初夜編 利己的な爪跡15

 イグナとティオスの父は、大いなる意思に、自らの敬剣を示す為、子どもを差し出した。これが人間最初の子殺しである。

 しかし、イグナとティオスは不条理な死に戸惑い、大いなる意思の下へたどり着けなかった。ある日、大いなる意思は、子供達をどこへやったのか尋ねた。すると、彼はこう言った。「知りません。私は供物を差し出したまでです」

 すると、二人は非常な怒りに燃え、その顔色は沈んでいった。そして、二人は、獣の剣と樹の剣にこの恨みを晴らすべく地上に返して欲しいと願った。

 これに対し、樹の聖剣は「あなた達はなぜ怒りに燃えているのか。なぜ、あなた達の顔は沈んでいるのか。あなた達はこれ以上の犠牲を増やさないよう、世界に願えば善いのである。善い​こと​を​願わなければ,罪​が​入口​に​うずくまっ​て​おり,それ​を​慕い求め​て​いる​の​は​あなた​達で​ある。あなた達​は​それ​を​制する​だろ​う​か」と返した。

 一方、獣の聖剣は「あなた達は怒りに燃えている。あなた達の顔は沈んでいる。あなた達の犠牲は不必要な犠牲。世界は不必要な犠牲を求めていない。不必要な犠牲には罪が必要だ。罰が必要だ」と返した。

 そして、獣の聖剣は二人に力を与え、憎しみの獣グナティオスとして地上へ還した。それから、グナティオスは父が耕した地を踏み荒らしていき、二度と耕作できない地へと変えいった

 

聖剣書 創剣記 第4章より抜粋



 マルトの顔に濃い影がかかる。彼は、顔をあげた。歯を剥き出しにし、見下ろす魔獣の姿。マルトが手を伸ばせば、魔獣の毛に触れることが出来る。魔獣は絶えず、うなり声を漏らしている。血が多く混じり、苦々しく痺れる香りがした。彼と獣はずいぶん近くまで距離を詰めていた。

 マルトがまた一歩、近寄る。すると、足元でぴしゃっと水の弾く音がした。血の水溜りを踏んだのだ。


「マルト様、いくらなんでも近づきすぎです」

「よか。これぐらい近づかんと、斬れるもんも斬れん」


 マルトは魔獣をじっと見つめる。自分の同じ目をした獣。彼の心はゾワリを震える。


 魔獣が現われたと聞いたとき、飽きてきた生活に彩りが出来たと思い喜んだ。

 魔獣が集落を破壊したと知ったとき、自分の身体が食われたようで腹が立った。

 魔獣が先駆け達を陵辱する様を見たとき、自分の感性に刺激を受けた。

 魔獣を見上げたとき、コレは自分を知っている。と悟った。


 不思議と、魔獣はマルトの望む方向に事を進めてくれる。マルトが刺激を願えば、村の全てを壊そうとした。マルトが無力だと思ったとき、彼の無力さを知らしめるように人や者、領土を壊していった。

 気づけば、マルトは魔獣の全てを受け入れていた。

 だが、マルトはまだ不満足だ。

 彼にとって、領主という地位は自分の全てだ。村を壊しても、領主という地位は壊せていない。だから、不満足なのだ。


「まぁ、それも終わりだ」


 マルトは一人ごちた。

 マルトの脳内で、盤上遊戯に王手の声がかかった。

 彼は魔獣を処刑する。魔獣を殺せば、彼の非日常は終止符を打つ。そうすれば、暫くは誰もマルトに石を投げることはないだろう。彼は股一人、てっぺんから村を見下みくだすのだ。


「アレを」


 マルトは後ろを振り返り、手を伸ばす。若い兵士が小走りに駆け寄った。

 そして、皆の視線が魔獣から離れた。

 そうして、彼の手に剣が渡される。通りすがりの家に掲げられていた華美な装飾の両手剣。彼は駄々をこねて、この剣を強制収用ちょっと拝借したものである。

 マルトの手に剣が渡される。金色の鞘には血に似た深紅のドットと線が描かれており、線と同じ色の宝石が細かく砕かれ埋め込まれていた。


「ヴヴッ……」


 それは、かすかな声だった。近くにいるマルトにも聞こえない

 マルトの背中と魔獣が重なる部分。それは、下半身。マルト達は魔獣を見上げていた。しかし、注視するのは、上半身ばかり。

 下半身。右足の膝から脚の甲を刺す杭が他の杭よりも浅く刺さっている事など気づいてはいない。

 そして、魔獣が歯を食いしばり、右足を杭から引き抜いた。


「ヴォヴァアアアアアギャアアアアアアアアアアアアアアア」


 耳を覆いたくなる方向。皆、振り返った。いや、振り返るより、早く魔獣の右足が勢いよく、マルトの腕を突き飛ばした。

 彼の身体は、文字通り派手に吹っ飛んだ。幸い、近くにいた若い兵士が咄嗟に受け止めることが出来た。けれども、二人とも抱き合うような形でゴロゴロと大地を転がっていく。


「マルト様っ」


 ただならぬ音に、団長は大地から剣を抜いた。

 魔獣を拘束していた土の杭はパラパラと音を立て、土塊へ還る。魔獣はドスンと尻餅を着き、口元に流れる血を紫色の舌でベロベロと拭った。後ずさりながら、マルト達と距離をとる。魔獣の全身に杭が穿った穴がある。そして、歩くたび、穴から血が噴出している。痛々しい姿だ。そうであれば、痛みで顔を歪めよう。

 魔獣はややしばらく歩くと、もう一度腰を落とした。しかしながら、魔獣は目尻から血を流しつつ、にぃと笑みを浮かべていた。


「あっああああっ――」


 一方、魔獣以外。人間は誰も笑顔は無い。大きな失敗をした。という動揺がある。マルトも悔しそうに、自分の右の二の腕を握り締めた。


「ヴヴぁあヴぁヴぁヴぁヴぁヴぁヴぁヴぁヴぁ」



 魔獣は勝ち誇るように吼える。魔獣はマルトの右腕を蹴り壊すという一糸を報いた。彼の傍らには、変形した右ひじから先が落ちている。素人目から見ても、あの腕は、命の聖剣でも‘使い物’にならない。

 

「ま、マルト様。気を確かに」

「馬鹿をいえ。私は冷静だ」


 マルトはぺっと唾を吐き捨てた。


「ちっ。下手こいたわ。執務に支障がでる」


 視界にちらつく、自分の一部。不思議な事に、痛みは感じない。あるのは、腕から先が焼けるような感覚のみである。本当に腕を失ったのか、俄かに信じられない。

 確かめるよう、彼は恐る恐る自分の右腕を見つめた。痛みは無くとも、やはり、右ひじから先はない。血液がボロボロと滴り落ちる。あるべきものを失った。肉体的な痛みより、精神的な苦痛が堪える。途端、頭が自然とクラリと揺れた。


「止血を。早くしろ」


 団長の叱責に、兵士達は鎧を脱いで自分の衣服をビリリと裂いた。細い布にすると、すぐにマルトの右打てを縛った。


「マルト様、引きますか?」


 団長はマルトの前に立ち、切っ先を魔獣に向ける。マルトは腰を落としたまま、口をつぐむ。

 距離をとった魔獣がまっすぐ、こちらに向かってきた。長い腕は団長を責めたてる。執拗な攻撃に彼は剣身で魔獣の腕を受け止める。


「くそったれ」


 団長は、大地を蹴り、魔獣の懐へ飛び込む。剣を大地に刺し、再び、大地から這い出る杭を呼び寄せた。先刻の痛みを思い出し、魔獣は咄嗟に、団長から離れた。

 魔獣は団長から離れるも、今度は、方向を変え、マルトの側面を狙い突進してきた。それには、土壁を作った兵士達が立ち向かう。先ほどのような高い土壁は作れない。一人は、剣先で土をえぐり、多くの礫を創ると、魔獣へ投射した。けれども、当たった礫はごく一部。運よく、礫は傷痕に辺り、魔獣は叫びその場に背中から倒れこんだ。

 マルトは皆の姿をその目に焼き付けた。

 優勢であったマルトの脳内の盤はいつしか、形勢不利となっていた。どこで堂間違ったのか。考えても答えは出ない。出てくる選択肢は「投了」ばかり。普段の彼ならば、このような状態であれば、すぐに投了する。おまけに、子どもが駄々をこねるように投了を宣言するのだ。その度、ヘーグは困った顔をして、「ガマンして突破してください」という。


「ヘーグよ。それが今なのだな」


 脳内に住むもう一人のマルト。彼は爪を噛み、目を血走らせ、気筒から透明なガラスを取り出した。ガンッと力強い音を立て、道を示す。


「いいや、突破するぞ。団長」


 その言葉に、団長が笑った。

 利き腕を失った。仕事に制限が加わる。自分の持分が減らされる。マルトは、領主という牙城が削られていく事実に腹から噴き上げるものが押さえきれなくなってきた。また、脳内の対戦相手が声を上げて笑った。

 

「アレを寄越せ」


 マルトはもう一度、若い兵士に命令する。彼は、落ちている剣を拾い上げ、マルトに差し出した。マルトは口に鞘を咥えると、そのまま一気に引き抜いた。

 ガシャンと鞘は大地に捨てられる。宝石は飛び散った。

 腕一本。マルトは切っ先を天に掲げた。


「憎しみの獣よ」


 マルトはニィと欠けた歯を見せる。天に掲げた切っ先を真っ直ぐ、魔獣へ突きつけた。


「言ったであろう。私が直々に首を刎ねてやる。傅けっ。頭を垂れろっ。私の高みを侵す者は何人たりとも許しはせん」


 マルトの眼の前に立つ魔獣。彼の叫びに呼応し、咆哮を上げた。そして、4歩 後ずさる。団長を含めて、皆、マルトが握る柄に己の手を合わせる。

 離れた場所から、再び、茶色い弾丸が放出された。

 

 魔獣の足音でマルトの脳内盤上にスリガラスが置かれる。マルトは、還す。また、スリガラスが置かれると、マルトは置く。ガンガンとぶつかる音。激しく交差する音の奥から、

 マルトは剣の切っ先を胸の高さへ上げる。別の世界が見えた。


 憎しみの獣グナティオスは、父を憎む余、世界中の至る場所を不毛の大地とした。世界を変える力を持てども、父は殺せなかった。何故なら、父はとても恐ろしい存在であったからだ。

 世界は変えられても、自分は変えられない。大いなる意思は、自らの恨みを晴らさず、周囲に不幸を与えるグナティオスに激怒した。

 そして、大地の聖剣を振りかざし、グナティオスの体を2つに分けた。

 裂かれた肉体は不毛の大地を豊穣の大地へ変えた。

 噴出した血液は肥沃の川へと変わった。

 グナティオスの報われない気持ちは、汚物としてこの世の奥に隠された。

 こうして、グナティオスによる物語は終わりとなる。


 

 魔獣はマルトに飛びかかる。両者は、互いを捉え、魔獣は爪を。マルトは剣を突き出した。

 魔獣は頭から突っ込み、手を振りかざした。魔獣の爪がマルトの顔を抉る。彼の視野が極端に狭くなった。

 一方、マルトも負けてはいない。片手一本。いや、彼の片手には団長・兵士達。多くの者の手が重なっている。切っ先を立て、魔獣の正中に入れる。

 魔獣の突進する力。皆で、魔獣を斬り殺そうとする力。後は勢いのまま、剣が魔獣の身体に入っていく。


「ぐっ……」


 だが、事は思うように進まない。刃先は途中硬い部分にぶつかった。どこの骨だろうか。剣を進めようとするも進まない。勢いと力。無理な力がかかり、剣が軋む音がする。「折れる」そう思った矢先、団長が手を伸ばした。

 団長は剣身に手を当て、剣を支えた。両手剣だ。団長は、自分の手を代償に剣を保たせた。

 今度は、魔獣だ。魔獣は痛みで長い手を振り回し、マルトを始め、多くの者を引っかいていく。兵士達は鎧を脱いでいる。魔獣が腕を振るうたび、彼らの身体に傷がついていく。


「みなの仇。これで倒れられるか!」

「魔獣よ! 肉体の死を持って償え」

「我らは礼節を重んじるトリトン村の自警団。楽には死なん」


 皆、綺麗な身体ではない。傷つき、身体の一部が抉られても、決して、マルトから手を離さない。己や仲間を鼓舞するように、勇ましい言葉を口々に叫ぶ。

 マルトをさせるものの力が彼に。いや、剣に力を与える。


「還れ。魔獣よ。ここは人の世界だ。人が主人のわれわれ世界だ」


 剣は魔獣の中核を砕いた。そして、皆、前のめりになるよう足が進んでいく。剣は、すべるように、皆は吸い込まれるように、魔獣の身体を裂いていく。

 魔獣の尻尾の先まで下ろすと、まるで聖剣書の一説のように、魔獣の身体は2つに分かれてしまった。


「そうさ。ここは人間の世界。現実は現実に。幻想は、幻想に還れ」


 マルトは目を細め、小さく呟いた。

 重荷が墜ちる音が2度した。マルトや団長達の顔は真っ赤に染まっている。彼らの身体は、傷つき、欠損していた。

 皆、口を閉ざしている。互いの身体を見ることも出来ない。


’魔獣を殺した’


 達成感よりも喪失感が彼の心を満たしている。


「こうして、私はまた自分の地位を守るのだ」


 マルトは柄から手を離した。すると、剣は重たい音を立てて大地に打ち捨てられた。拾うものは誰もいない。

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