浸食 01

 太陽がのぼりだした頃、王都からトルダート渓谷の渡船場へ向けて一艘の船が出た。

 船長は必死の形相で船を操舵する。何しろ往路で一人の相方を潰してしまった。

 王宮の命は可能な限り早く、目的地へ彼等を届けること。

 命を達成するために、海の剣の使い手が命を堕とすことは些事である。と言わんばかりの態度は思い返すだけ腸が煮えくり返る思いである。だが、彼は小さな船の船長。彼の怒りで物事が変わるわけではない。

 船長は奥歯を噛み、必死に舵を取る。船が暴れようが関係ない。復路では絶対に新しい相方を殺さない。それが、王都に対する反抗だ。

 相方のマナと命を可能性を信じ、彼は船を操るのであった。


「痛っ」


 船内でオリヴァがバランスを崩したのは何度目であろう。机につかまり、ゆっくりと立ち上がる。机の反対側ではオリヴァを睨む青年が立っていた。彼は武人らしく、二本足で立ち、机にもたれかかることもせず厳しい顔つきでオリヴァを見つめていた。


「グッツェー殿は正気か?」


 ニクラスの問いにオリヴァは「あぁ」とだけ返した。机の上には、渡船場からトリトン村までの地図が広げられていた。地図には多くのマークが付けられている。渡船場近くの×は手負いの魔獣が発見された場所。分岐点の×は通行止め。広場の〇は過去、魔獣アヌイが発見された場所、など。

 オリヴァはニクラスの行軍に意見は挟まなかったが、ある一点だけは大きく異なった。


「コルネール殿は、貴殿に何と言ったかはわからないが、私はトリトン村の無事が確認できれば、村には滞在せず、すぐに渡船場に戻り拠点とする。トリトン村を拠点にすれば、騎士団との早期合流が難しくなる」

「我々が到着した時点でトリトン村が無事であったとしても、以降村が無事だとは限らない。我々が退いたことを好奇とし、魔獣が襲撃に転じる可能性がある。シュリーマン殿の主張通り、渡船場を拠点とするならば、村人を村か渡船場へ避難させるべきでは?」

「何を言うか。トリトン村から渡船場までの距離を考えろ。彼等は馬に乗って避難するのではない。徒歩で移動するのだぞ」


 ニクラスは机を激しく叩いた。

 オリヴァ達が使用する馬は既に渡船場に用意されている。また、トリトン村にも馬がいたが村人全員分の頭数は無かったことを記憶している。村人全員分の馬の準備は不可能。

 徒歩としても、彼等は身体一つでは非難しない。必ず当面の準備を用意する。荷物を背負い、魔獣がいつ出るとは知れぬ道を歩かせるのは現実的ではない。


「なら、シュリーマン殿。トリトン村を我々の拠点とするのは?」

「またその提案か。君はトリトン村の人間が我々をどう思っているのか忘れたのか?」


 オリヴァは口を閉ざす。彼がトリトン村の人間がどのような感情を抱いているのか忘れるわけがない。彼等は、王都の人間を嫌っている。しかも、オリヴァは身分を偽りトリトンへ忍び込み、前領主惨殺のきっかけを作った人間だ。蛇笏の如く忌み嫌われ、一歩足を踏み入れれば村人から襲撃される可能性も十分ある。


「だが、シュリーマン殿、魔獣は狡猾です。アレは我々が来たことを知り、トリトン村へ向かったことを知れば、必ずトリトン村へ来ます。そして、無防備となったトリトン村を必ず襲う。我々は、騎士団の到着までトリトン村を守る事。魔獣討伐ではない。村人を第一に考えるなら、魔獣を寄せ付けないことを考えるべきだ」

「――。やけに、魔獣の考えがわかるのだな。が教えているのかな?」


 オリヴァは自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。ニクラスの言葉の後、この場にいる兵士たちの視線はオリヴァに注がれる。顔半分を隠した仮面。仮面の下に眠いっているのは魔獣の生きた肉だ。魔獣の思考が理解できるのは、眠る魔獣のせいか。そう問われると何も言い返せない。の考えをは引き出す事が出来ない。


「私のことは、この場では関係ない。今の議題はトリトン村についてだ」

「あぁ。そうであったな。では、本題に戻ろう」


 オリヴァは地図に視線を落とした。ニクラスとの議論を重ねたが、心臓の早鐘は収まることを知らない。自分の顔にへばりついている肉。この肉は魔獣を見た時、どのような反応をみせるだろうか。オリヴァは視線をニクラスに移す。万が一、自分が取り乱した場合、目の前の男は顔の肉を理由に簡単に自分を斬り落とす。彼が見ているのは人間のオリヴァではなく、不浄が混ざった生き物なのだ。だから、彼は自分を簡単に斬り殺す。

 オリヴァは耳に髪をかけた。自分は人間だ。そう見せるよう、務めて人間らしくふるまった。




 長い議論の末、部屋を出たのはニクラスだった。机を荒々しく叩くと怒りを露にすると「下らん」と吐き捨てたのだった。

 彼の背中を冷ややかに見つめるオリヴァ。いや、彼以上にニクラスの背中を冷ややかに見ていたのは兵士達だ。

 二人は何も決めることができない。足並みのそろわない二人に非難めいた視線がオリヴァに向けられる。

 何とかしなければならない。十分にわかっているのだが、この部屋は彼の思考を視線で横槍を入れる。

 ため息交じりにオリヴァは部屋を出た。

 誰の視線を感じない場所。そう思い、考えたのは荷物が積み重なった甲板であった。




 風が前から後ろへ吹いていく。乱れる髪を整えると、パタパタと仮面の隙間がせわしなく動く。緩んだ紐を締めようと後頭部に手を回した時、意外な人物が声をかけた。


「やはり君もここか」


 オリヴァは慌てて振り返る。そこに立っていたのはニクラスだった。

 先程とは違い、とても落ち着いた表情である。

 ニクラスはオリヴァの隣に立ち、彼と同じよう甲板にもたれかかった。ポケットから乾いた葉煙草を取り出すと、慣れた手つきで先端に火を付けた。


「心が落ち着かないときはコレに限る」


 満足そうに煙草を吸う横顔は、余裕を失くしたコルネールとは対照的であった。


「君は吸わないのかい?」

「私は特に興味はありません」

「そうか。なら君は強い人間だ。私は、煙草に逃げなければ心を落ち着ける事が出来ない。重度の煙草中毒者さ。戦場でも同じ。煙草が切れれば死体の服をまさぐって煙草が無いかと探した事もあったさ」


 ニクラスはケラケラと笑った。冗談だ、と後付けのように言うが冗談でないことはオリヴァも気づいている。ニクラスの震えている指先は煙草への依存性の強さを物語っている。


「そう。君と違って私は弱い人間だ。どんなことにも真っすぐ道を切り開いていくハシム様が眩しく見える。道がないなら道を拓けば良い。何時のころだったかな。あの方はそう言って私を鼓舞してくださった事がある」


 タバコの灰がポツ ポツ と雨だれのように落ちていく。


、君はどう思う。何故、魔獣はこの国に現れたと思う?」

「さぁ。聖剣書では、魔獣は驕り高ぶった人間を諫めるために獣の聖剣が派遣する生き物、とあるそうです。渡船場に現れたのが本当に魔獣であれば、この国に聖剣が罰しなければならない驕り高ぶった人間がいるということでしょうね」


 この話はベルが渡した星の剣に記載されていたものである。自分の意見を述べず、星の剣の見解を述べる。オリヴァはニクラスと話しているが彼の魂胆が見えてこない。

 激高に近い感情をむき出しにした彼がこうして何食わぬ顔をしてオリヴァと話が出来るのか。この男が腹の下に隠している本題が見えず、土踏まずの裏がヒンヤリと凍えているのが分かった。


「あぁ。驕り高ぶった人間は王都に沢山いる。でも、渡船場に姿を見せた。って事は、渡船場からトリトン村にかけてそういう驕り高ぶった人間いるってことだろうね」


 オリヴァは沈黙した。彼に向ける視線は鋭く早く本題を切り出せと威圧している。


「聖剣から罰すべしと誹りそしりを受けた人間を、我々は守る必要はあるのだろうか」

「何を。聖剣から罰すべしと誹りを受けた人間なんて存在――」

「オリヴァ、人間は必ず罪を背負っている。罪があるから罰されなければならない。罰があるから罪があるのではない。罪があるから罰があるんだ」


 オリヴァは目を細めてニクラスを睨んだ。


「オリヴァ、私は君の意見に乗ろうと思う。我々はトリトン村を拠点に活動しよう。だが、わずかでも我々に村が歯向かった場合、私は村人全員を殺す。聖剣に罪深いと誹りを受けた可能性のある村人だ。初夜権のことも含め、我々は彼らを守る必要性はない」

「シュリーマン殿、それは――」

「オリヴァ、君は気づいているか? 渡船場から来た海の剣の使い手はマナを使い果たして死んだ。おそらく、この船の海の剣の使い手も同じ末路をたどるだろう」


 オリヴァは沈黙する。そして、横に立つ男が相方になったことを最大の不幸と認識した。


「我々は人を殺し、進む。直接殺すか、間接的に殺すか、にしかすぎん。だがオリヴァ、気味がキルク様の進む道を切り開くのであれば、手を汚せ。我々に仇なす者は皆殺せ。あぁ、これは君の気概を試すものだ。私が村人を殺すと決めたとき、気味には村に火を点ける役を与えよう。そして、君の覚悟を知るために、女、子供も君に与えよう」


ニクラスの端正な顔が醜く歪む。短くなった煙草を川へ投げ捨て、もう話すことは無い、と言いたげに背中を向けた。

 オリヴァはニクラスの背中を睨む。握りしめた拳はひ弱で、殴る力も無かった。

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