだ。消えたくないんだ。頼むよ、僕たちを助けておくれ』


 弱々しい声。

 それは個々の意志が――というよりは、根っこの部分から死を恐怖しているがゆえに出た言葉なんだろう。

 人間らしい、というのはそれ自体が人間の集合体なのだから当たり前のことなのだが、改めて実感する。

 こいつは生きているんだ、と。


『消えたくない』

『まだやりたいことが残ってるの』

『お前だってそのはずだ』

『僕たちも妥協するよ』

『ここで引き返せば平穏な日常を保証しよう』


 実に――実に、不快な命乞いだった。


「何を都合のいいことをッ! これまでオリジンのせいで死んできた人たちも、同じような言葉で助けを求めたでしょう。でもそのとき、あんたはその人たちを一人でも救った!? 違うよね? 救うどころか、あえて悪趣味な方法で苦しめながら殺して、その姿を見て笑ってたんじゃないの!?」


 反論の余地すら与えず、矢継早に言葉を続けるフラム。

 聞くまでもない。

 実際、そうやって人々が死んでいくところを、彼女は自分の目で見てきたのだから。


「あと言っとくけどさ、別に私、使命感とか、他の人のためだけにここに来たわけじゃないから。そりゃあ、みんなに会えなくなるのは嫌だけど、嫌で嫌でしょうがなくて本当は逃げ出したいぐらいだけど! 私自身にもちゃんと、あんたをぶっ飛ばすだけの理由があんの! それぐらいわかるはずでしょうが、あんたが加害者なんだから!」


 魂喰いや神喰らいの力がなければ、とっくにフラムはミンチになっている。

 何回どころか、何十回死んでも足りないほどの傷を、オリジンのせいで負わされてきたのだ。


「だからぶち壊す。あんたみたいに醜い欲望の塊が、うぞうぞと蠢いてる世界で生きなくていいように!」


 強く、はっきりとした言葉を言い放ちながら、一歩一歩前へと進む。

 壁にへばりついたオリジンに近づいていく。


「本当の意味で、平穏で、何もない日々を過ごすために! ミルキットと、あの街で、気ままに暮らしてくために!」


 望んだ日々は、すぐそこにある。

 あと少し、もう少しだからと、限界が近い自分自身に言い聞かせ。


「紛い物の神、オリジン――その化けの皮を剥がしてやるッ!」


 たどり着く。

 そして、神喰らいを構えた。

 あとはその刃を――


「ぉぉおおおおおおおおおおおッ!」


 オリジンを構成する人体に、突き刺すだけだ。


反転しろォリヴァーサルッ!」


 反転が、始まる。

 オリジンの、接続された脳と脳を時計回りに巡る“意識”が、逆流を始める。

 刹那の静寂。

 一瞬だけ『もしかして何も起きないんじゃ』という不安がフラムの脳裏をよぎったが、すぐに変化は始まった。

 生成された負のエネルギーを受け入れる器は用意されていない。

 反転により中身が逆回転したコアが自壊するように、オリジンを構成する人体セルも、一瞬にして老いたように乾き、しわくちゃになる。

 さらに肌が浅黒く変色すると、朽ち果て、ボロボロに崩れ落ちてしまった。

 肉体同士を繋ぐコードも炭化したような有様となり、粉となって渦巻く風に舞い散る。

 支えるものを無くした体は、朽ちるのを待たずに壁から落下し、べちゃりと床に叩きつけられ、そして即座に腐敗し半液体と化す。

 数千年もの間、人体を人体として維持し続けたのは、オリジンの力だったのだ。

 半透明の床の下でも同じような現象が起きている。

 崩壊するオリジンの中心に立つフラムには、彼らの声が聞こえていた。


『おぉぉおおおお!』


 それは悲嘆ではない、歓喜だ。


『ようやく、ようやくだ』

『長い夢だった』


 ある者は声を震わせる。


『私は、私を取り戻した』

『ようやく、人として死ぬことができる』


 またある者は、安堵する。

 誰もが、例外なく、終焉を待ち望んでいた。

 取り込まれた彼らもまた、被害者だったのだ。

 これではっきりした。

 やはり――オリジンの持つ悪性は、接続された人間によるものではない。

 “ようやく”や“やっと”という言葉を口にしているということは、残酷に人間や魔族を殺し続けるその日々は、彼らにとっても悪夢だったに違いない。

 元は人類に無限の恵みを与える夢の施設だったというのに、誰のせいで・・・・・こんなことになってしまったのか。


(答えは、すぐそこにある)


 フラムの前方に、黒い穴が空いていた。

 最初は指先程度の小さなものだったが、みるみるうちに大きくなっていく。

 ジーンが話していた、異世界に続く穴だ。

 それは拡大するたびに周囲の物体を無差別に吸い込んでいく。

 フラムもやがて、あの暗闇の向こうに飲み込まれてしまうのだろう。

 帰る方法があると知っていても恐ろしい。

 冷や汗が背中を濡らす。


 だが、負のエネルギーの暴走はそれだけに留まらない。

 オリジンを破壊し尽くすと、今度は地下室の天井や壁にまで影響を与え始めた。

 その被害範囲は、加速度的に広がっている。

 じきに、地上にまで及ぶだろう。

 エターナたちは無事に逃げられただろうか。

 今さらフラムにはどうにもできない。

 ギリギリまで待とうだなんて馬鹿げたことはせずに、逃げていると信じたい。

 なにせ、負のエネルギーに触れてしまえば、誰もが身動きできなくなってしまうのだから。


 なぜ負のエネルギーに触れただけで、オリジンを構成する人体が朽ち果てたのか。

 なぜ壁や天井まで粉のようになってしまったのか。

 その仕組みは、簡単に言えば“ステータスがマイナスになった”ということだ。

 エネルギー自体が破壊しているのではない。

 触れただけであらゆる物質から力が失せ、存在を維持することができずに、自壊してしまうのである。


 すなわち前方に開いた穴は、世界が自壊した結果。

 いずれ世界の自己再生力によって塞がるだろうが、渦巻く負のエネルギーが消えない限りはそれも不可能だ。

 腐敗した死体や、砂礫となった壁が吸い込まれていく。

 どうせ飲み込まれるのだから、自分から足を踏み入れるべきなのだが――なかなか踏ん切りがつかず、両足で耐えていたフラム。

 しかし、そんなことをしていたって仕方ない。

 大きく息を吐くと穴を真っ直ぐに見つめた。

 覚悟を固めたようだ。


(飲み込まれるより、自分で行った方がいいよね)


 魂喰いを初めて握ったときもそうだった。

 どうしようもない状況なら、自分で選んだ方がマシだ――と、自身に言い聞かせて。


「いってきます」


 ここにはいない彼女に向かって、そう告げる。

 そしてフラムの体は――光なき“黒”の向こうへと消えた。




 ◇◇◇




「いってらっしゃいませ、ご主人様」


 ミルキットは両手を握り、祈るようにそう呟く。

 視線の先には、遠く離れたセレイドで起きる異変が小さく、しかしはっきりと見えていた。

 ゴオォオ――と地鳴りにも似た音も響いている。

 集落の外には魔族たちやインクも集まっており、みな心配そうに同じ方向を見つめていた。


「エターナ、大丈夫なのかな」

「大丈夫ですよ」

「でもっ!」

「すぐに戻ってきますよ、だって……」


 あの場に残っているのは、フラムだけなのだから。

 指で唇に触れる。

 誓いのキスの感触は、まだはっきりと覚えている。

 それが残っている間は、たぶん、まだ耐えられる。


「ミルキット、何か知ってるの?」

「……いえ。とにかく、エターナさんたちはすぐに戻ってくるはずですから、インクさんは安心して待ってていいと思います」

「わ、わかった。ミルキットがそう言うなら」


 ミルキットの言葉に確信めいたものを感じたインクは、彼女の言葉を信じることにした。

 だが一方で、『ミルキットは何かを知っている』――その確信も深まることとなった。

 もっとも、全てはエターナたちが戻ってくればわかることなのだが。




 ◇◇◇




 そして当のエターナたちは――セレイドを出てから少し離れた場所で足を止め、崩れ、飲み込まれてゆく街並みを見つめていた。


「フラム……」


 目に涙を浮かばせるキリル。

 エターナも神妙な表情で立ち尽くす。

 一方で魔族たちは、人間とは違う視点でその光景を眺める。


「私たちの故郷が……消えていく……」

「……」


 悲しげなシートゥムを、ツァイオンは無言で抱きしめた。

 五十年以上前にこの街で生まれ、ずっとこの街で育ってきた。

 その想い出が沢山詰まった大事な故郷が、跡形もなく壊れてしまうのだ。

 フラムの身を案じていないわけではない。

 だが、胸を締め付けるような寂しさを感じてしまうのは仕方のないことだろう。


「ネイガスは、平気なんすか?」


 落ち着いた表情で見つめる恋人に、セーラは問いかける。

 するとネイガスは彼女の方を見ると、微笑みながら答えた。


「ひょっとすると、あの街は魔族にとっての“呪い”でもあったのかな、と思って」

「呪い、っすか」

「そう。きっとフラムの力が、オリジンの封印という枷から、私たちを解き放ってくれたのよ」


 人間との交流を禁じる魔族の戒律も、オリジンがいたからこそ存在したものだ。

 住む場所も、他者との繋がりも、その存在がずっと魔族を縛り付けてきた。

 だが、これからは違う。

 彼女たちは、ようやく真の自由を手に入れたのだ。


「胸を張って迎えられるように、わたしたちも頑張らないといけない」


 エターナはセレイドに手を伸ばす。

 もうそこにはいない彼女に、呼びかけるように。


「……フラム、あの家で待ってるから」




 ◇◇◇




 自分が何者なのか見失ってしまいそうなほどの、漆黒。

 上下左右もわからず、フラムは膝を抱えて、その空間にぷかりぷかりと浮かんでいる。

 いや、ひょっとするとそこは地面の上なのかもしれない。

 横たわって寝ている可能性もあるし、座っている可能性も考えられる。

 だが、そのどれでもない。

 あるいは、そのどれでもある。

 どうとでも解釈できる、虚無の空間。

 目を閉じても、開いても、何も変わらない。

 あまりに退屈なので、ふとフラムは、決戦前夜にジーンと語り合ったことを思い出した。


 自分を殺そうとした相手と面と向かって話すのははっきり言って苦痛だった。

 ジーンの方も『なぜ僕が貴様のような無能と対等に話さなければならない』と不満げであったが、互いのためだ、仕方ない。

 面倒な前置きなどしたくなかったので、フラムは率直な言葉で尋ねた。


『自分がオリジンだったらどうする?』


 ジーンとオリジンがなんとなく似ている気がしていたのだ。

 だから、彼にそれを聞くことで、オリジンの思考を読めるのではないかと考えた。

 無論、ジーンは憤慨した。

 自分の命を使って消し去りたいほど、オリジンが嫌いなのだ。

 そんなものと同一視されて怒らないわけがない。

 しかし、嫌っているからこそ、彼はフラムに協力せざるを得なかった。

 なにせ、“自分だったらどうするか”と考えた末に出した答えが、“何としてでも自分だけは生き残る”だったのだから。


『もし、オリジンが僕と同じレベルの天才だったと仮定しよう。となるとあれは、完全に目的を達成できなかったとしても、最低限、自分の利益だけは確保しようとするだろう』

『利益?』

『願望と言い換えてもいい』

『確か、世界から生物を消し去って平和をもたらす、とかいうふざけた願いだっけ』

『世界に穴が開けば、お前が異世界に飛ばされるという話はしたな』

『うん、聞いた。帰ってくるのに何年かかるかわからないって話も』

『そこはおそらく、一切、他の生物も存在しない無の空間だ。少なくとも僕は、そういう場所だと認識している』

『じゃあ……もしかして、そこに行けばオリジンの願いは叶うってこと?』

『彼の目的は世界を平和にすることだ、自分だけが平和になっても満足はしないだろう。だが敗北した末に手に入れた物にしては、上等だとは思うがな』


 つまり、オリジンの本体を破壊しても、大本が残ってしまう。

 ならばそいつを滅さなければ、オリジンを完全に消し去ったことにはならない。

 だがその前に――と、彼は落ち着いた表情でフラムに問いかける。


『貴様は、オリジンを束ねる一つの意志が存在すると思っているのか?』


 この仮説は、その存在が大前提だ。

 フラムは即座に答える。


『思ってるよ。だって、色んな人の意識を一つに集めたって、あんな悪趣味にはならないでしょ』

『人間は醜悪だ、十分にあり得る』

『そりゃジーンを見てたらあり得るかもとは思うけどさ』

『殺されたいのか?』

『できるもんならね。それはさておき、私だって、人間が綺麗な生き物とは思ってないから、自然にああいう趣味になった可能性を全否定するわけじゃないよ? でも、化物の造形とか、やり口とか、そういうのでは説明つかない部分があると思って』

『それだけが理由なのか?』

『あとは……王都がオリジンのせいで滅茶苦茶になったとき、私、オリジン・ラーナーズってよくわかんない人の記憶を、見たような気がするんだよね』

『オリジン・ラーナーズ……』


 ジーンは顎に手を当て、考え込む。


『ていうかまず、集合意識なのに、“オリジン”っていう一つの名前を使ってる時点でおかしくない?』

『まあ、言動の端々にそういった傲慢さは感じられるな』

『だからジーンに似てる』


 フラムに指でさされると、彼はそれを手の甲ではたき、彼女を睨んだ。


『考えが浅いな』

『じゃあどこが違うっての?』


 そしてジーンは得意気に口角を釣り上げ、言い放つ。


『僕は、自分の限界ぐらいは弁えている』


 もし彼が無能な天才だったなら、自分の力でキリルを倒そうとして、失敗していただろう。

 確かにジーンは、弁えていた。

 だから己の目的を、完全に達成したのだ。

 一方でオリジンは――と、フラムがさらに過去を思い返そうとしたそのとき、世界を埋め尽くしていた黒が、突如終わりを迎えた。

 同時に、意識も断絶する。


 今度は“白”が、世界を塗りつぶす。


 目を開く。

 光がある。

 けれど、それ以外になにもない。

 両足を伸ばすと、地面らしきどこかに足裏がぶつかった。

 立ち上がる。

 立てるということは、重力が存在するのだろうか。

 呼吸ができるということは、酸素が存在するのだろうか。

 全てが曖昧だが、何にせよ、少なくともフラムが生きられる空間ではあるようだ。


「ここが、異世界……」


 そこで、フラムはふと気づいた。

 自分の手足に、装備が存在しないことを。

 あるのは、ボロボロになった服だけ。

 念じてみても、祈ってみても、篭手や鎧はおろか、神喰らいすら現れない。


「あんまりこき使い過ぎたから、ボイコットされちゃった?」


 フラムは「なんてね」と苦笑いしながら言った。

 おそらく、エピック装備が収納されるあの空間と、この世界は繋がっていないのだろう。

 要するに、サポート適用外ということだ。


「うーん。残念だけど、まあ目的は達成できるし……」


 こんなわけのわからない場所に飛ばされておきながら、フラムは楽観的だった。

 どうにも彼女らしくない。

 だがそれには、ちゃんとした理由がある。

 フラムの視線の先、同じように両足で立ちながら、彼女を睨みつける男――彼のそんな姿を見れば、誰でも上機嫌になるというものだ。


「なぜだ……なぜ、貴様がここにいる……」


 拳を握り、声を震わせる眼鏡の男。

 男性にしては長い黒髪に、整ってはいるが性格が悪そうな顔つき。

 似ているとは思っていたが――まさか、こうもあの男と外見まで一致するとは。

 ひょっとすると、前世だったりするのだろうか。


「ここに入れるのは、僕だけだったはずだ!」


 小物は声を荒らげる。

 フラムはにやりと笑い、彼の名を呼んだ。


「こんにちは、オリジン・ラーナーズさん。残念だったね、夢が叶わなくて」

「僕の名前を……!?」

「王都を襲った時、あんだけ記憶を大公開しておいてその反応なの? もしかして、反転を突破するために余計に力を使って、それで見えちゃいけないものまで見えたとか? まあ、こうやって同じ場所にいて、誰にも邪魔されずにぶん殴れるならどうだっていいけど」


 拳を握るフラム。

 オリジンは額に汗を浮かべ、後ずさる。


「フラム・アプリコット……まさか貴様、最初からこのつもりで!」

「そう、オリジンの破壊じゃなくて、その根っこに居る誰かを倒すのが最終目的だった」


 それが誰なのかまで、はっきり把握していたわけではないが。


「一応、確認しとくけどさ。あのオリジンを作ったのは、あなたってことでいい?」

「その通りだ。僕こそがオリジンの開発者であり始祖。日本に――否、世界における最高の技術者と称賛された天才、オリジン・ラーナーズである」


 その言い回しに、さらにジーンに似たものを感じて、苦笑するフラム。


「僕がコアとなり、オリジンを支え続けていた」

「そっか。じゃあやっぱり、人の良心につけ込んで利用したり、みんなを醜い化け物に変えたりしたのはあなたの趣味だったんだ」

「だったらどうした?」


 彼が手を前に突き出すと、見えない何かがフラムの頬を掠めた。

 神喰らいが無い今、傷は治癒されない。

 彼女は流れ出た血に指先で触れ、確かめる。


「見えなかっただろう? 僕だって、誰かが邪魔をする可能性は考えたさ。だからオリジンが破壊される直前、一部の力を体に移しておいたんだ。まあ一部と言っても、あの装置が生み出した力を直接・・だ。コアなんかとは比べ物にならないがね」


 フラムはスキャンを使い、オリジンのステータスを見る。




 --------------------


 オリジン・ラーナーズ


 属性:無


 筋力:259281

 魔力:281234

 体力:239021

 敏捷:221232

 感覚:227453


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 確かにそこには、とてつもない数字が並んでいた。

 だが属性は“無”。

 それもそのはず、彼は魔法がまだ存在しない時代の人間だったのだから。

 しかし、先ほどフラムの頬を傷つけたのは、間違いなく魔法だ。


「さっきの攻撃は、ただ僕の中の魔力を放出しただけ。魔法とも呼べない拙いものだ。しかし、それだけでもコアの力を使った勇者以上の威力が出せる」


 驚異的だ。

 見たところ、まだまだ本気は出していないようだし、今の消耗したフラムぐらい、簡単に吹き飛ばされてしまいそうである。


「うかつだったな、フラム・アプリコット。僕の計画を予測したことは褒めてやるが、そこまでだ。この平和に満ちた、僕の望んだ世界を、これ以上汚してくれるなッ!」


 今度は両手を前に出し、魔力の波動を射出する。

 先ほどの指先ほどのサイズしか無かったものとはまるで違う。

 フラムの体を軽く飲み込むほどの大きな力が彼女に迫り、そして――


「リヴァーサル」


 当たる直前で、跡形もなく消えた。

 フラムに動きはない。

 ただ一言、“リヴァーサル”と言っただけである。


「……?」


 首をかしげるオリジン。


「外したのか? ならばもう一度!」


 再び放たれる魔力。

 すると、まるで同じ時間がもう一度繰り返されたかのように、フラムに当たる直前で消えた。


「フラム・アプリコット……なにをした? 今のは、“螺旋の力”ではない。オリジンの作り出したエネルギーを使った、いわばただの塊・・・・だっ、反転したとしても簡単に消せるわけがっ!」


 焦りを見せる彼を前に、フラムは涼しい顔で佇むだけだ。

 彼女の表情から余裕を感じ取ったオリジンは、それを力で潰すべく、再び両手を前に突き出す。

 そして――ドォンッ! とさらに強力な、反動で体が後ずさるほどの魔力を放った。

 触れれば消滅必至の圧倒的な力を前に、フラムはやはり避けようともしない。

 むしろ口元に笑みすら浮かべ、言葉を紡ぐ。


「リヴァーサル」


 また、消滅した。

 キリルのサテライトを越える威力を持つ、まさに大魔法だ。

 それが、指先一つ動かさず、口だけで消えるなど――


「ありえない」


 声と、握りしめた拳が震える。

 それは、天才を名乗るのなら口にしてはならない言葉だ。

 だが、そう言うしか無かった。

 理論上、どんなに考えても、ありえない現象なのだから。

 反転するにしても、受け止めるにしても、向きを逸らすにしても、何らかの爪痕がフラムに残る。

 それだけのパワーを持った魔法だったはずなのに。


「ありえない、ありえない、ありえないッ!」


 ドンッ、ドンッ、ドォンッ!

 連続して放たれる魔力砲。

 全て的確にフラムを真正面から捉え、そしてそのどれもが――命中直前に、消失した。


「魔力28万だぞ? キリルよりも遥かに高いんだぞっ!? なのに、なんだこれはっ!」


 何発撃っても、何十発放っても、事実は変わらない。

 その全ては、フラムの“反転”に消されてしまう。

 オリジンはここにきて初めて、フラムのステータスをスキャンで確認した。




 --------------------


 フラム・アプリコット


 属性:反転


 筋力:1123512

 魔力:1082445

 体力:1025123

 敏捷:1126718

 感覚:1085626


 --------------------




「……は?」


 オリジンの喉は、意識せずに、自然とそんな声を発した。

 意味がわからない。

 理解できない。

 天才たる彼には馴染みのない感情であったがゆえに、その混乱は普通の人間よりも遥かに大きかっただろう。


「ひゃく……まん?」


 自分の能力を誇るのが馬鹿らしくなるほどの、途方もない数値。

 目をこすり、もう一度確認するが現実は変わらない。


「う、嘘だ、こんなものは嘘に決まっている! 数字だけの張りぼてに意味などない。大人しく、僕の力を受けて死ぬがいい!」


 攻撃を繰り返す道化。

 フラムはまた笑い、言い放つ。


消滅しろリヴァーサル


 世界の理が、彼女に従った。

 消え去るオリジンの魔力。

 理すら無視して、それは跡形もなく、この世のどこにも存在しなくなる。


「な……なんだよぉ……なんなんだよその力はぁっ!」


 男の額から浮かんだ汗が、こめかみと頬をつたい、顎から落ちる。

 神を自称していたとは思えないほど矮小な姿だ。

 だが、それも仕方あるまい。

 こうも圧倒的な差を見せつけられてしまっては。


「一体、何を反転させたらこんなことになるんだッ!?」


 隠す必要もない。

 わかったところで、どうしようもない。

 だからフラムは、あっさりと答えを口にした。


「“有”を“無”に反転させたの」


 その言葉に、オリジンの脳の処理能力は限界を越えた。


「……?」


 沈黙。

 瞬きや呼吸すら忘れ、オリジンの時だけが止まったかのように、微動だにしない。

 数秒後、ようやく魂が戻ってきた彼は、首を振りながら言った。


「ば……馬鹿げている。そんなもの、あってはならない力だ!」

「自分で生み出しておいて?」

「僕が……?」


 答え合わせの時間だ。

 頭のいい彼なら、フラムのその言葉だけで全てを理解できるはずである。


「あぁ……そうか、また・・そういうことなのか! オリジンに接続したときと言い、お前はいつもそうやって! それでは、消し飛ぶはずだった魔族領は……!」

「無事だと思うよ。わざわざ聞くってことは、やっぱりそのつもりだったんだ」


 別に、最初からそれを狙って設計したわけではない。

 だが積極的にフラムを止めようとしなかったのは、オリジン崩壊時に生じる“世界の穴”が、本来ならもっと広くなっているはずだったからだ。

 それこそ、魔族領全体を飲み込むほどに。


「被害は、せいぜいセレイドが飲み込まれる程度で留まってるはず。それ以外のエネルギーは――」

「お前が、その大部分を自らの体に取り込んだ……」


 フラムは頷いた。

 これで彼女の力の源泉がはっきりしたわけだが、わかったところで何も変わらない。

 むしろ、ただの張りぼてでは無いことが明確になり、より深い絶望がオリジンを包む。


「なんてことだ……せめて、少しでも世界を浄化し平和にするために、魔族だけでも消し去るつもりだったのに……! 挙句の果てに、僕一人の平穏すら壊すとはッ!」


 彼の思想は、この期に及んでも変わらない。

 自分以外の命など不要だと主張を続ける愚かな男を、フラムは殺意すら感じられるほど冷たい目で見ていた。


「ジーン風に言えば、『お前ごときが人類に勝てると思うな』ってところかな。あ、この場合の人類は魔族も含めてって意味ね」

「ふ、ふざけるな、どこまで傲慢になれば気が済むんだ!」


 オリジンはおそらく、本気で憤っている。

 魔族を滅ぼせなかったことや、フラムに装置の方のオリジンを破壊されたことを、心の底から“理不尽”だと感じているのだ。

 でなければ、ここで傲慢などという言葉は出てこないだろう。


「どいつもこいつもそうだ! 僕の考えを誰も理解しやしない! 世界に人が居る限り、あいつらは争い続ける! 平和なんて生まれない! オリジンを作って、エネルギー問題が解決したって、そうだったじゃないか。我先にとそれを独占しようとゴミ虫共が群がってきやがる! みんな醜くて汚い肉の塊だ! 自分の利益のためにしか動かない! だったら駆除すべきじゃないか! 意思を持った生物なんて皆、星に巣食う寄生虫なんだよぉ! お前だってそうだ、それだけの力があるんなら、今すぐにでも元の世界に戻ってあいつらを殺してこいよォ! でもやらないんだろ!? 正しい僕が、どれだけ道を示しても従わない。それこそが、他でもない、貴様が寄生虫である証拠だッ!」


 両手を動かし感情を表しながら、憎悪をむき出しにするオリジン。

 もはや、フラムも限界だった。


「虫が、虫の分際で、身の程をわきまえずに僕の描く未来を壊すなどと、どいつもこいつも――!」

「はぁ……ぺらぺらぺらぺらと、うるさいなぁ」

「はぎゅっ!?」


 瞬時にオリジンの懐まで接近したフラムは、その胸ぐらを掴んだ。

 そして、至近距離で睨みつける。


「で? それで? その人間の醜さを水分が無くなるまで煮詰めたようなドクズの天才様はどうしたいわけ? そんなふざけた戯言で、私を説得できるとでも思ってんの!?」

「わからないのか……力を得ただけ増長する、愚かな小娘が……!」

「増長してんじゃないの、私はキレてんのよ! 腐った性格のせいで誰からも見捨てられて、寂しいからって、うじうじいじけた挙句に、そのイカれた思想を他人にまで押し付けるあんたに!」

「理解しあえない。己の感情を押し付け、だから人は争い……」

「偉そうにそれっぽいこと言って煙に巻くなあぁぁァァッ!」


 その拳が、オリジンの頬に振り抜かれた。

 死なない程度には手加減しているものの、その体は数百メートル吹き飛び、遠心力で内臓が飛び出すほど回りながら転がっていく。

 フラムはゆっくりと吹き飛んだ彼のあとを追った。

 そして、ようやく止まり、地面に横たわる彼の胸ぐらを再び掴む。

 オリジンから分け与えられた力で強化されたはずの顔は歪み、折れた鼻から血が流れていた。

 しかし意識はある。


「野蛮だ……このような人間がいては、世界は……」

「世界世界って、適当に主語を大きくしてりゃ正しい言葉に聞こえると思ってッ!」

「広い視界を持てない人間ばかりだから、人は過ちを繰り返すのではないか!」

「あんたの場合はッ!」


 フラムの膝がオリジンの腹にめり込む。


「孤独な自分自身からッ!」


 右の拳が左の頬を弾き、


「目を背けるためにやってるだけでしょうがッ!」


 左の拳が鼻っ面を完全にへし折った。

 今度は吹き飛ばされず――否、フラムが吹き飛ばさなかったのだ。

 オリジンは顔を押さえながらも、殺意の籠もった瞳で彼女を睨みつける。


「遅れた文明で生きる認識足らずの女が、知った風な口を聞くなぁッ!」


 彼の手のひらから、散弾のごとく魔力が放たれた。


「時代なんて関係ない! 世界だって関係ない! これは、オリジン・ラーナーズっていう個人の、性格の問題だっての!」


 それはフラムが手を振ると、泡のように消える。

 だがそれはあくまで囮に過ぎなかった。


「わからんやつめ。いくら力があろうとも、叡智がなければ!」


 魔力をブースト代わりに使用しての加速。

 その程度を、彼は“叡智”と呼ぶらしい。

 笑ってしまいそうなほど幼稚な攻撃。

 フラムは包み隠さず「はっ」と小馬鹿にして笑い、繰り出された拳を――はたき落とすことすらしなかった。

 真正面から、顔面で受け止めるつもりなのだ。


「もらったぁ!」


 裏返った声で歓喜するオリジン。

 そして拳が肌に触れ、彼がその感触を確かめる前に――フラムが目の前から消えた。

 いや、それは正確ではない。

 オリジンの方が、攻撃を繰り出す前の位置に戻ったのだ。


「な……っ」


 困惑するオリジンに向けて、フラムは告げる。


なぜ・・って? 時間の流れを反転させたの」


 つまり――時間を、巻き戻したらしい。

 その馬鹿げた事実は、オリジンを狂乱させるには十分すぎた。


「ふ、ふざけるなあぁぁぁあっ!」


 もはや形振り構わず、ありったけの魔力をフラムに放つつもりのようだ。

 手のひらだけでなく、彼の周囲に無数の無色の球体が浮かび上がる。

 その一つ一つが、王都を消し飛ばすだけの力を持ったとてつもない魔法だ。

 ひょっとすると、当たれば今のフラムでも危ないかもしれない。

 ただし、当たれば・・・・の話だが。


無かったことになれリヴァーサル


 全ては、彼女の一言で台無しになる。

 フラムの言う通り、その魔法の発動自体が――有を無へと反転することにより、無かったことになったのである。


「ま……まだだ、まだ僕の魔力は――!」

「じゃあ、魔力を無かったことにしよっか」

「な……や、やめろ……やめろぉおおおおっ!」

消えろリヴァーサル


 フラムが手をかざす。

 オリジンの体内から、ステータス上の魔力が消滅する。




 --------------------


 オリジン・ラーナーズ


 属性:無


 筋力:259281

 魔力:0

 体力:239021

 敏捷:221232

 感覚:227453


 --------------------




 それはすぐさま、数値としても反映された。

 もはやオリジンには、魔法を使うことはできない。

 彼も、自らの体から魔力が失せたのを感じたのだろう。


「あ……ああぁ……」


 膝を付き、悲しげに声をあげる。

 そんな彼の姿を見ても、フラムには一切同情の念など湧いてこなかった。

 むしろ、『まだ足りない』と思っている。

 魔力が無くなった程度で何だ。

 何億という人がこの男のせいで命を失ったのだから、足りないどころの話ではない。


「どうすれば……どうすればいい?」


 顔を青くしてぶつぶつと呟くオリジンに、フラムは一歩ずつ近づいていく。

 ほぐすように腕を振り、指を鳴らし、さらに――


「お、できた」


 空間に開いた穴に手を突っ込んで、そこから何かを引きずり出す。

 赤い柄、2メートルにも及ぶ黒い剣、そして纏った呪いのオーラ。

 神喰らいだ。


「やっぱりみんなも、あいつに復讐したいよね」


 オォォォオオ――と漆黒の刃が啼く。

 オリジンを前に、歓喜しているようだ。


「ひいぃぃっ!」


 彼はその迫力に耐えきれず、背中を向けて走り出した。

 フラムは手を前にかざす。


逃さないリヴァーサル


 彼女の魔力が、またしても有を無に変える。

 オリジンの肉体から――体力と敏捷と筋力を奪い取る。


「ああそうだ、この際だから他のいらない部分ももらっとこっか。無くなっちゃえリヴァーサル


 さらについで・・・で、彼女は唯一残っていた感覚までをも消し去った。




 --------------------


 オリジン・ラーナーズ


 属性:無


 筋力:0

 魔力:0

 体力:0

 敏捷:0

 感覚:0


 --------------------




 これでもはや彼は、以前のフラム以下の存在となった。

 走って逃げようとしていた足はもつれ、顔面から転び、さらに両手で前に這いずろうにも全く前に進まない。

 しかもほんの少しの動作で息切れを起こし、まともに体は動かなくなっていた。

 キリルのときもそうだったが――ステータスの減少は、ステータスの増加以上に影響が大きい。

 おそらく現在、オリジンはまるで全身に拘束具を付けられたような気分を味わっているだろう。


「あ……あ、あぁぁぁあああああああああ!」


 彼は悔しげに、絞ったような叫び声をあげる。

 それでも逃げることを諦めない。

 必死で前に進もうとするその仕草があまりに不愉快で、またフラムは手を前にかざした。

 消えたのは――手と、足だ。

 腕や脚そのものは残したまま、両手足だけが切断されたように消滅する。


「あ、はっ、はあっ、うわあぁぁああ! た、たずげ……たずげでぐれえぇぇぇぇぇっ!」


 醜い、あまりに醜い。

 こんな醜悪な男に今まで自分や大切な人たちが苦しめられてきたかと思うと、情けなさすら感じる。

 フラムは虫のようにジタバタと動くオリジンに近づくと、神喰らいをまずは・・・その右腕に突き刺した。


「ぎゃっ、ぎああぁぁあああああ!」


 汚い叫びが響く。

 傷口から赤い血液が流れ出し、さらにその周辺が腐敗して茶色く変色する。


「あぁぁああっ、あぁ、痛いっ、痛いいぃぃいいい!」


 実際、傷だけではなく、呪いによる苦痛までもが脳に流れ込んでくるのだ、痛いことは間違いない。

 しかし――その痛みは、彼が他者に与えてきたものの、ほんの数十億分の一に過ぎないのだ。

 フラムは剣を抜き取り、今度は右足に突き刺す。


「がっ、ああぁぁあああ!」


 抜き取り、左足に。

 さらに抜き取り、左腕に。

 四肢を切断するのではなく、中身を開くように切り裂いた。

 ぱっくりと開いた赤い傷口の奥には、骨が見える。


「あひっ、ひいいぃぃ……ゆ、ゆるじて……! いだい……いだいぃ…じにだぐないぃぃぃっ! 謝る、謝るがらぁっ!」

「謝る? 何を?」

「あ、あの世界を、人間や、魔族を滅ぼそうとしたことだっ! すまなかった、間違いだったあぁぁ!」


 ギリッ、とフラムの歯ぎしりが鳴った。


 彼女はずっと、ジーンとオリジンがどこか似ていると思っていた。

 だからジーンがこいつを憎む理由を、同族嫌悪だと考えていたのだ。

 だが違った。

 なるほど確かに、ジーンが嫌うはずだ。

 ここで謝るなどと、間違っていたなどと、彼なら絶対に認めようとはしないだろう。

 その良し悪しは置いておくとして、この男には――最後まで貫き通す、確固たる意思というものが感じられない。

 やはり、“世界平和”など大義名分に過ぎないのだ。

 おそらく本当の理由は、人間不信だとかそういう理由なんだろう。

 実際に話してみれば、なぜ周囲の人間に信用されなかったのかなど一目瞭然なのだが、プライドの高い彼は認めなかったのだろう。

 そして全ての責任を自分以外の全ての人間に押し付け、あのオリジンを作り出し、一度ならず二度も世界を滅ぼそうとした。

 何十億という人々の命を奪った。

 チルドレンも、リーチも、フォイエも、ウェルシーも、ヘルマンも、ガディオも、ライナスも、マリアも、ジーンも、みな――その下らない自尊心に殺されたのだ。


「……は……ぁ、ひっ……」


 無言で彼の体に手を当てるフラム。

 そして、何かを探すように目を閉じる。

 それは彼女もよく知るものだ、だから見つけるのにさほど時間は必要なかった。


消え去れリヴァーサル


 手のひらから、魔力を流し込む。


「うぐ……うぅ……な……なにを、消したんだ? 僕から、これ以上、何を奪おうっていうんだ!」


 奪えるものなんてまだまだ腐るほどある。

 フラムはその中でも、おそらく人として最も大事なものを選んだ。


「死を」

「し……?」

「あんたから、死を奪ったの。ほら、さっき死にたくないって言ってたでしょ? だから死ねなくしてあげたの。不老不死、おめでとう」


 オリジンの目が見開かれる。

 それは、優しさなどではない。

 死なないのではなく、死ねないのだ。

 そして彼女は立ち上がり、神喰らいを振り上げる。


「や……やめ……っ……やめてくれぇぇぇえええっ!」


 ズチュッ! と、刃の腹が叩きつけられ、オリジンの背骨が折れる。

 肉と臓器が潰れ、圧迫された結果、体の内側から弾ける。


「あ、あがっ、が……びゅ、ふっ……」


 横腹から腸が飛び出したオリジンは、息も絶え絶えに苦しんでいる。

 だが死ねない。


「あぁぁああっ! あ、あぁぁあああっ!」


 フラムはまた神喰らいを叩きつける。

 今度は右足を潰した。

 馬車に潰されたカエルのように、肉が地面にへばりつく。


「いひっ、いぎっ……ぎいぃいいい……ぎゅっ、ふっ、ぐううぅ……!」


 叩きつける。

 右腕が潰れた。

 叩きつける。

 左足が潰れた。

 叩きつける。

 左腕が潰れた。

 叩きつける。

 肩を潰した、心臓を貫いた、肺に穴を空けた、体中を串刺しにした。

 それでも、彼は死ねない。


「あ……あひゅ……ひ……」


 オリジンは白目を剥き、気絶しようとした。


お前は意識をリヴァー手放せない《サル》」

「あ……があぁぁあああっ!」


 意識が覚醒する。

 オリジンから、“気絶”という概念が消える。


「がっ……は……はひっ、ひひひっ……ひいぃっ……」


 今度は、狂ったように笑う。

 フラムは手をかざした。


お前は狂えないリヴァーサル


 狂気という概念が消える。

 強制的に、正気に引き戻される。


「ぎゃぁぁあああっ! あっ、ああぁぁあっ! うわあぁぁああああっ!」


 また叫ぶ。

 叫んで、まともに動かない体を必死によじり、痛みに耐える。

 それでもなお、フラムは彼に剣を振るい、そして奪い続けた。

 “想像力”や“睡眠”という概念を奪い、あらゆる逃げ道を塞ぐ。

 無論、痛みに対する“慣れ”や“認識の転換”も封じた。

 もはや苦痛以外の全てを失ったオリジンが喚く。


「も、もう……いぎっ、いひ……だろぅっ。じゅ……があぁっ、じゅ、ぶん……だあぁっ! 償いっ、つぐなったぁ! そこまで、ひどいこと、僕は……っ!」


 フラムはしゃがみ込むと、髪を掴んで、唯一無事な頭を持ち上げる。

 そして至近距離で憎悪に満ちた瞳で見つめ、言い放った。


「反省、しないんだね」


 少しでも自分の行いを悔いたのなら、先ほどのような言葉は出てこないはずである。

 彼は懲りない。

 根っこから、救いようのない悪なのだ。

 許せばまた同じことを繰り返す。

 他者の優しさを必ず裏切る。

 憐憫ですら、彼に対しては一欠片ですら無意味だ。


「はんぜい……じた……からぁっ……」

「本当に反省した人は、『反省した』だなんて言わない」

「したんだ……ほんどぅ……に……」

「っていうかさ――」


 オリジンの瞳に、フラムの悪魔のごとき嘲笑が映る。


「反省したから、何?」


 圧倒的な断絶。

 人の心を理解できぬ彼は、ここまで気づいていなかったのだ。

 最初から、言葉を交わす意味なんて無いことに。


「どれだけ善人だろうと悪人だろうと関係ないよ」


 人はあまりに怒りが高まりすぎると、逆に穏やかになってしまうらしい。


「お前は人を殺した、数え消えれないほど殺した」


 普段のフラムと似たような、しかしほんの少しだけ低い声で彼女は告げる。


「私の大事な人も死んだ」


 声は少しずつ重さを増して、オリジンに響く。

 ぐちゃぐちゃになった内臓を吐き出してしまいそうなほど、強く深く響き渡る。


「生き残った人も苦しんでる。私だって苦しんだよ」


 彼に語りかけるうちに、フラムの気持ちが少し落ち着いてきたらしい。

 許容値を下回り、越えていたがゆえの異常な・・・穏やかさは失せ、表情や語気に尋常な荒々しさが戻ってくる。


「だったら、どんな人間だろうと、こうする以外ありえないでしょ!」


 そのまま、オリジンの体は高く放り投げられる。

 空中で放物線を描き、その間にフラムは大きく息を吸い込む。

 そして自然落下してきたところに――その拳が、叩き込まれた。


「リヴァーサルッ!」


 同時に、魔力も注ぎ込む。

 原因のない、消えることのない、純粋な痛みがオリジンの中に生まれた・・・・

 有を無に変えることができるのなら、無を有に変えることも可能だろう。

 それはもはや、かつて彼が目指した神の領域そのものだが――フラムはあくまで人として、その怨讐を果たす。


 吹き飛んでいくオリジンは、脳が破裂しそうな原因不明の強烈な痛みに、もはや声すら出せない。

 目を見開き、顔を真っ赤に染め、こめかみに血管を浮かべながら口をパクパクと開閉させる。


「死なんて、あんたには生ぬるい!」


 フラムは先回りし、神喰らいで突き刺す。

 魔力も注ぎ込まれ、さらなる痛みがオリジンの中に生まれる。

 もはや人間の脳では処理不可能な量だが、狂えない、気絶もできない彼は、それをまともに受け止めるしかない。


「何千年でも!」


 刃を地面に叩きつけると、ボロボロのオリジンの体が投げ出された。

 転がったそれの上に立ち、剣先を突き刺す。


「何万年でも!」


 連続して突き刺す。

 グチャッ、グチャッ、と肉ひき器めいた音を立てながら、何度も黒の刃は抽送運動を繰り返す。

 絡みつく血が糸を引き、男の肉体は人としての形を失っていく。


「何億年でも!」


 さらに突き刺し、またも注がれる反転の魔力。

 それは新たな苦痛を与えると共に、オリジンの体の内側と外側を反転させた。

 デインを斬ったときと同じだ。

 皮膚が開き、肋骨が折れながら逆方向に反り、すでに変形し果てた内臓が空気に曝される。


「死よりも辛い痛みの中で!」


 それでもオリジンは死ねない。

 死ねないから、体が破壊されるたび、苦しみ続けるしかない。

 白目を剥き、口の端から泡を吹いていたが、それでも彼は正気で、意識は覚醒したままだ。


「永遠にぃッ!」


 神喰らいを体に振り下ろす。

 グチュッ、と血肉が飛び散る。


「終わることなくッ!」


 足りない、どれだけ苦しめても足りない。

 それでも――終わらせなければならない。


「途切れること無くッ!」


 最後にその憎たらしい顔を潰していた、もう二度と声を出せないように喉も削いだ。

 これで彼に残ったのは――ご自慢の想像力を失い、ただ痛みを感じるためだけに存在する脳だけだ。


「苦しみッ、続けろぉおおおおおおおおッ!」


 地面に叩きつけられる刃。

 込められたプラーナが爆ぜ、暴風が巻き起こる。

 今のフラムが放った気剣嵐プラーナストームだ、地上で使えば軽く地形を変えてしまうだけの威力があるだろう。

 それは破壊するためではなく、遠くへ――見えないほど遠くへ、オリジンの成れの果てを吹き飛ばすためのもの。


(いたい……いたい、いだい、いだい、いだいいぃっっ! こんな……天才である僕が……神にまで上り詰めた僕の終わりが……こんな、みじめな……あぁぁぁぁああっ!)


 飛ばされながらも、彼は呪い続ける。

 やはり反省などしていない、あんなのは口だけだ。

 これから先も、彼が彼である限り、その苦痛や、それを与えたフラムを『理不尽だ』と恨み続けるのだろう。


(ならば、今度はオリジンを越えるものを作って、真のっ、おぉお……真の、平和を……そう、頭の中に設計図を……考え……あぁ、何だ、これは……あぁ、作り……作れ、ない……頭がっ、想像が、できないっ! 天才なのにっ、何もっ、頭の中に痛みしかない! 苦しみしかない! これが永遠に続くのか? こんな、地獄が……嫌だ、嫌だぁぁぁあああああああッ!)


 ひょっとすると、いつか彼がその苦痛の末に心を入れ替えたのなら、この世界に来た誰かが気まぐれに助けてくれることはあるかもしれない。

 だが――狂って、人格が変わりでもしない限り、その性根は矯正しない。

 そして彼は狂えない。

 つまり永遠に、変わることはないのだ。

 フラムの言っていた通り、何億年、あるいは何十億年、ひょっとすると何兆年も……この誰もいない、何もない世界で、救われること無く苦しみ続ける。


「……終わった」


 その姿が目視できなくなると、憎しみに歪んでいたフラムの表情から、ふっと力が抜けた。


「やっと……終わった」


 実感すると、体からも力が失せる。

 崩れ落ちそうになったが、両足でなんとかこらえた。

 戦いは終わったが、まだやるべきことは残っている。

 フラムは、辛うじて残っているパンツのポケットに手を突っ込んだ。

 そこには、王都の家で暮らしていた頃、ミルキットからもらった手作りのヘアピンが入っていた。

 いつからか戦いの中では外すようにしていたが、常にお守りとして持ち運んでいたのだ。

 今日まで壊れずに残り続けてきたのは、もはや奇跡と呼ぶ他無い。


「ミルキット……」


 今やそれが、フラムと彼女を繋ぐ唯一の、形として存在する物だった。

 それを握りしめ、強く祈る。

 ジーンは『いつ戻ってこれるかはただの運だ、祈っても意味など無いぞ』と言っていたが、フラムはそうは思わない。

 祈りに意味はある。

 想いは力になる。

 理論では説明できない引力が、私たちを引き寄せてくれる――そう信じて、剣を握る。


「無から有を作り出す、この力で……」


 フラムの表情に緊張がにじむ。

 生唾を呑み込み、ごくりと喉が動いた。

 柄を握る両手も、汗で滲んでいる。


世界よ、開けリヴァーサル


 切っ先が、膜を切り裂いた。

 開いた傷の向こうには、光の届かない黒が続いている。

 そもそも、その先が元の世界に繋がっている保証すら無いわけだが――


「今、戻るからね」


 疑うことに意味などない。

 深く考えずに信じて、フラムは踏み出した。

 直後に入口は塞がり、彼女はまたも完全なる黒に包まれる。

 自分の存在すら曖昧に感じる闇の中、しばし目を閉じて時間が過ぎるのを待つ。

 そしてしばらく経ち、気配を感じた彼女はまぶたを上げた。

 向こうに、光が見える。

 微かに、人々の声も聞こえるような気がした。

 そしてその光はやがてフラムを包み込み――




 ◇◇◇




 見知らぬ街並みに、彼女は降り立った。

 空は青く、雲ひとつ無い晴天。

 おそらく風魔法を利用したと思われるアナウンスが響き渡り、離れた場所から地面を揺らすような人々の歓声が轟く。

 建物の隙間から遠くに、レールの上を走る鉄の車が見えた。

 並んでいる建物そのものも、フラムの知っているものよりも幾分か高い。

 建築技術の向上が見て取れる。

 呆然と立ち尽くしていると、通りがかったおじさんが彼女に声をかける。


「よう、英雄紋・・・のお嬢ちゃん。祭りだからって気合の入ったコスプレしてんな、アンデッドモンスターってやつかい?」


 そう言ってニヤニヤと笑い、彼は去っていった。


「えいゆうもん? コスプレ?」


 聞き覚えのない言葉を並べられ、さらに混乱するフラム。

 心臓が高鳴る。

 ここは一体、あれから何年後の世界の、どこの街なのか――不安を胸に、彼女は歩きだした。





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