第50話 陽動

 





 赤子は体をよじり、部屋から出ようとする。

 しかし出入り口は小さく、肩がぶつかり建物全体が軋むだけだ。

 それでも強引に押し通ろうと体をよじる。

 するとその力に耐えきれず、壁は変形を始め――ついに破壊されてしまった。

 その巨体の全貌が、スロウの前に現れる。

 当然、巨大なのは頭だけではない。

 全身がその幅だけで廊下を埋め尽くすほどの大きさなのである。

 崩れ落ちてきた瓦礫が体に当たっても気にしない様子で、そいつは好奇心旺盛に廊下を観察した。

 そしてその目が――尻餅をつき、失禁するスロウを捉える。


「あ、ああぁ……来るな、来るなあぁぁっ!」


 彼は裏返った声で叫ぶ。

 しかし、それがまずかったのだろう。

 余計に赤子の興味を引いてしまい、四つん這いで彼に近づいていく。

 まだ動きはつたないが、一歩あたりの幅が普通の人間とは違いすぎる。

 スロウが全力疾走しても間に合わないほどの速度で、ズン、ズン、ズン、と床板をへし折りながら前進。

 瞬く間に彼の目の前にまで接近した。

 そこでぴたりと止まった赤子は、「アアゥ?」と不思議そうな顔をしながら、至近距離で彼を凝視する。

 そして、丸っこい手で、その足に触れた。


「あひゃっ、ひ、ひぐっ……」


 攻撃しているわけではない。

 それは、何も知らない好奇心旺盛な子供が、初めて見る男性に対して、無邪気にじゃれているだけである。

 だが――悪意の有無など些細なことだ。

 重要なのは、結果としてスロウが生き残れるかどうか。

 触るのに飽きた赤子は、今度は大きく口を開いて、彼を頭から咥えようとしている。

 口内には、先ほど見たルークの顔と同じように、赤い粘膜が渦巻き蠢いていた。


「いやだっ、いやだああぁぁああああああッ!」


 スロウは腰が抜け、思うように動けない。

 今の彼にできることは、そうやって必死に叫ぶことだけである。

 しかしどれだけ拒絶しようとも、相手は言葉を理解していない。

 もうダメか、と彼が諦めかけたところで――


「スロウ、伏せてッ!」


 フラムの声が響き渡った。

 彼女は魂喰いを前に突き出し、剣先より細く鋭い気の槍を放つ。

 赤子の眉間に向かって射出されたそれは、気穿槍プラーナスティングだった。

 バヂィッ!

 狙いは完璧、それは頭を貫くはずであった。

 しかし、不可視の力場がそれを防ぎ、弾く。

 ただし衝撃はしっかりと伝わっているようで、赤子はよろめき、苛立たしげに、


「アアアァァ……」


 と化物らしい重低音を撒き散らす。

 本当にあれが人間の赤ちゃんというのなら、そのまま痛みに泣きわめくだろう。

 だがこいつは違った。

 自分に対して攻撃してきたフラムを睨みつけて、威嚇しはじめる。

 殺気を放ち、“邪魔をするな”と敵意を剥き出しにしているのだ。

 生後間もない子供の人格ではなく、あくまでオリジンが器の形に合わせてそれを演じていただけ。

 少し突いてやれば、すぐさま本性が現れる。

 フラムはスロウに駆け寄ると、彼の首根っこを掴んで礼拝堂まで引きずった。

 そして、適当なところで投げ捨てる。


「あだっ! フラムさん、もうちょっと優しくしてくれ!」

「緊急事態なんだからつべこべ言わないでよ、それよりあれは何なの?」

「わかんないって! ただ、教会の奥から声が聞こえたと思って様子を見てたら、いきなりあれが出てきたんだよ!」

「そっか……要するに、あれがルークの言ってた第三世代ってこと?」


 今までのチルドレンの被験体とは一線を画している。

 あれは人間ではない。

 化物として産まれ、化物として成長を続ける完全なる人外だ。


「あらあらぁ、もうお友達ができたのね。さすが私の子供だわぁ」


 部屋から出てきた修道女は、この惨状を見てもなお頬に手を当て、恍惚とした表情を浮かべている。

 どう見ても正気ではない、意識が汚染されているのだろう。

 口内の螺旋といい、フラムの騎士剣術キャバリエアーツを防いだ力といい、オリジンコアが使われているのは間違いない。

 だとすれば、活動を止めるためにはコアを破壊しなければ。

 狙うべき場所は心臓の位置か――今の赤子の体勢だと、顔が邪魔で狙いにくい場所にある。


「なら、まずはそこから落とせばいいだよ……ねッ!」


 声を発すると同時に息を吐き出し、腰を落としてフラムは疾駆する。

 彼女はあれを人間だとは思わない。

 だから無機物を破壊するときのように、容赦なく叩き潰す。

 敵は先ほどの一撃に憤怒し、猛スピードで彼女に迫っている。

 そこにあえて自ら突っ込んだフラムは、今度は弾かれぬよう、剣に反転の魔力を宿し――頭目掛けて水平に薙ぎ払う。


「はああぁぁっ!」


 ヂッ――

 オリジンの力場が刃の侵入を拒む。

 しかしすぐさま反転魔法によって霧散した。

 ズシャアァッ!

 斬撃は、無防備な頭部に直撃する。

 最初に刃の根本が皮膚に接触、肉を切断し頬骨を粉砕する。

 さらに刀身の中央部が耳たぶを斬り潰しながら頭蓋の内に沈むと、延髄を破壊。

 剣先に至っては小脳にまで達していた。

 この時点で、普通の人間ならば即死しているだろう。

 頭が上下に断裂するのを防いでいたのは、後頭部の皮一枚のみ。

 しかしそれすらも、素早く刃が振るわれたことで生じた衝撃波で切断される。

 赤子の頬から上が、無残に吹き飛んだ。

 眼球の埋まった半球形の肉片が放物線を描き宙を舞う。

 ドチャッと切断面から着地し、血を撒き散らす。


「う、うえぇ……」


 飛び散る脳や眼球、それらから放たれる生臭い匂いに、スロウは口元をおさえ、えづく。

 どうやら、大きさはさておき、中身はほぼ人間と同じ作りのようだ。

 しかし同じなのは見た目だけ。

 すぐさま傷口がねじれ、螺旋に形を変えはじめる。

 どれだけ形を模したところで、しょせんは化物。

 人格と同じく、ちょっとした刺激だけでボロを出してしまうのだ。

 硬化が始まる前に心臓を潰す――と、フラムはその場で素早く剣を振り上げた。

 だが直後、ゴオオォオッ! と赤子の周囲で空気が激しく渦巻き、彼女の体を吹き飛ばす。


「きゃああぁっ!」


 ノーモーションで繰り出される螺旋の力。

 礼拝堂まで吹き飛ばされたフラムは、長椅子に叩き付けられた。

 椅子は衝撃に耐えきれず壊れ、彼女の小柄な体は瓦礫に沈む。

 両腕を使いどうにか這い出るが、尖った木片が彼女の脚部に切り傷を刻む。

 しかしフラムは全く痛みを感じていない様子で、平然と剣を握り直し、敵と向かい合った。


「ア……アアアァァァァ……アアアァァァァァッ!」


 赤子は残った顔の下半分で、泣きわめく。

 不愉快な声が教会全体を震わせ、そのあまりの迫力にスロウは思わず後ずさる。


「お、おい、なんか様子がおかしいぞ!?」


 明らかに激怒している。

 するとその感情に呼応するように、切断面の渦が脈動し――その中からずるりと、何かが生み出されようとしていた。


「あれは……頭?」


 そう、それは先ほど真っ二つに破壊した頭部と、全く同じものである。

 全く同じ外見、同じ大きさの首から上だけが、血にまみれた状態で渦から吐き出されているのだ。


「アアァァァァァァッ!」


 それは床に放り出されると、本体と同じように泣きわめきながら、フラムの方に転がってくる。

 あまりにおぞましく、なおかつ人類を冒涜している。

 彼女はそれを見た瞬間、反射的に剣を振り上げていた。

 触れたら何が起きるかなど考えない、確かめる前にぶち壊しにしてやる、と。

 そして即座に全身に満ちる体力をプラーナに変換、剣に満たす。

 同時並行して魔力も魂喰いに送り込み、縦に一閃。

 反転の魔力を乗せた剣技――反・気剣斬プラーナシェーカー・リヴァーサルを放った。

 ザシュッ!

 剣気は飛翔し、増えた頭部を真っ二つに両断する。

 元の頭部同様に大した耐久力はないらしく、力場さえ打ち消せればこんなものだ。

 果実を割ったように、動きを止めて床に転がった二つの半球。

 するとその切断面がまたしても螺旋を描き、その内側から新たな頭部を吐き出そうと蠢き出した。

 本体の方も、さらに二個目、三個目を作り出し、転がりながらフラムに接近する。


「ひいいぃぃっ! お、おいっ、増えてるんじゃないのか!?」

「増えて、吐き出す……まさかインクと同じ力なの?」


 ただ転がる頭部をけしかけるだけとは思えない。

 一メートルちょっとの球体では、押しつぶしてフラムを傷つけることなどできないだろう。

 となれば、これには何らかの力が込められていると考えるのが自然だ。

 試すにはリスクがありすぎるが、インクと同様の力なのだとしたら――おそらく触れた部位が増殖するのだろう。

 赤子の持つ能力はそれだけではない。

 最初の攻撃、気穿槍プラーナスティングを弾いた力場は、フラムの目には体の周辺で何かが渦巻いているように見えていた。

 それはルークと同じ能力、つまり“回転”と考えられないだろうか。

 となると次は――


「アアアアァァァ……」


 吹き飛ばしたはずの本体の頭の上半分は、まるで独立した生き物のように這いずり、いつの間にか赤子の体の上にまで移動していた。

 そこから後頭部を伝い、元々あった場所に収まる。

 切断面同士が触れ合い、ぐちゃあと不潔に絡み合った。


「アァウ」


 そんな声が聞こえたかと思うと、パーツ同士がぴたりと繋がり、頭部が復元される。

 “接続”――つまりネクトの能力だ。

 要するに、第三世代・・・・とは、螺旋の子どもたちスパイラルチルドレンの全ての能力を宿した、いわば兵器としての完成形のこと。


「再生したっ!? 傷まで治るなんて、もうダメだろ! あんなの勝てるわけがない……!」

「そうかなぁ」


 しかしフラムは、それを大した脅威だとは思わない。

 おそらくこの個体は、まだ成長途中だ。

 思考能力は人間の幼児並で、今はただ敵意を向ける相手に対して、考えなしに攻撃を放っているに過ぎない。

 確かにバリエーション豊かな能力は厄介かもしれないが、有効活用できる頭脳があってこそだ。

 それに、扱える力の大きさは、特化した螺旋の子どもたちスパイラルチルドレンに劣る。

 増殖スピードはインクには及ばないし、接続だって傷口をつなぎ合わせる程度。

 回転もただ攻撃を弾いてフラムを吹き飛ばしただけ。

 その不気味な外見に惑わされ動揺したが――いつも通りに戦えば、恐れるほどではないはず。


「すぅ……」


 フラムは肺に酸素を満たすと、それを一気に吐き出し、腹筋に力を込める。

 そして低い姿勢で疾走、接近する頭部へ向かっていく。

 剣を振り抜く。

 増殖した頭部が両断される。

 また新たな頭部を生み出すべく傷口が渦巻く。

 それを無視してさらに前へ。

 立ちはだかるそれを斬っては前進、斬っては前進を繰り返す。

 背後では無数の頭部が作り出されようとしているが――本体に接近すること自体は容易であった。


「アアァァァァ――」


 眼前に迫るフラムを見て、赤子が呻く。

 ――ガゴンッ!

 すると突如、彼女の足元が斜めに傾いた。

 いや、足元だけではない。

 建物全体が捻れ・・、礼拝堂が、平衡感覚を失ってしまいそうなトリックアートめいた景色に変わっていく。


「まだ奥の手を隠してたんだ、っと」


 直後、フラムは跳躍する。

 飛んでしまえば、床がどうなろうが関係はない。

 こちらに飛び込んでくる彼女を見て、赤子は口を開いた。

 そしてルークがしていたように、空気を回転させ射出するが――


「そんなものっ!」


 フラムが左手を振るい反転させると、たやすくかき消される。

 そして彼女は右手に握った大剣を、体重と速度と重力全てを乗せて、頭に向かって叩き付けた。

 ドチャッ!

 今度は縦に切断される赤子の頭部。

 開いた傷口から中身がでろりと流れ出す前に、捻れ、新たな頭部を吐き出そうとする。

 それを見たフラムは、後退するどころか、自ら前に踏み込んだ。

 花弁のようにぱっくりと裂けた傷口の奥――つまりは“首”に、剣先を突き立てる。

 そのまま両腕に力を込めて騎兵のごとく前進、自身が体内に潜り込むほどの勢いで刃を沈めた。

 柄を傾け、回し、どこかにあるはずのコアを探す。

 刀身がカチッ、と硬い何かに当たった感触を、柄越しに得ると――


「もいっちょ、反転しろリヴァーサルッ!」


 一気に魔力を注入し、それをを破壊した。

 パキッ、と体の中で水晶にヒビが入る。

 心臓にも等しいコアを失うと、赤ん坊の瞳から光が失われる。

 両手からも力がぬけ、肘をつき、バランスを崩した。

 それだけでは体を支えきれなくなり、ズゥン……と床板を砕いて、巨体が横倒しになる。

 増殖した頭部は、本体が活動を停止するとぴたりと動きを止めた。

 やがて皮と肉が溶け、骨だけになると、それすらも粉になって消えていく。

 完全に息絶えたことを確認すると、フラムは剣を引き抜いて、片手で素早く血を振り払った。

 そして柄を手放す。

 魂喰いは床に落ちる前に、粒子となって亜空間へ消えていく。


「す、すげえ。倒した、のか?」

「さすがに動力源を潰されちゃ、復活はできないと思う」

「動力? 心臓じゃなく?」

「あれはそういう生き物なの」


 果たして“生き物”と呼んでいいのかも怪しいものだが。

 二人が言葉を交わしていると、を失った修道女が、廊下の向こうで力を失い倒れる。


「あの人は……どうなったんだ」

「もうダメだと思う」

「ダメっていうと?」

「死んだってこと。体は生きてるかもしれないけど、心が……」


 横たわる彼女は、まだ生きているようだが、目と口を開いたままびくともしない。

 

 オリジンの意思は自我と混ざり合い、不可逆的に新たな人格を作り出す。

 それはもはや、元の原型を留めていない別物だ。

 そこから、全体のうち半分を占めるオリジンが喪失すれば――作られた人格は、スポンジのようにスカスカになる。

 人間というのは本来、肉体のほんの一部が壊れただけで使いものにならなくなる、デリケートな生き物だ。

 半分を失って生きていられるはずがない。

 もはや人の意識としての体を成さないそれは、自らの重みで崩れ、精神的な死を迎える。

 つまり――ミュートの能力も同じく、一度巻き込まれてしまえばもう戻ることはないのである。

 自殺しようがしまいが、受けてしまった時点で、どのみち死んだも同然ということ。


「今日死ぬなんて、想像もしてなかっただろうに」


 誰だってそうだ、明日も当たり前の日々が続くと信じている。

 けれど、死はいつだって突然に訪れる。

 それにしたって、オリジンのもたらすそれはあまりに自分勝手で理不尽だが。

 事故だとか、偶然だとか、運が悪かったとか、そんな軽い言葉で済ませていいものではない。

 “仕方ない”ものではなく、忌むべき、憎むべき死なのだ。




 ◇◇◇




 戦闘を終えたフラムとスロウは、教会の外で休憩を取ることにした。

 本来は中で椅子に座ってゆっくりしたいところなのだが、血なまぐさいわ建物は歪んでいるわで使えたものではないのだ。

 そもそも、休憩より前にフラムのボロボロの服やスロウの失禁して濡れたズボンをどうにかするべきなのだが――さすがにこの惨状を誰にも説明せず、放置して去るわけにもいくまい。


「はあぁぁ……」


 スロウは地面にへたりこむと、ぐったりと教会の壁に体を預けた。

 フラムは隣に立ったまま、壁にもたれている。

 集団自殺を目撃し、ネクトに逃げられ、スロウと遭遇してルークに襲撃され戦闘、直後に化物のような赤ん坊を撃破――とまあ、いくらなんでも怒涛が過ぎる。

 フラムの身体的、精神的な疲労は相当なものだったし、人の生死やあの手の化物に耐性のないスロウも、呼吸が整った今でも顔は青ざめたままだ。

 しかし一方で、勇敢に戦う彼女の姿を見て男子として滾るものがあったのか、興奮気味でフラムに問いかける。


「あの、剣を振ったら遠くの敵が斬れたやつ。あれも魔法だったのか?」

「あれは剣術」

「剣術! それで遠くの相手を攻撃するとか、そういうの実在したんだな、話の中だけだと思ってた。つうか、その体でよくあのでかい大剣ぶん回せるよね」

「まあ、色々あってね。剣の方はガディオさんに教えてもらったの」

「へえ、伊達に英雄として選ばれてるわけじゃないんだな。面接のときはそりゃもう怖かったけど、味方になると頼もしいよ」


確かに、あの強面が面接で出てきたら、誰だって萎縮するだろう。

そんな試験を通った時点で、スロウはこれでなかなか優秀な人間なのかもしれない。


「じゃあさ、魔法は使わなかったのか?」

「一緒に使ってた」

「魔法と剣技のあわせ技! いいよなあ、そういうの憧れるけど、俺には無理だよなー」

「冒険者になりたかったの?」

「才能があったらなってた。でも俺にはそんな力ないし、おふくろも安心させてやりたかったから定職につくことにしたんだ」

「そっちの方がいいと思う」

「でもフラムさんは冒険者を選んだわけじゃん?」

「私だって好きで選んだわけじゃないから」


 そう言って、フラムは頬に触れた。

 周囲が良い人ばかりなのでつい忘れそうになるが、奴隷の印はまだそこにあるのだ。

 幸いなことに、スロウはあまり気にしていないようだが。


「好きで選んだわけじゃないのにあそこまで戦えるのか……」


 彼はその後、ひたすらに”やべえ”と”すげえ”をぶつぶつと繰り返していた。

 会話が途切れたところで、フラムは瞼を閉じる。

 体から力を抜いて深呼吸をしていると――数人の修道女が、大通りから教会に帰ってきた。

 中には見たことのある顔もある。

 セーラが行方不明になったときに話した中央区のシスター、名前は確かティナだったか。

 ティアと似ている上に、一度しか会ったことがないのでうっかり忘れそうになる。


「あなた確か、フラムさんだったわよね?」

「お久しぶりですティナさん、大通りの方は大変なことになってたみたいですね」

「ええ、怪我人の治療も終わって今は随分と落ち着いたけど――それにしても、その格好どうしたの? 怪我ではないようだけど」

「それを答える前に、確認しておきたいことがあります」


 赤子が死んでも普通に生きているということは、ティナはまとも・・・なのだろう。

 しかし警戒は怠らない、いつでも剣を抜けるよう心は構えておく。


「たった今、ここで私たちは巨大な赤ん坊に襲われました」

「巨大な……赤ん坊? 何のことなの?」

「礼拝堂のさらに奥の部屋に、修道女と一緒にいた子供です。心当たりはありませんか?」


 フラムの言葉に、ティナや周囲の修道女たちがざわついた。

 どうやら心当たりがあるらしい。


「確かに、ナーレイというシスターが、昨日の朝に保護した子供の面倒を見ていたわ。でも彼女、様子がおかしくて……今日の朝から私たちを部屋に入れてくれなくなったの」

「それで仕方なく置いていったわけですか」

「ええ、だけど……襲われたって、どういうことなの?」

「言葉通りですよ」


 襲われ、戦い、殺した。

 それ以上でもそれ以下でもない。


「昨日の朝に保護したって、どういう状況だったんです?」

「赤ちゃんのこと? だったら、門のところに捨てられていて、親が見つかるまでは教会で面倒を見ることになったの。その子を最初に見つけて抱き上げたのが、ナーレイだったわ」

「最初に抱き上げた……」

「子供の方も、彼女によく懐いていたのよ」


 それで自然と、ナーレイが面倒をみるようになったのだろう。

 流れとしては自然である。

 だが人格の改竄は、すでに抱き上げた時点で始まっていたのかもしれない。

 これは善意を利用した罠であり、その設置場所が教会ということは――十中八九、復讐を目論むチルドレンの仕業と見て間違いないだろう。


「ねえ、質問に答えたんだから詳しく聞かせて。ここで何があったの?」

「中を見ながら説明した方が早いと思います、ただしショッキングな光景なので気をつけてくださいね」


 その後、フラムを先頭にして修道女たちは礼拝堂に入っていった。

 そして中で轟く、色とりどりの黄色い絶叫。

 滅茶苦茶に破壊された礼拝堂に、頭が真っ二つになった巨大な赤ん坊と、ナーレイの生きた死体――前もって注意をしていても、やはり彼女たちには刺激が強すぎたのだろう。

 うち数人が失神してしまった。

 どうにか耐えたティナは、すぐさま教会騎士に助けを求めた。

 さすがに放り投げて帰るわけにもいかないので、フラムとスロウもそこに残り、説明に追われることとなった。




 ◇◇◇




 二人が解放されたのは、日も傾き、そろそろ夕方に差し掛かろうか、という時刻だった。

 フラムとスロウは疲れの見える表情で、寄り道せずに西区のギルドに向かう。

 ようやく建物の前までやってくると、フラムは「ふー」と長めに息を吐いた。

 そして入り口の扉を開け、施設内に入ると、いきなり何者かのタックルを受け、よろめく。


「おっとと……!」


 ふわりと舞う銀色の髪に、香る甘い匂い。

 顔を見ずともその正体はわかる。


「なんで、ミルキットがここにいるの?」


 フラムは彼女の頭を撫でながら問いかけた。

 すると彼女は顔を上げ、上目遣いで目を潤ませながら主張する。


「王都で、人がたくさん死ぬような事件がいくつも起きたと聞きました。そしたら、いてもたってもいられなくて……」

「あははー、そんなに心配してくれてたんだ」


 フラムは「仕方ないやつめ」と嬉しそうに言いながら、抱きとめたミルキットの頭をぽんぽんと撫でた。

 主の暖かい手のひらのぬくもりに、ミルキットは気持ちよさそうに胸に顔を埋め、目を細める。

 至福のひとときである、フラムの荒んだ心が嘘のように癒えていく。

 そんな二人のやり取りを、スロウは一歩引いた場所で訝しげに眺めていた。

 カウンターで頬杖をつくイーラも似たような表情をしている。


「まずは連れてきたわたしに対する感謝が必要だと思う」


 椅子に腰掛けていたエターナが、恨めしそうに言った。

 とは言え、実は彼女も蚊帳の外にされるのが嫌で、ギルドに行きたがっていたのだが。

 それを棚に上げ、目を細め、呆れたようにフラムの方を見ている。

 その膝の上にはインクが座り、ジュースの入ったコップを両手で抱えていた。


「フラムとミルキットのアレは今に始まった話じゃないからね、家でもよく二人の世界を作ってるし」

「入り込めない、肩身が狭い」

「エターナさんたちだって似たようなことやってるじゃないですか!」


 フラムがそう主張しても、エターナとインクは『あの人何言ってるの?』みたいな顔をして取り合おうとしない。

 自覚がないぶん、二人の方が悪質である。


「ぐぬぅ……」


 最初こそ悔しがっていたが、ミルキットを抱きしめていると、次第にどうでもよくなってくる。

 どうせお互い様なのだし、気にしなければいいだけの話だ。


「ところでご主人様、この服の破れ方……やはり襲われたんですよね?」


 ミルキットは、フラムの服の胸元に空いた穴に指を突っ込みながら問いかけた。

 こそばゆい感触に、フラムの頬が微かに赤く染まる。


「ま、まあね。ねえイーラ、ガディオさんは戻ってきてる?」

「いるけど、奴隷同士が乳繰り合ってるところを見てるほど暇じゃないと思うわよ」

「そんなことやってないから!」


 イーラは「はいはい」と適当にあしらいながら、席を立ちマスターの部屋に向かった。

 かと思うと、途中で足を止めて振り返る。


「ああそうだ。スロウ君、おつかれさま」

「あ……いやイーラさん、俺……」

「買えなかったんでしょう? 仕方ないわよ。疲れてるでしょうから、しばらく座って休んどきなさい」


 そう言って再び歩きだした。

 フラムとスロウは、ぽかんとした表情で彼女の背中を見送る。


「俺、てっきり怒られると思ってた」

「なんか優しくて気持ち悪かったよね……」

「聞こえてるわよフラムッ!」


 奥から怒鳴り声が響き、フラムは肩をすくめた。

 しかし、いつもより妙に優しかったのは事実である。

 スロウのことを“君”付けで呼ぶ彼女を見て、気があるのではないかと邪推していたフラムだったが――どうやら見事に的中しているようだ。

 十八歳と二十四歳、言うほど年齢が離れているわけではない。

 それでもイーラに対してどこかで反抗心を抱くフラムは、心の中で『どんまいっ』とスロウのことを励ましていた。


 それからすぐに、ガディオが部屋から出てきてフラムたちの前に現れる。

 彼は珍しく疲れた表情を浮かべていた。

 それだけ中央区で起きた事件は壮絶だったということだろう。


「無事なようでなによりだ」

「ガディオさんこそ」

「ところで、ライナスはまだ戻っていないのか?」

「みたいですね、あっちはあっちで何かに巻き込まれてるのかもしれません」


 とは言え、彼なら持ち前の素早さで、危険を察知すればすぐさま逃げるだろう。

 待っていれば、じきにまた顔を出すである。


「あいつが来るのを待っていたらキリが無いな、まずは俺の方から話をしよう」

「スロウやイーラも聞いてていいんですか?」

「ここまで螺旋の子どもたちスパイラルチルドレンが大っぴらに動いているんだ、隠したところでじきにわかることだ。ならば最初から知っておいた方が安全かもしれん」

「わかりました、ならこのままで」


 フラムとガディオの不穏なやり取りに、イーラとスロウは何を聞かされるのかと、不安げである。


「おそらくもう知っているとは思うが、中央区の大通りで馬車の荷車が暴走し、大量の死傷者が出た。犯人は螺旋の子どもたちスパイラルチルドレンと呼ばれる教会が作り出した……生体兵器とでも呼ぶ存在だ」

「たぶんやったのは、私たちを襲ったルークっていう男の子だと思います」

「ルークがそんなことを……」


 名前を聞くと、インクが反応を示す。

 ガディオは彼女の方を見て、低い声で問いかけた。


「どんなやつだったんだ?」

「ルークは……口調は乱暴で、あんまりマザーの言うことも聞かないんだけど、根は優しかった。私のこともあんまりいじめてこなかったし。あと、頭を使うのが苦手なタイプだと思う」

「なるほどな、確かに東区で集団自殺を引き起こしたミュートや、あのネクトとかいう少年に比べれば、手口が雑ではあるな。詳しい能力は――交戦したフラムならわかるか?」

「たぶん、ルークの能力は“回転”だと思います」


 それを聞いたガディオは、顎に手を当て「ふむ」と相づちを打った。


「大通りの事件は、荷車に触れて、車輪を暴走させたんじゃないですかね」

「待って、さっきから物騒でわけわかんない言葉ばっかり飛び交ってるけど、その……要するに今日起きた事件を引き起こしたのは、教会が作り出した兵器、なわけ? それがなんで、いきなり王都で人を殺しまくってんのよ!?」


 イーラが声を荒らげる。

 何も知らない人間からしてみれば、いきなり聞かされても意味不明な話ばかりだろう。

 彼女の疑問に対して答えたのは、フラムだった。


「教会は、とあるエネルギーを使った兵器を製造するため、秘密裏に三つのプロジェクトを動かしてたの。チルドレンっていうのがそのうちの一つだった。でも彼らは派閥争いに巻き込まれて、教会から切り捨てられたってわけ」

「その逆恨みに、王都で暴れてるってことなの? 迷惑な話ね」

「事はそう単純じゃない。ただ暴れたいだけなら、わざわざ逃げたりせずに大通りで好き放題すればいいだけのこと」


 エターナが言った言葉に、ガディオとフラムも頷いた。


「私、あの子たちが陽動してるように思えるんです」

「囮ということか」

「はい、何か別の目的が……いや、きっと王都の人を殺すのも復讐のうちの一つなんですけど、それを隠れ蓑にして何かを企んでるんじゃないかって」

「ご主人様はどうしてそう思ったんですか?」


 腕を絡めたミルキットが問う。

 フラムが頭に思い浮かべるのは、スロウを狙ってきたルークと、先ほど交戦した“第三世代”だ。


「まずひとつ、私とスロウは中央区の教会前でルークと交戦した。でも彼が最初に狙ってきたのは、私じゃなくてスロウの方だったの」

「そういや色々ありすぎて忘れてたけど、なんで俺が狙われたんだ?」

「スロウ、教会と関わったことはあるか?」

「いや、全然そういうのないんで。おふくろからも、信者だったって話は聞いたことないですね」


 スロウの採用にがっつり関わったガディオは、彼のプロフィールも知っている。

 確かに熱心なオリジン教徒である様子も無かったし、親だって酒場で働くごく普通の女性だ。

 変わったことといえば――


「父親絡みである可能性はどうだ?」


 彼が、片親であるということぐらいか。


「俺の、ですか? おふくろも話したがらないんでよくわかんないんです」


 それはスロウの母親でなければわからないことだ。

 ここでの会話だけで、謎を解き明かすのは不可能だろう。

 明日以降、情報収集が得意なウェルシーあたりにでも頼むか――とガディオは考える。


「二つ目は何?」


 エターナがそう聞くと、フラムは表情を曇らせた。

 慣れてきたとは言え、あの手の敵は思い出すだけでも気が重くなる。


「ルークとの交戦直後に、私たちは教会の中で、その……何と言うか、顔だけで一メートルぐらいある、巨大な赤ちゃんと戦ったんですよ」

「何だそれは、人間なのか?」

「わかりません。ただはっきりしているのは、それがオリジンコアを使って作り出された存在であるということと、ルークがそれを“第三世代”と呼んでいたということです」

「第三世代……なにそれ、私も聞いたことないんだけど」


 同じチルドレンに所属していたというのに、インクは何も知らなかったようだ。

 元より研究に関する詳しい情報は何も知らされていなかった彼女ではあるが、あんな化物が近くにいればさすがに気づくはず。

 ひた隠しにしてきたのか、それとも完成したのがつい最近なのか。


「次世代の螺旋の子どもたちスパイラルチルドレンということか」

「ですが、今はまだ、彼らの方が強いと思います。実際、私ひとりでも倒せてるわけですから。でも……修道女の人たちに聞いたら、昨日の朝に門の近くで拾ったときは、ごく普通の赤ちゃんの姿だった、って言うんです」

「だが今日の時点で、すでに巨大と呼べる大きさにまで成長していたのか」

「放っておいたら大変なことになりそう。まさか……送られてきてる手紙は、その子供の完成までの時間?」


 エターナの仮説は、あり得ないはない話ではない。

 あれがあと三日も野放しにされていれば、さらに巨大化し、手に負えなくなっていただろう。


「そうだとすると、ルークがあの赤ちゃんを見捨てて逃げた理由がわかりません」

「確かに、その赤子が本命だと言うのなら、陽動説が崩れるな」

「む……じゃあ違うかもしれない」


 予想が外れて、エターナは悔しそうである。

 その頃には、イーラとスロウは話についていけなくなり、二人揃って眉間にしわを寄せていた。


「とにかく、この二つに遭遇して、チルドレンの目的があまりにバラけすぎている、と思いました。何を成すにしても中途半端なんです」


 なぜ集団自殺などという目立つ方法をあえて使ったのか。

 なぜ荷車を暴走させるという回りくどい手段を用いたのか。

 なぜあの赤子を不完全な状態でフラムと戦わせたのか。

 万全を期していれば、今より大きな成果を得られたはずなのに。


「それにマザーの姿も見えません。あの子たちは、彼が何かを成し遂げるための時間稼ぎをしてるんじゃないでしょうか」

「……わたし、ずっと疑問に思ってたんだけど、チルドレンは何をするための研究なの? ネクロマンシーとキマイラには明確な目的があった。でも、チルドレンだけは最終到達点が見えてこない」

「確かにそうですね。それがわかれば、マザーの場所の目星も付くかもしれませんが」


 死者を蘇らせる研究であるネクロマンシー。

 兵器を作り出すためにモンスターを継ぎ接ぎするキマイラ。

 そしてチルドレンは――心臓にコアを埋め込んだ子供を育てただけである。

 確かにその力は強力だが、兵器として運用するにはどうにも不便だ。

 育てる手間を考えると、量産だって難しい。


「マザーって男のことはインクから聞いてる。みんなの母親代わりをして、みんなから慕われていたって。でも不思議」

「何がですか?」

「なんで男なのに母親マザーなんだろう、父親じゃダメだったんだろう」

「趣味ではないのか」

「趣味でも何でも、必ずそうなった理由はある。フラムが遭遇した赤ん坊、その存在を踏まえて改めて考えてみたら、なんとなく見えてきた」

「どういうことです?」


 エターナはしんどそうに「ふぅ」と息を吐いて、一拍置いてから言った。


「マザーは、子供を産みたいのかもしれない」

「……は?」


 フラムの口が開きっぱなしになる。

 他の面子も、それぞれが驚き、困惑していた。


「第一世代であるインク、第二世代である残りの子供たちは、他の母親から生まれてきた。一方で、第三世代は赤ん坊の状態で生まれている。つまりこれは、マザーは人間を一から作りたがっていることの証拠」

「いや、だからって産みたがってるってのは……」

「確かにそれは言い過ぎかもしれない。けれど彼が“母親”という存在に対して何らかのコンプレックスを抱いているのは間違いない。でなければ、格好から何から全てを母親らしいものに統一する理由がない」


 暴論だ、しかし――ダフィズのことを考えると、プロジェクトのトップが個人的感情で突っ走っている可能性は十分にある。


「確かにマザーは、私たちが自分の実の子供じゃないことを悔やんでる部分はあったかもしれない」


 インクがエターナをフォローするように言った。

 説がさらに重さをまして、現実味を持つ。

 馬鹿げている、しかしその馬鹿げた望みだからこそ――オリジンコアに頼る。

 ならば逆に、彼らが成そうとしていることを常識の範疇で考えることこそが、間違いなのかもしれない。


「つまり、残り三日というあの予告は子供が育つまでの時間ではなく、マザーが出産するまでの時間ということになる」


 だがそれは――地獄だ。

 フラムは頭を抱えた。

 男が妊娠して子供を産むという時点で理解を越えているのに、産まれてくるのは普通の赤子ではないというのだから。

 第三世代がそのための実験体だと仮定すると、第四世代は、さらに大きなオリジンの力を持った存在ということになる。


「エターナ、想像でみなを追い詰めるのもその辺にしておけ」


 ガディオはそう忠告した。

 引いていたのはフラムだけではない。

 ミルキットも、イーラも、そしてスロウだって頬を引きつらせている。


「証拠を並べていったら導き出されただけ、想像ではない」

「だとしてもだ。とにかく、簡潔に言うと俺たちはあのカウントダウンが終わる前に、マザーを探し出さなければならないというわけだな」

「……まあ、それでもいい」


 エターナはまだ話し足りない様子である。

 だが彼女とて大人だ、ここはぐっと我慢して黙る。

 なお膝の上に乗っているインクは、抱きしめる両腕に力が篭ったため少し苦しげだったが、何も言わずそのままにさせておいた。


「しかし、マザーを探すにしてもそう上手くはいかないだろうな、何せ動いているのはチルドレンだけではない」

「サトゥーキですか」

「ああ。実は今日、あいつに会ったんだ。大通りで怪我人の応急処置を行っていた俺の前に姿を現した」


 ガディオは想起する。

 大通りでの騒ぎが落ち着いてきた頃、白いゆったりとしたローブを纏った何者かが、自分に近づいてきたのだ。

 それは鼻の下と顎に髭を生やし、半分ほどが白髪になった黒髪の男――サトゥーキ・ラナガルキ、その人だった。

 身長はガディオより十センチほど低いが、熟練の冒険者とはまた別の、独特の威圧感を放っている。

 嘘くさい笑みを顔に貼り付けて迫ってきた彼は、いきなりガディオに握手を求めてきた。


『ありがとうございます、あなたのおかげでこの王都は救われました』


 演技がかった妙に大きな声。

 もちろん周囲はざわつく。

 なにせ、あのガディオ・ラスカットと、枢機卿サトゥーキが握手を交わしているのだから。

 そして彼は会話の中で、ことあるごとに、ガディオが“英雄”であることを強調するのだ。

 これまでも、そして今日からも、きっと王都の民衆を救うために戦ってくれるだろう、と。


「怪我人が大量に出た事故現場に、未だ危険が去っていないのに自ら足を運ぶ……明らかにパフォーマンス」

「ああ、ただの人気稼ぎに過ぎない。そもそも俺は、チルドレンを野放しにしたこと、それ自体が人気稼ぎのためだったのかもしれないすら思っている」

「リーチさんも言ってました、私たちにチルドレンの処理を押し付けてるのかもしれない、って」


 自分の手を煩わせず、なおかつ適度に犠牲者を出すことで教皇や国王の評判を落とす。

 そのためにフラムたちにチルドレンに関する問題の解決を丸投げした。

 確かにありえない話ではないのだが――ガディオとエターナは疑念を抱く。

 果たして本当に、それだけなのだろうか、と。

 どちらにしろ、犠牲者を増やさないためには彼らが必死で動くしかないのだが。

 しかしサトゥーキの存在は、頭の片隅に置いておいた方がいい。

 もし本当に、彼の目的がガディオが考えているそれ・・だとするのなら。

 狡猾に、自分に害が及ばない形で、さらなる犠牲者の増大を望むはずだからだ。


「そういえば話は変わるけど、キリルとマリアはどうなった?」


 エターナはふいにそう尋ねた。

 するとフラムの表情はさらに暗くなる。


「マリアさんはわかりません、でもキリルちゃんは……」

「何かあったんだ」


 顔を伏せたフラムを見て、エターナは何となく察する。


「目的はわからんが、チルドレンにさらわれた」

「んー? なんでまたあいつらがキリルなんかに手を出してるの? インクは知ってる?」


 聞かれたインクは、首を横に振った。


「勇者ということを利用して、人質にでも使うつもりか」


 あるいは、サトゥーキに対する牽制なのか。

 もっとも、実際はミュートはただの興味で彼女と行動を共にしているだけである。

 そんなもの、事情を知らない第三者が推測できるわけがない。

 そこに何か思惑があるのではないか――そう考える限りは、たどり着けない真相である。


「キリルちゃん……今ごろどうしてるんだろ」


 寂しげにそうつぶやくフラム。

 そんな彼女を、ミルキットは揺れる瞳で不安げに見つめていた。




 ◇◇◇




 その後、フラムたちはギルドを出て解散した。

 ガディオは、スロウとイーラをそれぞれの家に送っていくらしい。

 またスロウに関しては、チルドレンに狙われている可能性もあるため、母親共々ガディオの屋敷に招待すると言っていた。

 その話を聞いたイーラが何やら目を輝かせていたが、彼女がどうなったかなど――四人並んで夜道を歩くフラムにとっては、心底どうでもいいことである。


「結局ライナスさん来なかったなー……」

「やはりあの方も、チルドレン絡みの事件に巻き込まれてしまったんでしょうか」


 主を手をつなぐミルキットは、目を伏せ、地面を見つめながら言った。


「しぶとさでは一番だから、心配は必要ない。案外、先に家の前で待ってるかもしれない」

「他のところで死んだ人が出たって話も聞かないもんね」


 確かに二人の言うとおり、チルドレンが暴れたのなら、すぐさまギルドまで情報が伝わってくるはず。

 現在進行形で戦闘していたとしても、Sランク冒険者が戦えば周囲が異変に気づかないわけがない。

 事件に巻き込まれたというよりは、個人的な事情でまだ戻れていないだけだろう。


「そうですね、あの人ならきっと大丈夫ですよね」


 明日になれば、きっとひょっこりと顔を出すはずだ。

 そう信じて、これ以上、一人で不安になるのはやめた。

 会話が途切れる。

 四人はしばらく、黙ったまま歩いた。

 嫌な沈黙ではない。

 握った手のひらのぬくもりを確かめているだけでも胸が暖かくなる。

 しかし、家路の半分ほどを進んだあたりから、ミルキットの様子がおかしくなりだす。

 彼女は何度も、気まずそうな表情で、フラムの方をチラチラと見てくるのだ。

 もちろん、見られている方がすぐに気づく。

 しかし、ミルキットがためらっているということは、聞きづらい話題だということ。

 それをフラムの方から『何?』と尋ねるのは、さらに彼女を追い詰める結果になりかねない。

 フラムはあえて、気づいていないフリをした。


「あの……」


 すると、幾度かの逡巡の後、ようやくミルキットが口を開く。


「どうしたの?」


 フラムは、母が子を諭すように優しく微笑み問いかけた。


「キリルさん、って……」

「うん、キリルちゃんがどうかした?」


 よほど聞きにくいことなのか、ミルキットはかなり挙動不審だ。

 そんな彼女の声を聞いて、エターナとインクは何やらニヤニヤしている。


「……ご主人様の、何なんですか?」


 葛藤を繰り返した末、ミルキットは胸に渦巻く暗い疑念を、そのまま言葉にした。

 それは彼女にとって、聞くことすら憚られ、抱くことすら忌避する感情である。

 しかし、だからと言って、無かったことに出来るほど生っちょろいものでもない。

 だが一方で、フラムにとっては『なんだそんなことか』と笑ってしまうほど些細な質問だった。


「友達だよ」


 彼女はそう言い切る。

 キリルとの関係を表す言葉として、他にふさわしいものをフラムは知らない。


「友達……」


 ミルキットは鸚鵡返しで反芻した。

 自分とは違う。

 パートナーではなくて、友達。

 だがミルキットにわかるのは、“何かが違う”ということだけで、具体的に何が違うのかはまだ理解できなかった。


「ちょうど故郷が似たような田舎で、急に英雄扱いされて戸惑うところもそっくりで、好物が甘いケーキってところも同じだったから、すぐに意気投合したの」


 フラムはキリルとの出会いを思い出しながら語る。


「今も、そう思ってますか?」

「もちろん。わだかまりを溶かして無くして、前みたいにケーキを食べにいけたらなって思ってるよ」


 明るく言い放つフラムの笑顔は、ミルキットには眩しすぎた。

 彼女は邪念も抱かずに、自分を虐げたこともある友人に対して、こうもまっすぐに気持ちを向けているというのに――自分は。

 自己嫌悪する。

 それでもやはり、生まれてしまうのだ。

 間違っていると理解していても、沸いてしまうものは仕方ない。

 溜めていても膨らんで、いずれは破裂してしまうだけ――だからミルキットは今のうちに、全てを吐き出そうと思った。


「……私は、友達ではないのですよね」

「うーん、それは違うかなあ」

「その違いは、何なのでしょうか」


 こだわるべきものではない。

 ミルキットは、フラムの寵愛を受けているだけで十分すぎるほど幸せなのだ。

 その理由を問うなどと、贅沢にも程がある。

 しかしその贅沢を求めてしまうほど、フラムはミルキットに甘露を与え、溺れさせてきた。


 一方でその自覚がないフラムは、なぜミルキットがそのようなことを聞くのかを考えていた。

 主の友人であるキリルのことが気になる、それはまあわかる。

 しかし彼女の聞き方は、キリルとの関係というよりは、キリルと自分の扱いの違いについて疑問を抱いているように思える。

 はて、彼女の望みを満たすためには、どう答えれば正解なのやら。


 二人の間に漂う微妙な空気。

 完全に蚊帳の外にになったエターナとインクは、ひそひそ話をしながら静かに盛り上がっていた。


「例えばだけど、私はキリルちゃんと同じベッドで寝たことはないし、抱き合ったこともないし、こうして手を繋いで歩いたこともないよ」


 ミルキットとなら当たり前にやってきたこと。

 けれど、それが普通ではないことを、フラムは自覚している。

 キリルどころか、これまでの人生で誰に対しても抱いたことのない感情を、ミルキットに向けているのだ。


「本当に私だけ、ですか?」

「うん、私がここまで触れ合ってるのは、ミルキットだけだよ。だからまあ、何ていうかな……順位付けするものじゃないとは思うけど、近さでいうとミルキットの方が上だと思う」


 ミルキットの指がぴくりと動く。

 それをフラムも繋いだ手で感じ、文字通り手応えを得ていた。

 そして気づく。

 彼女が反応したのは、“ミルキットの方が上”という言葉に対してだ。

 つまりミルキットは――キリルに嫉妬しているのでは? と。

 それに気づいた途端、フラムの胸がきゅっと締め付けられる。

 ちょっと話をしただけで妬くなんて、どれだけ私のことを慕ってるんだこの子は、と浮かれずにはいられない。


「私、怖いんです。ご主人様はとても魅力的で、強くて、色んな人に慕われていて」


 しかしあくまで、ミルキットは真剣だ。

 たかが嫉妬、されど嫉妬。

 一般人にとっては当たり前でも、奴隷にとっては禁忌である。


「もちろんご主人様が私を特別扱いしてくれているのは知っていますし、信じています。ですが……周囲に人がたくさんいる私と違って、私には、ご主人様しかいませんから」


 観戦するエターナが、ぼそりと「私たちもいる」と呟く。

 そんな彼女の口を、インクが探り当て手で塞いだ。


「んー、困ったなあ。その不安を取り除くために、私は何をしたらいいんだろ」

「困らせてしまい申し訳ありません」

「ああ、いいのいいの。要するに、ミルキットは真っ直ぐに私を見てくれるのに、私の方は色んな方向に気移りしてるってことだもんね。ううーん……むー……」


 首をメトロノームのように左右に振りながら、フラムは唸る。

 その動きが五往復ほどしたところで、首を傾けたままぴたりと止まった。

 そして何かを思いついたのか、ミルキットの目をしっかりと見つめて言い放つ。


「好きだよ」


 真っ直ぐな言葉に胸打たれ、包帯の奥にある瞳が見開かれる。

 そしてエターナとインクはほぼ同時に「ぶふっ」と吹き出した。


「ごめん。これ以上に気の利いた言葉は、今の私じゃ思い付かないや。あとは行動で示していくしかないかな」

「……い、いえ。十分ですっ、十分に……気持ちは、伝わりましたから。ごめんなさいご主人様、変なことを聞いてしまって」

「いいよお、そういうのを聞いてくれるようになったことが、素直に嬉しいから」


 言いながら、フラムは繋いだ手を一旦離し、今度は指を絡め合った。

 あまりに何気なく、不意打ちにそんなことをするものだから、ミルキットの胸が止まりそうなほど激しく跳ねる。

 こんなことをしても、ご主人様はきっと平然としているんだろうな――と思いつつ、彼女がフラムの方を見ると、


「……っ」


 目が合った。

 すると彼女は恥ずかしそうに、視線を逸らす。

 澄まし顔を想像していたものだから、それもまた不意打ちで。

 平然となんてしていなかった。

 ミルキットの不安を解消するために、フラムなりに冒険をしたのだ。

 そのこそばゆさに、ミルキットも無性に恥ずかしくなって、目線を外す。 

 お互いにそっぽを向きながら、それでも絶対に手は離さずにあるき続ける。


「フラムとミルキットって、どういう関係なんだろね」

「わたしにもよくわからない」


 同じく手を繋ぎながら歩く十歳と六十歳は、揃って首を傾げるのだった。





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