第92話 ハッピーエンド

 





 戦いは終わった。

 もっとも、王国との停戦交渉に、残ったキマイラの処理、オリジンの封印など、課題はまだまだ山積みだ。

 しかし、エニチーデの一件に端を発する、フラムたちと王国、及び教会との戦いは、これにてひとまずの終結を迎えたのである。

 オリジンは未だ健在だが、封印の調査が進めば、緩んだ原因も発見できるはず――とエターナが断言していたので、そちらも時間の問題だろう。

 捕虜となったオティーリエたちを魔王城の地下牢に収容すると、フラムは帰りを待っているミルキットの元へ向かった。

 主が部屋に入ってくるなり、彼女は立ち上がって笑顔を浮かべる。


「ご主人様ぁっ」

「ミルキットぉっ」


 ほんの数時間程度しか離れていなかったはずなのだが、二人は感動の再会を果たしたかのように強く抱き合った。

 勢い余って一回転してしまったが、それすらも楽しいらしく、互いに笑い合う。


「んっへへへぇーっ」


 いつになくハイテンションなフラム。

 ようやく一段落付いたという達成感が、彼女の心のタガを緩めていた。


「ふふ、お疲れ様でしたっ」

「ありがと。これで教会との戦いも一段落したことだし、少し落ち着けそうかな」

「あの家にも、帰れるのでしょうか」

「帰れるよぅ。まあ、しばらくは忙しいかもしんないけど、戦いっぱなしだった今日までに比べればなんてことないって」


 化物や、化物みたいな人間と戦わないでいいと思うだけで、心が休まる。

 やはり、自分の居場所は戦場ではないのだ――と再確認するフラム。

 ギルドで採取依頼でも受けて、細々と好きな人と一緒に暮らす、それが一番だ。


「いないと思ったら、もうここに来てたんだ」


 フラムの背後からキリルがそう言った。

 彼女は開けっ放しだった入り口に立って、微笑ましく二人の様子を見ている。


「そりゃそうだよ、本当は一秒だって離れたくないんだもん」

「ふふ、彼女のことが大好きなんだね。少し羨ましいかも」

「へっへーん、そうでしょー?」


 フラムは自慢げだ。

 それがまたおかしかったらしく、肩を震わせてキリルは笑う。

 一方でミルキットは、二人のやり取りを不思議そうに眺めていた。


「フラム、ミルキットが置いてけぼりになってる」

「いえ、お二人の話を聞いているだけでも楽しいので、私のことはお気になさらないで下さい」

「楽しいんだ」

「私と話すときとはまた違うご主人様が見られて、それが好きなんですよ」

「要するに、ミルキットもフラムのことが大好きってこと?」

「はいっ!」


 あまりに躊躇せずに言い切るものだから、キリルはまた笑ってしまった。

 しかし、彼女はただ雑談をしに来たわけではない。

 笑い疲れたように「ふぅ」と息を吐くと、落ち着いた口調で二人に告げた。


「今後の方針について大事な話があるから、三十分後に玉座の間に来てくれってシートゥムが言ってたよ」

「三十分後ね、わかった。ミルキットも一緒でいいよね?」

「大丈夫じゃないかな、エターナはインクも連れて行くつもりみたいだから」


 戻ってくるなり、すぐにフラムがミルキットに会いに行ったように、エターナもインクのもとへ向かった。

 今頃、抱きつかれながら、もみくちゃにされているに違いない。


「あとごめん、私は行けないと思う」

「どうしたの……ってそっか、ブレイブも使ったし、疲れてるよね」


 ブレイブの発動は比較的短時間だったので、一日丸々寝込む――ということは無いだろう。

 それでも、肉体の疲労はかなりのものだ。

 よく見ると、今も目元が少し眠そうである。

 三十分後、フラムとミルキットが部屋を出る頃には、キリルはすっかりベッドで眠り込んでいた。

 フラムは彼女の肩に布団をかけると、二人で部屋を出る。




 ◇◇◇




 今後の方針を話し合うため、玉座の間にはキリルを除く全員が集合していた。

 玉座に腰掛けるシートゥム、その横に立つ三魔将と、彼らと向き合う勇者一行。

 ちょうど、魔王城に来て初めて……そう、初めてシートゥムと話し合ったときと同じ構図である。


 最初に議題は、停戦交渉について。

 サトゥーキが死に、キマイラは機能不全に陥り、軍と教会の主要な戦力は魔族に捕縛されてしまった今、王国が戦いを継続するのは困難だ。

 まっとうな感覚を持った統治者ならば、一刻も早く停戦を飲もうとするだろう。


 シートゥムは大喜びで無条件での停戦締結を望んだが、そこにガディオやライナスが待ったをかける。

 現状、魔族は王国に対して圧倒的優位に立っている。

 この立場を利用しない手は無いはずだ。

 人間が言うのもおかしな話だが、シートゥムのあまりの欲の無さに焦ってしまったようだ。

 他の全員も同じ思いだったようで、ディーザを除いた全員が二人の意見に『うんうん』と頷いていた。


 しかし、シートゥムは金銭や領土の譲渡を望まない。

 捕虜だって見返りなしで帰すつもりだし、なんならオリジンの力が漏れた原因はこちらにあるのだから――と謝罪までしたがっていた。

 確かに、元の原因を作ったのは魔族側だ。

 だが少なくとも、サトゥーキはオリジンコアに操られた人間たちの動きを利用して、自分が王国の頂点に立ったのだ。

 それに関して、魔族から謝罪することなどない――と、エターナはドライに主張する。

 そして折衷案として、『魔族とオリジンコアに関する情報を王国全土に公表させる』ことを提案した。

 現状、王国ではキマイラにコアを使用していることを伏せた上で、魔族に全ての責任を押し付けている。

 それを認めさせようとしているのだ。

 シートゥムは不満げだったが、どうにかツァイオンが説得し、了承。

 王国との交渉は、その方向性を軸として臨むこととなった。


 議題はそれだけではない。

 次に残ったキマイラの処理について。

 その気になれば、キリルは肉体を吹き飛ばせるし、フラムはコアを破壊できる。

 しかし、数が数だ。

 力ずくで破壊し処分するにも、かなりの労力がかかる。

 かといって、撤去のために制御装置を使わせるのも不安である。

 これに関して、妙案は出なかった。

 セレイドの周辺に放置したままだと住民が怯えてしまうということで、ひとまずは離れた場所に移し、毎日少しずつ焼却していく。

 あるいは王国にそのコストを背負わせるか――このあたりも、停戦交渉と合わせて考える必要がありそうだった。




 ◇◇◇




 それから二日後、教皇の葬儀の準備が進む王都に、ロディの手によって信書が届けられた。

 魔族領内に単身で向かった彼は、戦いの終わった数時間後に魔族に発見され、捕虜となっていたのだ。

 と言っても実際は、アンリエットの「孤立している彼を助けてやってほしい」との要望で保護されたわけだが。

 そして彼はネイガスによって国境付近まで送られ、そこから王都へ向かったというわけである。

 信書を受け取った国王スロウは、『新たな停戦協定締結を求める』という心待ちにしていた一文を見て、玉座からずり落ちそうになるほど安堵したという。

 その様子を見ていたエキドナが、頭を抱えてため息をついたのは言うまでもない。


 サトゥーキ抜きの今の体制では、地方の貴族が謀反を起こしかねない。

 彼の葬儀が終わるまでは自重しているようだが、その後はどうなることか想像もしたくない状況であった。

 だが――交渉で捕虜を解放すれば、少なくとも軍の指揮官たちは王都に戻ってくる。

 そうなれば、キマイラという戦力も保持している国王は、一応の威厳を保てるはずだ。

 つまりスロウからしてみれば、言葉通り死活問題だったのである。

 ホッとするのは当然のことだ。


 魔王城に返事が届いたのは、それからさらに三日後のことであった。

 その文章からは、すぐにでも交渉の場を設けたいスロウの感情がにじみ出ていたと言う。


 かくしてそれから二日後――つまり戦いが終わってから一週間後に、王都で国王と魔王の会談が行われることとなった。

 それは、サトゥーキの葬儀を引き伸ばせるギリギリのタイミングだったそうだ。

 無論、今まで魔族を悪だと信じこまされてきた国民たちは、勇者と英雄たちが魔族側に付いていることや、ウェルシーが書いた記事の情報が広がっていることもあってか、複雑な心境を抱いていた。


 これまでサトゥーキの傀儡だったスロウ。

 言ってしまえば、彼は王様の格好をしただけの、一般人である。

 参謀も無しに交渉などできるはずもなく、今回の会談においても、ほぼ魔族側の言いなりであった。

 連れ添っているのは、研究者であるエキドナと数人の兵士だけで、参謀となりうる人物も、護衛として十分な戦力も連れていない。

 特にエキドナは、「なぜ私が参加しなければなりませんのぉ?」と不満げであった。

 そんな彼女を連れてこなければならないほどに、スロウには余裕が無いのだ。

 もっとも、シートゥムには彼を陥れようという考えは全く無いので、今回に限っては、言いなりになるのも決して間違いではないわけだが。


 そして言うまでもないが、王国は魔族側の要求を全て飲んだ。

 捕虜の解放を条件として、恒久的な停戦協定を改めて締結。

 さらに、魔族とオリジンに関する真実の迅速な公表、オリジンコアに関する研究の停止、キマイラの処分への協力を約束させた。

 王国を裏切ったフラムたちを罪に問わず、地位を保障することに関しては、むしろスロウの方から提案してきた。


 これにて一件落着――とまでは行かないが、王国内の混乱は今より落ち着くだろう。


 そして翌日、会談に参加したシートゥムとツァイオン、ネイガスの三人は、ディーザの待つセレイドへと戻ることになった。




 ◇◇◇




「……で、なんでおらはここに連れてこられたんすか?」


 シートゥムたちが魔族領へ戻る直前、セーラとネイガスは、王城の隅で二人きりになっていた。

 兵士すらいない薄暗いその場所で、ネイガスは真剣な表情でセーラを見つめている。


「めでたい話ってわけじゃなさそうっすね」


 てっきり、別れの前にまたセクハラでもされるのかと思っていたセーラだったが、そうではないようだ。

 空気が重苦しい。

 せっかく戦いが終わったというのに、なにをそんなに落ち込んでいるのか。


「まさか、おらと別れるのが嫌、とかっすか?」


 自分から聞くのは恥ずかしかったが、黙り込んだネイガスから言葉を引き出すために、あえて言葉にした。

 すると彼女はいつもより低い声で答える。


「それも、理由の一つよ」


 正直、セーラはそこそこ嬉しかった。

 だが、だからと言ってネイガスについていくわけにもいかない。

 セーラにだって帰るべき家がある。

 再会は済ませたが、中央区の教会ではティナたちがまた一緒に暮らせるのを心待ちにしているのだから。


「ねえセーラ、私と一緒にセレイドに戻らない?」

「いくらなんでも無理っすよ、おらの家は王都にあるんすから」

「ずっとじゃなくていいの、一時的に」

「いつまでっすか?」

「私の……不安が、消えるまで」


 まるで子供のような言い草に、セーラは思わず吹き出してしまった。


「ネイガス、おらよりずっと年上なんすよね? だったらそれぐらい我慢してほしいっす。何も今生の別れってわけじゃないんすから」

「それはそうだけど……」

「言っておくっすけど、その……おらだって、寂しいと思ってるっすよ。だから、また会いたいっす。それじゃ、ダメっすか?」


 セーラなりに勇気を振り絞ったつもりだった。

 それが、単純に寂しさによる誘いなら、ネイガスは満足しただろう。

 だが彼女は、『理由の一つ』と言った。

 つまり――他にも動機があるのだ。

 だからネイガスは首を振って、拒絶する。


「違うのよ、この不安は……私にもよく説明できないけど、でも……ここで手を離したら、二度と会えないような気がするの」


 いまいち要領を得ない言い方だ。

 首を傾げるセーラだったが、ネイガスがふざけていないことだけは、はっきりとわかった。


「王国との戦いは終わったっすよ。封印が緩んだ原因も、これからエターナさんなんかが協力して、解明するって言ってたじゃないっすか」

「本当に、そうなの? 本当に戦いは終わったの?」

「確かに、まだマリアねーさまがどうしてサトゥーキを殺したのかとか、わからないことはあるっすけど……でもこれ以上、誰と戦うって言うんすか?」


 セーラの言葉も正しいのだ。

 ネイガスの抱いている不安は、言葉にできるものではない。

 いや――本当は彼女も、気づいているのかもしれない。

 状況の不自然さ。

 いまだセレイドの周辺に残る大量のキマイラ。

 マリア・アフェンジェンスがサトゥーキを殺した理由。

 キリルに渡された見覚えのない装備。

 そして、マリアとセーラの故郷が魔族に襲われたという記憶――全ての点を繋ぎ合わせた結果、見えてくるものがある。

 だがそれを認めてしまえば、ネイガスがセレイドで過ごした日々の全てが、壊れてしまう。

 それに確証は無い。

 だから今は、せめて――一番大切な人を手元に置いておくことで、万が一の事態に備えたかった。

 何も起きないのならそれでいい。

 しかし、何か起きてしまったら、救えたかもしれないセーラを失ってしまったら、そのときネイガスはきっと、耐えられないだろう。


「ネイガス……?」


 子犬が主に縋るように、彼女はセーラを見つめた。

 セーラは優しい。

 その悲痛さを真正面から受け止めた上で、見捨てられる人間ではない。

 一歩前に進んで、ネイガスの頬に手を伸ばした。

 肌は青いが、体温は人とそう変わらない。


「同じようなこと、シートゥムやツァイオンさんに言ったっすか?」

「いいえ、言ってないわ。セーラちゃんだけよ」


 セーラは慈悲深く微笑み。

 それはもう、避けようのないものだ。

 自分にしか言えないのなら、自分しか頼れないのなら、もはや彼女を支えることは義務と言ってもいい。


「仕方ないっすねえ」


 どちらが年上かわかったもんじゃない。

 けれどこの際、そんなことはどうでもいい。

 セーラは思う。

 きっとこんなとき、フラムなら迷いなく――『好きな人が苦しんでるなら、支えるのは当然のことだから』とか言うんだろう。

 あいにく、セーラにはそこまでの思い切りはなかったが、言葉で伝えられない分、行動で伝えることはできる。


「帰りはもちろん、ネイガスが送ってくれるんすよね?」

「……いい、の?」

「断ったら無理にでも連れて行かれそうっすからね」

「セーラちゃん……っ!」


 ネイガスは両手でセーラを抱き寄せ、その顔を胸で包み込んだ。

 セーラはあまりの勢いに「わぷっ」と声をあげる。

 そして顔を赤くしながらも、ネイガスの背中に腕を回した。




 ◇◇◇




 魔族領へと戻るシートゥムたちを見送ったあと、勇者一行はリーチの屋敷へと向かう。

 お詫びとお祝いを兼ねて、リーチがパーティを開いてくれることになったのだ。

 王城を出て東区へ向かうフラムたち。

 エターナと手をつないだインクは、腕を広げて胸いっぱいに王都の空気を吸い込んだ。


「んうぅーっ! ひっさびさの王都の味だぁーっ! まずーい!」


 あまりにストレートな感想に、フラムの隣りにいたキリルが吹き出した。


「確かにセレイドよりまずい」

「人が多いからな、だが俺はこういうのも嫌いではないぞ」

「あたしらはそれに慣れてるからねぇ」


 色んな匂いの入り混じった王都の空気は、決して綺麗とは言えない。

 だが中には、それが好きな人間もいるようである。


「ハロムはね、どこにいてもここが落ち着く!」


 ガディオの腕に抱かれたハロムは、彼の胸に顔を埋めて「すうぅ」と息を吸い込んだ。


「私も帰ってきたって感じはするかな」

「私もです、ずっとこの街で暮らしてきましたから」


 フラムにとっての故郷ではないが、王都にはあまりに多くの思い出が詰まっている。

 時間にしてみれば人生のうちのほんの一部でも、その濃さは比べ物にならない。


「ライナス、またマリアのこと思い出してるの?」


 キリルは、憂鬱げに空を見上げるライナスに問いかけた。


「もう戦いは終わったんだ、姿を現してくれてもいいのにな」


 オリジンの封印が終われば、受信できる力が消え、コアは効力を失うだろう。

 チルドレンと異なり、彼女はコアを体内に埋め込んだだけだ。

 取り除いてやれば、また普通の人間の体で生き続けられるかもしれない。

 どのみち罪は消えないが、ライナスは人のいない辺境で、二人で暮らす覚悟はとっくにできていた。


「……すまねえな、これからめでたいパーティだってのに。湿っぽいのはやめだ、今日ぐらいは俺も楽しむさ」


 彼は仲間の向ける身を案じる視線に、笑顔で答えた。

 明らかに無理をしている。

 だが彼の意思を尊重して、今日だけはそれ以上追及しない。


「それにしても、セーラちゃんがまさかネイガスさんについていくなんて想像もしてなかったなぁ」

「……愛?」

「あ、やっぱりエターナさんもうそう思います?」

「フラム、あんまり茶化すとセーラが怒ると思うよ」

「だが今回はさすがにな、彼女にも帰る家があったんだろう? それを放り出してまでネイガスについていくとは、相当だぞ」


 今回のセーラの行動には、ガディオですら驚いた。

 中央区の教会には伝えてあるようだが、そこでもみな驚愕していたに違いない。


「セーラ、いつの間にそんな大人になっちゃったの……」


 インクは少しショックを受けているようだ。

 大人かどうかはさておき、二人の絆の深さがそこまでとは――


「やはり、二人きりでの旅が大きかったのでしょうか」

「寝ても起きてもずっと一緒だもんね、一気に距離が縮まってもおかしくないと思うよ」


 邪推に次ぐ邪推である。

 事実など誰も知らず、一行はセーラの話で盛り上がりながら、リーチの屋敷を目指す。




 ◇◇◇




 リーチは屋敷の入口で、土下座をしてフラムたちを迎えた。

 盛り上がった空気に水を差すことになるのは理解していたが、それでもやらずにはいられない。

 その傍らでは、彼の妻であるフォイエが深々と頭を下げている。


「リーチさん、フォイエさん、やめてください! 脅されてたってことは私も知ってますから、何も悪くないですよ!」


 真っ先にフラムは二人に駆け寄り、それをやめさせようとした。

 だがその意思は強い。


「謝っただけでは済みません。私は、取り返しのつかないことをしてしまいました。本来なら、裁きを受けるべき人間です」

「この度は私のせいでご迷惑をかけてしまい、申し訳ありませんでした」


 こうして自分の足で立って頭を下げられるのは、フラムが薬草を手に入れたおかげでもある。

 そんな命を救ってくれた恩人に対して、返したのは仇だ。

 もちろんフラムはそんなこと考えてはいない。

 むしろ家まで貰って、逆に頭を下げたいぐらいだというのに。


「兄さん、義姉ねえさん、もういいんじゃなーい? みんな引いちゃってるよー?」

「ウェルシーさん、無事だったんですね!」

「ふっふっふ、私を舐めてもらっちゃ困るかんね。ま、兄さんの協力のおかげでもあるんだけどー」


 フラムたちが王城から脱走したあと、リーチはウェルシーに近づき、和解を申し出た。

 もちろん、彼女は拒んだ。


『サトゥーキなんかに魂を売った兄さんは信じられない』


 そう言って、掴んだ腕を振り払ったのだ。

 しかし、彼も引かなかった。


『妹を見捨ててのうのうと生き残っても、リーチ・マンキャシーという人間は死んだも同然だ』


 強い覚悟を込めて、そう告げる。

 他にもやり取りはあったが、決め手となったのはその言葉だろう。

 結局、ウェルシーは兄を許し、そして彼の助けを借りてより多くの新聞を王都に届けたのである。


「兄さんもすっごく反省しているし、途中からはサトゥーキに歯向かってたわけだし、さ。みんなも兄さんのこと……許してくんないかな」

「お願いしますっ!」


 ウェルシーの言葉に続けて、フォイエも再び頭を下げる。

 そもそも、フラムをはじめとして彼を許さないつもりでいる人間は、この場に一人もいないのだが。

 恨むならサトゥーキであって、彼も死んだ今、もはや思うことはなにもない。


「んーと……ミルキットはどう?」

「私ですか? 私は、特に……」

「インクは?」

「なんとも思ってないよ、助かったから結果オーライってことで」

「ケレイナさんは?」

「奥さんを守るために必死になった男を恨むほど、あたしは小さくないよ。ねえ、ハロム」

「ハロムはまだ小さいよ?」

「あははっ、そういうことじゃないんだよ。でもま、気にしてないってことで」


 人質にされた四人全員が、許すと言っている。


「だそうですよ、リーチさん」


 これ以上に頭を下げても、ただの自己満足にしかならない。

 彼とて、それが理解できない男ではないはずだ。


「……ありがとう、ございます」


 絞り出すようにリーチは言った。

 そして立ち上がり、大きく息を吐いて、いつもの柔和な表情に戻る。


「すまないねフォイエ、付き合わせてしまって」

「いいえ、あなたは私を守るために自分の心を裏切ったのです、一緒に背負うのは当然のことじゃないですか」


 二人は軽く言葉を交わし、そして今度こそ、本当の意味でフラムたちを屋敷に迎えた。


「みなさん、長らくお待たせしてしまい申し訳ありませんでした。それではパーティ会場に案内いたしますので、こちらに」


 リーチとフォイエは、みなを広間へと案内する。

 ウェルシーは、ようやくいつもの調子に戻った兄夫婦を見て、満足げに頷いていた。




 ◇◇◇




 魔王城でも驚いたものだが――広い会場に用意されていたのは、まさに別次元の料理の数々だった。

 魚も肉も野菜も果物も、何もかもが贅沢の限りを尽くしており、高級食材の代名詞から、宝石に例えられるほどの珍味まで揃っている。


「この大きさのオーグル……家が買える」


 エターナは自分の頭の大きさほどある黒い物体を至近距離で眺め、驚きに目を見開いている。

 オーグルは、黒い皮の内側に、黄色がかった白い果肉が詰まった果物だ。

 市場で通常出回っているのは、人の拳ほどの大きさである。

 そのサイズだと酸味が強く、加工しないと食べられないのだが、大きくなれば大きくなるほど甘く、香りが強くなるのがこの果物の特徴。

 顔ほどの大きさとなると、内側の甘みが溶け出したかのように、外にまで香ってくる。


「なんか甘い、いい匂いがするー」

「むしろわたしは、これを売って家を買いたい」


 完全にエターナの頭の中はお金でいっぱいで、目もうつろである。


「いやエターナ、さすがにここは食べようよ……」


 インクは必死で腕にしがみついて、彼女を現実に引き戻そうとしていた。

 一方でガディオとライナスは、巨大な生肉の塊の前で足を止めて何やら語り合っている。

 近くには鉄板が用意されており、オーダーした量だけシェフが目の前で焼いてくれるらしい。


「驚いた、ディープフォレストバッファローか」

「Sランクモンスターだよな、山の奥深くにしか生息してないとかいう。どうやって手に入れたんだよこんなの」


 高級なのは言うまでもないが、それ以上にこの肉は貴重なのだ。

 ディープフォレストバッファローは、山の奥深くに住むという話はあるが、一生そこに籠もったとしても、一度遭遇できれば運がいい方と呼ばれているほど珍しいモンスターである。


「これを入手できたのは偶然なんです、私も驚きました」


 歩み寄ってきたリーチがそう言った。


「そりゃ俺らも運がいい、味も最高級だって言うしな」

「しかもこの大きさ、いくら食っても無くなりそうにないな。早速焼いてもらうか」

「はい、たくさんありますので思う存分召し上がって下さい」


 早速ガディオはシェフに声をかけ、いきなり一キログラムほどのステーキを焼いてもらおうとしていた。

 ライナスも負けじと、同程度の大きさをオーダーしている。


「相変わらずガディオはよく食うねえ」


 その様子を見て、ケレイナは昔を思い出して苦笑した。


「昔からそうだったんですか?」

「ティアが生きてた頃なら、今ほどじゃないよ。あのときはまだ細かったからねえ」

「パパ、細かったの?」

「そうよ、と言っても普通の人に比べれば大きかったけど……あーん」


 ケレイナが口を開くと、ハロムが赤い野菜を放り込む。


「んぐ……でも今の体になってからは、とにかくよく食べるんだこれが」

「料理するの、大変そうですね」

「まあ、食いっぷりはいいから、作る側としては幸せだけどねえ」


 フラムは、自分が食事をしているとき、ミルキットがよく笑っていることを思い出した。

 やはり料理を作る人間にしてみれば、他の人に美味しいと言ってもらったり、たくさん食べてもらうのは幸せなものなのだろう。


「お姉ちゃん、ごはん食べないの?」


 ふいにハロムは、フラムの手元を見ながら言った。

 確かに彼女は、まだ何も口にしていないようだ。


「ああ、これはね、ミルキットが取ってきてくれてるの」

「自分でとりにいかないの?」

「私もそのつもりだったんだけど……」


 ミルキットが『私が取りに行きますから、ご主人様はゆっくりしていてください』と言って聞かなかったのだ。

 王都に戻ってこれて浮かれているのか、今の彼女はやけにやる気に満ちている。

 今はどこで何を取りに行ったのか――フラムが会場を見回すと、巨大な魚が横たわるテーブルの前に立つミルキットの姿を見つける。


「お、キリルちゃんと一緒なんだ」


 彼女はキリルと並んで、何やら話しながら料理を皿に乗せているようだ。


「それもフラムのやつ?」

「はい、そうです」

「ミルキットって、尽くすタイプってやつだよね」

「がんばって尽くさないと、ご主人様が与えてくれるものをお返しできませんから。今だって、ずっと溜まってばっかりなんですよ」

「たぶんフラムは、そんなこと考えてないと思うけどな」

「そうですね、ご主人様からもそう言われます。でも……」


 ミルキットは、料理を取る手を止める。

 そして口元に緩んだ表情を浮かべて言った。


「私にとって、ご主人様に尽くしてるこのときが、一番幸せなんです。だからわかってても、やめられそうにありません」


 それがあまりに幸せそうに言うものだから、キリルの手も思わず止まってしまう。

 一緒に過ごしている間に何度も感じたことではあるが、改めて思う。

 この子、フラムのことちょっと好きすぎやしないか――と。


「私、わがままですよね」

「いいんじゃないかな。フラムもきっと、ミルキットが幸せならそれでいいって言うと思うよ」


 当てずっぽうではなく、キリルは確信していた。


「そう、でしょうか」


 そう言って、はにかむミルキット。

 釣られて胸が暖かくなるほど、彼女は幸せそうだ。

 キリルはそんなミルキットを見て、フラムのことを素直に尊敬する。

 どんなに力があっても、誰かを幸せにすることは難しい。

 ミルキットが感じているほどの幸福ともなると、その難易度はさらに跳ね上がるだろう。

 それを成し遂げたフラムは、きっと自分よりずっと偉大な人間なんだ――とキリルは思わずにいられない。

 冷たく当たった自分を許してくれたことにしたってそうだ。

 ことあるごとに、フラムはキリルを『すごい』とか『私にはできない』と褒めてみせるが、それはただ力を持っているだけに過ぎないのだ。

 器の大きさが、比べ物にならない。


「いえ、そうですね。きっとご主人様だったらそう言うと思います。だって、あの人は……とても、すごい人ですから。私なんかにはもったいないぐらい」

「私もそう思う。私なんかが友達でいいのかな、って」

「でも、ご主人様はそんなこと考えてないんですよね。損得なんて関係なしに、手を差し伸べてくれるんです」


 フラムだって、最初からそんなに強かったわけじゃない。

 ミルキットと出会ってから、様々な苦難を乗り越えて、ようやく今の彼女にたどり着いたのだ。

 キリルはその頃のフラムのことも知っていて、だから余計にすごいと思ってしまう。


「……ミルキット、私もフラムに料理を持っていってもいい?」

「構いませんが、どうしたんですか?」

「少しでも貰ったものを返せたらいいなと思ったの」


 無論、そんなもので返せるはずもないが――小さいことから、コツコツとやっていかなければ、いつまでも貰ってばかりで減りやしない。

 その後、ミルキットとキリルはそれぞれ両手に料理を抱えて、フラムが食べきれないほどの量を持っていき、三人で仲良くそれを分けるのだった。




 ◇◇◇




 一部にアルコールも入りはじめ、パーティが盛り上がりを見せる中、フラムは会場を抜け出して屋敷の庭に出た。


「あれ……ここでもないんだ」


 かれこれ三十分ほど前から、キリルの姿が見えないのだ。

 トイレかと思ってそちらにも探しに行ったが、見つからず。

 使用人に尋ねても誰も知らなかったため、外の空気でも吸いにいったのかと思い外へ出てみたのだが――やはり、見当たらない。


「どっかの部屋で寝てるのかな、だとしたら使用人さんが知ってそうだけど……」


 悩むフラムの背後から、足音が近づく。


「ご主人様、誰かを探しているんですか?」

「ああ、ミルキット。ちょっとキリルちゃんをね」

「確かに、姿が見当たりませんね」

「うん、もっかい屋敷に戻って、聞いてみようと思う」


 そう言って中に入ろうとするフラム。

 すれ違いざま、ミルキットはそんな彼女の服を掴んだ。


「……ミルキット?」


 足を止め、不思議そうにミルキットの方を見るフラム。


「あの、よろしかったら、少しここでお話しませんか? 今日は、なかなか二人きりになれなかったので」


 ミルキットは甘えるようにすり寄る。

 彼女のその仕草に、フラムの胸がどきりと高鳴った。

 その卑怯なほどの可愛さを前に、拒絶できる人間はきっとこの世に存在しないだろう。


「ミルキットの方からそういうこと言うの、珍しいね」

「ダメ、でしょうか」

「ううん、言ってくれて嬉しかった」


 好きな人から求められて、喜ばない人間もこの世に存在しない。

 流れる甘ったるい空気に、酔ったようにくらくらしながら、二人はさらに距離を縮めた。

 いつの間にか胸にすっぽり収まったミルキットを、フラムは片手で抱き寄せる。


「好きです、ご主人様。好き……大好き……」


 主の首元に顔を埋め、ミルキットは熱に浮かされたように繰り返す。

 息を吸い込むと、胸いっぱいにフラムの香りが満ち、熱にうかされたように頭がくらくらする。


「私も、好きだよ」


 言っても言われても、胸が高鳴る魔法の言葉。

 うるさいぐらい脈打つ心音。

 それは体を触れ合わせるだけで、相手の鼓動を感じられるほどだった。


「ご主人様、ドキドキしてますね」

「ミルキットだって」

「はい……一緒です。私と、ご主人様は、一緒なんです」


 いつもと少し違うミルキットの雰囲気に、フラムは少し戸惑う。


「ご主人様、魔王城で……王都に戻ったら、大事な話があるって言ってましたよね」

「あー……うん、言ってたね」

「あれから色々考えて、どんな内容なのかなって悩んで、そして……エターナさんに相談したりもしてみたんですが」

「うあ、あの人にしちゃったんだ」

「はい、しちゃいました」


 できれば避けてほしかった――が、他の誰ならよかったのかと言われると、答えられない。


「はっきりとしたアドバイスはもらえなかったんですが、なんとなく、わかってしまって」

「……うん」

「でも、私とご主人様の気持ちは、一緒なんですよね? それなら、怖がることもないのかな、と思ったんです」


 たぶん、答えは最初からわかりきっている。

 単純明快で、一文字で表せるアレだ。

 だが、文字数が少ないからと言って簡単なわけではない。

 きっとこの世で一番難しく、何が正しいのかわかりにくいものだ。

 だから――というか、どちらかと言うとフラムが怖気づいているから、なのだが――言葉にして告げるには、かなりの勇気が必要だ。

 しかし、ミルキットはフラムの瞳を真っ直ぐに見つめている。

 逃げられそうにはない。

 いや、どうせ王都に戻ったら伝えるつもりでいたのだ、後回しにしようが今だろうが、気持ちが変わるわけじゃない。

 勇気を振り絞るなら、今だ。


「じゃあ、言うね」

「は、はいっ」


 いざ本番となると、ミルキットも緊張してきたのか、返事が若干どもっている。

 それで、フラムは少し安心した。

 一人だけ緊張するのは、なんとなく嫌だったのだ。

 ほんのちょっとだけ楽になって、軽くなった心。

 そこにたっぷり溜まった彼女への想いを、そのまま伝える。


「私、ミルキットのことが――」






 ぶじゅるっ、ぶじゅ。






 そのときフラムは、肉が渦巻く音を聞いた。

 ミルキットだけを見ていた視線を上げると、庭の奥に、ぽつんと立つ人影がある。


「……え?」


 髪も、服も、背格好も、彼女そのもの。

 しかし顔だけは違った。


 潰れている。

 赤い。

 むき出しの肉。

 螺旋状に詰められて。

 不気味に蠢き。

 血を吐き出している。


「キリル、ちゃん?」


 震える声で、フラムはその名を呼んだ。

 立ち尽くす彼女は、何かを伝えるように肉を動かしている。


『ご、め、ん、ね』


 フラムにはそう聞こえた気がしたが、気のせいだったのかもしれない。

 いや、あるいはそこに立つ彼女の存在そのものが、幻だった可能性だってある。


「ご主人さ――」


 主の異変に気づき、声をかけるミルキット。

 しかし彼女の言葉は途中で途切れる。

 そして、ぶつんとスイッチをオフにするように、意識は消失した。










『HAPPY END for You!』











 誰かが嬉しそうにそう言った。

 何が起きたかなんて誰も知らない。

 ただはっきりしていることは――その夜、王都に存在するほとんどの命が失われたということだけだ。





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