第47話 開演
そこは大聖堂のとある一室。
ペンを片手にデスクに並んだ書類と向き合っていたサトゥーキは、部屋に響いたノック音と同時に手を止めた。
立ち上がり、自ら扉を開く。
隙間から顔を覗かせたのは、エキドナであった。
「あらぁ、お手を煩わせてしまい忍びないですわぁ」
彼女の声からは、それが本心なのか社交辞令なのかは判別できない。
サトゥーキですら、時折寒気を覚えてしまうほど、底知れない女である。
「おじゃましまぁす」
ブロンドヘアと白衣を揺らしながら、彼女は部屋に入った。
周囲を見回すと、少し不満げに口を尖らせる。
「相変わらず無駄に広い部屋ですわぁ」
言いながら、エキドナは来客用のソファに腰掛けた。
「そう言ってくれるな、私とて持て余しているのだからな」
サトゥーキも、彼女の向かいのソファに座る。
「それで、何か状況に変化はあったのか?」
単刀直入な問いに、エキドナは頬に人差し指を当て、「んー」と悩む仕草を見せた。
その所作は、いちいちあざとい。
特に女性に嫌われそうなタイプではあるが、だからと言って特別男性に好かれているというわけでもない。
そして演技でもない。
それがエキドナの素の状態なのであった。
彼女はたっぷり焦らしたあと、わざとらしく困った顔を作って言った。
「マリアが逃げてしまいましたわぁ」
「……ふっ、そうか。あの女も存外にしぶといものだな」
脱走の話を聞いても、サトゥーキが驚いた様子はない。
まるで最初から予想していたようだ。
「捕まえなくてもよろしいのですかぁ?」
「構わん、彼女も英雄なのだろう?」
「ですが、万が一チルドレンに与するようなことがあればぁ……」
「そのときは奴ら同様、贄になってもらうだけだ。どちらに転んでも面白い」
平然と言い切る彼の言葉に、エキドナは微かに頬を赤らめながら「んふふっ」と上機嫌に笑った。
躊躇のない判断力、そして飽くなき欲望への探究心――それこそ、彼女がサトゥーキについていくことを決めた理由である。
「王や教皇は相変わらずオリジンの虜ぉ、王妃は息子と別の男にご執心ですしぃ、これはもう決まったようなものですわぁ、ねえ聖下?」
「それは気が早いと何度言えばいい」
「決まっていることだというのに、猊下と呼び続けるのは億劫ですわぁ」
「油断はしない、全てがうまく収まるまではな。私は父と同じ過ちは犯さんよ」
「でしたらぁ、魔族とのパイプを切ってしまってよかったのですかぁ? あれだけでも残しておけばよかったと思うのですがぁ」
サトゥーキは鼻で笑い一蹴する。
そんなものは、そんなやつらは――自分の覇道には必要ない、と。
「私にとって、魔族は敵だ。それ以上でもそれ以下でもない。フェドロのように、ちまちまとオリジンの小間使いを使うような真似はせんさ」
「あらぁ、男らしいですわぁ」
茶化すようにエキドナは笑う。
そんな彼女の掴めない言動にももう慣れたものである。
サトゥーキは軽く流すと、表情を引き締めて宣言した。
「まずは、舞台へ登るに相応しい役者を集めなければな。あの男にもせいぜい役に立ってもらうさ、そのために種を撒いてきたのだからな」
◇◇◇
翌朝、フラムはミルキットよりも早く起きると、真っ先に外に出た。
そしてポストを開くと――そこにはすでに、封筒が入っている。
「二日連続、悪戯ってわけでもなさそうかな」
封筒の材質は昨日と同じ。
その場で開いて中の紙を確認すると、そこにはやはり――『あと三日』と記されていた。
だが今回は、それ以外にも文章が書かれている。
「私たちは一つの標に向かって真っ直ぐ歩く、枝を切り落とすことに葛藤はない……?」
「なんだそりゃ」
それを読み上げるフラムの後ろから、男性がにゅっと顔を出す。
「うわぁっ!?」
彼女は思わず前のめりに倒れそうになり、手紙を地面に落としてしまった。
彼はそれを拾い上げると、文面をまじまじと凝視した。
「フラムちゃん、脅迫でも受けてんのかい?」
「ライナスさん!」
「驚かせてすまないな、やけに夢中になってたんでつい気になったんだ」
「お久しぶりです、でもなんでこんな朝早くに?」
フラムの素朴な疑問に、ライナスは苦笑して答える。
「ここが本当にフラムちゃんの持ち家なのか、まず確認しにきただけだったんだよ。そしたら偶然にも鉢合わせたってわけだ。しっかし、こんな立派な家まで手に入れて、パーティを抜けてから何があったんだ?」
経緯を話せば長くなるだろう、それにライナスから聞きたい話もある。
「立ち話もなんですし、まずは中に入りませんか?」
そう言って、フラムは玄関扉に手をかけた。
「なら遠慮なく……っと、その前にだな」
しかし彼はその場で足を止めると――おもむろに、地面に膝をついた。
それだけではなく、両手も、さらには額までもを石畳にこすりつける。
いわゆる、土下座の体勢であった。
これにはフラムも戸惑いを隠せない。
「ちょ、ちょっとどうしたんですかいきなり!?」
「ほんっとうにすまなかった!」
ライナスは心から謝罪する。
己の愚かさを恥じ、悔いて。
「ジーンさんのことなら、別にライナスさんが謝ることはないですよ」
「あいつだけに責任を押し付けるわけにはいかない。俺も、心のどこかで……フラムちゃんのこと、足手まといだと思ってたんだよ。帰ったほうがあの子のためだって、小賢しく善人ぶった言い訳までして」
それを面と向かって言われることは、フラムにとって多少なりともショックではある。
しかし、否定しようのない事実だ。
当時の、呪いの装備も持たず、完全にステータス0だった頃のフラムは――紛れもない、足手まといだったのだから。
「そういう想いって、態度に滲み出るもんだろ? だからきっとさ、俺も、フラムちゃんのこと追い詰めてたんだ。それを謝る前に、家に上げてもらうわけにはかない」
フラムは、ライナスを許すとか許さないとか、そんなことを考えたこともなかった。
もちろんジーンのことは恨んでいるが、それは彼が明確にフラムに対して危害を加えたからだ。
苦手意識が無いと言えば嘘になる。
だが、それは二人の間に意思の疎通がなかったからである。
正直に話してしまえば、そんな些細なわだかまりは、簡単に消えて無くなる。
「……私って、故郷でもライナスさんぐらいの年代の男の人と、あまり知り合わなかったんです」
「そう、なのか?」
「はい、ガディオさんぐらい年上だと距離感も測りやすいんですけど、ライナスさんやジーンさんぐらいだとどうにもできなくって」
ライナスは、フラムの意図が読めずに困惑する。
だが、そう難しい話ではない。
身長も大きく、微妙な年の差の男性に対して、圧迫感を感じる。
それだけの――本当に、ただそれだけのことなのだ。
「私がライナスさんに対して抱いていた悪い気持ちなんて、そんなものです。謝るとか、許すとか、そんな次元ですらありません」
「……じゃあ、俺の土下座はただの自己満足だな」
「そこまでしてくれるほど、申し訳ないと思ってくれていた。それは素直に嬉しいですけど。さ、早く入りましょう」
◇◇◇
居間に全員が揃うまでに、そこそこの時間がかかってしまった。
ミルキットは、下から聞こえてくるフラムとライナスのやり取りで目を覚ましたらしく、起こさずとも自然と居間に姿を現した。
問題はエターナとインクである。
ドアの外から呼びかけても、ベッドの直ぐそばから声をかけても、体を揺さぶっても目を覚まさないのだ。
最終的に、フラムの執念が勝利して起こすことに成功したが――ライナスがいるというのに、二人とも寝間着のままで、眠そうに目をこすっている。
「よ、よう、久しぶりだな」
彼は、あまりに気の抜けたエターナに、戸惑いながらも声をかけた。
「うん、久しぶり……」
彼女はぽーっとした声で返事をする。
旅のときには想像できないほどの無防備さである、永遠の魔女もこうなってしまうと形無しだ。
しかし彼の困惑は、それだけが原因ではない。
顔を包帯で覆った給仕服の少女に、目が縫い合わされた幼い女の子――その強烈な個性に、圧倒されてしまっているのである。
「なあフラムちゃん、これはどういう集まりなんだ?」
思わずそう尋ねるライナスだが、フラムも答えに困る。
見た目もさることながら、全員がそれなりに複雑な事情を抱えていたからだ。
「ミルキットは、私のパートナーです。奴隷商人に売られたときに出会いました」
まずは隣に座るミルキットから。
フラムに紹介されると、彼女は丁寧に頭を下げた。
「つまり、その子も奴隷ってことか。包帯の下は……聞かない方がいいんだろうな」
「元々は毒で爛れていたんですが、ご主人様に助けてもらって完治したんです」
「じゃあ取ればいいんじゃねえの?」
「私の素顔を見ていいのは、私を救ってくれたご主人様だけです」
恥じらうミルキット。
ライナスは目を細めてフラムの方を見た。
「なあ……二人は、どういう関係なんだ?」
「ライナスさんが怪しんでるような関係じゃないですよ、ただ今日までお互いに支え合ってきたってだけです」
「さしずめ相棒ってとこか」
それとも微妙に違うような気がしたが、フラムはあえて訂正はしなかった。
「で、そっちの……お嬢ちゃんは?」
「インクは私の患者、そしていまは私のお友達。だから一緒に暮らしてる」
フラムが説明する前に、エターナがそう言い切った。
インクはまだ眠いらしく、椅子に座った状態で、目を閉じ、こくりこくりと船を漕いでいる。
「要するに、こっちはこっちで色々あったってことだな」
「その言い方、自分たちにも何かあったと遠回しにアピールしてる」
「だからここに来たんだよ。実は、マリアちゃんとキリルちゃんが行方不明になったんだ」
「あの二人が!?」
驚愕するフラム。
エターナも真剣な表情で話に耳を傾ける。
「マリアちゃんに関しては、昨日の時点ではただ外出してるだけだと思った。だが……今日の朝、城で妙な動きがあってな」
「何があったんです?」
「兵士が数十人、いなくなったらしい。それと時を同じくして、城から出ていくマリアちゃんの姿を見たやつがいたんだ」
「そんなの大事件じゃないですか!」
「痕跡は完全に消されて、口止めもされてる。だから外には情報が漏れなかったんだ」
「にしても、無茶なことを……でも、だったらライナスさんは、どうやってそれを知ったんですか?」
「仲のいい兵士がいてな、俺にだけ教えてくれたんだよ」
ライナスは顔が広い。
城の兵士ならば何人もの知り合いがいる。
「もっとも、そいつも俺に詳しい話をする前に姿を消したけどな」
おそらくすでに、どこかで死んでいるのだろう。
起こったことを、ライナスに話しただけだというのに。
どれだけの人間の命を犠牲にすれば気が済むのか。
「教会も王国も、どっちも自分の都合ばっかり……」
「なんでそこで教会が出てくる?」
ライナスはまだ、教会の本当の姿を知らないのだ。
巻き込むべきか――悩むフラムだったが、おそらく彼はマリアを追いかけるだろう。
そうなれば、やがて教会の暗部にも触れることとなる。
何も知らない彼が一人で動くより、最初から知っておいた方が、むしろ安全かもしれない。
「教会は、オリジンの力を使って危険な実験を繰り返しているんです。犠牲になった人の数も一人や二人じゃありません」
「教会って、あの教会だよな? 別の組織ってわけじゃないんだな?」
「間違いなくライナスさんが想像しているとおりの――教皇フェドロを頂点とする、あの組織のことです。詳しくは話すと長くなるんですが」
「構わない、聞かせてくれ」
「……わかりました。たぶん、マリアさんの行方不明も無関係ではないと思いますし」
チルドレンの襲撃に、二人の行方不明、そして謎のカウントダウン。
全てがほぼ同じタイミングで発生している。
しかもマリアは教会の関係者だ、無関係なはずがなかった。
フラムはライナスに、今まで自分が遭遇してきた、オリジンの脅威について語り始める。
エニチーデの地下で遭遇した異形、インクとの出会い、死者を蘇らせる研究の顛末――知りうる限りの全ての情報を、彼に伝えた。
その流れで、自分に宿る反転の力に関する説明もすることになった。
かなり要約して話したつもりだが、それでもライナスが頭の中で整理を終える時間を含めて、一時間はかかっただろう。
全ての話が終わると、彼は眉間にしわを寄せ、テーブルの木目を見つめながらつぶやく。
「教会がそんなことを……マリアちゃんは、それを知ってたのか?」
「立場からして、知ってたんじゃないでしょうか」
「そうか、だからあんな……」
彼女の抱えた闇の一端、その正体をライナスはようやく知った。
枢機卿ほどではないにしろ、聖女は教会内で相当高い立場だったはずだ。
そんな彼女が、司教ですら知っている人体実験の存在を認知していないはずがない。
「でもキリルの方はよくわからない。どうして行方不明に?」
「あの子は、フラムちゃんが奴隷になってることを知っちまったんだ。その事実に耐えきれずに、城から出ていった」
「キリルちゃん……」
当時はともかく――今のフラムには、彼女が悩み苦しんでいたことが理解できる。
フラムと二人で遊んでいたときのキリルは、ごく普通の十六歳の女の子だった。
きっと彼女は、勇者になんてなりたくなかった。
しかし自らに宿った力と、周囲の期待がそれを許してくれない。
壊れていく心、そのひび割れから入り込んでいく、ジーンの囁き。
他人を見下すという行為が、優越感が、その場しのぎでキリルの気持ちを癒やしていったんだろう。
だが劇薬だ、必ず副作用が生じる。
それが、フラムがパーティを離脱したあとに、じわじわとキリルを追い詰めていった。
そして彼女が奴隷になったという事実を聞かされたとき、ついに決壊したのである。
「そうなると、キリルが消えたのは、教会とは関係がない」
「ですね。それにキリルちゃん自身も強いし、命の危険はないと思います。それでも……すぐに見つけてあげたいけど」
今も苦しんでいるであろうキリルのことを想い、悲しげな表情を浮かべるフラム。
彼女にはたくさん傷つけられて、嫌な思いをしてきた。
けれど、それらを全て許すことでキリルが救われるのなら、フラムは喜んで全ての怒りも憎しみも捨てよう。
キリルがフラムに支えられたように、フラムもまた、キリルがいたからこそ、あそこまで旅についていくことができたのだから。
「俺もマリアちゃんを一刻も早く見つけ出さないとな」
「でも……マリアさんの目撃情報があって、兵士が数十人消えたんですよね。その当事者が、マリアさんって可能性もあるんじゃないですか?」
フラムは言いづらそうにしていたが、しかしその可能性は無視できるものではない。
ライナスとてそれは理解していた。
その上で――彼女の話を聞きたいと、そう願っているのだ。
「どちらにしろ、まずは見つけないことには何とも言えないな。教会とやりあってきたフラムちゃんは、当然マリアちゃんを疑うと思う。でもごめん。俺はさ、彼女のことを信じたい。そして助けたいんだ」
「……それは、愛しているから、ですか?」
これまで黙っていたミルキットが発言する。
フラムはもちろん、ライナスも驚き、一瞬だけ動きを止めたが、すぐに優しい笑みを浮かべて答えた。
「ああ、愛してるからだ」
迷いなく断言する。
するとミルキットは、「そうですか」と小さな声で言うと、何かを考え込むように目を伏せた。
そんな彼女に、フラムは微笑む。
きっとミルキットなりに、フラムとの関係について真剣に考えているのだろう。
ライナスの答えを聞いて何を思うのか、少し不安ではあるが。
「てなわけで、俺はそろそろ失礼するよ」
「困ったらまた来るといい」
「ありがとなエターナ。ま、俺も定期的に情報共有に来るつもりではあるから、そのときはよろしくな」
そう言って、彼は席を立ち、家を出る。
完全に二度寝してしまったインクはそのままで、三人で彼を見送った。
すると――玄関を出てすぐのところで、ライナスは立ち止まる。
「おっ、久しぶりだなガディオ」
どうやらガディオが、ちょうどフラムの家を訪れていたようである。
「ライナス、こちらに来ていたのか。ならば都合がいい」
「どういうことだ?」
「東区で、体が捻れた異様な死体が発見された。その情報集めに、フラムと一緒に付き合ってくれると助かるんだが」
「ガディオさん、それってまさか!」
フラムはライナスの後ろから顔を出し、ガディオの言葉に反応した。
「ああ、おそらくは
「ってことはなんだ、それも教会が絡んでる事件ってことか?」
「フラムから聞いたのか、なら話は早い。そういうことになる、手を貸してくれるか?」
ライナスに断る理由はない、マリアの行方を探るための手がかりになるかもしれないのだから。
こうして、フラム、ライナス、ガディオの三人は東区へと向かうことになった。
「また自然と留守番する流れになってる……」
「それだけ頼りにされているということではないでしょうか」
「……そうかなあ」
家には、護衛のためのエターナを残して。
実際、
インクとミルキットの安全を確保するためにも、誰かが一人残る必要があった。
◇◇◇
現場は、東区の人通りの少ない道である。
今でも野次馬の姿がちらほらと見えるが、すでに死体は兵に回収されており姿も形も無い。
だが、壁や地面に染み込んだ血が、事件の凄惨さを物語っていた。
「こっからどうすんだ? 犯人はとっくに逃げてるんだよな」
「まずは目撃情報を集める。交戦経験のあるネクトやインクの能力から察するに、連中は遠くから対象に直接影響を及ぼすような力の使い方は出来ないと考えられる」
「確かに、どっちも人に触って初めて能力が発動する感じでしたね」
眼球にしても、肉体の接続にしてもそうだ。
彼らに遠隔発動ができていれば、キマイラを超える戦闘能力を得ることができたのかもしれない。
「なるほど、確かに触らなければ殺せないんなら、怪しい人影を見てる誰かぐらいはいるかもしれないな」
ライナスも納得したところで、三人は分かれて周辺の人々からの証言を集める。
ガディオは、同じ東区に住む人間とのしての人脈を利用して。
ライナスは、持ち前の話術で道を歩く人から。
そしてフラムは――うまい方法が集まらなかったので、とりあえず人がいそうな公園にやってきた。
東区の公園ともなると、遊具も綺麗で、整備された花壇に色とりどりの花が咲き誇り、中央には噴水まで設置されている。
公園とは名ばかりの、ただの荒れ地にしか見えない西区とは大違いだ。
ベンチに座って、遊びまわる子供を眺める人。
散歩ついでに公園を通りがかっただけの人。
他には花に水を撒く人など――公園には様々な世代の、様々な目的を持った人々が、二十人ほど集まっていた。
一人ぐらいは、怪しい子供の姿を見たりしているかもしれない。
「あのー……少し、お話を聞いてもよろしいですか?」
フラムは、ベンチに座り子供を眺める母親に声をかけた。
「……」
だが、返事はない。
母性に溢れた優しい笑みを浮かべたまま、まるで無視するように、子供の方だけを見ていた。
「すいません、お話を聞かせて……もらえませんか?」
ここまで見事に無視されるとは。
確かに東区は、奴隷に対する風当たりが強い傾向にある。
しかし、それでもちらっとでも視線を合わせるとか、断るとか、色々方法はあるはずなのだ。
なのにあえて無視を選ぶあたりが、フラムの気持ちをさらに落ち込ませていた。
仕方ないので、気を取り直して別の人に話を聞こうと、女性に背中を向ける。
そして離れようとしたそのとき――ぶちゅっ、と潰れるような音が背後から聞こえてきた。
フラムは足を止めて、振り返る。
「……えっ?」
そこには、
彼女は変わらない表情で、手のひらに乗った肉片を眺めている。
しかしその間にも、体内からこぼれ出た命の素が、服やベンチを汚していく。
やがてその体から力が抜けていき、女はベンチの上で横になって、ぐったりと体から力が抜けた。
新鮮な血液は未だ溢れ出しているが、すでに死んでいるのだろう。
「これ、は……」
女性の死を皮切りとして、公園にいた人々が、違う方法を使って自殺していく。
子供は自分の頭に両手を絡めるように当てて、自分の腕力で首をへし折った。
それを見ていた男性は、こめかみに親指の付け根を当て、思い切り押し付けることで、頭蓋骨を粉砕しながら脳を破壊し、絶命した。
また別の男は、腹部に腕を突っ込んで、手の力だけで開腹、嬉しそうに臓器を見せつけ命を落とした。
肋骨で手を怪我しながらも、どうにか心臓を引きずり出し、握りつぶした者もいた。
喉に腕を挿入し、窒息死を選んだ者もいた。
また、喉を内側から突き破って死ぬ者もいる。
他にも様々な方法で――まるでおもちゃで遊ぶかのように、次々と、無意味に、理不尽に、人の命が弄ばれていく。
しかし、目の前で繰り広げられる、あまりに残酷な集団自殺ショーを前に――フラムは言葉を失い、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
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