初夜編 御伽噺のゆりかご03

 馬車は靄の中を駆け抜ける。悪路の中を走るため、ガタガタと荷台部分はゆれる。雨は、段々、雨脚を強めていく。やっちゃんの頭から白い煙が見えた。高級嗜好品のタバコでも吸っているのか。とオリヴァは思ったが、雨の中でタバコを吸えるわけはない。ためしに、息を吐くと、やっちゃんと同じように、白い煙が出た。一方、ベルからは、白い息は出てこない。ふと、不安になり彼女の頬をペシペシと叩く。すると、彼女は「うーん」と困ったような声をあげ、オリヴァの中で寝返りを打つように体勢を変えた。


「生きてる」


 言葉にすることで、安堵する。オリヴァがいた。




 しばらくすると、二台は村に到着した。村の入り口には、笠を被った清潔感のある年若い優男が立っている。


「やっさん。この女性ですね」


やっさんは、小さく首を縦に振った。 優男は荷台に登ると、すぐにオリヴァからベルを引き取る。彼女の手首を掴み、優男の顔よりも高く上げた。親指で手首の付け根を何かを確認している。オリヴァは真剣そうな男の横顔をじっとみつめた。


「先生、このまま転げ落ちんように踏ん張ちょって。このまま診療所に行くきん」

「お願いします」


そういうと、やっさんは馬の太ももを鞭で一打ちした。馬は嫌がるように顔を横に振るとパカラ パカラと音を立てて村の中に入っていった。


「体調はいつごろから悪かったのですか?」


 蹄の音と雨の音。優男の声はノイズが入ったように聞こえる。オリヴァは困ったように、顔を優男のほうへ近づけた。優男は、声を大きくし、もう一度同じ言葉を言った。


「体調はいつごろから悪かったのですか?」

「わかりません。コトウさんの広場 でしたっけ。そこでいきなり倒れたのです。触れば、熱いし。」


 オリヴァも大きな声で答える。彼の答えに、「先生」は口を真一文字に結んだ。笠から滴り落ちる雨粒はぽたり ぽたりとベルの服の裾を濡らしていく。


「奥さんは、持病がありますか?」


オリヴァの背中にゾワリと背中が粟立つものが走った。


「彼女は特に何も……」


それ以降、先生はオリヴァに声をかけることはない。彼も、自分から先生に問いかける事はしなかった。ベルの荒い呼吸を心配そうな面持ちで見つめつつも、視線だけを上げればトリトン村の作りが見える。ベルの様子とトリトン。視線はせわしなく切り替わる。

村の外はぐるりと石垣が築かれている。村の作りは、商業エリア と住居エリアに分かれていた。馬は、住居エリアへ進んでいく。住居エリアのほとんどは平屋であった。王都で平家といえば、低所得者 貧困層の代名詞。彼の頭はその情報で固められているせいか、疑問が湧いて来た。トリトン村の米はスナイル国に名を馳せているというのに、どうしてこうも貧しい家の作りなのだろうかと。貧しさを湛える住居エリアの先には、様相の異なる鋭角な屋根を持つ建物があった。蝙蝠が羽を畳んだような作りをした建物がある。あの建物が、この村の領主の屋敷に違いない。トリトン村の領主 コンラッド

コトウさんの末裔やら、現在の王家の傍流やら。根も葉もない事が付いているのがこのコンラッドという男である。オリヴァの脳裏には嫌な仮説が生まれた。


 馬が止まった。

診療所 である。医療施設ではあるが、この建物もほかの住宅と同じ平屋の建物である。木で組み上げられた平屋の前では割烹着を着た恰幅の良い女性が「先生」の帰りを待っていた。


「先生。湯ぅ、沸けちょるばい」

「ありがとう。ドアを開けといてもらえますか?」


先生は、ベルを背負うと、そのまま小走りに診療所の中へ走っていった。

オリヴァもベルと自分のずた袋を持ち先生の後を追いかける。水たまりの水がズボンの裾に跳ね返る。服の汚れに頓着することせず、診療所に入ると、上がり框には、足跡と水滴があった。彼も靴を脱ごうとした。


「あんたは上がったらダメ」


土間の真ん中から女性が叫んだ。オリヴァは、目を瞬かせた。土間の中で、彼が良くて、自分が許されない理由を考えた。彼も先生も濡れている。しかし、オリヴァの胸元から下は先生以上に濡れ、身体のラインがはっきりと見える。また、膝から下は泥が付着している。どこからどうみても衛生的に宜しくない、先生が必要以上にオリヴァに近づかなかった理由もこの時になって理解した。そう考えている間にも、オリヴァの身体から流れ落ちる水滴が水たまりを作っていた。


「ご主人、奥さんの荷物はどれなん?」


恰幅の良い女性がもう一度尋ねた。一見すると同じズタ袋。取り間違えぬよう、ベルのズタ袋にはオレンジ色のタッセルが付いている。

入るなと言われたからには、彼は部屋に入ることは適わない。手にしているベルのズタ袋を部屋に向かって放り投げた。水をたっぷりと含んだズタ袋は重たそうに弧を描くと、べチャリと音を立てて板張りに落ちた。ズタ袋の中に入っているであろう衣服もズタ袋と同じ惨状だろう。女性は、ドカドカと足音を立てて、ズタ袋を拾い上げた。


「なんね。濡れちょるやないね」


 眉間に皺を寄せ、女性はベルのズタ袋の紐を息よい欲開けると、袋の中にに顔を突っ込んだ。手首との境目がわからない腕をねじりこむ。中からはぐちょぐちょと濡れそぼった音が返ってくる。しばらく漁ると、女性の顔が袋の中から現れた。その時は、茹で蛸のように顔を真っ赤に染めていた。


「あんたぁ! 何も着れもんないやん」


 診療所内に女性の怒号が響いた。彼の鼓膜は、本日3度目。激しく震える。鼓膜だけではない。この平屋の柱がビリビリと震えているような声量だ。病人のいる診療所にはふさわしくないと反論したいが、気持ちをググッと飲み込む。気の弱い男を演じるべく、困ったような表情を浮かべ、オリヴァの背を丸めた。


「いや、俺に言われても……」

「なんでもうちょっと物事考えんね。雨降るのに雨除けせん馬鹿はどこにおんのね」

「だから……」

「もうよか。私の服を貸しちゃる」


 オリヴァは思わず、「サイズを考えろよ」と言いかけた。だが、言えば最後。この診療所には患者が一人増えることになるだろう。

 女性は優男に声をかける。優男は彼女の行動に慣れているようで女性と目を合わせず「はいはい」と言葉を交わしたのみで、ベルの容態に注視している。

 女性はドカドカと足音をたて、玄関に脱ぎ捨てたサンダルに足を通す。同じ高さに立つ事で、彼女の威圧感を感じる。女性は「壁」と表現して良い。オリヴァも身長は男性の平均身長を下回る。それでも、女性から見下げられる事はない。この女性は違う。縦にも横にもオリヴァより一回り以上大きかった。圧倒的な存在感。細い瞳からはっきりと伝わる「不信感」 感情が先走っていることが如実にわかる。


「あんたも付いて来んしゃい」

「どこへ?」

「いいから」


 壁にかけている笠を2つ手に取り、濡れている笠をオリヴァに突きつけた。顎紐をかけ、自分のズタ袋を持つとそのまま診療所を後にする。設定上、二人は夫婦だ。心配そうな素振りで、ベルの寝る部屋をもう一度振り返った。


「あの……」


 ズンズンと進む女性に、背後から声をかける。女性は何も言わない。大きな壁が前を歩く。肉厚な背中だ。暑さの厳しいスナイル国ではきっと良い日よけになるだろう。寒さの厳しい乾季では、近くに寄れば、良い暖房代わりになるだろう。そんな事を考えながら、もう一度、女性に声をかける。


「あの……」

「なんね」

「ここは、一体、どこなんですか?」


 オリヴァの問いかけに、女性はいきなり立ち止まった。人間は急には止まれない。思わず、肉厚な背中に顔面をぶつけてしまう。見上げるように、女性を見つめた。女性は、クルリとオリヴァの方へ身体をむけ、ポンと手を叩き、満面の笑みを浮かべていた。


「アンタ、知らんの? ここは土の聖剣の聖地。トリトンばい」


 オリヴァの女性の間に風邪がさぁーっと通った。あれだけ、身体の中を漂っていた疲れが、少し、身体と共に癒えていく。二人の任務地トリトン村。二人は、ようやく目的地に到着することが出来たのだ。そして、オリヴァの筆頭侍従復帰への第一歩がようやっと始まる。

 オリヴァの顔に笑顔が浮かんだ。笑顔の相手は、ベルでも目の前の女性でもない。王都で待つ、キルク王子へのものだ。

 

 

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