第119話 君を迎えに来たんだ

 





 フラムたちと別れたネイガスとセーラ。

 二人はキマイラを撒き、魔王城の裏手へと向かっていた。


「裏口なんてあるんすか?」

「もちろん。野菜の入った袋をぶら下げて、誰かがあの大きな玄関から城に入っていたら気が抜けるでしょう?」


 確かにアンバランスな絵面ではある。

 しかし、セーラの前方に見える裏口の存在を、ディーザが知らないはずもない。

 罠が仕掛けられている可能性も考えられるが、ネイガスは迷わなかった。


 セーラがマリアとの対話を求めているように、おそらくマリアも――彼女は認めないだろうが――それを望んでいる。

 ツァイオンとディーザも同じく。

 つまり、自分たちの見えない場所で、罠やキマイラに殺されるというつまらない決着は望んでいないはずなのだ。

 ゆえに罠などというつまらない方法で殺したりはしない。


 裏口のドアを開くと、そこは厨房だった。

 音と光に反応して、ネズミや虫らしき影が一斉に動く。

 しばらく使われていないのか、棚の上などは少し埃をかぶっていた。

 ネイガスは一瞬だけ足を止めて、感慨に耽るように周囲を見回す。


 ここには幸せな記憶しかない。

 幼い頃ディーザに料理を教えてもらったこともあった。

 シートゥムが『兄さんに渡したいんです』と言うのでネイガスがお菓子作りを教えたこともあった。

 日常と、非日常の想い出が詰まっている。

 しかし今や、魔王城に充満しているのは幸福どころか、死の匂いだ。


「ネイガス、大丈夫っすか?」


 彼女の異変を察知して、セーラが心配そうに顔を覗き込む。


「大丈夫じゃないわ。でも、セーラちゃんの顔を見たら復活した」


 お世辞抜きで、本当にそう思う。

 たとえ悲劇が幸福を塗りつぶしたとしても、その悲劇はさらなる幸福で上書きすることができる。

 なぜなら、ネイガスの隣にはセーラがいるのだから。


「行きましょう」


 彼女の手を引いて、ネイガスは厨房を出る。

 その先は食堂に続いており、さらに先に進むと、赤い絨毯の敷かれた長い廊下が現れた。

 そこに足を踏み入れ、ネイガスが左を向いた瞬間、視界は閃光に包まれる。


「光魔法ッ!?」


 彼女はセーラを抱きしめながら、食堂の方に飛び込んだ。


「っぐ……!」


 光線は廊下の全てを焼き尽くしながら、二人の眼前を掠める。


「ネイガス、今のはマリアねーさまの魔法っす!」

「あっちも私たちのことを待ち受けてたみたいね。ここはやり合うにはちょっと狭いかしら」

「問題ないっす、話すには十分っすから」


 いきなり殺しにきたマリアがセーラの話に取り合ってくれるものだろうか――ネイガスの胸中に不安が渦巻く。

 しかしセーラは信じている。

 自分の言葉が、必ず彼女に届くはずだと。

 無謀なまでの愚直さを見習いたい一方で、その幼さを支えるのが自分の仕事だ、と自らに言い聞かせた。


 光線に焼かれた廊下の壁や床は熱で赤く変色し、どろどろに溶けている。

 その上をゆっくりと歩き、マリアは食堂に入ってきた。

 仮面を被っているため、表情は読み取れない。

 いや、どのみちその下も肉の渦で埋め尽くされているため、外見から感情を見て取るのは不可能なのだが。


「マリアねーさまっ!」


 セーラが前のめりになりながら彼女の名を呼ぶ。

 するとその頬を、光の刃が掠めた。


「セーラちゃん!」

「平気っす、最初から殺すつもりは無かったっすから。そうっすよね?」


 怯える様子すら見せないセーラ。

 先ほどの光の帯も、ネイガスが避けることを想定していた――そう信じているのだ。

 そんな彼女を見て、マリアはかすかに首をかしげ、初めて言葉を発した。


「解せませんね。ここまで来て、なぜそのようなことを言えるのか」

「おらはねーさまが優しい人だってことを知ってるっす」

「気のせいでしょう」

「じゃあ、どうして捕まえたネイガスを殺さなかっただけでなく、おらを助けてくれたっすか?」

「気まぐれです」


 その声が本心でないことは、ネイガスにもわかった。

 マリアはずっと偽っている。

 顔だけでなく、心にも仮面をかけて、ずっと自我を抑圧し続けている。


「それに、たとえ過去にそういったことがあったとしても、今は状況が違うではないですか。あなたたちは明確に敵意を持って魔王城に忍び込み、私と出会ってしまった」

「おらはねーさまに会いに来ただけっす」

「殺すために、ですよね?」

「話すために決まってるっす!」

「話してどうするつもりなのですか?」


 言いながら、彼女は仮面を外す。

 そこには不規則に脈打ち、隙間から血を滴らせる肉の渦があった。


「わたくしにはもう、人として生きる道など残されていないというのに」


 もはや身も心も外道に堕ちた。

 天高く、遠くに見える光への未練すら残っていない。

 マリアはそう主張する。


「よもや奇跡を信じて、わたくしを人に戻そうとしているのですか? ふふふ、いくらセーラが子供と言えど、現実を見なければ――」

「わかってるっすよ」


 セーラが彼女の言葉を遮った。

 どこか陰のある表情で。


「ねーさまがもう助からないことは、わかってるっす。オリジンが破壊されれば、その体は崩壊するんすよね。おらたちが負けても、どうせねーさまは死ぬっす」

「……だったら、何のために話など?」


 戸惑うマリア。

 セーラがそれを理解するほど成長していたこともそうだし、それでもなお説得を続けようとする行動も解せない。

 すると彼女は、目を背けたくなるほど真っ直ぐな瞳でマリアの目を見ながら言った。


「ねーさまの自暴自棄をやめさせて、人として終わりを迎えてもらうためっす」


 化物として死ぬか、人として死ぬか。

 一見同じ死に見えて、そこには大きな隔たりがある。

 少なくとも、セーラはそう考えていた。


「憎悪から悪意が生まれても、最初はねーさまの全てを支配するようなものじゃなかったはずっす。でもほとんどの人は、家族を、大切な人を殺された憎しみには抗えない。優しいねーさまは、それでも復讐を果たすしかなかった」


 マリアは黙って小さな聖女の言葉に耳を傾けている。

 彼女は、教会の悪事を知った。

 自分の故郷を襲い、家族を殺した首謀者が、自分を育ててきた教会であることを知ったのだ。

 強い憤りが彼女を支配しただろう。

 そして感情に身を任せ、初めての罪を犯したとき――おそらくマリアは、強い罪悪感に苛まれたはずだ。


「でも、苦しかったんすよね。自分の優しさが毒に思えるほど、善意が悪意を責め立て、苦痛を味わうことになったはずっす」


 ベッドの中で布団にくるまりながら、他者を傷つけたことを悔いる。

 声を押し殺しながらも、何度も何度も叫び、布団に拳を打ち付ける。

 やがて気分が悪くなり、洗面所に駆け込んで、涙を流しながら嘔吐する。

 顔をあげると、鏡には女の姿が映っている。

 そのあまりの醜悪さに、髪をかき乱しながらまた叫ぶ。


 そんな夜を、数え切れないほど過ごしてきた。

 なぜ裏切られたのは自分なのに、自分が苦しまなければならないのか。

 葛藤は、少しずつ彼女の心を汚していった。


「だからねーさまは、自分を悪人にすることを決めたっす」


 善人のまま犯す罪と、悪人が犯す罪。

 前者は苦痛で、後者は快楽である。


「悪人になりきってしまえば、誰かを傷つけても、自分が傷つく必要は無いっすから」

「そうですね、セーラの言う通り――わたくしは自らの意志で、悪人になりました。そして差し伸べられたいくつもの手を切り落として、オリジン様の傍に立っています」

「でも……ねーさまは、悪人にはなれなかったっす」


 肉の渦がぴくりと震える。

 まるでマリアの感情のゆらぎを表すように。


「悪人になってもなお、『本当は悪人になんてなりたくなかった』って、苦しみ続けてるんすよね。だからさらに自分を追い詰めてるっす」


 ゆえにマリアは、彼女の考える『過ち』を、あえて選ぼうとする。


「望みもしない化物の体を手に入れて」


 あのとき大人しく死んでおけばよかった。

 何度そう思ったことか。


「望みもしない残酷さを己に強いて」


 尊き戦士の死に様だけは汚してはならない。

 何度そう悔いたことか。


「そして、望みもしない大切な人の死を強引に背負うことで、完全なる悪人になろうとした。自分の中に残っている微かな善の心を殺そうとしたっす」


 世界で唯一、自分を抱きしめてくれる人を殺してしまった。

 何度、その罪に夢の中で殺されたことか。


「たぶん、ねーさまはもう、復讐のために戦ってるんじゃないと思うんすよ」

「わかったようなことを」

「わかってないのはねーさまだけっす。今やねーさまは、自暴自棄になって、悪人になるために罪を犯そうとしてるっす。無意味なんすよ、そんなのは!」


 マリアが憎んだ教会はもはや存在しない。

 そんな世界で、無差別に命を奪ったところで、彼女のなにが満たされるというのか。


「わたくしはこの世の全てを憎んでいます。人も魔族もみな醜い、全てオリジン様によって浄化されるべきなのです」


 心にもないことを言う。

 だから言葉に説得力が生まれない。


「そういうことにしたいから、わざわざライナスさんを殺したんすね」

「彼も人です、世界が真なる平和を手に入れるために殺すのは当然ではないですか」

「嘘を重ねたって、自分が辛くなるだけっす! 本当は殺したくなんて無かったくせに!」

「ふふふっ、自分が死にたくないからと言って、そんな詭弁でわたくしを懐柔しようと言うのですか?」


 話題をそらすのは図星だからだ。

 彼女の本心は、今すぐにでも自分自身を殺したいほど後悔しているはずである。

 しかし認めない。

 それを認めた瞬間、彼女は自分の罪に潰れてしまうから。


「セーラにはわかりません。だってあなたが家族を失ったのは物心がつく前ではないですか。家族との想い出もまともに覚えていないくせに、理解者面をしないでいただきたいですね」

「理解者を名乗るつもりはないっす。人間はそう簡単にわかりえないっすから。価値観も違って、生き方も違って、たぶんわかりあったつもりの相手でも、噛み合わないことだらけっす」


 セーラは戦いの中でそれを知った。

 だが、だからと言って諦めようとは思わない。


「でも――ねーさまが無理をしてるのは、誰の目から見ても明らかじゃないっすか! そのまま死んだって、ねーさまは後悔の中で苦しみ続けるだけっす。なにからも解放されないっす!」


 もし死後の世界があると言うのなら、地獄は永遠に続く。

 必死で説得を続けるセーラ。

 しかしマリアは鼻で笑う。


「だから諦めて死ねと?」


 そんなつもりはさらさら無い、と差し伸べられた手を振り払うように。


「せめて最期ぐらいは、強迫観念ではなく、自分自身の意志で選んで欲しいだけっす」

「ふ、ふふふ……くははははははっ!」


 マリアは手で顔の肉の渦を覆いながら、悪役じみた笑いをあげる。


「ねえセーラ、わたくしにはあなたの言葉全てが、命乞いにしか聞こえないんです。どうにかしてわたくしをほだして、敗北の見えた戦いを避けようとしているようにしか!」


 両手を広げ、その上でマリアの魔力が渦巻く。

 光の粒子が激しく回転し、威力を高めていく。

 すでにセーラとネイガスを消し飛ばすには十分すぎる力があるにも関わらず、それでもなお。


「だから人間は信用できないッ! これ以上わたくしを惑わすのなら、死になさい!」


 両手の魔力を一つに合わせ、激しく回る光のカッターを投擲した。

 射出から命中まではほぼ同時。

 その動きを呼んでいたネイガスは、セーラを押し倒すように地面に転がった。


「づっ……惑わすとか言ってる時点で動揺してるじゃないっすか、ねーさまのわからずやーっ!」


 衝撃に顔をしかめながら、子供っぽい本音を漏らすセーラ。


「セーラちゃん、まずは戦うしかないわ! そんで足を止めて、また説得する。それでいい?」

「うぅ……わかったっす!」


 本当は戦いたくなどない。

 だが現実はそう甘くないことは、彼女も理解している。

 起き上がりながら、ネイガスはスキャンを発動した。

 圧倒的な差があることはわかっているが、とりあえずマリアのステータスを把握しておきたかったのだ。




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 縺励∝ュキ螢ォ縺ィ縺・


 オ縺ョ:縲


 定ヲ九:28315

 ・縺:67192

 帙s:29156

 吶?:17392

 ソ繧#:51833


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 彼女の目に映し出された文字は、もはや読める部分の方が少なかった。

 ステータスを表す数字だけは無事だったのがせめてもの救いか。

 もっとも、その数値は見ただけで目眩がするほど圧倒的なものであったが。


(そりゃフラムちゃんじゃなきゃ倒せないわけよねぇ……)


 その能力は、人や魔族を超越している。

 しかもオリジンの封印解除が進行している影響か、ライナスを殺したときよりもさらに強化されていた。

 コアの破壊の問題だけでなく、フラムでなければ単純に力不足で太刀打ちできないのだろう。

 しかし、足止めの役割を任せられた以上、それだけは全うせねばならない。

 もっとも――命を賭けてまでやるつもりはなかった。

 まず第一に、二人で生き残ること。

 それが大前提だ。


「ダークネスフォグ!」


 ネイガスが手を振るうと、黒い霧がマリアにまとわりつく。

 これで視界を塞ごうというのだ。

 だが彼女が軽く腕を払うと、光の魔力に中和されて霧は一瞬で消えた。


「小手先だけの子供だましが通用するとでも?」


 そしてマリアは手をかざし、反撃の魔法を放つ。

 蝶の鱗粉のように光の粒子が舞い散った。

 それは“名もなき魔法”だ。

 つまり、光の魔力をただ放出しただけの、低威力、なおかつ非効率的な魔法の行使。

 しかしマリアの圧倒的な魔力によって、ただそれだけの魔法もそれなりの威力を持つ。

 光の粒子がテーブルに触れる。

 するとぼんっ、と粒子は破裂し、巻き込まれた物体は綺麗サッパリ消滅した。

 要するに、マリアは二人を舐めているわけではなく――人体を破壊するには、この程度で十分なのだ。


「パルスレイ、っす!」


 セーラが両手をかざし、拡散する光線を放つ。

 それらは的確に粒子を打ち抜き力を拡散させた――が、割に合わない。

 彼女らがマリアの攻撃を防いでいる間にも、彼女は次の魔法の準備を始めていた。

 そんなマリアもスキャンを発動し、セーラのステータスを確認している。

 戦力を測るためではない。

 力の差は歴然だ、ただの人と魔族が今のマリアに勝てるはずもないのだから。

 つまり、それは単純にセーラの成長を確かめるための行為だった。




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 セーラ・アンビレン

 属性:光


 筋力:1563

 魔力:4417

 体力:1524

 敏捷:1532

 感覚:982


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 見違えるようだ。

 ネイガスとの旅、そして極限状況で生き抜いてきた経験は、セーラをここまで成長させた。

 この調子で成長していけば、彼女が18になる前に、人だった頃のマリアは簡単に越えて見せるだろう。

 精神的にも、肉体的にも――セーラこそが、聖女に相応しい。

 ゆえに、嘆かわしい。


「どんなに成長しても……オリジン様の前には無力なのです」


 それを潰さなければならないことが。

 だが一方で、『大きな罪を背負うことができる』と歓喜していた。

 セーラは幼い、それはポイントが高い。

 セーラは自分を慕っていた、それもポイントが高い。

 いい子で、才能に溢れていて、好きな人との未来を信じていて――ああ、それら全てを踏みにじれば、今度こそ自分は完全なる悪になれる――と、未だにマリアは叶わぬ夢を追い続けているのだ。

 そんなことをしたところで、罪悪感からは逃げられないというのに。


「ポーレンポーラー・イリーガルフォーミュラ」


 マリアの手のひらから、花粉のように小さな光の粒が飛んでいく。

 それは先ほど彼女が散布した粒子に混ざり、すぐに区別がつかなくなった。

 だが適当にばらまかれた魔力とはことなり、それは強大な力が込められた、いわば“光の爆弾”であった。


「クリムゾンバレット!」

「ジャッジメントクラスターっす!」


 闇の竜巻と、小さな光の剣がマリアの粒子を破壊していく。

 セーラとネイガスは、後退しつつの防戦一方で、マリアの放った魔法に気づけるはずもなく。

 セーラの放った光の剣が、他の粒子と同じように“ポーレンポーラー”の粒と触れ合った瞬間――彼女の視界はホワイトアウトした。


「エアバーストォッ!」


 咄嗟にネイガスが動き、二人の足元で風が爆ぜる。

 そしてセーラを抱きしめながら自らの魔法で吹き飛び、さらには壁を破壊して城の外にまで退避した。

 それでようやく、ギリギリ・・・・だ。

 上空を舞うネイガスたちは、爆ぜた光の魔力がドーム状に広がり、先ほどまで自分らのいた一帯を包み込むのを見ていた。

 そこから発せられる熱に、じりじりと二人の肌が焼かれる。

 さらにエアバーストの衝撃で、ネイガスの鼻からは血が流れていた。


「ヒール!」


 セーラが軽く魔法を唱えると、ひとまず出血は止まる。


「ごめん、セーラちゃん……大丈夫?」

「謝るのはこっちっす。迂闊だったっすね」

「あの状況で何も仕掛けてこないはずがないもの――っとぉ!?」


 ゴオゥッ! と地上から極太の光の帯が飛んでくる。

 それは回避したネイガスのすぐ横を通り過ぎ、さらに肩を焼いた。


「飛んでも無駄みたいね」


 先ほどの魔法によって開いた穴から外に出たマリアが、平然と空を飛びながら近づいてくる。

 もはや空中を舞うのは魔族だけの特権では無いらしい。


「ねーさま、これ以上やったって!」

「パニッシュメントレイッ!」


 セーラの言葉を聞きもせず、マリアは再び光の帯を放つ。


「めんどくさい女ねほんとっ!」


 愚痴りながらも避け続けるネイガスに、マリアは繰り返し魔法で攻撃を加えた。

 普通は連発できるようなものではない。

 まるで自らの魔力が無尽蔵であることをアピールするかのようである。

 しかしセーラを抱えながら動くネイガスは、少しずつ体力を削られていた。


「また足手まといっすね……おら」

「そうでもないわよ。たぶん、私だけだったらとっくに殺されてると思うから」

「なんでっすか?」

「なんだかんだ言って、セーラちゃんのことは殺せないのよ。よっぽどライナスを殺した件を引きずってるのね。そうなんでしょう、マリア?」

「都合のいい解釈をしないでいただけますか?」


 静かな怒りに反応してか、マリアの放つ光の帯が、ネイガスめがけてねじれ、ぐにゃりと曲がる。


「おっと! 図星だからってそんなに感情的にならないでもいいのに」

「わたくしが、いつ感情的になったと?」

「ずっとじゃないかしら? たぶんあなた、化物に向いてないわ」

「下手な挑発を!」


 今度は手のひらから放たれる帯を、まるで剣のように振るう。

 ネイガスが顔をしかめながらギリギリで避けると、背後にある民家や、セレイドの端にある壁までもが両断された。

 とんでもない威力を目の当たりにして、彼女は「ひゅー」と口笛ではなく口で言った。


「こんなことしたってねーさまは幸せにならないんすよ!?」

「わかっています。ですが全てを悔やんだところで、もう何もかも手遅れなんですッ!」

「手遅れでも、まだやれることはあるはずっす!」

「わたくしは、中途半端な救いなんて望んでいない! ディヴァインシージ、これで逝きなさいッ!」


 マリアが手をかざすと、光の粒が空中に現れ、セーラとネイガスを包囲する。

 ぱっと見はまるで星空のようで美しいが、それは触れた瞬間に体が吹き飛ぶ強烈な機雷である。

 それが、数千。

 空中戦に慣れている分、多少は魔族が優位かとネイガスは考えていたが、ここまで力の差があるともはや相性や慣れなど関係ない。

 どこにいようが不利だ。


「なら障害物のある地上の方がまだマシか……セーラちゃん、強引に突破するわ、捕まってて!」

「わかったっす!」

「ソニックレイド・イリーガルフォーミュラッ!」


 風のシールドを展開し、ネイガスは地上に向けて加速する。

 粒子と粒子の間を縫うように方向を制御しながら。

 掠めただけで機雷は炸裂し、シールドを大きくえぐる。

 それでもどうにか切り抜けられたのは、ネイガスの思い切りの良さがあったから。

 あと少し決断が遅れていたら押しつぶされ死んでいただろう。


「逃しません!」


 しかし突破したところで、魔法が消えるわけではない。

 マリアが手を振り下ろすと、空中に浮いていた粒子が一気にネイガスたちに降り注ぐ。

 彼女はセーラを抱きしめながら前方に思い切り飛び込む。


「わたくしが望むことはただ一つだけ。帰りたいのです」

「だったら!」

「だったら? 帰せるのですか? 家族のところに、みんなのところに、わたくしの故郷に、どうやってわたくしを帰すというのですか!?」

「それは……」

「できないでしょう? そう、わたくしを救える人なんて、もはやどこにも存在しないのです。その願いが叶わぬのなら、人として生きようが、化物として死のうが同じこと!」


 マリアは腕に光を纏いながら急降下する。

 そして地面に叩きつけられた拳は、ゴウンッ! と城全体を揺らし、大きなクレーターを大地に刻んだ。

 どうにか避けたが、その余波に吹き飛ばされる二人。


「どうせ結果が同じ悲劇なら、だったらわたくしは、できるだけ沢山の人を巻き込める方を選びます!」

「そ、そんなもの、ねーさまの望みじゃないはずっす!」

「いいえ、これがわたくしの望みです。望みを失ったわたくしの、最後の望みなのです!」

「自己中の極みね!」


 ネイガスの風の球体――クリムゾンスフィアがマリアに迫る。

 すると彼女は自ら手を伸ばし、魔力ではなく腕力で魔法を握りつぶした。


「今さら何を。わたくしは最初から聖女などではありません。身も心も歪みきった、ただの化物なのですから!」


 マリアの手に、ひときわ大きな光の剣が生成される。

 彼女はそれを地面に突き立てると、腕を震わせながら引き抜こうとする。

 だがなぜか、簡単には抜けない。


「だから殺します」


 大地が揺れ、地鳴りが響く。


「誰も彼も、この世に存在する全ての者を、平等に、オリジン様の力で!」


 ようやく抜けた光の刃には、直径数十メートルの岩塊が付着している。

 それはもはや剣というより、槌――すなわち今のマリアが扱える、最大規模のメイスと化していた。


「なんかヤバそうじゃない?」

「お、大きいっす……」


 二人は呆然とそれを見上げる。

 逃げようにも、今から全力で走ったところで間に合うかどうか。


「それは――たとえセーラであろうとも、例外ではありません!」


 マリアの声に意志が宿る。

 それはライナスを殺したときと同じく――奈落の深みに、自らをより貶めるための行為。

 まったくもってセーラの言うとおりだ。

 自暴自棄以外の何物でもない。


裁きの鉄槌ジャッジメントバニッシャー! 死ねえぇぇぇぇぇぇぇぇえッ!」


 より強い誰かがいれば止めてくれたのかもしれない。

 だが最初に彼女に語りかけたのは、優しい誰かでもなければ、厳しい師でもなく――オリジンだった。

 オリジンに頼った者は、例外なく破滅する。

 それが運命。

 つまりすでにその時点で、彼女の終わりは決まっていたのだ。

 だからせめて、死の間際ぐらいはオリジンの呪縛から解放できるよう――その意志があるから、セーラは圧倒的な力を前にしてもひるまない。


「セーラちゃん、行くわよ!」

「わかったっす、あれっすね!」


 自分たちではマリアに太刀打ちできない。

 それぐらいはわかっている。

 ステータスでも負けているし、持久力でも勝てる見込みはゼロだ。

 だから――いつかセーラが、キマイラに対して法外呪文イリーガルフォーミュラで一矢報いたように、極限まで高めた一撃を叩き込むしかない。

 そのための方法を、二人は知っていた。

 二人は前に伸ばした手と手を重ねると、指を絡める。


「何をしようとも、今のわたくしの力にはぁぁぁぁぁぁあッ!」

「一人じゃどうしようもないことでも、二人ならどうにかなるっす!」


 セーラとネイガスは互いに見つめ合い、意識を同調させた。

 以前にやったときよりもずっとスムーズに魔力が混ざり合う。

 それはセーラとネイガスの想いが高まっている証拠であった。

 ゆえにその威力は、フークトゥスで初めて二人が“エンゲージ”したあのときを、遥かに上回る。

 そして声を揃え、高らかに魔法を唱える。


『エンゲージ・ジャッジメントテンペスト!』


 二人の声が重なり、巨大な光の剣が、風の力によって高速で射出される。

 加算ではなく、乗算で威力を高めたその魔法は、瞬時に裁きの鉄槌ジャッジメントバニッシャーと衝突。

 カッ、と視界の全てを白く染め上げるほどの閃光を放ち、炸裂した。

 視界が晴れると――マリアが叩きつけようとしていた岩塊は、根本をわずかに残して消失していた。


「な……あれだけ力の差があったというのに、わたくしの魔法が相殺された……!?」


 唖然と立ち尽くすマリア。

 まだ余力はあるが、自分が絶対的優位に立っていると確信していた彼女にとって、それはかなりの衝撃だったようだ。

 その隙に、セーラは舞い散る砂埃に紛れてマリアの背後に迫る。

 そして背負っていたメイスを両手で握り、振りかぶって――命中する直前でぴたりと止めた。


「……っ。なぜ、止めたのですか?」


 無論、その気配を感じ取れないマリアではない。

 彼女の腕力でメイスを叩きつけたところで、今のマリアにダメージを与えることはできなかっただろう。

 つまり己の無力さを痛感させるため、そして至近距離で確実に命を奪うために、ノーガードで受けようとしたのだ。

 そして当たった瞬間に殺してあげようと思っていたのに。

 止められてしまっては、その理由を聞かずにはいられない。


「ねーさまには、こっちのが効くと思ったからっす」


 そう言って、セーラは背中からマリアに抱きついた。


「セーラ……どうしてそこまで。無駄だと言っていますのに」


 血の匂いが混ざってはいるものの、匂い自体は変わっていない。

 彼女は紛れもなく、憧れのねーさまなのだ。


「結局のところ、おらのわがままっす」

「どういう意味ですか?」

「憧れの、大好きなねーさまが、このまま死ぬなんて嫌っすから。色々言ってきたっすけど、突き詰めれば、おらがねーさまを諦めたくない理由なんてそれだけなんすよ」


 大切な人に死んで欲しくない。

 誰もが持つ、当たり前の感情。

 言ってしまえば、情が深い。

 セーラはそういう人間だった。


「そのような理由で……」

「そんなもんっすよ、誰だって。たぶん、根っこにある理由なんて身勝手なものっす」


 たとえ結果が世界の滅亡を巡る戦いだったとしても――例えばフラムはミルキットと一緒に生きていくために戦ってきた。

 そんなものだ、誰だって。

 世界を変えたいとか、平和のためだとか、どんなに耳触りのいい言葉を並べても、奥底にはごく個人的な都合が秘められている。


「……そんな都合に付き合う必要は」

「無いっすよね。わかってるっす。それでも、優しいねーさまが化物のまま死ぬなんて、嫌っす」

「……」


 無言で俯くマリア。

 彼女は、甘い。

 セーラに言わせてみれば、それは優しさなのだろう。

 変わろうと思っても変われるものではない。

 おそらく、生まれ持った性分だ。

 あるいは、両親から受け継いだものか。

 どちらにせよ、彼女がどんなに悪役を気取ろうとも、消えて無くなるものではないのだ。


「そんな言葉を伝えるためにここまで近づくだなんて、いくらなんでも無謀ですよ、セーラ。ネイガスさんも、止めるべきでしょう」

「気付いたらいなくなってたのよ」


 大げさに両手をあげて呆れるネイガス。

 その仕草から敵意は感じられない。

 なぜならマリアから発せられる殺意が和らいでいるからだ。

 結局、彼女は中途半端な自分から抜け出すことはできなかった。

 いや――そもそも選んだ道が間違いだったのだ。

 本来善の方角にしか進めない者が悪を選んだところで、極まるはずなどない。


「ネイガスさん」

「んー?」

「セーラの無茶に付き合ってくださってありがとうございます。あなたは、いい人なのですね」

「人っていうか魔族だけどね。まあ、悪人ではないつもりよ。あ、でもいたいけなセーラちゃんに手を出したって時点でヤバいかも」

「ふふふ、お互いに同意の上なら今回は目を瞑りましょう」

「ありがと。んで――どうするつもりなの?」


 ネイガスは目を細め、真剣な表情でマリアに問うた。

 すると彼女は声のトーンを落として答える。


「どうにもならないでしょう」

「そう、そうよね」

「ええ、こんな体ですから」


 二人だけで会話は進んでいく。


「ねーさま?」


 まったく理解のできないセーラは、不安げにマリアの顔を見上げた。

 すると彼女の手が伸び、ローブの首根っこを掴んで小さな体を持ち上げる。


「ど、どうしたんすかねーさまっ!?」


 戸惑うセーラ。

 だがマリアは返答せずに、その体をネイガスに向かって放り投げた。

 彼女は両手で恋人をキャッチし、抱きかかえる。


「時間稼ぎは十分にやったわ、逃げましょう」

「で、でもねーさまがっ!」

「……ごめんなさい、セーラ。どのみち手遅れだったんです」


 マリアは新たな光の剣を作り出し、再び地面に突き立てる。

 揺れる地面。

 持ち上がる、巨大な岩の塊――すなわち裁きの鉄槌ジャッジメントバニッシャー


「どうして……!」

「わたくしの体はオリジン様に支配されている。わたくしの意志がそこから離れていけば、当然軌道修正・・・・が成されます」

「ねー、さま……」


 セーラの表情に絶望が満ちる。

 そんな彼女に向けて、マリアは精一杯の笑顔を作ったつもり――だった。

 傍から見れば肉の渦が動いただけだが、きっと伝わったに違いない。


「逃げるわよ、セーラちゃんっ!」


 ネイガスが風を纏って魔王城から飛び出す。

 セーラは飛ばされないよう、必死に彼女にしがみついた。

 マリアの体もすぐさま二人を追って駆け出す。

 そして両手でしっかりと握りしめた巨槌を、容赦なく振り下ろした。

 ゴオォォォッ――その動きによって空気がかき混ぜられ、まるで引きずり込まれるように風が吹き荒れる。

 魔法によって作られた風のヴェールで、ネイガスとセーラは身を守りながら、その範囲内から脱出しようと前進を続けた。

 だが――その攻撃は、二人はおろか、地面に衝突することすらなかった。


「ゲイルショット・スパイラル」


 は静かにそう告げ、矢を射る。

 風と“螺旋”の力を得た一射が、猛烈な竜巻を伴って、裁きの鉄槌ジャッジメントバニッシャーに放たれた。

 そして見事に中央を撃ち抜き、貫通。

 巨大なハンマー全体にヒビが入り、バラバラに砕け散る。

 セーラとネイガスが“エンゲージ”でようやく相殺できた物体を、ただの一撃で。

 貫通と粉砕という差はあるものの、その力は明らかに、まともな人間・・・・・・の放ったものではなかった。


「あれは、まさか……そんな、生きてたっすか!?」

「なるほど、そういうことだったのね」


 驚くセーラとは対称的に、ネイガスは冷静だった。

 そして自らの役目が終わったことを悟ったのか、その場を彼に任せて次の戦場へと向かっていく。


「……そんな、どうして」


 そして残されたマリアは、セーラ以上に驚愕していた。

 魔王城にあるひときわ大きな塔の上に、彼は立っている。

 弓を構え、緑の髪を風に揺らしながら。

 それが誰なのかなど、誰だって一瞬でわかる。


「ライナス、さん……」


 ライナス・レディアンツ。

 死んだはずの彼が、マリアの前に現れたのだ。

 灰色の空をバックに、得意げな笑みを浮かべ、しかし――体の大部分を、肉の渦に侵食されながら。


「ど、どうして、わたくしが殺したはずなのに、あなたがそんな姿で生きているのですかっ!?」


 声を震わせながら、彼に問いかける。

 信じられない。

 死んだはずのライナスが生きていたこともそうだし、その肉体がオリジンに侵されていることもそうだ。

 コアを使って生存したことはわかる。

 だがその副作用は激しく、顔は半分ほどが渦に飲み込まれていたし、体に至っては、まともに人間らしい形をしているのは左腕ぐらいのものだ。

 他の部分は、いつぞやのコアを二つ使用したチルドレンのように、赤い糸を束ねてねじったような異形と化している。

 普通、ここまで肉体が変質してしまえば、意識もオリジンに支配されるはずだ。

 だが彼はそこに立っている。

 他の誰でもない、英雄ライナス・レディアンツとして。


「どうシてって、愚問だなマリアちゃん。ンなもん決まってんだろ?」


 ライナスは笑う。

 少し喋りにくそうに、だが以前と変わらぬ調子で、言葉を発しながら。


 彼は真っ直ぐに生きてきた。

 英雄として生き、役目を果たし、そしてマリアを追いかけ続け。

 その人生に、死という罰を与えられるほどの罪は無い。

 しかし、彼に悔いはなかった。

 いかなる理不尽が襲いかかり、希望に溢れた未来が閉ざされたとしても、嘆かない。

 ただ変わらぬ想いを胸に懐き、それを貫き通すだけだ。


 ライナスはその場から飛び、マリアの前に降り立つと、手を差し伸べこう告げる。


「君ヲ、迎えニ来たんだ」


 どこへ、とは聞かない。

 もはや行き先など一つしかないのだから。


 ライナスの言葉は、彼の射る矢のようにマリアの心を穿った。

 動揺と恋に胸が締め付けらる。

 そして、オリジンに支配された彼女の肉体は、僅かな自我を取り戻すのだった。





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