第93話 あなたを殺すだけではなく苦痛という名の快楽を与えた上で死んで欲しいと願う優しき螺旋

 





 フラムの振った剣は、ミルキットの首に触れる直前で、ぴたりと止まった。


『不要なものを切り捨てる、とても合理的に』


 それでも脳に響き渡る、男か女かもわからない音声。

 他のことを考えようとしても、全てがそれに埋め尽くされて、うまく思考できない。


「……ぅ……あ」


 従えば楽になれることだけはわかった。

 けれど、それだけは許してはならない。

 フラムの奥底に刻み込まれた本能がそう叫んでいる。


『それに彼女も望んでいて、だったらこんなに円満な死など滅多にないのですから』

『従いなよ』

『きっと今より幸福な瞬間なんて無いわ』


 繰り返される“お告げ”。

 それは根拠のない絶対的な説得力を持っていた。


「づ、ぐ……があぁ……っ!」


 拒む――いや、拒め。

 拒め、拒め、何を言われたってそれらは全て間違いだ。

 なぜか?

 わからない、今は誰かの名前を思い出すことすら許可されていない。

 しかし覚えているはずだ。

 彼女・・――そう、彼女を。


『ほら、きゅっと目をつぶった彼女と交わるように』

『あなただってそれを望んでいるのでしょう?』

『交わる。刃を沈めて、肉をかき混ぜる。人はそれを交合と呼び、愛の証明として――』


 ミルキット・・・・・を殺すお告げなど、どれだけ説得力があったとしても、正しいはずがあるものか――


「あああぁぁぁぁぁあ、もうっ! ごちゃごちゃとうるさあぁぁぁぁぁいッ!」


 フラムは叫び、魂喰いを手放し、両手で頭を抱えた。

 バヂンッ!

 手のひらから魔力が脳内に注ぎ込まれ、オリジンのお告げを拒絶反転する。


「ギぃっ!」


 頭が弾けるような衝撃。

 フラムはその勢いでガクンと大きく震え、膝を付き、そのまま地面に倒れた。


「ご主人様っ!」


 ミルキットは、そんな彼女に駆け寄る。

 主から与えられる死を受け入れようとしていたミルキットだったが、別に死にたがったわけじゃない。

 二人で生き残れるのなら、それに越したことはないのだから。


「は……はあぁ……」


 つぅ、とフラムの耳と鼻から血が流れた。

 どこの血管がちぎれたのかもわからないぐらい、強烈な頭痛が彼女を襲う。


「あぅ……ぅ、あ……」

「あ、あぁ、ご主人様……っ!」


 体から力が抜け、口から涎が、目から涙が垂れ流され、右手はぴくぴくと痙攣していた。

 そんな彼女を、ミルキットの両腕が抱き上げる。


「ご、ごめ……ミう……キッ、ト……ぉ……」


 どれだけ体内が破壊されても、生きてさえいれば再生される。

 すでにフラムは、辛うじて会話できるまでに回復しているようだ。

 それでも目は虚ろだし、呼吸も不規則だが。


「いえ、ご主人様が正気に戻ってくれたのなら、私はっ」


 ミルキットの目にも涙が浮かぶ。

 心のどこかでは信じていたからこそ、ああも簡単に命を捧げられたのかもしれない。


「な……あ、ふ……なにが、起きたの?」

「わかりません。私も意識を失っていて、目を覚ましたら……いつの間にか、こんなことになっていて」


 そう言って、ミルキットは庭の奥へと目を向けた。

 フラムが同じ場所を見ると、うつ伏せで倒れる男性の姿がそこにはあった。

 後頭部がぱっくりと割れ、頭蓋骨の中身をさらけ出しながら血を流している。

 間違いなく即死だろう。


「あれは……」

「その、ウェルシーさんが、斧で襲って……」

「ウェルシー、さんが?」


 驚くフラムだったが、似たような光景を見た覚えがあった。

 それは、おそらくオリジンから与えられたと思われる、悪夢の一部。

 てっきり幻だと思っていたのだが、まさか本当に起きていたとは。


「止めないと……」


 フラムは上半身を起こす。


「無茶しないでくださいっ」

「そういうわけには、いかないでしょ……」


 頭痛はまだ残っているが、体を動かせないほどではない。

 立ち上がったフラムは、ミルキットに手を差し伸べた。

 彼女は戸惑いながらもその手を掴み、そのまま繋いで屋敷の中へ向かう。

 掃除の行き届いていたエントランスは、いたるところが血で汚れている。

 幸い――と言っていいのかはわからないが、ここに死体は無いようだ。


「う……匂いが」


 ミルキットは思わず口元を抑えた。

 濃いの匂いが、屋内に充満している。

 血の量から考えても、犠牲になったのは一人や二人ではないだろう。


「はぁ……ミルキット、私から離れないようにね」

「はい……」


 フラムは右手で魂喰いを引き抜き、気配を探りながら前に進む。

 まずはパーティ会場の状態を確かめるため、前進し、一階広間の扉に手を伸ばす。

 ギィ――と音を立てて開いた先にあったのは、彼女の記憶とそう変わりない光景だった。

 ただし、豪華な料理や可愛らしいケーキには、血のトッピングが施されていたが。


「ひっ」


 ミルキットが引きつった声をあげた。

 どうやらフラムより先に、死体を見つけてしまったようだ。

 男性の使用人らしい。

 外のシェフと同じく、背中を鋭利な刃物で切りつけられている。

 これもウェルシーがやったものなのだろうか。

 さらに奥、テーブルの影には、まだ若い――フラムとそう年齢の変わらない給仕が二人、かばい合うように倒れている。


「ご主人様。あの方、動いてますっ」


 給仕のうちの一人が、手をぴくりと動かす。

 頭部の傷の深さから言って即死だと思ったのだが、即死を免れたようだ。

 回復魔法さえ使えれば、助けることもできそうだが。

 ひとまずフラムは給仕に近づき、しゃがみこんで様子を見る。

 すると彼女は縋るようにフラムの腕に手を伸ばした。


「やっぱり生きていたんですね」


 安堵するミルキット。

 しかしフラムの目に写っていたのは、人間のものとは思えない力で、彼女の指が腕の内側に沈んでいく光景だった。


「これって――!?」


 慌てて体を離すも、その拍子でフラムの前腕が引き裂かれる。


「ぐっ……」


 痛みは慣れたものだが、開いた肉に張り付いた少女の剥がれた爪を見て、フラムは顔をしかめた。

 指でそれを取り除くと、再生によって傷が埋まっていく。


「人間じゃ、ない……?」

「あいつらが死体を利用するのは、何度も見てきたはずなんだけどね……油断してた」


 エニチーデのオーガも、そしてネクロマンシーだって、オリジンはこうやって何度も人間の尊厳を奪ってきた。

 ゆっくりと立ち上がる給仕の死体。

 動きは緩慢で、罠としては利用できても、真正面から戦うのに向いているとは思えない。

 フラムが魂喰いを振り、体を上下で真っ二つにすると、あっさりとそいつは活動を止めた。

 すると死体の内側から、ねじれた肉の塊が吐き出される。


「コアじゃなくて、体の一部ってところかな」

「こんなものが、死体を操っていたんですか……」


 つまり、もはや彼女は完全に化物だったわけだ。

 とはいえ、先ほどまで生きていた、しかも顔を知っている相手を斬るのは、かなりきつい。

 青ざめたフラムを、ミルキットは心配そうに見つめた。


「たぶん、これぐらいで音を上げてちゃ、こっから先は耐えらんないよね」

「しばらく休んでもいいと思います」

「休める場所があったらね」


 少なくともここは安全ではない。

 フラムはミルキットの手を引いて、一通り広間を調べ終えると、再びエントランスに出た。


「屋敷の使用人さんばかりでしたね」

「うん、他のみんなは逃げたのかな」


 その場で足を止めて耳を澄ます。

 いくつかの足音が聞こえる。

 しかし、死者と生者を聞き分ける術はなかった。

 だが少なくとも、屋敷の中で戦闘は行われていないようだ。

 爆発音は――むしろ、街の方から聞こえてくる。

 次は階段を登り、二階を目指す。

 その途中、這いずりながらフラムに迫る死者と遭遇。


「くっ!」


 またもや顔を知るその男性を真っ二つにすると、死体は同じようなねじれた肉塊を吐き出した。


「ひどいです、こんなの」


 ミルキットの体はずっと震えている。

 健気にもフラムを支えようとしてくれるが、むしろ支えられるべきは彼女の方だ。

 握る手に力を込める。

 するとミルキットの体から、少しだけ力が抜けた。

 もっとも、フラムも辛い。

 悪人や、諦めのつくような相手ならともかく、ついさっきまで生きていた知り合いばかりなのだから。

 震える右手にぐっと力を込め、迷いを振り切る。

 取捨選択だ。

 この場での心の揺らぎは、死を招きかねない。

 ミルキットを守ろうとするのなら、まず真っ先に自分の心を殺さなければ。

 怖気づく右足を叱咤し、また一段、階段を上へ。

 背中がじっとりと冷や汗で濡れている。

 息が苦しい。

 抗うように唇を強く噛んでいると、口内にうっすらと血の香りを感じた。


 階段を登りきり、さらに前進。

 角の手前で足を止める。

 ギシ、ギシ、とこちらに近づいてくる足音が聞こえた。

 ミルキットを手で制し、その場に待機させる。

 壁に背中を当て、静かに息を吐き出す。

 プラーナ生成、体内より右腕へ、右腕より魂喰いへ。

 力を満たし、戦闘準備は完了する。

 足音を頼りに間合いを計り、引きつけたところで――飛び出す。


「はああぁぁっ!」

「うわあぁぁっ!? 待ってフラムちゃん、私、ウェルシーだって!」

「へ? ウェルシー……さん……?」


 振り上げた剣がぴたりと止まる。

 確かに顔も声も、そして服が血で汚れている部分も含めて、ウェルシー本人のようだ。


「その……私、さっき意識を取り戻したんだけど。気づいたら手に斧を持ってて、血まみれで、みんな……死んでて……」


 いつも明るい彼女の表情が曇っていく。

 記憶は無いが、なんとなく自分が使用人を殺したことを察してしまったのだろう。


「フラムちゃんも、死体は見てきたよね」


 フラムは言葉に詰まる。

 彼女の言う通り、いくつもの死体を見てきたが……殺した張本人が前にいるのだ。


「……私、どうしたらいいのかな」


 いくら意識がなかったとはいえ、当然、罪の意識は残る。

 きっと、一生消えないほど深く。


「ウェルシーさんが気に病むことはありません」


 フラムはあえて、そう言い切った。


「でもっ!」

「これは、オリジンがやったことですから」

「オリジン……これが……?」


 普通に会話をしているフラムを見て、ミルキットが恐る恐る顔を出す。


「ウェルシーさん、無事だったんですね」

「ミルキットちゃんもいたんだ。うん、私だけは、どうにかね」

「……」


 ウェルシーの姿を見たミルキットは、急に黙り込んで彼女の体を見つめている。

 血に塗れた服が気になっているのだろうか。


「ああ、これ?」

「……い、いえ、そうではなくて。なんでも、ありません」

「気を使わないでいいよー、わかってるから」


 自分の血ではないことぐらい、本人が一番理解しているはずだ。

 着替えも含めて、ウェルシーの精神の安寧のために、できるだけ早くとは縁遠い場所につれていきたい。

 しかし、生存者が残っている可能性がある以上、屋敷の探索が終わるまで外に出るわけにもいなかった。


「ウェルシーさん、私たちと一緒に来てもらってもいいですか?」

「いい、の? そりゃあ、私としては助かるけどさ」

「もちろんです、連れて行かない理由がありません」


 無理をしてフラムが笑うと、ウェルシーの口元も緩んだ。

 そして三人で、二階の探索を開始する。

 一つずつドアを開けて、生き残りがいないかを探していくのだ。

 もちろん先頭はフラムである。

 ミルキットとウェルシーは、常に彼女の背中に守られていた。


 客室、書斎、お手洗い――あらゆる部屋を、手当たり次第に調べる。

 その間、フラムは幾度となく死者と交戦した。

 動きは緩慢で、傷を負うことはないが、彼らを斬るたびに心がすり減っていく。

 また、死者に殺されたと思われる死体も、いくつか発見された。

 首を折られたり、体をズタズタにされたり、机や壁に叩きつけられて頭部が損傷したりと、ひどい有様だった。

 そして共通しているのは、誰もが苦しそうな顔をしていたということ。

 即死できずに、時間をかけて殺されたのだろう。


 おそらくこれは、“お告げ”による殺し漏れを確実に仕留めるための、オリジンの策だ。

 人間を滅ぼそうという意思を強く感じられる。

 死体を見るたびに、フラムの中で、オリジンへの憎しみが強くなっていく。


 だが――同時に疑問も湧いてきた。

 死者を操っていると思われるねじれた肉片、あれはどこから来たものなのか。

 屋敷の中でも、窓から外を見ても、虫のように這いずっている姿は見えない。

 つまりあれは、死体を見つけて自ら入り込むのではなく、誰かから・・・・与えられるもの・・・・・・・なのではないだろうか。

 そしてこの屋敷の中には、与える者・・・・が潜んでいるのではないか――フラムはそう推察していた。


 王都に存在するオリジンの戦力と言われて真っ先に思いつくのは、キマイラだ。

 しかしあれは本来、制御装置が無ければ動かない兵器だったはず。

 あるいは、制御しきれないほど、以前よりも大量のオリジンの意思が流れ込めば、ひとりでに動き出すのかもしれないが――


「オリジンの封印が、解けてしまった……?」


 フラムは足を止めて、そうつぶやいた。

 手分けして、絵画や骨董品が飾られた展示室を探索していたミルキットは、その言葉を聞いて主の方を見た。


「魔王城で何かが起きたということですか?」

「うん……私ね、意識を失う前に、キリルちゃんの姿を見た気がするの」

「そういえばご主人様、あのときキリルさんを探してたんですよね」

「確かに探してたけど、私が見たのは、幻覚だったのかもしれない」

「どうしてそう思うの?」


 四つん這いで生存者を探していたウェルシーも、立ち上がり会話に参加する。


「……封印を解けるのは、キリルちゃんだけだから」


 ディーザのように、封印を緩める・・・ことは、強い魔力と知識があれば可能なのだろう。

 だが本格的に解除するとなると、封印を施した勇者の力がなければ無理だ。


「でもあの日、確かにキリルさんは屋敷にいたはずですよね」

「以前、キリルちゃんはリターンの帰還地点を魔王城に設定したって言ってた。それが、そのままだとしたら……転移で、どうにでもなると思う」

「だとしてもっ、キリルさんの意思を無視して、リターンは使えないはずですよね?」


 ミルキットの言う通りだ。

 しかし、フラムの見たキリルの姿は、普通ではなかった。


「キリルちゃんの顔は、マリアさんと同じように渦を巻いてた」

「オリジンコアを埋め込まれたってこと? じゃあ、屋敷の中に誰かが侵入して……いや、それは無理だよねー」


 あのとき、屋敷には英雄たちが勢揃いしていた。

 酒が入っていたとはいえ、彼らに見つからず忍び込むのは、普通では不可能だ。


「まだ、シートゥムたちは魔王城に戻ってない。今あそこにいるのは、ディーザさん一人だけ」

「……ご主人様、もしかして」

「あの人が魔族の裏切り者だとしたら、キリルちゃんが受け取った装備に、何か細工をしてたのかもしれない」


 辻褄が合うのは、それだけではない。


「それに、セーラちゃんやマリアさんの故郷が魔族に襲われたっていう話も、オリジンの封印が緩んでいるのに、どれだけ確認しても見つからないのも、そして先代魔王の鎧にあれだけの呪いがかかっていたことも――ディーザさんが裏切り者だとしたら、全部説明が付くと思わない?」


 ミルキットは言葉を失った。

 仮にそれが事実だとしたら、シートゥムを始め、魔族たちは何十年も騙され続けていたということになる。

 そしてディーザはその間、平気な顔をして、彼らの保護者を演じていたのだ。

 どうかしている。

 何がそこまで、彼を突き動かすというのか――


「細かいところはよくわかんないけど、要するに、やばい状況ってこと?」


 やたら雑な認識だが、間違ってはいない。

 オリジンが復活し、王都は壊滅状態。

 仲間たちの姿も見えず、しかもキリルが敵に回ってしまった。


「絶望的、ですね」


 フラムはさらに端的に、そう言った。

 しかし、ここまでの仮定が事実だったとして、矛盾点もある。

 なぜキリルは、フラムの前に姿を現したのだろうか。

 彼女の言葉は、『ごめんね』のただ一言だけだった。

 意識を失ったのは、おそらくオリジンの力。

 つまりキリルは、フラムに何の危害も加えていない。

 ひょっとすると、キリルにはまだ少しの正気が残っていて、最後の力を振り絞って――謝罪の言葉を、伝えたのかもしれない。


「キリルちゃん……」


 無事である可能性はゼロではない。

 フラムはうつむき、床を見つめて親友の身を案じる。

 ミルキットやウェルシーにも思うところがあったのか、全員が沈黙した。

 部屋に満ちた静寂。

 そんな中、カチャリとドアノブをひねる音がした。

 三人の視線が、ほぼ同時に入り口の方を向く。


「うひ……」


 そして顔を出した少女と、目があった。


「ひ……ひ……」


 彼女はフラム、ミルキット、そしてウェルシーの順に顔を確認すると、頬を引きつらせる。


「私たち、人間だよ。大丈夫」

「本当、に? でも、ウェルシー様が……」


 どうやら彼女はウェルシーの凶行を見ていたらしい。

 彼女を見る目に涙が浮かぶほど怯えている。


「ウェルシーさんも、今は正気を取り戻してるから」

「……フラム様が、そう言うなら」

「確か、キナだったっけ?」

「はい……」


 フラムとその少女は、面識がある。

 彼女もまた、屋敷で会ったことのある給仕の一人だ。

 名前はキナ、年齢は十五歳。

 彼女は濃い紫のツインテールを揺らしながら、恐る恐る部屋に入ってきた。


「生き残ってる人を探してたんだけど、見つかってよかった」

「隠れてたけど、見つかりそうになって、出てきて、逃げて、ここに……」

「そっか、怖かったね」


 フラムは彼女の頭を撫でる。

 するとぽろぽろと、大粒の涙が頬を伝った。

 フラムと年齢は一歳しか変わらないが、小柄な体格のせいかさらに何歳か年下に見える。

 だからつい、子供扱いしてしまうのだ。


「ウェルシーさん、最後にリーチさんの寝室を調べて、もう外に出ましょう」

「わかった。兄さんと義姉さんの寝室は一番奥にあるから……」


 キナに怯えられたウェルシーは、少なからず傷ついているようだ。

 しかし、こればっかりは仕方のないこと。

 オリジンに操られていたという弁明を、あとでキナに聞かせるしかない。

 それでも、人を殺して回る彼女の姿は、なかなか記憶からは消えないだろうが。


 フラムたちは四人で部屋を出る。

 そして寝室のある二階の奥へ向かおうとしたが、すぐに死者の襲撃を受ける。

 キナを追いかけてきたようだ。

 数は三体。

 彼女の前で、死体とはいえ同僚を斬るのは気が引けたが、躊躇はしない。

 フラムはすばやく前に踏み込み、一刀のもとに死者どもを切り伏せる。


「うぅっ……」


 キナは飛び散る血肉を前に、ミルキットにしがみつき、目をきゅっと閉じる。

 それが一般的な反応だ。

 慣れたフラムが異常なのである。

 真っ二つに両断された死者は、もう動かない。

 切断面からねじれた肉片が頭を出して、外気にさらされると、数秒間だけもがいて、息絶えた。

 無言で死体に背中を向けて、フラムは寝室へ向かう。

 たぶんここから先、王都に出たら、あと何十体、下手すると何百体という人の成れの果てとやり合うことになるだろう。

 そのたびに苦しんでいたんじゃ、心がもたない。

 ミルキットに支えてもらえばどうにかなるが、頼ってばかりというわけにもいかない。

 だから割り切る。

 あれは罪なき一般人などではない、ただの肉の塊だと自分に言い聞かせる。


「ふうぅ……」


 息を吐き出しても、肺は重いままだ。

 心臓も、重い鼓動を繰り返している。

 全身がけだるく、フラムは万全とは言い難い体調であった。

 それでも足を止めてはならない。

 前進する。

 歩幅は狭めに、キナに合わせる形でゆっくりと廊下を直進する。

 そして、突き当りの角を曲がった。

 この先に、リーチの寝室がある。

 だがその前に――あるものが、フラムの目に入った。

 死体だ。

 寝室の扉のすぐ横に、壁を背もたれにするように、首のない・・・・死体が座り込んでいる。

 しかも、なぜか全裸だった。

 これまで何体もの死体を発見してきたが、服を脱がされているものはいなかったはずだ。

 フラムは目を細め、訝しむ。


「ご、ご主人様……」


 すると、ミルキットがやけに震えた声で告げた。


「あれ、たぶん……ウェルシーさんじゃないでしょうか」


 一瞬、何を言ってるのか理解できなかった。

 フラムにも、キナにも。

 だってウェルシーはすぐそこにいるのだから。


「ミルキット、さすがにそれは――」


 振り向いたフラムと、ウェルシーの視線が交錯する。

 ウェルシーは、カクンと壊れた人形のように首を傾けると、感情のない顔でフラムを見つめた。

 強烈に寒気がする。

 人に、ここまで無機質な表情ができるだろうか。

 いや、少なくとも――フラムの知るウェルシーには、不可能なはずだ。


「体格が、少し違うなって……最初に見たときに、思ったんです……ほんの少しだったから、気のせいだと思っていたんですが……でも……っ」


 ミルキットは、キナを連れて後ずさる。

 コツン。

 ウェルシーの足裏が、床を叩いた。

 するとぐにゃりとキナの足元が歪む。


「いやぁっ!」


 彼女は反射的に身を捩り、ミルキットから離れてしまった。

 そしてウェルシーの手が、よろめくキナに伸び、肩を掴む。


「やらせないッ!」


 覚悟を決め、斬りかかるフラム。

 するとウェルシーは右手を彼女にかざした。

 そこから放たれる、螺旋の力――


「な、これって!?」


 オーガやルークの相手をしたときに受けた、あの力だ。

 とっさに魂喰いを盾にし、反転の魔力を刃に注ぐ。

 しかし――相殺しきれない。

 フラムの体は、廊下の突き当りまで吹き飛ばされてしまった。


「かっは……!」


 背中と後頭部を壁に強打し、肺の空気が一気に吐き出される。

 意識が朦朧とするが、ウェルシーの――いや、あの化物の好きにさせるわけにはいかない。


「キナさんっ!」


 すると、ミルキットが動く。

 彼女は勇敢にもキナの体を突き飛ばしたのだ。

 フラムの方に意識を向けていたせいか、あっさりと掴んでいた手は離れ、少女は床に倒れこむ。

 すると今度はターゲットをミルキットに変更し、化物は動き出した。


「はあああぁぁぁぁぁぁッ!」


 フラムは立ち上がり、反・気剣斬プラーナシェーカー・リヴァーサルを射出。

 化物は右手一本でそれを受け止めるが、直撃を受けた手首には浅くはない傷が刻まれた。

 だが――反転の魔力を込めた割には、効果が薄い。

 さらに続けざまにもう一発、フラムは化物に接近しながら気剣斬プラーナシェーカーを放つ。

 そして飛び上がり、今度は直接魂喰いを叩きつけた。


「ぐ……ううぅ……」


 化物は、再び右手でそれを抑え込む。

 手のひらの表面には渦が巻いており、それで剣を受け止めているようだ。


「フラムちゃん、やめてよー。私は私だよ」

「うううぅ……!」


 フラムだってもうわかっている。

 ウェルシーは、死んだのだ。

 おそらく錯乱して使用人たちを殺したあと、絶望して自ら首を切った。

 そしてその死体の首から上を――オリジンが、利用した。


「仲良くしよう? こんな状況なんだし、一人でも多い方がいいよ」

「ウェルシーさんの声でしゃべるなあぁぁぁぁッ!」


 黒き刃に、さらに大量のプラーナと魔力が注ぎ込まれる。

 それは化物の螺旋を消し飛ばし、その右腕を切断した。

 するとよろめく化物の傷口から、本来の姿である――熊のような手が生えてくる。

 やはりフラムの予想通り、こいつは人狼型キマイラらしい。

 さらに、いつの間にか右手だけでなく、左手もモンスターのものに入れ替わっていた。


「……左手?」


 それは先ほどまで、キナの肩を掴んでいた手だ。

 どこへ消えたというのか。

 彼女は尻もちをついたまま、戦いを呆然と見上げていたが――「がぼっ」とその口から、大量の血が吐き出された。


「あ……ひぐっ……ご、が……っ、ぎぎゅううぅっ……!」


 そしてキナはもがき苦しむ。


「いがっ、がっ、ぎゃがああぁぁぁぁぁっ!」


 その可愛らしい外見からは想像できないほど、壮絶な叫び声をあげながら。


「あ……あ……あぁっ……」


 その異様な状況に、ミルキットは駆け寄ることすらできなかった。

 もはや助からないことは一目瞭然である。

 やがてキナは、ビクンとひときわ大きく体を震わせると、そのまま動かなくなった。


「どこまでも……」


 フラムはそんな彼女に歩み寄り、魂喰いを振り上げる。


「ご主人様っ!?」


 戸惑うミルキット。

 なぜキナの死体に剣を向ける必要があるのか、理解できない。

 それでもフラムは止まらない。

 高く掲げた大剣を、少女の体に全力で叩きつけた。


「どこまでも、お前はあぁぁぁぁぁッ!」


 オリジンへの怒りを、ありったけ込めて。

 プラーナも魔力も必要ない。

 キナの胴体はあっけなく真っ二つになり、そして内側からは――例の、ねじれた肉が現れた。


「そんな、生きた人間の中に……入り込んで……」

「はぁ……はぁ……はぁ……」


 肩を上下させながら、忌々しき肉片をにらみつけるフラム。

 確かにミルキットが突き飛ばしたことでキナは一時的に助かったが、しかし化物は左腕を切り離し、彼女の体内に侵入した。

 さらには内蔵を食い散らかし、命を奪った挙げ句に、操り人形にしようとしたのである。

 屋敷をさまよっていた死者たちは、死体が蘇っただけではなかったのだ。


「……ミルキット、こっちに」

「は、はいっ」


 駆け寄るミルキット。

 フラムは彼女の壁となり、前に立つ。


「フラムちゃん、ミルキットちゃん、キナのことは残念だったけど、また仲良くしようよー。ね?」


 ウェルシーの顔をした化物は、ウェルシーの声を使って、二人に語りかける。

 だがもはや、それが通用するはずもない。

 いや、あるいはそれを理解した上で、挑発しているのかもしれないが。

 ならばフラムの抱くこの怒りも、手のひらの上だと言うのだろうか。

 それでも――だとしても――許すことなど、できるはずがない。


「ねー、兄さんや義姉さんもきっと同じことを」


 戯言など聞こえない。

 敵を真正面に見据え、フラムは全力で駆け出した。





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