幕間終 楽園喪失

 





 王都を出て二日、シートゥムたちはようやくセレイドへと戻ってきた。

 その日の風は珍しく弱く、雪もさほど降っていない。

 そのせいだろうか、数日ぶりに歩く故郷は、夜ということもあってか、やけに静かに感じられた。


「おかえりなさいませ、魔王様」


 迎えるディーザが、深々と頭を下げる。

 彼の姿を見たシートゥムは、少し驚いた表情を見せる。


「ディーザ、わざわざ外で迎えなくてもいいのに」

「そうはいきませんなあ。待ちに待った、魔王様のご帰還ですので」

「ふふ、大げさですね」


 何も知らない彼女は、口に手を当てクスクスと笑う。

 釣られて、ツァイオンとネイガスも笑った。

 だがセーラだけは、少し距離を置いている。

 ネイガス一人ならともかく、幼馴染三人の関係に踏み込めるほどの図々しさを、彼女は持ち合わせていない。

 するとディーザは、そんなセーラの方を見て不思議そうな顔をした。


「人間は王都に帰すと聞いておりましたが、なぜ彼女がいるのですか?」


 当然の疑問である。

 捕虜も含め、勇者たちは王都に戻すと事前に話していたのだから。


「ごめんなさい。わがままを言って私が連れてきたのよ」

「またどうしてそのようなことを」

「まあ……ちょっとね」


 ネイガスは気まずそうに言葉を濁す。

 さすがに『寂しかった』とか、『不安だった』などと正直に言えるはずもなかった。

 ディーザは一瞬だけ、妙に冷めた目をセーラに向ける。

 次の瞬間にはいつも通り、執事らしい上品な表情に戻ったが、彼らしからぬその目つきは、強くセーラの印象に残っていた。




 ◇◇◇




「結局、何もないみたいっすね。やっぱりネイガスの考えすぎだったんすよ」


 ネイガスの部屋に入るなり、セーラはベッドに飛び乗るように腰掛けた。

 まるで自分の部屋のようなくつろぎっぷりである。

 今頃、シートゥムは王都での交渉結果をディーザに伝えているはずだ。

 ツァイオンは、それに付き添っているか、あるいは彼女と二人きりになるために部屋で待ってるかのどちらかだろう。


「そうね……それなら、それでいいのよ」


 まだ不安は消えないのか、影の残る表情を浮かべ、ネイガスはセーラの隣に座る。

 今も納得のいっていない様子の彼女に、セーラは大きくため息をついた。


「調子狂うっすねぇ。もっと馬鹿みたいにうざくて、馬鹿みたいに変態じゃないとネイガスらしくないっす」

「そ、それは言い過ぎじゃない?」

「言い過ぎじゃないっす。そう思ってる時点で、本調子じゃない証拠っす」


 “うざくて変態”というレッテルだけは撤回してもらいたいところだが、気持ちが沈んでいるのは事実だ。

 こうして魔王城に戻ってきても、なぜか不安は消えない。

 いや、むしろ強くなっているような気すらする。


「ま、おらがいるだけで気が楽になるって言うんなら、喜んで時間ぐらいは差し出すっすけどね」

「ありがとう、本当に助かるわ」

「だからそのおとなしい感じがしっくりこないって言ってるんすけど……」


 お礼のついでに抱きついてくるぐらいの勢いがあった方が、ネイガスらしい。

 だが、これ以上言っても仕方がない、あとはネイガスの気持ち次第だ。

 落ち着いた途端、長旅での疲れを感じたセーラは、隣に座る彼女の体に寄り掛かる。

 すると肩に手が回され、ネイガスの方に抱き寄せられた。

 なんだか恋人同士のようなスキンシップに、セーラの頬が赤く染まる。


 実際のところ、どうなのだろうか。

 フラムたちとの会話でうっかり『好き』と口走ってしまい、それをネイガスに聞かれてからと言うものの、彼女との距離はかなり縮まっている。

 元々ネイガスは、セーラへの好意を隠そうとはしなかったし、唇を奪われたことから考えてもそういう意味・・・・・・での好意であることは明らかだ。

 でも、正直、怖い。

 セーラはまだ十一歳である。

 対するネイガスは七十歳オーバー。

 もはや年の差なんて問題ではない、犯罪云々すら超越している。

 だからこそネイガスは『悩んでも無駄』と割り切っているのだろう。

 しかし、セーラの方はそうはいかない。

 相手が大人ということは、お付きあいを始めたらあれやこれやされてしまうということでもある。

 先輩修道女のせいで耳年増になってしまったセーラは、恋人同士になった二人が何をするのかぐらいは知っている。

 もちろん、キスより先のことだって。


「ぐぬぬぬ……」


 悩みすぎて、思わずうなる。


「そう警戒しなくても、何もしないから大丈夫よ」


 ネイガスは微妙に勘違いしているが、あながち間違いでもない。

 だが、『手を出さない』と明言されると、ちょっと悲しい。

 別に何かして欲しいわけでは断じてないのだが、何もされないとなると話は別なのだ。

 そして思い悩むセーラは、この言葉にならないもやもやを訴えかけるように、ネイガスの顔を見た。


「……これ、嫌だったかしら?」


 またもや勘違いされてしまった。

 しかし眉間に皺を寄せた彼女の表情は、ネイガスからしてみれば睨みつけているように見えたに違いない。


「ち、違うっす! それは、いいんすよ。そうじゃなくて……」


 慌てて弁明するセーラ。

 とはいえ、どう言ったものか。

 悩みの内容をそのままぶちまけると、『何かしていいの!?』と調子に乗ったネイガスに襲われそうだし。

 かと言って、このままぐぬぬってると彼女を不安がらせてしまいそうである。


「おらとネイガスって、そういう関係になったんすよね?」


 結果、セーラはほどほどストレートに尋ねた。


「なったつもりよ。あらら、セーラちゃんはそうじゃなかった?」

「いや、そのつもりだったっすけど。いかんせん初めてっすから、これでいいのかなっと思ったっす」


 改めて明言されると、心臓がバクバクと騒ぎ始める。

 大人の階段を登ってしまったっす――と思わず頬がにやけた。

 それで彼女は気づいた。

 思ったより、喜んでいる自分の気持ちに。

 まあ、なんだかんだ言って何ヶ月も一緒に旅をしてきた仲だ。

 そりゃあ幾度となく繰り返されるセクハラに悩むことはあったが、ネイガスがセーラを守ってくれたのもまた事実。

 惚れてしまうのも、仕方のないことなのかもしれない。

 相手が女というのも、修道女の世界ではさほど珍しいことではない。

 貞操を大事にしている先輩が、実は別の先輩と付き合ってましたー、なんてこともあったぐらいだ。


「じゃあ、ネイガス……」

「んー?」


 優しく聞き返すネイガス。

 セーラは立ち上がると彼女の首に腕を回し、唇を重ねた。

 いきなりの大胆な行動に、ネイガスは目を見開き驚く。


「これぐらいならいつでもいいっすから、早く元気になるっす」


 唇を離したセーラは、顔を赤くしてうつむきながらそう言った。

 一方でネイガスは、もう元気どころの問題ではない。

 肌の青さで誤魔化されて外見での変化はあまり見えないかもしれないが、顔から胸元まで真っ赤になっているし、心臓を始め体温も頭の中も大変なことになっていた。

 お返しに気の利いた言葉でも――と思っても、全く浮かんでこない。

 だが何もしないのは年上として情けないので、とりあえずセーラの体を抱き寄せた。

 そして耳元で、「ありがとう」とささやく。

 すると彼女は嬉しかったのか、「ん」と小さく返事をして頷いた。

 そのまま抱き合っていると――恥ずかしさに耐えきれなくなったセーラの方から、体を離す。


「暑く、なってきたっすね」


 そして涼むフリをして、窓辺に近づいていった。


「そうね、とても熱いわ」


 ネイガスはベッドに腰掛けたまま、そんな彼女の姿を微笑ましく見守る。

 同時に、セーラを連れてきてよかった、と心の底から思った。


「……ん?」


 外の景色を見ながら心を落ち着けていたセーラは、とあるものを目撃して首を傾げる。

 紫色の髪をした、眼鏡の男性が歩いていたのだ。

 セレイドに自分以外の人間がいる時点で奇妙なのだが、ローブを纏うその姿を彼女は知っていた。


「ジーン・インテージ……」


 それは英雄の一人であり、かつフラムをパーティから追放し奴隷商人に売ろうとした張本人だ。

 王都にいるはずの彼が、なぜここにいるのか。

 すると、ジーンはまるでセーラの視線に気づいたようにこちらを見上げる。

 そしてにやりと笑い――直後、まるで見せつけるように、彼の背後にある建物の影から、人狼型キマイラが姿を現した。


「え……ど、どうして……」

「セーラちゃん、どうしたの?」


 青ざめるセーラを見て、心配そうに駆け寄るネイガス。

 そして彼女も、同じ光景を目撃した。


「あれは、キマイラ……」

「ネイガス、早くシートゥムに知らせるっす!」

「……」

「ネイガスっ!?」


 彼女は黙って窓の外の景色を見つめている。

 やがて唇を噛んで天を仰いだかと思うと、おもむろにセーラの肩を掴んで言った。


「ここから逃げるわよ、セーラちゃん」

「へっ? いやでも、シートゥムに知らせないとっ!」


 セーラの返事も聞かずに、彼女を抱えるネイガス。

 そしてそのまま、窓から外へ飛び出した。


「ちょ、ちょっと、いきなりすぎるっすよ!」


 ジタバタと暴れるセーラだったが、本気のネイガスはびくともしない。

 よほど追い詰められているのか、かなりのスピードで空を飛び、セレイドを離れていく。


「わかってたのに……わかってたのに、私は……!」

「ネイガス……?」

「ディーザさんが裏切ったのよ! 装備に細工をして、王都にいたキリルを魔王城に連れてきて……オリジンの封印を、解いたんだわ!」


 オリジンの封印が解けた、しかもあのディーザの裏切りで。

 そんなセーラにとっては突拍子もない妄想としか言いようのない発想に、ツッコミが入らないわけがない。


「待つっす、いきなりどうしてそんなことになるんすか?」

「キマイラが動いてたのよ!?」

「それは、あのジーンってやつが動かしてるかもしれないじゃないっすか!」


 どうやってセレイドに忍び込んだかはさておき、フラムを追放した彼ならやりかねない。

 しかし、ネイガスは首を振って否定した。


「違うわ、制御装置は全て管理下に置かれているの。数も揃った上で、全て交渉の直後に処分されたって断言してたわ」

「独自に作ったとかじゃないっすか」

「仮にそうだったとして、だったらどうして彼がセレイドにいるのよ」

「それは……」

「私たちが王都にいた時、まだジーン・インテージは王都にいたはずよ。そこから私たちを追い越してセレイドに移動する方法なんて、一つしかないのよ」

「まさか、リターン……?」

「その通りよ」


 だとしても、なぜジーンがキマイラと一緒にいたのか、そしてセーラたちの前に姿を現したのか――と疑問は多い。

 だがネイガスにとって、細かい理由や動機などどうでもよかった。

 重要なのは真実だ。

 キリルは魔王城に滞在中、帰還地点をここに設定していた。

 しかもはっきりと、ディーザに許可・・・・・・・をもらった・・・・・と言っていたではないか。


「もしかして……以前から、疑ってたんすか?」


 返事は無かった。

 ネイガスは無言でセーラを抱え、空を飛び南下する。

 包む風が二人を寒さから守ってくれたが、ネイガスは絶えず寒気を覚えていた。


「それが、ネイガスの感じてた不安だったんすね」


 その疑念は、確証には至らない、細かなピースの集合体だ。

 いびつで、ところどころが抜けていて、完成にはほど遠い。

 しかし、封印を緩めることができる人間はごく一部だけである。

 また、セーラやマリアの故郷が魔族に襲われたという話。

 あれが事実だとするのなら、実行可能なのは、セレイドの魔族たちからも盲目的に慕われる彼ぐらいしかいない。

 今になって思えば、先代魔王が最期に残した『ディーザ、あなたが……』という言葉も、シートゥムを彼に託したのではなく、自らを病死に見せかけ毒殺した犯人に気づいたからだったのかもしれない。

 でなければ、魔王が病に伏せって死ぬことなどありえないのだから。


「でも、気づいてたならどうして言わなかったんすか?」

「信じられるわけないじゃない! 私たちが生まれる前からみんなに慕われてて、しかも子供の頃からずっと面倒を見てくれた人なのよ!?」


 悲痛な叫びに、セーラは言葉を失った、

 彼女だって、中央区の修道女たちに裏切られたとしても、信じようとはしないだろう。

 疑わしいが、疑いたくない相手。

 ひょっとすると、自分を信用させることすら、ディーザにとっては計画のうちだったのかもしれない。


「シートゥムも、ツァイオンだってそうよ! あの人のことは、無条件で信じてるわ」

「だからもう、助けに行っても遅いって……」


 明言はしないものの、ネイガスの言葉はそう言っているようにしか聞こえなかった。

 本当は彼女だって助けたいはずだ。

 それでも諦めたということは――もうすでに、セーラが口を挟む余地は無いということだろう。

 確かに、シートゥムは今、ディーザと二人きりだ。

 本当にディーザが裏切り者だとしたら、絶好の好機である。

 だが、幼馴染としては救いに行くべきではないか、セーラはそうも考えたが――即座に否定した。

 もしオリジンが復活して、セレイド付近に放置されていたキマイラが全て敵に回ったのだとしたら、それはただの命の無駄遣いではないか。


「南ってことは、王都に向かってるってことでいいんすかね」

「いや……たぶん王都も、もう」

「そんなっ!?」

「少し封印が緩んだだけでもあれだけの力を振るっていたのよ? 封印の規模から言って、すぐに全てが解除できるとは思えないわ。でも、今までよりも緩みが拡大すれば――」


 言うまでもなく、被害はさらに拡大する。

 お告げやコアに頼らずとも、自らの能力で、人の精神を侵すことができるようになるだろう。


「じゃあ、王都に戻ったみんなは……」


 無言で目を逸らすネイガス。

 無事だ、と言い切れるほど楽観できる状況ではない。


「だったらおらたちは、どこに逃げるんすか?」

「わからないわ。でも……セーラちゃんだけは、絶対に守ってみせるから」


 彼女は身の程を知っている。

 ネイガスほどの力があっても、守れるのはせいぜい一人ぐらいのものだろう。

 その相手として、セーラを選んだのだ。

 そのために、友人を切り捨てた。

 彼女は強い覚悟を抱き、とにかくオリジンから離れようと南へ下る。

 しかしその背後から、さらに早い速度で迫る影があった。




 ◇◇◇




 魔王城へ戻るなり、シートゥムは自室でディーザと二人きりになった。

 王都で行われた会談の内容を、彼に伝えるためだ。

 そして一通り話を終えると、彼女は微笑み尋ねる。


「ディーザ、今日は本当に機嫌がいいんですね」


 セレイドに帰還したシートゥムたちを迎えたときからそうだった。

 機嫌がいいと言うか、浮かれているというか――とにかく普段のディーザとは雰囲気が違ったのだ。


「困りましたな、気づかれていましたか。隠さねばならぬことなのですが、私としたことが」

「まさか、私を驚かせようとでもしてるんですか?」

「ええ、いわゆるサプライズ・・・・・というやつです。きっと驚いてもらえるでしょう」


 そう言ってディーザはシートゥムに近づくと、手を握った。


「なにをされてしまうんでしょうか、楽しみです」

「ええ、きっと楽しんでもらえますよ。お前たち、入ってこい」


 ディーザが指示すると、ドアが開き、五人の魔族が部屋に入ってくる。

 その顔ぶれには見覚えがあった。


「彼らは……ディーザの教え子たちですよね」

「はい、私の子供たちです」

「子供? ああ、子供のようにかわいがっているということですね」

「いいえ。正真正銘、血の繋がった子供です」


 シートゥムは首を傾げた。

 彼が何を言っているのか、まったく理解できない。

 だってここに立っているディーザの生徒たちには、みなちゃんとした両親が存在するはずだ。

 だというのに、それが彼の子供であるはずがない。


「彼らの母親も私の教え子ですから、私に従うように躾けるのはとても楽でした。結果、彼女たちは私の言いなりになり、私の子供を孕んだ」

「な、なにを……言ってるんですか」

「本当はあなたもそうするつもりだったのですが、予想外に邪魔が入ってしまいましてね」


 それはツァイオンのことだ。

 彼との恋さえなければ、ディーザはシートゥムも手篭めにするつもりだった。

 普通に従わせるより、恋愛感情を利用した方が人間は操りやすい、それを知っているのだ。


「血の繋がった子供ともなると、さらに心酔させるのは楽ですからなあ」

「本気で、言ってるんですか? 教え子に、手を出したなどと……いいえ、ディーザがそんなことするはずがありません、冗談ですよね?」


 信じられないのは当然だ。

 しかしディーザは、お構いなしに話を続ける。


「ふふ、彼らはよく働いてくれましたよ。人間とのパイプ役になり、時に体を開いて籠絡し、時に魔族の名誉を傷つけるために人間の村を襲い――」

「じゃあ、魔族がセーラの家族を殺したというのは……」

「人間側との利害が一致しましたので、私が指示を出してそうさせました」


 シートゥムは言葉を失った。

 ディーザが嘘を言っているとは思えない。

 少なくとも、表情は真実だと告げている。

 つまり――今、彼が語った言葉は、全て実際に起きたこと。


「従順で、自己犠牲的で、非常に私にとって都合のいい駒、それが彼らです」


 ディーザはパチンと指を鳴らす。

 すると彼の背後に並ぶ五人はコアを取り出し、一斉に体に埋め込んだ。


「まさかそれは……あなたたち、やめてくださいっ! それがどんなものか知っているんですか!?」

「知っているからこそ、喜んで取り入れるのです」


 コアから流れ出したオリジンの力が、体に満ちる。

 やがて彼らの顔が歪みだし、赤く蠢く肉の渦と化した。

 顔見知りが自らの意志で化物に変わるという悪夢を前に、シートゥムは唇を震わせる。


「どうです、驚いてもらえましたかな?」


 ディーザはいつもと変わらぬ様子でそう言った。

 そう、変わらないのだ。

 つまり彼にとって、今ここで起きている出来事は、全てが想定通りということ。

 一方でシートゥムは、まばたきすら忘れ、大きく開かれたつぶらな瞳で、異形と化した魔族たちを見つめている。


「こんなこと……一体なにがしたいんですか、ディーザ!」

「本来ならばキリル様を連れてくるつもりだったのですが、予定が変わったので伝わらなかったようですな」

「キリルさんを……? まさか!?」


 シートゥムの脳裏をよぎる、最悪の可能性。

 キリルを魔王城に連れてくるということは、つまり――


「ええ、そういうことです」


 彼はそれを、即座に肯定する。

 まるで子供がいたずらを白状するように、どこか楽しげに。


「せっかくですし、ここでネタバラシもさせていただきましょう」


 そしてさらに、全ての真実を告げた。


「先代の魔王様を殺したのも」


 ディーザが脳裏に思い浮かべるのは、これまで魔族として生きてきた長い長い日々の記憶。

 彼は禁じられた『人と魔族の混血児』として生まれ、捨てられ、偶然にも先々代の魔王に拾われた。

 当時まだ幼かった先代魔王には、弟のように可愛がられたものである。

 先々代の魔王は、衣食住のみでなく、知識や技術を彼に与えた。

 彼は優秀だった。

 与えられた全てを吸収し、そのたびに魔王城に住まう者たちは彼を褒め称えた。

 しかし、知恵を得ていくにつれて、一つの疑問が生まれた。


「封印を緩めたのも」


 ――なぜ、オリジンのような素晴らしい力を持った者が、封じられなければならないのか。

 力を持つ者が不当に虐げられている現実が、我慢ならない。

 普通の魔族ならばそこで堪えたのだろう。

 あれは解き放ってはならぬものだと、即座に理解しただろう。

 だが、ディーザは普通ではない、欲深き人間との混血だ。

 魔族の肉体と、人間の精神を兼ね備えた彼が、自らの欲求を抑え込めるはずもなかった。


「人間からの依頼でセーラ様やマリア様の故郷を滅ぼしたのも」


 そして彼は動き出した。

 全ては世界を正しき形にするために。

 文字通り、何だってやってきた。

 自分は正しいことをしているという確信が、ディーザの中からタブーという概念を消し去っていった。


「キリル様を操り、オリジンの封印を解除させ、王都を滅ぼしたのも――」


 ディーザの悪意を誰も見抜けなかったのは、彼は常識持ち合わせていたからだ。

 自分の面倒を見てくれた魔族たちを愛していないわけではない。

 それなりの感情は抱いていた。

 だが彼らは二番目だ、なぜなら世界で二番目に強いのが魔族だから。

 優先順位の問題で、オリジンが一番だったから、最終的にそう落ち着いただけ。

 だから、誰も気づけなかった。

 最も魔王に感謝すべき人物が、まさか魔王にとっての最大の害悪だったことに。


「そしてシートゥム様、あなたをここで接続・・し、その強大な魔力を取り込むのも」


 ――致命的に、全てが終わってしまう今、この瞬間まで。


「全てはこの、ディーザがやったことでございます」


 気づいたときにはもう遅かった。

 シートゥムの腕はずるずると、ディーザの腕に飲み込まれていたのである。

 彼も、すでにコアをその身に取り込んでいた。


「い、いや……助けて……っ!」

「ここまで育ててきたあなたがたを手に掛けるのは、非常に心が痛みます」

「やめてください、こんなことしても誰も幸せになりません!」

「幸せなどどうでもいいことです。それより強き者が報われる、その道理こそが優先されるべきではないですかな?」

「そんなのはおかし――ひぃっ!?」


 接続は止まらず、すでにシートゥムの体は肩までディーザに飲み込まれようとしていた。

 もう一方の手で魔法を放とうと試みるが、思うように力が入らない。


「こんな、こんなことって……ずっと、あなたのことを信じてきたのに……!」

「あなたのお母様も、同じようなことを言って逝かれましたよ。やはり親子、似ていますね」


 ディーザには馬鹿にしたつもりなどなかった。

 純粋にそう思い、声に出してしまっただけだ。

 だがシートゥムにとっては、度を越した挑発にしか聞こえない。

 いつも穏やかな彼女でも、もはや我慢の限界である。


「ディーザ、あなたと言う人はあぁぁぁぁぁぁっ!」


 人生で初めて、他者を憎み、声を荒らげた。

 しかし、そんなことをしても接続は止まらない。

 シートゥムの体は無情にも飲み込まれ、意識は薄れていく。




 ◇◇◇




「……んあ?」


 ツァイオンは少し離れた場所から聞こえてきた尋常ではない声に、廊下の真ん中で足を止めた。

 両手には洗濯物の入ったカゴが握られている。

 どうやら、旅から持ち帰った洗濯物の処理をしていたらしい。

 だが響いた声は、どう考えても異常なものだ。

 カゴをその場に置いたツァイオンは、シートゥムの部屋へと駆ける。


「おいシートゥム、どうした!」


 勢いよくドアを開き、踏み込んだ彼が目にしたものは、顔の渦巻く魔族五人と、ディーザ。

 そして――今まさに、彼に全身を飲み込まれようとしている、シートゥムの姿であった。

 まず状況が理解できない。

 しかしツァイオンの場合、細かな事情などどうでもいい。

 彼女に危害が加えられているという事実さえ分かれば、取る行動は一つだけであった。

 たとえ無謀だとしても、無駄だとしても、理解した上で即座にディーザに殴りかかる。


「シートゥムに何やってんだてめえぇぇぇぇぇッ!」


 しかし渾身の一撃は、いともたやすく片手で受け止められる。


「ぐっ……」

「にい、さ……」

「クソッ、シートゥムを放しやがれディーザァッ!」


 シートゥムの体は、もう顔しか残っていない。

 快楽にも似た気持ちの悪い感覚に涙を流しながら、彼女は大好きな幼馴染を見つめる。

 もう二度と触れることすら叶わぬのだと、全てを諦めながら。


「相変わらず暑苦しいお方です。その猪突猛進さが、私には最後まで理解できませんした」


 表情を崩さないディーザ。

 掴まれた手に嫌な予感がしたツァイオンは、素早く腕を引き接続を回避した。

 その直感もまた、理解できない部分の一つだ。

 ツァイオンは、そこで日和ったりはしない。

 触れたらすぐに離せばいいと割り切って、続けざまに顔を狙って拳を突き出す。

 すると横で待機していた魔族の男が、目にも留まらぬ速度で近づき、その腕を掴み止める。


「触るんじゃねえよ魔族の面汚しがァッ!」


 ツァイオンは、魔法で男の体を燃え上がらせた。

 普通の体ならば一瞬で灰となる高熱の炎。

 だが、その中にあっても、彼は平然としていた。

 まるで『涼しいな』とでも言わんばかりに、余裕を見せている。


「どれ、試してみますかな」


 そのやり取りを見守っていたディーザが、おもむろに手をかざした。


「ぁ……うあ……」


 もはやシートゥムは、目と鼻と口を辛うじて確認できるぐらいしか残っていない。

 つまり、すでにディーザは彼女の力を取り込んでいるということだ。


「カオスサフォケイション」


 光と闇の帯が伸び、ツァイオンの首にまとわりつく。

 気づいて避けようとしたが、察知が一瞬遅れた時点で勝負は決していた。


「ぐ……がっ……」


 巻き付いた魔力は、彼の呼吸を止め、窒息させる。

 さらに体内に入り込み、肉体をも朽ち果てさせた。


「みなさんと過ごした日々は、楽しかったですよ」


 ディーザは本心からそう言った。

 あとは死を待つだけのツァイオンに向けて言う言葉ではないが、彼なりの手向けのつもりなのだろうか。

 だが圧倒的不利な状況にありながらも、ツァイオンは諦めなかった。

 心の中で『熱くねぇ』と繰り返す。

 こんな熱量の足りない、消化不良の結末、認めてはならない。

 まだまともにシートゥムに想いを伝えてないってのに、やりたいことだってクソほど残ってるってのに――終わってたまるものか。

 その強い意志で光と闇の魔力を掴み、もがく。

 しかし、それだけだ。

 現実は非情で、気合と情念だけで乗り越えられるものではない。

 あと少しで終わる――ディーザがそう確信した、次の瞬間。

 彼の体内から、彼のものではない腕が伸びた。


「……おや?」


 そして、ディーザの発動した魔法を解除する。

 開放されたツァイオンは、酸欠でよろめき、倒れそうになるが、


「にげ……て、に……さ……」


 ディーザの体内から聞こえる声のおかげで、どうにか踏ん張った。

 ほぼ取り込まれていたシートゥムだが、最後の力を振り絞って、ツァイオンを守ったのだ。


「シートゥム……ちくしょう、ちくしょおぉおおおおおッ!」


 悔み、吠え、それでも彼女の言葉に従い部屋の壁に突っ込むツァイオン。

 そのまま壁を破壊し大穴を空けると、そこから外へと脱出した。


「追いなさい」


 ディーザが命令すると、五人の魔族たちは一斉に彼を追跡する。


「変わりませんねえ、彼も。それが短所でもあり、長所でもあり……まあ、何をしてももう手遅れなわけですが」


 彼はそう言って、シートゥムを吸収した体を愛おしそうに撫でた。




 ◇◇◇




 逃走を続けるネイガスとセーラ。

 その背後から迫る人影に、真っ先に気づいたのはセーラの方だ。


「ネイガス、誰か近づいて来てるっす!」

「もう追手が来たのね。キマイラ? それとも別の魔族?」

「違うっす……あれは人間っす!」

「人間!?」


 空を飛ぶ自分を追いかけられる人間など、果たして存在するのだろうか。

 いや、一人だけ思い当たる相手がいる。

 しかし、本当に彼女・・だとしたら、どれだけ逃げたって無駄ということだ。

 ネイガスは覚悟を決めた。


「セーラちゃん、今から私はあなたを逃がすわ」

「もう逃げてるっすよ」

「違うわ、あなただけを逃がすって言ってるの」


 セーラは無言でネイガスの頬をつねった。

 しかも割と全力で。


「いひゃいは」

「ふざけたことを言うからっす」


 二人を包むシリアスな空気が、一気に崩壊する。


「いいっすか、おらとネイガスは恋人同士なんすよ? 恋人はずっと一緒にいるもんっす!」

「小さい見た目に似合わずロマンチストねえ」

「色々余計っす、またつねられたいんすか? とにかく、おらはネイガスと離れるつもりは無いっすから」


 そう宣言するセーラに、ネイガスは真剣な表情で言い聞かせた。


「死ぬかもしれないのよ」

「それでも……一人だけ取り残されるのは、もう嫌なんすよ」


 両親や、故郷の人々、エド、ジョニー、そして王都に残っていた修道女たち――生死不明な者も含まれているが、すでにセーラは十分すぎるほど大切な人を失ってきた。

 普段は明るく振る舞っていても、本当は辛いに決まっている。

 彼女はまだ幼いのだ、これ以上誰かを失うことに耐えられるはずがない。

 ネイガスにだってその気持ちは理解できた。

 だが、背後から迫る相手はあまりに強大だ。




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 キリri・スウィnあ汨血


 属性:○rin


 筋力:31658

 おク:30971

 体リォ:32174

 敏死:31678

 感ン覚:31189


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 ネイガスは瞳に映る数値を見て、奥歯を噛みしめる。

 オリジンコアにより基礎ステータスが向上している。

 さらに今のキリルは、制約なしでブレイブを使用できるようだ。

 ただしステータスの上昇は二倍程度に留まっているようだが、それでも二人を殺すには十分すぎる。

 諦めたくない。

 けど、諦めるしかない。

 ネイガスだって、できれば彼女のことを一人にしたくはない。

 普段はふざけているように見えるかもしれないが、魔族の身でありながら人間を愛したその想いは、今まで抱いてきたどんな感情よりも大きかった。

 だからこそ、願ってしまう。

 自分が助かるのは無理だとしても、どうか彼女だけでも、生き残ってくれますように――と。


「セーラちゃん」


 呼びかけると、セーラはネイガスの顔を見つめた。

 きょとんとした表情を見せるセーラ。

 その隙を突いて、ネイガスは彼女の唇を奪う。

 小さな体が、ネイガスの腕の中でぴくりと震えた。


「んぁ……ふ。ネイ、ガス?」


 そして彼女の気持ちが緩んだところで、その体を突き放す。


「え、あ……ネイガス、何やってるんすか、ネイガスっ!」


 新たに生まれた風の球体が、強制的にセーラを南へと飛ばしていく。

 彼女には、抗う術はない。


「ありがとね。今までずっと、私のわがままに付き合ってくれて」


 悲しげな笑顔が、遠ざかっていく。

 手を伸ばしても届かないほど、離れていく。


「ネイガスッ! ネイガスぅぅぅぅッ!」


 セーラは涙を流しながら叫んだ。

 確かにわがままで、変態で、迷惑なやつだったけど、けどそんなネイガスだからこそ恋をしたのだ。

 だったら、今さらじゃないか。

 死ぬっていうんなら、そこまで一緒に連れて行って欲しい。

 迷惑をかけるなら、最後までかけ続けて欲しい。

 こんなにも心の深い場所まで入り込んでおいて――今さら放り出すなんて、あまりに残酷すぎる。


「ジャッジメント・イリーガルフォーミュラぁっ!」


 セーラはありったけの魔力を込めて、風の球体を破壊しようとした。

 だが、彼女がそういった手段に出ることぐらい、ネイガスにはお見通しだった。

 風の壁に衝突した光の剣が、儚くも粒子となり消える。


「いやっす……いやっすよ! おらがネイガスのこと、どれだけ好きかわかってるんすか!? だったらおら、死んでやるっす。そんで、あの世でかっこつけておらを逃したことを死んで後悔させてやるっす! ほら、無駄になるっすよ? 本当にいいんすか!? ねえネイガス。答えるっすよ、ネイガスぅッ!」


 叫んでも叫んでも、もう彼女には届かない。


「う……ううぅ……」


 崩れ落ち、涙で滲む視界に映るのは、キリルとぶつかり合うネイガスの姿。

 遠く離れていても、その力の差はよくわかる。

 勝てるはずがない。

 ボロボロになって、血を流して、追い詰められていく。

 セーラが『おらがいたら治してあげられるのに』と悔やんでもどうにもならない。


 やがてセレイドも、戦う二人の姿も見えなくなり、彼女は誰もいない魔族領の空を飛び続けた。

 そして数時間後、ついにネイガスの込めた魔力が切れ、風の球体は優しく着地する。

 最後の最後までセーラを気遣っているようで、それが余計に辛かった。

 そこは、荒野のど真ん中。

 灰色の空と灰色の大地がどこまでも続く、何もない、誰もいない、孤独な場所。


「うぅっ、ううぅ……っく、ひ、ぐ……う、うわぁぁぁぁぁっ! あぁっ、ああぁぁぁぁぁあっ!」


 セーラはそこで、灰色の空を見上げながら泣き叫んだ。





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