第17話 検閲者

 





 食事会の翌日、モンスターから取れる素材の採取依頼を受けていたフラムは、その完了報告を終えギルドを出た。

 最初のアンズー討伐が効いたのか、冒険者ランクはいつの間にかDランクに上がり、収入も増えてきた。

 2人を養おうとするとそれなりに稼がなければならないので、まだまだ油断は出来ないが――


「と言うか、エターナさん働かないのかな……」


 ずっと自室に引きこもって何かをしているようだが、何をしているのかはわからない。

 しかし暇な時はフラムに薬草や魔法について教えてくれるので、『働かないんですか?』とは聞きづらく。

 今のところ生活費は足りているので、しばらくは様子を見ようと思っていた。


 空はすっかり暗くなっている。

 別にギルドで一悶着あったから遅くなったわけではない。

 単純に、任務が厄介だっただけだ。

 大して強くないモンスターだから余裕だと思っていたのだが、まさか、ああも小さく、逃げ足が早い小動物型のモンスターだとは。

 最終的には無事倒して皮を手に入れることが出来たものの、疲労の度合いはいつもの倍以上である。

 これで受付のイーラや、紹介所のデイン一派に絡まれていたなら、今頃ぶっ倒れていてもおかしくないほどだ。

 しかし幸いなことに、今日は、なぜか全員やけに元気が無かった。

 リーダーであるデインも、何やら重苦しい様子で仲間たちと会議をしていたようである。

 単純に絡まれないでよかったと安心する。

 だが同時に、彼らにダメージを与える手段が中々見つからないことに、焦りも覚える。


「調子が悪そうな間に潰せたらいいんだけどなー……」


 そんな願望を口にして、ブーツで小石を蹴飛ばす。

 すると転がった石は、地面に倒れる大きな何かに当たって止まった。

 ……女の子だ。

 冷たい石の地面に横たわる少女は、セーラと同じぐらいの年齢だろうか。

 黒い髪を結ってポニーテールにしており、上下ともに土で汚れた白い服を着ている。


「……事件の予感がする」


 フラムはそうぼやく。

 しかし、実は西区で人が倒れているのはそう珍しいことではない。

 酔っ払った男ならそのあたりによく寝転がっているし、数年住んでいれば必ず1度は死体を見ることにもなるのだとか。

 ただ、女性で、しかも子供となると見かけることはあまり無いかもしれない。

 夜になると町の治安が悪化するのは言うまでもないことで、そんな中を幼い少女が歩いていたら、すぐに男たちが群がってくるのだ。

 もちろん、自らの欲望を満たすためだけに。

 つまり――フラムが見かけるより前に、他の誰かに見つかるから、あまり見かけないということである。

 そんな場所に、少女をそのまま放っておくわけにもいかない。

 フラムはしゃがみこみ、肩に手を当てて彼女の体を揺らした。


「ねえ大丈夫? こんな場所で寝たら変質者に襲われちゃうよ?」

「んう……」


 ごろんと転がった女の子の顔を――正確には“目”を見て、フラムはぎょっとした。

 縫合され、閉じられていたのだ。

 痕も綺麗で、化膿もしていないので、医者の手によって施された処置だと思われる。

 だとしても、相当に異様な光景だったが。


「目が見えないのに、ここまで来たっての? 子供ひとりで?」


 体の肉付きは悪くない、食事はちゃんと食べているようだ。

 髪先もギザギザではない、ちゃんとハサミで誰かが整えている。

 虐待の痕も無いし、臭いもしないということは風呂にも入っている。

 監禁場所から脱走してきた、という雰囲気でも無いが――

 フラムがさらに少女の肩を揺らすと、彼女は気だるげに「だれぇ?」と声を出した。


「通りがかりの一般人。どこかに行きたいなら、私が送ってこうか?」


 彼女はしばし黙り込むと……明るい声色で告げた。


「インク!」

「へ?」

「あたしの名前、インクって言うの。よろしくね」

「え、ええ……よろしく」


 つい釣られて“よろしく”と言ってしまったが、一体何をよろしくすればいいのか。

 いまいち流れの掴めないフラムに、彼女は続けざまにこう言った。


「あたし、記憶喪失なんだ。自分が誰だかよくわかんないの」


 さっきインクと名乗ったばかりなのだが。


「名前は覚えてたの?」

「うん、偶然!」


 都合のいい偶然もあったものだ。

 フラムは呆れ気味にため息をつくと、とりあえず彼女の手を引いて立ち上がらせる。

 そして体に付いた砂埃を叩いて落とすと、


「じゃあね、インク」


 と落ち着いた様子で手を振ってその場を去ろうとした。

 しかし、彼女がせっかく見つけたカモフラムを逃がすわけもなく――がしっと両手で服を掴まれ、立ち止まる。


「あたしね、寝る場所がないんだ」

「そ、そう……」

「帰る場所も覚えてないし、お金も持ってないし、ないないづくし!」


 何を期待されているのかは、だいたい想像がつく。

 要するにこの盲目の家出少女は、自分をお前の家に泊めろと言っているのだ。

 しかも、記憶喪失などという丸見えの嘘までついて。

 こんな子を泊めれば、どう足掻いても厄介事に巻き込まれる上に、フラムに一切の利益はない。

 だが、放っておけば……夜の西区に幼い少女が1人、どうなるかなどわかりきっている。

 そのヴィジョンを想像してしまった時点で、フラムの負けであった。

 彼女は再び「はあぁ」と大きくため息をつくと、インクの手を取った。


「とりあえず、うちに連れてってあげるから。家の場所がわかったらすぐに送ってくからね、それでいい?」

「あたし何もわかんないよ、記憶喪失だから!」


 そんな明るい記憶喪失者がこの世のどこに居るというのか。

 呆れたフラムは、早くも本日三回目のため息を吐き出し、手を引いて歩き始めた。




 ◇◇◇




 家に帰るまでの道のりで、フラムはインクに様々な質問をしたが、彼女は強情にも何も答えなかった。

 とっくにバレているのだが、記憶喪失という設定を変えるつもりは無いらしい。

 1人の手には負えそうにないので、ミルキットとエターナに助力を求めるべく、歩く速度が少し早くなる。

 インクはそれにも問題なくついてきた。

 体力面でも問題は無し――ならばステータスはどうだろう。

 本人の許可も取らずに見るのは気が引けたが、設定を撤回しないインクが悪いのだ。




 --------------------


 インク・リースクラフト


 属性:水


 筋力:18

 魔力:43

 体力:28

 敏捷:23

 感覚:49


 --------------------




 多少魔力と感覚が高いが、普通の健康的な女の子の数値だ。

 名前もどうやら本名らしい。

 と言うか、どうあがいても偽名など使いようがないのだが。


「リースクラフトねぇ……どこの家だろ」

「……スキャンでみたの?」

「見たよ」

「えっち」


 思わず拳を握って腕を震わすフラムだったが、どうにか抑える。

 相手は子供である、16歳のフラムは大人にならねばならない。


「ところでインクは何歳なの?」

「10歳!」


 やはりセーラと同じ年齢だ。


「記憶喪失なのにそれはわかるんだ」

「あっ……えっと、体が覚えてる」

「器用な体ね」

「なんかその言い方もえっちじゃない?」

「じゃないから」


 本当に都合のいい記憶喪失だ。

 しかし、10歳の盲目の子供が夜の西区で家出とは、無謀なことをしたものだ。

 面倒ではあるが、一番最初に見つけたのが私で良かった、とフラムは心の底から思う。


 それからまたしばらく歩き、2人はフラムの家に到着した。

 玄関を開き「ただいまー」と言うと、キッチンの方から誰かが駆け寄ってくる足音が聞こえる。

 ミルキットは包帯の下に笑顔を浮かべて主を迎えたが、


「おかえりなさい、ご主人さ……ま?」


 その隣に立つ少女を見て、不思議そうな顔をした。


「あとでまとめて説明するから、とりあえず上がってもいい?」

「は、はいっ。ご飯できてますよ」

「うん、ありがと」


 そう言ってフラムがぽんぽん、と頭を撫でると、ミルキットははにかむ。

 並んで歩く2人の後ろを、インクはフラムの服を掴みながら付いていった。


「美味しそうな匂いがここまで来てる。嗅いでたらお腹空いてきちゃった」


 タイミング良く、フラムのお腹がぐぅと鳴った。

 そう大きな音ではないが、ミルキットの耳には届いたようで、可愛らしい催促に頬がゆるむ。


「ふふっ、今日は初めての食材に挑戦してみたので、ご主人様の口に合うと良いんですが……あ、そう言えば、この子の分も用意した方がいいですか?」

「あー……どうするインク、ご飯も食べる?」

「もちろん!」


 まったく遠慮をしない子である。

 フラムは呆れたようにがっくりと肩を落とし、ミルキットは苦笑した。

 そのまま3人で居間に入ると、夕食の完成を待ちわびていたのか、エターナがフォークとナイフを手に座っている。

 彼女はフラムを見て、ミルキットを見て、最後にインクを見ると――


「フラムが女を連れ込んでる」


 無表情にそう言った。


「違いますから! たまたま拾ったんですけど、さすがに放置しておくわけにはいかなくて」

「連れ込まれました!」


 元気に手を上げて宣言するアホが一名。


「だからぁ……っ」

「あはは、元気な子ですね。私は夕食の準備が残ってるので、ご主人様は座って待っててください」

「ああいいよ、私も手伝うから。インクはここに座ってて」

「はーい!」


 手を上げて元気に返事をするインクは、手で椅子の位置を探ると、1人でそこに腰掛けた。

 盲目故に助けが必要かと思っていたが、ある程度は彼女だけでも行動できるようだ。


 フラムはキッチンに向かい、ミルキットと並んで料理の仕上げを行う。

 ミルキットは一瞬だけ申し訳無さそうな表情をしたが、もうそれを言葉にしたりはしない。

 感謝していないわけではないが、フラムが料理の手伝いをするのはいつものことだし、謝る度に『言わないでいいよ、当然のことしてるだけだから』と諌められてしまうのだ。

 今、共に過ごしている主は、ミルキットが過去に仕えてきた人たちとは違う。

 当たり前に、卑しい奴隷である自分のために尽くしてくれる主なのだ。

 甘えられるのを望まれているというのなら、そうなるのが奴隷の勤めであり――単純に、ミルキット自身の望みでもある。


 隣に居るフラムと目が合う。

 特に意味は無いが、彼女が微笑むと、ミルキットも微笑み返した。

 それだけで幸せなのだから、例え失うのが怖くなってしまったとしても、もっとこの関係を深めていければ、と思った。


「お先にお風呂いただいたっすー」


 フラムが料理をテーブルに運び始めた頃、タオルで頭をわしゃわしゃと拭きながらセーラが入ってくる。


「セーラちゃんも来てたんだ」


 3人分を用意したにしてはやけに多いと思っていたのだが、まさか昨日の今日でまた食べに来ているとは。


「あ、ごめんなさいご主人様。セーラさんが来てるの、言うのを忘れてました」

「おねーさんこんばんはっす、ミルキットおねーさんの料理が美味しくて、ついまた来てしまったっす!」

「教会の方は良いの?」

「友達の家にご飯を食べに行くって言ったら、笑って送り出してくれるっすよ?」


 フラムが思うより、意外と戒律はゆるいらしい。

 まあ、西区の治安が悪いと言っても修道女を襲うアホはそうそう居ないし、セーラなら返り討ちにできるだろうという判断の上で、なんだろう。


「ところでそっちの子は誰っすか?」

「あたしはインクだよ!」

「インクちゃんっすか、よろしくっす」

「よろしくっすー!」


 ノリの良いインクは両手をパタパタさせながらそう言った。

 年齢が近いからか波長が合うらしく、2人はやけに盛り上がりながら「いぇーい!」とハイタッチをしていた。

 そうこうしている間にも、テーブルの上に料理が並んでいく。

 エターナは空腹の限界が近づいているのか、血走った目で、キャンディボアのシチューを睨みつけていた。


「そういや、キャンディボアってCランクモンスターだよね。高かったんじゃない?」

「それが半額だったんです、期限が近いからって。それでも安くはなかったですけど……贅沢、しすぎでしょうか」

「いや、いいんじゃない? 半額ならゴートとかバッファローよりは安いだろうし、それにキャンディボア美味しいしね。私もお腹空いてきちゃった」


 フラムは大皿に載せられた野菜サラダを食卓の中央に置き、自分の席に座った。


 キャンディボアは、大きな体を持ったCランクのイノシシ型のモンスターだ。

 見た目通り筋力が高く、加えて巨体の割に敏捷も高いため、討伐難度はなかなか高い。

 弱点は直線的な動きしかできないことだが、それを広範囲の地属性魔法でフォローしている。

 “キャンディ”という名前は、砂糖の原料であるシュガーケインの畑を荒らすことから付けられた名前だ。

 シュガーケインに限らず、キャンディボアは特に甘いものを好物としているらしく、木に突進して蜂の巣を落とし、その蜜を舐めている姿も目撃されたことがあるらしい。

 その影響か、肉も脂身も甘味が強く非常に美味で、ボア種のモンスター肉としては高級な方である。

 じっくりと煮込まれ、茶色いドミソースの中に沈むそのサイコロ状の肉は、触れずとも繊維がほどけるほど柔らかく煮込まれており、見ているだけで涎をすすってしまうエターナの気持ちがよくわかる。

 ソース自体は、商店から出来合いのものを買ってきたようだが、ミルキット曰く隠し味も入っているとのこと。

 彼女の入れる隠し味なら、間違いなく一段階上の味に昇華しているはずだ、こちらにも期待ができる。

 一緒に煮込まれた芋も、味がしみてホクホクで美味しそうだ。

 用意されたバゲットとの相性も、言うまでもなく抜群だろう。


 全員が席についたのを確認すると、全員が「いただきます」と声を揃え、少し遅れてインクも続く。

 こうして、今晩の夕食が始まった。

 エターナはいの一番にスプーンで一口大の肉をすくい上げ、たっぷりとシチューソースを絡めて口に入れる。

 舌で軽く圧迫するだけで繊維がほろりとばらけ、甘みのある肉の味と、豊かなデミソースの香りがいっぱいに広がっていく。

 歯で脂身の部分を噛むと、じゅわりとにじみ出た肉汁がさらに甘みを高めていく。

 彼女は「んふー」と満足げに微笑むと、今度はバゲットをちぎってシチューに付けた。

 さらにその上に肉を乗せ、ちょっぴり品がなく、口を大きく開いてそれを頬張る。

 ソースの染み込んだパンを、歯で潰す度にじゅわ、じゅわ、とソースが溢れてくる。

 それがバゲット自体の香ばしさや微かな塩味と混ざりあって、単体で食べたのとはまた違う味わいを感じた。


 ミルキットは、みなが美味しく食べる様を見て幸せそうに頬を綻ばせる。

 自分で食べるのより、他の人が自分の作った料理を食べているのを見たほうが幸せ。

 そんなタイプらしい。

 フラムは、その満足げなミルキットを見て、自身が幸せになっていく。

 ふと、2人の目が合った。


「おいしいですか?」

「うん、最高。良いお嫁さんになるよ、ミルキットは」

「お嫁さんなんかより、私はご主人様たちに食べてもらった方が嬉しいです」


 そんな言葉を交わして、フラムはまたスプーンにシチューをすくい上げた。

 インクもミルキットの手料理には満足しているようで、「うちより美味しいご飯って存在したんだ……」と何やら1人で驚いている様子。

 だから記憶喪失設定はどこに行ったんだ、とフラムは心の中で三度突っ込んだ。




 ◇◇◇




 食事を終え、テーブルの上が片付くと、次は尋問タイムである。

 さすがにこのまま記憶喪失でゴリ押しさせるわけにはいかない。

 まずは最初に、簡単な自己紹介から始める。


「インク・リースクラフト、10歳だよ。記憶喪失やってます!」

「職業みたいに言われても……」


 呆れ顔のフラム。

 すると、インクの視線が彼女に向いた。

 どうやら次はフラムが自己紹介する番だ、と主張しているらしい。


「フラム・アプリコット、16歳……って、そういやまだインクにも自己紹介してなかったんだっけ」

「してなかったよ」


 彼女から話を聞き出すにしても、お互いの素性ぐらいは明かしておくべきだろう。

 フラムは素直に頭を下げた。


「それはごめんね、完全に忘れてた。職業は一応、冒険者ってことになってる」


 インクは首を何度も縦に振りながら、「ふむふむ」と相づちを打ってフラムの言葉を聞いていた。

 続いて、ミルキット、セーラ、そしてエターナと順番に進めていく。


「エターナ・リンバウって、あの英雄の?」


 とまあ、さすがにエターナの自己紹介には驚いた様子で。

 そして驚かれた彼女は、胸を張って何やら自慢げにしている。


「ってことは、フラム・アプリコットもそういうこと? 同姓同名の別人だと思ってたけど……」

「一応そういうこと」

「大物に拾われちゃった……これは予定外、いやラッキーだったのかな。経済力はありそう」


 金目当てをほのめかす彼女に疑いの眼差しを向けるフラム。

 その言葉の真意も含めて、彼女の正体を明かさねばならない。

 ただの家出少女ならそれでいい、明日にでも家に帰せば済む話なのだから。


「さあ、じゃあこっからはキリキリと本当の事を吐いてもらうから」

「記憶喪失だから答えられないよ?」

「それで逃げられると思ったら大間違いだから。さすがに、いつまでも素性の知れない子供を預かっておくわけにはいかないんだから」

「ど、どうして記憶喪失が嘘だって言い切れるの?」


 本気で動揺している。

 所詮は子供ということか。


「むしろどうしてバレないと思ってたか気になるんだけど」


 ボロを出しすぎだ。

 子供らしいと言えばらしいが、それだけに危うい。

 今回の家出が思い付きで行われたものだとすれば、今頃親御さんが必死で探している頃だろう。

 下手すれば、衛兵や教会騎士まで動員されているかもしれない。

 誘拐犯扱いされる前に、早く帰る場所を聞き出したいものだ。


「確かに、記憶喪失っていうのは嘘だけど……実はどこから来たのか、あたしにもわかんないの」

「いやいや、そんなわけないじゃない」

「本当に。無我夢中で走ってきたから、全然わかんなくって」

「家じゃ、ないの?」

「どこかの施設だと思う」

「だったらその施設名を――」

「それは、聞いたこと無い」


 そんな馬鹿な、と言いたい所だったが、インクにふざけている様子はない。

 本当に、自分が王都のどこで生きてきたのかすら知らなかったらしい。

 そんなことがありうるのだろうか。

 よほど過保護が行き過ぎた保護者の元で育ったのか――


「でもね、そこには他にも子供たちが居たよ。フウィスに、ルーク、あとネクトに、ミュートも!」


 そこには、おそらく同年代と思われる子供たちが、少なくとも4人居る。

 となると、場所は自ずと限られてくる。


「もしかして、西区の孤児院っすか?」

「わかんない。でも、とにかく子供が居たの」


 10歳の子供が歩き回れる範囲内で、子供が沢山暮らしている場所。

 そう限られると、やはり孤児院しかないだろう。


「保護者の名前とか覚えてない?」

「マザーのこと?」

「それは、名前じゃないよね」

「でもマザーのことは、みんなマザーとしか呼ばないから」


 孤児院で子供の面倒を見ている修道女が、マザーと呼ばれている可能性は十分にある。

 ……だとしても、本名を知らないなんてことがあるのだろうか。

 あるいは、本当に名前がマザーなのかもしれない。


「孤児院ならおらの知り合いも居るっすから、明日にでも西区の教会に問い合わせてみるっすよ。子供の名簿でも見たら一発っすからね」

「巻き込んだみたいで申し訳ないけど、お願い」


 フラムはセーラに頭を下げる。

 教会には知り合いも居ない上に、できればセーラ以外の関係者とはお近づきにはなりたくない。

 つい先日、そいつらが作り出した化物に殺されかけたばかりなのだから。


 さらにその後も、念のためにいくつか話を聞いてみたが、手がかりらしい手がかりは得られなかった。

 逃げる時に階段を登ってきたとか、料理が美味しかったとか、マザーは優しかったとか。

 もっとも、インクが全て包み隠さずに話したかと言われれば微妙な所だが。

 まあそれも、彼女が孤児院の子供だとわかれば全て解決する話である。

 今は、明日以降のセーラからの連絡を待つしか無かった。




 ◇◇◇




 セーラを中央区の教会まで送るため、フラムは彼女とともに家を出ようとしていた。

 そこに居間の方から、静かにエターナが歩いて近づいてくる。

 そう言えば、先ほどの尋問中に彼女はほとんど口を開かなかった。

 ミルキットもそうだったが、彼女が最低限しか会話に参加しないのは今に始まったことではない。

 つまり様子がおかしいのは、エターナだけだったのだ。

 目の前で立ち止まった彼女は、シリアスな表情で、インクに聞こえないよう小さな声で言った。


「あの子、まだ沢山隠してることがある」

「だと思います。どうしてその施設から逃げてきたのかとか、何も聞けてませんし」

「それもあるけど……少し、私と似たような匂いがする」

「エターナさんと?」


 フラムはエターナの体に顔を近づけて匂いを嗅いだが、「そうじゃない」と鋭いチョップが脳天に降り注いだ。


「いったぁ……じゃあ匂いって何なんです?」


 フラムが頭を擦りながら尋ねると、彼女は遠い目をしながら語った。


「普通じゃないというか、不自然というか。そういう空気感の話」

「私は別に、エターナさんが不自然とは思いませんよ?」

「フラムは鈍感だから気づかない」

「酷い言われよう……」

「おらは、わかる気がするっす。浮いてるというか、他の普通の子供とは纏ってる雰囲気が違うっすよね」


 あまりに抽象的すぎて、フラムの頭の上には“?”マークが浮かびっぱなしだ。

 しかし、エターナもその感覚をうまく言葉で言い表せず、もどかしい思いをしていた。


「とにかく、早く帰る場所を見つけてあげて、送り届けた方がいい。深入りしないうちに」

「明日には結果を報告しに来るっすから、それでこの件は終わりになると思うっすよ」


 どうせ孤児院の子供だろう、誰もがそう高をくくっていた。

 もしそれ以外の施設の子だったとしても、王都内に孤児院はそう多くない。

 セーラが明日のうちに調べ上げて、インクがどこの子かを明らかにしてくれるはずである。




 ◇◇◇




 翌朝、セーラは早速、他の修道女に見送られて中央区の教会を発った。

 向かう先は西区の教会。

 用事が無い限り行く場所ではないので、知り合いはあまり多くないのだが、そこに勤めている教会騎士は、以前中央区に居たことがあったので、面識があった。

 リーチのカバンが盗まれた時、デインの部下を捕らえた2人である。

 教会付近の詰め所で待機していた彼らは、近づいてきたセーラを見るなり立ち上がり、「よう、よく来たな」と気さくに声をかけた。

 そしてそのうちの1人は彼女に歩み寄ると、自分たちよりも遥かに小さなセーラを弄ぶように、頭を撫でまくる。


「ちょ、やめるっすよエド! 髪がぐちゃぐちゃになるっすからー!」

「お、髪のこと気にするようになったのか、マセてきたなお前も」


 エドと呼ばれた男は、それでも頭に置いた手を動かしつづける。

 その顔には、実にいじわるな笑みが浮かんでいた。


「やめてやりなよ、昔っからそれ嫌がってただろ」

「いやぁ、仕方ないことなんだよジョニー。どうもこいつ見てると触りたくなるんだよなぁ、俺。犬を撫でたくなる飼い主の気持ちみたいな? わかるだろ?」

「同意を求められても困る」


 ジョニーは、苦笑する。

 その間も、セーラは頭をかき混ぜられており――


「おらは犬じゃないっすー!」


 ――彼女が本気で振り払うと、男は笑いながら「すまんすまん」と言って手を離した。

 乱れた髪を手櫛で整えると、彼女は彼を睨みつけながら、怒鳴りたい気持ちをぐっと抑えて、インクのことを尋ねる。


「実は昨日、知り合いが女の子を保護したんすけど、孤児院から女の子が居なくなったとか騒ぎになってないっすか?」

「いや、別になってないぞ」

「ああ、昨日とか平和そのもので、暇すぎて退屈してたぐらいだ」


 詰め所の机を覗き込むと、カードらしきものが散らばっている。

 どうやら本当に暇で、エドとジョニーは2人で賭けでもしていたらしい。


「インク・リースクラフト、10歳の子なんすけど、本当に心当たりはないっすか?」

「いや、ねえけど。あと別の孤児院から子供の捜索依頼が出てるなんて話も聞いてないがな」


 エドが言い切る。

 真面目に仕事をするジョニーも同意したということは、事実なのだろう。


「じゃあ、フウィス、ルーク、ネクト、ミュート……どれか名前を聞いたことはないっすか?」

「さすがに全員は覚えてねえからなぁ」

「僕が名簿でも持ってこようか?」

「お願いするっす!」


 ジョニーが駆け足で孤児院に向かった。

 エドとセーラが半ば喧嘩のようにじゃれあっている間に彼は戻ってきて、受け取ってきた名簿を手渡す。


「えっと……インク、インク……」


 まずは彼女の名前を探すが、そこには載っていない。

 続いて、フウィス、ルーク、ネクト、ミュートという文字がどこかに紛れていないか、指でなぞりながら1つ1つ確認するも、やはり見つからない。


「ここの子じゃなかった、ってことっすか……だとすると、あとは――」

「存在しないはずの子供って、なんかあれみたいだな」


 エドがにやりと笑って、ジョニーに対して言った。

 話題を振られたジョニーは「はっ」と鼻で笑う。


「ああ、あれな。夜な夜な孤児院に不気味な音が響いて、居るはずのない子供が出てくる、って言う」

「なんすかそれ」

「騎士の間で一時期流行った噂話だよ。今じゃすっかり廃れてるけどね」

「でもジョニーは知らないだろ。あの話、本当はもっと詳しい続きがあってだな」


 エドはこの手のゴシップが好きなのか、饒舌に語り始めた。


「実は、西区の教会の地下には秘密の施設があって、そこでは孤児院の子供を使った実験が行われてるらしい……!」

「いや無理だってそれ。今ですら、子供が1人居なくなるだけで大騒ぎなんだからな。それに、噂が本当だったら教会が完全に悪者じゃないか。上に怒られるぞ」

「夢がねえなあ、ジョニーは。セーラはどうだ? 興味あるだろ?」

「……確かに、興味はあるっすね」


 ただし、単なるオカルト話に対する興味とは別のものだが。

 エドが話している噂話、それはただの噂では無いかもしれない。

 火のない所に煙は立たない。

 研究所の存在を知る何者かが、うっかり漏らしてしまった話が、噂として騎士の間に広まってしまった――そう考えられないだろうか。


「それは人間を神の領域に引き上げるための実験らしい」

「神って、オリジンっすか?」

「いや、そこまで詳しい設定があるかは知らんが、とにかく神らしいぞ。で、神の力を体の中に埋め込むらしい」


 それはまさに、セーラが洞窟の研究所で見た、あの化物そのものではないだろうか。

 緊張から、口に溜まった生唾をごくりと飲み込む。


「するとその子供たちは、神の御業としか思えない不思議な力を扱えるようになるんだとか。しかも、神と自由に交信する力も持ってるらしくてな。聖女顔負けだよなあ、そんなのが居たら」


 マリアもお告げを聞くことは出来たが、いつも聞こえるわけではないらしい。

 それでも聖女として崇められるほどの立場なのだ、常に神と話すことのできる子供が居れば、生き神扱いされるに違いない。

 エドはセーラの真剣な表情を見て、“こいつ、すっかり信じきってやがるな”と調子に乗っている。


「計画名はずばり!」


 そんな彼は彼女の前にビシッと人差し指を立てると、決め台詞のように言った。


「螺旋の――」


 だがその言葉は、途中でぴたりと止まった。


「こ……お……ぁ?」


 そして、口を半開きにしたまま、意味のない声を垂れ流す。


「エド?」


 急に様子がおかしくなってしまったエドに、ジョニーが心配して近寄る。

 そして肩に手を置くと、彼の頭がびくんと跳ねた。


「あ……あー……螺旋、の子……?」

「だい、いち、せだ……がっ……」

「おいエド、どうし……た――なっ!?」


 その時、ジョニーの目に映ったのは――彼の首の後ろから生えてきた、もうひとつの頭だった。

 まるで木の枝のように分岐して、口をぱくぱくと動かしている。


「エド、エドッ! 何がどうなって……ん、だ?」


 ジョニーは自分の右太ももに違和感を覚え、視線を向ける。

 すると、白と黒と赤の球体が、ずぶりとそこに沈んでいるではないか。


「うわああぁぁぁっ! 来るなっ、入って来るなっ!」


 必死に抉り出そうと手を伸ばすも、すでに手遅れである。

 眼球が完全に沈むと、そこから――新たな足が、ずるりと生えてきた。

 額に冷や汗をにじませたジョニーは、ふと気配を感じ、詰め所の屋根を見上げた。

 そこから、大量の眼球が、こちらを見下ろしていた。

 死を――いや、それよりももっと恐ろしい状況を想像する。

 血の気が引き、頬が引きつり、全身が粟立つ。

 しかし逃げようにも、新たに生えてきた第三の足が邪魔をして思うように走れない。

 だから彼は、剣を抜いた。

 そして降り注いできた球体を、空中で切り裂く。

 幸い、それぞれの耐久性はさほど高くないようだ。

 問題は数と、触れただけで攻撃が成立するという即効性だが――足止めぐらいなら、彼にだってできるはずだ。


「セ、セーラ、逃げろっ!」

「で、でもっ!」

「いいから逃げろ! 何かはよくわからないが、僕たちでどうにかできる相手じゃない!」

「う……うぅ……っ」

「エドだってそれを望んでる、だから!」


 ジョニーは、青ざめた顔色のセーラに向けて叫んだ。

 彼女は、彼の覚悟を汲み取り、唇を噛んで「ごめんっす……!」と悔しそうな表情で走り去っていく。


 エドはとっくに人格を失い、人とは呼べない物体に成り下がっていた。

 ジョニーの体にも、次々と眼球が入り込んでくる。

 意識が遠のく。

 自分が人ではない何かになっていく。

 確かに怖い、しかしもう諦めは付いた、それよりも――

 遠のいていくセーラの後ろ姿が、角を曲がり、消える。

 それを見届けたジョニーは、最期に「ふっ」と笑うと、瞳を閉じ、意識を手放した。





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