心臓を刹那に託す者 01

 若い兵士は思った。自分は何のためにトリトン村を訪れたのか、と。

 彼を含めてほとんどの兵士は「何のために訪れたのか」を理解していない。

 魔獣を討伐するためか、村人を救出するためか。いずれも正しくない。明確な命令を理解出来ず、ただ上司オリヴァとニクラスの言葉に従っている。

 その結果、彼らが歩んでいるのは、山の中にある荒れ果てた道である。

 昔は人の往来があったのだろう。むき出しになった茶色の地面には、往路と復路を隔てる緑色の線が名残として生きていた。彼らは太い茎を手折り、根深い地を這う草を踏み新たな道を作り出す。

 目的の見えない行軍にせり上がる感情があった。感情を口にすればどれだけ楽であろう。だが、彼らは感情を口にしなかった。

 この行軍の意味を問いただし「何故」と尋ねた者がいた。ニクラスも「何故?」と質問を質問で返し、発言者の脇腹を突き刺し長いこといたぶった。どす黒い血が流れている。兵士たちは、「あれは死ぬには長い時間がかかる」ことを察した。長い長い痛みの果て、無念の淵で死んでいく。

 ニクラスが行ったことは雑兵への見せしめであった。上司である自分に口答えをするな。自分と彼らでは立場が違う。ニクラス・シュリーマンは絶対的な上司である。

 ニコニコと人の良い笑みを浮かべ、残酷な視線で刺された兵士を見下す。

 若い兵士は自分よりわずかに年上であるニクラスがこれほど告白な行為ができるのか理解が出来なかった。余計なことを口にすまい。王都奪還した際給付される特別給付金を思えば、意味のない行軍に意味はある。目の前に垂れ下がる金と命の重さに薄い口を開き、草花を手折り、歩き続けた。



 山の中腹程であろうか、開けた場所に出た。そこには朽ちかけの家屋が存在していた。かつてこの場所で生活が営まれていた。彼らが通った山道もその証拠である。

  荒廃した家家。雑草は人間の背丈を優に越し、軒下まで伸びている。またある雑草は家の内側から突き出ていた。壁を塗りつぶした蔦。崩れ落ちた瓦。手入れがされていない家に人が住むことは叶わない。いや、持ち主が戻ってくることすら叶わないことだろう。

 自然に飲み込まれていく人工物。人の手から離れ長い年月を経たのであろう。あたり一帯は強い緑の匂いが漂い、人間の匂いは微塵も感じられなかった。


「生存者を探すぞ」


 津波のような自然の浸食に息をのむ彼等をよそにニクラスは平然と言い放った。


「生存、者」


 誰かがこらえきれずニクラスの言葉を繰り返した。とたん、彼らの脳内で道端で死に絶えた仲間の姿が思い出され、自分では無いとニクラスから視線を外す。


「何か、言いたいことでも?」


 無論誰も答えない。生存者の可能性はこのような場所より村の中央だ。と反論したい感情を押し殺し沈黙を続ける。


「確かに、この場所は荒れ果てており人が住んだ気配はない。だが、村の中心部は魔獣に抑えられている。逃げ場を失った住人が捨てされたこの場所に向かわないと何故言える」


 ニクラスの主張に誰も反論しない。仮に反論したところで彼に相手にされない。皆、嵐が通り過ぎるのを待つかの如く項垂れ、こみ上げる感情を飲み込んだ。


「理解してもらえたかな?」


 彼は頭を下げるある兵士の肩を叩き、首を刎ねた。首が地面に落ちる音で、皆の頭が上がった。呆然と、目と口を開いた首が若い兵士を見ていた。若い兵士は悲鳴を押し殺した。彼は、ニクラスに声をかけた人物ではないと直観的に理解した。この人物も見せしめのために殺されたのだ。

 次はお前の番だ。呪詛めいた幻聴ののち、ニクラスの声が響く。


「生存者を探すぞ」


 次はお前か? という副音声に続き鋭い声が放たれる。


「探せっ!」


 ニクラスの言葉と共に残された兵士達は散り散りに走り出した。その姿は逃げ出したと言っても良い。ニクラスからほんの数センチ 離れたい。凶暴な人物の目の届かぬ場所へ走り”生存者”を探す。ニクラスに仕事をしていることをアピールするかの如く荒々しくドアをけ破り、窓を叩き割る。


「誰か」


 と声を張り上げる。


「誰か」


 と呼ぶ声は生存者を探す声であり、自分以外の誰かに願いを託す声でもあった。


「誰か」


 若い兵士が声をあげる。オリヴァ・グッツェーを呼んでくれと、心の中で叫んだ。ニクラスの凶行をオリヴァ・グッツェーに伝えてほしい。彼だけは彼に立ち向かえる唯一の存在だ。





 ニクラスは、付近に兵士がいないことを確認するとタバコを取り出し火を灯した。


「凡クズどもめ。お前達がいくら束になったところで私の駒になれるわけがないのに」


 ニクラスは煙草をくわえたまま死体の胴をつま先で蹴った。グルゥリと首を一周回し、紫煙を死体に吹きかけた。


「私の駒と呼べるのはヨナンからビメジンを守った仲間だけだ。それ以外はゴミでしかない」


 窮屈な音を立てる首に手を当て、今度は右へ左へと動かす。


「さて、私も生存者探しをするとするか」


 ニクラスはひとりごち、半分ほど吸ったの煙草を地に落とし、つま先でねじり消した。彼は今一度周囲を確認する。入念に兵士がいないことを確認すると、ある家屋へ向かった。

 その家は他の家と同様に自然の侵食を受けていた。雑草は窓ガラスを突き破り、壁一面に手のひら大のツタに覆われていた。もはや人間の家ではなく、草木の玩具だ。せせら笑うニクラスは家の不自然に目を向ける。

 扉もツタが絡まっている。けれどもよく見ればすでに取っ手部分・蝶番、扉の稼動領域の蔦は切り落とされていた。すり足で一歩後ずさると、茶色の汁を滲みだした出涸らしの葉があった。

 荒々しい開閉音。屋内から屋外へ流れるしんと冷たい空気。ニクラスは扉を閉め、誰も入らぬよう腰に下げていた剣を心張り棒代わりに立てかけ、土足で踏み込んだ。

 人の温かみを失った家の床は腐敗が進み何度か足を取られそうになった。先客もそうだったのだろう。足跡替わりに床に穴がいくつも空いていた。

 埃臭い部屋の中心部に硬い椅子に腰を下ろしている一人の男がいた。



「残念。あなたは私が願った人ではないようだ」


 と、穏やかな笑みをたたえて彼は言う。トリトン村の町医者 エイドであった。

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