第20話 指先

 極東軍は男女を問わずに多くの兵を徴募している。健康であるならば、女性でも軍人になれると言うのは、朱国の美徳の一つであるように私は思っている。


 しかしながら、軍隊内での女の扱い方は平等ではない。

 美しく若い娘たちには、すぐに、上官あるいは先任兵の男たちが粉をかける。あるいは、難癖をつけて無理やりに手籠めにするという話も少なくない話だ。


 私は幸いにして、顔に男たちが忌避するような、大きな火傷を負っていた。

 ケロイドにより醜く歪んでいる右頬を見せつけてやると、男たちは途端に興味を失ったように私に背中を見せるのだった。


 軍隊で生きていく分には楽でいいと思う。

 しかし、自分だけがこの顔の傷のおかげで、助かるという事実に、どこか負い目を感じている部分もあった。


 ニーカ女史に出会ったのはそんな思いが私の中で渦巻いていた時だ。

 その頃、私は可愛がっていた二人の子猫を、相次いで、取るに足らない愚かな男たちに慰み者にされた挙句、死に追いやられたせいで精神的に参っていた。

 そこに付け込むように、彼女は私の前に現れてこう囁いた。


「貴方の大切な女性たちが苦しまなくて済む部隊を作ってあげましょう」


 その代わり、自分の旗下に入れと、年若い少女少佐は私に告げた。

 この世間知らずの少女は、いったい何を言っているのだろうかと、その言葉を私は真に受けていなかった。

 中央の『偉大なる同志』の第十三女。

 それがいったいこの極東の地で、どれほどの権威と力を持つのだろうか。


 しかし、彼女が総司令ヘッケン――子猫の一人を死に追いやった男――を処断したという話を聞いて、そして、何のお咎めも受けなかったと言うことを聞いて、その力が本物であるということを私は思い知った。


 その時だろう、私が彼女に奉仕する道を明確に選択したのは。


「マルファ。貴方の指先はいつだって優しいわね」


「……同志の期待に応えられてなによりです」


「そのケロイドで覆われた右頬も素敵よ。どれだけ触っても飽きない。男たちは、そんな貴方を気味悪がるかもしれないけれども――」


 女同士ならば大した問題にはならないわ、と、彼女は私の胸に顔を埋めて言った。


 その小さな捨て猫のような体は、今まで抱いて来た娘のどれとも違った。

 軍靴によって踏み固められた雪のような、くすんだ色をした髪をした彼女は、苛烈な性格で内外に知られている。私が預かる隊の娘たちも、忠誠を誓う一方で、彼女の一挙手一投足に恐れを抱いているとも言っていた。


 けれども、いつだって私の胸の中では、彼女は可愛い子猫のようにじゃれついてくる。

 しかしこの子猫は、決して人に心を開かない、頑なさを同時に持っていた。


 彼女の肌を優しく撫で上げる。

 くすぐったく身もだえして、鉛色を薄めたような髪を彼女は揺らす。それから、もう一度、私の胸へとかぶりついて乳房に、噛みちぎるくらいに強く歯を立てた。


 これだ。


 与えられる優しさに対して、この娘はどうしてこのように、不器用な反応をするのか。

 それが分からない。


 女同士の行為は思いやりがなければ成立しない。男たちとの一方的なそれと違って、女性は信頼関係を求めてお互いの肌を重ねる。決して根源的な肉体の快楽に至れないからこそ、精神的な快楽を極限まで追い求める。

 そのためには、お互いの体を慈しむ、そのプロセスこそが大切である。


 彼女のそれは、求める一方で、拒絶であるようにも思えた。

 いわんや、女史が腰巾着であるキリエ軍曹と、夜ごと肌を合わせているのは、私もよく知っている。彼女が根っから、こちら側の人間ではないのは確かなのだ。


 男に対しても、彼女はこうなのだろうか。

 よく分からない考えが頭の中に蔓延していく。

 その間も、彼女は何度も何度も、私の体にその歯をたてていった。


「ねぇ、マルファ。貴方の顔を味わってもいいかしら。その焼けただれた右頬が、どんな味がするのか、私、前から気になっていたのよ」


「……仰せのままに」


 上官の命令に逆らうことはできない。


 上官の求めに逆らうことはできない。


 女に抱かれていながらどうして、男に抱かれていた時の屈辱が、胸の中に湧き上がってくる。それは、いったいどうしてなのだろうか。


 それでも、私はこの胸の中の子猫を――よく噛むと知っていても見捨てられない。

 裏切ることが出来ない。


 本質的な所で、私はこの極東の地へと追いやられてしまった、不遇なる『偉大なる同志』の第十三女に対して、愛情を抱いているのだとそう確信していた。

 彼女のために死ねるかと言えば――たぶん簡単に死ねるだろう。


 しかし、今、私には守るべき兵たちが居る。

 彼女以外の子猫たちの命と、彼女の命令が天秤にかけられた時、果たして私は、どちらにその皿を傾けることになるのだろうか。


「ねぇ、マルファ。もっと深く、より、強く、抱いてちょうだい」


「甘えん坊ですね女史」


「そうよ私は愛に飢えているの。いつだってね」


 鉛色の髪をかき分けて彼女の背中に手を回す。お互いの、股の間に足を通して、お互いの骨の形が分かるくらいに、強く強く抱きしめあうと、再び、私はこの暴力的な少女の心を、労わるように愛撫を開始した。


 首筋から漂ってくる甘い匂いは、固体『晶ガス』が気化した時に発せられる匂いだ。

 硝煙の匂いの代わりに、それを体にしみ込ませた少女。

 不器用で荒っぽい生き方を知らない、濡れそぼり痩せこけた凍える子猫。あるいは、飢えた子狼。


 今はただ、貴方のためにこの指先を優しく揺らそう。そのくらいには、私は貴方のことを愛している。


「いいわ、マルファ。すごくいい。愛を、幸福を感じられるわ」


「女史は軍曹とする時にそれを感じないのですか」


「やめて!! 今、私は貴方の愛を味わっているの!! そこに不純なものを混ぜ込まないでちょうだい!!」


「……すみません」


 許しを請うように、私は彼女のうなじに優しくキスをする。

 あぁ、と、病的に白い肌をした少女が、悶絶の言葉を吐き出す。それと同時に、彼女は激しく内股を震わせていた。


 男の欲求に果てはある。

 だが、女の欲求に果てはない。


 夜はまだまだ長い。

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