第18話 藁の上

 褐色の乙女の名は、アンナ・ハバロヴァと言った。

 彼女もまたこの村はずれにある蔵につめている協力者の村娘の一人であり、家からよく冷えた密造酒を持ってやって来てくれたようだった。


 すぐさま、僕の存在に気が付いたアンナは、そのまま、小屋に入って来るなり、僕とアドリアンが座っているテーブルへとやって来た。

 それから、手にしていた密造酒を手ずから、僕とアドリアンの杯に注いだ。


 ようやく盛り場らしくなってきた。

 彼女に注がれたそれに口をつける。不十分なろ過を、ハーブの香りで誤魔化しているのか、喉の焼ける痛みと共に、すっとした爽やかな匂いが鼻を抜けた。


 はぁ、と、アドリアンがまた甘い溜息を吐き出す。


「ここはいったいどういう場所だ。遊べる、と、聞いて来たのだが」


「遊ぶか遊ばないかは、私たちが決めます。売春は法により禁じられているわ」


「まったくだ。だが、そのためにここの女は集まっているのでは」


 僕が立てていた推測は、どうやら当たっているようだった。

 彼女の言葉は何も間違ってはいない。実際、彼女たちは売春婦ではないのだから、わざわざ男たちに、奉仕するようなことをしなくてもいいのだ。


 特務部隊こそ思いがけず駐留することになったが、彼女たちにとって、この地は安住の場所であり、そんなことをしなくても、明日生きていくことはできるし、眠る場所も約束されている。


 そんな女たちをその気にさせるのは、なかなか難しい。


「少しは羽振りの良いところを見せれば、また違うのではないか」


 アドリアンにそんなことを言いながら、僕は隣に座る褐色の少女の肢体に視線を向けていた。何もないのに、遊びたそうにすり寄って来たということは、彼女は、どうやら僕とアドリアンのどちらかに、好意を持っているらしかった。

 視線がアドリアンではなく僕の方を向いている辺り、僕の方に分があるように思える。


 果たして、一人寝の憂き目にあうのがそんなに嫌なのだろうか。

 それとも自分ではなく、マルファを夜の相手に選んだかの銀狼の娘に対して、意趣返しをそこまでしてしたいのか。


 アルコールによりぼやつく意識の中で、僕は彼女に言葉をかけた。


「ここに来た日にも会ったな」


「えぇ」


「その後、元気にしているかい」


「貴方たちの隊長殿が寛大なお方だったおかげで、なんとか村長たちのようにはならずに済んでいるわ」


 ムルァヴィーニの腹を裂いたことにより、村長一家の噂は広まっているようだ。

 同時に、特務部隊を預かっているニーカの苛烈さも。


 二律背反な、田舎娘にしては洒落の効いている切り替えしに、思わず、飲んでいた酒が鼻腔に潜り込みそうになった。

 面白い娘である。そして賢くもある。


 ただ、危機感は足りていない。


 彼女のそんな口ぶりを聞けば、我が主は激憤してまた何かよからぬことを引き起こすに違いないだろう。思想は自由だが、口は慎んだ方がいいぞと、僕は命知らずの褐色の乙女に一つ忠告をした。

 分かったわ、と、頷いて、自分も密造酒を杯に注いで、口を吐けるアンナ。


 本当に分かってくれたのかどうか、怪しいものである。


 まぁいい。

 少なくとも、これでニーカの前で軽口を叩くことだけは、気を付けてくれることだろう。


「西方から流れて来たと言っていたか」


「貴方は、東から流れて来たみたいね」


「口を開くたびに驚かされるな。君は、ぱっと見た限り、男をたてるタイプの女性だと、僕は思っていたんだが」


「ここは遊ぶための場よ。なのに、そんな気遣いなんて必要かしら」


 要らないかもしれないな。

 そんなことを思っていると、僕の空になった杯に、すかさず酒瓶から密造酒を注ぐ。

 口ぶりとは裏腹に、彼女の気質は僕が見抜いたものに間違いないように感じた。


 では、思わせぶりにわざわざ振る舞っているのだろうか。


 小屋の中の娘たちは、こちらに興味などないといった冷めた顔をしている。

 何が彼女らのお眼鏡にかなわないのかは、はっきりと言って分からない。


 旭国の人間――異邦人である僕はともかくとして、アドリアンは逞しい朱国の男児である。遊ぶ相手としては申し分ないだろうに、それでも、そうしないのは何故なのか。

 何を期待しているのか。あるいは何を警戒しているのか。

 酔った頭では、その何かを炙り出すことは難しい。


 だが、目の前の褐色の乙女については、その限りではない。


 彼女はどうやら、朱国の人間たちに交じって行動している、旭国の人間である僕に、並々ならない興味を持っているようだ。


 いけるかもしれない。

 何かが僕の脳裏の裏で囁いていた。


 悪魔なのか、獣なのか、よく分からないが、邪悪であることは間違いなかった。


「遊ぶにはどうすればいい」


「奥に藁が敷かれた部屋が幾つかあるわ。そこにシーツを持って入るだけよ」


「……僕が、君と遊びたいと言ったら、君はどう答える」


 とんとん、と、彼女はテーブルを叩いた。

 何かが置かれている訳ではない、ただの木の板を人差し指で三回突いて、彼女は物欲しげにこちらを見つめてきた。


 何が欲しいのか。

 人肌の恋しさをを紛らわし、アルコールにより膨れ上がった情動を受け止めて貰うために、何を僕は彼女に捧げるべきなのか。


 沈黙と共に打ち鳴らされたテーブルと、妖艶に微笑む褐色の乙女を前に、僕は沈むように思考を巡らせた。


 だが。やはりアルコールに揺れる頭は、それを導き出してはくれない。

 お手上げとばかりに、僕は頭を掻きむしった。


「薄給なんだ、与えられるものは限られている」


「それでも、寒村の村人よりは贅沢な暮らしをしているのでしょう。軍人さんというのは」


「まぁ、ね」


「けれどもそんな刹那的な者を、ここに居る娘たちは求めている訳じゃないのよ」


 ふむ。と、僕は彼女のエメラルドの瞳を覗き込んだ。


「けれども君の瞳はその刹那を求めているようだ」


「……貴方と同じではぐれものだから」


「珍しい男を抱ける経験なら与えてあげることができるかもしれない」


「……そうね、旭国生まれの男と肌を重ねる機会なんて、これから先、生きていたとしてそうそう巡ってくるものではないかもしれない」


 そう言って立ち上がると、褐色の乙女は僕の袖を引いた。

 野良作業のためか、赤切れているその手を握り返してやると、少し嬉しそうに褐色の乙女は口角を上げた。


 奥の部屋を借りる。

 そう告げると、冷めた少女たちの溜息が小屋の中に響いた。その中に混じって、ちっ、という、アドリアンの舌打ちも。

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