検死1 野心家、あるいは傀儡

 





 焦燥が彼を駆り立てる。

 我ながららしくないと思いながらも、感情を止められない。

 慎重に事を進めてきたつもりだったが、ここにきて多くの綻びが露呈した。

 これは、情報の不足が招いた失敗だ。

 王都にてインク・リースクラフトの暴走が引き起こした、あの事件。

 セーラ・アンビレンは大量の眼球に追われ、そのまま死ぬはずだった。

 しかしどういうわけか無事に脱出し、生存。

 当時の教皇は、オリジンコアに関する情報を持つ可能性のある彼女を追放処分とし、二度と王都に戻ってこれないようにした。

 あのとき――サトゥーキは、セーラの動きをさほど重要視していなかった。


「すでに綻び始めていたというのか」


 セーラと王都に侵入していたネイガスが遭遇し、フラムたちと魔族の間に繋がりができたことなど――誰が想像できようか。

 実際は、エニチーデの時点で接触はしていたわけだが、彼がそれを知る由もない。

 とにかく、セーラとネイガスの存在に気づかなかったことが、サトゥーキの計画を崩壊させたわけだ。

 当然、普通の人間ならば焦りもする。

 だが普通ではないからこそ、サトゥーキは今の地位まで上り詰めることができた。

 開戦の前倒しは、まるで一般人のような判断だ。

 そうせずにはいられなかったとはいえ、なぜ自分は、こうも我慢ができなかったのか――


「いや、だとしても、我らの勝利は揺るがない」


 仮に勇者が味方についたとしても、魔族はキマイラの軍勢には勝てない。

 あとは戦いが終わったという報告を待つだけだ。

 しかし、どうにも落ち着かない。

 椅子に腰掛け、書類と向かい合っていたサトゥーキは、「ふぅ」と大きく息を吐いて、天井を仰いだ。

 そして軽く勢いをつけて立ち上がると、気分転換のために部屋から出る。

 特に命令せずとも、部屋に待機させておいた人狼型のキマイラ四体が、ぞろぞろとついてきた。

 護衛のために必要だと割り切っているし、その能力も認めているが、やはり不気味なものは不気味である。

 ドアを開くと、新鮮な空気が中に入り込むと同時に、部屋の前で待機していた騎士と目が合う。

 人間の顔がそこにあるだけで落ち着いてしまう自分に、彼は思わず苦笑いを浮かべた。


「サトゥーキ様、外出でしょうか?」

「いや、少し気分転換をしようと思ってな、外の空気を吸うだけだ」


 そう言って、廊下に出る。

 白一色の壁面には、神をイメージしたと言われるオリジン教のシンボルが描かれている。

 天井は高く、窓も大きく――


「相変わらず贅沢な建物だ」


 王城以上に金と時間と人手をかけた、この大聖堂。

 権威と、そしてオリジンによる汚染の象徴でもある。

 高い場所に設置されたステンドグラスが、外の光を彩色して床を染める。

 よく磨かれた床石は、さらにその色を反射し、壁に淡く絵柄を浮かび上がらせていた。

 実に美しい内装だが、それが教皇が王が胡散臭い神に洗脳され出来上がったものだと思うと、途端に汚らわしく思える。


「……私も人のことを言える立場ではないな」


 サトゥーキはキマイラをちらりと見てそうぼやく。

 人狼の体に、鳥の頭、熊の腕――何種類ものモンスターの力をオリジンコアで強引に繋ぎ合わせた、異形の怪物。

 これに依存している限り、オリジンの呪縛から逃れたとは言えないのではないだろうか。

 今の自分には必要不可欠な力とはいえ、いずれはその依存から脱却せねばならないという思いも持ち合わせていた。

 窓から復興の進む王都の光景を眺めつつ、突き当りのバルコニーへ出る。

 青い空を見上げ、彼は大きく息を吸った。

 少し前までは、チルドレンとマザーの暴走のせいで王都の空気も淀んでいたのだが、最近では随分と浄化されてきた。


「このまま、以前よりも美しい都になってくれるといいのだが……」


 復興は、一種のチャンスだとサトゥーキは考える。

 王都は再生するのではなく、再誕するのだ。

 以前よりも暮らしやすく、美しく、豊かな都市へ――


「そうですわね、わたくしもそう思います」


 大聖堂に響く、女の声。


「誰だ!?」


 サトゥーキが振り向くと、そこには白い仮面をかぶった、修道服の女が立っていた。

 血で汚れた仮面から表情は見えない。


「マリア・アフェンジェンスか……!?」


 だが彼には、そこに立つマリアが笑っているように思えた。


「はい、お久しぶりです教皇様」


 彼女はうやうやしく頭を下げる。

 しかし演技めいたその動作に、敬意など込められていない。

 ゆっくりと頭を上げた彼女は、サトゥーキに歩み寄る。


「キマイラよ、早くあの女を捕らえろ!」


 彼は慌てて命令したが、そもそも本来は、マリアが現れた時点で動いているはずなのだ。

 だがキマイラたちは、まるで人形のようにその場に立ったまま、微動だにしない。


「なぜだ、なぜ動かん……!」

「わたくしが敵では無いからです」

「なんだと?」

「この場合、あなたがた・・・・・と言うよりは、オリジン様の・・・・・・という意味合いですが」


 サトゥーキは言葉の意味が理解できない――いや、理解したくない。

 それを認めてしまうということはつまり、自分の死を受け入れるということだからだ。

 近づくマリア、後ずさるサトゥーキ。

 彼の額には汗が浮かび、口内はカラカラに乾いている。


「だ、誰か……誰か来てくれッ! 侵入者が私を殺そうとしているっ!」

「ふふふ、そういうのを聞いていると思わず微笑んでしまいます。特にあなたのような、他人を見下している人間の場合は」

「なぜ私を殺そうとする!? いや、そもそもお前は何のために――」


 マリアの足が止まる。


なんのために・・・・・・?」


 そして彼女は、かくんと壊れた人形のように、首を傾げた。

 怒りを孕んだその言葉に、サトゥーキは「ひっ」と小さく声を引きつらせる。


「サトゥーキ様なら、わたくしの故郷のことはご存知ですよね」

「し、知っている。教会がディーザとかいう魔族と手を組んで、異教徒の村を滅ぼし、そして――」

「ええ、被験者と聖女候補を集めました。さらに、王国における魔族へのイメージ悪化を加速させることに成功した……そう、それです、そのことで合っています」

「ならば私が狙われる理由は無いはずだッ! あの指示を出した教皇や王は私が殺したんだぞ!? 今は魔族とも敵対している!」

「何か勘違いされているようですが」


 無感情に、淡々とマリアは事実を告げる。


「わたくしとディーザさんは、味方同士です」


 口を半開きにしたまま、サトゥーキは目を見開いた。


「どういう……ことだ……?」

「動機は違えど、目的は一緒。定期的に連絡を取りながら、オリジン様の封印を解くために動いてきました。やがてこの世界から、全ての生命を排除するために」

「そんなことをすれば貴様とて無事ではないはずだ、それでいいのかっ!?」

「構いませんわ」


 即答するマリア。

 とうに迷いなど無い。

 彼女はとっくの昔に、真実を知ってしまったときに、もう壊れてしまっているのだ。


「わたくしの故郷を滅ぼした魔族が嫌い。裏で手引きをしていた人間が嫌い。だけど誰も彼もを憎んで、無関係の人まで巻き込む私も嫌い。中途半端で、嘘つきで、汚くて、この世に生まれてきたこと自体が間違いなんです。きっと、みんな」

「だから、滅ぼすのか」

「はい、滅ぼします」

「そのために、勇者たちの手助けをしていたのか」


 これまで淀み無く答えていたマリアが、初めて悩む仕草を見せる。


「それは……せめて、少しでもいい夢を見てほしいと思ったから」

「夢?」

「わたくし、ライナスさんのことが好きなんです。全てを諦めて、もう引き戻せないところまで来たのに、そこで初めて恋というものを知ってしまって……正直、困りました」


 たくさんの嘘を重ねてきた。

 罪も、悪意も、何もかもを飲み込んで、ただでさえ嫌いだった人類を、そして自分自身を、彼女はさらに嫌いになっていった。

 そんな中で出会ってしまった、ライナスという男性の存在。

 それは全てを諦めたはずの彼女の人生に初めて灯ってしまった、希望の光だ。


「きっとわたくしが介入せずとも、脚本は同じ結末に収束したはずなんです。誰が勝とうが、誰が負けようが、オリジン様は復活する。だったら、その過程において、せめてあの人には笑っておいて欲しい」

「……自己満足、だな」


 問いかけたはいいものの、それはサトゥーキにとってどうでもいい答えだった。

 せめて、心の隙を付けるような動機だったら、一泡吹かせてやろうと考えていたのだが。


「そうですね、確かにサトゥーキ様の言う通りです。最初はライナスさんだけだったのですが、一緒にいるうちに少しずつ他の方々にも情が湧いてしまいまして。いくらか、余計なことはしてしまったかもしれません。ですがどのみち、結末は一緒です」


 彼女は一歩、前に進んだ。

 同じく一歩、後退するサトゥーキ。

 だが、もう後がない。

 彼の手のひらが、手すりのざらりとした感触に触れる。


「あなたはここで死に、そしてオリジン様は復活する」


 また一歩、仮面の女は前進する。

 歩幅分だけ、二人の距離が縮まった。


「死んでなるものか。私にはまだ、やるべきことがあるのだ!」

「そうですか、ですが――」


 マリアが何かを言いかけたところで、背後から複数の足音が近づいてくる。

 サトゥーキの助けを求める声を聞いて、騎士たちが駆けつけたのだ。

 彼は安堵の吐息を漏らす。


「ご無事ですか、教皇様!」


 到着した騎士は三人。

 マリアを倒すことは到底叶わないだろうが、逃げる隙ぐらいは作れる。

 彼らは槍を握り、緊張した面持ちでその穂先を彼女に向けた。


「行きなさい」


 マリアは振り向くことなく、軽く手をあげてそう指示・・した。

 すると、これまで動こうとしなかった四体のキマイラが、一斉に騎士たちに飛びかかる。


「馬鹿な……っ!?」


 驚愕するサトゥーキ。

 驚く暇もなく胸を貫かれる、二人の騎士。

 一人はどうにか初撃を避けたが、実力はもちろん数ですら劣っている彼らに勝機などない。

 あっさりと背後に回り込まれ、両手を真ん中に突き刺し、左右に引き裂かれる。

 悲鳴すらあがらず、あっという間に三人の死体が転がり、血液が血を濡らした。


「オリジンコアは、完全に制御できたのではなかったのか!?」

「確かにできていましたよ、エキドナさんはとても優秀な研究者でしたね。ですが――わたくしが直接呼びかければ、これぐらいなら」


 要は強度・・の問題だ。

 封印されたオリジン程度ならば、エキドナの施した処置で対処できるだろう。

 しかし、オリジンが万全の状態、あるいはマリアのように彼に都合よく変えられた体を持った人間が強い意思を送り込めば、それは自由に操ることのできる殺戮人形と化す。


「これまで教会はさまざまな研究を行い、オリジン様の可能性を広げてきました」


 死体の前で直立する人狼型キマイラ。

 そのうちの一体が体を震わせたかと思うと、「グゲッ、グギャッ」とうめき声を出し始める。

 そして口から、捻れた肉を吐き出した。


「チルドレン」


 べちゃっと床に産み落とされたそれは、虫のように這いずり、死体へと近づいていく。

 胸にぽっかりと空いた穴。

 肉虫はそこから体内に入り込むと、心臓があった場所で膨らみ、全身に汚染された血液を送り出す。

 すると死体は立ち上がり、キマイラ同様に、指示待ちの状態で静止した。


「ネクロマンシー」


 また、別のキマイラはいまだ倒れたままの死体に近づき、覆いかぶさる。

 毛むくじゃらの人狼の体。

 それを死体にぴたりと密着させると、二つの肉体は溶け合い、混ざり合っていく。

 結合というよりは、吸収である。

 騎士の死体は完全に消え失せ、立ち上がったキマイラは、サトゥーキの方を向いてぴたり止まる。


「そして、キマイラ」


 その顔は、鳥ではなく人間――飲み込まれた騎士と同じものに変わっていた。


「時間はかかりましたが、得たものは多く。特にキマイラは、これから世界を滅ぼすにあたって、大きな戦力となることでしょう」

「まさか……キマイラを魔族領に展開したことすら、お前たちの思惑通りだったというのか……?」

「そうかもしれません」


 それが真実ならば――サトゥーキは全身の血の気が引いていくのを感じた。

 オリジンに逆らっていると思っていた。

 王国を人間の手に取り戻したはずだった。

 だが、思い当たる節がないわけではない。

 なぜ自分は人魔戦争に固執し続けたのか。

 父親という動機があるにしても、そこまで親のことを強く思うほど、自分は優しい息子だったろうか。

 それに――功を焦り、出撃を前倒しにしてしまったこの判断が自分らしくない・・・・・・・と、疑念を抱いたばかりではないか。

 確信するには材料が足りない。

 しかし、完全に否定できるほどの理由もない。


「ひょっとすると、あなたのこれまで歩んできた人生も全て、オリジン様の導きなのかもしれませんね」


 止まっていたマリアの足が、また動き出す。


「違う! そんなことがあってたまるものかッ!」


 そこに逃げ場はなく、いや――思えば最初からそんなものは無かったのかもしれない。


「自分の意思で歩んできたと思っていた道が、全て与えられたものだとしたら」


 人は生まれたときから庭のなか。


「私は私の意思で生きてきた! たとえ神だとして、それを否定することなどできるものか!」


 ぐるぐる回る螺旋の渦を、真っ直ぐ歩くと錯覚して、自分で選ぶと勘違いして、道化のようにゆらゆら歩く。


「ならばどうして、そんなに必死なのでしょう。自分の意思だと信じているのなら、もっと堂々としてください」


 人は儚き神の駒。


「そ、それは……あぁ、やめろ……来るな、来るなぁっ! 誰か、誰かいないのか! 他の騎士は何をしているッ!」


 歪み捻れる地獄の内で、あるかもわからぬ楽土を目指す。


「さようなら、今までありがとうございました」


 その熱量は、すべて神の糧となり。

 その足掻きは、すべて神の餌となり。


「私は、私はまだ死にたくない……! 王国はまだ私を必要と――あ」


 その命は、すべて神の贄となり。


 ドチャッ。


 落ちて弾けるそのときに、花開く蕾のように、あるいは熟れた果実のように、甘い蜜を撒き散らす。


 いただきます。

 ごちそうさま。


 人の言葉がそれならば、神は手と手を合わせたのちに、慈悲の言葉をこう告げる。


「ご冥福をお祈りします」


 そして彼女はなんだか無性におかしくなって、ぴくりと表情筋を震わせた。

 それは今の彼女にとって、渦を歪ませるだけの行為だ。

 人の顔はそこにはない、だから人並みの感傷にも意味は無い。

 バルコニーの下を覗き込み、血と脳漿を撒き散らし、動かなくなったサトゥーキの死体を確認する。

 感情は動かない。

 彼が死んたことに対して、彼女は何も想わない。

 もはや、すでに、復讐をしようという人間めいた想いからは逸脱していた。

 消えてしまえばいい。

 世界ごと、何もかも。

 失望の末、そう答えを出した彼女は、人でなしの深みへと、さらに引き返せない場所へと進んでいく。


「もうじき、世界が終わります。ですが――」


 そのときが来れば、父から誕生日プレゼントを貰ったあの日のように、心が躍ると思っていたのに。

 家族三人で出かける前日のように、心待ちにできると思っていたのに。

 そんなことはなかった。

 願いが叶おうというのに、死体を見たときと同じように、心はこれっぽっちも動かない。

 微動だにしないということは、考えても仕方がないということ。

 思考と人間性を破棄し、聞こえるお告げに身を委ねる。

 マリアはそうして踵を返すと、バルコニーを出て大聖堂の外へと向かう。

 キマイラと、人の顔をした異形と、甦った死体は、そんな彼女に追従した。




 ◇◇◇




 サトゥーキ・ラナガルキ、享年四十九歳。

 大聖堂のバルコニーから落下し、死亡。

 死因は地面に頭部を強打したことによる脳挫傷でした。

 ご冥福をお祈りします。





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