第122話 燃え上がれ、愛の炎
「ヴァルカネイト・イリーガルフォーミュラ」
ディーザが魔法を唱えると、無数の火の矢がネイガスとセーラを襲う。
「くっ……トルネード・イリーガルフォーミュラッ!」
ネイガスは渦巻く風の魔法で迫る炎をかき消した。
しかしそれが精一杯、攻撃がディーザまで届くことはない。
「お次は――フレアメテオライト・イリーガルフォーミュラ」
天に向かってかざされたディーザの手。
空中に浮かび上がる巨大な火の玉。
そこに注がれた魔力量は膨大だ。
先ほどのように、ネイガスの魔法で相殺するのは不可能だろう。
「これみよがしにツァイオンの魔法ばかり使ってッ!」
「その方が効果的でしょう。情が厚いあなた方に対しては」
彼が腕を振り下ろすと、まるで空から太陽が落ちてくるように、火球が二人に迫る。
「セーラちゃん、つかまって!」
「わかったっす!」
ネイガスはセーラの体を抱き上げると、必死で火の玉から距離を取ろうとする。
もはや魔王城の西側はほぼ原型を残しておらず、壁を壊さずともセレイドの街まで逃げることはできた。
だが――ディーザがくいっと指を動かすと、フレアメテオライトは向きを変える。
「逃げ切れたと思ったのに……!」
「先程ネイガスはツァイオンの魔法と言いましたが、私の方がうまく使えているということは、もはや私の魔法と言っても良いと思うのですが――」
「どうでもいいわよそんなことッ!」
ネイガスには余裕がない。
セレイドの町中を飛び回りながら逃げるも、その度に火の玉は向きを変えて二人を追跡するのだ。
すでにディーザは次の魔法を放つ体勢にある。
このまま防戦一方では不利になる一方で、かと言ってネイガスの魔法で止めようとしても不可能、魔力の無駄遣いになるだけだ。
「ネイガス、エンゲージを使うしかないんじゃ……」
「駄目よ、マリアと違ってあいつは加減なんてしてくれない。この攻撃を止めたところで、さらに強烈なのが来るだけだもの」
「でも、だったらどうするんすか?」
「……セーラちゃん、ちょっと降ろすわね」
ネイガスはセーラを民家の屋根の上に置き、単身でディーザの魔法から距離を取る。
すると火球はセーラを無視して、彼女の追跡を始めた。
「ネイガスッ!?」
嫌な予感がしたセーラは叫んだが、ネイガスはちらりと彼女の方を見てウインクをしてみせ、余裕をアピールする。
無論、実際はただの強がりなのだが――
(止めるのは無理でも、向きを変えるぐらいなら!)
ネイガスはとある建物の上で立ち止まる。
「諦めましたか?」
挑発するディーザには耳も貸さない。
彼女はその場から飛び上がり、火球の真上を舞い――そして、風を纏った腕で殴りつけた。
「トルネードナックルゥッ!」
すると火の玉は彼女の拳を受けて、地面に叩きつけられた。
カッ――ネイガスの視界を閃光が埋め尽くす。
それはただの火の玉ではない、ターゲットに衝突した瞬間に大きな爆発を引き起こす。
「おやおや、まるでツァイオンのような無茶だ」
口元に笑みをたたえるディーザ。
「あ……あぁ、そんな……ネイガスっ、ネイガスぅっ!」
爆炎に包まれるネイガスを見て、いてもたってもいられなくなったセーラは、屋根の上から飛び降り彼女の方に駆け寄った。
「そろそろ目障りになってきましたなぁ。カオスサフォケイション」
ネイガスを始末したと思い込んだ彼は、ターゲットをセーラに移す。
放たれた白と黒の帯が、ゆらりと彼女に迫った。
しかし彼女は、ディーザに見向きもせずにひたすらネイガスのいた場所を目指す。
無論、彼女
「セーラちゃんに手を出すんじゃないわよ、この変態がぁッ!」
立ち込める煙を切り裂いて現れたネイガスが、直前でセーラの体を抱き上げ、その場から離脱した。
さらになおも追ってくる魔力の帯を自らの魔法で打ち消し、ディーザを睨みつける。
「無事だったんすね!」
「セーラちゃんを残して死ぬもんですか!」
とはいえ、無傷とは言えない。
体は火傷だらけだし、服も破れ、かなり際どい格好になっている。
「大人しく負けを認めてしまえばいいものを」
「そうはいかないわ」
「フラムの到着を待っているのですよね? だがたとえ彼女が来たとしても、今の私には勝てません」
「……はっ」
ネイガスは鼻で笑う。
ディーザから見れば、それはただの強がりに見えただろう。
だが彼女の狙いは――確かにフラムが来るにこしたことは無いが、別にあるのだ。
(早くどうにかしなさいよ、ツァイオン!)
全身の痛みに耐えながら、彼女は心の中で彼に檄を飛ばした。
◇◇◇
融解点を越える。
肉体は溶け、精神は紛れ、自分を見失う。
如何に自我が強かろうとも、それは奪われるのではない、同化なのだ。
ゆえに抗うすべはなく、たとえ彼であろうとも、水の中で己を忘却するしかない。
『オレは誰だ?』
失われゆくパーソナリティ。
怖くなって問いかけるも、誰も答えない。
なぜならみな、自分だからだ。
見える範囲全てがオレで、私で、僕で、あなたで。
自分が自分でなくなるのではなく、自分が広がっていく。
たぶんシナプスはオリジンだ。
人は水だから、一度見失うとどこにあるのかわからなくなる。
水の中から水をすくい上げることはできない。
『オレは……』
消える。
『……』
消えてしまった。
無音。
光も無く、音も無く、何も無い。
虚無だ。
己も含めて、全てが。
だが、ここが本当に虚無ならば、虚無であることを認識する術すら無いはずである。
しかし彼は、ぼんやりと薄らぐ意識の中で、言いしれぬ寂しさを感じていた。
とても心地よい。
生ぬるく、浮かんだような感覚。
こんな安らかな世界の中で、なぜ自己を失ったことを嘆く必要があるのだろうか。
いや、あるいは、嘆いているのは自分ではないのかもしれない。
遠くから――声が聞こえる。
――最初はとても怖かったんです。
言葉遣いは悪いですし、結構大柄ですし、なぜかこちらを睨んで来ますし。
あとで聞いたら、ただ目つきが悪いだけだったみたいで笑ってしまったんですけど、当時の私にはわかるはずもありません。
私は母の背中に隠れながら、怯えつつ彼を見ていることしかできませんでした。
元々、彼の両親と母は仲が良かったらしくて、それからもよく顔を合わせることはあったんですが……実際に言葉を交わしたのは、それから一年ほど経ってから。
『よう』
彼はぶっきらぼうにそう言いました。
私はびくっと震えて、頭を下げることしかできません。
でもそれから、私たちは軽く挨拶を交わすようになったんです。
ちなみにその頃は、まだ彼は襟を立てていませんでした。
『よう、シートゥム』
『お兄さん』
いつからか、私は彼を“お兄さん”と呼ぶようになっていました。
そこから、今の“兄さん”に変わっていたわけですが、いつ変わったのかはよく覚えていません。
けどその変化は、彼との距離が縮まっていったことも理由の一つだと思います。
当時はただの“憧れのお兄さん”だったんですけど、たぶん……あの頃から好き、だったんでしょうね。
『ほら、平気だからこっちに来いって。何かあったらオレが助けてやるよ』
『へぇ、シートゥムを泣かせたのはてめぇか。覚悟は出来てんだろうな!?』
『うまいだろ? 見つけてからは毎日のように食ってんだ。あ、この場所はオレとシートゥムだけの秘密だからな』
『心配すんなよ、オレもお前と一緒に行動するの好きだからさ』
とにかくかっこよくて、頼りがいがあって、でも優しくて。
そりゃあ好きになりますよ、としか言いようがありません。
実は……今もそう思ってたりします。
なんで言わないのかって、そんなの、恥ずかしいからに決まってるじゃないですか。
成長すると、なかなか素直になれないものなんです。
『あんまり気負うなよ、オレが傍についてる』
『辛いことは半分オレに分けろよ、何のためにここにいると思ってんだ』
『お前は立派に魔王をやれてる。誰よりも近くにいるオレが保証するって言ってんだ、胸を張れよ』
本当に……本当に、かっこいいですよね。
頭をぽんぽんと撫でられたりすると、子供扱いされてるようで不機嫌になったりしますけど、実はすごく上機嫌になってたりします。
素直じゃなくてごめんなさい。
あとは、あの襟さえなければいいんですけどね。
いや、嫌いじゃないですよ? 兄さんのトレードマークみたいな感じで、ええ。
でも傍から見ると、割とダサいですから。
あ、けどそのダサさが無いと、私、兄さんのかっこよさに耐えられないかも……それは困りますね。
気持ちとか、たぶん垂れ流しになっちゃいますから。えへへ。
記憶か、あるいは感情か。
何かが、自己という存在を支えている。
透明な水の中で、白い糸が辛うじて彼を形どっているのだ。
消えそうで、消えない。
自己を――見えない他者が、支えている。
遠くへ――声が響く。
――最初は、こんなやつが魔王で大丈夫かよ、って思ったもんだ。
そしたら案の定、臆病だし病弱だしビビリだしで、ぜってぇに無理だろと思ってたよ。
心配っつうか、まあ、気になったつうか?
それでよく会いに行ってたんだが、あいつも少しずつ心を開いてくれるようになってな。
挙句の果てには懐かれちまって。
しかも“お兄さん”だの”兄さん”だの呼びやがってさ、これじゃ妹みたいなもんじゃねえか。
こうなったらもう、放っておくわけにはいかないだろ?
だろ? っつうか……放っておけなかったんだよな、オレが、勝手に。
『お兄さんは、どうしていつも私と一緒にいてくれるんですか?』
『オレが一緒じゃなきゃお前が困るだろ』
『そうですけど……お兄さんも、“女と一緒にいる”ってよくお友達にからかわれてるじゃないですか』
『言わせときゃいいんだよ。まあ、なんだ、オレも好きでお前と一緒にいるんだからな』
ぼふっ、とあいつの顔が赤くなる。
たぶん、誰かを見て“可愛い”って思ったのは、あのときが初めてだ。
そっから、あいつは成長していくにつれてどんどん綺麗になっていって、“強さ”も少しずつ手に入れていって。
そのうちオレから離れてくんだろうな、なんて勝手に想像して、勝手に沈んだりもしてた。
けど実際は、むしろオレにべったりになっていったんだけどな。
『兄さんは、好きな魔族とかいますか?』
『……手袋、兄さんのために作ってみました。下手くそですけど。あ、いらないなら回収するので受け取らなくていいです』
『兄さんの膝の上は私の専用なんです。他の人に使わせちゃダメですよ?』
『もう、兄さんってば本当にバカなんですから。そこまでされたって……私、何のお返しもできませんよ?』
ああ、かわいいなちくしょう。
あいつには冷たくあしらわれることも増えたが、正直、オレは馬鹿みたいにべた惚れしてる。
いつの間にか、離れられないのはオレの方になっちまった。
どんぐらい馬鹿かって言うと――
『兄さん、あのトカゲみたいなモンスターはなにをしてるんですか?』
『オレらを見つけて威嚇してんだよ』
『襟を広げて、ですか?』
『体を大きく見せてんだ。ほら、足元に子供がいるだろ? あれを守ろうとして必死なんだよ』
『……かっこいい』
『あ?』
『かっこいいです、あのモンスター……』
――その話を聞いて、襟を立てるようになるぐらいなんだから。
……。
……なあオレよ、理由がアホすぎないか?
いや、でも、一種の決意っつうか……シートゥムを守ってんのはオレだぞっていうアピールみたいなもんなんだよな。
ほんと、馬鹿らしいが。
たとえば彼女が世界に一人なら、その記憶は無限に広がる海に溶けて何の意味も持たなかっただろう。
その想いが輪郭をもったのは、一見して代わり映えのしない単一色が広がるこの海の中に、彼がいたからだ。
逆もまた然り。
彼がいるから彼女は彼女になる。
彼女がいるから彼は彼になる。
一人ならば、愛し合っていない二人ならば、こうはならなかった。
ディーザの最大の
その想いがどれだけ魔族を強くするのか、彼もオリジンも、誰もが甘く見ている。
『オレは誰だ? どこにいる?』
『私は誰? どこへいけばいいの?』
自問自答に意味はなく、しかし――
『誰かがオレを呼んでいる』
『誰かが私を私だと証明してくれる』
他者の認識はやがて実体を持つ。
それはオリジンであるがゆえに。
あるいは――ディーザという男もまた、他者を愛するという感情を知らなかったからかもしれない。
ディーザがオリジンと共鳴したのも、彼らが似たもの同士だったからなのか――
先々代の魔王は彼に、子供と同じぐらいの愛情を注いで育てた。
先代の魔王は彼を、家族として精一杯愛した。
そして今代の魔王もまた、尊敬という名の愛情を与えてきたはずだ。
それらは全て、虚しく隙間から流れ落ちていった。
流れ落ちた愛情はどこへ往く?
奈落に墜ちて弾けるか。
摩擦の熱で消えるのか。
はたまた、闇の魔物に食われるか。
否。
どれも尽く否。
消えはしない。
流れ落ちた愛情は、必ずどこかで報われる。
報いとなって報われる。
あなたが駄目なら次の君へと。
君が駄目なら次の私たちへと。
受け継がれ、引き継がれ、その度に純度を増し――いつか断罪の炎となって具現する。
彼女は愛情を取りこぼさなかった。
彼は受けた愛情を何倍にも燃え上がらせた。
それゆえの、この結果だ。
『お前の想いが流れ込み、オレになっていく』
『私が誰かはわからない、けれど私を呼ぶあなたの名前は知っている』
いともたやすく流され崩れてしまいそうなほど不安定な、二人の概形。
しかし、そこは澱んだ水たまり。
誰も二人を阻まない。
手をつなぎたいと思った。
すると手のような何かが生まれた。
伸ばす、伸ばす、互いに。
繋いで、確かめる。
『シートゥム』
自分より小さく優しいその手を、
『ツァイオン兄さん』
自分より大きく逞しいその手を、
『ああ、やっぱりお前はここにいたんだな』
確かめて、
『そのために、ここに来たんですか?』
繋ぎ合わせれば、
『当たり前だろ、何かあったらオレが助けてやるっつったじゃねえか』
自忘の海でも、もう自分を見失うことはない。
『ずいぶんと昔に聞いた気がします』
『あの頃からその決意は変わんねえ。たとえお前が地獄に連れ去られようとも、必ず連れ戻す』
『無茶で無謀で、絶対に無理なのに……兄さんなら本当にできてしまうんですね』
『そんぐらいお前のことが好きってことなんだろ』
目をそらしながら、“ツァイオン”はぶっきらぼうに言う。
『私も、“兄さんなら私がどこにいても”って信じられるぐらいには、兄さんのことが好きみたいです』
はにかみながら、“シートゥム”は言った。
手を繋ぎ、想いも繋ぎ、二人の存在はさらに質量を増していく――
◇◇◇
戦闘はさらに続き――満身創痍のネイガスと、ほぼ無傷のディーザ。
セーラは何度もネイガスの傷を癒そうとしたが、彼女に『魔力の無駄遣いよ、やめときなさい』と止められてしまった。
「存外にしぶといですな」
「遊ばれてる間は死んでやらないわ」
「これでもそれなりに殺すつもりで遊んではいるのですが」
売り言葉に買い言葉。
ネイガスとディーザの会話はずっとこんな調子だ。
もっとも、本気で感情を露わにしている彼女とは対照的に、彼の方はのらりくらりといなしている――つもりらしいが。
精神的にも能力的にも優位に立つことで相手を見下したい、そんな願望が透けて見える。
「……火の粉?」
そんなとき、ネイガスに抱き上げられたセーラが呟いた。
「セーラちゃん、火の粉がどうかしたの?」
「さっきから、ディーザの右腕あたりでたまに火の粉が揺れてるんすよ」
言われて見てみると、確かに。
目を凝らさなければわからないレベルだが、ディーザの右腕の周辺に紅色の何かが揺れている。
現れては消え、また現れては消えを繰り返し、非常に不安定ではあるが――普通は魔法をつかっても、あんなことにはならないはずだ。
「さっきから火属性の魔法を使ってるからかもしれないっすけど」
「いや……もしかしたらあれって……」
あくまで仮説だ。
それも、与太話だと笑い飛ばされる可能性の方が高い。
しかし――ツァイオンが取り込まれる間際に見せたあの笑み。
それがただの強がりではないとすれば、“火の粉”は何らかのシグナルなのかもしれない。
「ねえ、ディーザさん。私たち、今から切り札を使うわ」
ネイガスはディーザを真っ直ぐに見据え、不敵に笑いながらそう言った。
「なぜそのような宣言を?」
「言っておけば、邪魔されることは無いと思って。だってディーザさん、私たちの全力を踏みにじって勝利するのとか好きそうじゃない?」
「ほう……」
彼は目を細め、顎に手を当てる。
その表情は、どこか楽しそうだ。
「確かに私には、あなたがたのどのような攻撃を受けても無傷でいられる自信がある」
「だったら証明してみせてよ。圧倒的な力は、人や魔族の想いなんて簡単にねじ伏せられるって」
ネイガスはセーラを地面に降ろし、手を重ね合わせる。
これで、今日二度目のエンゲージ。
回復魔法の分の魔力を残すためにネイガスの負担を多くする必要がある。
つまりこれを放てば、彼女の魔力は尽き、もはや今日のうちは簡単な魔法すら使えなくなるだろう。
「それでは私も宣言しておきましょう。この攻撃を受けたあと、私は本気であなた方を殺します。おそらく数秒と保たないでしょうね」
「上等よ、やれるもんならやってみなさい」
これは、賭けだ。
それも、勝ちの確証なんてない、あまりに分の悪い。
しかしディーザはネイガスたちを見下すあまり油断しているように見える、それを利用するなら今しかない。
「本当に、これで倒せるんすか……?」
ネイガスと手を重ねるセーラは不安げだ。
「倒せないでしょうね」
「じゃあどうするんすか?」
「幼馴染としての勘かしらね。ツァイオンのバカが、こうしろって言ってる気がするのよ」
命を賭すには、あまりに軽すぎる理由である。
そんなものに頼らなければならないほど、この戦いはあまりに綱渡りだった。
「ごめんなさいね、こんな賭けに付き合わせちゃって」
「今までさんざん好き勝手におらを連れ回しておいて今さらっすよ」
「あら、それもそうね。じゃあ今回もよろしくお願いするわ」
「開き直るのが早すぎっす。でもまあ、おらにはネイガスを信用することしかできないっすから」
そう言ってセーラは笑った。
いつ死ぬかもわからないのに笑える彼女の強さに、ネイガスは救われている。
そして重ねた手の指を絡め、同時に互いの魔力も絡めた。
しっかりと照準を合わせ、余裕の表情を浮かべるディーザを睨みつける。
『エンゲージ・ジャッジメントテンペスト!』
放たれる、嵐渦巻く光の剣。
二人の魔力を合計しても二万弱、ディーザの力の足元にも及ばない。
だがその魔法に込められた力は、単純な足し算では計れないものであった。
「ほう、これは……」
ディーザは感心する。
切り札と言うだけのことはある。
確かに、ノーガードのまま頭で受け止めればある程度のダメージは期待できるかもしれない。
しかし――あくまでそれは防御をしなかった場合の話だ。
彼は右腕を前に突き出し、炎の壁で魔法を受け止めようとした。
すると、それを見たネイガスは歯を見せながらニィッと笑う。
(そう、それでいいわ……あんたがツァイオンの力――その右腕で防ぐのはわかってた!)
激しい閃光を放ちながら、ぶつかり合う炎と二人の力。
行け、行け、行け――ネイガスとセーラは強く願う。
そして嵐纏う光の剣はついに炎の壁を突破し、ディーザの右腕を貫く。
彼の目が驚愕に見開かれ、その体は煙に包まれて見えなくなった。
「やったっすか……?」
風に流され白煙は消え、ディーザの姿が徐々に現れる。
その体は――ほとんど無傷であった。
嵐に巻き込まれた胴はもちろんのこと、頭部も、真正面からジャッジメントテンペストを受けたはずの右腕ですら。
「勝負あり、ですな。それでは宣言通り、これからあなた方を――」
勝ち誇るディーザに向けて、ネイガスは人差し指を立てて揺らしながら、「チッチッチッ」と舌を鳴らした。
「ディーザさん、私たちを舐めたあんたの負けよ」
「負け惜しみを……」
「そう思うなら、自分の右手を見てみなさい」
馬鹿馬鹿しい、と嘲笑しながら視線を右手に向ける。
瞬間、その表情が固まった。
確かに右手は
手のひらに、光の剣の先端が触れたことによる小さな切り傷が生じていた。
たったそれだけだ。
それだけの傷から――炎が、溢れ出している。
「これは、どういうことですか……?」
もちろん、ディーザの魔法などではない。
彼の意志に関係なく、体内から這い出ているのだ。
その炎は徐々に火力を増し、傷の周囲だけでなく、彼の手全体を覆っていく。
「なぜだ……なぜ、私の魔力だというのに、消えないのです。ネイガス、まさか先ほどの魔法に何かを仕掛けていたのですか? いや、しかし――」
その程度はディーザだって折り込み済みだった。
呪い、毒、ステータス減少、そういった小細工を弄してくるだろうことは、誰にだって予想できる。
それも含めて握りつぶせる自信があったからこそ、受けて立ったのだ。
「確かに今のディーザさんは強いわ。たぶん、私なんかがさっきの魔法に罠を仕込んでも、もろとも消されてたと思う」
「ならば、これは……ぐ、おぉおおおっ!」
ついに堪えきれず、彼は痛みに顔を歪めた。
「オリジン様に頂いた力があるというのに、このような……!」
「外から与えられる苦痛ならともかく、中からじゃどうしようもないわ」
「中? まさか……!」
「そう、そのまさかよ」
右腕全体を包み込んだ炎。
そして手のひらの傷口を開くように、そこから誰かの腕が突き出てくる。
「があぁぁぁああッ!」
右手を押さえながら苦悶するディーザ。
「私、考えてたのよね。好き放題に女に手を出してきたディーザさんが、どうして私やシートゥムに手を出さなかったのか」
ネイガスは冷や汗を浮かべる彼に語りかけた。
実際、二人を手篭めにしていれば、計画はもっとスムーズに進んだはずである。
だというのに彼は、自分の教え子を使うという回りくどい手段を選んだ。
それはなぜなのか。
ようやく、ネイガスなりの答えを見つける。
「たぶんあんた、あいつのことが怖かったのよ」
ディーザの目が見開かれた。
おそらく彼は、全ての魔族や人間たちを自分の手のひらの上で動かし、見下していたはずだ。
だというのに、一人だけ制御できない男がいた。
彼に関わると、伝染するように関わった人間も制御できなくなる。
人の心を完全に掌握したつもりのディーザにとって、それは何よりも恐れるべき存在だっただろう。
本当は、魔王城でシートゥムを取り込んだあのときに、殺しておきたかったはずだ。
それも――ツァイオンに影響されたシートゥムの邪魔が入り、叶わなかったが。
「その理解できないバカさ――もとい真っ直ぐさに、最後まで勝てなかった」
「そんな……ことが……!」
あるはずがない。
そう否定するディーザだったが――しかし腕の主はお構いなしに、さらに傷を――否、彼の右腕そのものを切り開いて出てこようともがく。
「そ、そんな……づ……なぜ、だ……力を、残して……自我は、とうに、消えているはずでは……ぐああぁッ!」
ここまで焦る彼を見るのは、ネイガスも初めてだった。
撒き散らされる血は即座に蒸発する。
開いた傷口は炎によって、無残に焼け焦げる。
それだけの高温の中にいながらも
「おぉぉぉおおおおおおおおおおおッ!」
男の雄叫びが轟く。
赤い炎を纏いながら、ディーザの中から這い出てきた者は二人。
「あれは、ツァイオンさん……いや、ツァイオンさんだけじゃないっす、シートゥムもっ!」
「どうやって……あの、状態からぁ……がふっ!」
ツァイオンはその腕にシートゥムをしっかりと抱きしめて“外”に出ると、ディーザを蹴飛ばして距離を取った。
そしてネイガスたちの近くに着地する。
二人の体は傷だらけの血まみれだ。
外傷ではない。
一度は溶けてなくなった肉体だ、どんなに互いの想いで補完しても、十全とはいかない。
ゆえに内側から出てくる際、完全に再現しきれなかったのだ。
それでも両手足はついているし、意識もはっきりとしている。
「どうやって……? はっ、何度言わせんだよ、んなもん関係ねえ」
こちらを睨みつけるディーザに対し、取り込まれる前と変わらぬ調子でツァイオンは言い放つ。
「許さねえっつったら許さねえんだよ。オレは全てを取り戻した上で、てめえをぶっ飛ばす! それを遂げるためなら、理屈も道理もぶち壊す!」
やはり、ディーザは理解できなかった。
いくら強い感情を持とうとも、それが理屈や道理を超越することはありえないと考えているからだ。
その現実を前にしても、認められない。
認められないのなら、力でねじ伏せるしかない。
膝をついていた彼が立ち上がると、左手に地属性の魔力が渦巻く。
(まだ私の優位は揺らいでいない。力の差は大きい。たとえ四対一だとしても……!)
まだ魔力は残っている。
戦うつもりで一歩前に出ると――ザッ、と誰かの足音が聞こえた。
「フラム・アプリコット……!」
ガディオを倒した彼女が、その足でここまでたどり着いてしまったのだ。
(この状況で彼女まで来てしまうのですか。ツァイオンとシートゥムの力を失い、右腕を負傷している今、単独で彼女と戦うのは避けたいところです。しかし――くっ、なぜこのようなことが。オリジン様の力があるというのに、傷も癒えない……!)
右腕の炎は消えたものの、開いた傷も火傷もそのままだ。
捻れることもなければ、埋まることもない。
断続的に強い痛みが走り、ディーザの思考を鈍らせる。
フラムとまともに戦えるコンディションではない。
彼女もガディオとの戦いで消耗しているとはいえ、その度合いはディーザの比ではない。
「ここは退いて、キリルとの合流を――」
彼は振り返り、ツァイオンたちに背中を向ける。
「は……?」
そこには、フラムがいた。
前方にいたはずの彼女が、なぜか自分の背後にいる。
しかも、いつの間にか引き抜いた神喰らいに血を滴らせて。
「馬鹿、な……いつの間に……!」
その血は――ディーザの腹部から流れたものだ。
「ぐ……おぉおおおっ! い、今の、今の一瞬で……コアを、破壊……っ、したと言うのですか!?」
彼の腹部には、オリジンコアが埋め込まれていた。
フラムの
視認不可能な一撃を、防げるはずも、避けられるはずもない。
それを放った彼女は、神喰らいの血を振り払うと、ツァイオンに言った。
「ごめんね、おいしいとこもらっちゃって」
「いんや、むしろ礼を言わせてもらうぜ、トドメを刺せるんだからな。シートゥム、いけるか?」
「はい、兄さん。体はへろへろですけど、魔力は有り余ってます」
「よっしゃ。なら“あれ”、行ってみっか!」
ディーザの中では、他者との境界が曖昧だ。
結果、二人は一部の記憶を共有している。
つまり、今日までの戦いの記憶をシートゥムも保持しているのだ。
「私の魔力を、兄さんに……!」
両手でツァイオンの右手を包み込み、魔力を流し込む。
光の力が火の力と調和し、絡み合い、一つの大きな力となる。
それが終わると、シートゥムはツァイオンから離れた。
そして彼は拳を握り、高らかに言い放つ。
「エンゲージ!」
ゴオォッ!
右手が燃え盛る白い炎で包まれる。
彼はその拳を構えたまま、ディーザに歩み寄っていく。
「や、やめなさい……」
もはや彼にオリジンの力はない。
元々性格や目的が似ていたせいか、コアを失っても大きな肉体の崩壊は起きていないが、今は思うように体が動かないはずである。
「わ、私にはまだやりたいことがあるのですから。このような、このような終わりなど……!」
後ずさりながら逃げようとするも、瓦礫に足を取られ尻もちをつく。
「まだ、オリジン様の真の姿も見届けていないというのにっ!」
すぐさま立ち上がり、背中を見せて走り去ろうとするも、手遅れだった。
すでにツァイオンは、ディーザを間合いに収めている。
そして彼はさらに強く右拳を握りしめ、大地を踏みしめ、加速する。
「セイクリッドォ――」
見開かれるディーザの目。
その瞳に浮かぶ感情は――これまで彼が他者に与えてきた、“絶望”と“恐怖”であった。
「ツァイオン、やめろぉおおおおおおッ!」
「ブレエェェェェェイズッ!」
二人の叫びが響く。
ディーザの胸に向かって突き出された拳は、その威力だけで彼の心臓を貫いた。
さらに燃え盛る白い炎が、火の温度と光の熱を
それはまさに浄化の炎であった。
汚らわしい悪は、体もろともこの世から消え去る。
「はぁ……はぁ……」
ツァイオンは拳を突き出したまま、荒い呼吸で肩を上下させた。
そこにもう、ディーザの姿は無い。
「はぁ……あぁ……やっと……終わったん、だな……」
ここまで勇ましく戦ってきたツァイオンだが、彼も辛くなかったわけじゃない。
シートゥムが取り込まれたとき、本当は泣きたかった。
かっこ悪いから泣かなかっただけで。
トーロスとの戦いだって、本当はしんどかった。
かっこ悪いから弱音を吐かなかっただけで。
小さい頃から面倒を見てくれたディーザを殺すのだって――辛いに決まっている。
それよりシートゥムを取り戻せたことが嬉しいから、嘆かないだけで。
「兄さん、お疲れ様です」
彼女はそう言いながら、ツァイオンを背中から抱きしめた。
そのぬくもりを感じるだけで、戦い続けてきてよかった――と心の底から思える。
彼は口元に笑みを浮かべ、目を閉じながら、返事をした。
「ふぅ……おう、お前もな」
互いの存在を噛み締め合う二人。
ネイガスもその様子を微笑ましく見守っていたが――ふらりとバランスを崩し、膝をつく。
すぐさまセーラが寄り添い、体を支えた。
「無理しすぎっすよ。回復するっすから大人しくしてるっす」
「でも魔力が……」
「シートゥムさんがいるんで問題ないっすよ」
体力はなくとも魔力は余っていると言っていた。
戦闘は無理でも、回復魔法は使えるはずだ。
観念したネイガスは、大人しくセーラの治療を受ける。
彼女もかなりきつかったらしく、傷が塞がると、眉間に寄っていた皺が消えていく。
そんなネイガスの顔を見て、セーラはホッと息を吐き出した。
「さて、と……」
フラムはそんな四人の様子を少しだけ眺めると、声をかけることもなく早々にその場を去っていく。
彼女の戦いはまだ終わっていない。
今もエターナとジーンが、キリルの足止めのために必死に戦っているのだ。
一刻も早く向かわなければ、二人の命が危ない。
しかし彼女は、魔王城の中に戻る前に、一度足を止めた。
そして空を見上げて、ぼそりと呟く。
「……おつかれさまでした」
その言葉が誰に向けたもので、どんな意味があるのか。
知っているのは、おそらくフラム自身だけだろう。
少なくとも、この世では。
◆◆◆
肉体から解放された魂は、天へと昇っていく。
それは誰しもが平等に経験する、死と輪廻のプロセスの一部だ。
現世で命を落としたディーザもまた、同じように魂だけの存在となり、あの世へと向かっていた。
「魔族は死んだらどうなるのか。死んでみなければわからないものですが、本当に霊魂になるとは驚きです」
半透明の自分の体を、興味深く観察するディーザ。
当然、霊魂になれば誰もが驚く。
それ自体は、珍しい行動ではなかった。
「死に方は不本意でしたが、それなりにうまく立ち回れましたし、我が子同然の魔族たちの成長も見守れました。一応、満足しておくことにしましょう」
このまま天に昇れば、天国か、あるいは次の人生が待っているに違いない。
「ふっ、死後も意識が続くと思うと、急に死が些細なことに思えてきますなあ。今度の人生では、前回の反省点を活かすことができればいいのですが」
そのようなことを考えながら、早く次の生に思いを馳せる。
彼ほどの歪んだ魂ならば、次もまた、周囲の人々を歪ませ弄ぶに違いない。
それも、悪意すら無く。
ただの執事だった頃のような穏やかな笑みを浮かべ、ゆらゆらと上昇する魂。
だが――その動きが、突如ぴたりと止まった。
「……ん?」
足に違和感を覚え、ディーザは確認する。
すると黒い腕が足首を掴み、さらにその下では――女の霊が、歯を見せながら笑っていた。
「逃げられると思ったのですか?」
「リートゥス、様……?」
「何のために私があの鎧に取り憑き現世に残っていたか、頭のいいあなたならわかりますよね?」
ディーザの頬が引きつり、顔がみるみるうちに青ざめていく。
その憎しみは、長年に渡り煮詰められた分、ツァイオンたちよりも濃くどす黒い。
「お待ち下さい、私はもう十分に……償ったはずです」
「くっ、くふふふふっ、くはははははははっ、あはははははははははぁっ!」
彼女は悪霊らしく、口を大きく開いて笑う。
「十分!? 死んだ程度で!? 何十人何百人何千人とっ、数えきれないほどの魔族を、人を傷つけてきたくせに、この程度で十分だなんてっ! あひゃはははははははははっ! はははは……笑わせるなァッ!」
怒気が、さらなる黒い腕を呼び寄せた。
リートゥスの背後から伸びたそれは、ディーザのふくらはぎを掴む。
「見てください、この腕を」
太ももを掴む、腰を掴む。
「これがあなたへの恨みです」
腹部を、胸を、腕を、肩を、首を、そして顔を――ディーザの全てを埋め尽くす勢いで掴みかかる。
「ひっ……ひいぃ……っ!」
「これがあなたが果たすべき償いの数です!」
「それはあくまで生前の罪でしょう、今の私は、もう死んだのです! もう十分なはずだっ! それ以上の断罪などエゴではないですかっ!」
彼は本気で、死で罪は償われたと思っていたのだ。
シートゥムだって奪われた、ツァイオンだって生きている、だったらいいじゃないか、と。
そんなもので、許されるはずがないのに。
「いやだ……私は、まだやりたいことが……あの世でもいい、違う世界でもっ、生まれ変わりが魔族や人でなくともっ、だから、だからぁ――!」
命乞いなどしても意味は無い。
だって彼は命乞いをした相手を無残に殺したから。
だって彼は罪もないのに許しを請うた人間を、くびり殺してきたから。
「私はあなたの家族だったはずですっ! だから……だから助けてください、お願いします、リートゥス様あぁぁぁぁぁっ!」
醜い、あまいに醜い。
もはや醜すぎて、リートゥスには彼の言葉など聞こえない。
「力をお借りしますね、フラムさん」
リートゥスはまだフラムと繋がっている。
確かにこのまま腕で千切ってしまってもよかったが、完全に消滅させるには、彼女の力を使うのが一番なのだ。
無数の黒い腕は魔力を通す導線となる。
地上のフラムはリートゥスの声を聞き、一部の魔力を彼女に貸し与える。
そして――
「
復讐は、成った。
「うわあぁぁぁああああああああッ!」
反転の魔力を流し込まれ、ディーザの魂はまるで風船のように膨らむ。
そして許容量を超えると――パァンッ、と破裂した。
その瞬間に断末魔も聞こえなくなり、飛び散った破片は塵となって消える。
この世界においてディーザと名付けられた存在は、あらゆる世界から、二度と生まれ変わることもなく消滅したのだ。
悲願を達したリートゥスは、天を仰ぎ、肩を震わせる。
「あ……あはは……私、やったんですね……ようやく、殺せたんですね……! あぁ、終わった……長い、悪夢が……」
涙と歓喜が入り混じり、声も震えていた。
彼女から全てを奪った男は、もういない。
「シートゥムも、生きている。これで私は……」
娘はまだ半人前だが、隣に支えてくれる人さえいれば大丈夫だろう。
「ツァイオン……シートゥムのこと、お願いしますね」
全てから解放された彼女はそう告げると、優しい笑みを浮かべ、さらに高い場所へと昇っていく。
地上でツァイオンに抱きしめられるシートゥムは、大好きだった母の声を聞いた気がして、ふいに空を見上げた。
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