第33話 Re

 





 ガチャン、という音とともに回転扉が閉まり、鍵がかかる。

 これで、壁と一体化した入り口を見つけることはできないだろう。

 仮に誰かがそれに気づいたとしても、施錠を解除する方法が無い。

 なぜなら、本棚の裏に隠されたダイヤルキーをフラムが破壊してしまったからだ。

 入るときは奇跡的にそれで開いたが、二度は無いはずである。

 つまり、サティルスの死体が放置された部屋は、よっぽどのことが無い限り誰にも見つからないというわけだ。

 冒険者の死体の横を通り抜け、ミルキットを抱えたフラムとウェルシーは、ようやく外に出る。

 ウェルシーは「んーっ!」と体を思い切り伸ばし、澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込んだ。


「王都の空気はさほど綺麗じゃないって言われるけど、さっきの空間に比べたら美味しいのなんのって……!」


 死体に慣れていない彼女にとって、その臭いは耐え難いものだったのだろう。

 フラムも釣られるように軽く深呼吸をする。

 そこに、先ほどまでの殺意に満ちた彼女の表情はない。

 ミルキットは外に出られたことよりも、主がいつも通りの優しい顔に戻ったことに安心していた。


 なるべくひと気のない道を通って、まずはリーチの屋敷へ向かう。

 案内は東区の地理に詳しいウェルシーだ。

 無事、誰にも見つからず、リーチの屋敷の裏側に到着すると、こっそりと裏口から中に入る。

 そこは台所につながっていた。

 作業をしていたシェフらしき男性がじっとこちらを見たが、ウェルシーが笑いながら手を振ると、首を傾げながらも仕事に戻る。

 そして廊下に出て――偶然通りがかったリーチと遭遇すると、まあ当然、いきなり妹と、包帯で顔を覆った少女を抱えたフラムが現れたわけだから、彼は大層驚いた。

 しかし、そんなのはまだまだ序の口だ。

 サティルスの隠し部屋から大量の資料を持ち帰ったこと、そして彼女を殺したことを告げると、さらに目を見開いて驚愕した。

 彼はまず、フラムに対してなぜ殺したのか問いただす。

 それに対し、ミルキットがさらわれ、殺されかけていたことを話すと、頭を抱えてため息をついた。


「まさか彼女の悪趣味がそこまで極まっていたとは……」


 虐待の話は聞いていても、まさか殺人まで犯しているとは思ってもいなかったらしい。

 いや――というか、想像したくなかったようだ。

 その後、彼はフラムがサティルス殺害の罪で裁かれないか心配していたようだが、死体が誰の目にもつかない場所にあることを説明すると、ひとまずは安堵した様子だった。

 しかし確かに、フラムは感情的になるあまり、そのあたりを全く考えていなかった。

 いくらミルキットがさらわれたとはいえ、あまりに考えなしに突っ込みすぎた、今後は自重を――と思ったのだが。

 ミルキットが傷つけられた時点で、冷静でいられるわけがない。

 その時はその時だ、と諦めることにした。


「まあ、とりあえずサティルスの悪行の証拠はここにあるから、情報の出し方さえ間違えなければ、私たちの立場が悪くなることはないんじゃないかなー」


 仮にサティルスが行方不明扱いになったとして――持ち出した資料の情報を根拠に教会を糾弾するような記事を書けば、真っ先にウェルシーの新聞社が犯人として疑われるだろう。

 彼女を殺したという証拠がなかったとしても、あまりに心象が悪い。

 教会を追い詰めるにはまず、求心力を失わせ、民衆の彼らに対する不満を膨らますことである。

 商人を殺して情報を得ました、なんてことになれば、逆に追い詰められるのは自分たちの方だ。

 幸い、ウェルシーが持ち出した資料の中には、サティルスが奴隷に虐待を加えたり、拷問の末に殺していたことを示す証拠も入っている。

 要するに、情報を公開する量と、タイミングである。

 それさえ見極めれば、サティルスの死への関与を勘ぐられず、うまい具合に教会の力を削ぐことができるはず――ウェルシーはそう考えた。

 そしてリーチも同意する。

 二人はその後も小難しい話をしていたが、フラムにはどうにもついていけそうにない。

 なにはともあれ、資料の取り扱いはリーチとウェルシーに任せるとして、フラムはミルキットを休ませてやりたかった。

 するとリーチは、屋敷のゲストルームを快く貸し出してくれた。

 現れた給仕に案内され、用意されたふかふかのベッドに彼女を寝かせる。


「ここまでしなくても、私は平気です。怪我もありませんから」


 彼女はそう強がったが、フラムは首を振った。

 今はまだ午前中。

 つまり短時間の出来事だったわけだが、彼女の疲労感は相当なものであるはず。


「怪我がなかったとしても、今は一時間でも二時間でもいいから休んでよ。私もちょっと休憩したいしさ」


 ベッドの縁に腰掛け、ミルキットの額を撫でながら言った。

 “私も休憩したい”、そう言われるともう逆らえない。

 フラムもミルキットの扱い方が少しずつわかってきたようだ。

 良いように扱われているようで複雑な心境だが、それも自分を心配するがゆえ。

 ミルキットは観念して目を閉じる。

 すると、五分もしないうちに寝息を立て始めた。


「ほら、やっぱり疲れてるんじゃん」


 フラムは彼女の天使のような寝顔を見ながら、頬を指先で軽くつついた。

 そしてフラム自身もベッドに突っ伏し、じきに寝息をたてはじめる。

 結局、そのまま二人とも三時間ほど眠り――リーチの屋敷を出た頃には、昼過ぎになっていた。




 ◇◇◇




 エターナはさぞ不機嫌にしているだろう――そう想像していたフラムは、恐る恐る玄関を開ける。

 するとそこには、不安げな表情で壁にもたれる彼女の姿があった。

 開いたドアの隙間から顔を覗かせるフラムと目が合う。

 五体満足な二人を見るなり、エターナはほっと息を吐いて、真っ直ぐにフラムに近づくと、人差し指で額を弾いた。


「あいたっ」


 軽くのけぞりながら声を上げるフラム。

 もちろん、そんなに痛くはない。

 気持ちの問題である、彼女の怒りが嫌というほどわかってしまうから。


「二人とも、起きたらどこにもいないから心配した」


 唇を尖らせながら言うエターナ。

 怒るというよりは、心配されていたようだが、フラムにとってはそっちの方が辛い。

 彼女はおもむろにフラムの首元に顔を近づけると、すんすんと鼻を鳴らす。


「……血の匂いがする」


 あれから休憩はしたが、体を洗ったりはしていない。

 服に血はつかないよう気をつけたものの、部屋に充満した空気は多少なりとも服に染み付く。

 鼻のいい人間には、どうしても気づかれてしまうだろう。


「ごめんなさい。ちょっとミルキットがさらわれてて、取り返しにいってたんです」

「さらっと言ってるけど、とんでもない大事件だと思う」

「私もそう思います。でもまあ、見ての通り、無事に助けられたんで」


 ミルキットは気まずそうに頭を下げた。

 エターナは「ふむ」と息を吐く。


「教会がらみ?」


 真っ先に疑うのはそこだ。

 だとすれば、救出したところで安心はできない。

 次の襲撃がすぐにでも行われる可能性があるからだ。


「ミルキットがさらわれた件に関しては、関係ありません。犯人は、以前の主であるサティルスって女でした」

「だったらまあ……今回は傷も無いみたいだし、何も言わない。でも今後は、わたしのことも頼って欲しい。一人で追いかけるより、そっちの方がいいと思う」


 あの時は、犯人を追いかけることで頭がいっぱいだった。

 一瞬でも見逃してしまえば、二度と助けられないような気がしていたのだ。

 それに、エターナはまだ寝ていたし、起こしてからの追跡では間に合わないような気がして。

 けれど実際のところは、彼女と一緒の方がもっと早く解決していたのだろう。

 彼女の扱う水の魔法は、フラムが想像している以上に器用なのだから。


「肝に銘じておきます」


 フラムは素直に反省する。

 それを見たエターナは、満足げに微笑んだ。


「そうして欲しい。ところで、お昼ごはんはわたしが作ってみたんだけど、食べる?」


 居間の方から、微かに香ってくるいい匂い。

 フラムのお腹がぐぅと鳴った。

 エターナが料理を作るところなど見たことはないが、伊達に長く生きていない、それなりに経験もある……のだろう。

 二人はほぼ同時に、首を縦に振った。




 ◇◇◇




 その日の午後は、あんなことがあった直後なだけに、フラムとミルキットはほぼ部屋に引きこもって過ごした。

 エターナもインクを見ておかなければならないため、全員が家から一歩も出ることはなかったようだ。


 夕食もある物で作った。

 本当は今日にでも買い物に行こうと思っていたため、少し質素なメニューになってしまったが、それでもミルキットの腕にかかれば美味しくなる。

 昼のエターナの料理も悪くはなかった。

 でもやっぱりこっちの方が――とフラムは心の中だけで考え、エターナは「こっちの方がおいしい」と少し悔しそうに敗北を宣言するのだった。

 英雄に勝てたことに、ミルキットは珍しく誇らしげな表情をしていた。


 いっそお風呂も一緒に入る? とフラムは提案するも、さすがに恥ずかしいらしく断られる。

 内心、フラムも承諾されたらどうしようと考えていたようだ。

 しかし、一緒には入れないものの、よほど不安だったらしく、彼女はずっと脱衣所で座り込んでいた。


 そして就寝時間。

 色違いでおそろいの寝間着を纏った二人は、包帯を外し終えると、それぞれのベッドに向かう。

 しかしフラムは――「ねえミルキット」と声をかけ、彼女を自分のベッドに招いた。


「さ、さすがにそれは、シングルベッドですし狭すぎると思います」

「くっつけば問題ないって」


 布団を持ち上げて、自分の隣に入ってくるよう促す。

 いつもと違って、ちょっと強引である。

 見た目や言動は普段どおりのフラムに見えるが、本当は怖いのだ。

 寝ている間に、今日の朝のように、ミルキットが目の前から消えてしまうのではないか、と。

 あんな一瞬の出来事で、人は簡単にいなくなってしまうのだ。

 そう思うと、寝ることすらできない。

 彼女自身を抱きまくらにして、常にそこにいることを確認してからでなくては。


「えと……本当に、いいんですか?」

「むしろ私がお願いしてるんだけど……」

「そう、ですか。それでは、お邪魔します」


 ミルキットは申し訳なさそうに布団に潜り込むと、フラムと体を密着させた。

 すでにその空間の中は主の体温で満たされており、まるで全身が抱きしめられているかのような感覚に陥る。

 嬉しさ半分、恥ずかしさ半分。

 なぜか、ただ抱きしめられるよりも羞恥心が強く刺激され、目が冴えてしまいそうだった。


「もうちょっと寄ったら?」

「あ……」


 フラムはまだ密着したりないようで、ミルキットを抱き寄せた。

 眠るには向かないシチュエーションだが、安心感はある。

 フラム同様、ミルキットにも、誘拐される恐怖は今も残っている。

 いきなり誰かに殴られ、意識を失った。

 そして次の瞬間、目を覚ましたら、目の前にはもう二度と会わないはずだったかつての主の姿があった。

 あの時に見たおぞましい笑顔は、トラウマとなり、しばらくは消えないだろう。

 思い出すだけで体が震える。

 フラムが与えてくれるぬくもりがなければ、一人で涙を流しながら体を震わせていたかもしれない。


「あの、ご主人様」

「なあに?」


 柔らかな声で聞き返すフラム。

 “助けて”――ミルキットはサティルスに襲われた時、そう願った。

 主が自分を助けにきてくれることを、望んでしまった。

 結果、フラムは自分を助けてくれたが――あの瞬間、奴隷と主という関係は、完全に壊れてしまったような気がした。

 いや、元々フラムはミルキットのことを奴隷として扱っていなかった。

 要するにそれは、ミルキットの都合だったのである。

 彼女は奴隷と主以外の関係性を知らない。

 フラムとの間に存在するのがそれ以外の関係になってしまった時、どう接して良いのかわからない。

 だから今までは、ただの建前だと理解した上で、それを名乗り続けてきた。

 テンプレートをなぞれば、最低限のコミュニケーションは取ることができたから。

 しかし、建前としてすら維持できないとなれば、新たな距離感を模索していくしかない。

 その第一歩を、ミルキットは自らの意志で踏み出そうとしていた。


「えっと……もし、よかったら、なんですが」


 遠慮がちに、緊張のあまりかしどろもどろになりながら、


「明日からも……こうして、一緒のベッドで寝ても、いいでしょうか?」


 けれど大事な部分ははっきりと、彼女は告げた。

 それは奴隷が主へ向ける言葉ではなく、パートナーとして――対等な相手に向ける、彼女の“わがまま”。

 フラムはミルキットに顔を近づけると、こつんと額を触れ合わせる。

 そしてにこっと笑いながら言った。


「私の方から言おうと思ってたんだけどな」


 フラムはミルキットに対して嘘をつかない。

 例えそれが“お世辞”と呼ばれるものであっても、いつだって彼女は真摯に向き合ってくれる。

 だからその言葉は、ミルキットの胸の奥底まで染み込んだ。

 そして感じる。

 自分は今、大切な人と同じことを望んでいる――その喜びを。


「明日さ、一緒に服でも買いにいこっか」

「今日の分の代わり、ですか?」

「それもあるし、私もそろそろ新しいの買っときたいなあと思って。ミルキットはどこか行きたいところはない?」

「そうですね……じゃあ、美味しいものが食べたいです」

「美味しいものかぁ、それならちょっと奮発して、高めのレストランなんかどう?」

「あんまり無理はしないでくださいね、高級すぎると家で真似できなくなってしまいますから」

「なるほど、そのつもりで美味しいもの食べたいって言ったんだ」

「はい、ぜひとも自分の物にして、どこのお店に行くよりも、私の料理の方がおいしいって思ってもらえるようになりたいんです」

「んー、だったらとっくにそうなってるけどなー……」


 二人はベッドで寄り添いながら、明日のお出かけの予定を立てていく。

 結局、それが盛り上がりすぎてすっかり目が冴えてしまい、寝る時間がいつもより一時間ほど遅くなってしまったわけだが。

 まあ、楽しい時間を過ごせたことに比べれば、些細なことである。




 ◇◇◇




 翌日、二人の間に漂う浮ついた空気感を、エターナが察知しないわけもなかった。

 ソーセージを口に運び、パリッと半分ほどを口に含み、咀嚼して、飲み込んで――ぼそりと一言。


「今日、デートなの?」

「げほっ、ごほっ!」


 ちょうどスープを飲み込もうとしていたフラムは、液体が気管に入り込み盛大にむせた。

 慌ててミルキットが寄り添い、背中をさすりながらコップを手渡す。

 フラムは水を一気に飲み干すと、ぜえはあと肩で呼吸をしながらエターナを睨みつけた。


「違いますから!」

「そういう雰囲気にしか見えない」


 今までも常々そう思ってきたのだが、エターナはあえて言わなかった。

 しかし、ここまで二人の距離が縮まってくると、もう指摘しないわけにはいかない。


「ただ、昨日破れた服を買いに行くだけですよ。ちょっと寄り道はしますけど」

「それを世間ではデー……」

「買い物と言います! 大体、私とミルキットが出かけてどうしてデートになるんです、おかしいじゃないですか。ねえ、ミルキット」

「はい、ご主人様と私はただ買い物に行くだけです」


 二人はそう言いはったが、エターナは「それをデートって言うと思う……」と不満げだった。

 もっとも、当の二人にそんなつもりはさらさら無いわけだが。

 友人でもない、あくまでパートナー。

 曖昧な関係性で、しかし今の二人は、それに満足している。

 強いて言うなら家族が近く、けれど断言するには二人の関係は熱しすぎていて。


「……よくわからない」


 エターナがお手上げ状態になる程度には、微妙で紙一重な状態なのであった。




 ◇◇◇




 町へ繰り出したフラムとミルキット。

 二人が真っ先に目指したのは、最初にミルキットの給仕服を購入したあの洋服店である。

 そもそも、給仕服を取り扱っている店、という時点で相当限られるので、自ずと同じような店に繰り返し来ることになるのだ。

 すでに店員に顔も覚えられており、金払いがいいおかげか、最初のように奴隷だからと言って嫌な顔をされることはなくなった。

 気持ちよく買い物できる分にはいいのだが、素直に喜んでいいのかは微妙なところである。

 二人は手を繋いで、店内の商品を物色していく。

 あれがいい、これがいいと話し合いながら、特に気になるものがあると手にとって、試着室に持ち込んだりしていた。


「おー……たまにはこういうのもいいよね」

「少し地味かな、と思いますが」

「地味というか、普通って感じ? でもミルキットが着ると何でも似合っちゃうからずるいと思うな」

「何でも、ということはありません。ご主人様の見る目が甘すぎるだけです」


 ミルキットが最初に試着したのは、ベージュのドレスの上から厚手の白いエプロンを纏った、非常にシンプルな給仕服。

 頭のキャップも、おしゃれと言うよりは、髪の毛が落ちないため機能性を重視していて、色気の類は一切ない。

 ただ、これはこれで、生活感があるというか、家事をするための衣装と言った趣で、味がある。


「本当に、そんなにいいんですか?」


 じろじろと眺めるフラムの視線に、ミルキットは不安そうに尋ねた。


「いつものミルキットはさ、綺麗すぎてよそに取られちゃうんじゃないかって不安があるんだけど、その服を着てると、なんていうか……安心感がある、っていうかな」


 その言葉を聞いて、改めてミルキットは鏡の方を向き、スカートの端をつまんだり、帽子の角度を調整したりして状態を確認する。


「ご主人様の言うことはよくわかりませんが、第一候補にしてみますか?」

「うんうん、そうしよう!」


 ひとまずキープということで。

 カーテンが閉まり、次の服に着替える。


「そういえば、ミルキットって意外と、フリルとか多いのが好きだよね」

「ふりふりのドレスは、かわいいと思います」

「ってことは、さっきのやつ、あんまりお気に召さなかった?」

「正直なことを言うと、もっと装飾が多い方がいいと思っていましたが……ご主人様の声を聞いて、気が変わりました」


 そんな会話をしているうちに、衣装チェンジが完了。

 カーテンが開かれる――と思いきや、ミルキットはなぜか顔だけ出してフラムの方を見た。

 その頬は、というか首元まで真っ赤に染まっている。


「こ、これ、ご主人様が、選んだんですか?」

「うん、その上着の感じだとそうだと思う。さっき話してた通り、フリルが多くて可愛いなーと思ったんだけど……何か問題でもあった?」

「いえ、その……と、とりあえず、見てください」


 ゆっくりと幕が開き、その全貌が明らかになる。


「おおう……」


 それを見た瞬間、フラムは思わず声をあげた。

 上はまあ、予想通りフリルが多く可愛らしいのだが、問題は下である。

 スカートが、とにかく短いのだ。

 ギリギリ下着が見えないぐらいの長さしかなく、ミルキットの、最近肉付きがよくなってきた太ももが露わになっている。

 彼女は顔を赤くしながら、必死にスカートの裾を握って、足を隠そうとしていた。

 その仕草を見ていると、フラムはなぜか胸が高鳴ってくる。


「ご、ごめんね? まさかそんなにスカートが短いとは思ってなくて」

「……そう、ですか? ご主人様が、こういうのが好きなら、えっと……家の中、だけなら、着てもいいですけど……」


 非常に魅力的な提案だった。

 しかし首を縦に振った瞬間、フラムは大事なものを失ってしまう気がしたので、ぐっとこらえた。


「い、いや、無理しなくていいよ。他の行こう、他の!」

「わかりました」


 ミルキットはほっとした表情でカーテンを閉めた。

 その顔を見て、フラムは心の底から、“我慢してよかった”と胸をなでおろす。

 それから数分後、再び新たな衣装がお披露目される。

 今度は給仕服ではなく――純白のワンピースであった。


「これも……ご主人様が、選んだんですよね」

「うん……」


 フラムは、見惚れていた。

 元から彼女はミルキットに対して清純なイメージを抱いていて、白いドレスなんかが似合うに違いないと思っていた。

 だが、実際に着せてみると、まさかこうもぴったり合うとは。


「どこかのお嬢様みたい」

「言い過ぎですよ、ご主人様。こんなに包帯ぐるぐる巻きのお嬢様なんていませんから」


 それすら魅力的に見えてしまうのは、間違いなくフラムが彼女を贔屓しているからなのだが。

 それでも、仮に素顔を晒して今の服を着たとして、すれ違う人々は誰もがミルキットのことを深窓の令嬢だと思うだろう。


「本当に、綺麗……」


 思わずそうつぶやいてしまう。

 今、目に映っている光景を切り抜いて、絵として残したい。

 柄にもなく、そんなことを考える。


「き、着替えますね」


 あまりに熱のこもった視線が恥ずかしくて、耐えきれなくなったミルキットは、また姿を消してしまった。

 そして元々着ていた給仕服に戻り、外に出てくる。


「どうしましょうか、まだ選びますか?」

「最初の給仕服は買って良いんじゃないかな、と思うんだけど。確か値段も安かったよね?」

「はい、他の服に比べると」


 ミルキットは値札を確認しながら言った。

 ちなみに、最も高額なのは二番目のミニスカートの給仕服である。


「じゃあそれは決まりとして、あと二枚ぐらい欲しいかな」

「ご主人様は買われないんですか?」

「私はこのお店だと、あんまり着る服が無いと思う」

「たまには、違う雰囲気のご主人様をみてみたいです」

「……そう? だったらミルキットが私に似合いそうなやつ選んでくれる?」

「いいんですかっ?」


 すると彼女は、実に楽しそうに、活き活きと服を選び始めた。

 ここまでテンションの高いミルキットは珍しい。


「そんなに着せたかったんだ……」


 どんなリクエストをされるのか、フラムは若干の不安を抱きながら待った。

 そして一着だけ手渡されると、確認する間もなく試着室に向かわされる。

 カーテンの前でニコニコしながら主の着替えを待つミルキット。

 カーテンの奥で、「えぇ……」と困惑しながら、仕方ないのでそれを着るフラム。

 帳が開く。

 その向こうから姿を現した彼女は――いかにもミルキットが好みそうな、フリルだらけの給仕服を身に纏っていた。


「うわあぁ……」


 頬に手を当てながら、感嘆の声を漏らすミルキット。

 一方でフラムは、上着の裾を握りながら、顔を真っ赤にしてうつむいていた。

 いつもとは立場が逆である。

 しかし、まさか給仕服を着るだけで、こんなに羞恥心を刺激されるとは、いつも着させている彼女でも予想外だった。


「似合って、ない、よね……」

「そんなことありません! ご主人様、とっても可愛らしいです!」


 ミルキットは熱弁する。

 言われ慣れていないフラムは、さらに赤くなり、今すぐにでもカーテンを閉めたい衝動に襲われていた。

 しかしぐっと我慢する。

 これも、ミルキットのためである。


「服に着られてる感じがしない?」

「完璧な着こなしだと思います」

「いかにも家事ができなさそうな雰囲気があると思う」

「そのギャップがいいんです」

「なんか……ミルキット、いつもと違わない?」

「……あ」


 指摘され、固まる。


「も、申し訳ありません。浮かれてしまって、つい……」


 主に好きな服を着せられる機会など、そうそうあるわけではない。

 いや、フラムの場合、頼まれれば何でも着るとは思うが、ミルキット側からそれを言い出すことは滅多に無いはず。

 つまり、フラム自身が、“何でも着せていいよ!”と言わない限り、今のようなシチュエーションは実現しないのである。


「もう、着替えるねっ」


 シャッ、と勢い良くカーテンが閉まる。

 そしてフラムは大急ぎで服を着替え、いつものシャツとショートパンツの動きやすいスタイルに戻す。

 最後に軽く念じると腰にベルトが巻かれ、鏡を見たフラムは「ふー」と一息ついた。


「やっぱりこっちのが落ち着くかな」


 動きやすいし、何より自然体だ。

 だが、ミルキットがあそこまで喜んでくれるのなら、たまには彼女の選んだ洋服を着てみてもいいのかもしれない。


 試着室から出たフラムは、さらに二着ほどミルキットの給仕服を選び、購入した。

 もちろん値段はそこそこするが、冒険者として日々稼いでいるフラムなら、すぐに取り返せる金額だ。

 まだ残金に余裕もある。

 店をでると、今度は予定通り、高級レストランに向かうことにした。




 ◇◇◇




 中央区の大通りは、相変わらず人でごった返している。

 ミルキットを雑踏から庇うように、フラムは少し前を歩いていた。

 目当ての店は、その流れを逆行した先にある。


「こんなに沢山の人が王都に住んでるなんて、今でも信じられません」

「この通りは、王都の人だけじゃなくて、観光客とか外から来た商人もよく使うからね。ほら、馬車が真ん中を通って人混みが割れてるでしょ? あれで流れが詰まって、さらに密度が上がるの」


 一時期は馬車専用の通路を作る、という話もあったらしい。

 しかし、王国はそれよりも別のことにお熱になっているようで、いつの間にか立ち消えになっていた。

 通りに限った話ではない。

 インフラ整備や、施設の修繕、治安の維持――王都は発展しているようで、様々な問題を抱えている。

 そしてその多くは解決されないまま放置され、少しずつ、民衆の不満は溜まってきていた。

 だから、先日のインクが吐き出した眼球、その被害者の話が“教会の実験ではないか”という噂が広まるのだ。

 根拠はない、一般市民に教会の人体実験の実態を知る術はないのだから。

 しかし、事実である。

 これだけの人々が平和に暮らしている裏で、彼らは今日も、犠牲者を増やし続けている。


「ミルキット、人酔いしてない?」

「平気です」

「よし、じゃあちょっと強引に前に進むから、手を離さないようにね」

「はいっ」


 さらに狭い場所に、滑り込むように入っていき、前に進むフラム。

 抜けたところで、次の隙間を探そうと周囲を観察していると――ふわりと、どこかで嗅いだ覚えのある香りがした。

 彼女はとっさに反応し、風の上流に視線を向ける。

 ファーの付いた赤いコート。

 コサージュが並ぶ派手なドレス。

 七色のネイルに、大きな宝石のついた指輪をいくつもつけ――ブロンドとピンクと水色が混じり合ったようなオパールヘア。

 そして何よりも、一度見たら忘れない、あの濃い化粧。


「な……ん、で?」


 見てしまった。

 人混みの中、平然と歩いて行く彼女の姿を。


「ご主人様?」


 急に立ち止まった主を、不安げに覗き込むミルキット。

 しかしその声はフラムに届かない。


「サティルス……昨日、殺したはずじゃ……?」


 確かに、この手で。

 肉を裂く感触も、骨を砕く感覚も、血や臓物の臭い、そして叫び声――全てを目の前で見てきたはずだ。

 だというのに、なぜ――

 彼女はまるで生者のように歩き、そして、どこかに消えていく。

 フラムは、その場で呆然と立ち尽くすしかなかった。





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