検死3 救えなかった男
振り上げられる巨大な腕。
夜空を分断するように天高くそそり立つそれに向けて、ライナスは弓を引く。
あれが様々な生物を接続、あるいは同化して作られた腕だとするなら、その数は無限ではないはず。
どうせ本体を狙ったところで傷口がねじれ、まともにダメージは与えられないのだ。
そしてフラムがいない今、コアの破壊も困難。
ならばまずは堅実に、腕の弱体化を狙う。
「女が逃げたぞ、残念だったなヒューグ。二人いたら、壊れるまで一時間ぐらいは楽しめそうだったのに」
貞操帯から解き放たれたヒューグは、もはや欲望を隠しもしない。
フラムたちがいなくなったその苛立ちをぶつけるように、彼はライナスに向けて腕を叩きつける。
ズオオオォオオンッ!
大地を揺らし、地面をえぐり、地形を破壊する強烈な一撃。
これがただ腕を振り回しただけで実現するというのだから、恐ろしい威力である。
飛び上がって回避したライナスは、さらに風を身にまとい空中でもう一度ジャンプし、首を狙って飛来する魔力の刃をかわした。
「相変わらずわけわかんねえ攻撃だなッ!」
だが
そもそも魔法は、生まれながらに持つ属性のものしか扱うことが出来ない。
さらに、自分の属性であっても、十分な魔力量と、体内の魔力を精密にコントロールし、そして己の望む形に変える集中力と想像力が必要である。
余談ではあるが、発動時に魔法の名前を宣言するのは、その想像を手助けするための手法の一つだ。
だが、
魔力というエネルギーを、己の心や内面に応じた形に変え、武器を介して外に放出する。
もっとも、魔法より習得が面倒な上に、魔法ほど自由自在に魔力を操ることが出来ないという欠点から、教会騎士団の人間ぐらいしか使っていない。
結果、臆病さと勇敢さを兼ね備えたバートは障壁という形で力を顕現させ、『正義を執行するために悪を殺せばいい』とシンプルに考えるヒューグは、敵の首を執拗に狙う刃という形になったらしいが――
やはり何度考えても、なぜヒューグがそのような結論に至ったのかが、全く理解できない。
どうやら騎士団に入る前は繰り返し女性を襲っていたこと、そしてその後は貞操帯を身に着け、そのおかげで才能が開花したことが関連しているようだ。
しかしまあ、ライナスにとってはどうでもいいことだし、思考のリソースを割くだけ無駄なのだが。
首を狙った斬撃を回避したライナスは、空中を舞いながら矢を放つ。
腕に命中すると、矢じりが風魔法によって炸裂し、その表面を削った。
だがすぐに内側から新たなパーツが湧き出てきて、傷を埋める。
その程度は予想の範疇だ、落ち着いて、次の一撃が来る前に、同じ場所を狙って射抜く。
「目障りだな、あいつ。ああそうだな、ヒューグ。でも――」
ヒューグは地表を削り取るように全てを薙ぎ払う。
迫りくる腐臭を放つ壁を前に、ライナスは高く飛び上がった。
「――男もたまには悪くないぞ、ヒューグ」
「勘弁してくれよっ!」
頬を引きつらせながら、三本の矢を束ねて放つ。
冗談には聞こえない、欲望が満たせれば誰でもアリなのか。
「そう思うと欲しいな、お前でもいい、誰でもいい、注げるのなら肉ならば」
するとヒューグの腕が急速に、普通の人間の腕と同じサイズにまで縮んだ。
そしてその先端が、まるで剣のように尖った形状に変形する。
今までが機動性を犠牲にして威力に特化した形態だとしたら、これは――
「男だろうが女だろうが、内臓への挿入は等しく暖かくて気持ちいいらしいな、ヒューグ」
高速移動形態とでも呼ぶべきだろうか。
身軽になった体で、ライナスに接近するヒューグ。
その速度は、普通の人間だった頃の彼を遥かに上回っている。
スピードに自信のあるライナスですら焦ってしまうほどだ。
「速さでの戦いなら乗りたいところだが……今はんなことしてる場合じゃねえんだよ」
彼のプライドはナイフでの戦いを望んだが、あんな化物と正面から撃ち合うなど正気ではない。
心を切り捨て、時間稼ぎという役目に専念する。
まずは後退しながら矢で足元を狙い、牽制。
普通の矢と、炸裂、分裂を織り交ぜつつ、多彩な攻撃でとにかく近づかせない。
ヒューグは幾度となく腕で空を切り、
彼の強みは、通常の斬撃と首を狙った斬撃の同時攻撃だ。
それは化物になった今でも変わらない。
ゆえに
もっとも、動きを阻害するばかりで、ライナスの攻撃も彼にまともなダメージを与えられていないし、彼自身もその欠点を把握しているはずなのだが。
「そろそろ来るか……?」
つまり、何かしら現状を打破するための方法を、持っているということ。
そして敵の外見と、オリジンコアを使っているということから推察するに、おそらくヒューグはあの腕から何かを出してくる。
まるで答え合わせをするように、彼はライナスを追いかけながら腕を前にかざした。
するとその一部が、ずるりと地面にこぼれ落ちる。
それは様々な生物のパーツを組み合わせた、キマイラよりもさらにでたらめな生命体。
前足は猿で、後ろ足は鳥。
他の体も顔も何もかもが、モザイクアートのようにつぎはぎで作られている。
そいつは器用に四本の足を使い、ライナスに接近した。
ライナスは二本の矢をつがえ、一方でヒューグを、もう一方で産み落とされた怪物を狙う。
無論、一人を狙ったときより威力も精度も落ちる。
ヒューグは足元で爆ぜたそれを軽々と避けた。
しかし怪物の方は、あっさりと粉々に砕け散る。
耐久性は大したことないようだ。
「数で攻めてくるタイプか……」
再び答え合わせ。
ヒューグはまた腕を前にかざし、今度は十体ほどの怪物を産み落とした。
速度もヒューグ本人より緩慢だが、このまま物量で押されれば、いずれ追い詰められる。
ライナスが進んでいるのは、フラムが逃げたのとは別の方向だ。
ヒューグは目の前に存在する敵に集中しているようで、あちらを追跡する様子はない。
フラムが安全域まで離れるのに必要な時間は、あと二、三分と言ったところか。
他のコアを取り込んだ人間の実力からしても、今のヒューグが全力を出し切っているとは考えにくかった。
下手に藪蛇をつついて本気を出されるより、その前に逃げ切ってしまいたい――そう考えたライナスは、弓を降ろして彼に背中を向けた。
そして全速力で、先にある木々の生い茂る山に向かって駆ける。
「私は自慰が嫌いだ、寂しいから。母は私を愛してはくれなかった、認知もされずに金にならないと嘆くばかりだったのさ。だから逃したくないんだよ。そこに穴があるから。だろう、ヒューグ」
ヒューグも一段階ギアを上げ、腕を振り彼を追いかける。
山に突入すると、ライナスは木々の間を抜け、時にその幹を蹴って加速しながら前進した。
一方でヒューグは、立ちはだかる樹木を強引に腕で薙ぎ払い追いかけてくる。
無論、腕を振るうたびにタイムラグが生じてしまう。
その差が、二人の距離を徐々に離していった。
確かにコアを取り込んだことで、ヒューグの身体能力は向上しただろう。
しかし、どんなに肉体が強化されたところで、彼には高速戦闘の経験や
その差は、コアをもってしても埋められないものだ。
子供の頃から、冒険者として王国の各地を渡り歩いてきたライナスは、あらゆる地形に対応した動き方を身に着けていた。
たとえ一度も踏み入れたことのない森だったとしても、方法さえ心得ていれば、立ちはだかる木が進行の障害になることはない。
むしろ相手の視界を妨げる遮蔽物として、有効活用できる。
「力があるからって、油断しすぎたな」
得意の地形に誘い込んだライナスは、背後から接近するヒューグとは別の方向に矢を放った。
するとそれはぐにゃりと曲がり、迂回して敵を射抜く。
ヒューグは直前で反応し叩き落としたが、誘導弾は一射だけではない。
「煩わしい、どうして私に抗うのかがわからない。気持ちよくなりたいのは万物共通の願いだろう? なあ、ヒューグ」
見えない場所から飛来する矢に、彼は苛立っていた。
大したダメージはない、腕で振り払えばいいだけだ。
しかし、耳元を飛び回る羽虫にストレスを感じない人間はいない。
一刻も早く叩き潰して、そして溜まりに溜まった欲望を、その開いた傷口にぶちまけてしまいたい。
彼は天高く腕を伸ばし、それをライナスがいると思われる方向に叩きつける。
山が真っ二つに割れるかと思うほどの、重い一撃。
さらにそのまま薙ぎ払い、目の前に立つ樹木を根こそぎ排除した。
「よく見える、私の犯したかった肉もあそこにいるよ、ヒューグ」
高く跳躍したライナスは、まだ辛うじて無事な木の上に立ち、ヒューグを見下ろす。
「これで視界が晴れたって喜んでんのか? 滅茶苦茶やりすぎなんだよ、お前」
そして呆れ顔でそう言い、複数の矢を天に放った。
矢はある程度の高度まで上昇すると、くるりと方向を転換し下降を始める。
さらに途中で弾け、複数の破片が雨となって降り注いだ。
それらは地面に当たっただけでは止まらず、地中深くに埋まっていく。
ズドドドドォッ!
くぐもった爆発音が響いた。
土に沈んだ破片が全て爆ぜたのだ。
そして、ヒューグが木々を薙ぎ払ったことで緩んでいた地盤が、崩壊を始める。
体の奥底に響くような地鳴りと、足元の揺れに、彼の動きが止まった。
そして斜面は崩壊し、大量の土砂がちっぽけな人間を押しつぶしていく。
急いで腕でガードするヒューグだったが、自然の脅威には敵わない。
「山を舐めるな、って騎士団の訓練で言われたはずだ。少なくとも俺は、先輩から耳が腐るほど言われてきたぞ」
ライナスは巻き込まれぬよう、さらに山の上へ移動していた。
すっかり土砂に飲み込まれ、ヒューグがしばらく身動きが取れなくなったことを確認すると、そそくさと撤退を始める。
さすがにここから追いつかれることは無いだろう。
もっとも、まだ死んだわけじゃない。
いずれ安全な地域にも進出して、町を潰し虐殺して回るはずだ。
その前に、どうにかしてトドメを刺す方法を考えなければ。
「ま、今は逃げるけどな。フラムちゃんたちがキマイラに襲われたりしてなけりゃいいけど――」
◇◇◇
フラムを追って山を降りたライナス。
おそらくこちらに逃げたはずだ、と当たりはつけていたが、なかなか見つからない。
「こんなことなら、待ち合わせ場所ぐらい決めとくんだったな」
ライナスは頭をかきながらぼやいた。
彼も、突然のヒューグの登場に焦っていたのだ。
とはいえ、この暗闇の中、長時間の単独行動は避けたいところ。
茂みを抜けて、町と町とを繋ぐ街道に出た彼は、足を止める。
北と南へ続く比較的広い道は、魔力街灯で淡く照らされていた。
そこで周囲を見回したライナスは――女性が一人、佇んでいるのを発見する。
白いローブに、金色の髪の女。
たとえ後ろ姿であっても、ライナスが彼女を見間違えるはずがなかった。
「マリアちゃんっ!」
それは紛れもなく、ライナスの探していた本人である。
マリアは彼の声を聞くと、ゆっくりと振り返る。
ライナスは彼女に駆け寄り、手を握ると、無表情な仮面を見て無事を喜んだ。
「よかった、もう会えないかと思ったよ。怪我は無いか?」
マリアからの返事はない。
彼女はじっと、無言でライナスを見つめている。
その雰囲気で、ライナスは彼女が自分との再会を歓迎していないことを察した。
元々マリアは、オリジン側の人間だ。
怪我などするはずがないのだ。
だというのに心配そうに声を掛けるライナスの行動は、ひょっとすると白々しく写ったかもしれない。
「まだわたくしの心配をしてくれるのですか」
マリアは悲しげに言う。
数えきれないほどの罪を犯してきた自分を、なぜライナスは見捨ててくれないのか。
そんな笑顔を、自分に向けてくれるのか。
「心配されたくないんなら、俺と一緒に来てくれよ」
「わかっているんですよね」
「何のことだ?」
「わたくしがここにいる理由です」
ライナスは「はぁ」と肺に溜まった重苦しい空気を吐き出す。
今までも目を背けてきたわけじゃない。
微かに残っていた、“最良の可能性”を信じてきただけだ。
だがいい加減に、“最悪の可能性”とも向き合わなければならないようだ。
「ヒューグの様子を見に来た、か?」
これが偶然の出会いであるものか。
その必要があったから、マリアはここにいたのだ。
「その通りです。コアを埋め込んだ彼が、ちゃんとフラムさんを追ってくれているのか、確認する必要がありましたので」
「困ったもんだな。あいつ化物になってもまだ好き勝手に暴れてやがったぞ」
「そのようですね」
「フラムちゃんは逃げた、ここにはいない」
「はい。せっかく見つけたのですが、また探さなければなりません」
「つまり暇ってわけだ」
「……やることはまだ残っています」
「そう言わずに、少しぐらい話に付き合ってくれよ」
ヒューグにコアを与えたのが自分だと知りながらも、食い下がるライナス。
マリアは何も言えなかった。
「俺、ずっと思ってたんだ。確かにマリアちゃんはコアを使ってる、そのせいで顔がそうなっちまった。でもさ、チルドレンって連中とは違って、コアを埋め込んだだけの人間ってのは、普通の心臓は残ってるんだよな?」
チルドレンは、幼少期にコアと心臓を入れ替えられた子どもたちだった。
つまり、後天的にコアを埋め込んだだけのエキドナやヒューグとは違う。
普通の人間の要素を残しながら、オリジンの力を扱うものたちなのだ。
「だったら、コアを取り除けば、普通の人間に戻れるんじゃないか?」
「戻ったところで、どうするんです」
「可能性の否定はしないんだな」
「……確かに、コアを取り込んだだけの人間なら、取り除けば元には戻るでしょう。ただし、反動で体がボロボロになるとは思いますが」
それも、近くに回復魔法を使える人間さえいれば克服できる。
マリアの場合、自身がそれを使えるため、やろうと思えば一人でも体内からコアを排除できるはずであった。
「じゃあそうしよう、それで俺と一緒に遠くに逃げるんだ」
手を差し伸べるライナス。
もちろんマリアは、その手を取ったりはしない。
「体が戻っても、罪は消えません」
「罪なんざ全部背負ってる人間の方が少ないぐらいだ」
「わたくしは人殺しですよ?」
「冒険者なら誰だって、人間の一人や二人ぐらい殺したことはある」
全員と言い切ると語弊があるが、それでもほとんど全ての冒険者が、人間とやりあったことがある。
時に犯罪者を相手にしたり、同じモンスターを狙う冒険者同士で戦闘になったり――ライナスのようなSランク冒険者だと、嫉妬で命を狙われることもあった。
「……わたくしはつまらない人間です、途中で飽きるかもしれません」
「それはねえな。どんな場所でも、いつまででも、俺がマリアちゃんと一緒にいて飽きることなんてありえない。いつまでも添い遂げてみせるよ」
ライナスは言ってから、ちょっとクサすぎるかなと羞恥した。
だが、良くも悪くも、その言葉はマリアの心に響いたらしい。
「きっと、ライナスさんについていけば、わたくしは幸せになれるんでしょうね」
「ああ、それは保障する」
彼は有言実行する男だ。
特にマリアに関することで、嘘はつかない。
「だからこそ、わたくしはあなたの手を取れないのです」
「マリアちゃん……だから俺、そういうのは気にしないって」
「違うんです」
マリアは喉元に人差し指を当てると、ぞぶりと体内に沈めた。
「お、おいっ!?」
驚くライナスをよそに、彼女はまるでファスナーを降ろすように、指を下に降ろしていく。
当然ローブの前は開き、素肌が晒されることとなる。
普通ならば扇情的に見える姿だが、はだけた肌の中央に真っ直ぐ赤い一本線が入っているせいで、異様さの方が勝ってしまっていた。
そして、へその下で指を止めると、マリアは両手の指を胸の裂け目に入れ、ジャケットでも脱ぐように、ぐちゅりと体内を見せつけた。
「ん……ふ」
マリアは快楽でも感じているかのように、頬を赤らめ、色っぽい声を漏らす。
「どうですか、ライナスさん」
そして扇情的に微笑んだ。
「……マリアちゃん、それは」
ライナスの目に写る、捻れた体内。
心臓らしき臓器が脈動していることは辛うじてわかるが、他の臓器はどれがどれなのか区別がつかない。
配置も形もてんでバラバラで、そもそも本来は胸にあるはずの心臓だって、横腹に移動しているのだ。
たとえコアを取り除いたとしても、彼女のその体が人間に戻ることはないだろう。
むしろオリジンの力を失い、命を維持できなくなるかもしれない。
「わたくしはもう、コアを取り込んだだけの人間ではないのです。とっくに、人でなしの化物になっているんですよ」
それは、ライナスの心をへし折るのには、十分すぎるインパクトがあった。
絶句する彼を見て、マリアは寂しそうに微笑む。
だが、『それでも諦めたくない』と言われるよりは、気が楽だった。
「さて、わたくしとしては、オリジン様の邪魔をするあなたを逃がすわけにはいきません」
「待ってくれ、俺はまだ……っ!」
もう声は届かない。
マリアの諦めもついた。
あとは、残り少ない未練もろとも、全てを消してしまうだけだ。
「ここで、死んでもらいます」
故郷を滅ぼされ、両親を殺された。
その加害者である魔族を憎み、救ってくれた人類を愛した。
しかし人類こそが、真の加害者であった。
その事実を知った瞬間に、人間としてのマリア・アフェンジェンスはもう終わっている。
費やした時間も、与えてきた慈愛や善意も、全てを踏みにじられた。
恋心まで失えば、残るのはただただ純粋な、この世界に対する憎悪だけ。
「フォトンフューリー」
彼女の背後に浮かび上がった無数の光の珠が、夜を照らす。
そのうちの一つが街灯に接触すると、パチンと弾け周囲に存在するものを
人体でも、触れればその部位がえぐられたように消し飛ぶだろう。
それは人の身では及ばぬ領域。
人を捨て、完全なるオリジンの使徒と化した彼女の――
--------------------
マリoア・アフェ、、、゛ス
朱ェ騾:光オ
筋±?:18267
炊サ・:48141
fD好キ:19220
敏捷:9802
壊れた:41628
--------------------
――紛れもない、本気の魔法である。
「マリアちゃん、もうどうにもならないのかよ!」
ライナスはマリアから距離を取りつつも、諦めずに呼びかける。
しかし、彼女は即座に否定した。
「はい、どうにもなりません」
その諦観は、言葉程度では覆せない領域に達している。
それでもライナスはさらに声をかけようとしたが、迫る魔法を回避するので精一杯で、そんな余裕はなかった。
数百個にも及ぶ拳大の光の粒は、ゆっくりと彼の方に近づいたかと思うと――突如、急加速する。
「くっそおおぉおおおおッ!」
ライナスは弓を構え、矢筒の残弾をありったけつかみ、一気に放つ。
残弾など気にしている場合ではない。
まずは今、生き残ることを考えなければ。
放たれた矢は砕け、マリアの放った光とほぼ同数の、風の魔力を宿した破片に分かれる。
確かに彼女の魔法の威力は相当なものだ。
だが、それは対象がなんであれ、触れたら弾け
つまり、何かが当たりさえすれば無力化できる。
破片と衝突した魔力の塊は、白い輝きを放っては消えていく。
その隙に、さらにマリアとの距離を取るライナス。
しかし彼女は取り乱さず、冷静に再び手をかざす。
「フォトンフューリー・イリーガルフォーミュラ」
先ほどよりもさらに多くの光の粒が作られ、ライナスの追尾を開始した。
もう矢は残っていない。
かといって、走って逃げ切るのは難しそうである。
あとは、自力で避けきらなければならない。
目を見開き、近づく弾幕の全ての大きさと距離、速度を見極める。
そして、最短で全弾を回避できるルートを構築。
完全回避は不可能と判断、だが一、二発を打ち消せば突破は可能。
プランを決定、実行する――
心臓を狙った初撃を横に回避。
次は体を捻り、そこで飛びあがって後方宙返り、着地したらすぐに慣性を利用してバク転、そのまま後退。
三度回転したら、腰を低く落として今度は前進。
右足で跳躍、前に飛び込み、片手が地面に付いたら体のバネで跳ね上がる。
空中に浮かんだ体を風の魔法でさらに高く押し上げ――ここで最初の回避不能地点が訪れる。
ライナスはナイフを一本引き抜き、それを投げつけ相殺して光を消した。
かなり上等な短剣だったのだが、命より高いものはない。
着地してからもギリギリの攻防が続く。
当たれば即死という極限状態に、わずか一秒にも満たない間が永遠のように感じられた。
と言っても、いくつかの粒は体を掠めている。
そのせいで服はボロボロで、生じた切り傷から少なくはない血が流れ出していた。
鋭い痛みに顔をしかめながらも、集中は途切れさせない。
そして、気合と奇跡と執念が――彼にその窮地の脱出を成功させた。
「ふうぅ……」
どうにか生き残り、息を吐き出すライナス。
「往生際が悪いですよ、ライナスさん」
「諦めるつもりはねえ!」
強く言い放った。
先程は戸惑い、怖気づいてしまったが、内臓が捻れているからなんだと言うのだ。
マリアを愛すのに、そんなものはあまりに些細な問題である。
「どうせ無駄だというのに……あなたも、そう思いますよね?」
マリアはライナスの背後にいる
殺気を感じ振り向いた彼に、紅刃の大剣が襲いかかる。
「何っ!?」
ヒューグ以外の味方がいたことはもちろん、その人物の正体自体もライナスにとっては予想外だった。
残る一本の短剣を抜き受け止めるも、太刀打ちできない。
意識が吹き飛ぶほどの衝撃が彼の全身に叩きつけられる。
「がぁっ……!」
ライナスの体はいとも簡単に吹き飛ばされ、そのまま石畳の上に転がった。
仰向けに倒れる彼に、マリアはゆっくりと近づいていく。
「づ、う……それは……ダメだろ。マリアちゃん……っぐ……それだけは、やっちゃいけねえよ……!」
無表情に見下ろす仮面に向けて、ライナスは憤った。
それは彼がマリアに対して抱く、初めての怒りである。
それほどまでに、彼女の連れてきたその
「頼む……これ以上、人間の……尊厳を、踏みにじらないでくれ……!」
「関係ないですね。言ったではないですか、わたくしはもう、人でなしなのだと」
マリアの中の真っ当な感覚は、それを『間違いだ』と諌める。
だから正しかった。
清廉潔白な聖女として生きてきた価値観、その真逆こそが、今の彼女がやるべきことなのだ。
そうやって自分を追い詰めて、後戻り出来ない場所までやってきた。
そしてまた、今日も――
「ジャッジメント」
彼女は、過ちを犯す。
「ぐ……ぁ……」
倒れたライナスの体を貫く、光の剣。
地面に磔にされ、主要臓器を破壊され、口からは「ごぼっ」と唾液と混ざりあった血液が大量に溢れ出る。
彼は虚ろな瞳でマリアを見ながら、手を伸ばした。
だが、その手が彼女に触れることはない。
「さようなら、ライナスさん」
マリアはそう言い放ち、さらに心の中でこう続ける。
『わたくし、あなたのことが大好きでした』
だから殺した。
自らの手で、迷いを完全に断ち切るために。
そして背中を向け、彼と共にその場を離れていく。
遠ざかっていく足音を聞きながら、ライナスの心は無力感に満たされていった。
「マリア、ちゃ……おれ、は……」
彼は薄れゆく意識の中で、うわ言のように繰り返す。
◇◇◇
とても悲しいお知らせがあります。
人が死にました。
名前は、ライナス・レディアンツ。
死因は、信じていたのに滑稽にも殺されたことです。
享年二十四歳。
らしいですね、どこまでもつまらない人生でした。
虚しいですね。
喜劇は笑いましょう。
『あはははははははっ』
『はははははっ』
『ひひひっ、ふふふふふっ』
『うっひゃひゃひゃひゃひゃひゃ』
楽しい死に方でした。
ご冥福をお祈りしま――
◇◇◇
マリアの足音が聞こえなくなってから、どれぐらい経っただろうか。
ライナス・レディアンツは、類まれなる生命力の持ち主であった。
そう、彼女が立ち去ってもなお、その命の灯火は、辛うじて消えていなかったのである。
「……あ、ぁ。そ……か」
生きている限り、彼は諦めない。
自身でも呆れるほどひたむきにマリアのことを想う。
なぜそこまで彼女に惚れたのか、彼は自分でもわからなかった。
元々、ライナスは女癖が悪い方だ。
それに惚れっぽい。
最初は一目惚れで、『いつものあれだな』程度にしか思っておらず、旅の間だけでも楽しめればいいと考えていた。
それが今では、他の女なんて考えられないほど、夢中になっている。
「はっ……ぐぶっ……おま、え……っぱ、天才……だわ……」
口から泡立った赤い体液を吐き出しつつ、独り言をつぶやく。
思い出すのは、マリアの姿……ではなく、何かとお騒がせな、ムカつく野郎の面だ。
「……ってたんだな……こう、なる、こと……も」
体は死んでも、意志は死なず。
最後の力を振り絞って、上着の懐に手を潜り込ませる。
指先が、冷たく固い水晶に触れる。
「だか、ら……俺に、これ……を……」
彼の口元は笑っていた。
預言者めいた、友……と呼ぶべきなのかもわからない、とある男の言葉を思い出して――
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