第88話 心を重ねる

 





「お、おほんっ! それでは改めまして」


 場所を変えたいというシートゥムの要望で、玉座の間へ連れてこられた一行。

 豪華に装飾された玉座に腰掛ける、床に足の届いていない少女は、何度か頬をぺちぺち叩いて真面目な顔を作る。

 彼女の近くに並んで立つ三魔将――ネイガス、ツァイオン、そしてディーザの三人。

 どうにかして魔王が荘厳な雰囲気を作ろうとしているのに、ネイガスとツァイオンはニヤニヤしているし、ディーザも必死に笑いをこらえていた。


「私が魔王――もとい封源の巫女であるシートゥムと言います、以後よろしくお願いします」


 そう言って、彼女は頭を下げた。

 ずいぶんと腰の低い魔王である。

 ついでに言えば身長も低いし、およそ魔族の長とは思えない背格好だ。


「封源の巫女って、どういうこと?」


 そう尋ねたのはキリルである。


「勇者キリル……まさかあなたを頼りにする日が来るとは、思いもしませんでした」

「それはお互い様だよ。悪いのは、騙されてた私たちの方だけど」

「いえ、いいんです、私も事情は理解していますから。それで封源の巫女についですが、オリジンの封印を管理する役割を担う者のことです。代々、私の一族が担当してきました」

「巫女ってことは、ずっと女だったのか?」


 ライナスの問いに、シートゥムは首を横に振る。


「いえ、男性のときもありました。その場合は封源の巫覡ふげんと言っていたそうです。ただし、ここ何代かはずっと女性だったみたいですが」

「オリジンの封印の管理って、具体的に何をしてるの?」


 続けてフラムが声をかけると、彼女の動きが止まる。


「反転属性の使い手、フラム・アプリコット……」

「そう、だけど」

「あなたも、キリルさんとは違う意味で、ここには来ない方がいい人間のはずだったんですが」

「オリジンが私を狙ってたとか、そういう話?」

「はい。オリジンに対して非常に有効な能力をもつあなたを取り込めば、自分が消えることはない。あれ・・はそう考えたのでしょう」


 フラムはその話を、どこかで聞いたことがある気がしていた。

 あるいは、以前の自分は推測で同じ結論に達していたのかもしれない。

 気づけばディーザも、その存在が気になるのか目を細めてフラムの方を見つめていた。


「でも、封印されてるなら、その取り込むっていうのもできないんじゃないかな?」

「お恥ずかしい話なのですが、オリジンの封印が一部緩んでいる可能性がありまして、必ずしも取り込めないと言い切れる状況ではないのです。おそらくその力が王都の人間に作用し、キマイラなどという物が生まれてしまったのだと思われます」

「封印の管理が役目なら、その緩みも戻せるはず。どうして、まだ放置されてる?」


 エターナの問いに、再び首を横にふるシートゥム。

 彼女の表情には色濃く悔しさがにじんでいる。

 必死で探しているが、原因が見つからないのだろう。


「誰がやったのか、いつからなのかもわかっていません。それどころか――封印が緩んでいるという確証すら掴めていないんです」

「どういう仕組みで封印されているのかは知らんが、異常が検出できないというのは管理者として失格だな」

「おいお前、その言い方はねえだろ」


 ツァイオンが一歩前に出て、ガディオを睨みつけた。

 しかしシートゥムはそんな彼を手で制した。


「いいんです兄さん、彼の言う通りですから」

「だがよ!」

「……言葉選びが悪かったのは認めよう、すまなかった」


 その封印の緩みから漏れ出した力がなければ、キマイラが生まれることもなかった。

 彼の憎しみがそこに対して向けられるのは当然である。

 ガディオが素直に頭を下げると、ツァイオンはバツが悪そうに頭を掻いた。


「これは私のふがいなさの結果でもあります。ですが――先代から残された書物を示し合わせても、封印に異変など見つからないんです」

「不可解」

「わたくしも原因究明には参加しているのですが、見当もついておりません。できればみなさま方にもご協力願いたいものです」

「ディーザ、キリルさんは駄目ですよ。何の拍子で封印が解けるかわからないんですから」

「それは承知しております」

「私は封印を解くつもりなんてないけど」

「生物の精神を操り、自滅させるのがオリジンです。リスクは避けなければなりません」


 本来なら、魔王城に入れることも許すべきではないのだ。

 だが、今は状況が状況だ、戦争で敗北すれば、いずれオリジンは復活する。

 困難を乗り越えるためには、リスクを背負ってでも彼女たちを受け入れるしかなかった。


「ですので、魔王城では封印に近づかないようにだけしてください。他の行動を制限はしません、部屋も空いている場所を自由に使っていただいて結構です」

「気前がいいんだねえ」

「……なんていうか、無防備だよね」


 ケレイナとインクがそう言うと、ネイガスは苦笑いを浮かべる。


「そういう反応になるわよねー……」

「シートゥムはそういうやつなんだよ、心配いらねえって」

「キマイラという兵器が攻め込んでくることを知っていても、和平を望むほどですからな」


 フラムたちも、シートゥムがただの優しいだけの少女であることは、何となく理解していた。

 何より彼女は――瞳が澄んでいる。

 それこそ、ミルキットに負けないほどに。

 フラム限定ではあるが、信用するのに十分すぎるだけの理由である。

 ネイガスもツァイオンもディーザも、多少の差異はあるものの目を見る限りは誰かを騙しているようには見えない。

 少なくとも王都で過ごしていたときよりは、安心できそうだった。


「別に私は、人と争うなという教えを守っているだけなのですが……」

「それを差し引いたって、シートゥムはちと優しすぎる部分があると思うぜ? ま、そういうとこオレは好きだけどな」

「……それ、ここで言う必要あります?」


 シートゥムはジト目でツァイオンを睨みつけたが、彼は気にしない様子でケラケラと笑っている。

 一方でフラムたちはそんな二人のやり取りに置いていかれ気味であった。


「ごめんね、この二人いつもこんな感じなのよ」

「仲が良いのはよろしいですが、場はわきまえて欲しいものですな」

「ディーザっ、これは私じゃなくて兄さんがっ!」

「ああ、オレのせいでいいからさ、勇者様たちを放置するのはやめようぜ?」

「だからそれは兄さんのせいでぇ……!」


 次第に涙目になるシートゥム。


「ま、こういうのもいいんじゃね? 王都じゃマトモな人間との会話なんて滅多になかったからな」


 ライナスは笑いながら言った。


「ライナスさんの言う通りです、人より魔族の方が話が通じそうな気がします」


 フラムは心の底からそう思う。

 顔つきが急変して、暴力を振るうような人がいないだけで、どれだけ気が楽なことか。


「気を使わせてしまって申し訳ありません」


 忍びなさそうに頭を下げるシートゥムだが、別に気を使ったわけではない。

 どれも事実なのだ。


「それで、このあとなんですが……みなさんを歓迎して、ささやかなパーティを開こうと思っています。よろしければ参加していただけませんか?」

「パーティ……」


 驚きのあまり、ガディオは思わず鸚鵡返しでつぶやいた。

 迫力のある顔つきのせいか、“不機嫌にしてしまった”と勘違いしたシートゥムは慌てて付け加える。


「無理にとは言いません、気乗りしないならすぐに休める部屋を用意しますし――」


 無論、フラムたちに断る理由などない。


「そういうわけではない、少し驚いただけだ。喜んで参加させてもらおう。それでいいだろう?」


 勘違いさせてしまったガディオが代表して告げると、振り返って同意を求める。

 拒否する人間はいない。

 シートゥムはその返事に安心したのか、ほっと胸をなでおろして微笑んだ。




 ◇◇◇




 パーティの準備が終わるまで、フラムたちはそれぞれ部屋に案内され、そこで時間を潰すことになった。

 さすがに一人ずつ別の部屋というわけにはいかないので、何組かに分かれることとなる。

 フラムはミルキット、キリルと同室に。

 エターナはインクと、ガディオはライナスと一緒になる――はずだったが、いつの間にかケレイナ、ハロムと同じ部屋になっていた。

 余ったライナスは、特に気にしていない様子で一人を選ぶ。

 ちなみに、セーラは強制的にネイガスの部屋に泊まらされるようだ。


「こうなってくると、魔王城ってよりホテルみたい」

「うん、内装も綺麗だし、ベッドもふかふかだね」


 キリルと二人で部屋に入ったフラムは、すぐさまベッドに腰掛けた。

 そして軽く体を上下に揺らして、その柔らかさを楽しむ。

 ミルキットがいないのは、パーティの準備に参加しているからだ。

 根っからのメイド気質――というわけではなく、どうやらディーザの料理の腕の話を聞いて、技術を盗もうとしているらしい。

 別れる直前、彼女は両手に拳を握りながら、『以前よりもパワーアップした料理をご主人様に振る舞いますから!』と意気込んでいた。

 その光景が、頼もしいというよりは実に微笑ましく、思い出すだけでもフラムの頬は緩む。


「ミルキットのことでも考えてた?」

「へっ? な、なんでわかったの?」


 急にキリルに図星をつかれ、どもるフラム。


「わかるよ、あの子のことを考えてるとき、フラムっていつもより幸せそうな顔してるから」

「そうかな……いや、そうかも」


 ミルキットのことを考えているだけで、胸がどきどきして、体がふわふわする。

 美味しいものを食べたり、嬉しいことがあったり――そういう幸せとはまた別の感覚だが、これも幸福の一種なんだろう。

 フラムが胸に手を当て、目を細めてその感覚を噛み締めていると、おもむろにキリルは立ち上がり彼女に近づいた。

 そして、頬に手を伸ばす。


「キリルちゃん?」


 彼女は辛そうな表情で、奴隷の印を指でなぞった。


「……ごめん、本当に」

「それは大丈夫って、マザーとの戦いのあとに言わなかったっけ?」

「やっぱり、あれぐらいじゃ足りないと思う」


 キリルがフラムに与えた傷はあまりに大きく、一朝一夕で償いきれるものではない。

 もっと時間をかけなければ、キリルは自分自身を許せそうになかった。


「私としては、おかげでミルキットと出会えたんだし、かといってジーンさ……ジーンを許すつもりはないけど、でも悪いことばかりじゃなかったから」


 陰りのない真っ直ぐな笑みで言い切るフラム。


「フラムは……優しいね」

「そうかなあ、たぶん誰だって、私と同じ立場なら似たようなこと言うと思うけど」


 キリルは“そんなことはない”と首を横に振った。

 少なくとも、自分が同じ立場なら言えない。

 その確信があったからだ。

 そして彼女は頬から手を離すと、フラムの横に腰掛けて言った。


「よかったら、私たちと別れた後に何があったのか、聞いてもいい?」

「明るい話ばっかりじゃないと思うし、まだ完全には思い出せてないけど、それでも平気?」

「辛いことも含めて、少しでも聞いておきたいから」


 それなら、とフラムはパーティから離れ、奴隷になったそのときから――自分の身に起きた出来事を、できる限り丁寧に伝えた。

 フラムにとっても、それは自分の記憶を整理する上で有益な時間だ。

 焼印で奴隷の印を刻まれ、商人に売り物にならないと暴力を振るわれ、殺されかけたところでミルキットと、そして魂喰いに出会ったこと。

 エニチーデの施設での謎のモンスターとの戦いや、デインとの死闘、インクの救出。

 死者を蘇らせようとしたが、逆にそれが死者は蘇らないことの証明となった、ネクロマンシー。

 教会に切り捨てられ、多数の人間を巻き込みながら自分の存在を誇示しようとした、チルドレン。

 細かく話すとキリが無いぐらい、この数ヶ月はあまりに濃密で、ミルキットとの出会いがまるで数年前のように思える。


「フラムって、すごいね」


 話を聞き終えたキリルは、自重気味に笑いながら言った。


「すごいよ、本当に。私だったら絶対に、途中でくじけてたと思う」

「私もそうだよ、一人だったら今日まで生き残れなかった。みんながいたから、って言うとかっこつけすぎだけど……ミルキットの存在が大きかったんだと思う」


 それは今でも変わらない。

 フラムにとって、ミルキットの存在はあまりに大きい。

 存在意義と言ってもいいほどに。


「あの子と出会ってなかったら、私は今の私になれなかった。力も、意思も、何なら性格だって、違う自分になってたんじゃないかな」

「私にとってのフラムみたいな感じ?」


 何気ないキリルの一言に、フラムの顔が一気に赤面する。

 不可解な反応を前に、首をかしげるキリル。


「どうしたの?」

「い、いや……その、キリルちゃんとミルキットは、ちょっと違うかなー……」

「そうなんだ。ううん、そうだよね。彼女はフラムをずっと支えてきたんだから」


 フラムは「それも違うような」とつぶやくが、うまく説明できる言葉が見つからない。

 いや、言葉はわかっているのだ。

 ただ、それをこの場で正直に白状してしまっていいものか、それが問題だった。

 悩むフラムに、なぜ悩んでいるのかさっぱりなキリル。

 二人の間に流れる微妙な空気。

 それを断ち切ったのは――バタンッ、と勢いよく開かれたドアの音だった。

 フラムとキリルが同時に入り口の方を見ると、そこにはセーラが立っていた。


「さあおねーさん、リベンジの時間っす!」


 彼女はやけにハイテンションだ。

 二人は完全に置いてけぼりで、ぽかんとした表情でその姿を眺めている。


「おや、ミルキットおねーさんがいないみたいっすね」

「パーティの準備を手伝ってるから。ところで、リベンジってなに?」

「覚えてないんすか? エニチーデの宿に泊まったとき、“恋の話をするっす!”と言ってみたのはいいものの、誰にも経験がなかったからまったく盛り上がらなかったときのことを!」


 言われて、首を傾げて、フラムは「あったっけなぁ」と眉間に皺を寄せ悩む。

 仮に記憶が戻っていたとしても、そんな些細なことを覚えているかは微妙なところだ。

 だがセーラにとってはかなり重要なことらしい。


「あれから時間が経ったっすからね、今ならなにかいい話が聞けるんじゃないかと思ったわけっす。もちろんキリルおねーさんにも参加してもらうっすからね」

「そう言われても、私にはそんな話、まったく無いけどな」


 一応、ジーンは彼女に想いを寄せていたわけだが、それはキリルの記憶にすら残っていないらしい。


「じゃあ必然的にフラムおねーさんの話になるっすね」


 彼女は、フラムにとてとてと小走りで駆け寄ると、軽く跳ねて隣に腰掛けた。


「さあおねーさん、ぶっちゃけた話、ミルキットおねーさんとの関係はどうなんすか?」

「……なんでそこで彼女の名前が?」

「キリルおねーさんはあんまり見てなかったっすもんね。おらが知り合った頃から仲は良かったっすけど、今は以前とは次元が違うんすよ」

「なるほど。つまりフラムとミルキットは、恋人同士ということ?」


 ド直球なキリルの見解に、フラムは「げほっ!」と盛大にむせた。


「ま、待ってよキリルちゃん! そうじゃないから!」

「でも抱き合ってたっすよね。あの距離感はただの奴隷と主には出せないと思うっすけどねえ」


 事実、ただの奴隷と主ではない。

 フラムはミルキットのことが好きで、最近ようやくそれに気づいたところだ。

 そしておそらく――ミルキットも、フラムに好意を抱いている。

 それに気づかないほど彼女は鈍くない。

 しかしだ、だからと言って、いきなり恋人同士になれるほどの鋼のメンタルは持っていないのである。


「確かに、私はミルキットのことが好きだよ」

「それは恋的な意味っすか!?」

「その……まあ、恋的な、意味で」

「おおぉぉお……!」


 一人盛り上がるセーラに、「そうなんだ」といまいちリアクションの薄いキリル。

 カミングアウトしたフラムは、顔を真っ赤にして俯いている。


「女同士って、やっぱりおかしいかな」

「私は恋愛とかよくわからないけど、フラムがそれだけ彼女のことを好きになったのなら、別にいいと思う」

「キリルおねーさんの言う通りっす、おらだって変なのに言い寄られてるっすし」


 ネイガスを変なの呼ばわりするセーラだが、「そういえば」とフラムは逆に彼女に聞き返す。


「セーラちゃんこそ、ネイガスさんとはどうなの?」

「確かに、仲は良さそうだった」

「いやいや、あれのどこが良さそうに見えるんすか!」


 セーラは必死で否定する。

 だが、その頬はほんのり赤らんでいた。


「長い期間をふたりきりで旅してたみたいだし、その間ずーっとネイガスさんってあの調子だったんでしょ?」

「まあ、そうっすね。一緒にいて退屈はしないっすけど、何かと疲れるっす」


 わざとらしく「はぁーあ」とため息をつくセーラ。

 そんな彼女を見て、キリルはくすりと笑った。


「な、なんでそこで笑うんすか?」

「ネイガスのことを話してるときの顔が、やけに嬉しそうだったから、ついね」


 今度はセーラが赤くなる番だ。

 かあぁぁっ! と一気に顔が耳まで紅潮する。


「それは目の錯覚っす!」


 前のめりになりながら主張する彼女だったが、そこにフラムまで参戦する。


「いや、私もそう見えたけど」

「フラムおねーさんまで!?」


 彼女に限った話ではない。

 おそらく誰もが、ネイガスに絡まれているセーラを見てそう思っただろう。


「そうは言うっすけどねえ、おらがここに来たのはネイガスから逃げてきたんすよ!?」

「ああ、そういえばネイガスさんと同じ部屋で泊まるって言ってたもんね」

「そうっす! 二人だけになった途端に怪しい空気になったんで、身の危険を感じて逃げて来たっすよ!」


 どうやらセーラは、ネイガスに押し倒される直前まで行ったらしい。

 もっとも、彼女も彼女で受け入れそうになっていたようだが。


「じゃあ……もしかしてセーラちゃん、その首についてるのって……!」

「……何かついてるっすか?」

「ほんとだ、赤くなってる」

「赤く? いや、そんなはず……っす……」


 蘇る記憶。

 というかついさっきの出来事なので、感触も微妙に残っている。

 だがセーラには知識が無かった。

 いや、正確には知識はあるのだが、経験がないため、自分がやられたことを結びつけることができなかったのだ。


「うわぁ、私そういうの初めて見たかも」

「フラム、そういうのってなに?」

「えっと……なんていうかな、その……」

「説明しなくていいっすから!」


 キリルは知らないが、セーラはその言葉の意味を知っているらしい。

 修道女と言えど、年頃の女の子。

 そういう話題で盛り上がることは少なくなかったらしく、意外にも彼女はマセているのである。


「ううぅ、ネイガスめ、とんでもないことをしてくれたっすね……!」

「セーラちゃん、大人の階段を登っちゃったんだね」

「まだっすから!」

「おとなのかいだんってなに?」

「んーと、なんていうか……」

「それも説明しなくていいっすからぁ!」


 怒鳴りすぎて疲れたのか、セーラは「はぁ、はぁ」と肩を上下させて呼吸している。

 フラムもさすがにからかいすぎたと反省し、「ごめんね」と笑いながら言った。


「でも実際のところ、どうなんだろう」

「どうって、何がっすか?」

「セーラはネイガスのことをどう思ってるのか」

「だからそういうのじゃないって言ったじゃないっすか」


 唇を尖らせるセーラ。


「とか言いながらもセーラちゃん、首に跡を付けられるところまでは拒まなかったんだよね」

「……むうぅ」


 自覚はあるのだ。

 ただそれを認めてしまうのが怖いだけで。

 ネイガスは大人で、セーラは子供である。

 けれどネイガスは容赦なく大人の愛情を彼女に向けてくる。

 寿命の長い魔族ゆえに、年の差をあまり気にしないのか。

 はたまた、単純にネイガスがそういう趣味なのか。

 どちらにしろ、認めて、受け入れてしまえば――たぶん彼女は、今よりも進んだ関係に、躊躇なく踏み込もうとするだろう。


「おらの本音、誰にも、言わないっすか?」

「言わない言わない、絶対に私たちの心の中に留めておくから」


 フラムが言うと、キリルも二回ほど首を縦に振った。

 それからセーラはじっと床に敷かれた絨毯の柄を見つめ、たっぷり十秒以上悩んで――口を開いた。


「……好き、っすよ。確かにド変態っすし、隙あらばおらの太ももを触ってきたりするっすし、イヤなトコも無いわけじゃないっすよ。でも、かっこいいと思うことも結構あって、それに……なんだかんだ、弱みとかも見せてくれるっすから。頼られるのは、嬉しいっす」


 彼女がそう本心を吐露した瞬間、部屋の外からガタンッ! と何かがぶつかる音がした。

 三人の視線が一斉にその音の方向――入り口のドアに向く。


「ま、まさか……ネイガス、そこにいるんすか!?」


 セーラが勢いよく立ち上がり、声を荒らげた。

 その顔は、言うまでもなく赤面している。

 部屋の外で盗み聞きしていたネイガスは観念したのか、ゆっくりとドアを開き、部屋の中に入ってきた。


「えへへ……聞いちゃった」

「えへへじゃないっすよー!」


 吠えるセーラ。

 そしてやたらはにかむネイガス。

 彼女はしばらく部屋の入口あたりで立ち止まっていたが、一瞬だけ真剣な表情になり何かを考え込むと、セーラに歩み寄った。


「か、勘違いして欲しくないんすけど、今のは……そう、戦術の話をしてただけっすから! 隙っす! おらのどこに隙があるのか、おねーさんたちに聞いてたんすよ!」


 彼女は誰も聞いていない言い訳を始める。


「さすが修羅場を乗り越えてきたフラムおねーさんと、勇者であるキリルおねーさんっすよね! 聞いてるだけでもう、おら百倍ぐらい強くなった気がするっす! よ、よかったらネイガスも一緒に――」


 無論、ネイガスだってそんな言葉は聞いていない。

 ただ無言で近寄ると、おもむろにその両頬に手をあてて、


「むぐっ!?」


 セーラの唇に、自らの唇を押し付けた。

 突然の出来事に、彼女は「んー! んーっ!」と手足をバタつかせる。

 一方のネイガスはうっとりとした表情で、唇の感触を堪能していた。

 フラムとキリルは、口を半開きにして『はえぇ』と驚いている。

 そのキスは長々と続き、いつのまにかセーラも抵抗をやめ、ネイガスの体に腕を回す。


「ぷはぁっ!」


 二人の顔が離れると、互いに潤んだ瞳で見つめ合った。


「は……はあぁ……バ、バカじゃないっすか、ネイガス……変態っす、ド変態っす。おら、何歳だと思ってるんすか……!」

「関係ないわ。人の人生は短いんだもの、早いうちに自分のものにしておかないと、どうせ私より先に老いていくじゃない」


 魔族の寿命はだいたい百五十年から二百年程度だ。

 しかし、老いの速度は人間に比べるとかなり遅い。

 セーラとネイガスほどの年の差があっても、いずれネイガスが取り残されてしまうのは間違いないだろう。


「真面目な話をしたって許さないっすから!」

「罵ってくれてもいいし、周囲から冷たい目で見られる覚悟だってできてる」

「ちょ、ちょっと待つっす、マジっすか!? マジで言ってるんすか!?」

「セーラちゃんも好きって言ってくれたじゃない」

「だからあれは戦術の話で! あーっ、触るなっす、持ち上げるなっすー! おねーさん方っ、助けてくださいっす、おらこのままだと大変なことに――」

「本気で嫌がってるなら、私もやめるわ」

「へ……?」


 セーラの動きがぴたりと止まる。

 そもそも、本気で嫌なら、手足をばたつかせる以外にも抵抗の手段はいくらでもあるのだ。

 つまり最初から、彼女がスキンシップを拒絶していないのは誰の目にも明らかで――ネイガスはニコリと微笑むと、今度こそ彼女の小さな体を抱き上げた。


「じゃ、行きましょっか」

「……ううぅ」


 セーラはもはや、身動きすら取れなかった。

 嫌ではないからである。

 そしてそのまま、フラムたちに声をかけることもなく、部屋から出ていく。

 セーラとネイガスの姿が部屋から消え、バタンとドアが閉まると――相変わらず口を半開きにしてぼーっとしてたフラムが、はっと現実に帰ってくる。


「すごいもの、見た気がする」

「……うん」


 そして二人で頷きあった。


「セーラ、どうなっちゃうんだろう」

「うーん、たぶんネイガスさん、セーラちゃんが本当に嫌がることはしないと思うから、大丈夫だと思うよ?」


 言っているフラムも何がどう大丈夫なのかよくわからなかったが、とりあえずキリルはそれで納得したようだった。


「ところで、フラムもさ」

「ん?」

「いずれミルキットとああいうことをしたいと思ってるの?」


 純粋な目で、真っ直ぐに問いかけるキリル。

 どうにも彼女は本当に恋愛事に関して疎いらしく、だからこそ直球ストレートな質問をバンバンぶつけてくるのだ。


「ま、まあ、したい……かな」

「そっか、やっぱり好きになるとしたくなるんだ」

「なる、よ」


 どもりながらも、認めるフラム。

 すでに抱き合って寝てみたり、額にキスしたりはしているわけで、その場所が唇に変わるだけと思えば、大した変化ではないようにも思えるが――しかしやはり、額と唇ではハードルの高さが比べ物にならない。


「キリルちゃんは、そういう相手いないんだね」

「うん、全然。誰が一番好きかって言われたら、お父さんと、お母さんと、地元の友だちに……あとはフラムかな」

「そこに私も並べてもらえるんだ」

「当然だよ。過ごした時間は短いかもしれないけど、受けた影響は大きいから」


 二人は目を合わせて、お互いに微笑みあった。

 フラムは、ミルキットと過ごす甘酸っぱい時間も好きだが、こうしてキリルと過ごす穏やかな時間も好きだった。

 気兼ねなく本音で話せる関係というのは、形がどうであれ心地よいものだ。


「ねえキリルちゃん」

「なに?」

「王都に戻ったらさ、あのお菓子屋さんのケーキ、また食べに行こうね」

「そうだね、必ず。まだまだメニューを網羅できてないから」

「あはは、全部食べるつもりなの?」

「うん、ケーキに関しては妥協したくない」


 勇者の旅なんかより、よっぽど気合が入っている。

 たぶんキリルは、本来そういうものの方が向いている気質なのだ。

 畑を耕したり、ケーキを食べたり作ったり。

 決して、剣を握ってモンスターや人間と戦うことなんかじゃない。


「それじゃあさ、実は東区の方にも美味しそうなケーキが食べられるお店を見つけたから、そっちにも行ってみる?」

「東区って、高級そうなイメージがあって入りづらい」

「そこは意外とリーズナブルでさ、しかも美味しいの!」


 そうやって二人は、時間を忘れて、何気ない会話で盛り上がる。

 離れ離れになっていた空白を埋めるように、パーティのメンバーではなく“友達”として。

 それからあっという間に数十分が過ぎ、それでも二人は絶えずに甘いものについて語り合っていると――コンコン、と誰かがドアをノックする。


「どうぞー」


 フラムがそう言うと、ミルキットが部屋に入ってきた。


「おかえり、ミルキット」

「おかえりなさい」

「ただいま戻りました、ご主人様、キリルさん」


 魔王城に仕舞ってあったという、肩紐にレースの付いた、ロングスカートタイプのメイド服を着ているミルキット。

 改めてその姿を見て、上品な彼女もまた可愛いな、とフラムは実感する。


「パーティの準備は終わった?」

「いえ、料理がある程度まで完成したので、追い出されてしまいました。歓迎される側なのだから、あとは自分たちに任せて欲しい、と」


 ディーザにもおもてなしをする側としてのプライドがあるのだろう。


「あ、でもレシピはしっかりと手に入れましたので、王都に戻ったら作ってみようと思います」

「ありがと、楽しみにしてるね」

「はいっ!」


 元気よく返事をするミルキット。

 そしてフラムは自分の隣――先ほどまでセーラが座っていた場所を、ぽんぽんと叩く。

 近づいてきたミルキットはそこに座ると、ぴったりと体をくっつけて、肩を寄せた。

 キリルはそんな仲睦まじい二人の姿を見ると、微笑んで、立ち上がる。


「あれ、キリルちゃん?」

「パーティの時間まで散歩してくるね、お腹も空かせたいから」


 そう言い残すと、彼女はそそくさと部屋から出ていってしまった。

 ひょっとすると、気を使ったのかもしれない。

 フラムは、なんだか無性に気恥ずかしくなってしまう。


「キリルさんとも、落ち着いて話をしてみたいと思ったのですが」

「私も、ミルキットとキリルちゃんには仲良くして欲しいかな。でも、同じ部屋だし、また機会はあると思うから」

「はい、パーティが終わったら声をかけてみようと思います」


 ミルキットもキリルに興味を持ってくれているようで、フラムは少し安心した。

 好きの形は違えど、どちらもフラムにとっては大事な人だ。

 これからもずっと付き合っていきたいと思っている。

 そんな二人の距離が縮まったら、いずれは三人でケーキを食べに行きたい、なんて野望を抱いたりもしていた。

 とはいえ、そのためには王国との戦争をどうにかして終わらせるしかないのだが。

 先は長い。

 ひとまず今日は、体を休めることに専念したいところである。

 こうしてミルキットの体温を感じていると、やはり心が安らぐ。

 そのまま身を任せて、彼女の太ももを枕にでもして眠りたいところだが――その前に、やるべきことがある。


「ミルキット。包帯……解いてもいいかな」

「もちろんです。実は、忘れられてないかと少し不安でした」

「忘れるわけないよ、ミルキットのことだもん」


 断言するフラム。

 ミルキットはうれしそうにはにかみながら、顔を主の方に向けた。

 フラムは慣れた手付きで包帯の結び目に手を伸ばすと、丁寧にその白い布を解いていく。


「捕まってたときは、どうしてたの?」

「部屋はインクさんと一緒でしたから、包帯だけもらって自分でやっていました。でも、やっぱりこうしてご主人様に触れてもらった方がずっといいです」

「そっか。私もミルキットの包帯を解くの、好きなんだよね」


 白い肌が露わになると、フラムの視線がそこに釘付けになる。

 恋愛感情を自覚してからミルキットの素顔をみるのは、これが初めてだ。

 ただでさえ近くにいるだけで胸が高鳴っているというのに、あの可愛らしい姿を見たら、どうなってしまうのか。

 今から少し不安だった。


「あの、ご主人様。キリルさんについてなんですが」

「キリルちゃんがどうかした?」

「……ご主人様にとって、キリルさんはどういった存在なんでしょうか」


 そんな質問に、フラムの手が止まった。

 ミルキットは不安そうに上目遣いで主の顔を見ている。

 その表情から意図を察したフラムは、思わず「ふふっ」と笑った。


「私ね、ミルキットに伝えなきゃならない、大事なことがあるんだ」

「大事なこと、ですか」

「そう、すごく大事なこと。私としては、戦いが終わって、王都で落ち着いたら伝えたいなと思ってたんだけど」

「はい……」

「その一部だけ、今のうちに言っておくね」


 言ってしまえば、キリルはただの親友である。

 しかし、はっきりと主との関係に答えを出せていないミルキットにとっては、その存在が不安に思えてしまうのだろう。

 それはたぶん、キリルとミルキットがお互いにわかり合う上での、障害にもなりうる。

 だから先に言っておくのだ。

 改めて言うほどでもないとフラムは思うのだが、少しでも彼女の不安を払拭するためにも。

 ちょうど、包帯が全てほどけた。

 白雪のような肌をした素顔のミルキットは、別れる前よりも少しだけ痩せたように見える。

 フラムが一緒にいなかったから。

 ひたむきに主を信じて、弱音を吐くことはあまりなかったが、きっと、ずっと辛い思いをしてきたに違いない。

 そんなミルキットを心から慈しみ、愛し、その想いが指を伝って届きますように、と願いながら頬に手を当てる。

 甘いくすぐったさに、彼女は「あ……」と小さく声を出した。

 鼓動が高鳴る。

 フラムも、ミルキットも、胸を締め付けるような感触も、上がる体温も、二人は同じ感覚を共有している。

 けれどまだ、二人は互いに抱える想いが同じである確証を得ていない。

 それに近いものはあっても、“確か”だと言えるものは、まだ何も。

 たとえ周囲から見て恋人同士のように見えても、その“儀式”を終えない限り、きっとその関係に名前は付かないのだ。

 でも、まだ、戦いが終わるまで、今は――


「ミルキット以外が、私の一番になることは無いから。それだけは、何があっても、絶対に」


 言ってしまえば、ほぼ告白である。

 しかしそれが告白にならないのが、二人の関係の微妙さなのだ。

 何にせよ、それでミルキットは救われた。

 彼女に主を信じないという選択肢は存在しない。

 たったひとことで、自分より上にキリルがいるのではないか、そんな不安は綺麗さっぱり霧散するのである。


「あ……ごめんなさい、ご主人様を試すようなことを言ってしまって」

「別にいいよ、不安にさせちゃったのは私だから。キリルちゃんはね、私にとって大事な友達・・なの。だから、ミルキットも仲良くしてくれると嬉しいな」

「はい、ぜひ私もお近づきになれたら、と。あと……ご主人様」


 ミルキットは少し恥ずかしそうに、けれどフラムの目をしっかりと見ながら言った。


「私の一番も、ずっと、ずっと、永遠にご主人様だけのものですから」


 想いは膨らむ。

 一般的な恋人たちが抱く愛情なんて、とうの昔に飛び越えている。

 その絆は深く、もはや他人が入り込む余地がないことは誰の目から見ても明らかだ。

 でも今はまだ、モラトリアムに甘えて。


「ありがと、ミルキット」


 そう言って、フラムはミルキットを抱き寄せた。

 ミルキットは頭を撫でる手の感触に心地よさそうに目を細め、主に頬ずりをする。

 そのまま二人はベッドに倒れ込むと、額を触れ合わせたり、お互いの頬に触れたりして、意味もなくじゃれ合った。

 ただただ、幸せなだけの時間が流れる。

 離れていた間に荒んだ心は、傷だらけだったことを忘れるほど綺麗に、元の形へと再生していった。





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